スダを比較する
11月25日(金)
今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!
イベントの準備が、アクセルを踏んでも進んでいない感じのスランプ状態に陥っている。つまりはクッソ忙しいのだが、唯一の楽しみは、職場への行き帰りの長時間に、ポッドキャストを聴くことである。
韓国語で「スダ」という言葉がある。おしゃべりとか、無駄話、という意味である。「駄弁る」と言う言葉がいちばんしっくりくるように思うのだが、「駄弁る」は死語なのか?
最近聴いているのは、自分と同世代、つまりギリギリバブル世代の二人が「スダ」をするポッドキャスト番組と、「ゆとりっこ世代」の二人が「スダ」をするポッドキャスト番組である。
二つの番組に共通しているのは、番組のリスナーを「リスナー」とはいわず、独特の呼び方をしていることと、どちらの番組も熱狂的なファン、いわゆるヘビーリスナーがいるということである。
両者を比較してみると、面白いことに気づく。
ゆとりっこ世代の二人のスダは、お互いの言ったことを決して否定しない。「わかる」とか「たしかに」という言葉を連発しながら、話題を重ねていく。話し方も、かなりゆったりとしていて心地よい。
一方で、ギリギリバブル世代の二人のスダは、一種のプロレスである。もちろん、根底に強い信頼関係があるからこそできるのだろうが、言葉の応酬がすさまじい。そしてずいぶん早口である。それに、ゆとりっこ世代のスダを聴いた後であらためて聴いてみると、話題やたとえが古い。2000年問題、あったよねえとか、いまの若い人はまったく知らないだろう。
全共闘世代、バブル世代、ロスジェネ世代、ゆとり世代、Z世代など、いろいろな世代があるが、各世代の「スダ」の特徴を分析した新書を書けば売れるかも知れない。書こうとは思わないけど。
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