学問の暴力
後藤悠樹『サハリンを忘れない 日本人残留者たちの見果てぬ故郷、永い記憶』(DU BOOKS、2018年)は、戦後70年以上たったいまでもロシア・サハリンで暮らしている日本人(や朝鮮人)を取材した記録である。著者は写真家なので、たんなる記録ではなく、取材した人々と著者との出会いや交流の様子も、現地の人々の表情を写した写真とともに、生き生きと描いている。
こんなエピソードが印象に残った。
サハリンに住む「ユリ子」さん。夫の源二さんは、アイヌの血を引く人らしい。あるとき、突然家に5,6人の研究者一行がやってきた。少数民族について調べているとのことだった。以下、著者の記述。
「彼らは到着するなり挨拶もそこそこ、源二さんの周りを取り囲みフラッシュをたいて写真をバシャバシャと撮り始めた。データを取るために真正面、右向き、そして左向きというように、何もわからない源二さんは椅子に座ってフラッシュを浴びていた。そのうちにひとりがドラマでよく見るような青いビニール手袋をパチッとはめて、DNAの採取キットの準備に取り掛かり、またある者は勝手に会話の内容を録音し始めた。そしてまたある者は私たちが見せてもらっていた写真も勝手にカメラに収めるとそれを散らかしたままほかの作業に没頭していった。(中略)
手袋をはめた若い研究者に何のための研究なのかを尋ねると、
「非常に重要な研究です。科学と将来の人類のための研究です」
マーシャ(注:通訳)は伏し目がちに仕事用の口調で、人形のようにそう訳した。
一団はひとしきりデータを取り、ユリ子さんに出された食事を終えると、しばらくして帰って行った。文字通り嵐のような数時間で、源二さんは疲れ果て隣の部屋でひとりになっていた。(後略)」
「科学と将来の人類のための研究」と称して、ひとりの人間の人権を蹂躙する。この文章は、そのときの様子を冷静かつ克明に描いている。これだけで十分に伝わる描写である。
学問の暴力、という言葉を思い出した。そのことに無自覚だと、やがて学問は味方を失う。
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