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控えの美学

9月16日(金)

今週も、よくぞ、よくぞTBSラジオ「アシタノカレッジ金曜日アフタートーク」までたどり着きました!

今週もめちゃくちゃ辛かった。

火曜と木曜は僕がホスト役のハイブリッド形式の会合。とくに木曜は、自分がZoomのホストだったので、前日の水曜日の午後に職場で接続テストをしたりして、けっこうたいへんだった。

そして今日の午後は1時半から5時半まで休みなしの二つのオンライン会合。

その後、締切を過ぎてしまった原稿を書き続けたのだが、まったく終わりが見えず、作業を切り上げた。

TBSラジオ「アシタノカレッジ金曜日」のゲストコーナーを、帰宅途中の車の中で聴いていたくらいだから、どのくらいまで仕事をしていたかは推して知るべしである。

今日のゲストは、ジャングルポケットの斉藤慎二さんだった。

ジャングルポケットが、3人組のコントグループであることくらいは知っている。NHKのEテレの「どーもくん」という子ども向け番組のレギュラーだったことも知っている(今でも続いているのか?)。というか、そのときの印象がいちばん強い。コントは、テレビで何度か見たことがあるが、やはり3人の中では斉藤さんのインパクトがいちばん強い。

どういうコントをしていたか、どういう芸風なのか、あまり覚えていなかったのだが、「ジャングルポケットのコントは演劇的」という武田砂鉄氏の指摘を聞いて、なるほどそうだったと少し思い出した。なにより斉藤さんは、たしかミュージカルの舞台も踏んでいたと記憶する。

印象的だったのは、「ジャングルポケットのコントは、オチに救いがある」という言葉。「誰も傷つけない笑い」という言い方ではなく、「オチに救いがある」という言い方が、そこはかとなくよい。俄然、ジャングルポケットのコントを観たくなったが、テレビではあまりやらないのだろうな。

以前、武田砂鉄氏と心理学者の東畑開人氏がかつてこの番組で対談していた中で「控えの選手」について話が弾んでいた。武田砂鉄氏も東畑氏も、中高生時代は運動部の控えの選手で、決して表舞台に立つ人間ではなかった。しかし控えの選手のほうが、ベンチでさまざまなことを考え、さまざまな思いを抱き、さまざまな人間を観察する能力を身につけるようになる。いつも表舞台に立つレギュラー選手は、そういうことにあまり気づこうとしないし、気づくことができない、と、正確ではないがたしかそんな内容だったと思う。

ジャングルポケットの斉藤さんも、高校生の頃は野球部の控えの選手だったらしい。やはり控えの選手の経験者は、ある種の共通した特徴を持っているのだろうか。今回もその話題が少しだけ出たのである。

僕は運動部ではなかったので、控えの選手という経験はなかったのだが、気持ちとしては、どこにいても控えの人間だ、という思いがある。

適切な例でないかも知れないが、「前の職場」にいた頃、高校の出前講義によく行かされた。前の職場には人気の同僚がいて、「○○先生を出前講義に呼びたい」と、名指しでその同僚を指名してくることが多かった。しかし人気講師なのでなかなか先方の希望に添えない場合が多い。そのときに、僕は「控えの選手」として登板したものである。先方はガッカリしていたが、でも僕は、それがとても心地よかったのである。

なので、僕も「控えの選手」という立場にとても居心地のよさを感じるのだが、どういうわけかたまに、ハナっから表舞台に立たされることがある。僕はそれがとても苦痛だし、恥ずかしいと感じてしまう。

控えの選手が先頭に立つことほど居心地の悪いことはない。

だから僕は、そういうときには先頭に立つふりをして、いつも後ろに隠れることにしている。そうしないと、僕が大好きな人間観察ができないのである。

人の先頭に立つと、まわりの人がみえなくなる、ということは、つまりそういうことなのだと思う。

武田砂鉄氏とジャングルポケットの斉藤さんとのトークの中で、そんなことはまったく語られなかったけれども、僕はそのトークに触発されて、トークの内容とはまったく関係ないことを想起したのだから不思議である。

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