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2022年11月

出張あれこれ

11月29日(火)

昨晩遅く、出張から戻った。

少し前、仕事関係でつきあいのある人からのメールに、「その日は職場の用務で京都に出張なのです」とかなんとか返信したら、

「京都に出張ですか、いまだと秋が感じられていい季節ですね。僕も何週後かに、「同業者祭り」が京都を会場にして久しぶりに対面で行われることになり、いまから楽しみです。きっと(京都在住の)○○さんが美味しいお店を紹介してくれることでしょう」

と返信が来て、いささか複雑な気持ちになった。

1年に1度行われる「同業者祭り」というのは、言ってみれば同窓会みたいなもので、毎年会場が違う県になったりするので、参加するほうは楽しくて気楽である。つまらなかったら会場を出て観光してもよいし、夜には懇親会がある。このご時世で懇親会が無理な場合は、仲良したちで美味しいお店に行って、地元の美味しいものを食べながらああでもないこうでもないと楽しいおしゃべりをする。もちろん孤独のグルメもまたよい。

僕はもう長いこと「同業者祭り」には参加していないが、本業の仕事の出張が多くなり、それ以外にあえて「同業者祭り」のために出張することがめんどうになったのである。

今年、京都へは何度通ったかわからないが、平日に日帰りとか1泊とか、ほとんどとんぼ返りで、しかも用務先の建物の中に籠もって一日中作業をする、みたいな感じだから、満喫などできないし、食事も往復の新幹線の中で弁当を食べるとか、とても美味しい店に行くなどという余裕はない。しかしなぜか、京都に行く、というと、うらやましがられるのである。

実際、用務先まで行くのに路線バスを使ったりすると、あまりの混雑ぶりに閉口したりする。いかに混まない路線を使って移動するか、ということが、最大の課題になる。なぜなら、用務先での作業の体力を温存しなければならないからである。

用務先では、肉体的にも疲れるが、精神的にも気を遣って疲れる。とくにこちらからアポを取ってお会いする場合は、手土産を持っていくのは常識だが、それに加えて先方の規約にしたがった対応をとらなければならない。あるところでは、建物の入り口のところで身分証を提示して、中に入ってさらに受付担当のところで身分証を預け、それと引き換えにバッジをもらう。つまり身分証が人質となり、その作業部屋の中に軟禁されるのである。用務が終わると、バッジを返すのと引き換えに、身分証を返してもらう。身分証を人質のように預けるというのは、あまり気持ちのよいものではないが、郷に入っては郷に従え、である。とにかく先方に失礼のないように用務を行うことに最大限の注意を払うのである。

「同業者祭り」は、そんなことにはならない。大勢の人たちに、久しぶりの挨拶をして、仲のいい人の近くに座って、ちょっとした知的興奮を味わい、終わってからは仲のいい人たちといっしょに美味しい食事とともに談笑する。ま、僕はとくに仲のいい同業者がいないこともあり、同業者祭りに出たところでとくになんの感慨もないので、むしろ初めてお目にかかる人に気を遣いながら用務を行う方が、性に合っているのかも知れない。

せっかくだから、京都にいる古い友人と会ってみようかなという気もするが、こっちはたいていは平日に来ているし、この世代になると忙しくてそれどころではないというのがお互いさまだから、「まあなんとかやっているのだろう。こっちもこっちでなんとかやっている」と思うことにして、とんぼ返りする。ま、出張とは本来、そういうものなのだろう。

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からすまおいけ

11月27日(日)

地下鉄に乗り、「烏丸御池」という駅を通り過ぎる。

若いころ、というほどでもないのだが、むかしはけっこう烏丸御池の近くに宿をとることがあり、そこから三条通を三条京阪の駅のあたりまで歩くのがなかなか楽しかった。

あるとき僕は、地下鉄の「からすまおいけ、からすまおいけです」という自動アナウンスを聞いて、長年僕が思い込んでいた「からすまおいけ」のイントネーションとまったく違うことに、驚いた。長らく僕は、「からすまおいけ」のイントネーションが間違っていたのである。

大阪府の池田市の「いけだ」を、「わさび」と同じイントネーションで言うのだ、というのを知ったときくらいの、ショックである。

これが、どう間違っていて、どれが正しいのか、文章で言い表すのは難しいな、どうしたら伝わるだろう、と地下鉄に乗りながらずっと考えていた。そこで、はたと気づいた。

僕は長らく、「からすまおいけ」を「きたがわけいこ(北川景子)」と同じイントネーションで言っていた。しかし、正解は違う。

「みやざきあおい(宮崎あおい)」と同じイントネーションで言うのが正しい。

これはすごい発見だ!と思ったのだが、わかってくれる人はいるだろうか。

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ストレンジワールドとすずめの戸締まり

11月26日(土)

この週は、4歳の娘と二人で、映画館で2本の映画を観た。23日の祝日にディズニー映画「ストレンジワールド」、26日の土曜日に新海誠監督の映画「すずめの戸締まり」である。娘とまる一日、二人で過ごすという日は、映画館に行って映画を観ると、時間が持つのである。

ひとつはディズニー映画だし、もう一つは日本のアニメ映画だし、どちらのジャンルもテレビ放送から録画して繰り返し観ている経験をしているから、全然問題ないだろうと思って観に行ったのだが、これがなかなかたいへんだった。

どちらの映画も、映画のはじめのほうから、「パパ、恐い…」と言い出したのである。

あまり書くとネタバレと言われそうだから書かないが、どちらの映画も、序盤の段階から、「ニョロッとしてもの」が出てくるのである。どうもそれが恐いらしい。いままでそんなことはあまりなかったのだが、この2つの映画に関しては、映画を観ている途中で、

「パパ、おしっこ」

と言い出した。

「映画を観る前におしっこしたでしょ!」

「でも、おしっこ」

といって聞かない。

恐くておしっこが漏れそうになったのか、あるいは恐い場面を観たくないという防衛本能がトイレに行かせようとするのか、だと思うのだが、いずれにしても、映画の途中で席を立ってトイレに連れて行く羽目になった。おかげで、なぜあの人が、あんな感じになっちゃったのか、という肝心な部分を、見逃すことになる。

今後は、恐い場面が訪れると尿意をもよおすという娘の悪いクセをなんとかしなければならない。

それはともかく、「ストレンジワールド」は、大人の僕が観ても、1回ではその世界観を完全に理解することは難しかったし、「すずめの戸締まり」も、その世界観に圧倒されはしたが、これを一度観ただけでその内容を受け止めるのは至難の業である。ま、ストーリーが追えなくても、何かしらの場面は娘の心の中に残っただろう。

2つの映画は、対比するようなものでは全然ないが、「ストレンジワールド」は父と息子の絆を確認する物語で、「すずめの戸締まり」は母と娘の「喪失」の物語で、対照的である。とりわけ後者は、主人公の「すずめ」が4歳だった頃に母親への喪失感を抱くという場面がくり返し登場し、ちょうど4歳の娘を持つ親にとっては、涙なしには観ることができない。うちの娘は、何かを感じとっただろうか。

後者については、つい最近観た「天間荘の三姉妹」もそうだったが、11年前のあの出来事が映画の主題となる、しかもかなりリアルにあの時の出来事を思い起こさせる仕掛けになっているのは、そろそろ、そういうことを映画としてとりあげてもよいだろう、という時期になったということなのだろうか。しかし、あの出来事に巻き込まれた当事者たちにとっては、まだちゃんと向き合うことができないのではないかと、なかなか複雑な気持ちになる。

おっと、あやうくネタバレしそうになった。関係ない話を書こう。

全然知らないある人のツイートで、「2人がフェリーに乗り込むところは『転校生』のオマージュ、愛媛の道路で大量のみかんが転がってくるところは『天国にいちばん近い島』のオマージュだろう。やっぱり新海誠監督は大林映画が大好き」とあるのを見つけ、なるほどそうだ、と思った。

そういえば、『天国にいちばん近い島』にそんな場面があったな、と思い出して見返してみると、ミカンではなく、大量の椰子の実がトラックから転がってくる場面があって、なるほどそっくりだと思った。

そのことがきっかけになり、『天国にいちばん近い島』全編を見直してみたのだが、同じ原田知世主演作品でも、ぼくはあの名作『時をかける少女』よりも『天国にいちばん近い島』のほうが好きかも知れない。映画全体が、劇伴を含めて古きよきハリウッド映画へのオマージュになっていて、たぶんこれは大林監督の完全な趣味だろう。脇を固める赤座美代子、泉谷しげる、乙羽信子、小林稔侍、松尾嘉代、峰岸徹、室田日出男といった俳優陣の演技もすばらしい。

剣持亘の脚本もすばらしい。剣持亘は尾道三部作の脚本などを手がけているが、どうも寡作の人だったようで、大林映画の脚本をもっと書いてもらいたかったと思う。

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スダを比較する

11月25日(金)

今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!

イベントの準備が、アクセルを踏んでも進んでいない感じのスランプ状態に陥っている。つまりはクッソ忙しいのだが、唯一の楽しみは、職場への行き帰りの長時間に、ポッドキャストを聴くことである。

韓国語で「スダ」という言葉がある。おしゃべりとか、無駄話、という意味である。「駄弁る」と言う言葉がいちばんしっくりくるように思うのだが、「駄弁る」は死語なのか?

最近聴いているのは、自分と同世代、つまりギリギリバブル世代の二人が「スダ」をするポッドキャスト番組と、「ゆとりっこ世代」の二人が「スダ」をするポッドキャスト番組である。

二つの番組に共通しているのは、番組のリスナーを「リスナー」とはいわず、独特の呼び方をしていることと、どちらの番組も熱狂的なファン、いわゆるヘビーリスナーがいるということである。

両者を比較してみると、面白いことに気づく。

ゆとりっこ世代の二人のスダは、お互いの言ったことを決して否定しない。「わかる」とか「たしかに」という言葉を連発しながら、話題を重ねていく。話し方も、かなりゆったりとしていて心地よい。

一方で、ギリギリバブル世代の二人のスダは、一種のプロレスである。もちろん、根底に強い信頼関係があるからこそできるのだろうが、言葉の応酬がすさまじい。そしてずいぶん早口である。それに、ゆとりっこ世代のスダを聴いた後であらためて聴いてみると、話題やたとえが古い。2000年問題、あったよねえとか、いまの若い人はまったく知らないだろう。

全共闘世代、バブル世代、ロスジェネ世代、ゆとり世代、Z世代など、いろいろな世代があるが、各世代の「スダ」の特徴を分析した新書を書けば売れるかも知れない。書こうとは思わないけど。

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エンドロール

11月24日(木)

イベントの準備がのっぴきならない状況になり、気持ちが殺伐としてきている。こういうときこそ、心に余裕を持たなければならない。

昨日の祝日は、4歳の娘と二人で終日いっしょに過ごしたのだが、そういうときは、映画館に映画を観に行けば有意義に過ごすことができる。

いまだったら、さしずめ新海誠監督の『すずめの戸締まり』なのだろうが、バカみたいに混んでいる。猫も杓子も、というやつである。

こうなったら観てやるもんか!と思っていたところ、ちょうどこの日、ディズニーアニメの『ストレンジワールド』の封切り日だったので、そちらを観に行くことにした。

映画の感想は措くとして、僕が注目したのは、最後のエンドロールの部分である。

どんだけの人数で作ってるんだよ!と言いたくなるくらい、長いエンドロールである。

これが日本映画だったら、この半分くらいの人数じゃなかろうか。誰か、エンドロールに出てくる映画にかかわった人の人数の日米比較をやってくれないかなあ。

いや、映画だけではなく、ドラマならどうだろう?

日米比較だけではない。日本の中でも、たとえば30年前のドラマにかかわった人の数と、いまのドラマにかかわっている人の数も、だいぶ違うんじゃなかろうか。予算が減らされている現在は、当然、限られた人数でドラマを制作しているはずである。

こんなことばかり最近気になっているのは、いま準備しているイベントで、実際に手を動かして準備しているイベントのスタッフは、わずか数名だからである。僕を含めて2,3名である、といってよい。もちろん、多くの人の協力はあるのだが、それをとりまとめる作業の負担が、思いのほか大きい。

そもそも世界的なマーケットを持ち、最高級のクオリティーで作られるディズニー映画と、こちらのひっそりしたイベントとは、くらべる方が間違っているのだが、せめてあと一人でも二人でも、下支えしてくれるスタッフがいれば、仕事はそれだけでもかなりの余裕ができるのにと、最近は映画のエンドロールを見るたびに、そんなことを思うのである。

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傾聴の旅

11月22日(火)

2日間の出張は、スケジュールをギッチギチに詰めていたわけではないのだけれど、倦怠感がひどく、しかも薬の副作用なのか、両足の裏側が炎症を起こし、歩くとかなり痛い。とくに砂利道を歩くと、ツボを刺激されるような痛さである。思いのほか体力と気力を奪われた。

今回まわったのは、2日間で3カ所だが、応対していただいた方は、いずれも初対面だったが、みなさんとてもいい方ばかりだった。というより、いま準備しているイベントのために協力のお願いの挨拶にうかがうと、いい人ばかりなのである。

ひとつだけ例をあげると、昨日は国宝のお寺を管理しているご住職にご挨拶にうかがった。仲介していただいた方からは、その住職はいい方なのだけれど多少クセのある方なので、丁寧に事を進めていった方がよいというアドバイスを受けた。実際にお会いすると、たしかにクセがあると言えなくもないが、こちらが誠実にこのたびの訪問の趣旨を説明すると、とてもよい対応をしていただき、1時間半ほど雑談することになった。

国宝といっても、規模としてはそれほど大きくないお寺で、そのご住職ひとりが管理されていると知った。なので、自分はこのお寺を預かってからは、泊まりがけの旅に出たことがない、どこに行くのも日帰りである、なぜなら、自分がいない間にお寺にもしものことがあったらたいへんだから。家族や警察や消防には、「今日は1日外出しますので、何かありましたらすぐに連絡下さい」と前もって伝えるのだという。つまりふだんは、よほどのことがない限り、お寺の庫裏にいらっしゃってお寺を守っている、というわけである。

そんな話、めったに聞けるものではない。住職と差し向かいでお話を聞くことで、初めて聞けることである。

僕はひょっとして、初対面の人とお話をすることが、苦にならないのかも知れない。というか、たぶんいろいろな人のお話を聞くことが好きなのだ。こうして、いろいろなところをめぐって、いろいろなお仕事をされている方にお話を聞くのが、性に合っているのかも知れない。

ただ、こうした裏話はなかなか文章にできないので、舞台裏を語るトークライブなどできたら面白いかな、とも思う。ま、需要がないからやらないけど。

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新大阪再会

11月20日(日)

明日は午前から関西で用務があるので、日曜日に用務先と同じ市内に前泊することになった。

いま大阪府内に住んでいる高校時代の友人・コバヤシに連絡をとってみたところ、せっかく日曜日に関西方面に来るなら、会おうということになった。たしかに、平日に関西に滞在しても、コバヤシは仕事なので会うことは難しい。

コバヤシと会うのは何年ぶりかと調べてみると、2018年6月に生まれたばかりの娘の顔を見にわが家にやってきて以来だと思うから、4年半ぶりくらいである。

問題は、どこで会うか、である。

僕が滞在する用務先と、コバヤシの住んでいるところとでは、同じ関西といっても、ちょっと離れている。最初はその中間くらいの場所を指定されたのだが、新幹線から降りて、在来線に乗り換えて途中下車して、また用務先のホテルに向かうというのは、荷物も重いし、かなりしんどい。かといって、いっぺん用務先のホテルにチェックインして、そこから在来線で30分以上かけて移動するというのも、これまたしんどい。加えて、昨日の土曜日はひどく具合が悪くて、コバヤシに会う体力が残っているか心配になった。

何かいい方法はないものか、と調べてみると、1日に4本だけ、新大阪駅から用務先のホテルの最寄りの駅まで直通の電車が走っていることがわかった。これならば、新幹線を降りて在来線に乗り換えて途中下車する、という手間が省ける。新幹線を降りて新大阪駅で会えば、そのままその在来線の直通電車に乗って用務先の最寄りのホテルまで直行できる、というわけである。

ということで、新大阪で待ち合わせて会うことにした。

約3時間、ああでもない、こうでもない、と話をしたのだが、とくに来年開催予定のイベントの準備で大変だ、という話をすると、コバヤシは大笑いしながら、

「人間というものはいくつになっても変わらないものだな。おまえを見ているとつくづくそう思う」

と、いつもと同様の結論を繰り返した。面白そうだと思って自分が言い出した企画を実現しようとして、最終的にはそのことに苦しめられる、というのが、高校時代からの僕の性分のようだ。

いろいろと話してくうちに、僕自身は何の趣味もないのだが、趣味人、それも「知られざる趣味人」に出会うのが好きなのだ、ということが自分でもわかってきた。

「だから俺とつきあいが続いているんだな」とコバヤシ。

たしかにそうだ。趣味人のコバヤシは、いままで僕の知らない趣味をいろいろと教えてくれた。

コバヤシとは、性格も、趣味嗜好も、おそらくは思想信条も、かなり異なるのだが、それでも長続きしているのは、そういうことなのだろう。

「最近は、みんなで集まることよりも、会いたい人に会いに行く、という方がおもしろくってね」

「終活みたいなこと言うなよ」

50歳を過ぎたら、若い頃に張り巡らされた人生の伏線の回収がはじまる。あながち終活という言葉も、間違ってはいない。

もちろん、「また会おう」と言って別れた。

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10年前の話

11月18日(金)

数日前、公共放送のある地方局から、取材の依頼が来た。ある特集番組を、来年の春に放送する予定で準備を進めているのだが、そのために、10年前の話をしてほしいという依頼である。実際にカメラの前でインタビューすることになるかはわからないが、まずは「情報取材」をさせてほしいのだという。10年前の話をたどっていったら、おそらくインターネットか何かで僕の名前が引っかかったのだろう。

なるほど、取材の前の下取材のことを「情報取材」というのだな。お笑い芸人でいえば、オーディションというやつであろう。その「情報取材」でうまくディレクターのイメージにハマれば、晴れて本番の取材をする、ということなのだろう。

「思い出話みたいになってしまいますが、それでもいいですか?」

「かまいません」

10年前の俺の思い出話なんぞ、何の役に立つのか?ま、どうせ俺の話なんぞ、採用されないに決まっている。

で、今日の夕方、その担当ディレクターによるZoomでの「情報取材」に応じることにした。

別にカメラがまわっているわけでもないし、そのディレクターとは初対面だから、10年前の話の発端から順を追って話し始めると、

「あのう…そこのくだりはいらないです。その後どうなったのか、という話からお願いします」

おそらく、僕の話が長くなりそうだ、ということを、ディレクターが察知したのだろう。

せっかく説明してやってるのに、と、一瞬カチンときたが、たしかに俺の話もクドかったと反省し、その続きの話から始めた。

話していくうちに、10年前の出来事がどんどん思い出されてくる。なぜ自分は、そのときにそのようなことを考え、そのような行動をとったのか?そしてそのとき自分がどう感じたのか、そしていまどんなことを考えているのか、を一気に話した。

「…聴き入ってしまいました」とディレクター。「思い出話とはいいながら、まるで昨日のことのように覚えていらっしゃいますね」

「そんなことはありません」

昨日のことは忘れるが10年前のことは覚えているというのは一種の老化現象ですよ、と喉元まで出かかった。

「また後日、あらためてお話を聞くことができますか?」

なんだ?2次面接があるのか?

「お話といっても、この程度の思い出話以上のことは語れませんよ」

「いや、いままでボンヤリとしていたことがすっきりとわかった気がします。ちょっと今日の話、こちらの方で整理させていただいて、またお話をうかがえればと」

「そうですか」

ディレクターは、自分の頭の中で、番組のできあがりのイメージを必死に組み立てているようだった。僕の話ははたしてディレクターのイメージする番組の中に、パズルのピースのようにはめ込むことができるだろうか?よくわからない。

「会って話が聞きたいと思う人とこうしてお会いできてよかったです」

ほんとかよ、と思いながら、Zoomによる「情報取材」はひとまず終了した。

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カメラマンの生態

11月16日(水)

今週はクソ忙しい、というか、来年のイベントまでこんな感じで終わりなき仕事が続くのかと思うと、ノイローゼになりそうだ。

今日は朝から一日、プロのカメラマンと仕事である。これまで何度か一緒に仕事をしているが、若くてとてもまじめな青年である。当然のことながら、撮影に関するこだわりは並大抵のものではない。こちらとしては、基本的にまる一日、写場に籠もっての仕事なので、これが身体にこたえる。

僕は彼にどうしても聞きたいことがあった。

「この前、皆既月食がありましたよね。写真は撮りましたか?」

「いいえ、ただボーッと見ていただけでした」

ええええぇぇぇっ!!!

そこはふつう、撮るんじゃねえの?プロのカメラマンだぜ??

「そうか、写真、撮ればよかったですねえ。気づきませんでした」と。

皆既月食なんて、そうめったに起こるものではない。僕だって、スマホを駆使して撮影にチャレンジしたのだ。ここがカメラマンの腕の見せ所じゃねえの?

そんな話をしていたら、ある人が、

「撮りたいものではなかったんじゃないんですか?」

と言った。

「どういうことです?」

「カメラマンだからといって、どんなものでも撮りたいわけじゃなく、おそらく撮りたいものが人それぞれ違うわけです」

「ほう」

「たとえば、その若いカメラマンは、写場に籠もって静物写真を撮るのが好きだけれども、風景写真にはあまり興味ない、という可能性もあるのではないですか」

「なるほど」

「私の知っている別のカメラマンは、写場に籠もって静物写真を撮る仕事ばかりをしていたのですけれど、以前、学生時代にその方が撮影した写真を見せてもらったことがあって」

「ほう」

「それを見たら、ほとんどが風景写真だったんですよ」

「どういうことです?」

「つまりそのカメラマンは、写場に籠もって静物写真を撮ることを主たる生業としていたけれども、本当のところは、風景写真が撮りたくて仕方がなかったのではないかと。ひょっとしたら、その人にとって静物写真を撮ることは苦痛だったのではないか、と、こういう仮説が浮かんだのです」

「なるほど。テレビや映画のカメラマンなどでも同じことがいえるかもしれませんね」

「といいますと?」

「『水曜どうでしょう』の嬉野ディレクターは、あの番組でカメラマンをしていましたけれど、ともすれば、タレントを映さずに風景の方にカメラを向けていましたよね。それを藤村ディレクターにたしなめられたりして。嬉野ディレクターもまた、風景を撮るのが好きだったんじゃないか、と」

「そのたとえはよくわかりません」

いずれにしても、プロのカメラマンだから何でも写真におさめたいのだろうと考えるのは、こちらの偏見なのだということがよくわかった。

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秘境探検作家に会う

11月12日(土)

先週、僕の住む市にある小さな書店でおこなわれたトークイベントに来店参加したと書いたが、今日もまた、同じ書店でトークイベントがあり、来店参加した。

今日のゲストは、僕が愛読している探検作家である。これは聴きに行かない手はない。

例によって15名程度のお客さん。僕は最前列の、その探検作家のお顔がよく見える席に陣取る。かぶりつき、というやつである。

実際に見る探検作家は、想像よりも華奢な感じがした。秘境探検をするような人だから、もっとマッチョな感じかと思ったら、ぜんぜんそんなことはなかった。

しかも、ガッハッハ系ではなく、そんなに押しの強い人とも思えない。しかし、めげない人なのだろうなという印象ではあった。

お話は終始おもしろくて、というか、あれほどの体験をいくつもしている人の話だから、おもしろくないわけがない。

僕は、探検ものも好きなのだが、その作家には「探検しない三部作」というのもある。「青春三部作」といってよいかもしれない。実はその三部作が、ことによると探検ものよりもおもしろいかも、と思ったことがある。今日のお話ではじめて知ったのだが、若いころは、自分の書く文章を編集者になるべくいじらせないで本を作ってきたが、「探検しない三部作」は、個性的で有能な編集者と議論しながら作り上げていったものだったという。なるほど、それであれだけ読ませる本になったのか。で、それがきっかけになって、編集者の意見を聞きながら作り上げていくようになったのだという。

「でも、トンデモ編集者もいましたよ」

「ほう、どんな?」

「あるとき、こんなことを言われたんですよ。『宮部みゆきって作家いるじゃないですか、あんなふうにおもしろく書けませんかねえ』と。何それ?って思いましたよ」

僕はそれを聞いて思わず爆笑した。いかにもそういう編集者、いそうだなあ。

あっという間の90分だった。

トークイベント終了後、例によってサインをもらいに行く。サインをもらっている時間が、唯一の話しかけられるチャンスである。

「あのう…、実は私も同じ秘境で探検しました

そう言うと探検作家は笑って、

「そうでしたか。思ったよりよかったでしょう」

「ええ、よかったです」

ファンは、このことを伝えるだけでも精一杯である。

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「ラーハ」な時間

11月11日(金)

今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!

少し前に、文筆活動や地方局のラジオパーソナリティーなどをしている「うっすい知り合い」のトークイベントに来店参加した、ということを書いたが、一昨日の水曜日、その友人の方から、メッセージが届いた。というか、その「友人の方」、というのが、僕がかつて仕事をしたことがある人で、その人を介して、そのラジオパーソナリティーの方と1,2度面識を持った、という経緯がある。

そのメッセージによると、その前日、久しぶりにふたりで仕事をして、その仕事が比較的早く終わったので、夕方に代々木公園を通ったら、大勢の人が空を見上げている、何かと思ったら、皆既月食を見ているのだとわかり、じゃあせっかくだからと、皆既月食を眺めながら代々木公園でしばらく時間を過ごすことにした、と。

で、その代々木公園で、急遽、ラジオ番組を収録すること思い立った。ふたりが大変お世話になった編集者の方が、いま重い病で闘病中である。その編集者のためだけに、架空の、というべきか、非公開の、というべきか、とにかく私家版のラジオ番組を作って、その闘病中の編集者の人に贈り、元気になってもらおう、と計画したそうなのである。

で、その完全非公開のラジオ番組の音声ファイルが、僕のところにも送られてきた。いわゆる「完パケ」というヤツである。

なぜ、その音声ファイルが僕のところにも送られてきたかというと、その闘病中の編集者は、僕もよく知っている人で、僕も大病を患ったことがあったものだから、たまにメールを送って、その編集者を励ます、と言ってしまっては上から目線な感じだけれど、なんとか元気になってもらいたいと思っていたので、そのことを知っていたその二人が、僕にもその完パケのラジオ番組の音声ファイルを送ってくれたのだろう。もちろん、僕よりもその編集者と親しい人は何人もいるから、他の人にも送ったものと思われる。ただ、間違いないのは、そのラジオ番組は闘病中の編集者のためだけに作られたものである、ということである。

送られてきた音声ファイルには、「鬼瓦先生からのおたよりをお待ちしております」と、メッセージが添えられていた。おたより?おたよりって何だろう?

さっそくその音声ファイルを聴いてみると、これがちゃんとしたラジオ番組になっていた。オープニングのフリートークがあり、2つくらいのメール紹介コーナーがある。メール紹介のコーナー、といっても、非公開のラジオ番組なので、実際にはメールが来るはずもなく、二人でそのテーマに関する即興のトークをする。さらに、曲も3曲ほどかかった。ふつうのポッドキャストだったら権利関係で音楽は流せないのだが、私家版で非公開のラジオ番組なので曲は堂々と流すことができる。

つまり最初から最後まで、ちゃんとしたラジオ番組の体裁をとり、しかもきっちりと30分に時間をおさめていた。おそらく、皆既月食の夜に代々木公園でトークを収録し、その後1日かけて、そのラジオパーソナリティーが音楽を入れたりして30分の番組に編集したのだろう。

たったひとりに向けてのラジオ番組のために、これだけの手間をかけるって、すごくない?その番組の中で、とくにその人に向けてのメッセージはなかったが、それとわかるキーワードがふんだんにちりばめられており、闘病中の編集者は、おそらくこれを聴いて泣いたと思う。

さて、「鬼瓦先生からのおたよりをお待ちしております」というメッセージの謎が解けた。そのラジオ番組のコーナーに、メールという体裁で何かを書いてくれ、ということなのだという意味なのだ。もちろん冗談で書いたのだろうけれど、この冗談を受け流してよいものだろうか。冗談には洒落で返すべきなのではないか。

2つほどコーナーがあったうちの1つが、「あなたにとってのラーハな時間」というテーマだった。「ラーハ」というのは、アラビア語で「くつろぎ」とか「安息」という意味で、仕事でも遊びでもない時間のことを言う。もう一つのテーマでは書きにくかったので、こちらのテーマを選んで、ひとつ洒落で書いてみることにした。番組内ではメールの宛先についての告知がなく(あたりまえだ)、「何らかの方法で送って下さい」と言っていたので、このラジオ番組を送ってくれた人に、ラジオ番組にメールを出す体裁でメッセージを書いた

「初めてメールします。ラジオネーム『○○○○○○』と申します。私のラーハな時間は、小さくて個性的な本屋さんに行って、店内に並んでいる本を眺めることです。はじめて知った本があったり、店主や店員さんの選書のセンスが光っていたりすると、それだけでも幸せな気分になります。最近は店内にカフェが併設されている書店も増えましたが、古い人間のせいか、カフェを利用する勇気がまだなく、書店のカフェを利用しながら日がな一日好きな本を読むことが、よりラーハな時間を過ごすための次なる課題です」

我ながら、なんとなくラジオ番組へのメールっぽくなったではないか。

このラジオ番組に2回目があるのか、わからないし、そもそも非公開で私家版のラジオ番組なので、結局このメールが日の目を見ないで終わるのは間違いない。そんなことはどうでもいいのだ。僕がいま思うのは、病気と闘っている、ひとりの人のために、皆既月食が見える夜の代々木公園で二人でおしゃべりをした会話を収録して、仕事でもないのに30分のガチのラジオ番組に仕上げて、その人に贈る、という行動、それこそが、いちばんの「ラーハ」な時間なのではないか、ということである。

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饒舌な社長

11月10日(木)

来年のイベントにご協力いただくために、都心の一等地に居を構える会社の社長に挨拶しに行く。朝から緊張して何も手につかない。

忙しい社長なので、ひょっとしたら待たせることになるかも知れないので、午後2時半過ぎに来てくれ、と言われた。

その社長は饒舌で有名な方だそうで、ブログも毎日更新されているのだそうだ。僕は事前にブログを読み込み、その社長の経歴を調べたりしてのぞむことにした。経歴を調べていて、あることに気づいた。

さて、約束の時間にうかがうと、すでに社長はいらっしゃった。噂通り饒舌な人で、会うなり、まくし立てるようにお話が始まった。

うーむ。これは完全にあちらのペースだ。

部下の方が「そろそろ本題に…」と言いかけたときに、僕は「その前に、ひとつだけよろしいでしょうか」と話を遮った。

「社長は以前、別の会社の社長をされていましたよね」

「してましたよ」

「実は私、前の職場につとめていたときに一緒に仕事をした同僚が、その後そちらの会社に採用されて、いまそこに勤務しています」

「お名前は?」

「○○○さんです」

「○○○さん!それは僕が社長のときに採用した人だよ!しっかりした人でねえ」

「そうですねえ。私も前の職場のときはいろいろと助けてもらいました」

そこからひとしきり、前の会社の社長時代のエピソードを饒舌にお話しになった。

横でヤキモキして聴いていたのは、部下の方である。

「そろそろ本題に…」

「そうでした。こんどこそ本題に入りましょう」

ひとしきりイベントの趣旨を説明して、無事に社長への挨拶は終了した。ま、あとで聞くと、この会社特有の儀式のようなものだったので、別に僕が事前に社長のことをリサーチしなくても、型どおりの説明をすればそれだけで交渉は無事に済んだのかも知れない。

でも、前の職場で一緒に仕事をしたその人のことを思い出しながら、人間の縁というのは不思議なものだなあ、ここでこうして社長とお会いすることになったのも、必然だったのかも知れない、と思えてきた。もっとも、その社長はお忙しい方なので、そんな些細なことなどすぐに忘れてしまうかも知れないけれど。

その、饒舌の異名をとる社長のブログを読み返す。

どう考えても、饒舌なのは俺のブログの方だな、と思った。

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間に合えばお願いします

11月9日(水)

以前、「しつこくてすいませんが…」というメールが来て、絶対に出さなければならない職業的文章をやっとの思いで提出したら、実は僕の後ろには原稿を書いていない人がけっこういた、という話を書いた。

10月の末にその初校があがってきて、今回は校正を早めにして返しちゃおう、と、ほぼ校正をすませたところで、編集者から、

「間に合えばお願いします」

という件名のメールが来た。

こんどは何なに~!もうこの件名を見ればイヤな予感しかしない。

「まだ間に合えばですが、ご検討いただきたい点があります」

と、以下、3点について、大幅な修正点があげられていた。

そのうちの2点は、他の執筆者が書いた文章を、僕の書いた文章の冒頭にリライトして差し込んでほしい、その方が流れとして適切なので、という依頼だった。そして、その執筆者の文章のPDFファイルで送られてきた。他の執筆者のPDFファイルには、けっこうな分量の文章がマーカーで囲まれている。その文章を、僕の執筆したページに移して、自然な流れになるようにリライトしてもらいたい、というのである。

ちょっと待ってよ、そんな無茶な!言ってみれば、臓器移植手術ってこと?

すでに僕は、見開き2ページにピッタリおさまるように文章を書いている。サントリーウィスキー「山崎」の、「何も足さない、何も引かない」状態である。それでうまくいったと思っているのに、いまになって、他人の文章をこの中に入れろだと??

早く言ってよ!という心境である。最近、早く言ってよ!と言いたくなる事案が増えていて、それでなくともムシャクシャしていたのだ。

ふつうだったら、「そんなことできるか!」と突っぱねるところなのだが、それはそれ、僕もプロのライターだから、「わかりました」とやってみることにした。

まず、僕の文章の中に挿入すべき、他の執筆者の文章。これが、僕の文体とはまったく異なる。はっきり言って難解なのである。しかも長い!これを、書いてある内容をかみ砕いて説明したうえに、適切な長さにまとめる必要がある。

修正して確定した文章、つまりは1段落分を、僕の原稿におさめるのだが、そうするとこんどは、僕の文章が、その段落の分だけはみ出してしまうことになる。そこで、こんどは僕の文章を削る。

不思議なもので、自分の文章を読み直すと、ここはなくてもよい説明だな、というところに気づく。それらをバッサリと切って、なんとか見開き2ページにおさめた。するとあら不思議、修正した全体の原稿は、以前の原稿よりも読みやすくなった。

「何も足さない、何も引かない」なんて言ってる場合ではないな。こと文章に関しては、足したり引いたりすることでもっと味わい深くなることもあるのだ。

そんな作業を昨晩の夜遅くまで行い、深夜に先方に送信した。久しぶりにかなりの寝不足となった。翌朝、「お忙しいなか、また急なお願いにもかかわらず、ありがとうございました」と、短い返信が来た。

何が言いたいかというと、先方の無茶で急な依頼に対応して、先方の希望に沿った文章を納品する俺ってスゲえ、ということなのである。要はいつもの自慢ですよ。

たぶん、その文章が日の目を見ることはないのだが。

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皆既月食

11月8日(火)

皆既月食の日だという。ニュースでは、「皆既食」という言い方をしていたところもあるが、「皆既月食」と「皆既食」の違いって何なの?いまは「皆既月食」とは言わずに「皆既食」ということに決まったのか???よくわからない。

ふだん、夜空なんぞ見上げたことはないのだが、たまたま保育園のお迎えの時間に、皆既月食が始まっていた。

肉眼で見ると、たしかに月の左下の方に大きな影ができていて、それが次第に広がっていくように見える。

自宅に戻り、マンションから皆既月食の様子をスマホで撮影することにした。

ミラーレスカメラみたいなものも持っているのだが、どうもうまく撮れない。僕の持っているスマホは、30倍まで拡大できるので、スマホのカメラ機能の方が、性能がよいようなのである。

ちょうど月が半分くらい欠けたところをスマホで撮影したら、思いのほかよく撮れたので、最近ほとんど放置しているSNSにアップしたら、珍しく「いいね」という反応をもらったり、コメントをもらったりした。

「スマホなの?めっちゃきれいに撮れてますね」

とか、

「すごい」

とか。

得意になった僕は、「「これより欠けてもうまく撮れないし、あまり欠けてないと月食だかなんだかわからないし、ということで、このくらい(注:月が半分くらい隠れている状態)の形がちょうどいいみたいです」などと、ほら、『徒然草』の兼好法師も「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」って言ってるでしょ、ってな感じで、ひどく調子こいたコメントを書いたりした。

しかし、実は僕は皆既月食に関する知識がまったくなかった。月が完全に地球の影になってからが本番なのである。僕はてっきり、月が地球の影にすっぽり隠れると何も見えなくなるのだと思い込んでいたが、そのときに月は神秘的な赤銅色を放つというのだ。

それなのに僕は、半分欠けたところを撮っただけで満足してしまい、その後は家の中に入り、赤銅色に見えるという月の皆既食を一切観察しなかった。メインはそっちだろう!と。

僕は、同じ『徒然草』の中にある「少しのことにも、先達はあらまほしきことなり」という仁和寺の法師の話を思い出した。

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言葉にする勇気

11月7日(月)

通勤に往復5時間、職場の滞在時間が2時間というのは、ひたすら徒労感が増すばかりである。しかも夕方の都内は退勤の車で大渋滞であった。

何も書くことがないので、一昨日のトークイベントのことをもう少し書く。

トークイベントに出た、僕の「うっすい知り合い」について、この人はすごいなあ、と思う場面があった。

対談が始まる直前のことである。その「うっすい知り合い」は、司会進行役の店主に、何やら耳打ちをしていた。僕は一番前の席だったので、なんとなくその声が聞こえたのだが、

「換気のために、書店の入口の扉、ほんの少しでいいので、開けていただけませんか?」

とおそらく言っていたのだと思う。トークイベントということで、ほかのお客さんが入ってこないように、とか、音が漏れないように、ということで、書店の入口は閉められていたのだろう。でも、狭い店内だし、そのなかにお客さんを含めて15人くらいはいたので、その「うっすい知り合い」は、感染のことを心配したのである。僕は鈍感だったが、お客さんの中にも、そういうことを気にする人がいたに違いないし、その人のことに対する想像力もはたらかせたのだろう。

物腰の柔らかい店主は、「そうですね。そうしましょう」と、その方の意図をくんで、書店の入口の扉を換気のために開けてくれた。そのことにホッとした「うっすい知り合い」は、心おきなくトークに集中できたようであった。

なにより、こういうことを、ちゃんと言葉にして相手に伝える、というのは、本当にすばらしいと思う。別のたとえでいえば、人前でたばこを吸うのがあたりまえだったような時代に、「たばこをやめてもらってもいいですか?」と伝えるくらい、勇気のいることである。ほんのちょっとした言葉を口に出すことで、世の中が少しずつ変わるような気がする。

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パンダファンミーティング

11月5日(土)

文筆活動や地方局のラジオパーソナリティーをしている「うっすい知り合い」(「知り合い」であると強調するにはあまりにもおこがましく、ちょっと憚られるので、「うっすい知り合い」ということにする)が、僕の住む市にある小さな書店で、トークイベントをすると聞いたので、これも何かの縁と思い、来店参加することにした。

「どうせファンミーティングなんでしょ?」「違う。トークイベントだよ」と家族に嫌みを言われながら、バスと徒歩で会場に向かう。

なんでも、今年はパンダ来日50周年なのだそうだ。それでパンダをテーマとして企画したそうで、自他ともに認めるパンダ好きのその「うっすい知り合い」と、パンダの専門家との対談が実現したのであった。

開始直前に、小さな店内に入ると、10名程度の来店参加者がいた。だんだんわかってきたことだが、来店参加者のほとんどは、ガチのパンダ好きだったようである。

僕は端っこの席に座り、パンダに詳しくない俺が来たのは場違いだったかなあと身を潜めていると、その「うっすい知り合い」が、緊張した面持ちで、

「こんにちは。お久しぶりです」と会釈したので、僕も突然のことであわわとなり、「どうも、こんにちは」と返すのが精一杯だった。その「うっすい知り合い」は、対談する席に着いた。

するとその後ろに立っていた方が、

「ご無沙汰しております。その節はどうも」

と声をかけてきた。その「うっすい知り合い」が書いた本の担当編集者の方である。

「おやおや、ご無沙汰しております」

話が長くなるので、かいつまんで話をすると、その編集者とは、ある場所で名刺交換をしたことがある。その際に、同じ鬼瓦姓だったことにおどろき、「同じ鬼瓦姓なんて、珍しいですね」という話になり、これも何かのご縁と、以前僕が編集を担当した雑誌を送ったことがあった。するとしばらくたって、その編集者から、その出版社から出した新刊が送られてきた。つまり本の交換をしたのである。送られてきた2冊の本は僕の好みそうな本を選んでくれたらしく、たしかに読んでとてもおもしろかったのだが、忙しくて感想をお伝えするタイミングを逸していたところだった。

「前にいただいた本、とてもおもしろかったです。感想のお返事を出さずにすみませんでした」

「いえいえ、それにしても、不思議な縁ですね」

「そうですね。まさか鬼瓦さんがあの本の編集担当だったとはね」

「そういう鬼瓦さんも、著者と以前からお知り合いだったとは」

という謎の会話。

トークイベントが始まった。内容は、予想していたとおりパンダの話で、パンダの専門家がほとんど喋っていた。「うっすい知り合い」は、ラジオパーソナリティーらしく、その専門家の話をうまく引き出していた。

最後の質問コーナーでは、ガチのパンダ好きによる質問も出て、ああ、ほんとうにこの場はパンダ好きが集まっていたのだなと実感した。僕の隣に座っていた若い男性は、対談の間、ふたりの話をずっとメモしていて、そのメモにもとづいて質問をした。その真摯な姿勢に、僕は胸を打たれたのだった。おそらくパンダ好きに、悪い人はいないのだろう。

1時間半のトークイベントが終わったあと、僕は帰り際に「うっすい知り合い」と担当編集者に挨拶をした。

「鬼瓦先生は、引きが強いですよね」その「うっすい知り合い」も、担当編集者と僕の不思議な縁に驚いていたようだった。

「よくそう言われます」そして編集担当者の方を向いて、「いつか鬼瓦さんといっしょに仕事ができる機会があればいいですね」「そうですね」と言葉を交わし、書店をあとにした。僕もエッセイ集を出したいぞ。

そして、少しだけパンダについて詳しくなったぞ。

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わかりやすさの罪

11月4日(金)

今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!

最近運転中の車中でよく聴く30代前半のラジオパーソナリティーのポッドキャスト番組で、こんな話をしていた。

知り合いが、このままあなたが埋もれてしまうのはもったいない、もっと売り出すための戦略を練ろうと考えてくれることになった。売り出すためのキャッチコピーを考えようと提案し、いくつかキャッチコピーを考えてくれたのだが、どれもしっくりこない。自分は、何事も極めてはいないし、それゆえに、何かひとつの言葉で自分を表すことができない。たとえばそれが、時代のトップランナー的な人ならば、わかりやすいキャッチフレーズができるかもしれないが、自分はとてもわかりにくい存在であり、わかりやすくカテゴライズされることが苦手である。ということで、その売り出し戦略はボツになった。

たしかに、その分野のトップランナーというのは、自分の職業(専門)は○○です、と胸を張って言えるし、だからこそその分野で評価されたりする。一方でそのラジオパーソナリティーは、ラジオもやれば、文筆業もやり、裏方の仕事もやる。そのどれもが自分自身の一部なので、自分はその道の専門ですと堂々と名乗ることができない。あなたは何者ですか?とたずねられて、わかりやすい回答をするのに窮するのである。

わかりやすいことはほんとうにいいことなのか、というのは、永遠の命題である。

僕がいま準備に奔走しているイベントも、正直に言うと、きわめてわかりにくい。わかりやすいイベントではなく、わかりにくいイベントなのである。というか、わかろうとするためには、そうとうな忍耐で理解しようとしなければ、わからないと思われる。

僕自身がもともとカテゴライズされるのが苦手な人間なので、その映し鏡として、自分が企画したイベントも自然とそのような性格のものになりつつある、と言えなくもない。

しかし一方で、これは客商売なので、できるだけ多くの人にこのイベントに関心を持ってもらいたい、という思いもある。間に入る広告代理店は、どうにかこうにか、このわかりにくいイベントをわかりやすくアピールしようと、いろいろなキャッチフレーズを考えたりしてくれるのだが、しかしながらどうも僕自身にはしっくりいかないことが多い。

この文章、こうした方がいいですよ、と提案してくれた文章が、僕には悪文に思えてしょうがない、と思うこともあるのだが、これは僕自身にセンスがないのか、と悩むこと頻りである。

いまはいろいろなプレゼンテーションの際に、常にわかりやすさが求められる。しかしそうすることで取りこぼされるものも多くなる。最近の僕はそっちの方が気になるようになってきた。なのでそのラジオパーソナリティーの言うことはすごくよく理解できる。

そのパーソナリティーはまた、「最近は、裏方の仕事をするようになってきたんだけれど、それをやってみて思うのは、仕事のほとんどは調整なんだということ。これは、人前に出る仕事だけをしていたころにはまったく気づかなかった」と言っていた。これもまた同感である。いまの僕の仕事の9割以上は、調整である。調整は決してオモテにあらわれない仕事だが、これをやらないと仕事が回らないという意味で、最も重要な仕事である。わかりにくく、見えにくいところにこそ、真実が隠されている、という言い方は、ちょっと大げさか。

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突破力

11月2日(水)

10月21日(金)のTBSラジオ「アシタノカレッジ 金曜日」で、次のような内容のメールが紹介されていた。

「日々のニュースを見ては混乱しています。たとえば、世間で政治家や経営者などが突破力といって評価されていることに違和感があります。具体的な手法や工程を示さず、部下に無理難題を押しつけ、過労死もかまわず働かせ、尻拭いさせ、関係各所の準備や負担を無視し、取り残されている人は切り捨て、責任の取り方が謝罪の言葉を発するだけならば、だれでも何でも掲げられる、と思っていますが、それを世間では突破力と評価していると思っています。私の考え方がひねくれているのでしょうか」

うーむ。俺も思いあたるフシがあるぞ。

物事を大きく変えていこう、とか、新しいことにチャレンジしよう、といったとき、突破力を売りにしているリーダーは、自らの意志を力強く表明すれば多くの人に理解してもらい、そのことが実現できると思い込んでいる。しかし実際は、その漠たる方針につじつまを合わさなければならない部下たちが、かなりの、それもあまり生産的ではない努力を強いられる。結果的に、無駄な打合せに参加させられ、絵に描いたような餅のような構想を考えさせられ、それを実現するために、というか実現したように見せるために、なんとか取り繕おうとする。

以前、どこかの自動車会社の社長さんが、みずからCMに出演し、「BEVも本気、燃料電池も本気、PHEVも本気、全部本気です!」と、熱をもった言葉でみずからの突破力の強さを公然とアピールしていたのを思い出す。僕はあのCMが怖くて仕方なかった。全部本気で取り組めるほど、会社には十分な体力があるのだろうか。社長、よく言ってくれた、と、社員たちは諸手を挙げて賛成しているのだろうか。僕にはよくわからない。少なくとも僕だったら、おいおい、それを実現させる身にもなってくれよ、と思ってしまうかもしれない。

突破力を標榜しているリーダーは、意外なところで打たれ弱いということも、僕は知っている。いや、むしろ本人がそのことを自覚しているから、突破力という甲冑を着ているのかもしれない。

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レモンの実

11月1日(火)

仕事が終わらず、夜遅くになってやっと職場を出て車に乗り込む。運転しながらの2時間はもうひと仕事である。

今日は、火曜日か、じゃあradikoのタイムフリーで「大竹まこと ゴールデンラジオ」を聴こう。メインパーソナリティーの大竹まことさん、火曜パートナーの小島慶子さん、火曜レギュラーの武田砂鉄さん、砂山圭太郎アナウンサーの4人のオープニングトークが始まった。

わが家のレモンの木、もう全滅かと思ったら、地べたのところにひとつだけ実がなってねえ、まだ青いんだけれど、うれしくってねえ、と大竹さん。

そこから、1つだけ実がなったレモンの使い道について、あーだこーだと話が弾む。

焼き魚にレモン汁としてかけたらどう?、そんなもったいない使い方がありますか、1個しかないんですよ、もっと大切に使いましょうよ、じゃあ無駄なく使う方がいいね、砂糖漬けなんかどうかしら、砂糖漬けにしたら、皮まで全部食べられるし、砂糖漬けねえ、蜂蜜漬けとかはどうかね、そもそも、レモンって、実が青いうちに収穫してもいいものなのかね、バナナみたいに収穫した後に黄色くなるとか?、さあ、どうなんでしょうねえ。

そのうちリスナーも参加しはじめる。レモンはこれからの時期に黄色くなりますから、収穫はちょっと待った方がいいですよ、レモンの木は、年に4回は肥料を与えなければ実がなりませんよ、1年に4回!?、ずいぶん多くやらないとダメなんだねえ、レモンの皮と青唐辛子を細かく砕いて、ゆず胡椒みたいにしたらどうでしょう、なるほど、レモン胡椒ってわけね。

ひとつの小さなレモンの実をめぐって、じつに他愛のない話が飛び交っている。だれも不愉快にならずこの話題に参加しているというのがよい。楽しそうにどうでもよい話をする、というのが、おそらく日常生活の中で最も尊い時間なのではないか、と思わせる。

人生のある瞬間に、そういえば、あのとき、1つだけ実がなったレモンをどうすればいいか、なんて、みんなで話してたね、そうだね、あのときほどレモンについて考えたことはなかったね、などと思い出すのかもしれない。いや、そういうことほど、覚えているに違いないのだ。

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