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わかりやすさの罪

11月4日(金)

今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!

最近運転中の車中でよく聴く30代前半のラジオパーソナリティーのポッドキャスト番組で、こんな話をしていた。

知り合いが、このままあなたが埋もれてしまうのはもったいない、もっと売り出すための戦略を練ろうと考えてくれることになった。売り出すためのキャッチコピーを考えようと提案し、いくつかキャッチコピーを考えてくれたのだが、どれもしっくりこない。自分は、何事も極めてはいないし、それゆえに、何かひとつの言葉で自分を表すことができない。たとえばそれが、時代のトップランナー的な人ならば、わかりやすいキャッチフレーズができるかもしれないが、自分はとてもわかりにくい存在であり、わかりやすくカテゴライズされることが苦手である。ということで、その売り出し戦略はボツになった。

たしかに、その分野のトップランナーというのは、自分の職業(専門)は○○です、と胸を張って言えるし、だからこそその分野で評価されたりする。一方でそのラジオパーソナリティーは、ラジオもやれば、文筆業もやり、裏方の仕事もやる。そのどれもが自分自身の一部なので、自分はその道の専門ですと堂々と名乗ることができない。あなたは何者ですか?とたずねられて、わかりやすい回答をするのに窮するのである。

わかりやすいことはほんとうにいいことなのか、というのは、永遠の命題である。

僕がいま準備に奔走しているイベントも、正直に言うと、きわめてわかりにくい。わかりやすいイベントではなく、わかりにくいイベントなのである。というか、わかろうとするためには、そうとうな忍耐で理解しようとしなければ、わからないと思われる。

僕自身がもともとカテゴライズされるのが苦手な人間なので、その映し鏡として、自分が企画したイベントも自然とそのような性格のものになりつつある、と言えなくもない。

しかし一方で、これは客商売なので、できるだけ多くの人にこのイベントに関心を持ってもらいたい、という思いもある。間に入る広告代理店は、どうにかこうにか、このわかりにくいイベントをわかりやすくアピールしようと、いろいろなキャッチフレーズを考えたりしてくれるのだが、しかしながらどうも僕自身にはしっくりいかないことが多い。

この文章、こうした方がいいですよ、と提案してくれた文章が、僕には悪文に思えてしょうがない、と思うこともあるのだが、これは僕自身にセンスがないのか、と悩むこと頻りである。

いまはいろいろなプレゼンテーションの際に、常にわかりやすさが求められる。しかしそうすることで取りこぼされるものも多くなる。最近の僕はそっちの方が気になるようになってきた。なのでそのラジオパーソナリティーの言うことはすごくよく理解できる。

そのパーソナリティーはまた、「最近は、裏方の仕事をするようになってきたんだけれど、それをやってみて思うのは、仕事のほとんどは調整なんだということ。これは、人前に出る仕事だけをしていたころにはまったく気づかなかった」と言っていた。これもまた同感である。いまの僕の仕事の9割以上は、調整である。調整は決してオモテにあらわれない仕事だが、これをやらないと仕事が回らないという意味で、最も重要な仕事である。わかりにくく、見えにくいところにこそ、真実が隠されている、という言い方は、ちょっと大げさか。

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