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この世の見え方

すこぶる体調が悪い。

武田砂鉄氏の新刊『父ではありませんが 第三者として考える』(集英社)は、武田砂鉄氏のあれこれと逡巡する思考をたどった本である。

僕自身、数年前に大病を患ったり(いまも治療中だが)、子どもを授かったりしてから、社会の見え方が変わったことは紛れもない事実であるが、この本を読むと、それよりも前の自分の感覚を思い出させてくれる。

以前ならば、フットワーク軽く、週末も厭わずいろいろなところに出かけていったりしたのだが、いまはそんなエネルギーはないし、現在の自分の環境からも難しい。平日に、自分のするべき仕事を、しかもわりと過重気味に行っていると、週末はできるだけ休みたくなる。

しかしこの業界では、週末だろうとなんだろうと、がんばって現地参加しないと不真面目と思われるのではないか、そんな風な旧態依然とした考え方が、僕のなかにもまだ残っている。

「コロナが明けたらぜひ対面で」が合い言葉になるのはどこの世界でも同じだが、僕にとってはオンライン参加が何よりもありがたい。いまや対面参加は、僕にとって莫大なエネルギーを必要とするようになってしまったのだ。だから必要最小限にしたいといつも思っている。

せっかくの週末に、どんなに遠い場所でも厭わず、会合に対面参加をできる人が、うらやましく思うこともなくはない。それは、僕自身がそれを望んでいるからではなく、それができる体力があり、それをしても不都合が生じない環境にある点において、である。

画面の向こうでは、「久しぶりに対面参加の会合ができて…」「懇親会で○○さんとお話しをして…」「やっぱり実際にお会いすることは大切ですね…」という言葉が飛び交うのだが、最近の僕は、そうしたくてもできないし、そうしなくてもよいような人間関係の築き方ができないものか、そしてそれをしても悪くない世の中にならないものか、という思いが強くなってきている。

プロインタビューアーの吉田豪さんは、たぶん僕と同じような世代だと思うのだが、20代の頃から「死ぬまで現状維持」を目標にして、いまのところその通りになっている、と言っていたが、それを貫くのはなかなか難しい。

…そうはいいながら、次の週末は泊まりがけで、会合に対面参加しなければならない。聞くところによると、緊張する方々と夕食会なるものも予定されているという。終始気を抜くことができないとすると、体調が不安である。

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