続・忘れ得ぬ人
9月2日(金)
今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!
今日は久しぶりに飛行機に乗り、旅の空です。
前回書いた「忘れ得ぬ人」。さっそく高校時代の親友・コバヤシからメールが来た。
「また大分昔のことを思い出したものですね。
あの旅のことは、断片的ではありますが、何となく覚えています。
大垣夜行の中で一緒になったサークルの先輩は○○○○さんという方で、あの後ほとんどサークルには顔を出さなくなったので、その後は全くと言っていいほど接点がありませんでした。
ただ、大学院に行ったとは聞いていたので、何年か前にふと思い出してネットで検索してみたら、今は○○大学の教授になっていました」
この後も、そのときの旅の思い出が続くが、そこは省略する。
僕も、その名前をもとに、インターネットで検索をかけてみた。すると、コバヤシの言ったとおりだった。
その人を紹介するとある新聞記事に、こんなことが書いてあった。
「…研究室のドアを開けると、真っ先に目を引くのが友人のキューバ土産という、チェ・ゲバラのフラッグ。ラテンアメリカ関連のサブカルチャー本やDVD、CDも所狭しと並んでいる。…北九州市の門司で生まれた。理系の姉たちと異なる分野で、他人とも違うことをしたいと社会学を専攻し、プエルトリコの社会や文化を専門に選んだ。「エスニック・スタディーズが隆盛になってきたころで、多人種性、多文化性を問う新しいテーマだった」。その後、政治、経済、文学、メディア、文化人類学といった学問領域を横断的視点で分析する「カルチュラル・スタディーズ」が登場。これが自分の分野だと直感した。入学した大学では教員が当たり前に政治的発言をしていて、それが今の自分につながっていると言う。99年に○○大学に就職。2003年から研究のため、2年間ニューヨークで暮らした。…」
このあと、市民運動にめざめ、今も活動を続けている、と書いてあった。
僕は前回の記事で、「あのようなサバサバした性格で、初対面の僕にも気軽に話しかけてくれた人だから、いまでもどこかで持ち前のコミュニケーション能力を生かして活躍していることだろう」と書いたが、僕の勝手な願望を裏切らない人生を歩んでいた。福岡出身ではないかという僕の推測も、その通りだった。「忘れ得ぬ人」には、そのように思う然るべき理由があるのかも知れない。
コバヤシからのメールで気になったのは、「何年か前にふと思い出してネットで検索してみたら、今は○○大学の教授になっていました」と、彼自身も、何年か前に彼女のことをふと思い出したことである。その後ほとんど接点のなかったという彼にとっても、人生の一場面に通り過ぎた「忘れ得ぬ人」なのだろう。
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