« 舞台裏…ってほどでもない | トップページ | 最強のスピンオフ映画 »

ピアノ発表会

7月9日(土)

今日は4歳3か月の娘の、ピアノ発表会の日である。

娘と、同じマンションに住む小5の姪は、近所の繁華街にあるピアノ教室で、同じ先生に習っている。なので姪もまた、同じ発表会に出演する。

場所は、バスと私鉄と都営線を乗り継いで1時間ほどかかる都内。午前11時20分開演だが、10時半には会場に着いた。

昨晩の金曜日、娘はなかなか眠れなかった。といっても、最近は宵っ張りである。

「緊張して眠れないんでしょ?」

「ううん、そんなことない!」

と全力で否定した。

翌朝、親類の子のお下がりでもらった、白いドレスに着替えて、いよいよ出発である。おそらく、次の時にはドレスが小さくて入らなくなるだろうから、最初で最後の衣装だろう。

電車に乗った頃から、しゃっくりが止まらないようである。

「困ったねえ。しゃっくりが止まらないねえ」

緊張しているのだろうか?

「ねえ、緊張しているんでしょう?ねえ?ねえ?」

と、娘に執拗に聞いていると、

「そんなこと聞いたら、よけいに緊張するでしょう!トラウマになるよ!」

と、家族にたしなめられた。

会場に着くと、娘や姪のピアノの先生が受付にいた。

「今日はよろしくお願いします」

同じピアノの先生のもとで習っている生徒のうち、希望者がピアノの発表会に出るという。今日の出演者は9名。最年少はうちの娘で、最年長は姪である。なので、トップバッターは娘で、最後を飾るのは姪と、プログラムに書いてあった。

コロナ禍での演奏会のため、演奏者ひとりにつき、2名まで来場が可能という決まりがあった。ということは、演奏者含めて3名が一組だから、会場には27名の観客がいるということである。

感染対策のため、途中に10分間の休憩をはさみ、その間に会場の換気を行う、という徹底ぶりだった。

いまから45年くらい前、僕も少しピアノを習っていて、ピアノ発表会に出演した経験があるのだが、ピアノ発表会という形式で、ピアノを習っている生徒が演奏を披露するスタイルの行事は、半世紀以上、延々と変わることなく、行われ続けたのだろうか。そもそもピアノ発表会というスタイルは、いつごろ、だれによって確立したものなのか、興味がある。やはり楽器店の考え出したアイデアなのかなあ。

そんなことをつらつら考えているうちに、ピアノ発表会が始まった。

1番手の娘は、「きらきらぼし」と「ふしぎなポケット」の2曲を、ピアノの先生の伴奏付きで演奏した。

すでにしゃっくりは止まっていて、堂々とした演奏だった。こいつ、本番に強いヤツだな。

2番目以降の人たちは、先生の伴奏の助けがなく、ひとりでの演奏である。

最後は、姪による、中島みゆきの「糸」が演奏された。ほかのみんながよくあるクラシックの曲を選んでいる中で、この選曲はすばらしい。しかしそれだけに、なかなかの難曲である。

練習の様子を見ていたときは、なかなか最後まで弾ききることができず、途中でやめてしまうのではないかと不安だったが、見事に最後まで演奏しきった。

ピアノ発表会は、休憩を入れて1時間ほどで終わった。そのあと、近くで昼食を取ったり、別の場所を訪れたりしていたら、帰宅したのは夕方5時近くになった。あまりに疲れたので、帰ってから泥のように寝た。

|

« 舞台裏…ってほどでもない | トップページ | 最強のスピンオフ映画 »

育児」カテゴリの記事

コメント

東京家政学院の子供のための音楽教室は1951年に第1回発表会を実施。ヤマハ・カワイ音楽教室はネットで散見した限りでは、いつから発表会をしていたか不明なので、そっちで調べて下さい。
https://toho-child.jp/outline/
https://www.tohomusic.ac.jp/about/history_02.html

昨日は落書きの美術展に行きましたが、入場こそスムーズなれど場内で渋滞するほど人気。グッズも売れまくっていたので、今度はスヨンちゃんを落書き教室に通わせてはいかが?

投稿: 🐢🎹 | 2022年7月10日 (日) 08時06分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 舞台裏…ってほどでもない | トップページ | 最強のスピンオフ映画 »