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2022年12月

蒲殿の活躍

12月30日(金)

NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」、第21話くらいまで見てそのままになっていたのだが、「今年の大河は今年のうちに」ということで、一昨日、録りだめておいた22話から48話までイッキ見した。もっとも、録画に失敗した回もあったので、途中、何話か抜けているのだが、それでも、ゆうに20話以上をイッキ見したことになる。

昨日は、これも途中で観る時間がなくて撮りだめておいた関西テレビ制作のドラマ「エルピス」の、後半数回分を観た。

そして今日、「エルピス」の最終回と、昨晩NHKで放送されていた「未解決事件」シリーズの「帝銀事件」のドラマを観た。

帝銀事件のドラマ、観る前は、再現ドラマのようなものだから、たいしたことはないだろうと思っていたら、さにあらず、がっつりホンイキで作られていた。そんじょそこらのドラマでは太刀打ちできないくらいの作り込みである。とくに、松本清張役を大沢たかおが演じるというので、想像がつかなかったが、このキャスティングが見事にハマっていた。大沢だけではなく、他のキャストも見事に役にはまっていたのだ。これ、編集長役の要潤と二人でバディもののドラマシリーズとして成立するんじゃないだろうか?いや、『日本の黒い霧』を松本清張扮する大沢たかお主演で大河ドラマになるんじゃなかろうか。

…という妄想を抱きつつ観ていると、帝銀事件の犯人が平沢貞道ではなく、別に真犯人がいるのではないか、と最初に疑った新聞記者役の俳優が、どこかで観たことがある。つい最近何かのドラマで観たぞ。

その新聞記者は、帝銀事件の犯人が平沢貞道であるという矛盾点をついた記事を書いているのだが、どうもあまり歯切れがよくない。その記事を読んだ松本清張は、その記者の慧眼に敬意を表しつつも、その点に不満が残った。そのことが、松本清張を帝銀事件の真相究明に駆り立てていく原動力になる。

実際にその新聞記者に会ってみると、実に気弱そうな新聞記者である。大きな権力を恐れて、事件の核心に踏み込むことができない。そのことを、松本清張に詫びたのであった。

うーむ。どこかで見た俳優さんだ、と思って、思い出した!「エルピス」に出ていた、「大門副総理」の娘婿だ!

大門副総理が数々の事件を政治の力でもみ消してきた事実を知り、秘書である娘婿が良心の呵責に耐えられなくなり、マスコミに告発しようとしたのだが、事前にそのことを察知され、大門副総理の手のものに殺される、という悲劇的な役柄を演じていた。

いや待てよ、この俳優さん、ほかにもドラマに出ていたぞ。

わかった、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、源頼朝の弟・源範頼(蒲殿)を演じていた人だ!

調べてみると、迫田孝也という俳優さんだった。かなり注目されている俳優さんだということもわかった。

この、源範頼という人物も、正義感にあふれ、「いい人」であるにもかかわらず、最後は謀反の疑いをかけられて流罪の憂き目に遭う、悲劇の人物である。

つまり、いずれのドラマでも、「割を食う」人物を演じているのである。「いい人なのに割を食う役の顔」選手権があったとしたら、優勝である。

ところで、「エルピス」と、「帝銀事件」のドラマは、えん罪を扱っているという点で、期せずして共通点がある。

無実の人間をえん罪に仕立て上げた真相を暴こうとすると、大きな権力から圧力がかかる。この点もまた、共通している。

もし、その真相が明るみに出たら、この国は、たいへんなことになる、政治体制は崩壊する、国際的にも信用を失う、この国のためを思ったら、えん罪事件の真相を掘り返すべきではない、などと、権力者の側は、そう説得しようとする。

これに対して大沢たかお演じる松本清張は、

「大義の話にすり替えてはいけない」

と反論する。この言葉が、胸に刺さる。

まるでいまのこの国の政治ではないか。

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筋膜と内転筋

12月29日(木)

9月4日の登山が、いまだに尾を引いている。そのときの足の痛みが、4か月近く経ったいまも続いているのだ。そればかりか、どんどん痛みが増しているような気がする。具体的にいうと、立ち上がったり、階段を昇降したり、とにかく足に体重をかけると、両足の股の付け根の外側あたりに激痛が走るのである。歩くスピードもふつうの人の2倍くらいかかる。

このままでは、一生この痛みとつきあっていかなければならないのではないかと不安になり、月曜日に整骨院に行くことにした。

担当のスタッフにかくかくしかじかと、足が痛くなった理由を説明し、患部を診療してもらったところ、原因は次のようなものだと説明された。

筋肉は、いくつものスジからなるが、そのスジを束ねる筋膜というものが存在し、その筋膜が幾重にも層をなし、層をなした筋膜が、足を動かすたびにスムーズにずれながら動くのだが、無理な登山をしたせいで、その筋膜が硬直化してしまい、スムーズな動きができず、それで体重をかけるたびに痛みが走るのである。その硬直化した筋膜をまず引き離し、さらに動きをなめらかにするためにそこに水分を行き渡らせる仕組みをととのえれば、痛みを和らげることができる、と。

なるほど、理屈はわかったが、実際に治療となると、なかなかすぐに回復するということにはならないらしい。初回の診療で、劇的に痛みが和らぐということはなかった。

で、今日はその2回目だったが、僕の、両足の股の付け根の外側あたりの筋肉は、そうとう硬直化しているらしい。

「歩くときに、外側に体重をかける癖がありますね」

「言われてみればそうかも知れません」

「特定の筋肉ばかり酷使するとどうしても痛みが出ます」

「はあ」

「内転筋を鍛える運動が必要です」

「内転筋…」

「腿の内側の筋肉です。1日5回ほどでいいですから、内転筋を意識して、足を曲げたり伸ばしたりする運動をしてください」

「スクワットみたいなものですか?」

「ええ、ただあまりやり過ぎると、こんどは膝に負担がかかりますから、無理のない程度に」

「わかりました」

ということで、筋膜と内転筋、覚えました。

しかしこれからもしばらく整骨院通いが続きそうで、ジェーン・スーさん曰く、「中年は金がかかる」。

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学問の暴力

後藤悠樹『サハリンを忘れない 日本人残留者たちの見果てぬ故郷、永い記憶』(DU BOOKS、2018年)は、戦後70年以上たったいまでもロシア・サハリンで暮らしている日本人(や朝鮮人)を取材した記録である。著者は写真家なので、たんなる記録ではなく、取材した人々と著者との出会いや交流の様子も、現地の人々の表情を写した写真とともに、生き生きと描いている。

こんなエピソードが印象に残った。

サハリンに住む「ユリ子」さん。夫の源二さんは、アイヌの血を引く人らしい。あるとき、突然家に5,6人の研究者一行がやってきた。少数民族について調べているとのことだった。以下、著者の記述。

「彼らは到着するなり挨拶もそこそこ、源二さんの周りを取り囲みフラッシュをたいて写真をバシャバシャと撮り始めた。データを取るために真正面、右向き、そして左向きというように、何もわからない源二さんは椅子に座ってフラッシュを浴びていた。そのうちにひとりがドラマでよく見るような青いビニール手袋をパチッとはめて、DNAの採取キットの準備に取り掛かり、またある者は勝手に会話の内容を録音し始めた。そしてまたある者は私たちが見せてもらっていた写真も勝手にカメラに収めるとそれを散らかしたままほかの作業に没頭していった。(中略)

手袋をはめた若い研究者に何のための研究なのかを尋ねると、

「非常に重要な研究です。科学と将来の人類のための研究です」

マーシャ(注:通訳)は伏し目がちに仕事用の口調で、人形のようにそう訳した。

一団はひとしきりデータを取り、ユリ子さんに出された食事を終えると、しばらくして帰って行った。文字通り嵐のような数時間で、源二さんは疲れ果て隣の部屋でひとりになっていた。(後略)」

「科学と将来の人類のための研究」と称して、ひとりの人間の人権を蹂躙する。この文章は、そのときの様子を冷静かつ克明に描いている。これだけで十分に伝わる描写である。

学問の暴力、という言葉を思い出した。そのことに無自覚だと、やがて学問は味方を失う。

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美術館再会

12月23日(金)

以前いっしょに仕事をしたことがある、僕よりも10歳若い編集者のOさんが先日、自身のブログでみずからの余命を公表したのを読んだとき、少なからず衝撃を覚えた。1年以上前から体調を崩し入退院を繰り返していたことは知っていたが、そのブログによると、余命はあと2か月、早くて1か月だと医者に言われたという。

かける言葉が見つからないまま、数日が過ぎたころ、Oさんと親しい友人の方から、メッセージが来た。その友人は、ブログで公表される前に、Oさんから直接余命の話を聞いたという。そのメッセージの最後には、こんなことが書かれていた。

「いま、集中してものを考えたり、何かを聞いたりすることが難しくなってしまったOさんですが、23日(金)にOさんの友人である芸術家の個展を見に、友人の書店主の方が車を出してくれて、友人のブックデザイナーの方たちといっしょに行く予定になっています。12月23日(金)14時頃、○○市の美術館に到着予定です。鬼瓦先生にお会いしたいとOさんが言っていたので、もし鬼瓦先生ご都合よろしければこの日会場で会えたりしたらとても喜ばれるんじゃないかとふといま思いましたが、いかがでしょうか?」

ここに登場する芸術家、書店主、ブックデザイナーは、いずれもOさんが本を編集することを通じて知り合ったという、強い絆で結ばれた友人たちである。

僕は、そういう人たちとくらべると、Oさんとはそれほど親しい間柄というわけではなかった。一緒に仕事をしたのは一度きりだし、プライベートで飲みに行く、ということも、まったくなかった。ただ、その後もオンライン上の集まりで顔を合わせることが多く、また折にふれて、彼が編集した本の感想をメールにしたためたりしていた。

2カ月ほど前、Oさんが編集した本の感想をメールで送ったのだが、そのときOさんは入院していて、非常に苦しい状況にあった時期であることを、彼のブログで知っていた。僕はメールの最後に、

「何度でも立ち上がりましょう」

と書いた。

その翌日、この言葉が、「ある人からのメール」という形で、彼のブログに引用された。

「何度でも立ち上がりましょう」

と、自分を奮い立たせる言葉として、書かれていた。

僕自身も、5年前に大病を患い、いまも治療を続けながら仕事をしている。検査のたびに引っかかり、そのたびに入院治療をし、そしてそのたびに仕事に復帰し、今回も助かったと胸をなで下ろす。そのことを、Oさんが病気になってから、僕は彼に伝えていたし、彼もまたそのことをよく知っていたので、「何度でも立ち上がりましょう」という言葉が、たんなる慰めではなく、経験者の言葉なのだと、実感してくれたのかもしれない。

この言葉は、Oさんにのみ伝えた言葉だったのだが、彼が家族やご友人に「鬼瓦先生からこんな言葉をもらった」と伝えたらしく、彼の親しい友人の方から、

「鬼瓦先生の何度でも立ち上がりましょうというお言葉が、どれほどいまOさんの道標になっていらっしゃるかと想像しています」

いうメッセージをいただいたこともあった。

さて、その友人の方からのメッセージによると、Oさんが僕に会いたいと言っているという。しかもその場所はOさんの友人である芸術家の個展が開かれている美術館。その美術館は、僕の実家のある町にある。いまでもたまに、娘を連れてこの近くの公園に遊びに行ったりしている。いわば自分にとって「庭」のような場所なのだ。

外出するにも苦しい状況の中、Oさんが僕の実家のある町の美術館にはるばる訪れるというのは、これまたなんという縁だろうか。会わないという選択肢はありえない。考えたくないことだが、これが最後の機会になるかも知れないから、その場所で会わないと、僕は一生後悔することになるだろう。

しかし困ったことに、この日のこの時間帯は、どうしても出席しなければならないZoom会議がある。終日行われる会議なのだが、僕の発言の出番は14時30分から15時15分までと聞いている。つまりその間は、Zoomに接続していなければならない。ちょうど、Oさんが美術館を訪れている時間にあたる。

どうしようかと考えたあげく、そうだ、美術館の近くでZoom会議に参加すればよいのだ、ということに思い至った。美術館周辺に、リモートワークができる適当な施設がないだろうかと探してみると、美術館から歩いて5分のところに市の公共施設があり、そこに「研修室」という部屋があることがわかった。

この研修室を使わせてもらおうと、先日の日曜日、直接出向いて、研修室が使えるかどうかを受付窓口に聞いてみた。すると、

「通常は非営利団体やサークルなどのグループで利用する部屋なので、個人にお貸しするのはちょっと…」

と最初は難色を示していたが、そこをなんとか、と食い下がって、研修室を予約することができた。

15時15分にZoom会議が終わったとして、それから美術館に駆けつければ、遅くとも15時30分より前には美術館に到着できる。おそらくまだその時間も、Oさんは美術館にいるだろうから、たとえ短い時間でもお会いすることはできるだろう、と考えたのである。

さて今日、その当日を迎えた。

14時前に市の公共施設に到着。14時30分から15時15分まで、予定通りZoom会議を無事に終わらせ、すぐにZoomから退室して、美術館に向かった。

チケットを買って展示室に駆け込むと、すでにOさん一行は、展示作品を見ていて、背中をこちらに向けている。まわりに集まっている人たちは、同行したご友人たちだろう。そして個展の作家本人である芸術家の方が、Oさんに作品の説明をしていて、Oさんもそれを熱心に聴いている。僕はその後ろに控えて、作品の説明が終わるのをじっと待った。

説明がひととおり終わり、次のコーナーに移動するために、Oさんが後ろをふり返った瞬間、Oさんは驚いたような表情をした。

「…鬼瓦先生ですか」

「こんにちは、鬼瓦です」

僕はにっこりと笑った。

「まさかこんなところでお会いできるなんて…偶然ではないですよね」

「今日ここにいらっしゃると聞いたもので…。この町は、私の実家のある町なんですよ」

「そうでしたか」

短い会話の中で、僕自身も少し気持ちに余裕ができ、あらためてOさんを見ると、以前よりもかなり痩せて、声にも張りがない。よく見ると、身体から管がつながっていて、歩くのもやっと、といった感じである。

「鬼瓦先生ですね」

Oさんの横にいた女性が言った。「Oの妻です。Oがいろいろとお世話になっております」

僕は初対面だったが、Oさんのパートナーの方は、Oさんから僕のことをかなり詳しく聞いているようだった。

「私、実家が近いもので、よく娘を連れてこの美術館に来たりしていました」

「○○ちゃんですね」

「よく名前をご存じですね!」

初対面なのに、僕の娘の名前まで知っていることに驚いた。Oさんは折にふれて僕の話題を出してくれていたのだろう。ひょっとしたら、僕が彼に出したメールの数々も、「こんなメールをもらった」と、逐一伝えていたのかも知れない。

ひととおり展示を見終わった後、Oさんが僕に、

「よろしかったら、みんなといっしょにカフェに行きませんか」

と言った。

「いいんですか?」

「もちろんです」

親しい友人たちの中に混ぜてもらうことに一瞬、躊躇したが、今日はそんなことは言っていられない。

美術館の中に、決して広くはないが、とても素敵なカフェがあった。Oさん夫妻を含めて9名。お店は貸し切り状態だった。僕はOさんの隣りに座ることになった。

友人のみなさんは、陽気で明るく、おしゃれな方たちばかりだ。Oさんはふだんこういう人たちに囲まれていたのか。とても幸せだろうな、と思わせる人たちである。

ふだんのOさんなら、その輪の中に入って、饒舌にお話しになるだろうに、やはり外出がかなり身体にこたえたのか、会話の中に入っていくことはほとんどなかった。

それを真横で見ていた僕も、本当はOさんに話しかけたかったのだけれど、Oさんの身体への負担が心配になり、なかなか話を切り出すことができない。

結局、あまりお話しができないまま、閉館時間の17時になった。

「鬼瓦先生ごめんなさい。長い時間引き止めてしまって、展示をほとんど見られなかったんじゃないですか?」とOさん。

「いえ、近くだからまた見に来ますよ。それより今日はこうして再会できたことのほうがうれしいです」

Oさん一行は、友人の書店主が運転する車で帰るので、僕はここまでである。

「Oさん、ここで失礼します。今日はお会いできて本当にうれしかったです」

「私もです。まさかお会いできるとは思いませんでした。先生、どうかお元気で」

ふと横を見ると、Oさんのパートナーの目には涙がいっぱいたまっていた。Oさんに気づかれないようにして。

僕はそれを見てたまらなくなり、深々と頭を下げて、後ろをふり返らずに美術館を出た。

Oさん一行は、夕方の退勤時間の大渋滞に巻き込まれて、2時間以上かかって都内の自宅まで戻ったようだった。到着直後とおぼしき時間に、今日参加した友人の方から、メッセージが届いた。

「今日は本当にうれしい再会の時間をありがとうございました。Oさんのとっても嬉しそうな笑顔を見ることができて、私にとってもかけがえのない一日になりました」

僕は、カフェでOさんの隣に座りながら、やはり体調のことが気になり、なかなかOさんとお話しをすることに踏み出せず、これでよかったのだろうかという思いが頭の中をめぐっていた。でも言葉は多く交わさなくても、思いは通じたのではないかと、信じることにした。

Oさんのゆっくりとした歩調に合わせてパートナーの方が横に並んで歩く姿や、親しい友人の一人ひとりが、気を使わせまいとふだん通りにふるまう様子、それでもやはりこの特別な日を残そうとして記念写真を撮りまくる様子など、その一つ一つが鮮明に目に焼き付いている。それはたぶん、これからもくり返し思い出すことになるだろう。

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シャレオツなメディアキャラバン

12月21日(水)

体調最悪な中での、人間ドックの日である。

午前8時からお昼までかかった。ちょっと懸念される事案がいくつかあったが、「命に別状はない」。

この「命に別状はない」という言い方が、くせものだと、本日の文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」に生出演されていた宮台真司さんが言っていた。「命に別状はない」という意味は「安心である」と同義ではないのだ。

それはともかく。

夕方は、3回目のメディアキャラバンである。

今日の会社は、ほんとうに敷居が高い。

あらかじめホームページを見ると、シャレオツすぎて、僕のイベントなんぞ取り上げてくれるはずはない。どうして広告代理店の方は、身の丈の合わない出版社とブッキングしてしまったのだろう。

山手線の駅の真向かいに大きなビルがあり、その中にその出版社があるという。築5年くらいのビルのようで、また新しい。

行ってみて驚いた。

なんともまあシャレオツである!!思わず気後れしてしまった。

ふつう、出版社なんてところは、本や雑誌が雑然と置かれていて、むさ苦しいことこの上ないのだが、ここは違う。広いラウンジみたいなところがあって、そこが打合せのスペースなのである。ああでもない、こうでもない、とアイデア出しをする打合せなんかもしているようだ。

「やっぱりさあ、雑誌の特集って、あるていど『長いものに巻かれる』ってことも必要なんだよ」

「そうですねえ」

…みたいな会話が聞こえて、恐ろしい所に来てしまったものだ、と怖くなってしまった。

これから僕がプレゼンすることは、どちらかといえば長いものに巻かれまいと企画したイベントなのである。

しばらくして、担当の人がお見えになった。

ご挨拶をして、1時間ほどプレゼンをする。ここもそうだし、どこの出版社もそうだったが、基本的にはみなさんいい人で、僕の下手くそなプレゼンを辛抱強く聞いてもらった。ま、それを取り上げてくれるかどうかは、もちろん別の話である。

「これ、うちで出してる雑誌です」

と、最新号を1冊いただいたのだが、これがなんとまあ、キング・オブ・シャレオツなのだ。

雑誌に原稿を書いていたりインタビューを受けていたりする人の肩書きが、「メディア・クリエイター」だとか「アーティスト」だとか、全員カタカナなのだ。

(おいおい、この雑誌のどこに、うちのイベントの宣伝をする余地があるんだよ!かえって、シャレオツなこの雑誌のイメージを損ねるぞ)

と、僕はひどく落ち込んで、帰りは逃げるようにそのビルを出て駅に向かった。

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チャイルドケアラー

12月16日(金)

今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!

あまりに忙しくて、すでに今週の記憶がない。

しかも文字通り満身創痍で、体中が痛い。もうね、座った状態から立ち上がるのに、かなり勇気がいるのである。このまま腰が抜けてしまうんじゃないかと思うほど、身体が言うことを聞かないのだ。

最近は、もっぱら湿布薬に頼りっぱなしである。何かあったらすぐ湿布薬。あんまり湿布薬に頼っていたら、そのうち湿布薬が効かなくなるんじゃないだろうか?

最近の4歳の娘のブームは、パパの足に湿布薬を貼ることである。

湿布薬って、ちょっと油断すると粘着部分同士がくっついちゃって、どうにもならなくなることがあるでしょう?うまく剥がしたとしても、皺になっちゃったり。だから、うまい具合に粘着部分のビニールを剥がしとり、速やかに患部に貼らなければならない。

で、僕はいつも失敗するのだが、4歳の娘は、ちゃんと皺にならないように、湿布薬を患部に貼ってくれる。しかもだんだん上手になっていくのだ。

これって、何て言うの?ヤングケアラー?ヤングケアラーは高校生以上を言うようなので、チャイルドケアラー?もはや育児ではなく、介護である。

そういえば、ヤングケアラーの裁判の判決はどうなったのだろう?こぶぎさんは忙しかったのかな。

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メディアキャラバン・2回目

12月14日(水)

来年のイベントを売り込もうとするメディアキャラバン、2回目。

広告代理店の方に連れられてメディア関係の会社をまわる。まわる、といっても数はぜんぜん多くない。そもそも訪問のアポを取る段階で、「うちはそういうのいいです」と断られたところが何社もあったのだろう。

1時間ほどこちらがイベントの趣旨を説明するのだが、そもそも1時間もかけて説明しないとイベントの趣旨が説明できない、ということ自体が問題である。つまりわかりにくいイベントなのだ。

アポを取っていただいたくらいだから、どこの社も熱心に聞いてくれるのだが、目の前で聞いてくれている人の反応がダイレクトに伝わる。ああ、これはあまり取り上げてくれそうにないな、ということが、いくら鈍感なこの僕でも、わかるのである。そう考えると、実際にイベントを中核で準備している人間が、営業にもまわるというのは、精神衛生上、あまりいいものではないのかもしれない。

「たしかにお話を聞いていると面白いんですけどねえ。…むしろ小説とかで表現した方が面白いんじゃないですか?」

悪気があって言った言葉ではないのだろうけれど、イベントを準備している身からすると、全否定された気分になる。まあ、アイキャッチ的なものがないとダメということなんだろう。

メディアは、「寄りかかれるもの」を求めているのだな、というのが、ここ最近感じていることである。

たとえば、いま世間で注目されているニュースとか、ドラマとか、あるいは社会現象とか。少しでもそうしたものに引っかかりそうなイベントだったら、メディアはそこに寄っかかろうとするのじゃなかろうか。だから、イベントをするんだったら、メディアが少しでも寄っかかってくれそうなものにした方がよい。それにくらべると、僕の準備しているイベントは、どちらかといえば世間に背を向けた性格のものなので、寄っかかる隙がないのである。

…と、相変わらずの僻み根性で自分を言い聞かせつつ、来週もう1回、メディアキャラバンが待っている。もちろんそんな感情は、おくびにも出さない。

あまりに疲れて、帰宅すると居間の長椅子に横になったまま寝てしまった。

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ルール違反

12月9日(金)

今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!

…ま、あんまり無事ではなかったけどね。

昨日の木曜日は、朝から夕方まで、来年のイベントの準備で都内で仕事をし、それが終わるとこんどは別の用務で人と約束をした。

いささか予定を詰め込みすぎたな、と自分でも思ったが、それがよくなかった。

あとで職場から連絡があり、ちょっとした過誤、というかルール違反を犯してしまったのである。結果的に何事もなかったのが幸いだったが、しかし何か起こったら困ることに対して、僕があまりにも無頓着すぎた。僕はそのことを聞いて、冷や汗が出た。

大人になってから、というより、多少経験を積んだ初老になってから、ルール違反を犯すというのは、いくら自分が知らなかったといっても、何の言い訳にもならない。だからそうしたことに直面すると、子どもの時以上に凹むのである。

たとえば、子どもの時に騒いで怒られるのは、ある意味仕方のないことだが、いい大人になってから、騒いじゃいけないところで騒いだりして、

「静かにしてもらえませんか?ここをどこだと思っているんですか?」

と叱られると、子どもの時以上に凹むでしょう。あれと同じである。いや、今回の件は、それ以上だ。

今日は朝から会議やら打合せやらで6時間半以上も拘束させられ、あげくのはてには突然の来客も来たりして、頭の中はすっかりと混乱していた。

一連の打合せも一通り終わり、仕事部屋で作業をしていると、年下の管理職の人が部屋のドアを叩いた。

言いにくそうに、

「あのう…昨日の件ですが…」

「あ、あれはほんとうに申し訳ありませんでした。すべての非は私にあります」僕は深々と頭を下げた。

僕が年上だから言いにくいようだったが、ひととおりの叱責を受けた。

まことに情けない。つくづく自分がイヤになった。

年上に対して叱責しなければならない役目もまたストレスだろうにと、そう考えると、僕は今回の件でいろいろな人にストレスを与えてしまった。

僕は年下の管理職の人に連れられて、昨日の過誤に対して関係各部局に謝罪にまわった。いい歳をして、実に情けない。

いや、そんな僕のことはどうでもいいのだ。今回のルール違反の件で多くの人を巻き込んで精神的な負担を与えてしまったことが、本当に申し訳なかった。いっしょにイベントの準備をしている人たちは、「あいつはほっとくと危なっかしくていけない」と呆れていることだろう。

僕はすっかり意気消沈をして、週末を迎える。当分は立ち直れそうもない。

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メディアキャラバン

12月7日(水)

今日は一日、都内で「メディアキャラバン」である。

この言葉を初めて聞いたのだが、要は、来年のイベントの宣伝のために、取り上げてくれそうな雑誌の編集部を何軒か訪ねて、イベントの詳細を説明して、記事にしてもらうようお願いすることを指す言葉らしい。たしかに、広告代理店の人に引き連れられる僕は、「東京砂漠」を行き交う商人のようだ。そういう宣伝ってのは苦手で仕方がないのだが、やれと言われたのでやらなければならない。だいたい、説明すると1時間以上かかるようなわかりにくいイベントを、記事にしてくれるとは到底思えない。

そんな絶望感を抱きながら、最初の雑誌編集部にうかがう。

対応しいただいた方は、僕の拙い説明を熱心に聞いてくれた。

話をしているうちに、僕の前の勤務地の話題が出た。「私、その県の大学出身なんです」と、その編集部の方が言う。

僕はビックリして、「え、その県の大学、といいますと?」と聞き返すと、「○○大学です」と答えて、さらにビックリした。

「それ、僕の前の職場ですよ!指導教員はどなただったんですか?」

「○○先生です」

「えええぇぇぇっ!!その方は私の前任者だった方ですよ!!!」

つまりその方は、僕が勤めていた「前の職場」の卒業生で、しかも専門のコースも同じだったのだ!

そこからひとしきり、「前の職場」のネタで盛り上がる。

横で聞いていた広告代理店の方は、ビックリした様子で「世間って、狭いですね…」とつぶやいた。

結局、なんだかんだで、1時間の予定が1時間40分くらい話し込んで、1軒目が終わった。

終わって建物を出たあと、広告代理店の方が、

「まさか初対面なのに共通の話題があるとはねえ。話してみるものですね」

「そうですね。そもそも私は自他ともに認める『引きの強い人間』なんですよ」

「そうだったんですか」

このイベントの準備の過程で、信じられないくらいの「引きの強さ」をいくつも体験した。それだけでも、1冊の本ができると思う。別に作ろうとは思わないけど。

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翻訳家に会う

パンダファンミーティング

秘境探検作家に会う

12月4日(日)

僕の住んでいる市にある小さな書店で、トークイベントがあり、来店参加した。これで3回目である。

今回は、僕が大ファンの翻訳家だ。いま、その分野では大活躍している。

今日は早めに来店し、いちばん前の席のベストポジションを陣取る。ちょうど、翻訳家の方と目が合いやすい位置である。

さすが、その国の文学のファンや翻訳家自身のファンが多いとみえて、狭い店内に20名くらいのお客さんが入っている。男女の比率でいえば、女性の割合が多い。

始まる直前、司会の方と翻訳家の方がスタンバイしていると、

「なんか、お客さんとの距離が近いので、すごい圧を感じます。頭が真っ白になって喋れなくなりそう。90分も喋ることあるかしら」

と、ちょっと怯えているようだった。そりゃあそうかも知れない。僕のような太った人間が目の前に座っているのだから、当然、圧は感じたであろう。僕は、できるだけ緊張されないように、終始「ピクニックフェィス」を心がけた。

いざ、トークイベントが始まると、司会の方が質問をしたり合いの手を入れる隙もないほど、よどみなくお話になる。僕はよくラジオでこの方のお話を聞いたことがあるが、そのときの印象そのままである。

あまりの情報量の多さに、僕は忘れないように必死にメモをとった。まるで上質の授業を聞いているようである。

90分目一杯お話になって、あっという間にトークイベントが終了した。

僕は、トークイベント終了後、あることを実行しようとしていた。

本にサインをもらう、というのはもちろんだが、その後に自分の名刺と、自分が以前に編集した雑誌をお渡しすることを考えたのである。

実はその翻訳家の方は、つい最近、どういうご縁かうちの職場で出している雑誌に寄稿していただいており、先月刊行されたばかりだった。つまり、「先日はうちの雑誌に寄稿していただきありがとうございました」といって名刺を差し出す理由は十分あるのである。

さらに、自分がかつて編集した号も、その翻訳家のお仕事といささか関係しているところがあり、それをお渡しすれば、興味を持って読んでいただけるのではないかと考えたのである。まあ、ずいぶんと手前勝手な話で、先方からしたら、かえってご迷惑かも知れないのだが。

それでも意を決して実行することにした。

「サインをお願いします」

「お名前は?」

そこですかさず名刺を出す。

「実はこういう者です。先日はうちの雑誌に寄稿いただき、ありがとうございました」

「ああ!いえいえ、こちらこそありがとうございました。あの雑誌で紹介した作家、まだ自分では翻訳していませんが、これから翻訳に挑戦してみたいと思っているのですよ」

「それは楽しみです。ぜひお願いします。…で、お荷物になるかも知れないのですが、以前の号で、私が編集担当だった号をお持ちしました」

特集号のタイトルを見て、

「タイトルだけで面白そうですね」

と言ってくださったので、調子に乗った僕は、ページを開いて、

「このページのこの写真、今日のお話と関係するかと思いまして…」

「まあ、そうですねえ。ぜひ読ませていただきます」

と言っていただいた。ま、受け取った方はそう言わざるを得ないだろう、ということは重々承知である。

ひどく独りよがりの「イタいファン」としての行動をとってしまったことは、猛烈に反省したが、それでもこの先、どのような縁が待っているかもわからない。そのためには、こんなことは恥のうちには入らない、と思うことにした。

これからもミーハー精神でいこう。

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私の周りのエリコさん

12月3日(土)

午前中は、保育園の学芸会である。4歳児クラスと5歳児クラスが出し物をするのだが、コロナウィルスの影響で、「密」にならないために、二つのクラスは時間帯を分けて行い、保護者も完全入れ替え制である。つまり、他のクラスの出し物は見ることができない、ということである。5歳児クラスの出し物も見てみたかった気がするが、こんなご時世だから仕方がない。

それにしても、保育園のスタッフのみなさんには頭が下がる。日々、何かあっちゃいけないと思いながら園児の面倒を見つつ、コロナウィルスの感染予防対策にも気を遣わねばならない。保育園には、オモテだって「モンスターペアレンツ」はいないように見受けられるが、ただ、日々些細な苦情とか質問なんかは寄せられているはずである。苦情とまでは言えない、どんな些細な意見や質問であっても、それが保育士さんにいくつも浴びせられると、積もり積もって大きなストレスとなってのしかかっていくはずである。こっちは悪気がなくても、結果的にそうなってしまう事に、十分注意しなければならない。

今日の学芸会も、コロナウィルス感染の影響で開催が危ぶまれたが、みんなに納得でいる形で感染対策を講じてくれたおかげで、実現の運びとなったのである。その裏にはそうとうな準備が必要だったに違いない。

学芸会の最初は、園長先生からの挨拶から始まった。

誰かに雰囲気が似ているなあ、と思ったら、阿佐ヶ谷姉妹の姉の方の、エリコさんである。とくに顔かたちが似ている、というわけではないのだが、声のトーンや言葉のチョイス、抑揚などが、実に折り目正しい。先日の運動会の時から薄々そんな気がしていたのだが、このたびの挨拶を聞いて、自分の中でそれが確信に変わったのである。もちろん、たぶん異論はあるだろうと思うので、それほど強く主張したいわけではないのだが、僕の中では、園長先生を見れば見るほど、阿佐ヶ谷姉妹のエリコさんにしか見えなくなる。

阿佐ヶ谷姉妹は、よく漫才のネタで、エリコさんは「万引きGメン顔」をしている、と言ったりしているが、僕から言わせれば、「保育園の園長先生顔」をしている、という方がしっくりくる。

しかしそう思って自分の記憶をたどっていくと、思いあたる人がもう一人いる。僕が定期的に通っている総合病院で、採血を担当している看護師さんが、やはり阿佐ヶ谷姉妹のエリコさんを彷彿とさせるのだ。

この方も、顔かたちが似ているというわけではないのだが、やはり声のトーンや言葉のチョイス、抑揚などが似ているのである。

その方の発する言葉というのは毎度決まっていて、

「番号○番の方、おいでください。荷物はこちらに置いてください。お気をつけておかけになって下さいね。お名前と生年月日をおっしゃって下さい」

「お医者様から、どちらかの腕からは採血してはいけない、と言われたことはありますか?」

「アルコール消毒で皮膚がかぶれたりすることはありませんか?」

と言うだけなのだが、その人がこのセリフを言うと、その抑揚がエリコさんのそれとよく似ているような気がするのである。

で、その方に採血があたると、なんとなく、安心して任せられるような気になる。

もちろんその病院の看護師さんたちは、みなさん採血が非常に上手で、僕のような血管が出にくい人間に対しても、瞬時で血管を見つけ出し、さっと採血してくれるのだが、そのエリコさんに似た方に当たると、なおさら安心できる感じがするから不思議である。

つまり僕の中では、阿佐ヶ谷姉妹のエリコさんは「採血師顔」でもあるのだ。というか、採血師なんていい方、あるのか?

それからというもの、自分の周りには、阿佐ヶ谷姉妹のエリコさん的な人が、けっこういるのではないかと思うようになった。保育園の園長先生とか、採血師とか、要は、自分の子どもや自分の命を安心して預けられる、と感じることのできる人が、僕の周りにいるエリコさんなのではないか。

…とまあ、そんな他人に共感されないような妄想を抱きながら、学芸会の最初と最後の園長先生の挨拶を聞いた。

もちろん、うちの娘の演技と歌は、ほかの子にくらべて格段にすばらしかったことを申し添えておく。いい舞台俳優になるだろう。

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二転三転

12月2日(金)

今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!

毎日、いろいろなことが起こる。

来年のイベントに関連して、若い人に指摘されていたことに対して、たしかに自分もそう思うが、いまからそれを修正するとなると、納期が間に合わなくなるし、上からはスケジュールだけは守れと固く言われているから、その指摘には目をつむって、修正せずにこのまま校了にします、と判断してしまった。

力足らずで申し訳なかった、と謝罪のメールをしたら、CCで送っていた別の若い人から、

「それでいいのですか?納期に間に合わせようという理由で、あまりにも短いスケジュールを設定されて修正意見が反映されないなんて、そんなの腑に落ちません!」

納期を遅らせても、修正した方がよい、という。

やっぱりそうだよな、と目が覚めた。むかしの僕だったら、同じことを思っただろう。いまの僕は、すっかり長いものに巻かれ、上の者に日和ってしまう人間に成り下がっていた。

いま、僕が守るべきものは何か?若い人たちの意見が認められるような、風通しのよい環境をつくることじゃなかったのか?

ギリギリのタイミングだが、やれるだけやってみよう。

担当のところに交渉に行くと、

「修正するためには、この写真の所蔵者の許可が必要です」

「許可ですか?」

「ええ」

「背景の色をちょっと調整するだけですよ?」

「それでも、所蔵者の方がもし、背景の赤みがかった色はその像のオーラだから、消してはならん、といったら、どうします?」

(そんなことありえない…)

と思ったが、以前、似たようなことでトラブルがあったかなにかで、担当が警戒しているのだということが容易に想像できた。

「許可は、絶対に必要です」

「わかりました。では、所蔵者に確認をとってみます」

まず、その写真を仲介してくれた人に電話をかけて、また仲介をお願いしようと事の顛末を話すと、

「そんなの、(わざわざ問い合わせなくても)問題ありませんよ」と笑いながらおっしゃり、「いやあ、一事が万事、イベントの準備というのは大変ですねえ」

とおっしゃった。この方と話すと、いつも心が和む。

「私から問い合わせましょうか?」

「いえ、私が直接電話をかけてみます」

夕方になってようやく先方と電話が通じ、かくかくしかじかとお話ししたら、

「そんなのぜんぜんかまいません。好きなように使って下さい」

とおっしゃってくれた。やはり思ったとおりだ。その足で僕はチラシ担当のところに行き、「先方から正式な許可が下りました。修正をお願いします」と告げた。

担当のほうでも、その間にいろいろとスケジュール調整や各方面への根回しをしてくれたらしい。とくに納期が遅れることに対して上司を納得させるのには苦労したことだろう。

僕の判断がぶれてしまったことで、対応が後手後手にまわり、各方面にご迷惑をかけ、仕事を増やしてしまったことを反省した。

それでもなお、僕の判断はこれでよかったのだろうか?いまでもよくわからない。

ひとつだけわかったことは、いろいろな人に支えられている、ということである。

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人物評

11月30日(水)

クッソ忙しくて書くことが何もない。

このところ、イベントの準備のために、初対面の人に挨拶に行ったり電話をしたりすることが多い。その多くは、いきなり連絡するのではなく、事前にその人を知る知り合いから連絡してもらって、あらかたの趣旨を先方にあらかじめ説明しておいてもらった上でこちらから連絡する。その方が、スムーズに事が運ぶことが多いのである。もちろん、それが通じないケースもあるが。

先日お会いした方の話でいうと、仲介の労を執ってもらったその知り合いからは、「もちろん良い人なのですが、少々「くせ」のある人物で、何でもすぐにツーカーで進むというよりは、手順を踏んで進めるのが無難と思います」というアドバイスをうかがった。で、実際にお電話したりお会いしたりすると、その知り合いが言ったとおり、「たしかに良い人だが、少々クセがある方」だとわかり、言われたとおりに丁寧に話を進めていった結果、おかげさまで交渉がまとまったのである。

今日、お電話でお話しした人のケースでは、やはり仲介の労をとってもらった知り合いから、「メールを使われず、携帯電話でしかコミュニケーションをとれないので、ご連絡を取るのが面倒なのですが、それ以外はあまり面倒ではありません」とあり、たしかにメールに慣れてしまった身としては、電話をするのは億劫だなあ、と思いつつ電話をした。なかなか繋がらず、何回目かになってようやく繋がった。やはり電話はめんどうだ、と思ったのだが、お話ししてみると、たしかにその知り合いが言うように、ぜんぜん面倒な方ではなく、交渉もスムーズにいった。不思議なことに、一度電話は繋がってからは、タイミングが合ってきたのか、電話で数回やりとりすることができ、僕もいつの間にか、その人と電話をすることが楽しみになってきたくらいである。それほど折り目正しい人だったのである。

この二つのケースは、まったく別の知り合いによるアドバイスなのだが、いずれも的確な人物評で、僕は実に助かったのである。

人は、実際に会ったときに、相手の持っている細かなニュアンスを無意識のうちに感じ取るのかも知れない。そしてそれを上手に言語化できれば、対人間のトラブルというのは、たいていの場合、防げるのではないだろうか、と感じたのである。

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