船出に幸あれ
1月7日(土)
先月、対面とオンラインを併用した会合が行われ、その後、対面参加者だけで打ち上げ、つまり宴会を行った。
僕は本来、出なくてすむなら出ない主義なのだが、今回は韓国からお客さんを招いていたこともあり、参加することにした。
初対面の人の中に、出版社に勤めている人がいた。僕よりもおそらく10歳以上若い人で、物腰も柔らかく、おとなしい感じの方である。聞くと、以前は僕もよくお世話になっている中堅の出版社に勤めていたが、そこを退社して、独立の準備をしているという。
その方の語りが、朴訥ながらなかなか面白く、なかでも「ドキュメンタリー映画と私小説の関係」という話が印象的だった。
正確な内容を伝えられるか心許ないが、それはたしかこんな内容だった。日本の文学界には伝統的に私小説の文化がある。それは読んで字のごとく、自分の身のまわりの出来事を小説にするというもの。何か小説を書きたいが、何を書いていいかわからない場合、手始めに私小説を書き始めれば形になる。あくまでもざっくりとした言い方だが。
それを映像作品に置き換えて考えてみると、ドキュメンタリー映画がそれに近いのではないか。何か映画を撮りたい、という意志が先行して、とりあえず自分の身のまわりで起こっている出来事にカメラを向ければ、ドキュメンタリー映画が成立する。
もちろん、私小説を書く人も、ドキュメンタリー映画を撮る人も、そんな動機ではじめているわけではないだろうが、ただ、私小説やドキュメンタリー映画は親和性が高く、両者がこれだけの歴史を重ねてきた根底には、そのような共通性があるのではないか。
その方の話を曲解している可能性もあるが、僕はそれを聞いて、大いに納得したのである。
その方が、昨年末に「ひとり出版社」を立ち上げたと、ある人のブログで知った。船出に幸あれ、である。
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