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2023年2月

パワポで動画編集

2月25日(土)

イベント会場で流す動画の素材が大量に送られてきた。正確に言えば、動画と静止画が混在していて、提供者からは「好きなように使ってください」と言われている。

送られてきた動画や静止画は、1点1点だけ見ると、なんのこっちゃわからないのだが、これを時系列に合わせて編集できるのは、僕しかいない。

しかし、動画編集って、どうやるのだろう?

「パワポで簡単にできますよ」と同僚に聞いた。その言葉だけを頼りに、パワポで動画編集をすることにした。

そういえばパワポに動画を貼り付けたものを何度も見たことがあるので、パワポのスライド上に動画を貼り付けることは簡単にできるのだろう。しかし今回は、イベント会場でエンドレスで流す動画である。つまり、

・スライドが自動的に切り替わる。

・動画が全画面表示される。

・スライドが自動的に切り替わると、動画が自動再生される。

・スライド全体が、エンドレスで繰り返し上映される。

・素材の動画は、なるべく短く切り取ってエッセンスだけを編集する。

といったことができないといけない。パワポを使いこなしている人にとっては朝飯前なのだろうが、これまで最低限の使い方しかしてこなかった僕にしては、初めて尽くしである。

いろいろと調べてみると、上記の条件は、すべて可能であることがわかり、さっそく作業を始めることにした。

とりあえず、候補になりそうな動画を片っ端からスライドに貼り付けていく。で、自動切り替えとか自動再生とか全画面再生とかといった設定にする。

とりあえず粗編集したものをそれをスライドショーで見てみると、なるほど、ふつうの映像を見ているのと違和感のない感じになることがわかった。だが再生時間があまりに長すぎる。

当初は5分くらいを想定していたが、これでは30分くらいの動画になってしまうぞ。

ここから、いよいよ編集作業である。まず、これはなくてもよいかな、という動画は、全カットする。これは必要だと思われる動画の中でも、長いもので3分くらいの動画があるのだが、1つの動画あたり、せいぜい20秒くらいにおさめたい。

スライド上で動画を短く切り取ることができることもわかり、1動画あたり20秒以内におさめるように編集をする。

ほんとうは映像に説明字幕をつけたいのだが、そこまでの技術はなく、3つくらいのテーマに分けて、動画の最初にそのタイトルをつけて、あとはひたすら動画を流し続ける。

そんなふうに、悪戦苦闘しながら、ようやく11分程度の動画にまとまった。

11分でもかなり長い。イベント会場内で流す動画は、あまり立ち止まって見てくれるようなことがないので、短ければ短い方がよいのである。しかし、1年近くかけて撮影した動画の断片たちは、いずれもなかなか捨てがたく、しかも、ふだんは見ることのできない世界なので、なおさらである。11分にまとめるのが精一杯だった。

それにしても、動画の編集というものは、とても楽しい。時間を忘れてしまう。映画の編集作業って、こんなに楽しいものなんだな。比ぶべくもない話だが、黒澤明監督が、その日に撮影した映像の素材を、その日のうちに粗編集をするという話を聞いたことがあるが、あれは、編集を早くしたくてたまらないからだったんだろうな。

もちろん、パワポなどよりも、動画編集用ソフトを使えば、もっと簡単に、そしてもっと細かく編集が可能なのだろうが、素人なので、いまからイベントに合わせて凝った編集をする時間がなく、これをMP4ファイルにエクスポートすれば、動画サイトにも上げることができるので、これで十分である。しかし僕にとっては、初めて作った、11分の、あまりにもマニアックなドキュメンタリー映画である。

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ひとり電通

2月24日(金)

今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!

いよいよイベント会場のこまごまとした作業が始まる。開幕まであと10日だが、休日に作業はできないので、準備日数は今日を入れて6日である。

あと6日しかない、と気ばかり急いてしまう。

僕は基本的には、会場の設営に関してあれこれと指示をする役回りで、映画でいえば映画監督である。明確な指示を出さなければならないし、最終的な判断をすべて自分がしなければならない。

朝9時半から夕方5時過ぎまで、ほとんど休みなしに立ちっぱなしで作業をしていたので、両足の裏の皮膚が猛烈に炎症を起こし、ヒリヒリと痛い。歩くたびに両足の裏に激痛が走る。

これは毎度のことで、副作用の強い薬を飲んでいるので、皮膚が弱くなり、長い時間足に体重をかけると、足の裏が耐えきれなくなってヒリヒリと痛み出すのだ。

一歩歩くごとに「イタイイタイイタイ!」となるので、よちよち歩きになってしまう。まったく、ポンコツな体である。

これでは開幕までに身体がぶっ壊れるな、と思いつつも、会場での作業だけではなく、それ以外の時間には、宣伝用のツイートの文章を書いたり宣伝用動画のチェックをしたりしなければならない。

宣伝用動画は、有名な動画サイトでも流される予定である。僕が絵コンテを描き、映像関係の業者がそれを1分程度にまとめてものが送られてきた。ファイル名には「完パケ」とあるので、ほぼ完成品なのだが、なかなかシュールな仕上がりである。ま、もともとの僕の絵コンテがシュールだったのだから仕方がない。

そういえば、それとは別に、会場内で流す動画の編集もしなければならない。これは、自前で作らないといけない。

今日、その素材がようやく届いた。

膨大な分量の映像と画像の素材が送られてきて、これを、数分の動画にまとめなければならない。はたして間に合うのか?途方に暮れる。

というか、動画の編集なんてできるのか?俺は。やったことないぞ!

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バラカン方式

2月22日(水)

先日も書いたが、最近聴くようになったのは、interfmの「Barakan Beat」である。ピーター・バラカンさんがリスナーからのメッセージを読み、リスナーのリクエストやバラカンさんの選曲で音楽をかける、という至極単純な構成なのだが、流れてくる音楽がどれも素晴らしく、つい聴き入ってしまう。

番組の中で、ちょいちょい「バラカン方式」という言葉が出てくるのが可笑しい。バラカンさん本人が言う場合もあれば、リスナーから「バラカン方式で選曲をお願いします」と書いてくる場合もある。

「バラカン方式」とは、「リスナーのリクエスト通りの曲をかけずに、そのオリジナル曲のカバー曲をかけたり、その曲が入っているアルバムの別の曲をかけたりと、ちょっとずらしてリスナーのリクエストに応える」という方式のことで、バラカンさんがよくやる手口なのである。ただむかしからある言葉ではない。最近になってTBSラジオ「アシタノカレッジ金曜日」の中で武田砂鉄氏が命名した言葉なのだが、いつの間にか人口に膾炙して、バラカンさん本人やリリスナーにまですっかり浸透した言葉になってしまった。こりゃあもう、流行語大賞だな。

そういえば武田砂鉄氏は、あるトークイベントでこんなことを言っていた。

「原稿が遅れそうな場合、たとえば木曜日が〆切だとすると、その前日の水曜日に編集者に電話をかけて、『すみません。原稿が遅れます。土曜日くらいになりそうです』と言っておく。で、金曜日に原稿を出すと、編集者は、『早く出していただきありがとうございます』と逆に感謝されたりする。〆切には遅れているのに」

ライター界では「あるあるネタ」らしい。

「今日、それと同じことが起きたんですよ」一緒にイベントの準備をしている職員さんが言った。

「車の到着が遅いなあ、本来ならば4時半くらいに戻ってくるはずなのにと思って待っていると、4時半に『いま作業が終わって高速道路に乗ったところです。到着は6時近くになるかと思います』と電話があったので、仕方がない、待つか、と思っていたら、5時半くらいに着いて、意外に早かったじゃん、と思ってしまいました。本来は4時半頃に着いているはずだったのに。これって、同じ現象ですよね」

「同じですね」

「こういう現象に名前をつけるとしたら、なんと名前をつけたらよいでしょうか」

うーむ、難しい。「バラカン方式」みたいないいネーミングはないものか、と思って、つい先ほど思いついた。

「時制混乱現象」というのはどうだろう。

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校了!

2月21日(火)

大嫌いな言葉は、「校正」。

大好きな言葉は、「校了」。

たった1文字違いだが、校了と校正は天国と地獄のような関係である。

当初は、初校、再校、三校、念校という段取りだったが、当然、念校では終わらず、「念校の念校」、「念校の念校の念校」、みたいな言い方になり、最後は印刷業者も諦めて、「七校」と言うようになった。で、七校でめでたく校了した。

スケジュール的にも、今日校了しないとイベント当日に間に合わない、ギリギリの日だったので、なんとか間に合ったというべきである。

印刷業者も、よくつきあってくれたものだ。

今回、若い撮影技師のスタッフに、色校正をお願いした。今回のイベントの準備で、一緒に出張撮影をしている中で、日頃から職場の刊行物のカラー図版の色校正をしたいと思っていたのだが、なかなかその機会がなく、歯がゆく思っていたという話を何度も聞いていた。プロの目から見れば、色校正をしたいと思うのは当然である。何よりそこには、自分が撮影した写真も含まれているからである。

そこで今回は、ひととおり彼にカラー写真を見てもらったのである。彼は、専門の立場から、かなり細かく、写真の色合いをチェックしてくれた。そして、印刷業者に忌憚ない意見を述べてくれた。印刷業者は、その意見を聞き入れ、彼の指示通りに、色を直してくれた。

「自分の意見をこんなに通してくれたのは初めてです」と、あたりまえのことなのだが、仕上がってきたからカラー図版を見ながら、感謝をしてくれた。彼にとっても、報われた思いがしたのだろう。

とんでもない、いままで怠ってきたのは、こっちの方である。

一方で、体験キットを製作してくれた担当の人は、今年度が5年任期の最後の年だという。

僕がかなり無茶なアイデアを出し、今回のイベントに関連する体験キットの開発をお願いした。しかし予算が全然ないので大がかりなものはできない。それでもその人は、そのアイデアを面白がり、工夫をしてくれて、手作り感あふれながらもかなり凝ったものが完成した。

「いままで手がけてこられた体験キットの中で、これは難しかったほうですか?」

「いちばん難しかったです。でも、やりがいがありました」

「そうですか」

「5年目の最後に、先生とお仕事ができてよかったです」

「こちらこそ、ありがとうございました」

仕事というのは、何にしてもたいへんだ。とくに最近は、理不尽な仕事が多い。

それでもなお、その仕事にかかわった人が、少しでも報われたり、やってよかったと思えるような仕事にしていきたい。

それは、このイベントを準備している中で、いつも考えていたことである。

イベント会場のパネルも校了した。さあ、明日からは会場の準備だ!

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シティボーイズなひととき

YouTubeのおすすめ動画に、俳優の荒川良々氏とシティボーイズのきたろうさんが「さし飲み」をする動画、というのがあがっていた。

文化放送の「大竹まこと ゴールデンラジオ」で、きたろうさんがよく荒川良々氏と一緒に芝居を見に行った話をしたりしていたので、ふたりは仲良しなのだろうなということは何となく知っていた。

そのYouTubeを見ると、荒川良々氏にとって、役者としてのきたろうさんを尊敬する先輩だそうで、きたろうさんもまんざらでもないような感じで、その動画はその関係性がよくわかる内容だった。

そのとき荒川良々氏がこんなことを言っていた。自分が上京して初めて見た舞台が、シティボーイズだった。それは三鷹で行われたもので、3人がコントをするのではなく、一人ひとりがピンでネタを披露する、というものだった。そのとききたろうさんは、落語を披露していて、後々になって自分も、落語に挑戦するようになった。自分はいつもきたろうさんの後を追いかけている、と。

それを聞いて、僕はビックリした。僕もまた、20代の頃に、三鷹で行われたシティボーイズの舞台を観に行ったことがあったからである。荒川良々氏が言うとおり、それのときは3人のコントではなく、一人ひとりがネタを披露するというものだった。

たしか、タイトルは「シティボーイズなひととき」というもので、タイトルからもわかるように、都内で行われるシティボーイズの本公演とはまったく雰囲気が異なり、肩の力が抜けた、ゆるゆるした舞台だった。

調べてみると、三鷹での「シティボーイズなひととき」シリーズは、3回ほど行われている。

「三鷹公演・シティボーイズなひととき」(1996年11月)

「三鷹公演・さらにシティボーイズなひととき」(1997年11月)

「三鷹公演・ますますシティボーイズなひととき」(1998年11月)

この3回の公演すべてを観に行ったかどうか、記憶にはない。この3回の公演のうち、きたろうさんの落語はいずれかの回で行ったはずで、その落語を観た気もするのだが、記憶が定かではない。もしその回を観ていたとしたら、そのとき僕は荒川良々氏と同じ会場にいたことになる。

僕が強烈に覚えているのは、それとは別の回だと思うのだが、きたろうさんが「1行のポエム」というネタを披露していた回である。当時、シティボーイズがレギュラーだったテレビの深夜番組で行われていたコーナーの一つだったと思う。内容は、少し悲しげなBGMに乗せて、きたろうさんが短いポエムを朗読する。そのきたろうさんの朗読がまた、たまらなく可笑しかった。1999年に伊集院光氏が深夜ラジオで「ダメ人間だもの」という名物コーナーを誕生させるが、それよりも前に、きたろうさんは同じようなコンセプトのコーナーをしていたのである。

いまでも一つだけ覚えているポエムがあって、悲しげなBGMに乗せてきたろうさんが朗読した、

「…………夫に間違いありません」

というポエムだった。このひと言だけで、いろいろな想像が膨らみ、さまざまな情景が思い浮かぶ。たったひと言のポエムが、これほどまで豊かな想像力をかき立てるものなのかと、僕はいまに至るまでこのきたろうさんの朗読を、忘れることができない。

荒川良々氏の動画を観ながらそんなことを思い出していたら、2月17日(金)に文化放送で「SAYONARAシティボーイズ」という単発のドキュメンタリー番組をやるということを知った。タイトルから、すわ解散か、と心配したが、どうやらそういうわけではないようだった。

番組は始まると、テーマ曲が流れた。小西康陽さんが音楽を担当した、1993年公演「愚者の代弁者、西へ」のテーマ曲だ!!!懐かしい!これはいま聴いても名曲である。

そのほかにも、90年代のコントをよく見ていた僕にとってはたまらない内容の番組だった。老境に入った3人のコント師(当時、コント師などという言葉はなかった)が、いい感じにポンコツなジジイになりながらも、それぞれが意固地になることもなく、ずっと変わらない人間関係を維持している。やはり僕にとってはこんなポンコツジジイが理想である。

若いときは大竹まことさんが3人のリーダー的存在なのかと思っていたが、実は真のリーダーはきたろうさんである。その関係性もずっと変わっていないことが、3人の会話から感じられた。

トリオ・ザ・テクノ(YMO)は、3人の活動がもう叶わなくなってしまい、いまはその喪失感が甚だしいが、僕にはまだ、シティボーイズがいる。

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写メは死語じゃなかろうか

2月17日(金)

今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました。

今週もほんとうに疲れた。

1週間ずっと校正をしていてとくに何も書くことはないので、ちょっとした愚痴を書くことにする。

先日、いちおう「新聞」と名乗っているが、「○○だより」的な超ローカルなコミュニティー紙の取材を受けた、と書いた。

そのコミュニティー紙のレポーターと称する方は、新聞にたとえると専属の記者ということなのだろう。

「間違いがあっちゃいけない」ということで、ボイスレコーダーを机の上に置き、僕の発言の内容を一言一句逃すまいと録音していた。

1時間ほど喋ったのだが、それを700字くらいの記事にまとめるのだという。この複雑な内容を700字でまとめられるのだろうかと不安がよぎったが、こういう記事を書くのは数多く経験しているのだろうから、心配ないだろうと思った。

一昨日、さっそくその記事がうちの広報担当を経由して送られてきて、「情報が正確か、ご確認ください」とあった。

さっそくその原稿を読んでみると、頭がクラクラしてしまった。

えーっと、どこから手をつけたらいいだろう。

僕の話はたしかに難しかったし、レポーターの方は、それをなんとかわかりやすく表現しようとがんばったのだろうという努力の跡はもちろんうかがえるのだが、僕の話したことが曲解して書かれていたり、僕が話してもいない単語が出てきたりと、なんとかわかりやすくまとめようとした挙げ句に、完全に破綻してしまったのだ。

「どうです?わかりやすい記事でしょう」という雰囲気が記事文章からガンガン感じ取れるのだが、これはあれだな、わかりやすさの方向性を完全に間違えちゃったんだな。

なかでも僕が気になったのは、

「いまならさしずめ写メだろうが」

みたいな表現が出てきて、おいおい、「写メ」って死語だろうと可笑しくてたまらなかった。

いまの若い人に「写メ」といって通じるのか?それとも高齢者向けにあえて「写メ」という言葉を使ったのだろうか?それにしても、あたりまえのように「写メ」という言葉を使っている言語感覚に、僕は困惑を隠しきれなかったのである。「写メは死語なのでこの部分は削除してください」とコメントしたのだが、少しアタリがキツかっただろうか。ほかにもガンガンと修正したが、僕の心は折れそうになり、途中で修正する気力もすっかりなくなってしまった。

もっとガンガン修正を続けた方がよかっただろうか。それとも、大人げないほどに文章に手を入れるのではなく、記事にまとめることを得意と自負されているそのレポーターのプライドを守った方がよかっただろうか。

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これは絵コンテなのか?

2月14日(火)

あいかわらず、仕事部屋に引きこもって校正である。

メールが来た。

「いつもお世話になっております。広報担当です。

広報担当では当社のエントランスのモニターで上映するコンテンツを管理しており、イベントの際には、イベント代表からご要望があれば広報用の動画を作成しております。

このたびのイベントにつきましても、予算は確保されておりますが、いかがいたしましょうか。

動画作成から上映までの大まかな流れは以下の通りです。

 ①イベント代表者から広報担当へ素材(画像・動画・文字原稿等)提供

 ②業者へ素材を送り、動画を作成

 ③イベント代表者・広報担当で校正

 ④社内会議で審議

 ⑤上映

昨年度のイベントでは46秒の動画を作成し、エントランに加えYouTubeでも公開しましたが、イベント代表者多忙につき作成しなかったこともあります。

お忙しいところお手数ですがご検討のほど、よろしくお願いいたします。」

あんたが望むんなら映像を作ってやってもいいぜ、と言わんばかりの内容である。

くっそ忙しいのに、まだ仕事を増やすのかよ!…といいつつ、広報用動画を作ることにした。動画と言っても、静止画をつなぎ合わせたていどのものである。

とりあえず、こんなイメージで考えていますと返信すると、また返信が来た。

「予算を鑑みると尺は45秒~1分程度になるそうです。また制作にあたり、以下についてご検討いただければと存じます。

・動画に使用する画像の順番

・文字テロップを入れるか→入れる場合、原稿をお送りください。量が多いほど尺が伸びますのでご留意ください。

・BGMやナレーションをつけるか。エントランスでは消音再生となりますが、YouTubeでは音を入れた方が視聴者の印象に残るということで、 前回はBGMをつけました。

合わせて、動画に使用する画像素材のご準備もよろしくお願い申し上げます。」

まことに注文の多い広報担当だ。要は、「こちらは、いただいた画像素材とシナリオを映像制作業者へ右から左へ受け流すだけです」と言っているようなもんだ。結局すべての作業はこちらにまわってくる。

しかも、文字原稿が多かったら尺が伸びて予算オーバーするのでいつもみたいにクドい文章を書くんじゃねえと言わんばかりである。

しかしそんなことくらいで腹を立てても仕方がない。とりあえず動画に使う画像をかき集めた。

映画を作る前に、映画監督は絵コンテを描くって聞いたことがあるぞ。要は絵コンテを描くつもりで作ればよいのだ。

パワポを使って、画像を順番通りに並べて、必要なテロップをつける。もちろん、文字原稿は最小限にとどめた。

これでパワポを用いた絵コンテの完成!また1つ、映画監督になった気分を味わった。

あれだけ噛んで含めるような説明をしたのだから、俺の理想通りの映像を作れよな。

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逆転の構図

2月13日(月)

毎日毎日、何をしているかというと、イベントの関連本の校正である。

直しても直しても、さらに間違いが出てくる。

「この写真、違っていますよ」

「ええええぇぇぇっ!!!いままで気づかなかった!イベント会場のほうは校了してしまったので、もう写真が差し替えられない!!」

「仕方ない、上から貼りましょう」

「ちょっとみっともないね」

「いえ、たぶんわかりませんよ」

「関連本のほうは??」

「そちらはまだ校了してませんので、いまからでも差し替えられます」

「間に合ってよかった」

被害が最小限で済んだ。

…と思えば、夕方遅くになって、またトラブル発生。

「関連本のこの頁の写真ですけど」

「この写真ですね?」

「なんか、おかしいんですけど」

「おかしい???だって、先方から提供された写真でしょ?」

「ええ、フィルムスキャンしてもらった写真です」

見てみるが、写真全体がぼんやりと暗くて、中のデザインがよくわからない。なにやら文字も書かれているようだが、その文字もほとんど読めない」

「全体のデザインが、矛盾しているんです」

「矛盾???」

確かに矛盾しているようにみえる。右にあるべきものが左にあったり、いわれてみれば確かにおかしい。

先方からいただいた高解像度の写真データを、急ぎ開いて、パソコン上で拡大する。むかしでいえば、写真を虫眼鏡で見るようなものである。

僕はあることに気づいた。

「これ、裏焼きだね!」

「裏焼きですか???」

「ここにわずかに文字が書いてあるのがわかるでしょう?」

「ええ」

「これが、鏡文字になっているんです」

「…あ、そうですね!」

「あやうく、裏焼きであることに気づかないまま校了を迎えるところだった!」

「さっそく修正します!」

こんなことって、あるんだね。

刑事コロンボの「逆転の構図」を思い出した。

写真を裏焼きしたことが、犯人逮捕の決め手になる。

してみると、裏焼きを見抜いた僕は、刑事コロンボ並みの名探偵ということだ。…いや、実際のドラマでは、裏焼きを見抜いたのは犯人だったから、厳密に言えばコロンボは関係ないのだが、とはいえ、裏焼きのトリックを考えたのはコロンボなのだから、やはり僕はコロンボ並みの名探偵と言っても言い過ぎではない。

僕はこの発見に少なからず興奮したが、名探偵ならもっと早く気づけよ、と言えなくもない。

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むかし、フュージョン音楽というものがありまして

いまは死語になったのだろうか、10代のころはフュージョン音楽がわりと好きだった。僕が10代の頃の1980年代は、フュージョン音楽が全盛期だったと思う。

中学生の頃にYMOを聴くようになってから、インストゥルメンタルの音楽が好きになった。坂本龍一さんのソロデビューアルバムの『千のナイフ』は、たしかフュージョン音楽の分類に入れられていたと思う。前にも書いたと思うが、坂本龍一さんは、フュージョン音楽の名手である。

しかし、インストゥルメンタルとかフュージョンというのは、あまり評価がされにくいような印象も、当時から感じていた。

「歌詞のない音楽なんて、無理」

みたいな反応があったし、最近ではさらにその傾向が強いのではないだろうか。

ジャズ音楽に詳しい人からは、フュージョンなんて、などと軽く見られていたふしがある。被害妄想かもしれないが。

クラシック音楽に傾倒したいた人からも同様の反応があったように思う。ロックもまた然り。

あくまでも、クラシック音楽やジャズ音楽やロックが主で、フュージョン音楽はそこから派生した亜流の音楽なのだ、という謎の階級意識などを感じて、何となく後ろめたい感じがした。

高校時代は吹奏楽の部活動に参加していたが、やたらクラシック音楽に詳しかったり、ジャズ音楽に詳しかったりする人が多くて、僕のような根無し草はちょっと肩身の狭い思いをした。

高校を卒業してからも、10年ほど吹奏楽はほそぼそと続けたが、吹奏楽にそれほど思い入れがない自分に気づき、自分にとって続ける意味がわからなくなって、結局辞めてしまった。いまでも続けている人を見ると、心の底からうらやましいと思うし、尊敬する。

その代わり、10年ほど前になるが、前の職場の学生たちとフュージョンバンドを組んで、学園祭で3曲ほど演奏したときは、これほど楽しいと思ったことはなかった。またやってみたい、と思った。

久しぶりに楽器を持ちだして、練習でもしてみるか、などと時折思うことがあるが、いまの体力では、とうてい演奏をするなどということはできない。

でも、フュージョンはやっぱり僕にとって好きな音楽だし、その立ち位置から、ジャズファンやクラシックファンの生態を眺めてみると、なかなかおもしろい見え方ができる。僕の人生の立ち位置にふさわしい音楽なのである。

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クセが強い親方

2月10日(金)

今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!

今週は、というか、今週も、ひたすら校正の毎日であった。

校正したものを戻すと、とたんにまた別の校正がやってくる。それを返すと、こんどはひとつ前に戻した校正がふたたびやってくる。ほとんどわんこそばのように、校正が次から次へとやってくるのである。

校正で直したつもりでも、次の校正でまた新たな誤りを発見したり、どうしても気になるところは書き換えたり、途中で表記の方針転換をしてそれに合わせてまた最初から全部見直して漏れなくその方針転換を反映させたりと、やり出すときりがない。

イベントにはいろいろな人が見に来るので、どこをどうツッコまれるかわからない。正確な事実を記載をしなければならないのはもちろんのこと、足下をすくわれないような表現を心がけなければならない。もちろん、誤字があったら笑い物だし、一つ一つについてクレジットタイトルを正確に書かなければ失礼にあたる。

3校なのに初校みたいに真っ赤になってる!!!あとは念校しかないのに!!!

…というのがいまの状況である。

しかしそればかりにかかりっきりにもなれず、今日はイベントで必要な照明の打合せも行った。

打合せはZoomで行ったのだが、Zoomの画面に現れたのは、クセの強そうなひげ面の親方風の人と、その弟子にあたる物腰の柔らかそうな若い人の二人だった。親方風の人の口調から、その二人が師弟関係にあることが瞬時に理解できた。

なにしろ僕は初めての経験なので、打合せといってもどんな風に打ち合わせしていいのかわからない。こっちは照明のことなんぞまったくわからないド素人なのである。こことここは照明を強調してください、とか、ここは抑え気味に、など、ド素人の僕が照明のプロにいろいろと要望を出さなければならないのだ。

これまでいろいろな業者と打合せをしてきたが、僕のクドい説明を辛抱強く聞いてくれる業者もいる一方で、今日の照明業者さんの場合は、お忙しい上に、おそらく短気な性格であることが察せられ、あまりクドい説明はできない雰囲気だった。考えてみれば職人さんはむかしから短気な性格だと相場が決まっている。

ひげ面の親方が、僕のボンヤリとした下手な説明を聞いて、僕の中のイメージを瞬時に理解し、それを若い弟子に伝えていく。親方のごく短い言葉を聞いて、若い弟子は現場でどんなことをすればよいのかを理解する。その関係性が、なんともおもしろかった。

打合せは45分くらいで終わった。あとは、現場でプロの仕事を見せていただくのが楽しみである。

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アメリカの知り合い

ある人から、「ひょっとしたらちょっとした仕事でボストンに行くかもしれないんですけれど、もしお知り合いなどがいたら、(代わりに)お会いしてきますよ」

と連絡が来た。

ボストン…?はて、知り合いがいただろうか?というか、そもそもアメリカに知り合いなんぞいるだろうか?と考えてみるのだが、全然知り合いがいないことに気づく。

パッと思いつくのは、映画評論家の町山智浩さんなのだが、あの人はカリフォルニア州バークレーに在住で、ボストンとは正反対のところに住んでいるし、そもそも、知り合いでも何でもない。こっちが一方的に知っているだけだ。

うーむ、誰かいないだろうかと考えた結果、アメリカ在住の日本人ジャーナリストの名前が、思い浮かんだ。

そのジャーナリストの人とは、一昨年の夏くらいだったか、ある「人探し」の調査のために、ものすごい勢いでメールのやりとりしたことがある。アメリカと日本を股にかけた壮大な調査が展開され、そのメールのやりとりだけで1冊の本ができるのではないか、と思われるほどの分量だった。

結局、その「人探し」は迷宮入りとなってしまい、それ以来、メールのやりとりやぱったりと途絶えてしまった。

その人とは、メールのやりとりをしていただけで、まったくお会いしたことがない。

「日本に一時帰国したら、必ずお目にかかります」と言っていたのだが、そんな機会はいまだ訪れていない。

いつか機会があればお会いしたいと思っているのだが、はたしてそんな機会があるかどうか。

調べてみたら、その人はニューヨーク在住だった。

ニューヨークとボストンって、近いんだっけ?そこからして、よくわからない。日本列島でたとえたら、どこからどこくらいまでの距離なんだ?調べりゃわかるんだろうが、調べる気力もない。

で、僕はその人に、アメリカ在住の知り合いは、その日本人ジャーナリストひとりしか知らない、しかもその人はニューヨーク在住なので、ボストンで会うなんて無理でしょうか、と恥を忍んで返信したら、何の返信もなかったので、おそらくニューヨークとボストンは離れているから無理だということなのだろう。

しかしいつかは実際にその人にお会いして、あのときの「人探し」は結局謎のままで残念でしたね、いえいえ、まだまだ探し続けますよ、といった会話を交わしてみたいものである。

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北の町の再会

2月5日(日)

前日の夕食会には、偉い方々、しかも私よりも年上の男性ばかりが多数集まり、いささか気疲れをしてしまった。

翌日のこの日は、午前から夕方まで、一般来聴者向けのイベントがあり、私は午後に20分ほど喋らなければいけない。

朝、会場に40分前くらいに着くと、

「どうぞ、こちらの控え室へ」

と案内される。登壇者の中で、どうやら僕が一番乗りだった。

昨日に引き続いて、偉い人たち(しかも男性ばかり)が何人かすでに来ていて、そこでまた雑談をしなければならない。なかなか気の抜けない時間である。

午前の部が始まり、それが終わるとまた控え室に案内される。

「昼食をご用意しております。こちらで懇談会をいたします」

と、また偉い人たちとの懇談である。座持ちのいい人ばかりで僕は黙って聞いているばかりだが、それでもやはり気疲れは変わらない。

そろそろ午後の部が始まります、と、控え室を出たところ、事務局のスタッフに声をかけられた。

「先生の教え子だという方が先生にお目にかかりたいといらっしゃっています」

見ると、10数年前に卒業した教え子のOさんだった。そう、たしかOさんは、この町に住んでいるのだった。

たぶん卒業以来会っていないと思うから、10数年ぶりの再会である。

Oさんについてことさら印象的な思い出は、学生時代から同人誌に小説を書いていて、僕も当時それを読ませてもらったことがあった。卒業の時に「小説は書き続けなさい」と言ったような記憶があるが、記憶は不確かである。

5年ほど前の2018年にOさんから突然長いメールが来たことを思い出した。その年に僕が出した本を読み、大学の授業が懐かしくなりメールを書いたという。そこには、語り口が授業そのままで涙が出ましたと書いてあった。

2018年に出した本は、世間的にはまったく話題にもならず、売れなかったのだが、そのメールに僕は救われたのだった。

そのメールには続きがあった。自分はいま売れない小説家をしていて、出版もしてもらえたけれど、まだ納得いく小説が書けていませんと書いてあった。僕はたしかそのとき、その小説を読んでみたいと思ってペンネームや小説のタイトルを尋ねた気がするのだが、そのときは、ペンネームも、出版した小説のタイトルも、教えてくれなかった。あれからどうしたのだろうと、気になっていた。

「どうしてこのイベントを知ったの?」

「いただいたチラシに先生の名前を見つけて、絶対に行かなくちゃ、と思ったんです」

名刺交換をしたら、肩書きに「小説家」とあり、ペンネームが書かれていた。名刺の裏面には自分が出した小説の一覧が書いてあった。すでにかなりの数の小説が出版されているようだった。

やっと、小説家と胸を張って名乗れるようになったんだね、と思いながら、僕は感慨深く、名刺を受けとった。

「先生、お元気でしたか?」

「いろいろなことがあったけれど、なんとか生きてます。あなたは?」

「3人の子育てに追われています」

「この名刺に書いてある小説、読んでみます」

「お時間がありましたらぜひ」

僕はこれから読者になるのだ。これからずっと。

「先生、そろそろお時間です」

短い時間だった。

「これから先生のお話、聴かせていただきます」

「ありがとう。縁があったらまたお会いしましょう」

「先生もお元気で」

遠い空の下でなんとかやってるだろうと時折思い出す人と不意に再会して、なんとかやっている近況を知ったときほど、嬉しいことはない。

それだけでもこの2日間は、この町を訪れた甲斐があった。

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3年目の対面

2月4日(土)

朝、新幹線で北に向かう。

2020年の4月から、あるプロジェクトにかかわることになった。そのプロジェクトの義務は、1年に1度、2月の第1週の土日にプロジェクトの成果をみんなの前で報告すること、というものだった。だから毎年、2月の第1週の土日はそのために空けておかなければならない。

土曜日の午後に成果報告会があり、日曜日はまた別の場所で同じ内容の成果報告会を行うもので、つまりは同じ内容の成果報告を2日連続でしなければならない。土曜日はクローズドだが、日曜日は、けっこうな数のお客さんが聴きに来るという。

2020年4月といえば、新型コロナウィルス感染症が世間を脅かした時期である。当然、その翌年の2021年2月の会は会合がオンラインで開催された。翌年度も同じである。

で、今年が3年目。3年目にして、ようやく対面実施が可能になったのである。

しかしこの時期、予想外の寒波が襲来して、その町は珍しく大雪が降った。北の町といっても、例年はあまり雪が積もらないそうなのだが、ここ数日は予想外の大雪で、路面にはかなり雪が積もっている。

やっぱりオンラインの方がよかったんじゃないの?と思わなくもなかったが、しかし、それまで画面上でしかお目にかかれなかった人たちと、3年目にして初めて対面できたことは、ある感慨を禁じ得ない。

おめえ、つい数日前まではオンライン参加がいいって言ってたじゃないか!とお叱りを受けそうだが、もちろんこれは、ケース・バイ・ケースである。

明日は少し大きめの会場で喋るので、若干緊張している。しかしこの雪で、どれほどの人が集まるのだろう?

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かく語りき

2月3日(金)

今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日のアフタートーク」までたどり着きました!お疲れさん!

今週は忙しかった!何が忙しかったと言って、武田砂鉄氏がほぼ毎日のようにラジオに出演していたからである。砂鉄推しの人間にとっては、いちいちチェックしなければならない。

今週の出演履歴は、

月曜日はTBSラジオ「赤江珠緒 たまむすび」の「週間ニッポンの空気」15時過ぎから20分ほどのコーナー出演。

火曜日は文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」で13時~14時まで出演。

木曜日はbayfm「髭男爵山田ルイ53世 シン・ラジオ -ヒューマニスタは、かく語りき-」16時~19時までの3時間出演。

金曜日はTBSラジオ「アシタノカレッジ金曜日」22時~25時過ぎまでの2時間+α出演。

金曜日はもう一つ、J-WAVE「わたしたちのスリープオーバー」25時半~26時に出演。

これだけあると、移動中は常にradikoを聴くことになる。

この中でいちばんおもしろかったのは、髭男爵山田ルイ53世のラジオである。前々から薄々感じていたが、伊集院光氏の朝のラジオ番組のテイストのようなコーナーまわしができるのは、髭男爵山田ルイ53世だけじゃなかろうか?しかし、週1でも、忙しい時間をやりくりして3時間を聴き通すのは、なかなか至難の業である。

山田ルイ53世、YBSラジオでも週1で2時間のワイド番組をやっているんだよなあ。これも聴き始めると、ますます収拾がつかなくなる。

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伝わっているのか

1月31日(火)

映画の宣伝のために、外国から俳優さんが来たりするでしょう?トム・クルーズとか。

トム・クルーズで思い出したけれど、以前、フジテレビのめざましテレビで、軽部アナウンサーがトム・クルーズにたんにインタビューしている様子を、「対談 トム・クルーズVS軽部真一」と称していて、「対談かよ!」とツッコミを入れたのが、武田砂鉄氏である。

だいたい、軽部アナまわりのニュース、というのは、「死ぬほどどうでもいいニュース」と相場が決まっているのだ。

…話が逸れた。

入れ替わり立ち替わり、インタビュアーが俳優に映画の話を聞いたりする。すると俳優は、そのたびに同じようなことを答えなければならない。

見ていてたいへんだなあと思っていたのだが、いまの僕も、そんな感じである。

メディアまわりをしてイベントの宣伝をしたり、あるいは取材みたいなものを申し込まれてそれに答えたり、そのたびに同じようなことを話すのは、けっこう飽きる。

以前、大手新聞社の取材を受けた、という話を書いたと思うが、昨日は、超ローカルな新聞、…新聞と銘打っているが、地域の密着情報を伝える「○○だより」みたいなものを発行しているところから取材を受けた。公のものではなく、民間団体みたいなところが作っている新聞なのだろうか。よくわからない。

事前に送られてきたバックナンバーを見ると、「地域のお買い得情報」みたいなものが中心の新聞である。しかも驚いたことに、「○○市西部版」と書いていて、「○○市」全体ではなく、市の西半分にだけ配られる新聞のようだ。どんだけローカルなんだ???

取材を受けろというのは職場命令なので、致し方がない。

「レポーター」と称する人が来て、小一時間ばかり取材を受けた。

「私、全然わかりません」というので、噛んで含めるように説明をした。

予定の1時間が経過し、「ありがとうございました。これを私のほうで700字にまとめて記事にします」

えええぇぇっ!!!たったの700字???いや逆に、700字で適切にまとめられたら、それはそれですごいことである。

バックナンバーから察するに、「地域のお買い得情報」の横に、小さく記事が載るんだろうな。楽しみである。

ところで、僕が書いたり喋ったりすることは、どれだけ伝わっているのだろうか?と、時々不安になる。

このブログも、「何を書いているかまったくわからない」と思われているんじゃないだろうか、と、最近、とくに不安になってきた。

ま、わかってもらおうと思って書いているわけではないので、別にかまわないのだが。

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