あやとりのように絡まり合う
7月29日(金)
今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!というか、生還しました!
今回の「ひとり合宿」は、思いのほか過酷だったなぁ。
「ひとり合宿」の時には、仕事とは関係のない小説を読むことに決めている。
今回のお供は、1冊目が、小田嶋隆さんの小説『東京四次元紀行』(イースト・プレス、2022年)である。小田嶋さんの最初で最後の小説であり、遺作でもある。小田嶋さんのコラムの文体を彷彿とさせながら、同時に見事に小説の文体になっていた。
もう1冊が、チョン・セラン著、斎藤真理子訳の小説『フィフティ・ピープル』(亜紀書房、2018年)である。この本も、前々から読まなきゃと思いつつ、なかなか踏ん切りのつかなかった本である。
たまたま手にとったこの2冊、読んでみて、実はすごく共通していることに気づいた。両方とも、「連絡短編小説集」なのだが、その手法が、非常によく似ているのである。
『東京四次元紀行』のほうは、東京二十三区の一つ一つの区を舞台に、それぞれの登場人物による短編小説が繰り広げられていくが、そこに登場する人物は、一見バラバラのようでいて、実は微妙に絡み合っている。こちらの区で主人公だった人物が、別の視点で、別の区のところに登場したりする。だから「短編小説」でもあり「連作小説」でもあるのだ。
その構造は、『フィフティ・ピープル』でもまったく同じである。物語の軸となるのは、ある大学病院なのだが、物語のすべての舞台が大学病院の中なのではない。登場する50人の人生が、大学病院の中や周囲で、微妙に絡まりながらそれぞれの物語を形成していく。
この本の帯には、「50人のドラマが、あやとりのように絡まり合う」と書いてあるが、まさにその通りである。
そして『東京四次元紀行』もまた、23区それぞれに登場する人物が、あやとりのように絡まり合いながら、不思議な世界を作り上げていく。この区で主人公だった登場人物が、あちらの区では別の視点から語られる、という手法は、まさに『フィフティ・ピープル』と同様である。
読むほうとしては、その絡まり合ったあやとりをときほぐす、という楽しみもあるのだ。
チョン・セランさんは1984年生まれで、「韓国文学をリードする若手作家」(帯文)である。そのみずみずしさとエネルギーが、このような手法の小説を生んだ。
これに対して小田嶋隆さんは1956年生まれ。何が言いたいかというと、小田嶋さんは、まるで若手作家のように、じつにみずみずしい手法で初小説に挑戦したということである。
はたして、小田嶋さんは、『フィフティ・ピープル』を読んでいたのだろうか?あるいは意識していたのだろうか?それとも読んでいなかったのか?僕はいささかその点に興味があるのだが、どちらにしても、連作短編小説集という手法を選んだことは、最初から挑戦的な小説を書くことを意識していたことに、変わりないのだ。
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