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2022年8月

たいこムーン

8月30日(火)

通勤途中に聴いていた「大竹まこと ゴールデンラジオ 月曜日」で、「大竹メインディッシュ」のゲスト、内田也哉子さんの話に、つい聴き入ってしまった。

内田也哉子さんに関する僕の知識は、

・父が内田裕也さん、母が樹木希林さん、夫が本木雅弘さん。

・「おかあさんといっしょ」の2019年9月の月歌である「たいこムーン」の作詞者。

・早坂暁さん脚本のドラマ「花へんろ 風の昭和日記」で、女遍路を演じた樹木希林の娘役として「小きりん」という芸名で出演していた。

という3つくらいである。

いままでちゃんと話を聞いたことがなかったが、落ち着いた喋り方で、まるで樹木希林さんを彷彿とさせるようなたたずまいだった。ま、親子なのであたりまえだが。

小さい頃からの親子関係から始まり、樹木希林さんを看取るまでの話を聴いているうちに、自然に涙が出てきてしまった。

とくに、死を目前にした樹木希林さんが、その2週間ほど前の9月1日に突然、「死なないで」とつぶやいたという話。そこにどんな意味があったのかを、内田也哉子さんの語りで聴いたときには、ちょっと涙腺が崩壊した。

その話のあたりから、ラジオの中では、聞き手がメインパーソナリティーの大竹まことさんから、月曜パートナーの阿佐ヶ谷姉妹のエリコさんに代わる。

エリコさんは、すでに内田也哉子さんの『9月1日 母からのバトン』(ポプラ社新書、2022年)を読み込んでいて、その本の中で印象に残ったところを次々と質問していく。

そのとき僕は思った。ひょっとしたらこのとき、僕と同じで、内田也哉子さんの話を聞いて、大竹さんも涙腺が緩んだのではないだろうか。

それを察知した阿佐ヶ谷姉妹のエリコさんが、涙腺が緩んでなかなか言葉にならない大竹さんの代わりに、内田也哉子さんとの対話を進めたのではないだろうか。そしてようやく、大竹さんの気持ちが落ち着いたところで、バトンタッチして、最後に大竹さんがとっておきの質問をして、コーナーが終わる。

もちろん、これはイタいファンである僕のまったくの妄想なのだが、もしその通りだとすると、この信頼関係はそうとうに厚いものだと、ますますこの番組の機微というものに魅せられる。

さて、この番組の中で、内田也哉子さんは、次のようなことを言っていた。

父の内田裕也は、自分が生まれてから数えるほどしか会っていないし、まったく家にも寄りつかず、母がなぜ離婚しようとしないのか、自分はほんとうに愛されて生まれてきた子どもなのか、と、子どもの頃はそのことに悩んでいた。

しかし年齢を重ねるにしたがって、父のことがなんとなくわかるようになってきた。たしかに表面上は、常識外れで自分勝手なところがあるが、芯のところにはジェントルマンな部分があることに気づいた。それでようやく父を理解できるようになった、と、正確ではないが、たしかこんな話だったと思う。

僕はこの話を聞いて、そうか、そういうことなのか、と気づいた。

内田也哉子さんが「おかあさんといっしょ」の月歌のために作詞した、「たいこムーン」の歌詞には、印象的な一節がある。

「きみのまんなか みーつけた」

そうか、この歌は、父の「芯の部分」に気づいた内田也哉子さんが、父に向けて書いた歌だったのではないだろうか。

僕はそのことに思い至ったとき、「たいこムーン」の不可解な歌詞の謎が解けた思いがして、ますます涙が止まらなくなった。

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ふとした病

8月29日(月)

まだ身体は本調子とはいえないのだが、今日から活動再開である。

難しいのは、この2週間ばかり、セルフ監禁だの、秘境探検などをしてきたことについて、職場や仕事の関係者にどの程度まで言っていいのか、ということである。

いちおう、職場では、個人情報保護の観点から、名前は明かさないことになっている。あらぬ誹謗中傷を受けないようにするためだという。

一方で、タレントなどは平気で公表しているが、その違いは何なのだろう。

また、仮に職場では名前を明かさないとはいっても、実際、職場の担当係には正直に連絡しているのだから、実際には職場にある程度広まっている可能性もある。

実際に仕事上、迷惑をかけてしまう人が多かったりするので、この「空白の2週間」について、どのように説明してよいのか困ってしまう。

ひとつ考えたのは、

「エキノコックスという病気に罹りまして、この2週間ほど療養していました」

という理由なのだが、万が一、本気でとらえられてしまうと、それはそれでやっかいだな、と思う。

じゃあ、明らかに冗談だとわかる「うどんこ病」とか「かっぱん病」とかにしようかとも考えたが、おそらく、そういう問題ではないだろうと思い直す。

立川談志がよく使った「ふとした病」にしようかと思ったが、すでに何年も前にサザンオールスターズの桑田佳祐が、病気から復帰して紅白歌合戦に出演したときに、「ふとした病に罹りまして…」と、明らかに立川談志へのオマージュととれる挨拶をしていたので、このパターンも使えない。というか、そもそも「ふとした病」が立川談志のジョークだということは、おそらくだれも気づかないだろう。事情を何も知らない人からしたら、「ふとした病」って何だ?と、よけいにさまざまな憶測を呼びさますことになりかねない。

結局、どうしても事情を説明する必要がある人に対しては、

「流行病(はやりやまい)に罹りまして…」

と説明したのだが、これだけですでに丸わかりである。

そんなことで気に病むので、はやりやまいには罹らない方がよい。

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ブオン

8月26日(金)

今週もよくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!そしてプレミアムフライデー!

オープニングのフリートークで、パーソナリティーの武田砂鉄氏が、新潟の佐渡に行った話をしていた。そこで、佐渡の友人とこんな会話が交わされたという。

「佐渡のコンビニは、ローソンばかりですねえ」と砂鉄氏。

「ええ。むかしはブオンばかりだったんですけど、いまはブオンのほとんどがローソンに転換されましたからね」

「ブオン?」

ブオンとは、群馬県を中心に展開していたコンビニチェーン店「セーブオン」のことである。

武田砂鉄氏は、この「ブオン」という略称に、ひどく驚いていた。

「ふつう、言葉の冒頭ではなく後半だけで略称にしたりしますかねえ?」

たしかに、他のコンビニでいえば、「ファミリーマート」は「ファミマ」と略するし、ファミレス(これも略称)でいうと、「ロイヤルホスト」を「ロイホ」と略したりする。

あれこれ頭を思いめぐらせていたら、思い出した。

「アルバイト」の略称は、「バイト」ではないか、と。

つまり「セーブオン」を「ブオン」と略すのは、「アルバイト」を「バイト」と略すことと同様に考えれば、さほど不自然なことではないのだ。

おそらく、濁音を冒頭にするほうが語感として心地よいのではないだろうか、というのが僕の仮説である。

しかし、である。

韓国語では、「アルバイト」のことを「アルバ」と略称する。韓国留学中に、語学学校でそのことを習ったとき、面食らったものである。

なぜ、日本語では「バイト」で、韓国語では「アルバ」なのか?その当時はその違いに、言語学的な意味で興味を覚えたが、その後、そのことをすっかり忘れていた。

ま、僕が気づくくらいだから、そんなことはもうとっくに研究されているのだろうな。

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鉱脈

8月26日(金)

秘境から無事に戻ってまいりました。

小田嶋隆さんの最新刊であり遺稿集である『コラムの向こう側』(ミシマ社、2022年)を読んでいたら、涙が出てきてしまった。まだ喪失感は続いているらしい。

Web上で連載していたコラムのうち、亡くなる10カ月くらい前からのものをまとめたものだが、本のタイトルは、小田嶋さんが亡くなる4日前に、ご本人が決めたと、編集部が書いた「まえがきに代えて」に書いてあった。

ちなみにその「まえがきに代えて」には、

「五月末、小田嶋さんから電話があり、『医者は、夏を迎えられないかもしれない、とか言ってるんです』と軽やかにおっしゃいました」という一文があり、これが泣けて仕方がない。ちなみに小田嶋さんが亡くなったのは、6月24日である。

まだ途中までしか読んでいないが、文章はあいかわらず軽妙で諧謔に満ちており、僕にとっては名言の連続なのであるが、ところどころ、ご自身の最後を予感しているようなくだりがある。高校時代からの親友だった、CMプランナーでメディアクリエイターの岡康道さんに向けて書いた文章は、まさにそのような感じである。

小田嶋さんと岡さんの関係については、このブログでもたびたび紹介してきた。岡さんは、小田嶋さんよりも2年早く他界されたが、その岡さんについて書いた、こんな文章がある。

「あいつ(岡康道)の『夏の果て』(小学館文庫)を読んだのは、(中略)六十歳を過ぎた頃のことだ。

頭をなぐられた気がしたことを、いまでもおぼえている。

『おまえには、こんなことができたんだ』

私にとっては、まったくの不意打ちだった。

『どうしていままで隠していたんだ?』

という、いまでもその驚きの中にいる。

(中略)

この作品が、岡の最後の長編小説になってしまったことは、返す返すも残念な成り行きだ。この先にどれほどの鉱脈が隠されていたのか、誰にもわからなくなってしまった。それは、とてもとても悲しいことだ」

僕はこの小田嶋さんの文章を読んで、小田嶋さんの最初で最後の小説『東京四次元紀行』を読んだときの、僕の感想とまったく同じであることに気づいた。

岡さんの唯一の長篇小説を読んだときの小田嶋さんのこの感想は、そっくりそのまま、小田嶋さんの唯一の連作小説『東京四次元紀行』に対する感想として、お返ししたい。『東京四次元紀行』の読者の多くが、小田嶋さんの「隠された鉱脈」を見いだしていたと思う。

小田嶋さんが人生の最後に小説を書いたというのは、ひょっとして、親友の岡康道さんのことを強く意識していたからではないだろうか。岡さんの小説に突き動かされるように、ご自身も小説を書いたのではないか。そんな妄想を抱いてしまう。

さて、文章を生業とする人間、あるいは、文章を書くことを厭わない人間が、自分の最後をあるていど覚悟したときに書く文章には、二つのタイプがあると思う。

一つは、自分の最後に至る経過を、包み隠さず、克明に書こうとするタイプ。

もう一つは、最後の最後まで、その覚悟を悟られることなく、自分の文体を貫き通すタイプ。

小田嶋さんは、当然後者である。病気のことは一切ふれずに、最後のコラムは、「また来週」で終わっている。

僕もまたそうありたい、と思っているが、どうなるかはわからない。

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秘境探検その4・枕

8月25日(木)

一つ書き忘れていた。枕の件である。

この秘境の枕は、ひどく薄っぺらい。いままで体験したことのないほどの、薄っぺらさである。ちょっと薄い座布団、よりも薄い。

これは秘境仕様なのか?

告白すると、僕は低い枕が苦手である。枕が高くないと眠れない。枕が低い場合、その枕を二つ折りにして寝ることもある。

しかしこの枕は二つ折りでもまだ足りない。四つ折りにするくらいでちょうどよい。

でも、一般には枕は低い方が安眠できるのだと聞いたことがあるし、世間的には低い枕を好む人のほうが多いのだろう。

しかしこの秘境の枕があまりにも低いので、どうしたものかと思っていたところ、食事の時間に個室を出てお弁当を取りにいったとき、小脇に大きな枕を抱えているおじさんがいた。見ると、僕にもちょうどよさそうな高さの枕である。

どうもそのおじさんは、家族に枕の差し入れをお願いしていたらしい。差し入れを受け取れるのは、お弁当を取りに行く時間に限られるので、お弁当を取るついでに、家族からの枕の差し入れを受け取ったのだろう。

おそらくそのおじさんも、実際に秘境に入ってみて、枕のあまりの薄さに驚いたのではないだろうか。これでは眠れない、と思ったそのおじさんは、急いでふだん使っている枕の差し入れを家族に頼んだのだろう。

その気持ち、わかりますよ、と、僕はそのおじさんに語りかけたかった。

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秘境探検その3・アメニティグッズ

8月24日(水)

今回は、秘境におけるアメニティグッズについて述べる。

秘境入境前に、秘境体験者に指摘されたのは、

「個室にはバスタオルもタオルもないので、バスタオルやタオルを何枚も持っていった方がよい」

「汗をかくかも知れないので、一日に何度か着替えられるよう、下着は多めに持っていくこと」

「もし持参したタオル、下着などを使い切ってしまったときのために、個室の洗面所で洗うための洗濯洗剤を持っていったほうがよい」

の、おもに3点だったと思う。

僕の性格上、個室の洗面所で洗濯をすることはたぶんしないかも知れない。そもそもそれだけの体力が残っているかどうかもわからない。

そこで、洗濯しなくてもすむように、できるだけたくさんのタオルや下着を持っていくことにした。もちろん、念のため洗濯洗剤の小袋も持っていった。

ただし、バスタオルは大きいしかさばるので、シャワーの後に身体を拭くのはタオルですませることにした。

さて、実際に秘境に入ってみると、考えてみれば一日中個室にこもっているので、そもそも汗をかくということは、ほとんどない。

だから、一日のうちに下着を何度も着替えるとか、タオルを何枚も使うなどということは、まったくない、ということがわかった。

タオルに関していうと、シャワーのあとに身体を拭いたタオルは、よく水洗いして絞って、ハンガーに掛けておけば、半日くらいで乾いてしまう。新しいタオルをおろさなくとも、そのタオルがくり返し使えるのである。

もちろん、人によっては、秘境にいる間に汗をかく人はいるのかも知れないが、僕の場合、珍しくというか、幸いにしてというか、汗をかくような状況になかったということなのである。

じゃあ、最初からタオルや下着の量を減らして持っていけばよかったではないか、ということになるのだが、こればかりは、秘境に入ってみないとわからない。

もうひとつ思い出した。

個室には、電気ケトルはあるのだが、コップとか湯飲み茶碗とかが置いていないので、「マイカップ」を持っていった方がよいとも言われた。

後述するように、1階のお弁当と飲料水(水・お茶)を取りに行くスペースには、各種のアメニティーグッズが置いてあって、その中の一つに紙コップがある。コップが必要な場合は、お弁当を取りに行くついでに紙コップを必要分だけ手に入れることはできる。

困るのは、食事の時のために持ってきた、粉末スープやフリーズドライのスープをどうするかである。

こればかりは、紙コップでは無理なので、自宅から汁物用のお椀を持っていくことにした。しかし、食器洗い用洗剤はさすがに持って行けないので、食後には洗面所の水でよく洗い、それを冷蔵庫に入れて乾かして、くり返し使うことにした。

さて、1階のスペースには、お弁当や飲料水(水・お茶)のほかに、各種のアメニティグッズがあると述べた。各種、といっても、そんなにバラエティーがあるわけでもない。

まず、先ほど述べた紙コップ、そして、インスタントコーヒーやクリーミングパウダーなどの粉末スティック。これで、ひとまずコーヒーはまかなえる。

ほかに、マスク、歯磨きセット、ビニール袋、割り箸、食器洗い用のスポンジ、身体を洗うためのスポンジ、洗濯洗剤の小袋もある。

ちなみに、マスクは、秘境入境時に1人につき10枚が支給されるので、マスクを何枚も自宅から持っていく必要はなかったし、よほどのことがないかぎり、追加でマスクを入手する必要もない。

洗濯洗剤の小袋も置いてあったので、これも自宅からもっていく必要はなかった。

歯磨きセットは、一般的なホテルにあるものと同じだが、僕はいつもマイ歯ブラシセットを旅の時に持ち歩いているので、これも特に必要はない。

ということで、この中でコーヒーや紙コップのほかに役に立ったのが、食器洗い用スポンジと、割り箸である。ただ、食器洗い洗剤がないので、洗面所で、そのスポンジを使ってゴシゴシと水洗いするしかない。たぶんほかの人もそうしているのだろう。割り箸は、カップ焼きそばを食べるときに役に立つ。

…と、こんなことを延々と書いたところで、次に体験することはないだろうし、もう二度と体験したくない。

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秘境探検その3・お弁当

8月23日(火)

いま滞在している秘境で「食事」というのは、具体的にはお弁当のことである。

実は、僕の妹も、僕よりも10日ほど早く、「秘境探検」を体験している。もっとも、探検場所は、僕が今いる場所とは少し異なる。

秘境探検に出発する前に、妹にも体験談を聞いてみた。

「朝・昼・夕の3食すべてお弁当なので、そのうちに(同じような味に)飽きてしまう。汁物も出ない。いったん秘境に入ってしまうと、探検が終了するまでそこを出られないから、あらかじめ自宅から必要な補助食品を持っていった方がよい」

「たとえばどんな?」

「インスタントの味噌汁とか、飲むフルーツゼリーとか。毎朝、200㎖のブリックパックの野菜ジュースが1本支給されるけど、それだけだと物足りないから、飲むフルーツゼリーは持っていった方がよい。それと、おやつ代わりのお菓子と、あとは、チョコレートとキャンディーが意外と役に立ったな。自分の味覚を確認する意味でも、持っていった方がよい」

「なるほど」

「あと、ペットボトルは水とお茶しか支給されないから、経口補水液を持っていった方がよいかもよ」

僕は言われたとおり、お湯を入れるだけのもずくスープ、朝に飲むための粉末のポタージュ、飲むフルーツゼリー、経口補水液500㎖3本、スナック菓子、チョコレート、パインアメ、といったものを、海外旅行用のスーツケースに詰め込んだ。その上、着替えやらタオルやら本やらが入っているので、荷物はパンパンである。

さて、秘境に入り、お弁当生活が始まる。

お弁当は、想像していたよりも豪華で、量も多かった。以前、どこぞの自治体で、お弁当が貧相だったというニュースを見ていたので、期待していなかったのだが、期待以上のものだった、といってよい。

当然のことながらお弁当は冷たいので、各階のエレベーターの前に、電子レンジが置いてある。そこに、

「火事を誘発する原因になりますので、長時間のあたためはご遠慮ください。弁当のあたためは1分30秒以内にお願いします」

と、大きく注意書きがある。演歌歌手の三山ひろしさんの名言「ナスはレンチン1分半」を思い出す。

僕は、とくに弁当を温めなくてもよい派なので、電子レンジは使わない。それでも問題なく食べられるお弁当だった。

今日で朝・昼・夕の2サイクルの食事が終わった。同じようなプラスチックの弁当箱ながら、朝、昼、夕のお弁当の中身は、それぞれの時間に合わせたものとなっている。

朝食は、初日はパンが入っている「洋風朝食」で、2日目はごはんが入ってる「和風朝食」だった。おそらく、この2パターンが交互に出されるのだろう。

昼食は、初日は幕の内絵弁当みたいなもの、2日目はうどんだった。これも、このパターンが交互に出るのだろうか。

夕食は、正方形の弁当箱が3×3の9つに仕切られていて、そのうちの3マスにごはん、他のマスにおかずが小鉢のように並ぶ、いわゆる「京風おばんざい弁当」みたいな趣の弁当である。3種類のごはんは、それぞれ味を変えてある。

で、このほかに、「カップ焼きそば」も選ぶことができる。ただしこちらは、1日の中で数に限りがあるので、早い者勝ちで受け取ることができる。「お弁当に飽きた人」用に用意されたものであろう。僕も、在庫が残っているときに2つほど落手できた。

ちなみにインスタントラーメンは、どの秘境にも置いていない。これは探検作家の体験記にも書いてあったと思うが、インスタントラーメンの残り汁を個室の洗面台に流すと、残っている麺も一緒に流れて洗面台が詰まってしまう恐れがあるので、食べ終わったときに汁の残らない「カップ焼きそば」のみが置いてある、というのだ(カップ焼きそばの捨て汁は、お湯だけなので問題ない)。

さて、弁当を食べ続けてわかったことは、

「これだけでお腹がいっぱいになる」

ということである。なにしろ、まったく身体を動かさないので、もともと腹が減らないのである。そこへ来て、定期的に弁当を食べさせられるのだから、空腹感に襲われることはなく、常に満腹感に満たされている。

だから、味を変える、なんて余裕もなく、あらかじめ持ってきたスナック菓子だとか飲むフルーツゼリーとかチョコとか飴とか、なかなかお腹に入る余地がないのである。考えてみれば最近は、かつてほどスナック菓子なんか食べなくなっているのだ。飲むフルーツゼリーに至っては、これまで「飲むフルーツゼリーを飲んで救われた」という経験がない。僕にとって、ふだん必要ないものは、こういうときにもあまり必要がない、ということがわかった。

たとえば、朝食を8時に取りに行くとする。食べ終わるのが9時として、その3時間後が昼食なのだ。

僕の場合、体力が落ちているせいなのか、あるいは寝ているベッドや枕と相性が悪くて眠りが浅くなってしまうのが原因なのかよくわからないが、朝食を済ませた後、猛烈な眠気に襲われ、つい二度寝してしまう。ハッと目を覚ますと、もう11時過ぎである。そのとき、あと1時間で昼食なのか!と愕然とするのである。

前回書いたが、朝食の時間は朝7時45分から9時までの75分である。この間に1階まで朝食のお弁当を取りに行かなければならない。なかには、時間ギリギリの9時になって朝食を取りに行く人がいる。仮に9時から食べ始めて10時頃に食べ終わったとして、その2時間後には昼食が待っていることになる。

そう考えると、鬼門は昼食である。空腹感のないままに、昼食のお弁当をがっつり食べてしまうと、かなりキツいことになる。

そうか、そこで「カップ焼きそば」か!昼は弁当を受け取らず、「カップ焼きそば」だけで済ませればよいのだ!

我ながら妙案である。もっとも、カップ焼きそばのラベルには「ごっつ盛り」と書いてあり、それだけでも十分な量である。

本日の昼食で、個室に取り置いていたカップ焼きそばでそれを実践したが、食べ終わった後、カップ焼きそばの容器を1階まで捨てに行き、(ちなみに今日の昼食のお弁当はなんだったんだろう?)と、お弁当の積んであるところに行ってみて、驚愕した。

(しまった!今日はうどんだった!…)

最初からうどんとわかっていれば、今日の昼食をカップ焼きそばにしなくてもよかったのに…と、僕は後悔した。

このお弁当のローテーションに早く慣れることが肝要だが、たぶん慣れる前に、この秘境探検は終了である。

残り一つの「カップ焼きそば」は、いつ投入しようか。

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食を巡るご縁

閑話休題。

「秘境探検」の続きを書く前に、「高校時代の友人・元福岡のコバヤシ」から、「食を巡るご縁」と題する新作が届きました。食にこだわるコバヤシの、不思議な縁の話をお楽しみください。

「食を巡るご縁」

この週末、所用で福岡に行ってきました。

折角なので、福岡時代にたまに伺っていたHという和食の店に行こうと予約していたのですが、前日に娘さん(この店は大将とその奥さん、娘さんの3人でやっています)から電話があり、「すみません。お父さんが、また体調を崩してしまい、明日はお店を開けられそうに有りません。」とのこと。

3月にも伺おうとしたのですが、やはり大将が体調を崩して店を開けられず、今回、予約した時に大将が電話に出てくれたので「大丈夫ですか?」と聞いたら、「もう大丈夫ですよ!」と元気そうに話していたので、楽しみにしていたものの、恐らく70代後半という年齢を考えると致しかたないのかと諦めました。

前置きが長くなりましたが、じゃあ何処に行こうかと考えていたら、この何年か伺えていないバーが赤坂にあることを思い出し、先日たまたまその店のインスタを見たら、15時から20時までしか開いてないと書いてあったので、じゃあ久し振りにここに行こうと思い立ち行ってみました。

このバーOは、貴君も連れて行ったことのある唐津の寿司やYの大将が、おくんちさん(唐津くんち)の時に常連のお客さんをお店に招いてご馳走してくれた時に知り合ったYさんが営むお店です。実は唐津のYの大将もこの春に体調を崩していたので、そんな話でもしながら飲もうかと伺った次第です。

久しぶりにお店に伺うと、「東京はいかがですが?」とYさんが話しかけてくれたので、「実は昨年から、大阪の堺に転勤で引っ越したのです。」と話すと、Yさんが驚いたように、「そうなんですか!実はうちの家内が堺の出身なんですよ。奇遇ですね!」とのこと。

その後、唐津のYの大将の話などをしていたのですが、ふとYさんのインスタに最近、私がちょくちょく伺っている日本料理やのUという店の料理らしき写真が何処にある店とも書かれずにあがっていたことを思い出し、Yさんに「インスタにあがっていたUって、心斎橋にある和食のお店ですか?」と尋ねると、Yさんが「そうです!コバヤシさんUさんを知っているのですか?」と聞き返されたので、「去年からUには、ちょくちょく伺っています。大阪のキタにあるバーRのKさんに、是非、行ってみて、と言われて行ったら、物凄くて本当にビックリして2か月に1回ぐらい行ってるんですよ!」と答えると、Yさんは「えっ!本当ですか!私もUさんにはもう8年ぐらい家族で通っているんですよ。と言っても、それなりの値段もするし家族4人で行くとそれなりの覚悟が必要なので、年に1回ぐらいしか行けてないんですけど。でも、大将にも女将さんにも顔を覚えて貰っていて、子供もつれてくもんですから、いつも女将さんがウチの子供たちをハグしてくれるんですよ。ウチの子供たちも御婆ちゃん年々小さくなっていくけど大丈夫かなあと心配してるんですよ。」とのこと。

ここで少しUの説明をすると、この店は大阪のいわゆるミナミでもう40年近く続いている老舗の日本料理屋で、人によっては、江戸時代から続く大阪の料理を継承する最後の一軒、という知る人ぞ知る名店です。気は優しいけれど照れ屋なので軽口をたたきまくる大将と、飄々としながら優しい大将のお姉さんが女将さんをやっている店です。二人ともとおに70歳を過ぎる方達です。

何せ業界の中では大将はコワモテで通っているらしく、行って見たいけど怖くていけないという人が多数いるようです。

ということで、ひとしきりUの話題で盛り上がり、Yさんは「まさか福岡でUの話が出来るなんて、本当に嬉しいです!」と感激しきりでした。

と書いていて、ふと気づいたのは、10年程前に唐津の寿司屋Yで出会ったバーOのYさんと今、大阪に住む私が、共に大阪の日本料理屋Uに通っている奇遇です。

しかもUを紹介してくれたのは、東京時代に通っていた浅草のバーDのNさんが、大阪に行ったらと紹介してくれたバーRのKさんで、その元を辿って行くと、浅草のDを知ったのは京都のバーRで、Rで飲んだコニャックがたまたま浅草のDが記念に詰めたボトルで、その話を銀座のバーDでしたところ、浅草のDを紹介して貰い、その繋がりの中で、私は今、大阪のUに通うことになり、そこで、また唐津のYで出会った福岡のバーOのYさんと繋がったわけです。

と、私だけかもしれませんが、飲食を巡るご縁の不思議さをこの週末に体験した次第です。

ついでに書くと、私がこの10年間で通うようになった店の殆どは家族経営で、しかもその多くが70歳を超える人たちが料理を作っていることにも気づきました。後何年、そうした皆さんの料理が食べられるのか。。。

ということで、今回もまた長々と失礼しました。

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秘境探検その2・食事時間

8月22日(月)

秘境での食事について書く。もちろん、あくまでもこれは、いま僕がいる秘境についてである。

食事の時間は決まっていて、その時間だけは、個室を出て、1階のロビーまで食事を取りに行ったり、ゴミを捨てに行ったりすることができる。ただ黙って食事を取りに行って、取り終わったらエレベーターに乗って個室に引き返すという行為を繰り返すだけなので、とくに気晴らしにもならない。

食事の時間は、次の通りである。

朝食は7時45分から9時まで。

昼食は12時から13時30分まで。

夕食は18時から19時半まで。

つまりはこの時間だけは個室からの出入りが自由となる。といっても、個室を出たところでどこにも行くところがないから、結局は、1階に食事を取りに行くぐらいしかやることがない。

昼と晩だけは90分の時間があるが、なぜか朝だけは15分短くて、75分しかない。この15分の違いは大きい。

今朝、朝食を取りに行こうと7時45分に個室を出たら、エレベーターの前に行列ができていた。エレベーターが2台しかない上に、上から降りてくるエレベーターが常に満員で、乗ることができないのである。

そのとき僕は初めて気づいた。

僕が今いるのは8階である。この秘境は13階まであって、エレベーターは、まずは最上階まで行って、13階の人を乗せてから下に降りることになる。その過程でエレベーターは満員となり、8階にいる人は乗ることができない、とこういうわけである。しかも「途中下車」する人は1人もいないのだから、8階より下の階の人は、さらに不利であることはいうまでもない。

なるほど、これは満員電車の論理だ。

朝の通勤ラッシュの電車の混み具合は殺人的だが、始発駅から乗る人は、がんばれば座ることができるので、始発駅に住む人にとっては有利である。それと同じ理屈である。

いわば13階が始発駅なので、エレベーターに関していえば、13階の人が断然有利なのである。

そこで「時差出勤」という概念が導入される。みんなが早い時間に食事を取りに行こうとするから混むわけで、少し時間をおいてから食事を取りに行けば何ら問題ないのである。

ふしぎなことに、昼食や夕食の時間のエレベーターは、朝食の時間ほど混雑していない。これはどういうことなのか。

先に述べたように、朝食の時間は、昼食や夕食の時間よりも、15分短い。そのことが、朝食を早く取りに行こうとする心理をかき立てているのではないだろうか。

僕の場合、食事が終わると、その容器をその時間のうちに1階に捨てに行きたい派である。その場合、エレベーターで2往復する必要がある。できるだけ早く食事を取りに行き、個室で食事を済ませ、その空容器を1階に捨てに行く。これを90分の間に済ませたいのだ。

もちろん、食事が済んだ空の容器は、次の食事を取りに行くついでに、捨てに行くことができるので、とくに2往復する必要ないのだが、とにかく僕は、食べ終わった容器を早く1階に捨てに行きたい派なのである。けっこう、そういう派の人は他にもいるのではないだろうか。

しかも、朝の食事時間は15分短くて、75分である。この間に、1階に食事を取りに行って、個室に戻って食べて、その空容器を1階に捨てに行かなければならない。これは焦る。

そういう心理が、朝のラッシュアワーを生んでいるのではないか、というのが、僕の仮説である。

解決策は、その時間に食べた食事の空容器を、その時間内に捨てに行こうとする考えをやめて、次に食事を取りに行く時についでに捨てに行けば、エレベーターの往復は1階ですむわけである。実際、館内放送ではそのように推奨している。

しかし個室のスペースが狭いので、できるだけ早めに空容器は捨ててしまいたい、という心理も働く。このあたりが難しい。

ま、ほかに何もやることがないので、日がな一日、こんなことで頭を悩ませている。

ところで、「食事」と書いてきたが、お察しの通り、これは「お弁当」のことである。次の回では支給される「お弁当」について書こうと思ったが、長くなって疲れてきたので今回はここまで。続きを書くかどうかはわからない。

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秘境探検を追体験する

8月21日(日)

今日からしばらく、ほんとうの意味での「ひとり合宿」である。いや、「セルフ監禁」というべきか?

昨日の午前中、受付開始と同時に電話で申し込もうとしたが、いまはたいへん需要があるようで、何度かけても通じない。

100回以上電話して、ようやくつながった。

「あのう…セルフ監禁を申請したいのですが…」

「そうですか、では、こちらからいくつか質問させていただきます」

かくかくしかじか、と、説明をした後、

「それでは後ほど、別の担当からあらためてお電話をしますので、それまでお待ちください」

「はあ」

いまの電話は、たんなる窓口だったらしい。

しばらくして、別の担当の人から電話が来た。

「ただいま、たいへん混み合っておりまして、ご希望に添えるかどうかわかりませんが、ご了承いただけますか?」

「はい」

「それではこれから、いくつか質問いたしますのでお答えください」

どうやら「セルフ監禁」には審査があるようだ。

現在の症状はもちろん、過去の病歴についても事細かに聞かれた。僕はありのままに話すと、先方は驚いた様子だった。

「…あのぅ…ご自身でお歩きになれるのでしょうか…」

「大丈夫ですよ。ふだんは職場に通って仕事しているのですから」

どうやら、僕が言葉だけで説明すると、かなり深刻な病に聞こえるらしい。

「わ、わかりました…。それではいったん電話を切って、またご連絡いたします」

しばらくして、また同じ人から電話が来た。

「あのう、先ほどの、過去の病歴の件ですけれども…」

「なんでしょう?」

「今回の『セルフ監禁』について、念のため、主治医の先生に許可をいただいてくださいますでしょうか」

「主治医?」

「ええ、お二人いらっしゃるでしょう?」

「はあ」

「そのお二人の主治医の先生に、許可をもらっていただきたいのです」

おいおい、そこまでする必要があるのか?

しかしそこで反論するのも無駄なので、「わかりました」と答えた。

「午後2時にまた電話をしますので、それまでに許可をもらってください」

「はあ」

いまは午前11時。あと3時間しかない。しかも主治医に許可をもらうといっても、この日は土曜日なので、どちらの病院の主治医も、当然、お休みである。

ダメ元で、1つめの病院に電話をかけてみた。

当然、主治医の先生はおらず、受付の若い女性が電話に出た。

「かくかくしかじかで、先方は主治医の先生の許可が必要だと言うんですが…」

「そんなの、大丈夫ですよ。うちの患者さんには同じような人がいくらもいましたから、大丈夫です」

ということで、1つめの病院は受付の女性に許可をもらった。

2つめの病院でも、やはり主治医はおらず、看護師さんを通じて、別の先生に聞いてもらい、許可をもらった。

午後2時、また電話が来た。

「いかがでしたか?」

「お二人の主治医の先生の許可をもらいました」

「それはよかった。それではこれから書類をととのえて、別の担当に引き継ぎます。もし空きがあれば今晩にでも電話か来ると思いますが、空きがなければ電話は来ません。「セルフ監禁」の終了予定日までに空きがなければ、自動キャンセルということにさせていただきます」

「はあ。そのときは全然電話が来ないということですね」

「そうです」

この日ほど、携帯を肌身離さず持っていた日はない。いつも「消音」にしているのだが、今日は朝からいつでも電話がとれるように着信音をonに設定した。着信音設定は、この先しばらく続くだろう。

僕は漫然と待っていても仕方がないと思い、「セルフ監禁」の準備を始めた。ふと思い出したのは、僕が愛読している探検作家が、これから僕が体験するであろう「セルフ監禁」について、ラジオで自らの体験談を喋っていたことである。で、その体験談は、ネットのサイトにも詳細に書かれていたと記憶する。

僕はその探検作家の体験談を見つけ出し、読んでみた。その冒頭に、こんな一文があった。

「「知られざる秘境」へみなさんをご案内したい」

そうか!「セルフ監禁」ではなく、これは「秘境探検」なのだ。

読んでみると、なるほどこれは僕がこれからどんな秘境に連れて行かれようとも、役に立つ情報が満載である。少し気が楽になった。

夜、電話がかかってきた。秘境探検ツアーを手配する、別の担当からである。

「鬼瓦さんの探検先が決まりました」

「どこですか?」

かくかくしかじかです、と聞いた僕は、驚いた。

あの探検作家と、同じ秘境ではないか!

僕は日本屈指の探検家が訪れた秘境を、追体験することになったのである。

そう思っただけでも、少しうれしくなった。

「これが最後の電話となりますけれど、キャンセルするならいまですよ。ほんとうによろしいですか」

「はい、お願いします」

「では、明日のお昼頃、お迎えの車の運転手から鬼瓦さんの携帯に電話がかかりますから、そのときに出発時刻を聞いてください」

「わかりました」

また別の人から電話が来るのかよ。

さて、本日。

お昼過ぎに車の運転手から電話が来た。

「おそらく2時過ぎ頃に到着すると思います。当初の予定で、変更ございませんね」つまり、思い直していませんよね、という確認である。

「はい、変更ありません」

「最初に別の方をお乗せしてから参りますので、相乗りという形になります」

「はい」これも、探検作家の体験記で予習済みだ。

午後2時過ぎ、運転手から電話が来て、さっそく乗り込んだ。探検作家の体験記には「ワンボックスカー」と書いてあったが、僕が乗ったのはふつうのタクシーだった。

すでに後部座席に一人、若い小太りな女性が座っている。

僕は荷物を後ろに詰め込み、後部座席に乗った。

こういうときって、雑談をしてもいいものだろうか?

「これからたいへんですねえ」とか、隣の人に話しかけたいと思ったのだが、隣の人はグッタリしていて、僕よりも元気がない様子である。

ま、こういうときは「黙食」ならぬ「黙乗」がマナーなのだろうと、目的地までひと言も言葉を発することはなかった。

さて、目的地の秘境に到着した。

車の運転手は、「秘境の番人」に関所札のような紙を見せた。それに対して、「秘境の番人」は、筆談のような形で次の指示を出している。

ようやく車から降り、秘境の中に入る。

謎の封筒をもらい、それぞれが個室に黙って入っていく。個室で荷を解き、ようやく封筒を開けると、そこにいくつかの指示が書いてある。さらにその封筒には、「同意書」というものも入っていた。

外部との連絡は、電話のみである。ほどなくして据え付けの電話が鳴った。

電話を取ると、その封筒の説明をしてくれた。

「この同意書は、いつ、どうやって提出するのですか?」

「夕食を取りに来られたときに、箱が置いてありますから、そこに入れてください」

「わかりました」

この秘境では、朝、昼、夜の3回、時間を限って、食事を取りに行くために個室から出ることが認められる。当然、食事は各自の個室に持ち帰って食べる。反対に、それ以外の時間は出ることができない。最初に「セルフ監禁」と書いたのは、そういうことである。

ちなみに、家族や友人からの差し入れも許されているようだが、直接受け渡しをすることができない。「秘境の番人」が受け取って、それを1日3回の限られた外出時間に受け取るのである。

差し入れを持ってくる時間は、15時~17時に限られる。また、あらかじめ前日までに、差し入れに来る人の名前などを、受け取る本人が「秘境の番人」に伝えておかなければならない。つまり、サプライズで差し入れをする、なんてことは許されないのである。しかも、何でも差し入れしていいというわけではなく、差し入れの品は限られる。

…と、ここまで書いてきて、これは秘境というより、監獄なのではないか?という気がしてきた。僕が自宅から乗ったタクシーは「護送車」、「秘境の番人」は「刑務官」、自分がいる個室を「独房」に置き換えれば、すべてが矛盾なく説明ができる。

…ま、せっかく「秘境探検」に見立てたのだから、あまりそのたとえのことは考えないようにしよう。

さて、午後6時、食事が用意できたので取りに来てくるようにとの館内放送があった。扉を開けて目的の場所に行くと、すでに多くの人が並んで食事を受け取っている。しかも列に並んでいる全員が、ひと言も喋らず、元気がない。その様子は、さながら「塀の中の懲りない面々」である。

僕は、先ほど「秘境の番人」に言われた「同意書」を箱に入れようと思って、箱を探すのだが、見つからない。

うろうろしていると、後ろに並んでいた、背の高い恐そうな人が、

「あそこにあるよ」

と教えてくれた。指を指した方向を見ると、たしかに「同意書」と書かれた箱があった。

「ありがとうございます」

ということは、教えてくれた人は、僕よりも先輩の受刑者で、僕は新人の受刑者なのだ。

…どうしてもたとえがそっちに行ってしまうなあ。ここはあくまでも秘境で、いま僕は秘境を探検しているのだ。

ということで、秘境到着までの顛末でございました。続きを書くかどうかは、わからない。

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記憶狩り

最近読んだ本、ということで、もう少し書く。

小川洋子『密やかな結晶』(講談社文庫、1998年)は、ある島で、記憶が一つ一つ消滅していく物語である。その島の多くの人は、何が消滅しても、それに適応し、慣らされて淡々と生活を続けていくのだが、一部の人は記憶力を失わない。記憶力を失わない人に対して、「秘密警察」による「記憶狩り」が行われ、粛清されていく。

まるでいまのこの国の社会を予言したような寓話ではないか。この国の政治家たちは、都合の悪い事実を忘れさせようと、書類を改ざんしたり、隠蔽したり、Twitterのアカウントを削除したり、あの手この手で、なんとか証拠を残さないように、というか、最初からなかったかのようにふるまう。しかし、いかに「最初からなかった」ようにふるまったとしても、私たちは記憶している。「私たち」といっても、すべての人ではないかも知れないが、あの事件も、この不正も、忘れないように、しつこく記憶している人は多いはずである。もちろんこの小説では、そうした政治批評的な視点は微塵も見られないが、この小説のように、やがては記憶している私たちのほうに権力の刃が向くのではないか、という未来も、いま読んでみると、予感させるのである。

この小説の英語訳が、日本人作品として初めてブッカー国際賞の候補になったという。「日本人作品」という括り方は、あまり好きではないが、あえて言えば、ノーベル文学賞に一番近い日本人作家は、小川洋子なのではないか、と思ったりする。もちろんこれは、僕のきわめて乏しい読書体験からの想像にすぎないので、異論は認める。

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ラジオパーソナリティーと文筆活動

ラジオパーソナリティーと文筆活動の関係、ということで、もう少し書く。

僕の知り合いの知り合いに、いまは死語になってしまったが、いわゆるマルチタレントというべき方がいて、最近はテレビには出ず、ラジオパーソナリティーや文筆活動などを中心に活動している。僕は、1,2度、直接お目にかかったていどなのだが、ありがたいことに、いちおう僕のことを認識していただいているようである。

その方が、このたびエッセイ集を出された。袖すり合うも多生の縁、ということで、さっそく入手して読んでみたら、これが思いのほか面白かった。何気ない日常や、ちょっとした体験にニヤリとして、それでいて、いままでの自分の思考の枠組みについてちょっと考えさせられたりする。

僕はその方の声を知っているので、読むときにはその方の声が脳内で再生されるわけだが、読んでみると、そうか、これはラジオのフリートークなのか、と気づいた。

ラジオパーソナリティーの極意は、…なんて偉そうなことを僕が書いたら叱られるが、「ベテランのラジオリスナー」の意見として聞いてもらうと、ラジオパーソナリティーの極意は、初めてそのラジオを聴いた人にもわかるように、言葉を補って補助線を引きつつ、といってそれが邪魔にならないように、そのときの状況や心情を説明する技術に長けることだと思う。つまりこのエッセイは、その方が長年、ラジオのフリートークで培っていた技術が遺憾なく発揮されている、と感じたのである。

たぶん、いろいろな読者からいろいろな感想が、著者のもとに寄せられているのだろうな、と思いつつ、僕は知り合いを通じて、上のような感想をお伝えしたら、「ラジオパーソナリティーとからめての文体を考察いただいたのは初めてかも!です」という返信を間接的にいただいた。考察、といったものではなく、何でもかんでもラジオに結びつけて考えてしまうのが、僕の悪い癖である。

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ラジオ業界の知られざる一大勢力

8月11日(木)のTBSラジオ「荻上チキ Session」と、翌12日のTBSラジオ「アシタノカレッジ金曜日」は、神回の名にふさわしいものだった。

以前、ライターの武田砂鉄氏が評論家の荻上チキ氏にインタビューしたときに、チキ氏は高校時代に放送部に所属していて、そのときに「聴くだけで洗脳されるテープ」というものを作成した、と語っていた。おそらくいまでも、母校に残っているかも知れない、というひと言が、砂鉄氏を動かした。

砂鉄氏はチキ氏の母校に、チキ氏が放送部時代に作った「聴くだけで洗脳されるテープ」を探してほしいと呼びかけたのである。

それを聴いていた、TBSラジオのヘビーリスナーである同校の教諭が、校内を大捜索して、高校の視聴覚室から、荻上チキ氏が脚本、演出、出演、編集をしたラジオドラマのテープを発見した。それは、NHKのコンクールにエントリーしたときのテープだった。残念ながら、「聴くだけで洗脳されるテープ」は発見されなかったが、「夢限」と題するそのラジオドラマのテープが、TBSラジオに持ち込まれたのである。

「アシタノカレッジ金曜日」の中で、そのラジオドラマがノーカットで放送されたが、聴いてみて驚いた。音響やタイミングなど、作り込み方が尋常ではない。脚本も、星新一のショートショートの世界観をモチーフにしながら、チキ氏のいまにつながる社会批評的な視点も盛り込んでいる。放送機材について使いこなせていなければ、なかなかここまでの作り込みはできないのではないか。荻上チキ氏の、ラジオでのマルチタスクぶりの片鱗がうかがえる、貴重な音源だった。評論家でありながら、ラジオ界においても頭角をあらわしたのは、高校時代の放送部の経験が大きいのだと、あらためて認識したのだった。

三谷幸喜監督の映画『ラジオの時間』に、「ラジオドラマには無限の可能性がある」というセリフがある。三谷幸喜氏が、どのていど意識して、このセリフを書いたのかはわからないが、これはラジオの本質を言い当てたセリフであると思う。「夢限」というラジオドラマは、まさに無限の可能性を感じさせるものだった(夢限だけに)。ちなみにこのラジオドラマは予選で敗退したという。落選理由は当たり障りのないものだったらしいが、僕が推測するに、あまりにも社会批評的で、高校生らしくないと審査員が判断したからではないか、とも思う。

さて今回の特集で判明したことは、ラジオに携わる人たちの中には、高校の部活としての放送部、あるいは、学校の放送委員会を経験した人が、けっこうな数いるということだった。

武田砂鉄氏も高校時代に放送委員会だったというし、南部広美さんも小学校の時に放送委員会だった。そればかりか、TBSラジオで交通情報を伝えるキャスターも、そしてはぴねすくらぶで商品を紹介する人も、放送委員会に所属していたというではないか。

いちばんの驚きは、「大竹まこと ゴールデンラジオ」火曜日レギュラーの、コラムニスト・深澤真紀さんは、荻上チキ氏と同じ高校の、放送部の先輩だったという。こうなるともう、ラジオで重宝される文筆家の多くが、放送部や放送委員会を経験しているのではないかという仮説を立てたくなる。

いままで明らかにされてこなかったが、ラジオ放送業界に入り込む放送部・放送委員経験者の一大勢力の存在が、この番組によって白日の下にさらされた。それはまるで、反社会的勢力のカルト教団が、一大勢力として与党の政治団体に入り込んでいることを知ったのと同じくらいの驚きである。

つくづく、僕も高校時代に放送部に入っていればなあと、後悔する。でも当時の僕は、(いまもそうだが)自分の声が大嫌いだったので、放送部に入りたいという選択肢はまったくなかった。放送部に入っていたら、その後の人生は変わっただろうか?いや、たいして変わっていないだろうな。

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M-1出場のまぼろし

8月14日(日)

午後、4歳4カ月になる娘を連れて、滞在先からほど近い、自然豊かな公園に行く。

その公園には森林に囲まれていて、そのなかに、アスレチック的な遊具が置いてある一角がある。娘はその場所がお気に入りのようで、どうしてもそこに行きたいというので、連れて行くことにしたのである。

ただ、そのアスレチック的な遊具の多くは、4歳児にとってはやや難易度が高い。その多くが、対象年齢6歳以上、とある。それでも、人気の一角なので、そんなことおかまいなしに、おそらくは6歳未満であろう幼児を連れた家族連れもその場所で遊んでいる。

僕はほとんど体力がないので、娘だけを遊ばせておいて、自分は近くのベンチに座って休んでいたかったのだが、なにしろ4歳なので、目を離すわけにはいかない。結局、つきっきりで、娘が遊具で遊んでいる場所で、見守ることになる。それなりに楽しんではいたが、年老いた父と一緒に遊べないことがわかっているので、なんとなく退屈そうでもある。

こういう場所で、よく行われているのは、「鬼ごっこ」である。とくに、複雑な構造をもつすべり台などは、鬼ごっこをする格好のスポットなのである。

今日も例によって、元気な男の子たちが、すべり台のまわりで鬼ごっこをしていた。

それを見つけた娘は、どうやらその鬼ごっこに参加したくてたまらないらしい。男の子たちに交じって、逃げ回ったり追いかけたりしている。別に娘は、その鬼ごっこに正式に参加しているわけではなく、「鬼ごっこに参加している風(ふう)」を装って、鬼ごっこの疑似体験をしているのである。少し年上の男の子たちとの身体能力の差は歴然としているのだが、それでも、楽しんでいるようだった。

「そんなに遊びたいんだったら、『一緒に遊ぼ』といえばいいのに」

と僕は、そのたびに娘に言うのだが、娘は決まって、

「だって、恥ずかしいんだもん」

と言って、仲間に入ろうとはしない。

ひとしきり鬼ごっこが終わって、さあ帰ろうか、と思っていた矢先、こんどはその男の子たちは、虫とり網を持って、「虫取りに行こう」ということになったようだった。

それを近くで耳をそばだてて聞いていた娘が、

「○○ちゃん(娘のこと)も虫とりに行きた~い」

と言い出した。ちなみにその時点で時刻は4時近くになっていた。

「もう帰ろうよ。お空が暗くなっちゃうよ。雨も降ってきそうだし」

「イヤだ、行きた~い」

そういうと、娘は男の子たちについていって、山道を進もうとする」

「パパはしんどいから、ついて行けないよ」

「いいよ。パパはそこで待ってて」

といって、山道をずんずん奥の方へ歩いて行った。

さすがにこれはまずいと、僕も仕方なく山道に分け入ることにする。

娘は、先を歩いている男の子たちを追いかけるのに必死である。男の子たちに無許可で、後をついて行っているのだから、これが大人だったらストーカーのレベルである。

「さっき、虫を見つけたよ。前の男の子たちは気づかなかったけど」

「じゃあ、男の子たちに教えてあげないと」

「だって、恥ずかしいんだもん」

だったらなんでついて行っているんだ?という言葉をグッとこらえる。いつものことなのだ。

ようやく男の子たちに追いついたのだが、いつの間にかそのコースは遊具のある一角に戻っていて、男の子たちもその時点でもう虫とりは飽きちゃったみたいだった。

再び男の子たちは遊具で遊びはじめたが、娘もそれに混じって遊んでいると、ふとした瞬間に転んでしまい、頭をぶつけてしまった。

転んだり、頭をぶつけたりする時にはふたつのパターンがあって、泣かないパターンと、泣くパターンがある。

これは明らかに泣くパターンだな、と思った瞬間、娘は僕のところに近寄って、顔を埋めて泣き始めた。

「大丈夫、痛くないから」と慰めながら、「せっかく男の子たちと遊べるんだから、戻って遊んできなさいよ」

「ヤだ」

「どうして?」

「泣き顔を見せたくないから」

そこで、男の子たちのグループとあっさり別れたのだった。

たぶんこの年齢にありがちのことなのだろうが、一緒に仲間に加わりたいけど、恥ずかしくて言い出せない、とか、自分の恥ずかしい姿を見ず知らずの人に見せたくない、という気持ちが強いのだろう。

娘と僕のふだんのやりとりがけっこう面白いと自負しているものだから、何日か前、娘に、

「一緒に『M-1』出てみる?」

と冗談で聞いたら、

「出た~い」

と言っていた。しかし、今日のようなことがあると、見ず知らずの人の前で自分を見られるのが恥ずかしいと思っている娘に、M-1出場は無理かも知れない。もう一皮むけてくれるといいんだけどな。

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末は素浪人

8月11日(木)

最近は、たとえば人生の大先輩にあたる人にメールを出す場合には、ちょっと躊躇してしまうことがある。

まあ、あまり縁起でもない話なのだが、このところ、感染症が爆発的に流行し、しかも猛暑日が続いているなかで、体調を崩していたりするのではないか、いや、ひょっとすると、あまり考えたくはないが万が一ということも…と、不安がよぎるのである。

昨年から今年にかけて、「眼福の先生」が突然に亡くなったことや、コラムニストの小田嶋隆さんが亡くなったことが、影響しているのかも知れない。

ご高齢の方ばかりではない。直接は面識がなくたんに僕が一方的に知っているだけなのだが、知り合いの知り合いにあたる紀行家の方が、つい先日、僕より10歳ほど若くして、重い病にかかって亡くなってしまったことを知り、とても驚いた。数か月前までは、元気な姿をオンライン配信のトークイベントで見せており、たしか亡くなる1カ月半ほど前には海外旅行もしていたと聞いている。

まったく、人生は、一寸先が闇である。

僕には尊敬する恩師がひとりいて、それは高校時代、3年間担任だった「Keiさん」である。高校を卒業してからずっと、年賀状のやりとりだけでかろうじてつながっていたのだが、数年前から、ふとしたことをきっかけに、メールのやりとりをするようになり、コロナ前には、2度ほど実際にお目にかかって、いろいろとお話しをした。

ここ1年ほどは、メールを差し上げてなかったのだが、先日、メールで先生にお伝えしたいことができて、メールをお送りした。

Keiさんは、生まれた年は僕の父と一緒だから、今年81歳になるのではないかと思う。1年ぶりにメールを出すにあたり、少し躊躇したのは、冒頭に書いたような心配事が、僕の頭をよぎったからである。

しかしその心配はまったくの杞憂に終わった。ほどなくして送られてきたKeiさんの返信は、元気に満ちあふれたものだった。

「きょうは朝から、沖縄戦と牛島満のことをにわかに勉強して、牛島中将のお孫さんの話を聞きながら考えるという刺激的な一日でした。昼近くにメールをいただいていることに気がついたけれど返信が遅くなったのはそういう事情からでした。

牛島満のお孫さんは、昭和28年生まれ、僕よりもちょうど一回り若い。40歳過ぎてから思い立って初めて沖縄に行き、祖父の足跡をたどる研究を始めたそうです。たいへんな勉強家です」

僕はこのメールをいただいて感動した。81歳になるKeiさんは、いまも自分の知りたいことを知ろうと、勉強を続けている。「たいへんな勉強家」なのは、Keiさんも同じなのだ。

思い出すのは、20年くらい前だったか、高校時代の同級生の結婚式の披露宴で、Keiさんとお会いしたときに、

「鬼瓦君、呉清源って、知ってる?」

「いえ…、知りません」

「有名な天才棋士でねえ。この人の人生がとてもおもしろいんだ。それでいま、彼が生きた時代の歴史を勉強している」

そう言って、いま読んでいる文庫本を見せていただいたことがあった。

Keiさんはまた、友人が多く、恐ろしいまでの人脈がある。勉強する過程で、いろいろな人に会い、直接話を聞き、人間関係をどんどんと広げていくのだろう。僕は何度も、Keiさんの人脈の広さと不思議な縁に驚かされた。

ただKeiさんは、勉強したことを、たとえば本にしたりとか、形に残したり、ということを、ほとんどしない。ご自身の中ではしているのかも知れないが、それをとくにひけらかすようなことは決してしないのである。ただただ、学ぶことを楽しんでいるようだ。

僕が早くいまの仕事を辞めて引退したいのは、たぶん、Keiさんのこうした生き方にあこがれているからだと思う。

僕もいつか、名刺に「素浪人」という肩書きを書きたい。

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ヨカナーンの首

8月9日(火)

今日から夏休みをとった。しばらく涼しいところに滞在するために車で移動したが、滞在先も暑くて閉口する。

1週間、仕事のことは考えないと誓い、仕事と関係のない本を大量に持ち込んで、読みたいものを読むことにしたが、たぶんそんなには読めないだろう。

書くことがないので、禁じ手の、他のSNSでの話を書く。

高校時代の部活の2年後輩のジロー君が、夜空に浮かぶ雲の写真をSNSにアップしていた。そこには、「餃子に見えなくもない雲」と、本人のコメントがついていた。

なるほど、言われれば餃子に見えなくもないが、他のものにも見えそうな気がする。

僕はそれを見て思い出した。

横溝正史の小説『真珠郎』の冒頭である。

物語の主人公、大学講師の椎名耕助は、いささか神経が疲労していたときに、ふと空を見上げた。すると、空に浮かぶ雲が、まるで人間の首に見えたのである。しかも、西日をうけて真っ赤に染まった雲は、まるで血のしたたり落ちる「ヨカナーンの首」のように見えて、急に恐ろしくなったというのである。

そこに通りかかったのが、同僚の乙骨(おつこつ)三四郎だった。椎名は、乙骨に雲の話をするのだが、乙骨にはそうは見えないという。実はこの乙骨との出会いがきっかけで、椎名はまがまがしい事件に巻き込まれていくことになる。

僕は「雲が餃子に見える」というジロー君のコメントから、この『真珠郎』の冒頭を思い出したのである。

そこで僕は、SNSの彼の記事にコメントを書いた。

「横溝正史の小説『真珠郎』では、神経衰弱の主人公が、空の雲を見て、血のしたたる『ヨカナーンの首』を連想したことから、まがまがしい事件に巻き込まれることになる。餃子を連想したということは、餃子にまつわる事件に巻き込まれるぞ」

じつにくだらないコメントである。

そしたら、さっそく僕のコメントに対してジロー君から返信が来た。

「先輩!早速事件が!昨日妻が行った中華料理屋店で餃子関係メニューがすべて売り切れだったそうです」

くだらない。くだらなすぎる。しかしちゃんと対話になっている。僕は思わず笑ってしまった。

『真珠郎』の読書体験が、こんなくだらないやりとりに使われてしまってよいのだろうか。

こういうのを「知識のムダ遣い」というのだろう。

しかし僕は、「知識のムダ遣い」が嫌いではない。役に立たない知識ほど、尊いものはないと考えるからである。

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言ってもしょうがないんですけど

8月8日(月)

木金は出張で、土日は疲れて何もできなかったから、週明けには返事をしなければならない仕事のメールが山のようにあった。

朝、出勤して、たまっていたメールにひたすら返信を書く。そればかりではなく、メールの内容を書類に反映させなければならない。

あっという間にお昼になった。

午後には、面倒くさい書類の作成やら、重要会議に提出する書類の作成など、とにかく今日中に終わらせなければならない。

なぜなら、明日9日から15日まで、夏休みをとるからだ。夏休みに仕事なんかしたくない。そもそも、Wi-Fiのないところに逃避するのだ。

16日からさっそく重要会議があり、それまでに書類の提出を求められているので、今日のうちに提出しなければならない、とこういうわけである。

その間にも、次々とメールが来て、そのたびに打ち返す。どんなゲームなんだ。

ふしぎなことに、僕に来る仕事のメールのほとんどが、基本的に好意的な返信のメールであった場合も、「ただし…」みたいな留保がついて、その留保した事柄についていちいちこちらで考えなければならない内容を含んでいるのである。もっとはっきり言うと、どんなメールにも、「ちょっとしたトラブルごと」が書かれているのである。

話が通りやすい人に頼んで、先方との交渉をお願いしても、

「基本的に承諾されましたけれど、先方はこんな点を不審がられておりました」

と書いてあったりすると、渋々承諾されたのだろうかとか、その人との交渉では最初はごねられたのだろうか、など、そんなことばかりが気になって、それだけでメンタルがやられてしまう。

わかりにくいかなあ。

つまりなんというか、「交渉」→「内諾」→「正式な手続き」の間に、面倒くさい確認事項がいくつもあるのだ。

正式な手続きの段階になったら、担当事務に引き継げるのだが、それまでのメールのやりとりが、果てしなく多い。

こっちからお願いする仕事は当然としても、向こうから依頼のあった仕事についても同様である。

「ご快諾いただき、ありがとうございます。では、これとあれとそれの書類を提出していただき云々かんぬん」

一つ一つはたいしたことはなくても、それが積もるとたいへんな事務作業量になる。

そうでなくても、事務能力がないのだ、こっちは。

結局、夜遅くかかっても、仕事をいくつも積み残した。

明日からは、仕事のことを考えないぞ!

こういう愚痴って、だれに言えばいいんだ?宮藤さん?_

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座席運

この話、わかってくれるかなあ。

8月5日(金)

過酷な出張も終わり、夕方、新幹線に乗って帰途につく。

駅の自販機で、新幹線の指定席券を買おうとして画面を操作すると、数分後に到着する新幹線に空席が多い。ふつう、新幹線の乗客は、2列シートの窓側の席が最初に埋まり、次に3列シートの窓側が埋まり、その次に3列シートの通路側が埋まる、という順番だとおもうのだが、2列シートの窓側の席にはまだ空席がある。ということは、そうとうにすいているという証拠である。僕は迷わず、2列シートの窓側の席をとった。通路側は空いているはずだから、ゆったりと使って疲れを癒やそう。

で、新幹線に乗ったら、ビックリすることに、僕の席の隣(つまり通路側の席)にすでにおばちゃんが座っていた!

何かの間違いでは?と最初は思った。だって、その車両で、2列シートの通路側に座っている客なんか、ひとりもいないんだもの。それより何より、3列シートの窓側にも空席が目立っているぞ!それほどすいているのだ。

他に空いている席はたくさんああり、その気になれば窓側の席も座れるはずなのに、なぜそのおばちゃんは、2列シートの通路側の席をわざわざ選んだのか?意味がわからない。そしてそれがよりによってなぜ僕の席の隣なのか?

僕があとから乗車して、窓側の席に座ろうとすると、「隣に人が座るのかよ!」と、一瞬でも不機嫌な顔になりそうなものだが、そのおばちゃんは顔色ひとつ変えない。むしろ不機嫌なのは、僕のほうである。

だって、僕よりも前からその新幹線に乗っているそのおばちゃんは、席を予約した段階で窓側の席に十分な空きがあったはずなんだぜ。なのにあえて通路側に座るって、どういうこと?

よく、トイレが近い人が、すぐにトイレに行けるように通路側に座ることはあるが、そのおばちゃん、まったくトイレに立つ気配がない。

それどころか、本を読んだりスマホをみたりすることもなく、居眠りをすることもない。

ただひたすら、じっと同じ姿勢で、目を見開いて、前の座席の背もたれの1点を見つめているだけなのである。

僕は本を読んでいても、隣のおばちゃんが気になって、内容が入ってこない。おばちゃんのほうは、僕のことがまったく気にならないのか、あいかわらず目を見開いて、前の座席の背もたれを凝視している。

(このおばちゃんはいったい、この3時間近く、何を考えているのだろう?)

と気になって仕方がない。

新横浜駅について、かなりの人が降車した。ふつうそうなると、座席がかなり空くので、席を移動したりするものなのだが、ずっとその席に座ったままである。

コロナ禍ではとくに、ソーシャルディスタンスが気になるので、通路側の座席を希望する場合は、3列シートの真ん中の席が空席であることを確認した上で、3列シートの通路側に座るのがふつうである。そのおばちゃんは、そんなことにぜんぜんこだわりがなかったのだろうな。

結局そのおばちゃんは、自分が降車する品川駅までその座席をてこでも動かなかった。ほんとうに僕は、座席運がない。

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不安な大学院授業

8月3日(水)

今日もよく仕事をしたねぇ。

午後は3時間、大学院生7人の前で授業をすることになっていた。オンラインではなく、対面授業である。7名の大学院生はそれぞれぜんぜん専門分野の異なる人たちなので、その7名が満足できるような授業をしなければならない。

パワポを作ったが、どうもあまりおもしろくない。

そこで思い出したのが、僕が昨年の夏に出演したテレビ番組が、10分程度にまとめられてYouTubeにアップされていることである。授業の内容とまったくかかわらないとは言えない内容だったので、それを「箸休め」的に見てもらおう。

いまでも削除されずに残っているのかなと調べてみると、まだそのテレビ局の公式チャンネルに残っていた。

久しぶりにみて、ビックリした。

56万回再生とあるではないか!

56万回再生、ってすごくない?1年経ったいまも、見てくれている人がいるのだな。

とにかくその10分程度のYouTubeの映像をパワポの箸休めに流そうと思いついた僕は、担当の職員に、

「パワポのほかに、パソコンからYouTubeの映像を流したいと思うのですが、部屋のプロジェクターのスピーカーから音声は出ますか?」

と事前に問い合わせた。

僕が心配したのは、先日、ある庁舎で行われたオンライン学習会で、音声が大型画面のスピーカーから流れなかったというトラブルを経験していたからである。

すると担当事務が、

「大丈夫ですよ。問題ありません」

と自信ありげに答えた。

しかし、接続テストをしていないので、ほんとうに大丈夫か不安である。

僕は講義が始まる30分前に、その担当事務の人と部屋に行き、パソコンをセットすることにした。

まず、スクリーンに自分のパソコンの画面が映し出される。はい、第一段階クリア~。

次に、僕のパワーポイントがスクリーンに映し出された。はい、第二段階クリア~。

問題は次である。

YouTubeを立ち上げて、その配信番組を流してみたのだが、スクリーンに映像は映るけれど、音声が聞こえない。

正確に言うと、音声は、僕のノートパソコンからしか聞こえないのである。

「おかしいですねぇ。スクリーンのスピーカーから音声が出ませんねぇ」

俺、さっきメールで確認したよね!「音声は大丈夫ですか?」と。そしたら「大丈夫です」と自信たっぷりに答えたよね!

いろいろ試してみたが、パソコンの音声がスクリーンのスピーカーから出ることはなかった。

困りはてた担当事務は、別の職員に応援を頼んだ。

しかし応援を頼まれた職員も、見るからに、機器に詳しくなさそうな人である。どうしてそんな人を呼んじゃったのだろう?

「おかしいですねぇ」

の連発である。

ほら、もっとほかにも、機器に詳しい職員がいるでしょ!なんでその人を呼ばないの?

…と、喉元まででかかったが、授業開始までもうあまり時間がない。

仕方がないから、苦肉の策で、マイクをノートパソコンのスピーカーに近づけ、ノートパソコンの音をマイクで拾ってそれをスピーカーから流す、という方法を提案した。

「それ、いいですね。聞こえます聞こえます」

それいいですね、じゃないよ!

僕としては、最良の環境で授業を提供したい、と思っているのだが、機器の不具合のために(あるいは、機器に関する知識がないゆえに)、最適な授業環境を提供できないとなると、講義をする方もそれを受講する方も、だいぶテンションが下がる。

でもまあ仕方がない。もとはといえば、事前に接続テストをしなかった僕が悪いのだ。

なんだかんだあったが、授業は無事に終わり、そのあとは、休む間もなく来年のイベントに関する打合せである。

2時間ほどの打合せが終わり、その結果をふまえて、忘れないうちに諸方面にメールで連絡をする。送るべきメールの数が思いのほか多くて、しかも一つ一つが異なる内容であるために、だんだん頭が回らなくなっていった。

ある人がさっそく返信をくれて、「それ、前に確認したはずですけど、以前のメール、見てなかったんですか?」的なニュアンスの、ややキレ気味の内容だった。…というか、僕も疲れているせいで、そんなふうに読み取れたのである。

僕はさっそく「たいへん申し訳ございません。すべて僕の記憶違いと勘違いによるものでした」と返信を書いた。

何事に対しても怒らず、自分に非があればすぐに謝る。そうしないと、自分のような吹けば飛ぶよな存在は、とたんに信頼をなくしてしまうということに、いま思い至っている。

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秘密の花園

7月31日(日)

4歳4か月の娘を連れて、実家に行く。

先日、僕宛てに届いたという、ある宗教法人の教祖が書いたという本をパラパラと眺めてみた。

送られた本には、送った人の直筆の手紙が同封されていた。もちろん、送ってきた人は、同じ高校の同窓生ということが書かれているだけで、まったく知らない人である。残念ながら、同窓会名簿を持っていないので、この人がほんとうに同窓生なのかは、わからない。しかしその差出人の名前は、こんな名前の人、いるんだ、と感心してしまうほどの、いい名前なのである。ひょっとして、通称名なのだろうか?

手紙には、「宗教に対する偏見を取り払い、素直な心でぜひ一読していただけましたら幸いに存じます」と書いてあった。やはり、昨今の別の宗教団体をめぐるスキャンダルを意識して、いろいろな人に送っているのだろう。一冊一冊に、直筆の手紙を添えているのだろうから、ご苦労なことである。

この手の本をまったく読んだことがないので、何が書いてあるかには興味がある。だがあんまり熱心に読んでいる姿を見せると、入信するのではないかと母に心配をかけるので、あくまでも興味のないそぶりをしながら、パラパラと本をめくった。

「この前、この宗教法人の事務所の近くを通りかかったので、中をちょっとのぞいてみたのよ」

なかなかどうして、母もまた、この宗教法人に興味津々ではないか。

「どうだったの?」

「そしたら、この本が山積みになっていたわよ」

やはり、危機感を抱いた宗教法人が、本を各方面に送りまくっているのだろう。

…というより、僕の母も、なかなかのルポライターぶりである。僕の野次馬根性は、母から受け継がれたものである。

さて、パラパラとめくってみた感想だが、文章全体が、比較的わかりやすく、想像していたような狂信的な表現などはみられない。文章は正直に言うと、ずば抜けて上手であるとも思えない。罰当たりなことをいうと、これだったら、俺の方がもっとうまく書けるのにな、と思ったほどである。

しかしそれが、多くの信者を獲得する手法なのだろうか。僕の文章は、どんなに表現の技巧を尽くしても、ごく少数の人にしか響かない。いや、響いているかどうかもわからない。だがこの文章は、できるだけ多くの人が読んですぐにわかるような書き方をあえてしているのかもしれない。

さて内容については、「規則正しい生活をしましょう」とか、「適度な運動をしましょう」とか、そんなあたりまえなことが書いてある部分もあった。あと、「コロナを必要以上に恐れるな」とか。あまり特殊なことを言っている感じではなかった。

しかし、そこに、やれ「霊」だの「スピリチュアル」だのという「ふりかけ」をかなりまぶしているので、やはりそこはどうしても受け付けられない。まあ、何かトラブルがあってもそれは「霊のしわざだ」ということにしておけば、なんとかなるよ、という考え方を示しているようにも思えたが、はたしてそんなざっくりとしたまとめ方でよいのかは、ちゃんと読んでないのでよくわからない。

こういってしまうと身も蓋もないが、つまりはある種の自己啓発本なのではないか、というのが僕の感想である。

しかし、すべての本が、こんな自己啓発的なわかりやすい感じなのだろうか?僕にはひとつの仮説が頭をもたげてきた。

僕は無宗教だし無神論者だが、強いていえば「大林教」の信者である。映画作家の大林宣彦さんの映画はもちろん、その人となりも信奉している。誤解のないようにいうが、もちろんこれはあくまでたとえ話であり、実際には信仰というよりも「推し」というニュアンスの方が近い。

僕が大林監督「推し」だからといって、僕は自分以外の誰かに、大林監督の映画を熱心に薦めようとは思わない。これはあくまでも僕の人生にかかわる問題であり、それを第三者が理解するなんて、不可能だと思うからである。

それでも、大林映画のことをあまり知らない人に、「大林監督の映画を観てみたいのですが、おすすめの映画はなんですか?」と聞かれたとしよう。

まあ、「異人たちとの夏」とか「青春デンデケデケデケ」あたりを薦めるだろうな。そのあたりが、大林監督としては珍しく万人受けする「口当たりのいい映画」だと思うからである。

これを、「いつかみたドラキュラ」「麗猫伝説」「はるか、ノスタルジイ」「おかしなふたり」あたりを薦めたら、初めて見る人は戸惑うんじゃないだろうか。あまりにも大林監督のカルト的世界に満ちているからである。

何が言いたいかというと、僕に送られてきたその本は、初めて接する人の抵抗をなくすために、あえて口当たりのいい本を選んで送ってきたのではないのだろうか。その背後には、数多くのカルト的な本が存在しているはずである。そうでないと、強力な「推し」はついてこないと思うのだ。僕が大林監督のカルト的世界観の映画にとらわれたのと同様に、である。

おそらくほとんどの人は、この本がきっかけに入信するということはないだろう。やはりこれは、まったく関心のない人に対して、昨今の宗教に対する偏見を取り除き、この社会の中でその宗教法人が生き残るために送られてきた、というのが僕の仮説である。

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