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この暗い部屋の片隅で

10月28日(金)

今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!

来春のイベントの準備で、しんどい日が続く。

どうしてこんなにしんどいイベントを考えついちゃったんだろう。事態はどんどんしんどい方向に向かっていく。

イベントの準備自体が、楽しくないわけではない。楽しいことは楽しいのだが、しんどいのである。

より楽しむためには、手間を惜しんではいけない、ということなのだろうか。

今日は朝から都内某所で技師さんと作業をした。

そうねえ、たとえて言えば、僕が映画監督だとしたら、撮影監督と一緒にロケを行った、というような仕事である。

いい絵を撮ろうと、撮影監督はこだわる。もちろん監督も、である。対象物を最もいいコンディションで撮るために、カメラの角度を決めたり、照明の位置を調整したり、そのたびに立ったり座ったりとみずからの肉体を酷使し、地味にきつい体の動かし方をする。ただでさえ体の節々が痛い僕をよりいっそう痛めつけてくる。

それも暗い部屋の中で、朝の10時から18時半過ぎまで作業が続き、休めたのは昼食休憩の30分だけである。この地味な仕事を延々していることは、そこにいる人たち以外、だれも知らない。

終わった頃には全身が動かなくなるほど疲労が蓄積した。大して運動していたわけではないのに、なんという満身創痍ぶりだ。

このイベントの準備をすればするほど、自分のやっていることが映画監督という立場とダブって見えてくる。もっとも、僕は映画監督というのが具体的にどんな仕事をするのかは知らないのだが、黒澤明監督や大林宣彦監督や是枝裕和監督の映画のメイキング映像などを見ると、ああ、昨日俺がやった作業は映画でいう絵コンテを描く作業にあたり、今日やった作業はロケにあたるんだな、みたいなことが、なんとなくわかってくる。編集はたいへんそうだなあ、とか。

そういえば若い頃の僕の夢のひとつが、映画監督になることだった。いまやっているイベントの準備は、映画制作にあたるんじゃないだろうか。だとしたら、肩書きを「代表者」ではなく、「総監督」にしてもらいたいものだ。それだけでずいぶんと心持ちが違ってくる。

そうか、自分は映画監督である、と思い込めば、いまやっているさまざまな辛い仕事も、少しは報われるかもしれない。映画を作るようにイベントを作ろう。やっぱり辛いとか、やっぱり自分にはセンスがないとかを思い知らされ、結局は打ちのめされるかもしれないけれど、どんな形であれ、いま自分の置かれている立場の中で自分の夢に近づくことは可能である。人生の夢は常に自分に微笑みかけている、と思い込むことにしよう。

疲れてなんだかわからない文章になったので、今宵はここまで。

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