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むかし、フュージョン音楽というものがありまして

いまは死語になったのだろうか、10代のころはフュージョン音楽がわりと好きだった。僕が10代の頃の1980年代は、フュージョン音楽が全盛期だったと思う。

中学生の頃にYMOを聴くようになってから、インストゥルメンタルの音楽が好きになった。坂本龍一さんのソロデビューアルバムの『千のナイフ』は、たしかフュージョン音楽の分類に入れられていたと思う。前にも書いたと思うが、坂本龍一さんは、フュージョン音楽の名手である。

しかし、インストゥルメンタルとかフュージョンというのは、あまり評価がされにくいような印象も、当時から感じていた。

「歌詞のない音楽なんて、無理」

みたいな反応があったし、最近ではさらにその傾向が強いのではないだろうか。

ジャズ音楽に詳しい人からは、フュージョンなんて、などと軽く見られていたふしがある。被害妄想かもしれないが。

クラシック音楽に傾倒したいた人からも同様の反応があったように思う。ロックもまた然り。

あくまでも、クラシック音楽やジャズ音楽やロックが主で、フュージョン音楽はそこから派生した亜流の音楽なのだ、という謎の階級意識などを感じて、何となく後ろめたい感じがした。

高校時代は吹奏楽の部活動に参加していたが、やたらクラシック音楽に詳しかったり、ジャズ音楽に詳しかったりする人が多くて、僕のような根無し草はちょっと肩身の狭い思いをした。

高校を卒業してからも、10年ほど吹奏楽はほそぼそと続けたが、吹奏楽にそれほど思い入れがない自分に気づき、自分にとって続ける意味がわからなくなって、結局辞めてしまった。いまでも続けている人を見ると、心の底からうらやましいと思うし、尊敬する。

その代わり、10年ほど前になるが、前の職場の学生たちとフュージョンバンドを組んで、学園祭で3曲ほど演奏したときは、これほど楽しいと思ったことはなかった。またやってみたい、と思った。

久しぶりに楽器を持ちだして、練習でもしてみるか、などと時折思うことがあるが、いまの体力では、とうてい演奏をするなどということはできない。

でも、フュージョンはやっぱり僕にとって好きな音楽だし、その立ち位置から、ジャズファンやクラシックファンの生態を眺めてみると、なかなかおもしろい見え方ができる。僕の人生の立ち位置にふさわしい音楽なのである。

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