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美術館再会

12月23日(金)

以前いっしょに仕事をしたことがある、僕よりも10歳若い編集者のOさんが先日、自身のブログでみずからの余命を公表したのを読んだとき、少なからず衝撃を覚えた。1年以上前から体調を崩し入退院を繰り返していたことは知っていたが、そのブログによると、余命はあと2か月、早くて1か月だと医者に言われたという。

かける言葉が見つからないまま、数日が過ぎたころ、Oさんと親しい友人の方から、メッセージが来た。その友人は、ブログで公表される前に、Oさんから直接余命の話を聞いたという。そのメッセージの最後には、こんなことが書かれていた。

「いま、集中してものを考えたり、何かを聞いたりすることが難しくなってしまったOさんですが、23日(金)にOさんの友人である芸術家の個展を見に、友人の書店主の方が車を出してくれて、友人のブックデザイナーの方たちといっしょに行く予定になっています。12月23日(金)14時頃、○○市の美術館に到着予定です。鬼瓦先生にお会いしたいとOさんが言っていたので、もし鬼瓦先生ご都合よろしければこの日会場で会えたりしたらとても喜ばれるんじゃないかとふといま思いましたが、いかがでしょうか?」

ここに登場する芸術家、書店主、ブックデザイナーは、いずれもOさんが本を編集することを通じて知り合ったという、強い絆で結ばれた友人たちである。

僕は、そういう人たちとくらべると、Oさんとはそれほど親しい間柄というわけではなかった。一緒に仕事をしたのは一度きりだし、プライベートで飲みに行く、ということも、まったくなかった。ただ、その後もオンライン上の集まりで顔を合わせることが多く、また折にふれて、彼が編集した本の感想をメールにしたためたりしていた。

2カ月ほど前、Oさんが編集した本の感想をメールで送ったのだが、そのときOさんは入院していて、非常に苦しい状況にあった時期であることを、彼のブログで知っていた。僕はメールの最後に、

「何度でも立ち上がりましょう」

と書いた。

その翌日、この言葉が、「ある人からのメール」という形で、彼のブログに引用された。

「何度でも立ち上がりましょう」

と、自分を奮い立たせる言葉として、書かれていた。

僕自身も、5年前に大病を患い、いまも治療を続けながら仕事をしている。検査のたびに引っかかり、そのたびに入院治療をし、そしてそのたびに仕事に復帰し、今回も助かったと胸をなで下ろす。そのことを、Oさんが病気になってから、僕は彼に伝えていたし、彼もまたそのことをよく知っていたので、「何度でも立ち上がりましょう」という言葉が、たんなる慰めではなく、経験者の言葉なのだと、実感してくれたのかもしれない。

この言葉は、Oさんにのみ伝えた言葉だったのだが、彼が家族やご友人に「鬼瓦先生からこんな言葉をもらった」と伝えたらしく、彼の親しい友人の方から、

「鬼瓦先生の何度でも立ち上がりましょうというお言葉が、どれほどいまOさんの道標になっていらっしゃるかと想像しています」

いうメッセージをいただいたこともあった。

さて、その友人の方からのメッセージによると、Oさんが僕に会いたいと言っているという。しかもその場所はOさんの友人である芸術家の個展が開かれている美術館。その美術館は、僕の実家のある町にある。いまでもたまに、娘を連れてこの近くの公園に遊びに行ったりしている。いわば自分にとって「庭」のような場所なのだ。

外出するにも苦しい状況の中、Oさんが僕の実家のある町の美術館にはるばる訪れるというのは、これまたなんという縁だろうか。会わないという選択肢はありえない。考えたくないことだが、これが最後の機会になるかも知れないから、その場所で会わないと、僕は一生後悔することになるだろう。

しかし困ったことに、この日のこの時間帯は、どうしても出席しなければならないZoom会議がある。終日行われる会議なのだが、僕の発言の出番は14時30分から15時15分までと聞いている。つまりその間は、Zoomに接続していなければならない。ちょうど、Oさんが美術館を訪れている時間にあたる。

どうしようかと考えたあげく、そうだ、美術館の近くでZoom会議に参加すればよいのだ、ということに思い至った。美術館周辺に、リモートワークができる適当な施設がないだろうかと探してみると、美術館から歩いて5分のところに市の公共施設があり、そこに「研修室」という部屋があることがわかった。

この研修室を使わせてもらおうと、先日の日曜日、直接出向いて、研修室が使えるかどうかを受付窓口に聞いてみた。すると、

「通常は非営利団体やサークルなどのグループで利用する部屋なので、個人にお貸しするのはちょっと…」

と最初は難色を示していたが、そこをなんとか、と食い下がって、研修室を予約することができた。

15時15分にZoom会議が終わったとして、それから美術館に駆けつければ、遅くとも15時30分より前には美術館に到着できる。おそらくまだその時間も、Oさんは美術館にいるだろうから、たとえ短い時間でもお会いすることはできるだろう、と考えたのである。

さて今日、その当日を迎えた。

14時前に市の公共施設に到着。14時30分から15時15分まで、予定通りZoom会議を無事に終わらせ、すぐにZoomから退室して、美術館に向かった。

チケットを買って展示室に駆け込むと、すでにOさん一行は、展示作品を見ていて、背中をこちらに向けている。まわりに集まっている人たちは、同行したご友人たちだろう。そして個展の作家本人である芸術家の方が、Oさんに作品の説明をしていて、Oさんもそれを熱心に聴いている。僕はその後ろに控えて、作品の説明が終わるのをじっと待った。

説明がひととおり終わり、次のコーナーに移動するために、Oさんが後ろをふり返った瞬間、Oさんは驚いたような表情をした。

「…鬼瓦先生ですか」

「こんにちは、鬼瓦です」

僕はにっこりと笑った。

「まさかこんなところでお会いできるなんて…偶然ではないですよね」

「今日ここにいらっしゃると聞いたもので…。この町は、私の実家のある町なんですよ」

「そうでしたか」

短い会話の中で、僕自身も少し気持ちに余裕ができ、あらためてOさんを見ると、以前よりもかなり痩せて、声にも張りがない。よく見ると、身体から管がつながっていて、歩くのもやっと、といった感じである。

「鬼瓦先生ですね」

Oさんの横にいた女性が言った。「Oの妻です。Oがいろいろとお世話になっております」

僕は初対面だったが、Oさんのパートナーの方は、Oさんから僕のことをかなり詳しく聞いているようだった。

「私、実家が近いもので、よく娘を連れてこの美術館に来たりしていました」

「○○ちゃんですね」

「よく名前をご存じですね!」

初対面なのに、僕の娘の名前まで知っていることに驚いた。Oさんは折にふれて僕の話題を出してくれていたのだろう。ひょっとしたら、僕が彼に出したメールの数々も、「こんなメールをもらった」と、逐一伝えていたのかも知れない。

ひととおり展示を見終わった後、Oさんが僕に、

「よろしかったら、みんなといっしょにカフェに行きませんか」

と言った。

「いいんですか?」

「もちろんです」

親しい友人たちの中に混ぜてもらうことに一瞬、躊躇したが、今日はそんなことは言っていられない。

美術館の中に、決して広くはないが、とても素敵なカフェがあった。Oさん夫妻を含めて9名。お店は貸し切り状態だった。僕はOさんの隣りに座ることになった。

友人のみなさんは、陽気で明るく、おしゃれな方たちばかりだ。Oさんはふだんこういう人たちに囲まれていたのか。とても幸せだろうな、と思わせる人たちである。

ふだんのOさんなら、その輪の中に入って、饒舌にお話しになるだろうに、やはり外出がかなり身体にこたえたのか、会話の中に入っていくことはほとんどなかった。

それを真横で見ていた僕も、本当はOさんに話しかけたかったのだけれど、Oさんの身体への負担が心配になり、なかなか話を切り出すことができない。

結局、あまりお話しができないまま、閉館時間の17時になった。

「鬼瓦先生ごめんなさい。長い時間引き止めてしまって、展示をほとんど見られなかったんじゃないですか?」とOさん。

「いえ、近くだからまた見に来ますよ。それより今日はこうして再会できたことのほうがうれしいです」

Oさん一行は、友人の書店主が運転する車で帰るので、僕はここまでである。

「Oさん、ここで失礼します。今日はお会いできて本当にうれしかったです」

「私もです。まさかお会いできるとは思いませんでした。先生、どうかお元気で」

ふと横を見ると、Oさんのパートナーの目には涙がいっぱいたまっていた。Oさんに気づかれないようにして。

僕はそれを見てたまらなくなり、深々と頭を下げて、後ろをふり返らずに美術館を出た。

Oさん一行は、夕方の退勤時間の大渋滞に巻き込まれて、2時間以上かかって都内の自宅まで戻ったようだった。到着直後とおぼしき時間に、今日参加した友人の方から、メッセージが届いた。

「今日は本当にうれしい再会の時間をありがとうございました。Oさんのとっても嬉しそうな笑顔を見ることができて、私にとってもかけがえのない一日になりました」

僕は、カフェでOさんの隣に座りながら、やはり体調のことが気になり、なかなかOさんとお話しをすることに踏み出せず、これでよかったのだろうかという思いが頭の中をめぐっていた。でも言葉は多く交わさなくても、思いは通じたのではないかと、信じることにした。

Oさんのゆっくりとした歩調に合わせてパートナーの方が横に並んで歩く姿や、親しい友人の一人ひとりが、気を使わせまいとふだん通りにふるまう様子、それでもやはりこの特別な日を残そうとして記念写真を撮りまくる様子など、その一つ一つが鮮明に目に焼き付いている。それはたぶん、これからもくり返し思い出すことになるだろう。

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