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なんとかやってる

12月6日(火)

昨日、久しぶりにお手紙をいただいた方は、前の勤務地でとてもお世話になった人生の大先輩からだった。

このブログでも折に触れて書いたことがあるが、米寿にならんとするその方は、決して偉ぶらず、若造の僕の仕事を面白がってくれ、その一方で僕はその方からいろいろなご教示を受けた。まことに不思議な関係といえば、不思議な関係である。

コロナ禍で、前の勤務地で仕事をする機会がすっかり減り、お会いすることもままならなかった。

手紙の最後に、

「あまり無理は利きません。お会いできるチャンスがあるのかな。ご自愛ください」

とあった。先の9月に、3年ぶりくらいに前の勤務地で仕事をする機会があったが、そのときは時間がとれなかった。こんど行くときはお会いする機会を作らなければならない。その機会が早く訪れてほしい。

ちなみにその手紙の最初には、

「少しばかりご無沙汰いたしております。お元気の様子、ブログで拝見しております」

とあり、このブログが生存確認の場になっていることをあらためて噛みしめた。やはり続けなければいけない。

一方で、定期的に送られてくる会報にその方のお名前を見つけると、元気に活躍されているなと安堵する。

さて今日。

職場の仕事部屋で仕事をしていると、夕方に若い職員がたずねてきた。

「先生にお伝えしたいことがありまして…。実は今年でこの職場を辞めます」

「今年?今年度ではなく?」

「ええ、この12月をもって、です」

僕にわざわざそのことを伝えに来たのは、昨年までの2年間、僕が中間管理職を任されていた際に、その下で事務的な仕事をいっしょに進めてきたという経緯からである。その職員は、たんなる事務仕事をするのではなく、先回りしていろいろなことを考えたり、新しいことを提案したり、とにかく優秀だった。

てっきりこの職場が嫌で辞めるのかと思ったら、そうではなく、自分がステップアップできる新しい職場を見つけ、運よく採用されたからだということで、少し安堵した。一方で、得がたい仕事仲間を失うのは寂しい。

そういえば、その職員と同期入社で、数年前に突然辞めた職員がいた。

突然辞めて、しかもその後どうなったのか、僕はまったく知らなかったので、ずっと気になっていた。

その職員とは一度、仕事で韓国に行って、一日だけ、マンツーマンで韓国の水原をガイドしたことがある。そのときのことは、以前に書いた

そのあと、彼は突然職場を辞めてしまったから、その後の彼の様子を聞く機会を逸したまま、現在に至ってしまった。

彼はいまどうしているのかと聞いたら、「いま、中国にいて、日本語の教師をしています。そのかたわら、フリーランスで翻訳の仕事もしています」という。

「翻訳の?日本語と中国語の?」

「いえ、英語と日本語です」

たしかに、彼は英語が堪能だった。しかし、中国語が堪能だったという話は聞いたことがなかった。

「この職場を辞めてから、中国語の勉強をはじめたそうですよ。彼、語学オタクですから。もう少し勉強すれば、中国語と日本語の翻訳もやり出すんじゃないですか」

なるほど。若いってすばらしい。

「そうか、彼は、中国でがんばってるのか…」

「ええ、がんばっています」

僕は心の底から安堵した。

植本一子・滝口悠生『往復書簡 ひとりになること 花をおくるよ』という私家版の本の末尾に寄せている武田砂鉄さんの文章、その最後にこう書いてある。

「生まれたり、いなくなったり、そのままだったり、どうもうまくいかなかったり、めずらしくうまくいったり、人それぞれなんとかやっている。誰だって、自分の近くにいる人は限られる。全員を近くに寄せることなんてできない。(中略)でも、それぞれなんとかやっていてほしい。こちらもなんとかやる。それしかないし、これからずっと、それの繰り返しだ」

もう会わなくなった人が、風の便りで、なんとかやっていると聞くたびに、僕はこの文章を思い出すだろう。今日、退職の挨拶に来た職員も、いずれは、なんとかやっているようだという風の便りを聞くだろう。そのたびに僕も、俺だってなんとかやっているよと、心の中で答えるだろう。

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