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2022年10月

ハロウィンパーティー

10月30日(日)

保育園の同じクラスの人たちによるハロウィンパーティーが、近所の公民館で行われた。

詳しい事情を話せば長くなるのだが、例年、保護者会が主催して保育園全体のハロウィンパーティーを行っていたのだが、今年度から保護者会が解散となり、何の行事も行われなくなった。先日の運動会のとき、うちの娘のクラスの母親たちが中心となって、このままでは寂しいので、うちのクラスだけでもハロウィンパーティーをしようということに決まったそうなのである。「そうなのである」というのは、うちの家族はその意志決定にとくにかかわっていないからである。

そこから、同じクラスのママ友たちのグループLINEというものが作られた。どんなハロウィンパーティーにしたらよいかという話し合いが、グループLINEを通じて行われたのである。

ふしぎなことに、そのグループLINEにはパパ友は入れてもらえない。なのでどのような話し合いが飛び交っているのか、一切わからないのだが、妻によると、猛烈な勢いでLINEのやりとりが行われているという。しかしそこにパパ友の意志が反映されないというのは、どうにも腑に落ちない。しかもこの当日は、妻が仕事で不在なので、僕が娘を連れて行かなければならない。ただいま体の節々が痛い僕にとっては、そうとうにハードルの高い行事である。

ま、いずれにしても、わが家の方針は「流されるままに参加する」ということになった。娘はもちろん参加する気満々だし、「めんどくさいんで参加しません」という選択肢はあり得ないのである。

「当日は、大人たちはビールやシャンパンを飲みましょう」という提案がまわってきた。おいおい、昼間っから飲む気満々なのかよ!俺はノンアルはだから関係ないけどね。

ああいうときって、いろいろなものを持ち寄らなきゃいけないのだが、僕はお酒を飲まないのでお茶とジュース、それにみんなに配るお菓子などを準備して持っていくことにした。

ハロウィンパーティーはお昼頃から始まったのだが、さっそく大人たちはアルコールを飲んでいる。僕はアルコールは飲まない上に、そもそもパパ友と呼べる人もいないので、だれも話し相手がいない。子どもたちはそれぞれ勝手に遊び回っているし、開始早々公民館は修羅場と化し、阿鼻叫喚の世界と変貌していった。

今年最大の「手持ち無沙汰Day」だな、と思って、そうした喧噪から離れて、しばらくボーッと過ごすことになった。大人たちにはまったく話しかけられなかったが、あるときから、子どもたちがずいぶんと僕のまわりに寄ってきた。

おそらく、子どもたちはヒマそうにしている大人(僕)を見つけて、格好の遊び相手になると思ったのだろう。あるいは僕のことを、珍しい動物か何かと勘違いしているのかもしれない。僕も子どもと話しているほうが気楽なので、子どもの話につきあっているほうが楽しい。子どもは(この場合は4歳児とか5歳児だが)、わけがわからないことを一生懸命に話すので、とてもおもしろい。僕もその話に合わせて、子どもたちの独特の世界観に入り込むのが、嫌いではないのだ。

大人たちはあいかわらずアルコールを飲み続けて親交を深めている。ひとり、どうしても服装の気になる人がいた。だれのママなのかはわからないのだが、服装の見た目が「ウォーリーを探せ」にそっくりなのである。赤い横縞のシャツに、メガネに、毛糸の帽子。

あれは、ハロウィンパーティー用の仮装なのか?それとも日常着なのか?そればかりが気になって仕方がなかった。赤い横縞のシャツをよく見ると、どうやらかなり着古しているらしいので、日常着の可能性が高い。「それ、仮装ですか?」とよっぽど聞いてみたかったが、そんなことをうかつに聞けるはずもなく、そのことばかりが最後まで気になって仕方がなかった。

夕方5時前にパーティーは終わった。公民館はすっかり酒臭くなっていた。アルコール連中は、その後子どもたちを連れて2次会に行ったらしい。元気だねえ。僕はすっかり疲れてしまった。

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20世紀劇としての「耳をすませば」

10月2日(日)

いま公開中の映画、『耳をすませば』(実写版)を、4歳7か月の娘と二人で観てきた。

4歳の娘には難しい内容かな、と思ったのだが、つい最近、ジブリアニメ版の『耳をすませば』が放送され、その録画を娘が何度かくり返し観ていたので、娘も抵抗なく観てくれるだろうと思ったのである。僕はジブリ映画全般にそれほどの思い入れがないから、一人だったらまず観に行かなかっただろうと思う。

同名の原作漫画が発表されたのが1989年で(ちなみに僕は原作漫画は未読である)、ジブリアニメ版は1995年に公開されている。今回の実写版は、その10年後の物語ということで1998年という時代設定なので、ジブリアニメ版は、原作が書かれた1989年頃の時代設定だったということか。

今回の実写版では、10年前の回想シーンが幾度となくあらわれ、ジブリアニメ版を観ていると、それがどういう場面だったかを思い出すことができる。つまり、ジブリアニメ版を観てから実写版を観た方が、より楽しめるということである。

驚いたのは、隣で観ていた4歳の娘である。ある回想場面で、娘は僕に耳打ちした。

「このあと、指切りげんまんをやるよね」

僕はジブリアニメ版の細かい場面描写をあまり覚えていなかったので、本当にそうかなあと思って観ていると、その言葉通りほんとうにその回想場面の最後で指切りげんまんをしていた。ジブリアニメ版を何度かくり返し観ていた娘は、実写版の回想場面がアニメ版のどの場面にあたるかを、しっかりと覚えていたらしい。まったく、娘の記憶力のよさにはいつも驚かされる。

僕は、この原作やアニメ版の熱烈なファンというわけではないので、今回の実写版と、原作やアニメ版との細部の違いにひとつひとついきり立つようなこともなく観ることができた。印象としては、キャスティングがどれも見事にハマっていて、脇を固める人に至るまで行き届いているキャスティングだと感じた。

ただ、この映画を観る上で、注意が必要だと思う点が一つあった。それは、時代設定が1998年ということである。「10年後の物語」とはいっても、設定は決して現在ではなく、四半世紀近く前なのである。当然、映画の観客はそれを前提として観ていると思われるので、いまさら指摘するまでもない。

映画の中では、携帯電話もパソコンも出てこない。実際、1998年は携帯電話やパソコンがそれほど普及していなかったことは事実である。そればかりではなく、たとえば会社の事務室でたばこは吸い放題だし、「パワハラ」という言葉もなかった。

いまだったら、そういったことの一つ一つに強烈な違和感を抱くだろう。本来ならば、

「編集長、いまのその言葉、パワハラですよ」

という台詞が出てきてもおかしくない場面で、部下は上司に罵倒されっぱなしである。鍋料理を囲んでいるとき、女性が男性に対してあたりまえのように小鉢に取り分ける場面も、いまならば違和感を抱くしぐさである。しかし映画では、女性がそれをあたりまえのようにして、男性がそれをあたりまえのように受け入れている。

実際のところ、1990年代頃はそんな時代だったのだ。その頃を知らない人が見たら、演出に違和感を抱くかもしれないが、時代のリアリティーを重視するならば、その演出は正解なのである。

僕がいちばん違和感を抱いたのは、いちばん最後、つまりラストシーンである。感動的なハッピーエンドでこの映画が終わるのだが、いま、この「アップデートされた時代」にどうにかついて行っている僕からすると、

「そんな終わらせ方でいいの?」

という疑問がどうしても残ってしまった。しかしそれも冷静に考えれば、1998年だったらこの結末が最高のハッピーエンドとして受け入れられたのだろう、ということはよくわかる。演出側はあえてその当時の価値観をリアリティーをもって示したかったのだろう。

つまり何が言いたいかというと、この映画は「20世紀劇」として観る映画であり、演出側の意図も徹頭徹尾その点にあったのではないか、ということなのである。

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この暗い部屋の片隅で

10月28日(金)

今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!

来春のイベントの準備で、しんどい日が続く。

どうしてこんなにしんどいイベントを考えついちゃったんだろう。事態はどんどんしんどい方向に向かっていく。

イベントの準備自体が、楽しくないわけではない。楽しいことは楽しいのだが、しんどいのである。

より楽しむためには、手間を惜しんではいけない、ということなのだろうか。

今日は朝から都内某所で技師さんと作業をした。

そうねえ、たとえて言えば、僕が映画監督だとしたら、撮影監督と一緒にロケを行った、というような仕事である。

いい絵を撮ろうと、撮影監督はこだわる。もちろん監督も、である。対象物を最もいいコンディションで撮るために、カメラの角度を決めたり、照明の位置を調整したり、そのたびに立ったり座ったりとみずからの肉体を酷使し、地味にきつい体の動かし方をする。ただでさえ体の節々が痛い僕をよりいっそう痛めつけてくる。

それも暗い部屋の中で、朝の10時から18時半過ぎまで作業が続き、休めたのは昼食休憩の30分だけである。この地味な仕事を延々していることは、そこにいる人たち以外、だれも知らない。

終わった頃には全身が動かなくなるほど疲労が蓄積した。大して運動していたわけではないのに、なんという満身創痍ぶりだ。

このイベントの準備をすればするほど、自分のやっていることが映画監督という立場とダブって見えてくる。もっとも、僕は映画監督というのが具体的にどんな仕事をするのかは知らないのだが、黒澤明監督や大林宣彦監督や是枝裕和監督の映画のメイキング映像などを見ると、ああ、昨日俺がやった作業は映画でいう絵コンテを描く作業にあたり、今日やった作業はロケにあたるんだな、みたいなことが、なんとなくわかってくる。編集はたいへんそうだなあ、とか。

そういえば若い頃の僕の夢のひとつが、映画監督になることだった。いまやっているイベントの準備は、映画制作にあたるんじゃないだろうか。だとしたら、肩書きを「代表者」ではなく、「総監督」にしてもらいたいものだ。それだけでずいぶんと心持ちが違ってくる。

そうか、自分は映画監督である、と思い込めば、いまやっているさまざまな辛い仕事も、少しは報われるかもしれない。映画を作るようにイベントを作ろう。やっぱり辛いとか、やっぱり自分にはセンスがないとかを思い知らされ、結局は打ちのめされるかもしれないけれど、どんな形であれ、いま自分の置かれている立場の中で自分の夢に近づくことは可能である。人生の夢は常に自分に微笑みかけている、と思い込むことにしよう。

疲れてなんだかわからない文章になったので、今宵はここまで。

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表現力について

10月27日(木)

前回の記事で、久石譲の「人生のメリーゴーランド」がビッグバンド用の編曲にとてもよくマッチしていて、どことなく「Beautiful Love」というジャズの名曲を彷彿とさせる、といったようなことを書いたが、それに対して、高校時代の親友・元福岡のコバヤシがすぐにメールをくれ、「そう言われてナルホドと気付きました」と書いてくれていた。

「人生のメリーゴーランドは短調、すなわちマイナーのキーが4小節続き、その後の4小節は長調、すなわちメジャーに転調します。この展開はBeautiful Loveも一緒ですし、有名な枯葉も同じような構成です。

ちなみに私のオリジナル曲もマイナーで始まり、少し間をはさんでメジャーに転調するので似たような感じは有ります。

そもそも自分も含めて日本人はマイナーの曲を好むというか、感情移入しやすい傾向にあると思います。

そうすると、貴君が私の演奏で感心したのも、私の演奏技術より、日本人好みのマイナーの曲だったからでしょうか。う~ん」

すごい。僕の音楽に対するざっくりとした感覚を、理論立てて説明してくれている。ナルホドと思ったのはこっちの方である。

僕はジャズにぜんぜん詳しくないのだが、それでもなんとなく頭の中にその引き出しができているのは、高校時代に同期のコバヤシや1年下の後輩からいろいろなことを教わったからである。先日のミュージアムコンサートで、「リカード・ボサノバ」(ギフト)という曲をこれからやりますと聞いて「おおっ!」と思ったのは、高校時代にボサノバ好きな後輩にイーディ・ゴーメがいいと奨められたからである。僕はイーディ・ゴーメのレコードを買って、ある時期、くり返し聴いていた。人生において、なにひとつとして無駄な知識はないのである。

コバヤシはメールの別のところでこんなことを書いていた。

「ちなみに私の今の演奏技術は学生時代よりも相当衰えています。ただ成長したとすれば、歳を重ねた分、技術とは違う表現力がついたのかもしれませんね。もし、年齢を重ねたことがほんとうに表現力の向上に繋がったとするならば、嫌々続けたサラリーマン生活も無駄ではなかった、ということでしょうか」

そう、無駄ではなかったということである。技術の衰えを表現力でカバーする、というのは、僕が職業的文章を書く場合でも同じである。

表現力についての考察は、別の例でもう少し書いてみたいところだが、疲れたので次の機会に書く。

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人生のメリーゴーランド

久しぶりに、高校時代の親友・元福岡のコバヤシからメールが来た。

「鬼瓦殿

ブログを読む限り、どうにかこうにか何とかやってるみたいですね。でも相変わらず、仕事を詰め込んでるのを見ると、人間変わらないものだなあと、つくづく思います。

先程、貴君のブログでミュージアム コンサートに行き、また人前で演奏してみたい、と書いていたのを読み、久しぶりにメールしようと思いました。というのも、10月に入り先週末、先々週末と私自身が人前で演奏する機会が有り、その楽しさをしみじみと実感していたからです。

ちなみに先々週末は奈良の○○寺というお寺で、この夏から参加し始めた大阪のビッグバンドで演奏し、この週末は門司港で10年来続けている福岡のカルテットで演奏しました。

久しぶりの人前の演奏でしたが、やはり観客に向かって演奏するというのは、演奏の出来自体はともかく嬉しいものですね。所詮、自己満足でしかないのですが、やはり人に見て欲しいという欲求が自分にもあるのだなあと、つくづく思いました。

貴君も諦めずに是非また挑戦して欲しいものです。

ということで、先週土曜の門司港の演奏を知り合いが撮ってくれた映像のアドレスを添付するので興味があれば聴いて見てください。学生時代に作曲したオリジナルを33年振りに演奏してます。

ビッグバンドの方はYoutubeで検索すると出てきます。「人生のメリーゴーランド」という曲でソロを吹いています」

送られてきたリンクをたどり、演奏を聴いてみた。

門司港でのカルテットの演奏は、コバヤシのオリジナル曲で、彼の演奏を堪能できた。高校の後輩で、CDを出したりしているサックス奏者もいるのだが、コバヤシの演奏がはるかに心にすっと入り込むのは不思議である。むかしから聞き慣れた音だからだろうか。若い頃よりも上手くなっている。若い頃からどんな演奏をやりたいのかがはっきりしていて、軸がぶれていないな、と感じる。

奈良の古刹での演奏はビッグバンド編成で、どれも親しみやすい曲ばかりだった。彼がソロをとった「人生のメリーゴーランド」。すごく聞いたことがある曲で、何の曲だったかな?と調べてみたら、宮崎駿監督の映画『ハウルの動く城』の劇伴音楽で、久石譲が作曲したものだった。どうりで心に残るはずである。

この曲をビッグバンドのためにアレンジしたものなのだが、妙にマッチしている。どことなく「Beautiful Love」というジャズの名曲を彷彿とさせるからかも知れない。そう感じているのは僕だけかも知れないが。

僕自身の演奏は叶わなくても、職場にミュージシャンを呼んでコンサートをしたい、などという思いに駆られる。

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四十熱、五十熱

10月25日(火)

今日の「大竹まこと ゴールデンラジオ」で、小島慶子さんが「四十熱、五十熱」の話をしていた。

男性にその傾向が多いそうなのだが、年齢が40歳に近づくと、「俺は何事も成し遂げていない」と思い立ち、会社を辞めたり家を買ったりみたいなことをする。ある程度時間がたつとその熱は冷めるのだが、今度は50歳に近づくと、また「俺は何事も成し遂げてない」という思いに取り憑かれ、そばを打ったり、釣りをはじめたり、乗り慣れない大型バイクに乗ったりする。そういう熱に浮かされた状態のことを四十熱、五十熱というのだという。小島慶子さんのオリジナルな仮説だそうだ。

たしかに、40歳を機に会社を辞めてフリーになった人を知っているし、50歳を機にやはり会社を辞めて別の会社に移った人も知っている。ただ、後者の事例は女性だったので、必ずしも男性ばかりに言えることではないかもしれない。

僕はというと、40歳を目前にして韓国に留学し、滞在中に40歳になった。これが、転機といえば転機といえるかもしれない。そのとき、自分は何かを成し遂げようとしたのだろうか、よく覚えていない。

では50歳のときはどうだったかというと、50歳を目前にして子どもを授かった。これも大きな転機だが、ただこれはたまたまタイミングがそうなっただけである。

では、何かを成し遂げたかというと、とくにいまのところ何も成し遂げてはいない。大竹まことさんや武田砂鉄さんは目の前の仕事をこなすのが精一杯で、そんな先を見通したことなどないと言っていたが、僕も同じようなものかも知れない。

しかし一方で、妙にそういった年齢の区切りを意識する人がいることも事実である。この違いが何に由来するのかは、興味深い問題ではある。

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ミュージアムコンサート

10月23日(日)

自分が住んでいる市の市報に、市内の博物館でミュージアムコンサートがあるという記事が載っていた。人数制限があるので抽選制だったが、家族が応募したところ、見事に当選して、家族で行くことになった。

同じ市内といっても、自宅からはバスを乗り継いだりして、交通の便が必ずしもいいわけではなかったが、それでも僕がそのコンサートに惹かれたのは、サックスとピアノのデュオだったからである。若い頃、アルトサックスを吹いた経験のある僕は、久しぶりにサックスの生の音色が聴けることに、胸が躍った。

ただ僕は、そのコンサートに関してはサックスとピアノのデュオによる演奏であるという情報しかわからない。だれが演奏するのか、といったこともわからないまま、会場に着いたのである。

会場の一番前の席を陣取った。見ると、グランドピアノの横に、すでにソプラノサックスとテナーサックスの2台が並んで立てかけられている。

しばらくして、開演時間になった。主催者の簡単な挨拶が終わると、いよいよ演奏者の登場である。

あらわれたのは、おじさんふたりだった。まさに「おじさん」と呼ぶにふさわしい男性である。僕はてっきり、というか、何の根拠もなく、サックスとピアノのデュオは、女性の方なのではないか、と想像していた。なぜなのかはわからない。博物館の小さな講堂の中で行われる、ユルいコンサートを想像していたからだろうか。だとしたら、僕の中でジェンダーバイアスがかかっていたといわざるを得ない。

もうひとつ驚いたのは、ピアノ奏者の方が、サックス奏者の方の手を引きながら、会場にあらわれたことである。サックス奏者の方は、目の見えない方だったのである。

僕は、ありとあらゆる狭小な思考や偏見が自分自身の中にあることを恥じた。

さて、演奏が始まった。忘れないうちに、演奏された曲を覚えている限りで書きとどめておく。

1.ヘンリー・マンシーニ「酒とバラの日々」

2.ルイ・アームストロング「On The Sunny Side Of The Street」

3.映画『カサブランカ』より「As Time Goes By」

4.「リカード・ボサノバ」(ギフト)

5.スタン・ゲッツ「ティズオータム」

6.ソニー・ロリンズ「マック・ザ・ナイフ(モリタート)」

7.「枯葉」

8.「Autumn In New York」

9.「Fly Me To The Moon」

サックス奏者の方によると、とくにこの曲をやると決めてきたわけではなく、成り行きでこういう曲順になったという。それにしても、ピアノ奏者の方との相性は抜群だった。

何より凄かったのは、ピアノ奏者の方が、楽譜も鍵盤も一切見ずに、サックス奏者の演奏に寄り添って演奏していたということである。ここでアドリブを終えて主旋律に戻る、というタイミングは、演奏者同士でアイコンタクトをしながら決める、なんてこともあるらしいが、サックス奏者の方は目が不自由なのでそれができない。ピアノ奏者の方は、ひたすらサックス奏者の演奏を見つめながら、タイミングを見計らって、アドリブを繰り広げ、さらにそれをサックスの主旋律に返していく。その呼吸が、ピッタリなのである。その一点だけで、このふたりの揺るぎない信頼関係というものが感じられた。

1時間程度の予定だったが、1時間半近くコンサートは続き、最後は30人ほどの会場が大きな拍手で包まれた。

いささか大げさだが、僕は音楽とは何だろうということについて、考えずにはいられなかった。そしてまたいつか自分もアルトサックスの練習をして人前に立ちたい、という希望がわいてきたのであった。

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集合知

いまやカルト教団問題で、ジャーナリストの鈴木エイトさんはマスコミに引っ張りだこだそうだ。僕は最近テレビを観ないのでテレビのことはわからないのだが、ラジオやYouTubeでは、その活躍ぶりはよく知っている。

ある動画配信のトークイベントで、鈴木エイトさんの話をじっくり聞いたのだが、これがなかなかおもしろかった。

取材対象が取材対象だけに、怖い目にあったりもするようなのだが、それに対して臆することもなく、むしろ自分への対応の仕方から、その人の人間性とか、カルト教団との距離感とかが可視化されることを楽しんでいる。なかなかメンタルがタフな方である。

もっと感服したのは、自身を「野良系ジャーナリスト」と称し、大手マスコミが取り上げない問題を地道に追いかけてきたにもかかわらず、それを自分の手柄として独占することなく、大手マスコミにも惜しみなくそのデータを提供しているという。

自分ひとりの取材だけでは限界がある。そういうときには、大手マスコミに投げて、組織の力で調査してもらう。そうすることで、それぞれのマスコミが切磋琢磨してスクープ合戦をすることも可能になり、ジャーナリズムが健全化する、というのである。

ふつう、ジャーナリストが手にした「特ダネ」は手放さないものだが、鈴木エイトさんはそんなことにはこだわらないという。

たとえば、カルト教団の総裁と複数の人物が並んで写っている写真があるとする。カルト教団の総裁の周りに並んでいる人物は、名前と顔が一致する人もいれば、「この人だれだろう?」と思う人も並んでいる。

そんなとき、SNSに写真をアップして、人物の特定を呼びかける。そのSNSを見た人から、瞬時にその答えが返ってくることがある。「左から2番目の人は○○党の○○議員ですよ」とか。そのおかげで、カルト教団と政治家との関係が明らかにすることができる。

わからなければ人に聞けばよい、というスタンスで、SNSを活用して成功した事例といえる。

つまり、自分ひとりでは限界があることでも、多くの人の知識をたぐり寄せれば、大きな力になるということだ。いわゆる「集合知」である。

なぜこんなことを書いたかというと、僕がいま準備している来年のイベントも、「集合知」によって成り立っているからだ。

僕がいま準備しているイベントというのは、かなり飛躍した比喩でいうと、「人探し」をするイベントなのである。ある写真をもとに、この写真に写っている人はだれだろう?今どこにいるのだろう?ということを調べる、そんなイベントである。

当然、ド素人の僕にそんなことが解明できるはずはない。そこで、その道に詳しい人に聞く。すると、そういう人たちは、みずからが持っている知識や情報を惜しみなく提供してくれる。そしてその知識や情報を僕が集積して、「集合知」として披露する。そんなふうに、たくさんの人に助けられながら、イベントの準備を進めているのだ。

その過程で、「集合知」がいかにすばらしいことかを今、実感しているのである。若い頃は、手柄は全部自分のものだ、なんて考えがあったりしたけれど、今はもう、あんまりそんなことにこだわらなくなった。この業界、手柄は自分のものだと自分で主張していかないと這い上がれない世界で、それはそれで生きづらいこともある。それよりも、「集合知」によっていろいろなことが明らかになったほうが、視野や知識は広がり、世の中はもっとおもしろくなるんじゃないだろうか。

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老害天国

10月22日(土)

体がひどく疲れていることもあり、できることなら休みたかったオンライン会合だったが、午後にどうしてもちょっとした発言をしなければならないため、午前の部はお休みさせてもらい、午後の部から参加することにした。

このオンライン会合は、毎回憂鬱である。なぜなら、明らかに老害と呼ぶにふさわしい人が参加しているからである。

毎回、よくもまあ、人を逆なでするような発言ができるなあと、逆に感心してしまうのであるが、僕はその人との関係が薄いので、基本的には聞き流し、無視を決め込んでいる。

しかし僕以外の人たちは、どうやら以前からその人にお世話になっているらしく、しかもかなり年下の人ばかりなので、その人の「悪意ある冗談」には苦笑をするリアクション以外とりようがない。

「こういうことがわかるのは、○○○○さん(故人)と私だけ。○○○○さんは亡くなっちゃったけどね」

と、ヘンに自信がおありなのも滑稽である。

ああいう人をいさめる人がいない、というのも、じつに悲しい話である。

威勢のいいことを言うので、マスコミにも重宝され、テレビの人気番組に出たりする。マスコミに重宝されているからいい人とは限らないことを、この人は教えてくれる。

そういえば先日、やはりテレビで活躍する同業者が、僕の愛聴するラジオ番組に出演していた。僕はその人の実像を知っていたので、その人が僕の愛聴するラジオに出演すると知って、何か汚された思いがした。

案の定、その内容は酷いものだった。ラジオだからなのか、つい本音が出てしまったらしく、上から目線の自慢話に終始していた。

「テレビに出ている同業者なんて、みんな偽物ですよ。僕だけが本物です」

といったニュアンスのことを言っていて、爆笑してしまった。むかし何かのコントだったか、ある人が占い師に占いをしてもらおうと、路上にいる何人かの占い師から一人を選んで占ってもらったところ、

「ここにいる占い師はだいたい偽物です。僕だけが本物の占い師です。あなたお目が高い」

とその人にささやいた、という話を思い出した。その同業者も、やがて老害と呼ばれるようになるのだろう。

やれやれ、そういう人間にはなりたくないから、早く引退したいものである。

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朝から是枝監督

10月21日(金)

今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!

もうすぐ4歳7か月になる娘は、是枝裕和監督の映画「海街diary」にハマっている。

朝、起き抜けに、自分が観たいテレビが観たい、と言いだしてきかない。

「何が観たいの?」

ときくと、

「さちとすずが出ている映画」

という。「さち」とは綾瀬はるかで、「すず」とは広瀬すずの役名である。

朝っぱらから「海街diary」かよ!ちょっと重いなぁ、と思いながら観るのだが、観ていると、やっぱりこの映画はいいなあと思ってしまう。もちろん、映画は好き嫌いの問題だから、好かない、という人もいるだろうが、僕は是枝監督のちょっとした演出にやられてしまう。

しかし、何度か観ているうちに、ちょっと違和感を覚えるところがあった。

冒頭、鎌倉に住む三姉妹が、自分たちを捨てた父が亡くなったという知らせを受け、その葬儀に出るために父の終焉の地を訪れるという場面がある。東北のひどく田舎な町で、一両編成のローカル鉄道に乗って無人駅のような駅に着くと、そこに腹違いの四女(広瀬すず)が迎えに来ている。

その場所というのは、僕の「前の勤務県」だったところである。僕は久しぶりに観たその映画で、僕のかつての勤務県が映画の舞台の一つになっていることにあらためて気づき、ある感慨を覚えたのだが、しかしどうも違う。

僕はわりと県内をくまなくまわっていたつもりだが、走っているローカル鉄道の車両は、見たことがないがないし、駅舎もなじみがない。その「父」というのは、最後は温泉で働いたという設定になっているが、その温泉の名前も、聞いたことがない。

その違和感に微妙な心地悪さを感じたのだが、調べてみると、実際には異なる県でロケをしていた、ということが判明した。だから、ローカル鉄道の車両も、駅舎も、全然違う県で撮影されていたということになるのだ。

それで疑問は氷解したものの、違和感は拭えない。

ヘタにその土地について詳しいがゆえに、そういったところに引っかかてしまう、というのは、僕の悪い癖だろうか。

でも考えてみれば、いちいちそんなことを考えていたら映画やドラマなんぞ見ていられなくなってしまう。つい最近観た映画「さかなのこ」だって、さかなクンの出身地である館山で全編ロケをしたわけではなく、どうやら沼津でもロケをしているらしい。そんなこといったら、「南極料理人」だって、南極ではなく北海道でロケをしていたのだ。

NHKのドラマ「阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし」(これも娘は見続けている)も、名古屋制作の番組なので、一部阿佐ヶ谷も登場するが、おそらくロケの大半は名古屋あたりなのだろう。

いつぞや娘と一緒に阿佐谷に行ったときに、阿佐ヶ谷姉妹の住む実際のアパートがドラマのアパートとは違っていたり、通っていた喫茶店もドラマと違っていたりすることに娘は気づき、かなり戸惑っていた。

そんなことをいちいち気にしていたら、映画やドラマには入り込めないのだが、どうも僕と娘は、そういうところにこだわることについては、そうとう似ているようである。

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オーディオブック

10月18日(火)

今日もあいかわらず、クッソ忙しかった。終日、オンライン会議だったのだが、オンライン会議の最中に、交渉相手に手紙を書いたり、メールを書いたり、メールの返信を書いたりと、相変わらずのマルチタスクである。

そんなことはともかく。今日も何も書くことがない。

そういえば少し前に、旧知の編集者からメールが来た。

以前出した僕の本を、オーディオブック化しようという試みがあるので、もし同意いただけるようであれば、同意書に印鑑を押して返送してくれ、という内容である。

僕は驚いた。なぜなら、その本は、まったく売れなかった本だからである。謙遜ではなく、まったく話題にもならなかった本なのだ。

それをオーディオブック化する、というのはどういうことなのか?メールにはこうあった。

「オーディオブックは、目の不自由な方にも本を読む楽しさを味わっていただけるなど、多くのメリットがございます。この機会に、ぜひ先生のご著書もオーディオブック化させていただきたく、ご連絡を差し上げました。」

そりゃあわかる。目の不自由な方にも本を読む楽しさを味わってもらうことは大切である。しかし、ただでさえ需要のまったくなかった僕の本を、オーディオブック化するほどの価値があるのだろうか?

しかし、一方で期待がないわけではない。オーディオブックってことは、だれかが僕の本を音読するってことだよね。だれが担当してくれるんだろう?

僕のiPodには、江守徹が朗読する『罪と罰』と、佐藤慶が朗読する『日本国憲法』が入っているが、そういう俳優さんとかが朗読してくれるのか?夢が膨らむなあ。

もしご存命だったら、刑事コロンボの声を担当した小池朝雄さんに朗読してもらいたい、というのが第一の希望なのだが、それはもう叶わぬ夢である。

しかし冷静に考えれば、そういうベテラン俳優が朗読するとなると、ギャラが高くなる。もともと売れない本なのだから、赤字になることは確実である。

調べてみると、声優事務所に所属している若い声優さんあたりが、どうやらオーディオブックの朗読を担当しているようなのだけれど、僕の本は昭和の文体なので、若い声優さんが読むにはおよそ似つかわしくない。

だとすれば、いったいどんな人が読むのだろう?

…と、ここまで書いて、ふと気づいた。

編集者のメールには、「オーディオブック化しようという試みがある」と書いており、オーディオブック化する、とは書いていない。つまり、まだどうなるかは、わからないのだ。

どうなるかわからないけれども、とりあえず同意書だけは先にとっておいてしまえ、上からNGが出たらなかったことにすればいいや、と、そういうことではないだろうか。

そういえば、いついつまでに、オーディオブックにしますとも何とも言われていない。

ということは、これは期待はするなということなのだろう。

でも、万が一、俳優に読んでもらいたいとしたら…

松重豊さんにお願いしたい!

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映画を何で観るか

10月17日(月)

今日は、職場の一斉休業日。建物全体が停電になるので、職場からのメールが絶対に来ない。それだけで、これほどまでにすがすがしい気持ちになるのは、ふだんよほどストレスがたまっているのだろう。昨日は具合が悪くなり、ほとんど動けなかったが、強い薬を飲んだせいか、今日はなんとか体調を持ち直した。

しかしながら、出版社からの原稿の催促と、交渉先からの難しい条件の提示、といったメールはふだん通りやってくる。それでまたメンタルがやられてしまう。

そんなことはともかく。

4歳6か月の娘は、以前にも述べたように、2時間19分の映画を、途中で飽きずに見続けることができる。ま、「さかなのこ」という映画だったからかもしれないが、ほかにも「シン・ウルトラマン」や「シング ネクストステージ」「バズ・ライトイヤー」といった長編映画を飽きずに観ているのだから、実はすごいことなのではないか。

どうも、保育園の同じクラスのお友だちは、飽きっぽい子がいるようで、じっとしていられない子が多いようなのだが、うちの娘は、じつに集中力がある。

映画を何で観るか、という問題を時々考える。

僕は「監督」で観る傾向がある。黒澤明監督とか、大林宣彦家督とか、是枝裕和監督とか、ポン・ジュノ監督とか。しかし、最近は、テレビで映画のCMが流れても、監督名があらわれないものがほとんどである。映画にはもう作家性が求められなくなってきているのだろうか。

「映画を監督で観る」と豪語する僕も、「さかなのこ」と「南極料理人」が同じ沖田修一監督だということに気づかなかった。監督がブランドにならない時代に、すっかり僕も慣らされている。

対して妻は、映画をストーリーで観る。だれが撮ろうと、だれが出演しようと、そんなものはどうでもよく、ストーリーがおもしろければそれでよいのである。だから映画のスタッフやキャストをやたらと気にする僕の映画の見方には、かなり批判的である。

娘はどうやら、僕の映画の見方と同じで、ストーリーよりもむしろ、出演者が気になるようである。

小池栄子を「まさこさん」と呼ぶのは、大河ドラマの役名である。

綾瀬はるかは「れいこさん」と呼ぶ。これはフジテレビのドラマ「最後の遺言状」の役名である。

この両方のドラマに出ていたのが大泉洋さんだが、ふしぎなことにこの「大泉さん」だけは「大泉さん」と本名で呼ぶ。

斎藤工は「うるとまらん」と呼ぶ。ほかのドラマとか、CM に出ていても、「うるとまらん」だとすぐにわかるらしい。

竹野内豊と一緒に、タクシーアプリのCMに出演している前原滉という俳優がいるのだが、そのCMを観るたびに「大高さん!」という。NHKのドラマ「阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし」の「大高マネージャー」役で出ているの覚えているのである。

しかも先日観た「さかなのこ」にも、ぜんぜん雰囲気の違うツッパリ役で出ていた。最初は気づかなかったようだが、「大高さんだよ」というと、「あ~」と反応したから、たぶんわかったのだろう。

つまり、俳優がどんなに扮装しても、たとえば、時代劇でちょんまげのカツラをかぶった人がふつうの現代劇に出ても、人のよさそうな役柄の人が不良の役を演じても、娘は、同一人物であると見抜く才能を持っているのである。

今日なんか、以前録画しておいた是枝監督の映画「海街diary」を観ていて、長女役の綾瀬はるかを見て、「あ!れいこさん」、次女役の長澤まさみを見て、「あ!うるとまらんに出ていた人!」、三女役の夏帆を見て、「あ、ミー坊のお友だち!」(映画「さかなのこ」より)と、同定できていたからね。唯一、四女役の広瀬すずはまだ娘のデータベースの中にはないらしい。

でも、そんなふうに映画を観るというのは、ほんとうはよくないのかもしれない。これを突き詰めていくと、「おまえ、それって映画論ではなく、役者論だろ!」といいたくなるような映画評論家に成り下がってしまうことになりかねない。それは避けたい。

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かばんと折りたたみ傘を買いに行く

10月15日(土)

通勤で持ち歩いているかばん(リュックサック?デイパック?)と、折りたたみ傘が壊れたので、一番近い繁華街まで買いに行くことにした。

いままで使ったリュックは、BEAMSというブランドで、アウトレットモールで買ったものである。けっこう気に入っていたので、こんども同じBEAMSのものにしようと思って、自宅から一番近いBEAMSの店に行ったら、ちょっと高級感があふれているのと、おしゃれな若者が集まっていて、ポンコツおじさんには入りにくい。それでも意を決して店の中に入り、リュックを物色するのだが、値段が書いておらず、どうやら「オブジェ」として置かれているものらしい。値段が書いていないということは、相当高価なものなのだな、とあきらめて、店を出た。

結局、別のかばん屋さんで、自分の好みに合うリュックを見つけた。同じ店には、折りたたみ傘も売っていた。最近は、いろいろなタイプの傘があって判断に迷う。僕の希望は、「できるだけ軽量」「開いたときにできるだけ大きい傘」の2点である。

一つ変わった折りたたみ傘を見つけた。開くと、傘の後ろ側が伸びて、リュックサックを背負っていても濡れない、というものである。ふだん、リュックを背負っている身としては、かなり便利かも知れないと一瞬思ったが、実際に傘を差しているモデルの写真を見ると、なんとなく間抜けな姿にみえて、あきらめ、一般的な折りたたみ傘にした。

そうこうしているうちに夕方になった。今日は、同じ保育園に通っている娘のお友達のご両親と、飲み会なのである。こういうのをママ友とかパパ友っていうの?でもはじめて話すのだから友だちというわけではない。

うちの娘とそのご両親のお嬢さんは、ふだんからとても仲がよいみたいで、一度親子同士で揃って会食をしたかったらしい。こっちはなんとなくはぐらかしていたのだが、あちらのご両親の熱心なアプローチに押されて実現と相成ったのである。

娘が保育園に通い出して4年間、ママ友やパパ友といえる人は1人もいないので、こういうとき、どういう会話をしていいか、わからない。

しかも、向こうの両親は2人とも理系で体育会系で社交的だし、こっちはガッチガチの文系で文化系で引きこもり系である。なかなか話題が合わない。

それでも向こうは気を使って、自分たちの素性やさまざまな話題を提供してくれる。しかしこっちはなかなかの秘密主義なので、自分の素性を明かすタイミングを逸してしまう。

向こうのパパが大谷翔平のことが好きすぎる、という話題を振ってくれた。大谷翔平だったら、さすがに共通の話題になるだろうと思ったのだろう。しかし僕は、そもそも野球にまったく興味がないし、大谷翔平がすごい選手だということだけはわかるが、具体的なデータを持ち合わせているわけでもない。困ったあげく、

「大谷選手は、人格者ですね」

とか、

「たしか、岩手の高校でしたよね」

くらいしか反応できなかった。

そんなこんなで、気がついてみると3時間が経っていた。打てど響かぬ僕たちに、あちらのご両親は不満だったかも知れないが、3時間も続いたということは、それなりに楽しんだのだろうか。もともと社交的な人というのは、話題が合わなくても、こちらがあまり素性を明かさなくても、それなりに楽しむ術を身につけているのかも知れない。だからこそ社交的なのだろう。

「こんどはいっしょにお泊まりしようね」

と、その両親は娘たちに語りかけていたが、はたしてどうなるか。

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今度は折りたたみ傘が壊れた

10月14日(金)

今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!

今日もクッソ忙しかった。イベントのための下交渉をしたり、構成を考えたり、僕の苦手なことばかりが次々と襲いかかる。

こんなにたいへんなものなのか?この種のイベントって。

僕はこのイベントの準備を始めるようになってから、恥ずかしながらこの歳になってものの見方が変わった。

イベントを実現させるためには、無数の見えない仕事がある。名前のない仕事、といってもよい。それらが僕の前に次々と立ちはだかるのだが、それをひとつひとつ自分で解決しないことには、前に進めないのである。あたりまえのことだが。

そんなの、チームでやればいいじゃん、と思うかもしれないが、あいにく人手が足りない。しかも、ある段階のところからは、あんたが責任者なんだから、最終的にはあんたが判断しなさいよ、と突き放される。ま、それも仕方のないことではあるのだが、それにしても、どんなイベントであれ、それを準備するのはたいへんなのだ。

例の悪名高い国葬儀も、言ってみればイベントである。首相が「国葬をします!」と言ってしまったばかりに、それを準備する人たちはドタバタと振り回されたに違いない。首相にしてみたら、「寝ている間にこびとがやってくれた」くらいにしか思っていないのだろう。

その1週間ほど前に、同じ場所で行われたTBSラジオ「たまむすび in 武道館」も同様だっただろう。メインパーソナリティの赤江珠緒さんが、「10周年記念を武道館でやります」と言っちゃったものだから、プロデューサー以下スタッフたちはたいへんな苦労をしたと、プロデューサーがどこかのメディアで述懐していた、ということを武田砂鉄氏が指摘していた。ま、国葬儀とは異なり、結果的にみんながハッピーになったのだから、結論はやってよかったということなのだろう。

いずれにしても、思いつきのイベントは無数の「名もない仕事」に支えられているのだ、ということに、思いを馳せるべきなのだ。自分の頭の中にある思考だけが尊いのではないことを思い知らされる。

…と、そんなことをつらつら考えていたら、折りたたみ傘が折りたためないことに気づいた。傘の柄の部分が、いくら力ずくで押しても、短くならないのだ。そんなことってある?なんでいきなりそんなことになっちゃんたんだろう?

仕方がないので職場に捨ててきた。思い入れは特にない。

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リュックが壊れた

10月13日(木)

あまりにクッソ忙しく、書くことがまったく思い浮かばない。こういうのを、思考停止と言うんだろうな。

今日、通勤で使っているリュックサックが壊れた。10年近く使っていたもので、気に入っていたので、かなりショックである。僕は調子に乗って、リュックサックの中にノートパソコンだの本だのと、これでもかと重い物を詰め込んで毎日通勤していたので、さすがに金属疲労ならぬ、リュック疲労を起こしてしまったらしい。こんなことなら、もう少し大切に扱えばよかった。

どう壊れたのかを説明したいのだが、その部位の名称がわからない。そこでまず、リュックサックの部位について調べてみることにした。

というか、そもそも僕が担いでいたのは、リュックサックだったのだろうか?

そこからまず調べてみると、よく知られるように、いくつもの言い方がある。あるサイトに書かれている内容をもとにまとめると、

●デイパック【daypack】…1日分の荷物がジャストで収まるくらいのサイズのもの。明確な定義はないが、概ね容量30L以下のものをこう表現することが多い。

●バックパック【backpack】…背中=バックに背負うカバンのことで、いわゆるアウトドア用ザックの総称。デイパックのような小ぶりのサイズから、テントや寝袋が収まる大型のものまですべてバックパックといえる。

●リュックサック【rucksack】…リュックサックとはドイツ語では「ルックサック」と発音し、ruckは背中を意味するRuckenから、sackは袋を示すことから、“背に負う袋”の意味になる。

●ナップサック【knapsack】…バックパックの古い呼び名のひとつ。日本においては、ショルダーストラップの代わりにベルトではなく紐が使われている“巾着袋”タイプのものがこう呼ばれる。

と、ざっとこれだけの名称がある。してみると僕がふだん担いでいるのは、デイパックに相当するものだろうか。

次に、リュックサックの部位の名称について調べてみる。登山用のリュックサックは、じつに多くの部位があり、それに合わせて多くの名称があることに驚いた。今回の目的は、登山用のリュックサックの部位の名称を覚えることではない。もっと簡単な名称を知りたいのだ。

デイパックは、大きく分けて、ものを入れる袋の部分と、両肩に担ぐための紐みたいな部分の、二つがある。この二つの名称さえわかれば十分なのだ。

で、調べてみると、ものを収納するメインの袋の部分を「メインコンパートメント」というそうだ。そして、肩に通して背負うための部位を「ショルダーストラップ」といい、別名を「ショルダーハーネス」というそうだ。なるほど、勉強になる。

で、僕のデイパックがどんなふうに壊れたかというと、左側のショルダストラップ(ショルダーハーネス)がメインコンパートメントに入れた荷物の重さに耐えかねて、上の方、つまり肩側のほうから切れてしまったのだ。左側のショルダーストラップ(ショルダーハーネス)がぷらんぷらんになってしまったのである。ふだん僕は、左肩側のショルダーストラップ(ショルダーハーネス)だけを肩に引っかけて歩くことが多いので、右肩側のショルダーストラップ(ショルダーハーネス)よりもふだんから負荷がかかり、それで切れてしまったのだろう。つまりいまは、右肩側のショルダーストラップ(ショルダーハーネス)だけが、かろうじてくっついており、右肩だけでデイパックを担ぐことしかできないのである。

いや、もっと正確に言うと、左肩側のショルダーストラップ(ショルダーハーネス)が切れる以前に、別のところが切れてしまっていた。それは、片手でカバンみたいにデイパックを持つときに使う、メインコンパートメントのてっぺんあたりにある、「輪っか状の持つところ」があるでしょう。あそこが最初に切れたのである。

ところで、あの「輪っか状の持つところ」は、何て言う名前なの?いくら調べてもわからない。

というかこの文章、かなりクドいな。部位の名称で説明すればわかりやすいと思ったのだが、かえってわかりにくくなってしまった。

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ファンレター

10月11日(火)

ひとり合宿、2日目。

2日目が本番。今回はいつも以上に過酷だった。痛いとかそういうのはないのだが、とにかく過酷である。全体の流れは、すっかり覚えているのだが、やはり毎回、2日目の過酷さにひるんでしまう。いつまで経っても慣れない。この過酷さは、だれにも伝わらないだろうな。

4歳6カ月の娘は、つい最近までTBSテレビで放送されていた金曜ドラマ「石子と羽男」を夢中になって観ていた。いまも、録画したものを頻繁に観ている。

どうせ例によって漫画かなんかが原作なんだろう?と思っていたら、西田征史さんという人の脚本によるオリジナルの作品なんだね。しかもこの西田さんという人は、元お笑い芸人らしい。

僕は、娘が熱心に観ている横で、観るとはなしに観ていた、という程度なんだが、出演者がどれも好感が持てて、観ていて飽きなかった。

有村架純と中村倫也のダブル主演だが、そういえばずっと以前、「前の職場」で有村架純に雰囲気が似ている教え子がいた。顔が似ているとかそういうわけではなく、おっちょこちょいの感じやおっとりした感じ、それでいてめげない感じなどが、よく似ていたのである。だから有村架純を見るたびに、その教え子のことを思い出す。

そんなことはともかく。

「石子と羽男」のことが好きすぎた娘は、ドラマが終わったことにひどくショックを受け、番組宛てに手紙を書くことにした。娘はひらがながようやく読めるようになった程度で、少しずつ書けるようにはなっているのだが、それでも、書いたものを実際に読んでみると、ほとんど暗号の世界である。

たとえば、「ん」は「W」のように書く。「も」は鏡文字のように書いたり、「は」は、左側にある縦棒が右側に来たりする。慣れてくると、何が書いてあるかなんとなくわかる、という程度である。

しかし娘は手紙を書きたくて仕方ないらしく、「石子」(有村架純)、「羽男」(中村倫也)「石子の父」(さだまさし)「大庭さん」(赤楚衛二)の4人に充てて、それぞれ手紙を書いた。そしてその手紙の裏には、それぞれの人の似顔絵を付けたのである。もちろん、娘の書いた文字をそのまま送ったのでは、何と書いてあるかわからないから、その下に、大人が翻刻したものをつけた。

せっかく書いたのだから、このままにしておくのはもったいない。封筒に宛先を書いて、TBSの「石子と羽男」係に送った。そもそも終わってしまったドラマ宛に送って、無事に受け取ってくれるのかどうか、わからない。

それでも、手紙を書くことはいいことである。これに味をしめて、どんどん手紙を書いてくれるといいと思う。もっとも、熱しやすく冷めやすいのが娘の性格なので、どうなるかはわからない。

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くつろげない定宿

10月10日(月)

ひとり合宿、初日。

もう何度目になるのかわからないが、すっかり常連さんである。

受付で手続きをすませ、

「2階に行って、抗原検査を受けてください」

と言われる。1階が受付、2階が検査室である。そんなことも、もうわかりきっている。

検査室の窓口に行くと、だれもいないので、ベルを鳴らす。

「はい、いま行きます」

とおじさんの声。あ、あのおじさんだな、とすぐにわかる。

「お待たせしました。鬼瓦さんですね」

窓口越しに書類を受け取ったそのおじさんは、

「抗原検査しますのでこちらへどうぞ」

と私の顔見た瞬間、

「あ!鬼瓦さんじゃないですか」

と、まるで知り合いのような反応をした。

「僕のこと、わかります?」

とおじさんは、自分のことを指さした。

「ええ、知ってますよ(名前はわからないけれど)。何度もお世話になってますから」

と言うと、そのおじさんは安堵した表情を浮かべた。

抗原検査をすませると、いつもは検査室の奥の方の薄暗いスペースに座って待たされる。万が一陽性の場合、ほかの患者との接触を避けるためだろう。しかし今日は違った。

「結果が出るまで30分ほどかかるので、どうぞ待合室でテレビでも見ながら待っていてください」

まるで、

「待っている間、テレビでも見てくつろいでいてください」

と、わが家に僕を招待したような言い方である。おいおい、いいのかよ!

もう完全に僕は、この家の子なんだな。ひとり合宿の部屋も、毎回同じ403号室だし、まるで定宿である。

扱いもだんだんいい意味でぞんざいになってきて、「ほったらかしにされている感」が、ますます強くなっている。

しかしこんなことは決して喜ばしいことではないのだ。早く「ひとり合宿」のループから脱け出したい。

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よろしくどうぞひとつ

10月9日(日)

近石真介さんの訃報を知る。91歳で老衰で亡くなったとのこと。つい先日、「はがきでこんにちは!」の後継番組、「おたよりください!」のパーソナリティーだった6代目円楽さんの訃報を聞いたばかりである。今年は、なんと喪失感の多い年だろう。

近石さんについては、これまでもいくつか書いてきた。

決定!「ラジオ遺産」第1号

ラジオの神様

近石さんのラジオでの口癖は、「よろしくどうぞひとつ」だった。そのフレーズが、頭の中をリフレインしている。合掌。

 

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さかなのこ

10月9日(日)

4歳6か月の娘と二人で、沖田修一監督の『さかなのこ』を観に行く。

あとで気づいたんだが、『南極料理人』と同じ監督だったのね。

あらかじめ得た情報だと、上映時間が2時間19分もあるということで、4歳の娘は集中力が持つだろうかと心配だったが、『南極料理人』と同じ監督だから、きっと気に入るに違いない、という方に賭けた。

この映画は、さかなクンの自伝をもとにした映画である。僕は常々さかなクンを尊敬しているし、それをのんさんが演じるというだけで、もう観るしかない映画である。

映画の中では、のんさん演じる魚好きの主人公は「ミー坊」と呼ばれている。そしてさかなクン本人も映画の中に「ギョギョおじさん」として登場し、ミー坊に「おさかな愛」を伝授する。こうして虚実皮膜のうちに、物語が進んでいくのだが、ひとつ、さかなクンの登場場面で僕にとっては衝撃的なシーンが一瞬あらわれるのだが、そこが衝撃的であるがゆえに、その場面はとくにグッときた。

進学した高校には、いわゆる不良生徒たちがいて、「総長」だの「赤鬼」だの「青鬼」だの「カミソリ」だの「狂犬」だのと、やたら威勢のいい集団が出てくるのだが、根はみんないいヤツである。さかなクンは、僕よりも下の世代だが、まだ「不良」とか「ツッパリ」が学校に跋扈していた時代だったのだろう。僕の中学時代にも、やれ総番だの裏番だのといったツッパリ連中が学校で幅をきかせていたが、根っからの悪ではなく、総じて気のいい連中だった。僕は生徒会長をやりながらも、なぜか彼らに気に入られていたので、さかなクンと不良連中との交流のシーンは、懐かしい思いで観ることができた。

劇中に「普通って何?ミー坊、よくわからない」というセリフがあり、これがこの映画のキモである。それをのんさんを通したセリフで聞くと、ほんとうにハッとさせられる。

音楽は僕の大好きなパスカルズだった。大林宣彦監督の映画『野のなななのか』の主題曲を担当したことがきっかけになってその存在を知り、それ以来、ファンになっている。

映画の途中、娘は小声で、「おもしろい」と言ってくれたが、僕に気を遣って言ってくれたのかもしれない。それでも2時間19分、娘の集中力はほとんど途切れることはなかった。

次は、「ギョギョおじさん」こと、さかなクン本人の出演番組を娘に見せてやろう。

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KOC雑感

10月8日(土)

今日の午前中は、4歳の娘の運動会だった。近くの小学校の体育館を借りて行い、終わってから同じクラスのみんなが公園に遊びに行くのにもつきあい、午後はすっかり疲れてしまった。

夜、テレビをつけると、「キングオブコント」という番組をやっていた。途中から見たのだが、驚いたことに、出場しているコントグループの名前を、ひとつも知らない。唯一知っていたのは、「吉住」くらいである。いまの自分がいかにお笑い番組から遠ざかっているかを実感させられた。

出場しているグループよりも、むしろ審査員に注目してしまう。「この笑いは、この審査員が好きそうな笑いだな」とか、そんなふうに予想しながらつい見てしまう。審査員が予想通りの点数をつけたときには、「ほらやっぱりそうだ!」と、本来の楽しみ方とは別の楽しみ方をしてしまうのだ。審査員がどんなコメントを言うのか、実はあの番組は、出場者以上に、審査員が審査される番組なのである。

コント、といっても、演者によってまるでテイストが違う。設定や台本の緻密さで笑わせるパターンもあれば、エキセントリックなキャラクターを憑依させて笑いを取るパターンもある。今回の優勝者は、どうやら後者のパターンだったようだが、これはコントに限らず、漫才師が競うM-1なども最近はそんな傾向があるような印象を受ける。もっと言えば、「このコンビ(トリオ)が優勝した場合、今後のテレビ番組のひな壇芸人として映えるかどうか」ということもひとつの基準になっているのではないかと邪推したくなってしまう。ま、そんなことはないのだろうけれど。

僕が好きだったのは、「や団」と「最高の人間」だった。設定と台本で笑わせるタイプだと思うのだが、それに加えて、ちょっとしたホラー要素があるのがよい。コントは、いろいろな楽しみ方があるし、ひたすら可笑しいだけのコントも好きだけれど、ちょっと心が揺さぶられて、観終わったあとに「いいものを観た」と思わせるコントが、僕のいちばん好きなコントである。

さまざまな作風や芸風を、「コント」という名の下に一元化して評価するのがはたしてよいのかどうか、よくわからない。文学に芥川賞と直木賞があるように、「シティボーイズ賞」とか「ダウンタウン賞」みたいな、作風の違いを認めた上で評価をしたほうがさまざまな笑いのパターンが生き残ることにつながるのかもしれないとも思うが、それもなかなか難しいかもしれない。結局は、好みの問題なのだろう。

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激痛一週間

10月7日(金)

今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!

今週はほんとうにヤバかった!

月曜日あたりから、背中の右の方の肋骨あたりがなんとなく痛み出した。

火曜日の夕方と、水曜日の終日は、よりによって肉体労働だったので、足を踏ん張ったり、前かがみになろうとすると、痛みが走る。

木曜日に、その痛みは最高潮に達した。ベッドから起き上がろうとすると、激痛が走るのである。歩くのさえ億劫になる。しかもこの日は、朝イチで都内の病院で検査がある。検査の結果、またもやひとり合宿が決まってしまった。なんとなく予想はできていても、やはりひとり合宿が決まるのは落ち込む。俺は一生、こんな生活が続くのか…。

それよりも、いまは背中側の右の肋骨のあたりの激痛の方が心配である。僕は3つの可能性を考えた。

1つめは、痛風の発作が起きたという仮説である。尿酸値が高い僕は、何度も痛風の発作を経験しているが、その痛みと近いのである。しかし、背中側の右の肋骨のあたりに、尿酸の結晶が固まるなんてことがあるのだろうか?

2つめは、肋骨が骨折した可能性である。以前も、肋骨が知らない間に折れていたことがあり、そのときの痛みによく似ている。

3つめは、…考えられ得る最悪の仮説である。この仮説が正しければ、もう僕はおしまいである。折しも、都内の病院での朝イチの検査でひとり合宿が決まったばかりである。最悪の可能性を考えないわけにはいかなかった。

とにかく、激痛の原因を知りたい、と思い、家の近所まで戻り、整形外科を探すことにした。以前、肋骨が折れたときに行った整形外科の先生は、「アレ医者」だったので、もう2度と行きたくない。別の整形外科を探すと、最寄りの駅のすぐ近くに整形外科があるのを見つけた。

「どうしました?」

「数日前から、背中側の右の肋骨のあたりが痛みまして…」僕は、どういうときに激痛を感じるかを、具体的に話した。

「そうですか…原因に心当たりはありますか?たとえば、どこかにぶつかったとか…」

「いいえ、心当たりがありません」

その先生は、先ほど受付で僕が書いた、問診票を見つめた。そこには、僕の病歴が書いてある。そこを見て、一瞬たじろいだ。というか、初診のお医者さんのなかで、僕の病歴を見てたじろがない人はいない。それほど僕の病歴は一筋縄ではいかないのだ。

「ちょっとレントゲンを撮ってみましょう」

こっちもそれを期待していたんだ、と思いつつ、レントゲン室でレントゲンを撮ってもらう。しばらくしてまた診察室に呼ばれた。

レントゲンの写真を見せてもらう。

「肋骨は折れていないようですねぇ」

「そうですか」

「重篤な病気の可能性も考えましたけれど、レントゲン写真を見る限りでは、それもないようです」

「そうですか」僕は安堵した。先生もやはり重篤な病気の可能性を考えたんだな。

「考えられる可能性としては、筋肉の付着部の損傷です。最近、重い物を持ったりしませんでしたか?」

思い出した!先週の出張で、重い機材を右肩に担いで、バリヤフリーの概念のまったくない建物の2階まで運んだのだ。そればかりではなく、出張中は何度も重い機材を右肩に担いで歩いた。

「思いあたるフシがあります」

「そうですか。ではその可能性が高いでしょう。その痛み、2~3週間は続くと思いますから、その間はできるだけ安静にしてください。重い荷物もなるべく持たないように」

「はぁ」

「湿布薬を処方します。飲み薬までは必要ないでしょう」

ほんとに大丈夫か?と思ったが、こちらから反論できる感じではなかった。

結局、昨日は家に帰ってから、痛くて何もできず、ただ横になるしかなかった。

あまりに痛いので、市販の鎮痛剤を飲んだら、翌朝、痛みがかなり引いていた。

今日の午前中は職場で打合せで、午後は肉体労働である。痛みがだいぶ引いたおかげで、なんとか今日の予定をこなすことができた。

それでも、午後の肉体労働の際に、床にベタッと座っている状態から立ち上がろうとして足を踏ん張ると、肋骨のあたりに激痛が走る。何度かくり返していくうちに、右足を軸にして立ち上がろうとすると激痛が走るが、左足を軸にして立ち上がれば、それほど痛くない、ということに気づいた。

同様に、前かがみになって物を取ろうとするとき、右手で取ろうとすると肋骨が痛いが、左手で取ればそれほど痛くない。

僕はそのコツをつかみ、左足を軸足にして立ち上がるようにした。

なるほど、肋骨が痛む場合は、痛い部位と反対の足を軸足にすれば、立ったり座ったりするときにさほど痛くないのだな。…というか、あまり役に立つ機会のない、どうでもいい知識である。

‥鎮痛剤の効き目が切れてきたのか、また痛みがひどくなってきた。

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しつこくてすいませんが…

10月5日(水)

月曜日の「大竹まこと ゴールデンラジオ」に三宅裕司さんがゲストで出ていたとか、火曜日の「大竹まこと ゴールデンラジオ」のオープニングで「大量返事社会」という武田砂鉄さんの言葉に共感したとか、そんな話を書きたいのだが、クッソ忙しいのと、体中が痛くて文字通り満身創痍のため、気の利いたことが書けない。

このところ、件名に「しつこくてすみませんが…」とあるメールが毎日のように来ていた。毎日、というのは大げさだが、体感的に毎日である。

これはスパムメールなどではなく、出版社からの原稿の催促である。

僕は1500字の原稿を9本、3000字の原稿を5本書かなければならなかった。全部で30000字近い分量である。

9月1日が締め切りだったのだが、まったく書けない。9月を1週くらい過ぎたあたりで、

「進捗状況はどうなってますでしょうか」

というメールが来た。この頃の件名は「よろしくお願いします」だった。

ちなみにこの原稿が載る本は、絶対に今年度内に出さなければならない。法律で決められているのである。法律で決められている、というのは大げさだが、それに近いくらいの拘束力がある。だから、出版社も原稿の取り立てに必死なのだ。

執筆者は僕だけではなく、10数名からなるメンバーである。さあ、こうなるとだれがビリになるかである。

9月中旬頃になると、催促のメールが頻繁に来るようになる。この頃の件名は「いかがでしょうか」。

「できた分からでけっこうですので、五月雨式にお送りください」

こっちもさすがに焦ってきて、時間が空いているときに少しずつ書いてはいるのだが、クッソ忙しくてまとまった時間がとれないのと、原稿を書くための資料も必要なので、思うように進まない。このブログみたいに、脳内だけで書く、なんてことはできないのだ。

ちまちまと書いては出し、書いては出しとしているうちに、9月26日(月)に、1500字の原稿9本を出すことができた。

「お忙しいなか、ありがとうございます。これで1500字の原稿はすべていただきました。残るは3000字の原稿です」

ようやく、折り返し地点まで来た。その2日後、出版社からまた催促のメールが来た。

「あとは3000字の原稿5本です。9月30日には印刷所に入れる約束になっています。30日にすべての原稿を印刷所に入れることはできませんが、少しでも多くの原稿を入れたいのです。1つでも、2つでも原稿をいただきたく、お願いいたします。」

9月30日?あと2日しかないではないか!

僕はその悲壮感漂うメールに罪悪感を感じて、急いで3000字の原稿を書くことにした。出張から帰った29日の夜に1本書いて送信し、翌30日は、午後のオンライン会議の始まる前に1本書いて送信した。

最後の原稿は、入稿に間に合うかな?と思いつつ送信したのだが、どうやら30日の午後の入稿に間に合ったようである。

もうね、こうなると読み返したり推敲したりする時間なんてありゃしない。いわゆる「撮って出し」である。

その後、10月2日に3000字の原稿2本を書いて送信し、これで残すところ3000字の原稿あと1本になった。

すると2日後の10月4日、「しつこくてすいませんが…」という件名のメールが来たのである。

「残すは3000の原稿1本を残すのみとなりました。10月7日に印刷所に入れる約束になっています。しつこくてすいませんが、どうかよろしくお願いいたします」

えええぇぇぇっ!!!10月7日に印刷所に入れるだと???聞いてないよ!というか、9月30日に印刷所に入稿する、という話は、何だったんだ?

10月7日に入稿ということは、遅くとも10月6日までに原稿を送信しなければならない。もうね、最後の3000字原稿は、どうやって書いたのかまったく記憶にない。メールの記録を見ると、10月5日に日付が変わったばかりの時間に、最後の原稿を提出している。そして今日の朝、

「これでご担当分は、すべていただきました」

と、一件落着したのだった。

やれやれ、いちばんビリだったのはちょっと恥ずかしいなと思っていたが、メールの様子だと、どうやら僕よりも遅い人がいるらしい。僕は出版社にまんまと乗せられたのか??

しかし、こんなにがんばって書いても、僕の書いた30000字近くの原稿は一般の人の目にふれることはないのだ。僕は日々、だれに向かって文章を書いているのだろう。

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俺は、六代目の落語を生で観たんだぜ

10月3日(月)

人の命ってのは、あっけないねぇ。

六代目三遊亭円楽さんの訃報を聞いた。

そういえば、僕は六代目円楽さんの落語を生で観たことがあるなあ、と思って、過去の記事をたどってみたら、いまから10年前、2012年8月27日(月)に、「前の勤務地」の県民ホールでのことだった。

円楽サンの会」といって、サンドウィッチマンと六代目円楽さんの会である。

当時の記事を読みなおすと、ふと思い立ち、当日券を買って入ったようだ。

いまとなってはサンドウィッチマンがどんなネタをやったのか、円楽師匠の「一文笛」がどんな内容だったのか、すっかり忘れてしまったが、大いに笑って、巧みな話芸に唸らされた。そのあと、円楽師匠のCDをさっそく買ったことを覚えている。

ふだん、笑点というテレビの尺の中でしか円楽さんを知らなかったことを、ひどく後悔したのである。

「三遊亭円楽のおたよりください!」というラジオ番組はどうなっちゃうんだろう?円楽さんが病気の間、伊集院さんが長らく代打をしていたが、「ラジオ遺産」と僕が勝手に認定しているこの番組を、このまま伊集院さんに続けてもらいたい。

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悲壮な催促

9月30日(金)

今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日」アフタートークまでたどり着きました!

といっても、あまり無事ではない。

出張中、毎日のように原稿の催促が来た。

「原稿の進捗状況はいかがでしょうか。9月30日(金)には印刷所に入稿しなければなりません」

よくある脅し文句なのかな、と思っていたが、どうやらほんとうに9月30日(金)に印刷所に入稿するらしい。

僕1人だけだったら、遅れても僕1人の責任なのだが、多くの執筆陣がいて、しかも原稿が遅れてはシャレにならない部類の仕事なのである。遅れたらみんなに迷惑がかかる。

全体で、A4で19枚分の原稿を書かなければならない。字数にしたら2万8500字、400字詰め原稿用紙でいうと70枚ほどか。

ただたんに書きゃあいいってものではなく、ちゃんと「裏取り」をしながら書かなければならないので、A4で1枚分の原稿を書くだけでも骨が折れる。

それでも、出張前には、何とかA4で9枚分の原稿を仕上げて先方に送信した。

「あと半分、なんとかよろしくお願いします」

というメールが来て、こりゃあ出張中も原稿を書かなきゃいけないな、と思ってスーツケースに関連する資料を詰め込んで出張に出かけたのだが、毎日が肉体労働で、ホテルに戻ると気絶するように眠ってしまう。

結局、重いものを運んだだけじゃないか!

出張の最終日は9月29日。印刷所入稿の前日である。またしてもメールが来た。

「明日の午後に印刷所に入稿しなければなりません。全部とはいませんから、できたところからすぐに送ってください!」

悲壮な雰囲気の漂うメールである。

ま、本音は、「いつまで待たせるんだこの野郎!仕事のマネジメントができてないじゃねえか!」と言いたいのだろうな。でもこっちはこっちで、「忙しくてそれどころじゃねえんだ!」と言いたくなる。

残された時間は明日1日を残すばかりである。しかし明日30日は午後1時から5時までオンライン会議がある。つまり明日の午後はまるまる使えないのだ。

出張が終わり、家に着いたのが日付が変わる直前。そこから原稿を書き始めて、ひと眠りして、朝起きて、午後、ぎりぎりまで書いて、A4で4枚分、6000字程度を書き上げた。正確に言うと、出張から帰宅した深夜に3000字を書いて先方に送り、残りの3000字は午後の会議が始まる前までの時間で書き上げた。ほんとうは文章を練り直さなければいけないのだが、そんなこと言ってられない。とくに今日の午前に書いて、お昼過ぎに送った原稿は、午後の入稿に間に合わないかも知れない。

「すみません。入稿に間に合わないかも知れませんが、ひとまず原稿をお送りします。今日はこれで限界です」

とメールで原稿を送ると、すぐに返信が帰ってきて、

「気になったところを赤字で修正したのでご確認ください」

とついさっき出したばかりの原稿に赤が入って戻ってきた。

すでにオンライン会議に参加している時間だったが、僕は急いで修正原稿を確認した。「珍重」を「珍答」とタイプミスをしたり、「敗戦」を「は緯線」と誤変換したり、急いで書いたのでそんな間違いが多い。こんな殴り書きみたいな原稿で大丈夫なのだろうかと、少し不安になった。

しばらくして、オンライン会議中に先方からメールが来た。

「本日いただいた原稿含め,頂いた分の原稿をすべて入稿できました。お忙しいなか確認いただきありがとうございました」

なんとか今日書いた原稿も入稿できたようだ。

しかし、あとA4で6枚、字数にして9000字ほどの原稿が残っている。こんなブログを書いているなら、その時間を使ってそっちの原稿を書けよ、というハナシなのだが、そういうものでもない。

残りの原稿は、書くのが苦痛になりそうなテーマばかりである。だから後まわしにしていたのだ。さて、これからどうやってテンションを上げるか。

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