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2022年9月

無事に終わったのか?無事じゃなく終わったのか?

9月29日(木)

3日間の出張が、なんとか無事に終わった。なんとか日付が変わらないうちに帰宅できそうだ。

3日目がいちばんキツかった。

午前中の用務は、昭和初期につくられた素敵な建物の中での作業である。

駐車場にレンタカーを停め、重い機材を運び出す。

その建物の門に入ろうとして、嘆息した。

門から入口まで、不揃いな形の大きな石が飛び石のように続いていて、そのうえを歩いて建物に入らなければならない。しかも、建物の玄関に入るためには、さらに数段の階段をのぼらなければならない。これが地味にキツい。

ここには何度か訪れているが、重い荷物を持って訪ねるような場所ではないことに、初めて気づいた。ま、バリアフリーなんて概念がなかった頃の建物だし、ヘタに改装すると内装の雰囲気がぶち壊しになるから、仕方のないことではある。

殺人的な重さの大きなスーツケースや、ゴルフバッグのようなソフトケースを、凸凹した大きな飛び石の上を歩きながら運び、さらにダメ押しの階段を数段のぼった。もうこの時点でゼイゼイである。この場合、スーツケースのキャスターはまったく役に立たないので、それを持って運ばなければいけないのである。

お約束していた者です、作業をするためにまいりました、と受付に告げると、今回対応してくれる方がいらして、作業部屋はどうぞこちらです、と指した方向に、2階にのぼる階段があった。

(2階かぁ…)

由緒ある建物なので、当然、エレベーターなんてものはない。しかもむかしの階段なので、かなり急である。

重い荷物を持って、えっちらおっちらと登りはじめたところで、あることに気づいた。

この建物、一般的な建物よりも、天井が高い。

2階、と見せかけて、実は3階分の高さがあるのである。

まじかー、と心の中で叫びながら、重い荷物を運び、ようやく目的の作業部屋に到着した。

作業は2時間ほどで終わり、また、同じ階段を重い荷物を抱えながら降りる。

どうもありがとうございました、と建物を出て、凸凹した飛び石の上を足下に注意しながら歩き、レンタカーに重い荷物を載せて、1件目の用務を終了した。

このあと、用務が2件ほどあり、これもまた体力勝負の作業だった。事態がキツい方へキツい方へと向かっていく、Mr.ビーンのコメディのようだ。

今日はあまりに疲れたので、この先については書く気力もないが、無事にすべての用務が終了したことだけは明記しておく。いや、無事だったのか?

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これは何運なのか?

9月26日(月)

夕方、新幹線に乗り、西へ向かう。明日の早朝から3日間、かなりハードなスケジュールでの作業が待っている。体調がもつか、心配である。

新幹線で少しでも休もうと、3列シートの窓側の席をとった。

出発直前に新幹線に乗り込むと、僕が座る列の通路側にすでに人が座っていた。その人は、サラリーマン風の格好をした人で、太っている僕よりもかなり太っている。

(またかよ…)

僕は何度かそういう経験がある。新幹線に乗ると、必ずといっていいほど、隣に体格のいいおじさんが座っていて、座席がとたんに窮屈に思えるのだ。いつもながら、座席運がない。

まあ仕方がない。今回は3列シートの真ん中の座席空いているので、それだけでもラッキーである。

出発してからほどなくして、その通路側の座席のおじさんは、真ん中の座席に、自分が脱いだジャケットを置いた。

いつもわからないんだけど、3列シートの真ん中の席が空いている場合、それは誰のものなの?窓側?それとも通路側?

通路側にしてみたら、「おまえ、窓側の席に座っているんだから、真ん中の席くらい俺に使わせろよ」ということなのだろうか?

あるいは、先手必勝なのかも知れない。

しかしその太ったおじさんは、基本的にきわめて紳士的な態度でおられたので、とくに何事もなく、目的地の駅に着いた。その太ったおじさんも、同じ駅で降りた。

今日泊まるホテルは、駅のすぐ近くにあるホテルなのだが、初めて泊まるホテルなので、場所がよくわからない。この駅の南側には、大きなホテルが林立していて、しかもあたりが暗くなってきたこともあり、よけいに行き方が難しい。

(なんていう名前のホテルだったかな?)

覚えにくい名前のホテルだった。駅の南側を歩いていると、アレじゃないか?というホテルを見つけた。

うっすらと記憶している名前をたよりにそのホテルに入ったら、たしかにそこが自分の泊まるホテルだったので、安堵した。

ホテルのフロントで受付をすませ、自分の部屋に向かおうとすると、何となく気配を感じた。

気配をした方を見ると、なんと、さっきまで新幹線で隣の席だった、あの太ったおじさんがいるではないか!

向こうも少し驚いたようで、明らかに「二度見」していた。

しかしここで「さっきはどうも」なんて挨拶するのはどう考えてもおかしいから、何も言わずに自分の客室に向かったが、こういうのって、何運って言うの?

新幹線で隣に座った見知らぬ他人が、日本屈指の観光地といわれる、ホテルの多い町で、同じホテルに宿泊するという確率は、どれくらいだろう?

こんなことで、運を使いはたしてしまって、よいのだろうか?

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欠席する理由

9月25日(日)

カナダのトルドー首相は、イベントを欠席するそうだ。

カナダ東部に上陸したハリケーンが大きな被害をもたらしており、対応が必要なためという。

たしかに、欠席する理由は、本当にそうなんだろうけれど、僕の邪推では、トルドーさんは、「よかった、これで欠席する理由が見つかった」と安堵したのかも知れない。

あくまでも、僕の邪推ですよ。

トルドーさんは、「出席しま~す」といち早く手をあげたはいいが、周りを見渡すと、G7主要7カ国の首脳のすべてが「欠席しま~す」と表明し、「え?手をあげたの、俺だけ?」ってなった。

で、いろいろ調べてみると、どうもそのイベントはスジが悪い。なにしろ国民のほとんどが反対している。しかも主催者側の醜聞が連日のように取り沙汰されている。

「しかし、外交だしなあ、行かなきゃダメかなあ…」とトルドーさん。

「そりゃあ行かなきゃダメですよ」どこにでも杓子定規な人間はいるものだ。「これは外交なんですから、ちゃんとマナーを守らなければなりません」

「でもさあ、こんなことで義理立ててどうするんだよ…」

困りはてたトルドーさん。そこに訪れたハリケーン。

被害を受けたことは間違いなく深刻だ。「これだ!」とトルドーさんは思った。これなら欠席する理由として、失礼にあたらない。

「ごめんなさい。ちょっとこっちの対応を最優先にしたいので、やっぱり行けません」

と相成ったのではないだろうか。

僕にも心当たりがある。

会合とか飲み会に誘われたとき、義理で行かなきゃ行けないかなあ、イヤだなあ、でも断る理由がないなあ、と思って、とりあえず参加を表明したら、たまたま家族が病気になった。

「すみません。家族が病気になったので、行けません」

これなら、たんに「行きたくない」という理由よりも、失礼にはあたらないだろう。事実だから、後ろめたくなることもない。

トルドーさんも同じで、ちょうどいい理由が見つかったのではないか、と僕は自分の体験に引きつけて想像したのである。

しかし、おかしい。

この国も一昨日から昨日にかけて、台風が猛威を振るってかなり被害が出た地域があったはずである。こっちのリーダーは、その対応を最優先にしないのだろうか?

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いつもカオスな国際会合

9月23日(金)

今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!

今週もツラかったが、仕事がぜんぜん終わらない。

とくにツラかったのは、祝日である今日である!

祝日だというのに、韓国主催のオンライン国際会合に出なければならないのだ。

国際会合といえば聞こえがよいが、いつもメンバーが同じで、小劇団の団員があの手この手で脚本や配役を変えながら芝居をするようなものだ、ということを前に書いた。断りたかったのだが、お世話になっている方からの依頼だったので、断るという選択肢はなかった。

「発表時間はどのくらいですか?」

「通訳なしで30分です」

「通訳が入らないんですか?」

「時間がもったいないですから。それに、あらかじめいただいた発表原稿は韓国語に翻訳しますので、日本語がわからない人でも翻訳を読みながら聴いていればなんとなく理解できます」

「でも、中国の方も登壇しますよね。ということは、中国語にも翻訳するということですか?」

「いえ、中国語には翻訳しません」

つまり、日本語と中国語の発表原稿は韓国語に翻訳されるが、中国語と韓国語の発表原稿は日本語に翻訳されないし、韓国語と日本語の発表原稿は中国語に翻訳されない、というのだ。

韓国主催の会合なので、仕方がないといえば仕方がないのだが、それにしてもあまりにも不親切である。僕は中国語はサッパリわからないから、中国語の発表を聞いてもわからないし、ましてや議論などできるはずもない。中国人にとっても、同様だろう。

こんなやり方で国際間での意思疎通など、どうしてできようか、と僕は疑問に思った。

でもそういう方針なのだから仕方がない。僕は決められたとおりに、30分におさまる発表原稿を「納品」すれば、それでよいのだ。

とはいっても、当然いい加減な原稿は納品できない。かなり苦労して、予稿集用の原稿を作り、おまけに当日画面共有するためのパワーポイントも作成した。

たった30分の発表とはいっても、準備にものすごい時間がかかる。ああ、この仕事がなければ、他の差し迫った仕事がはかどっただろうに、と、僕は引き受けたことが悔やまれて仕方なかった。

さて当日。

頭痛がひどく、体調がすこぶる悪い。前日までかなり無理をして仕事をしたせいだろう。

国際会合は午後1時過ぎから始まった。僕の出番は2時半過ぎくらいからだが、僕の持ち時間が30分だけだからといって、それ以外の時間は休んでいいということではない。パソコンの前にはりついて、中国人や韓国人の発表を聴かなければならない。全員の発表が終わったあと、討論の時間があるので、気が抜けないのである。

終わったあとの討論も、いつもながらカオスだった。僕ははたして、この会合で役に立ったのだろうか、と、まったく達成感がないまま、国際会合は6時半過ぎに終了した。

結果、5時間ほど拘束されたことになる。まったく、この稼業には忍耐が必要だと、こういう会合に出るたびに痛感する。

 

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伝説の劇作家

9月22日(木)

サブカル界隈では、劇作家の宮沢章夫さんの訃報が、衝撃を与えている。

昨日の「大竹まこと ゴールデンラジオ」では、大竹さん、きたろうさん、えのきどいちろうさんが、宮沢さんの思い出話をしていた。シティボーイズの初期の頃、宮沢さんはシティボーイズの座付き作家のような位置にあった。「宮沢がいなかったら、いまのシティボーイズはない」と言わしめるほどの存在だったという。

残念ながら、僕はその頃のシティボーイズのコントを見た記憶があまりない。「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」は伝説的なコント集団だったと聞くが、その頃まだ僕は10代後半だった。

話としてよく聞くのは、「砂漠監視隊」というコントである。砂だらけの何もない砂漠を、ひたすら監視する隊員たち。もちろん、何も起こらないのだが、それでも監視を続けなければならない。ラフォーレ原宿の8階に何トンもの砂を持ち込んだ、伝説的なコントだったという。えのきどさんはそのコントを、「ゴドーを待ちながら」みたいなコンセプトだ、と評した。見てみたかったなあ。

シティボーイズは、宮沢章夫を作家に迎えて10年、三木聡を作家に迎えて10年、僕は三木聡が座付き作家をつとめてからのコントから、シティボーズにのめり込むようになった。

いま思うと、三木聡作のシティボーイズのコント「鼓笛隊迷う」(1993年公演『愚者の代弁者、西へ』)は、鼓笛隊のパレードからはぐれてしまった3人の奏者が、砂漠に迷い込んでしまう、という内容だったが、あれは「砂漠監視隊」を意識したコントだったのかな、とも思う。違うかも知れない。

ということで、僕は劇作家としての宮沢章夫さんの偉大さというのを、肌感覚で実感したことがない。これはきっと、悲しむべきことなのだろう。唯一、以前に宮沢さんが講師をつとめた「ニッポン戦後サブカルチャー史」というNHKの番組シリーズを何回か観たくらいで、そのときに宮沢章夫さんのことを初めて知ったというほどのていたらくである。あの番組は、むちゃくちゃ面白い番組だった。僕にとっては、正真正銘の「伝説の人」である。

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メール地獄

9月21日(水)

本日来た仕事のメールは69件、こちらから送信したメールは18件。これが多いのか少ないのか、よくわからないのだが、少なくともまる一日潰れたのは事実である。

電話による交渉もいくつか行った。電話はいずれも神経を使うものばかり。メールも電話も、その多くはおもに来年開催のイベントにかかわるものである。けっこう「待ったなし」の案件が多い。

今週は、シルバーウィークとやらで、平日が3日しかない。3日で5日分の仕事をこなさないといけないから大変である。

今日は、山ほどある「絶対に落としてはいけない原稿」に取りかかろうと思ったのだが、そんな余裕などまったくなかった。

僕が来年のイベントに関するメールに神経をとがらせているなか、別のチームが、ものすごい勢いでメールをやりとりしていた。

そのチームは、この11月に韓国に行くことを考えていて、日程調整について猛烈な勢いでやりとりをしている。チームの一員である僕にもそのやりとりが送られてくる。

「韓国で案内をしてくれる人が、11月の土曜日を基準にして12、26日が可能とのことです」

とメールが来ると、チームのメンバーは、

「11月12日ならば都合がよいです」

という。しかし、訪れる場所は、ソウルからKTXとバスを乗り継いで4時間近くかかる場所で、もちろん日帰りは無理である。

どうしても、金曜日のうちに韓国に渡航し、日曜日に帰るという2泊3日をかけなければならない。しかしこれはあくまでも最短の日数であって、現実的には、1日だけその町を訪れて帰るというのは、なんとももったいない。

チームのリーダーは、「金曜に仕事があるので、仕事が終わってから飛行機に乗る」と言い出したが、現在、夕方に出発する韓国便は存在しない。

では、土曜日の早朝に日本を出て、土曜の午後と日曜日を見学にあて、月曜日の朝10時半に羽田空港に着くようなスケジュールはできないか、と言うのだが、土曜の早朝に出ても、その日は現地に到着するだけで一日が終わるだろう。

しかし、韓国で対応してくれる方は、基本、平日勤務なので、週末に対応するとなると、勤務外ということで負担を強いることになる。それでも先方は、週末でもいいですよ、と言っていただいているようなのだが、「週末に対応していただけるのはありがたい。ぜひそうしましょう」と、無邪気にその好意に甘えてしまうのは、正直言ってどうなのだろう。

それに、土曜の朝早くに出て、月曜の朝早くに帰るとしても、結局、その場所を落ち着いて見学できるのは、日曜日の午前中くらいしかない。日曜のうちにソウルに戻らなければならないからである。それくらい交通の不便な場所にあるのだ。

先方は、せっかくそういう田舎町に来るのだから、時間をかけて見学してほしいという希望もあることだし、ここは無理をせずに、これはいっそ「水入り」ということでいいのではないか、と思っていたら、チームのメンバーが、さすがにこの強硬スケジュールが不可能だと悟ったらしく、「11月中は無理なので、あらためて2月にしましょう」と提案してきた。その代わり、11月はソウルを中心にまわったらどうでしょう、と、これまたゴキゲンな提案をしてきた。

来年2月となると、僕はイベントの1か月前で準備で最高潮に忙しいので到底参加は無理である。もっとも11月だとしても参加は無理なのだが。というより、今年はもう、イベントに向けて使う体力を温存したいので、韓国に行くためにエネルギーを使いたくないのだ。

そんな韓国旅行の夢が広がるゴキゲンなメールが、今日来たメール69件のうち、9件を占めていた。僕は今のところ、ノーコメントである。

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国葬雑感

9月20日(火)

抜き差しならない状況が続く。

午前中の定例の作業のあと、矢のようなメールに返信をする。

どれもが、反射神経的に応えればいいメールではなく、ちゃんと確認した上で返信をしなければならない。

「これでよろしいか、確認してください」

「具体的にどことどこを希望なのか、示してください」

みたいなヤツ。この「裏とり」に思いのほか時間がかかる。

あっという間に昼休みになったが、それでもメールの返信が続く。

午後の予定は、13時からオンラインによる定例の全体会議、17時から、僕が進行役のオンライン会議である。

13時からの会議は、ふだんだと、どんなに遅くとも16時には終わるのだが、今日に限って議題が多く、16時51分に終わった。

それから急いで、17時からの会議のZoomに接続する。

そうそうたるメンバーの中で、立場上、僕が進行をしなければならなかったので、プレッシャーがハンパではない。みんな一家言ある人ばかりなので、進行がまずくて怒られたらどうしようと、そればかりが気になって仕方がない。

1時間くらいで終わると思ったが、2時間近くかかって終了した。

その後もいくつか仕事をしたのだが、終わる気がせず、ヘトヘトになって帰宅した。考えてみれば、今週は平日が3日しかなく、3日間の間に、5日分の仕事をしなければならないので、忙しいはずである。

…いや、今日書きたいのは、そんなことではない。

昨日、英国のエリザベス女王の国葬の生中継をぼんやりと観ていた。なんかすげえ厳かで、参列している世界の要人もやんごとなき人たちばかりのように思えた。あのような荘厳な儀式に参加するのだから、それは当然のことなのだろう。

あんな厳粛で荘厳な儀式に、この国の首相は参加を検討したというのだから驚きである。「おまえみたいな凡人の来るところじゃねえ!」と言われるのがオチである。なにしろ格が違うのだ。

僕の記憶違いでなければよいが、エリザベス女王の国葬で、「友人代表の挨拶」とかって、なかったよね?そもそも、スピーチみたいなことは、だれもやらなかったんじゃないの?

冠婚葬祭でスピーチをする文化って、世界でどのくらいあるのだろう?

この国にいると、結婚式の披露宴で必ずスピーチがあるし、お葬式にも弔辞がある。

しかし以前、韓国の結婚式に参加したとき、日本の披露宴にあるようなスピーチは、一切なかった。

聞くところによると、こんどこの国で行う「国葬」では、「友人代表の挨拶」があるそうだ。しかしその「友人」が、ほんとうの「友人」なのかは疑わしい。ほんとうの友人は、もっとほかにもいるのではないだろうか。

あと、エリザベス女王の国葬を観ていて、ロンドンは緑が多いなあと感じた。都心の木を伐採して再開発に躍起になっているどこぞの国とは大違いであるように思うのだが、ロンドンに行ったことがないので、実際のところはよくわからない。

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ちょうどいい場所

ダースレイダー氏のYouTubeチャンネルで、マキタスポーツ氏と2時間以上にわたって対談しているのを、心地よく聴いた。

二人とも、「どんな場にいてもなじまない」という違和感を常に持っていると言っていたのが印象的だった。

マキタスポーツ氏は、世間的にはお笑い芸人だが、お笑いがひとつの方向に向かっていく、その時流には乗っかりたくないと思っている。バリバリのお笑いがやりたいわけでもなく、音楽も好きだし、「なんか、自分にとってちょうどいい場所はねえかなあ」と、つねに探し続けている。

ラッパーのダースレイダー氏も、ゴリゴリのラッパー業界が苦手であるという。もちろん尊敬するラッパーはたくさんいるのだが、その中にどっぷりと浸かることを好まない。ハードロックやメタルなども好きだが、だからといってそちらの方にどっぷり浸かりたいわけでもない。やはり「ちょうどいい場所」を探しているのである。

僕もまた、「どんな場にいてもなじまない」人間で、同業者が集まるようなゴリゴリの集団の中には、なるべくなら居たくない。あっちへふらふら、こっちへふらふらしながら、「ちょうどいい場所」をさがしたりしている。

しかし、世間とは非情なもので、そうしたことをなかなか許してくれない空気があるのも事実である。おまえのアイデンティティーはこれだ!と、やたらと役割を決めたがる。その役割にしたがって生きないと、怒られたりすることもある。とかくこの世は生きにくい。

もちろん、自分の役割が明確であることに安心する人もいる。これをやっていさえすれば、世間が認知してくれる、と。それはそれで、ひとつの生き方として尊重されるべきである。

「ちょうどいい場所」を探す旅は、これからも続く。

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控えの美学

9月16日(金)

今週も、よくぞ、よくぞTBSラジオ「アシタノカレッジ金曜日アフタートーク」までたどり着きました!

今週もめちゃくちゃ辛かった。

火曜と木曜は僕がホスト役のハイブリッド形式の会合。とくに木曜は、自分がZoomのホストだったので、前日の水曜日の午後に職場で接続テストをしたりして、けっこうたいへんだった。

そして今日の午後は1時半から5時半まで休みなしの二つのオンライン会合。

その後、締切を過ぎてしまった原稿を書き続けたのだが、まったく終わりが見えず、作業を切り上げた。

TBSラジオ「アシタノカレッジ金曜日」のゲストコーナーを、帰宅途中の車の中で聴いていたくらいだから、どのくらいまで仕事をしていたかは推して知るべしである。

今日のゲストは、ジャングルポケットの斉藤慎二さんだった。

ジャングルポケットが、3人組のコントグループであることくらいは知っている。NHKのEテレの「どーもくん」という子ども向け番組のレギュラーだったことも知っている(今でも続いているのか?)。というか、そのときの印象がいちばん強い。コントは、テレビで何度か見たことがあるが、やはり3人の中では斉藤さんのインパクトがいちばん強い。

どういうコントをしていたか、どういう芸風なのか、あまり覚えていなかったのだが、「ジャングルポケットのコントは演劇的」という武田砂鉄氏の指摘を聞いて、なるほどそうだったと少し思い出した。なにより斉藤さんは、たしかミュージカルの舞台も踏んでいたと記憶する。

印象的だったのは、「ジャングルポケットのコントは、オチに救いがある」という言葉。「誰も傷つけない笑い」という言い方ではなく、「オチに救いがある」という言い方が、そこはかとなくよい。俄然、ジャングルポケットのコントを観たくなったが、テレビではあまりやらないのだろうな。

以前、武田砂鉄氏と心理学者の東畑開人氏がかつてこの番組で対談していた中で「控えの選手」について話が弾んでいた。武田砂鉄氏も東畑氏も、中高生時代は運動部の控えの選手で、決して表舞台に立つ人間ではなかった。しかし控えの選手のほうが、ベンチでさまざまなことを考え、さまざまな思いを抱き、さまざまな人間を観察する能力を身につけるようになる。いつも表舞台に立つレギュラー選手は、そういうことにあまり気づこうとしないし、気づくことができない、と、正確ではないがたしかそんな内容だったと思う。

ジャングルポケットの斉藤さんも、高校生の頃は野球部の控えの選手だったらしい。やはり控えの選手の経験者は、ある種の共通した特徴を持っているのだろうか。今回もその話題が少しだけ出たのである。

僕は運動部ではなかったので、控えの選手という経験はなかったのだが、気持ちとしては、どこにいても控えの人間だ、という思いがある。

適切な例でないかも知れないが、「前の職場」にいた頃、高校の出前講義によく行かされた。前の職場には人気の同僚がいて、「○○先生を出前講義に呼びたい」と、名指しでその同僚を指名してくることが多かった。しかし人気講師なのでなかなか先方の希望に添えない場合が多い。そのときに、僕は「控えの選手」として登板したものである。先方はガッカリしていたが、でも僕は、それがとても心地よかったのである。

なので、僕も「控えの選手」という立場にとても居心地のよさを感じるのだが、どういうわけかたまに、ハナっから表舞台に立たされることがある。僕はそれがとても苦痛だし、恥ずかしいと感じてしまう。

控えの選手が先頭に立つことほど居心地の悪いことはない。

だから僕は、そういうときには先頭に立つふりをして、いつも後ろに隠れることにしている。そうしないと、僕が大好きな人間観察ができないのである。

人の先頭に立つと、まわりの人がみえなくなる、ということは、つまりそういうことなのだと思う。

武田砂鉄氏とジャングルポケットの斉藤さんとのトークの中で、そんなことはまったく語られなかったけれども、僕はそのトークに触発されて、トークの内容とはまったく関係ないことを想起したのだから不思議である。

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牙をむく人

9月14日(水)

とにかく首が回らねえ。

今日はこの仕事をやろう、と思っても、その前にいろいろな仕事が襲ってきて、なかなか本命の仕事にたどり着けない。

いい加減、イヤになってきた。クタクタである。

今日の午後、来客があった。傘寿に近い年齢の方だが、その方のお父様が、戦前に思想犯として10年以上の獄中暮らしをして、それでも「転向」せずに自らの人生を全うした、という壮絶な人生のお話を聞いた。

「非転向」というのは、どうも組織から疎まれるらしく、そのお父様はだれよりもその組織の考え方に忠実だったあまりに、結局その組織から除名されたという。それでも自らの信条をあらためなかった。

そんな話を2時間半ほどその方からお聞きしたのだが、息子にあたるその人も、お父様に負けず劣らず、信念の強い方だということが、話の端々からうかがえた。

しかし、「非転向」を貫く人は、むしろ珍しい。世の中、どうしてこんなに易々と転向する人が多いのだろう、と思うことがある。以前は反体制を標榜していたと思われる漫才師が、ここ最近、急に「転向」する発言をはじめた。芸能事務所が、そういう売り出し方に舵を切り始めたのかどうかはわからないが、いままでいろいろな人を見てきた僕からすると、本人の意志で「転向」した可能性も捨てきれない。

いままで、どちらかといえば立場が弱かった人が、権力や栄誉を得たとたん、突然攻撃的になる人もいる。もっともこれは、立場が弱かった頃からのルサンチマンによるものかも知れない。

僕はそういう人が苦手で、できればいっしょに仕事をしたくないというのが本音なのだが、翻って自分はどうだろう、そうはなっていないだろうかと、常におそれている。

「非転向」を貫くほど激しい信念があるわけではないが、どんな立場に置かれてもなるべくなら変わらないでいたいものだと、そういう人たちを見ていると、そう思う。

 

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首が回らねえ

9月12日(月)

昨日の会合は、朝9時半から夕方5時近くまでの長丁場で、疲れたけれど大変充実した会合だった。

久しぶりの再会もあり、新しい出会いもあった。僕は一度にたくさんの人に会うと「人あたり」してしまうのだが、昨日はそんなことはなかった。

会合が終わってから、ひょっとして打ち上げとかあるのかな?と思っていたが、さすがにこのご時世なので、なんとなく流れ解散になった。

僕はホテルに戻ってから、むしょうにお腹がすいたので、「孤独のグルメ」を気取ってそばを食べに行った。

食べ終わって、ちょうどホテルの部屋に戻ったタイミングで、電話が鳴った。会合に参加した、同い年の友人である。

せっかく久しぶりに来てくれたのに何もおもてなしできなくてごめん、いえいえ、こういうご時世だから仕方ないね、ほんとうはビールでも飲みながらじっくり話したいと思っていたんだがな、などとひどく残念がっていたが、いつしか電話の内容は、彼のここ最近のさまざまな出来事の話題になった。

あいかわらず波瀾万丈の日常生活を送っているなあと、ジェットコースターのような彼の話術とも相まって、繰り出す話題のひとつひとつが可笑しくてたまらなかった。しかし彼は、僕と同じ、深刻な悩みを抱えていた。

それは、いろいろなところに首を突っ込んで、首が回らなくなる、ということである。

僕と彼は、必ずしも性格が似ているわけではないのだが、なぜか馬が合う。それは、「いろいろなことに首を突っ込んでしまい、首が回らなくなる」という点で共通しているからだとわかった。つまり、性格は似てないが、性分はそっくりなのである。

自分で蒔いた種、といえばそれまでなのだが、いまの僕も、いろいろと首を突っ込みすぎて、首が回らない。今日もさっそくあちらこちらから催促のメールが矢のように飛んできた。締め切りがとっくに過ぎている仕事を、すべて「今月中には必ず仕上げます」と返信してしまったが、はたしてそんなこと、ほんとうに可能なのだろうか?僕はそのことを考えただけで、パニックになる。

しかし、同い年の友人が同じ境地にあると考えると、なぜか少し安心する。諸方面の仕事の関係者にごしゃがれる前に、仕事を片付けなければと、新たに決意したのだった。

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まだ生きている

9月10日(土)

旅の空。

少し時間があったので、美術館まで足を運ぶ。「県美展」をやっていた。県美展とは、「広く県民から美術作品を公募し、優れた作品を展示することにより,創作活動を奨励するとともに,鑑賞の機会を提供し,芸術文化の向上に資する美術の祭典」である。

とくに知り合いが出品しているというわけでもなかったのだが、ここを訪れたのも一期一会、と思い、県美展を見てみることにした。こういう展覧会に足を踏み入れたことがなく、美術の素養のない僕のイメージとしては、県民の人たちが趣味で美術制作をしたものを展示する機会なのかな、と想像していたのだが、そうではなかった。

絵画や彫刻や工芸など、さまざまな美術作品が展示されているが、やはり目を引くのは絵画である。出陳作品の多さもさることながら、どの絵画も、目を奪われるほどのすばらしさである。どれも渾身の力で描いていることがひしひしと感じられた。

作品の下には、その絵画のタイトルと、名前が書いてある。さらに、その中のいくつかには、「○○賞」とか、「賞候補」といった札が貼ってある。つまり、どの絵画が賞を取って、あるいは賞の候補となったのか、あるいは惜しくもそこに届かなかったのか、などがわかるようになっている。

しかし僕が見たところ、どの作品が賞にふさわしいか、というのは、甲乙つけがたい。この作品がなぜ賞を取り、あの作品がなぜ賞が取れなかったのか、紙一重の問題ではないかとも僕には思われたが、きっと見る人が見れば、賞にふさわしい作品と惜しくもそうでない作品には、それなりの違いがあることがわかるのかもしれない。

僕が印象に残ったのは、老人男性を描いた絵画、おそらく自画像であろうか。その老人の部屋には、横尾忠則の肖像画と、ゴッホの「アルルの跳ね橋」の絵が飾ってある。ゴッホの「アルルの跳ね橋」は、黒澤明監督の映画『夢』に登場していたので、すぐにわかった。その老人が気に入っている絵画だろうか。

この絵画のタイトルを見ると、「まだ生きている 描いている」とあった(正確ではないかも知れない)。僕はその絵画に描かれている老人男性の境地を思い、まだそこまでの境地に達していない自分とを、重ね合わさずにはいられなかった。

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1年後の講演を忘れずに

9月7日(水)

あまりにも忙しいので、書くことがない。

講演、で思い出したが、そういえば7月の後半頃だったか、講演依頼のメールが来た。かいつまんで書くと、次のような内容である。

「大変ご無沙汰しております。○○県△△課の××××です。ご相談させていただきたいことがあり、メールさせていただきました。令和5年の9月10日(日)に、鬼瓦さんにぜひご講演をお願いしたいと考えています。まずは、ご講演をお願いできるかということご検討いただければ幸いです。ご多忙のところ大変申し訳ございません。よろしくお願いいたします。」

令和5年の9月10日といえば、1年後ではないか。しかも日にちも決まっている。1年後のピンポイントの日付で講演依頼が来るというのは、おそらく初めてである。

依頼をしてきた方は、メールに「大変ご無沙汰しております」と書いているが、申し訳ないことに、名前を拝見して、顔が思い浮かばなかった。しかしその方の所属機関から推測するに、過去にお会いしている方であることは容易に想像できる。

最近、そんなことが多い。一昨日も、ある機関の方と名刺交換をしたときに、僕はその方のことを知らなかったが、相手は僕のことをよく知っていた。俺は意外と有名人なのか?

そんなことはともかく。

1年先の予定なんぞ、どうなるかはわからない。「1年後の9月10日は空いてますか?」と言われても、そんな先の予定まで決まっているはずもない。だいいち、無事に生きているかどうかもわからないのだ。それに、1年後の予定を早めにおさえる必要があるほどの価値のある人間でもない。2代目引田天功じゃないんだから(2代目引田天功は、10年先までスケジュールが埋まっていると以前発言していた)。

でもまあありがたいことのなので、お引き受けすることにした。忘れないように、ここに書きとめておく。

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やっぱり無事じゃなく終わりました

9月4日(日)

成功裡に終わった昨日のイベントから一夜明けた今日は、まる一日巡検の予定である。

イベントが終わったあと、巡検のリーダーが言った。

「明日の巡検なんですけど」

「はい」

「台風の影響で天気がどうなるかはわかりませんけど、もし天気が大丈夫だったら、午前中に登山したいと思います」

「登山、ですか」

僕は、できれば登山をしたくない。大病を患ったあとの体力の低下に加え、コロナ禍の運動不足で登山に対する自信がすっかり失われているのだ。

「登山…って、どのくらい歩くのですか?」

「山の中腹まではタクシーで行って、そこからなだらかな自然歩道を30分ほど歩きます。で、山頂から反対側に降りるまでが30分なので、全部で1時間くらい歩くでしょう。多少のアップダウンはあるみたいですが、大丈夫だと思いますよ」

「あの…僕、そうとう歩くのが遅いので、その2倍くらいかかると思いますよ。足手まといになりかねません」

「大丈夫ですよ。休みながら行きましょう」

僕は、翌日が大雨になることをひたすら祈った。

さて、今朝起きて、ホテルの窓の外を見ると、晴れ間がのぞいている。

(ああ…やはり登山をするのだな)

貸し切りのタクシーに、巡検の参加者3人が乗り、目的の山の中腹にある駐車場でおりる。

「さあ、ここからいよいよ歩きます」

最初は、木陰の涼しさだとか吹く風の気持ちよさを感じて、これならハイキング気分で大丈夫だろうと思っていたが、だんだんと道が険しくなり、さらに足場も悪くなった。そもそも僕は、ガッチガチの扁平足なので長く歩くことにむいていないのだ。そのうえ、昨日のイベント用に革靴を履いてきちゃったものだから、それもあってさらに足が痛くなる。

極度の運動不足なので息も上がり、周りを見る余裕もなくなった。

僕以外の2人は、僕とほぼ同い年でありながら、じつに健脚である。僕はだんだん、自分がダメ人間のように思えてきた。

しかし僕は、もともとが満身創痍なのだ。この満身創痍ぶりをいくら伝えようとしても、たぶんだれにも理解されないだろう。

考えてみれば、頂上に登るのだから、いくらなだらかといっても、ある程度山道を登るわけだ、というか、ぜんぜんなだらかではなかった。

やっとの思いで山頂に着き、そこから反対側の斜面を降りていって、そこで待ち構えていた貸し切りのタクシーに乗った。タクシーの中は、天国のような涼しさだった。

時間を見ると、お昼の12時になっている。9時半頃に登りはじめたから、2時間半も登山をしていたことになる。しかも革靴で。

当然汗かきの僕は、全身ずぶ濡れのような状態になった。

「昼食のあとは、街なかを見てまわるだけですから問題ないです」

と言われたが、貸し切りのタクシーに乗ったかと思ったら降り、のくり返しで、しかも午後になると気温が上がり直射日光を受けるので、木陰を歩く山道よりもある意味キツい。

「ここからちょっと歩くだけですから」

と言われたが、その「ちょっと」も、塵も積もれば山となる、で、日差しの強い中を、かなり歩くことになった。

考えてみたら、座って休んだのが、昼食のために入ったうどん屋さんのときと、貸し切りのタクシーに乗っているときだけである。

キツそうに歩いていると、ほかの人たちに「かわいそうな目」で見られるし、つくづく、自分がイヤになった。

ということで、やっぱり無事じゃなく終わりましたが、台風の影響もなく、予定通り夜の飛行機に乗って無事に帰ってきました。

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無事に終わりました

9月3日(土)

朝、泊まっているホテルから会場に向かう。午後からお客さんを入れるイベントがあり、僕がそこで50分ほど基調講演することになっている。

他にも何人かが発表を行い、最後に全員が登壇して、パネルディスカッションを行う。

コロナ禍では、2020年以降、講演会はオンラインでしかしてこなかったが、こうして実際に聴衆を前にして話をするのは、ほんとうに久しぶりである。

とくに、僕が基調講演をして、ほかの人も喋って、最後に全員が登壇する、という形式のイベントは、2017年10月以来である。

無事じゃなく終わりました

この種のイベントは、いつも不安である。

それは、僕の体調がもつかという問題と、僕みたいな人間が基調講演などというエラそうなことをしてよいのかという根本的な疑問にいつも苛まれているからである。

いつもそれで、前日は自己嫌悪に陥り、寝付きが悪くなる。

その上、天気は不安定である。台風の影響なのか、前線の影響なのか、雨が降ったりやんだりしている。

さて今朝、窓から空を見上げると、雲は厚いが、どうやら雨は降っていないらしい。

〔これは天気がもちそうかな?〕

しかし、ホテルを出て、電車に乗って会場に向かう途中で、大雨が降り出した。ヒクほどの大雨である。

目的地の駅を降りたときには、大雨はさらに強まっていた。駅から会場までは、歩いて5,6分のところなのだが、その時間を歩くだけでもずぶ濡れである。

こんな大雨の日に、わざわざ会場に足を運ぶお客さんなんぞいるのだろうか?僕はますます不安になってきた。なにしろ、事前申込制ではないので、当日、どのくらいの人が来るのかが読めないのだ。

しかし幸いにして、午前中に控え室で打合せをしている間に、先ほどまでの大雨がやんだ。

イベントの始まる10分前に会場に入ると、僕が想像していたよりも、お客さんが入っている。あとで聞いたところでは、100名ほどのお客さんが聴きに来たそうだ。

さあ、いよいよイベントの開始である。

驚いたのは、僕を含めて、他の方々全員が、与えられた時間を時間を正確に守ったことである。通常は、話しているうちに、自分の持ち時間をオーバーしてしまうことがよくあるのだが、というか、僕はいつも持ち時間をオーバーしてしまう傾向にあるのだが、このイベントでは、登壇した全員が、持ち時間を正確に守って喋ったのだ。こんなpunctualなイベントは、僕自身も経験したことがなかった。

そしてイベントは、きっちりと予定の時間に終わった。イベント全体の中身も、いま流行の言葉で言えば、いい感じで「グルーヴ」していた。

準備段階から、いろいろと気を揉んでいたと思われるイベントの主催者は、終わった後に、

「久しぶりに楽しく仕事ができました」

と安堵の表情を浮かべていた。主催者に喜んでもらうのが、いちばんうれしい。

というわけで、今回は無事に終わりました。めでたしめでたし。

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続・忘れ得ぬ人

9月2日(金)

今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!

今日は久しぶりに飛行機に乗り、旅の空です。

前回書いた「忘れ得ぬ人」。さっそく高校時代の親友・コバヤシからメールが来た。

「また大分昔のことを思い出したものですね。

あの旅のことは、断片的ではありますが、何となく覚えています。

大垣夜行の中で一緒になったサークルの先輩は○○○○さんという方で、あの後ほとんどサークルには顔を出さなくなったので、その後は全くと言っていいほど接点がありませんでした。

ただ、大学院に行ったとは聞いていたので、何年か前にふと思い出してネットで検索してみたら、今は○○大学の教授になっていました」

この後も、そのときの旅の思い出が続くが、そこは省略する。

僕も、その名前をもとに、インターネットで検索をかけてみた。すると、コバヤシの言ったとおりだった。

その人を紹介するとある新聞記事に、こんなことが書いてあった。

「…研究室のドアを開けると、真っ先に目を引くのが友人のキューバ土産という、チェ・ゲバラのフラッグ。ラテンアメリカ関連のサブカルチャー本やDVD、CDも所狭しと並んでいる。…北九州市の門司で生まれた。理系の姉たちと異なる分野で、他人とも違うことをしたいと社会学を専攻し、プエルトリコの社会や文化を専門に選んだ。「エスニック・スタディーズが隆盛になってきたころで、多人種性、多文化性を問う新しいテーマだった」。その後、政治、経済、文学、メディア、文化人類学といった学問領域を横断的視点で分析する「カルチュラル・スタディーズ」が登場。これが自分の分野だと直感した。入学した大学では教員が当たり前に政治的発言をしていて、それが今の自分につながっていると言う。99年に○○大学に就職。2003年から研究のため、2年間ニューヨークで暮らした。…」

このあと、市民運動にめざめ、今も活動を続けている、と書いてあった。

僕は前回の記事で、「あのようなサバサバした性格で、初対面の僕にも気軽に話しかけてくれた人だから、いまでもどこかで持ち前のコミュニケーション能力を生かして活躍していることだろう」と書いたが、僕の勝手な願望を裏切らない人生を歩んでいた。福岡出身ではないかという僕の推測も、その通りだった。「忘れ得ぬ人」には、そのように思う然るべき理由があるのかも知れない。

コバヤシからのメールで気になったのは、「何年か前にふと思い出してネットで検索してみたら、今は○○大学の教授になっていました」と、彼自身も、何年か前に彼女のことをふと思い出したことである。その後ほとんど接点のなかったという彼にとっても、人生の一場面に通り過ぎた「忘れ得ぬ人」なのだろう。

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忘れ得ぬ人

9月1日(木)

TBSラジオの「東京ポッド許可局」という番組の中で、「忘れ得ぬ人々」というコーナーがある。

「ふとしたとき、どうしているのかな?と気になってしまう。自分の中に爪跡を残している。でも、連絡をとったり会おうとは思わない。そんな、あなたの「忘れ得ぬ人」を送ってもらっています。」

という趣旨のコーナーで、僕はたまにラジオクラウドで聴いているのだが、これがそこはかとなくよい。

今日、たまたま聴いた中に、「青春18きっぷで北海道を旅したときに親切にしてくれたキヨスクの店員さん」についてのエピソードが紹介されていた。

「青春18きっぷ」、懐かしい響きだなあ。いまでもあるのだろうか。

その響きから、僕の記憶の扉が開いた。

大学に入学して間もない頃だったと思う。いまから30年以上前。

季節は忘れたが、大学の長期休業期間を利用して、高校時代の親友・コバヤシと、青春18キップで、西日本を一周する旅に出た記憶がある。

「青春18きっぷ」といえば、「大垣夜行」。東京から東海道線の普通列車に乗って、岐阜県の大垣まで行く夜行電車がある。青春18きっぷを使って関西に行くときには、東京を午前0時より少し前に発車するこの電車が必ずといっていいほど利用された。

僕たちもご多分に漏れず、この「大垣夜行」に乗り込んだ。「大垣夜行」は、ほんとうの普通列車で、2人ずつが対面する、いわゆる4人一組のボックスシートに座らなければならない。座り心地は、決していいものではない。

僕とコバヤシがある席に座ると、対面の座席に座った女性が「あら」と声を上げた。コバヤシはびっくりした顔をしている。

その女性は、コバヤシが通っている大学の、しかも同じサークルの先輩らしい。そりゃあ、びっくりするはずである。まさか、こんな場所で、知り合いがいるなんて思ってもみなかっただろうから。

しかし、「旅は道連れ世は情け」とはよくいったもので、ここで会うのも何かの縁。長い鉄道旅の道中、とくにやることもないので、コバヤシとその女性の先輩は四方山話をし始めた。初対面の僕も、やがてその会話に参加した。

その女性の先輩は、じつにサバサバした方で、とにかく話題が面白くて話が尽きない。僕も、女性とお喋りする機会なんてほとんどなかったから、つい調子に乗って話し始めた。ま、青春18切符を買って1人旅をするくらいだから、僕らみたいな人間と話をするのも、苦にならなかったのだろう。

なぜ、その女性の先輩が、1人で大垣夜行に乗っていたのか、よく覚えていないが、たしか故郷が九州、それも福岡だったと聞いたので、ひょっとしたら九州に帰省するために「大垣夜行」に乗ったのかも知れない。

なぜ、故郷が九州だということを覚えているかというと、いろいろと話しているうちに、その先輩の高校時代の担任の先生の名前が、僕が知っている先生だったからである。正確に言えば、僕は、ある雑誌で、その先生の文章を読んだことがあり、その先生の居住地が、九州だったのだ。そして、その先生の苗字が、めったに聞かない「次郎丸」だったので、僕はその先生の名前を覚えていたのである。

「変わった先生だったよ」

「そうでしょうね。文章からわかります」

人間、話してみるもんだ。どこでどんなつながりがあるかわからない。そんなこんなで、時間を忘れて3人で話し込んだ。

そうこうしているうちに終点の大垣駅に着いた。そのあと、すぐに別の普通電車に乗り換えるのだが、その女性の先輩とは、そこで別れたのか、それとも、僕たちの最初の目的地である倉敷(だったと思う)まで一緒に行動したのか、いまとなってはまったく覚えていない。

そこから先の旅はもう、記憶が茫洋としている。はたしてそんな旅をしていたのかどうかすら、あやしくなってきた。

しかし、大垣夜行のボックスシートで、3人で話し込んだことだけは、よく覚えている。あのようなサバサバした性格で、初対面の僕にも気軽に話しかけてくれた人だから、いまでもどこかで持ち前のコミュニケーション能力を生かして活躍していることだろう。もちろん、名前も連絡先もわからない。それ以来会うことはなかったし、これからも会うことはないだろう。なるほどこれこそが、一期一会の「忘れ得ぬ人」なのだろうと、いまになって思う。

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オンライン派と対面派

「すべての人間は2種類に分けられる。オンライン波と対面派だ」

これはおなじみ、映画『スウィングガールズ』中の名台詞、

「すべての人間は2種類に分けられる。スウィングする者と、スウィングしない者だ」

のパロディーである。しかし、このコロナ禍において、「オンライン派」と「対面派」があぶり出されたことは、間違いないと思う。

世の中には、どうしても対面でないとダメだという人がいるようだ。ある人は、感染状況がどんなに深刻でも、あれこれと理由をつけて現地に赴き、対面で仕事をするという。先方が「ちょっと感染状況がアレなんで、できればオンラインで…」と言っても、「政府は行動制限をしていないじゃないか」とごねて、むりやり飛行機に乗って現地参加したそうだ。とにかくオモテに出たくて仕方のない人がいるらしい。

また、こんなケースもある。オンライン会合を想定していたら、どうしてもハイブリッド形式(対面とオンラインとの併用)にしたいと言ってきた人がいた。隙あらば自分は対面で参加したいというのである。そればかりか、自分の気に入った人に声をかけて、対面参加を呼びかけたりもしている。ははぁ~ん、これは、あとで仲良しグループで飲みに行くつもりだな、ということにすぐに気づく。

つまり世の中には、「とにかく外に出たい人」「とにかく誰かと会食したい人」たちが、このコロナ禍にあって、さらにその衝動が抑えがたくなっているのである。

そこへ行くと僕は完全な「オンライン派」である。もちろん、どうしても現地に行かなくてはならない場合は、当然移動はするが、なるべくならオンラインで済ませたい派なのである。

今日の会議は、最初は現地参加するつもりだったのだが、7月後半の段階で、ほかの用事とバッティングしてしまうことが判明した。

片道だけで4時間ほどかかる場所を日帰りするのだから、いちにち仕事である。これではどう考えてもほかの用事と時間がバッティングしてしまう。しかし、オンラインであれば、会議の時間だけは参加できる。

僕はダメ元で、

「この日の会議、オンラインで参加することはできますか?」

と聞いてみた。ダメ元で、と言ったのは、この会議がいままで一度もオンラインで行ったことがなく、対面が原則だったからである。小さな組織なので、そもそもオンラインに対応した環境を整える余裕がなかったのだろう。

僕はそういう事情を知っていたので、おそるおそる、オンライン参加の希望を出してみたのである。すると、

「検討してみます」

という返信が来た。

これまでの経験上、難しい注文だったかな?という気がした。これまでも、この種の会議でハイブリッド形式を採用すると、何度となくうまくいかなかったからである。ましてや、数人しか事務スタッフのいない組織で、イチからハイブリッド形式の会議の環境を整えるということができるだろうか。集音マイクやZoomの契約など、予算の問題もあるだろうし、Wi-Fiの環境もよくわからない。

不安な気持ちで待っていたら、数日前に、先方からZoomのミーティングIDとパスコードが送られてきた。

2日前、接続テストをしてみたら、うまくつながった。

「無事につながりましたね」

考えてみればあたりまえである。ZoomのミーティングIDとパスコードさえ正しく入力すれば、たいていは接続するのである。

しかし問題はここからである。

「いま、パソコン同士ではつながりましたけれども、会議室では、パソコンではなく大きいモニターに接続して、そこから画面と音声を出すのですよね」

「ええ」

「それと、会議室にいる方々の発言も聞き取れるかどうかちょっと不安で…」

「会議室のマイクについては、集音マイクを準備したので大丈夫だと思います。モニターからの音声については、これから実験してみます」

「わかりました」

さて、会議当日を迎えた。

10分前に入室すると、会議室はすでに準備万端である。事前に少しマイクテストをして、会議の時間を迎えた。会議室の音声もほぼ問題なく聞き取れ、こちらから発する声もクリアに会議室に聞こえていたようだった。

ということで、大成功である。

僕がわがままを言ったせいで、オンラインを併用したハイブリッド会議について準備を進め、本番で滞りなく会議ができた、というその裏には、周到な準備とそうとうなご苦労、あるいはひょっとするとオンライン会議の実現に向けての各課へ根回しなんかもがあったかもしれない、と想像し、準備にかかわった事務スタッフのみなさんに敬意を表さずにはいられなかった。

そこでふと思った。

先方がオンラインでの参加を望んでいるのに、どうしても対面で参加したいというわがままと、先方が対面で参加してほしいと望んでいるのに、オンラインで参加したいというわがままと、どっちがよりわがままだろうか。

これ考えると、眠れなくなっちゃう。

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