表現力について
10月27日(木)
前回の記事で、久石譲の「人生のメリーゴーランド」がビッグバンド用の編曲にとてもよくマッチしていて、どことなく「Beautiful Love」というジャズの名曲を彷彿とさせる、といったようなことを書いたが、それに対して、高校時代の親友・元福岡のコバヤシがすぐにメールをくれ、「そう言われてナルホドと気付きました」と書いてくれていた。
「人生のメリーゴーランドは短調、すなわちマイナーのキーが4小節続き、その後の4小節は長調、すなわちメジャーに転調します。この展開はBeautiful Loveも一緒ですし、有名な枯葉も同じような構成です。
ちなみに私のオリジナル曲もマイナーで始まり、少し間をはさんでメジャーに転調するので似たような感じは有ります。
そもそも自分も含めて日本人はマイナーの曲を好むというか、感情移入しやすい傾向にあると思います。
そうすると、貴君が私の演奏で感心したのも、私の演奏技術より、日本人好みのマイナーの曲だったからでしょうか。う~ん」
すごい。僕の音楽に対するざっくりとした感覚を、理論立てて説明してくれている。ナルホドと思ったのはこっちの方である。
僕はジャズにぜんぜん詳しくないのだが、それでもなんとなく頭の中にその引き出しができているのは、高校時代に同期のコバヤシや1年下の後輩からいろいろなことを教わったからである。先日のミュージアムコンサートで、「リカード・ボサノバ」(ギフト)という曲をこれからやりますと聞いて「おおっ!」と思ったのは、高校時代にボサノバ好きな後輩にイーディ・ゴーメがいいと奨められたからである。僕はイーディ・ゴーメのレコードを買って、ある時期、くり返し聴いていた。人生において、なにひとつとして無駄な知識はないのである。
コバヤシはメールの別のところでこんなことを書いていた。
「ちなみに私の今の演奏技術は学生時代よりも相当衰えています。ただ成長したとすれば、歳を重ねた分、技術とは違う表現力がついたのかもしれませんね。もし、年齢を重ねたことがほんとうに表現力の向上に繋がったとするならば、嫌々続けたサラリーマン生活も無駄ではなかった、ということでしょうか」
そう、無駄ではなかったということである。技術の衰えを表現力でカバーする、というのは、僕が職業的文章を書く場合でも同じである。
表現力についての考察は、別の例でもう少し書いてみたいところだが、疲れたので次の機会に書く。
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