鉱脈
8月26日(金)
秘境から無事に戻ってまいりました。
小田嶋隆さんの最新刊であり遺稿集である『コラムの向こう側』(ミシマ社、2022年)を読んでいたら、涙が出てきてしまった。まだ喪失感は続いているらしい。
Web上で連載していたコラムのうち、亡くなる10カ月くらい前からのものをまとめたものだが、本のタイトルは、小田嶋さんが亡くなる4日前に、ご本人が決めたと、編集部が書いた「まえがきに代えて」に書いてあった。
ちなみにその「まえがきに代えて」には、
「五月末、小田嶋さんから電話があり、『医者は、夏を迎えられないかもしれない、とか言ってるんです』と軽やかにおっしゃいました」という一文があり、これが泣けて仕方がない。ちなみに小田嶋さんが亡くなったのは、6月24日である。
まだ途中までしか読んでいないが、文章はあいかわらず軽妙で諧謔に満ちており、僕にとっては名言の連続なのであるが、ところどころ、ご自身の最後を予感しているようなくだりがある。高校時代からの親友だった、CMプランナーでメディアクリエイターの岡康道さんに向けて書いた文章は、まさにそのような感じである。
小田嶋さんと岡さんの関係については、このブログでもたびたび紹介してきた。岡さんは、小田嶋さんよりも2年早く他界されたが、その岡さんについて書いた、こんな文章がある。
「あいつ(岡康道)の『夏の果て』(小学館文庫)を読んだのは、(中略)六十歳を過ぎた頃のことだ。
頭をなぐられた気がしたことを、いまでもおぼえている。
『おまえには、こんなことができたんだ』
私にとっては、まったくの不意打ちだった。
『どうしていままで隠していたんだ?』
という、いまでもその驚きの中にいる。
(中略)
この作品が、岡の最後の長編小説になってしまったことは、返す返すも残念な成り行きだ。この先にどれほどの鉱脈が隠されていたのか、誰にもわからなくなってしまった。それは、とてもとても悲しいことだ」
僕はこの小田嶋さんの文章を読んで、小田嶋さんの最初で最後の小説『東京四次元紀行』を読んだときの、僕の感想とまったく同じであることに気づいた。
岡さんの唯一の長篇小説を読んだときの小田嶋さんのこの感想は、そっくりそのまま、小田嶋さんの唯一の連作小説『東京四次元紀行』に対する感想として、お返ししたい。『東京四次元紀行』の読者の多くが、小田嶋さんの「隠された鉱脈」を見いだしていたと思う。
小田嶋さんが人生の最後に小説を書いたというのは、ひょっとして、親友の岡康道さんのことを強く意識していたからではないだろうか。岡さんの小説に突き動かされるように、ご自身も小説を書いたのではないか。そんな妄想を抱いてしまう。
さて、文章を生業とする人間、あるいは、文章を書くことを厭わない人間が、自分の最後をあるていど覚悟したときに書く文章には、二つのタイプがあると思う。
一つは、自分の最後に至る経過を、包み隠さず、克明に書こうとするタイプ。
もう一つは、最後の最後まで、その覚悟を悟られることなく、自分の文体を貫き通すタイプ。
小田嶋さんは、当然後者である。病気のことは一切ふれずに、最後のコラムは、「また来週」で終わっている。
僕もまたそうありたい、と思っているが、どうなるかはわからない。
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