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取材を受ける

1月18日(水)

都内の大手新聞社の文化部の記者から、こんどのイベントに関する取材の申込みがあり、新聞社の本社まで足を運んだ。

「地下鉄の○○番出口をのぼられたら、弊社につながっていますよ」と言われたのだが、その○○番出口というのが、地下鉄の改札口からえらく遠い。

こちとら、両足を痛めて整骨院に通っている身である。整骨院に通い出したら、なぜかよけいに両足がさらに痛くなり出し、階段を上り下りするのが苦痛極まりないのだが、やっとの思いで、新聞社に到着した。

新聞記者ってのは、生き馬の目を抜く世界で生きているから、荒くれ者が多いんじゃねえか?というひどい偏見を持っていたが、その文化部の記者は、実に折り目正しい人で、穏やかにお話になる人だった。

小さな会議室で、2時間ばかりお話をする。

ああいうときって、録音とかしないのかなあ?前回も書いたが、僕のこんどのイベントは、異常に情報量が多くて、その一端を説明するだけでもゆうに2時間はかかるのである。そして話がめまぐるしく展開するので、聴いているほうは、おそらくその情報を受け止めきれないのではないだろうか。

時折、殴り書きのメモを書かれるのだが、書いているうちに次のトピックに移るので、書いている暇がないようである。ちらっとノートを覗くと、オイオイあとで読み返せるのか?というくらいの暗号めいた文字である。

こっちのお話を遮ることなく熱心に聞いてくれたし、穏やかな話し方で質問をいただいたのはとてもありがたかったのだが、僕は途中からなぜか、ひどく憂鬱な気持ちになった。

何だろう?この気持ちは?と考えてみて、あることに気づいた。

その人は、僕の主治医に、顔も喋り方も、声の感じも、そっくりなのである。

僕はその主治医に診察してもらうたびに、穏やかな口調で微笑みながらいつも悲観的なことばかり言われるので、できれば、その主治医の先生とはお話ししたくない、話をすると、自分の命に対してまた悲観的な話をされてしまう。そういう感覚が、すっかり植え付けられてしまったのだ。

なので、熱心に聞いていただく表情や、こちらへ問いかける声や喋り方を前にして、僕は「パブロフの犬」のごとく、ひどく憂鬱な気持ちになってしまうのだ。

2時間の取材が終わり、「いったん頭を整理してから、またおうかがいすることもあると思います」と言われた。やはり情報量の多さに面食らったのだろう。

新聞社を出るとドッと疲れが出て、ぐったりした僕は帰宅してすぐに横になったのであった。

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