ストレンジワールドとすずめの戸締まり
11月26日(土)
この週は、4歳の娘と二人で、映画館で2本の映画を観た。23日の祝日にディズニー映画「ストレンジワールド」、26日の土曜日に新海誠監督の映画「すずめの戸締まり」である。娘とまる一日、二人で過ごすという日は、映画館に行って映画を観ると、時間が持つのである。
ひとつはディズニー映画だし、もう一つは日本のアニメ映画だし、どちらのジャンルもテレビ放送から録画して繰り返し観ている経験をしているから、全然問題ないだろうと思って観に行ったのだが、これがなかなかたいへんだった。
どちらの映画も、映画のはじめのほうから、「パパ、恐い…」と言い出したのである。
あまり書くとネタバレと言われそうだから書かないが、どちらの映画も、序盤の段階から、「ニョロッとしてもの」が出てくるのである。どうもそれが恐いらしい。いままでそんなことはあまりなかったのだが、この2つの映画に関しては、映画を観ている途中で、
「パパ、おしっこ」
と言い出した。
「映画を観る前におしっこしたでしょ!」
「でも、おしっこ」
といって聞かない。
恐くておしっこが漏れそうになったのか、あるいは恐い場面を観たくないという防衛本能がトイレに行かせようとするのか、だと思うのだが、いずれにしても、映画の途中で席を立ってトイレに連れて行く羽目になった。おかげで、なぜあの人が、あんな感じになっちゃったのか、という肝心な部分を、見逃すことになる。
今後は、恐い場面が訪れると尿意をもよおすという娘の悪いクセをなんとかしなければならない。
それはともかく、「ストレンジワールド」は、大人の僕が観ても、1回ではその世界観を完全に理解することは難しかったし、「すずめの戸締まり」も、その世界観に圧倒されはしたが、これを一度観ただけでその内容を受け止めるのは至難の業である。ま、ストーリーが追えなくても、何かしらの場面は娘の心の中に残っただろう。
2つの映画は、対比するようなものでは全然ないが、「ストレンジワールド」は父と息子の絆を確認する物語で、「すずめの戸締まり」は母と娘の「喪失」の物語で、対照的である。とりわけ後者は、主人公の「すずめ」が4歳だった頃に母親への喪失感を抱くという場面がくり返し登場し、ちょうど4歳の娘を持つ親にとっては、涙なしには観ることができない。うちの娘は、何かを感じとっただろうか。
後者については、つい最近観た「天間荘の三姉妹」もそうだったが、11年前のあの出来事が映画の主題となる、しかもかなりリアルにあの時の出来事を思い起こさせる仕掛けになっているのは、そろそろ、そういうことを映画としてとりあげてもよいだろう、という時期になったということなのだろうか。しかし、あの出来事に巻き込まれた当事者たちにとっては、まだちゃんと向き合うことができないのではないかと、なかなか複雑な気持ちになる。
おっと、あやうくネタバレしそうになった。関係ない話を書こう。
全然知らないある人のツイートで、「2人がフェリーに乗り込むところは『転校生』のオマージュ、愛媛の道路で大量のみかんが転がってくるところは『天国にいちばん近い島』のオマージュだろう。やっぱり新海誠監督は大林映画が大好き」とあるのを見つけ、なるほどそうだ、と思った。
そういえば、『天国にいちばん近い島』にそんな場面があったな、と思い出して見返してみると、ミカンではなく、大量の椰子の実がトラックから転がってくる場面があって、なるほどそっくりだと思った。
そのことがきっかけになり、『天国にいちばん近い島』全編を見直してみたのだが、同じ原田知世主演作品でも、ぼくはあの名作『時をかける少女』よりも『天国にいちばん近い島』のほうが好きかも知れない。映画全体が、劇伴を含めて古きよきハリウッド映画へのオマージュになっていて、たぶんこれは大林監督の完全な趣味だろう。脇を固める赤座美代子、泉谷しげる、乙羽信子、小林稔侍、松尾嘉代、峰岸徹、室田日出男といった俳優陣の演技もすばらしい。
剣持亘の脚本もすばらしい。剣持亘は尾道三部作の脚本などを手がけているが、どうも寡作の人だったようで、大林映画の脚本をもっと書いてもらいたかったと思う。
| 固定リンク
「映画・テレビ」カテゴリの記事
- KOC雑感2023(2023.10.22)
- 福田村事件(2023.10.13)
- 風穴を開ける(2023.09.18)
- 再び「荒野に希望の灯をともす」(2023.08.29)
- 荒野に希望の灯をともす(2023.08.13)
コメント