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2023年3月

差し入れには困らない

3月30日(木)

昨日は「トラック野郎」(正確に言うと「ハイエース野郎」なのだが)の車に乗り、10時間以上かけて職場まで戻ってきた。そこからこんどは電車で2時間ほどかけて帰宅した。どんだけ乗り物に乗っているんだ?

すっかり疲れてしまったが、今日もまた朝早く家を出なければならない。2組の来客対応があるからである。

出勤すると、「お預かりものがあります」と言われた。昨日、僕が不在のときに、元同僚の友人がイベントを見に来てくれたようで、差し入れを持ってきてくれた。僕にとっては懐かしいお店のお菓子であった上に、そこに「楽しく拝見しました」のひと言が添えられていた。なんとも粋な人だ。

今日の午前中は、20年ほど前に卒業した「前の職場」の卒業生が、山里深い町からわざわざイベントを見に来てくれるというので、イベントの案内をすることにした。

20年前の卒業というと、もうアラフォーなのか。しかし20年前と変わらず、知的好奇心は旺盛である。何年ぶりに再会したのか、もう忘れてしまったが、懐かしさのあまり、イベントの解説をしているうちに、あっという間に2時間以上になった。それを飽きずに聞いてくれたというのも、学生時代と少しも変わっていない。

「これ、差し入れです」と、地元のお菓子をいただいた。次の予定があるというので、再会を期して、慌ただしく別れた。

午後は、ある人に頼まれて、偉い人にイベントの案内を1時間ていどすることになっていた。偉い人、というのは、どっかの会社の会長さんらしいのだが、その会社の名前を聞いても、失礼ながらどんな会社なのかはわからない。

大事なのは、その会長さんが連れてくる人というのが、僕でも名前を知っている大企業の副社長さんだというのである。しかも副社長の秘書も同行するという。1人で来れないのかよ!と言いたくなる気持ちを、グッとこらえた。

実際にお目にかかると、私よりはるかに年齢が上の男性の副社長さんの後ろに、若い女性の秘書がいた。絵に描いたようなハナシで、ほんとうにこういう世界ってあるんだな、と思わされる。

僕はビジネスライクな説明をして、予定の1時間を10分ほど過ぎて、案内を終えた。僕の役割はここまでである。

3人が帰った後、アテンドしていた職員があとで僕のところにやって来て、

「これ、会長さんからの差し入れだそうです」

と言って、僕に紙袋を渡した。持つと意外に重い。

「何です?これは」

「生のタケノコだそうです」

「タケノコ?」

差し入れがなぜ生のタケノコなのか?よくわからない。

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微妙に遠い場所

3月28日(火)

「イベントが開幕したら、少しは落ち着いたでしょう」と言われることがあるが、とんでもない話である。

イベントは、開幕した当初は、じつに不完全な存在で、日々少しずつ進化をしながら、完成形に近づけていく。

昨日は、イベントにかかわるあるものを運搬するために、都心まで車を運転し、職場までそれを運び込んだ。

それだけでも疲れてしまったのだが、今日は、やはりイベントにかかわる別のものをお借りするために、新幹線に乗って西に向かう。

屈指の観光地であるその町は、ちょうど桜の季節であることも相俟って、びっくりするくらい多くの人でごった返していた。

新幹線の駅には、少し早めに着いたつもりだったが、バスに乗って目的地に向かおうとすると、道路が大渋滞で、結局約束の時間ギリギリに到着した。

そこで、「トラック野郎」と合流し、2件の仕事を終え、お借りしたものをトラックに積み込んだ。この日は、お借りしたものをいったん近くの倉庫に保管して、翌日の朝、トラックで職場に向かうことになっている。

しかしその倉庫というのが、町の中心地から少し離れたところにあって、そこまで行くのにまた、渋滞に阻まれて時間がかかった。

ようやく着いたその場所は、郊外の見知らぬ土地だった。倉庫に仮置きした後、

「では、明日の朝8時にこの場所でお目にかかりましょう」と、「トラック野郎」が言った。

「あのう…最寄りの駅はどこですか?」

てっきり、「トラック野郎」が最寄りの駅までトラックに乗せてくれるのかと思ったが、そういうわけではないようだ。今日の宿泊先には自力で戻らなければならない。

「トラック野郎」は、事細かに、最寄りの駅に行くためのバス停の場所を教えてくれたのだが、そのバス停まで行くのがまた、足の痛い僕にとっては苦痛である。

それでもなんとかバス停にまでたどり着き、最寄りの駅までたどり着いた。なんだかんだで宿泊先まで1時間ほどかかった。

明日はトラックに10時間以上乗らなければならず、職場に着くのは夜である。

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4年ぶり

3月26日(日)

都下の町で、ある勉強会に出席した。

この日は娘の誕生日なので、出席するのがためらわれていたのだが、その勉強会はうちの職場が主催で、僕は形ばかりの代表をつとめていたので、出席しないわけにはいかない。

20名ほどが出席するこぢんまりした会で、はじめた見かける人がほとんどである。本来ならば、一人ひとり挨拶しなければいけないのだろうが、スケジュールが詰まっていて、その時間はなかった。会じたいは、とても勉強になってよかった。

夕食は娘とケーキを食べなければならないので、会が終わると、すぐ帰らなければならない。会は5時過ぎに終わった。

さあ帰ろうと立ち上がると、後ろの席の人が声をかけてきた。

「お久しぶりです。覚えていますか?」

顔を見たが、はて、覚えていない。

「4年ほど前に、ウクレレの会でお会いしました」

そう言うと、彼は自分のスマホをとりだして、スマホの中の写真を僕に見せた。

思い出した!以前、ある本の仕事を一緒にした人である。

といっても、面識はほとんどなく、ちゃんとお話ししたのは、2019年11月のウクレレの会というイベントの時だった。

その時僕は、1歳8カ月の娘を連れて行って、彼もまた、生まれたばかりの赤ちゃんを連れてきていた。赤ちゃんを連れてきた参加者は、僕と彼の二人だけだったので、主催者の人に頼んで、一緒に写真を撮ってもらったのである。

彼が見せた写真は、その時の写真であった。

しかし、その時の写真の彼と、現在の彼とは、かなり印象が違っていたので、まったく気づかなかったのである。

「こんなところでお会いできるなんてね!」

「あの時の子は、いま4歳です。鬼瓦さんのところは?」

「今日が誕生日で、5歳になりました」

「そうでしたか」

「いまはここに勤めております」

と彼は名刺を差し出した。

横で話を聞いていた、この勉強会の担当者が、

「こんど、うちのチームと一緒に仕事をすることになる方です。お知り合いだったんですか?」

と驚いていた。

「じゃあ、これからまたいっしょに仕事ができるんですね」

「そうですね」

かつて、いっしょに仕事をしたことのある人と、まったく別の仕事でまたご一緒するというのは、僕にとって、最も幸福な再会の仕方である。

僕はそういう再会を、何度もしている。

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カラオケ

3月25日(土)

翌日に5才の誕生日を迎える娘と、カラオケボックスに行った。

カラオケボックスなんて、何年ぶりだろう?記憶をたどると、「前の職場」では、カラオケボックスに入った記憶がないから、ひょっとしたら20年ぶりくらいかもしれない。

あ、でも韓国留学中に「ノレバン(カラオケボックスのこと)」にはよく行ったな。

それはともかく、娘はドラマのカラオケシーンを観ていて、カラオケボックスに行きたくなったらしい。

久しぶりに行くと、いまは曲名一覧が書かれた本なんてないのね。最近の回転寿司みたいに、タブレット端末で選曲をするようになっていた。

これまでに娘が歌っていた歌を思い返しながら、選曲を進める。

その多くは、「おかあさんといっしょ」の歌だが、そのほかにも、ジブリ映画、ディズニー映画、細田守監督作品などのアニメソング、ウルトラセブン、「翼をください」など、これまで娘が歌ってきた歌をどんどん選曲していった。娘は、どれも完璧に歌えたわけでは決してないが、まあそれでも楽しかったらしい。結局、2時間、娘のオンステージになった。

会計を見ると、ドリンクバーを付けて家族3人で約3000円。未就学児は無料なので、大人はひとり1500円程度である。

そうか、未就学児がいるとトクなのか…。そう思って他の客を見渡すと、やはり同じように未就学児を連れた親子できている人がけっこう目立つ。

今日はとくに雨なので、公園に遊びに行けないときは、カラオケボックスに行くというのも一つの選択肢なんだな。

あまりに楽しかったみたいで、「また明日も行きたい」と言っていたが、明日は誕生日なんだから、別の予定があるよと説き伏せた。

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最後のイベント

今回のイベントの作業をしているスタッフから、こんな話を聞いた。

大変お世話になった大学の指導教員に、たまにメールで連絡をしている。その先生は、在学期間の終わり頃から体調を崩し、ずっと不調の日々が続いていたが、最近、手術をしてだいぶ体調がよくなったそうで安心した。自分が携わっているイベントが始まるタイミングで、必ずメールを書いているのだが、「(人事異動があるかもしれず)今回のイベントが最後の担当になるかもしれない」と書いたら、「イベントに行こうかな」と返信が来て、その言葉だけでも嬉しかった、と。

なるほど、その気持ちがよくわかる。

僕は年齢的には、その指導教官の側なのだが、立場としては、そのスタッフと同じ立場である。

僕は、前の職場を去るときに、教え子たちに対して恥じない生き方をしようと誓った。

それがはたしてできているか、ずっとモヤモヤしていたが、あれから10年、今回のイベントを行ったことで、ようやく胸を張って恥じない生き方をしている、と言えるようになったかもしれない。

できれば教え子たちにこのイベントを見てもらいたい、と思うのだが、いささか時間がかかりすぎた。それぞれの生活や人生の追われていて、なかなかそんな機会は訪れないかもしれない。

それでも、20年以上前の教え子から、遠路はるばる、万難を排して来てくれるという連絡をもらうと、やはりうれしい。

僕自身も、これが「最後のイベント」だと思っている。もう、こんな大がかりのイベントを自分で企画立案する機会は、訪れないかもしれない。「集大成」「生前葬」と自己評価する所以である。

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縮図

3月22日(水)

職場の重要な会議があることを忘れて、病院の診察予約を入れてしまった。というか、もともとこの日しか診察を受ける日がなかったので、仕方がない。しかも、かかりつけの病院ながら、部署が異なるので、初診扱いとなり、予約の患者が終わったあとに診察を受けることになる。

「朝からお越しいただくことになりますが、ひょっとしたら診察は夕方頃になるかもしれません」

「そうですか…」

こうなったら、一日、病院で過ごすことを覚悟する。

待合室でがんばって重要な会議にZoom参加することも考えたが、そこまですると身体が悲鳴を上げる。それほどに、疲労が蓄積し、体調が悪い。クソ真面目に全部の仕事をこなそうとすることは命にかかわる。

それにしても、かかりつけの病院が、自宅から電車とバスを乗り継いで1時間半ほどかかるところにある、というのはどうだろう。病院に行くには、元気でないと通えない。

…と、ここまで書いて、以前に聞いた話を思い出した。

ある山里深い町を訪れたときのことである。その村は、数年前に大水害により、唯一の公共交通機関である鉄道の橋が落ち、それが復旧することがないまま10年近くが経っていた。なかなかたどり着くことが難しい「秘境」、といってもよいかもしれない。

その町で働く人が、僕たちを車に乗せて運転しながら、こんな話をしてくれた。

妻が妊娠したときに、車でよく病院まで連れて行ったのだが、最寄りの病院まで片道2時間かかる。ある日、往復4時間かけて病院に行き、自宅に戻ると、妻の体調がすぐれなかったので、その日、もういちど、2時間かけて病院に行った。結局その日は、全部で8時間かけて病院と家を2往復した。

…たしか、こんな話だったと思う。

それを聞いて、いやぁ、たいへんだなあと思ったのだが、考えてみれば自分も同じようなものである。

総合病院のような大きな病院に通っていると、この国の縮図を見る思いがする。

平日の日中の病院というのは、高齢者ばかりである。年老いた男性が病気の場合は、年老いた女性が診察に付き添い、逆もまた然りである。「老老介護」という言葉がいつごろから言われはじめたのかは記憶にないが、それを実際に目の当たりにすると、どうにもやるせない。

待合室は、ひどい混雑ぶりである。ひとりの医者が、いったい何人を診ているのだろう。そして、看護師さんや医事課の職員さんたちの患者さばきを見ていると、ほんとうに頭が下がる。なかには待ち時間が長いといって医事課の職員にクレームをつける人もいるのだが、クレームをつけたところで事態は何も変わらないし、医事課の職員さんにそんな権限もない。つまりは座して待つより仕方がないのだが、そういう理不尽なクレームを相手にしなければならないのは、そうとうなストレスだろう。

現場がかろうじて踏ん張っているから、なんとか崩壊せずにすんでいる、というのは、どこの業界でも同じだろうか。実際は仕事がまわっていないというべき状況なのである。政治家は病気になっても、待たされることもなく、混雑した様子を観察することもないのだろう。世間に対する政治家の解像度の低さというのは、なんとかならないものだろうか。

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ちょっとした人捜し

14年ほど前、1年間の韓国留学でお世話になったウさんは、私より少し年上だが、日本に留学した経験があったので、留学当初は韓国語がまったくわからなかった僕にとっては、恩人である。

コロナ禍で韓国に行けなくなったこともあり、ウさんとはもうずいぶん会っていない。いまはFacebook上でのつきあいである。

そのウさんが、公開設定で、次のような呼びかけをした。

「1991年留学生別科に入学し、1992年3月に修了した韓国人のウともうします。その当時にT大学教育学部に在学していたK(当時3年生)という卒業生を探していますが、情報はH県出身である事だけです。現在は、たぶんH県で小学校の先生になって弟子を育てると思います。何とか探すことができますでしょうか?私が1992年からR大学で留学中に大変お世話なっていることを一生わすれないからです。」

そのメッセージに、二人ならんで写っている写真が添えられていた。大学時代に撮った写真である。

コメントも見ると、

「下の名前はわからないんですか?」

「わからないんです」

というやりとりがある。つまり苗字しかわからないのだ。

しかし、その苗字というのが、ひどく変わっている。僕は少なくとも初めて見る苗字である。これならば、かなり探しやすいのではないだろうか。

じゃあ、その苗字で検索すればいいじゃないか、となるかもしれないが、その苗字は、一般名詞としても使われたりする熟語なので、検索したところでよくわからない。

「H県で小学校の教師をしているであろう」というウさんの推測、そして変わった苗字、この2つを手がかりに、人探しをはじめる。

仮に小学校の教師をしていたとしたら、人事異動が公表されているはずだ。まずはH県の県庁所在地の市の小学校の人事異動情報をインターネットから探す。

すると、あったあった。S小学校の教頭先生の名前がKさんである。

「S小学校の教頭先生の名前がKさんですよ」

とコメントに書く。

「ワオッ!ありがとうございます。連絡をとってみます」というウさんの返事。

「結果を教えてくださいよ」

「当然でしょう」

しかしそれからどうなったのか、しばらく音沙汰がなかった。

今日、ウさんからメッセージが来た。

「鬼瓦先生のおかげでKさんからメールが来ました。ほんとうにありがとうございます」

やはり、僕の調査は間違っていなかった。

そして、その下には、Kさんから来たメールの一部が転載されていた。

「ウさん。君が京都から連絡なしにいなくなって30年が過ぎました。突然職場にairmailが届き、驚きました。よく、俺の所在がわかったなあと感心しました。どうやって見つけたんだろうかと。」

俺が見つけたんだよ、と言いたかったが、言ったところでどうにもならない。

いずれにしても、30年ぶりに、二人は連絡を取り合うことができたのである。

ウさんは、日本での留学中にたいへんお世話になった人にちゃんとしたお別れを言えなかったことを、ずっと悔やんでいたのだろう。それで、公開で呼びかけたのである。で、ウさんにお世話になった僕が、ウさんの旧友を引き合わせた。

お世話になった人のために、その人がお世話になった人を捜し当てるって、なんか運命的でしょ?

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責めを塞ぐ

3月18日(土)

今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!

…と言いたいところだが、今週もまた、週末が埋まってしまっている。

今週後半の出来事はというと…。

15日(水)~17日(金)は、妻が出張のため、娘の保育園の送り迎えは私の役目である。朝8時に登園させて、夕方6時にお迎えに行く、という時間は必ず守らなければならない。

水曜日は、朝8時に登園させたあと、電車とバスを乗り継いで1時間半かかる病院で検査である。これが思いのほか長くかかり、寄託したときにはお迎えの時間ギリギリだった。

木曜日は、職場で重要な会議である。幸いなことに、開始時間は午前11時。これだと、朝8時に登園させたあと、自家用車で職場まで行くのに11時までには間に合う。会議が終わるのはお昼過ぎなのだが、午後は、僕だけ居残りさせられて、会議に参加した外部の有識者に対して、イベントをご案内しなければならない。会議の事務担当の人に、案内するように頼まれたのだ。

「この日、保育園のお迎えがあるので3時には職場を出なければならないんですよ。それでも大丈夫ですか?」

「大丈夫です」

と確約をとり、会議終了後の午後1時からイベントをご案内した。みっちりと2時間解説をして、ちょうど3時になった。慌てて自家用車に乗り込み、帰途につく。

しかしこの時間、退勤時間と重なるせいか、高速道路は大渋滞となる。ふだんなら2時間ほどで帰れるのだが、3時間近くかかり、お迎えの時間ギリギリの夕方6時に帰宅した。やれやれ、である。

もうこの2日間だけでフラフラ、というより、その前もずっと休みなく働いていたので、いい加減これでは身体がぶっ壊れそうだ、と思い、金曜日は在宅勤務とし、たまっていた原稿を少しでも進めることにした。おかげで、海外の外国人からひどくダメ出しを食らった原稿を修正して、送信できた。この、まったく見知らぬ海外の外国人から依頼された原稿、言われるがままに書いたのだが、ほんとうに日の目を見るのだろうか?原稿料はもともと諦めているが、どうもあやしい。

で、土曜日。

午後からは荷が重いオンライン集会に参加する。僕は15分ほどそこでコメントを喋らなければならないのだが、荷が重くて、直前までコメントが1ミリも思いつかない。うーむ。これは困った。しかしギブアップするわけにはいかないので、そこはそれ、なんとか15分の責めを塞いだ。

明日は職場に行ってまた別の会合である。休みなしの日々は続く。

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NGなし

3月14日(火)

昨日、今日と、テレビ番組の収録があった。もちろん、今回のイベントを紹介する番組である。

昨日は、ローカルケーブルテレビの15分番組の収録で、プロの芸人さんとトークを繰り広げながらイベントの紹介をするというものである。

いちど、事前に打ち合わせをしたのだが、その芸人さんとお会いするのは、本番当日、というか本番直前である。

最初にディレクターが、だいたいの流れを説明する。

「かくかくしかじか…、こんな感じでお願いします」

「わかりました」

いきなり本番である。

百戦錬磨、その芸人さんはこの番組のレギュラーなので、ディレクターの意図を瞬時に理解し、番組をまわしはじめる。

こっちも負けてられない。芸人さんの投げかける言葉に、的をはずさぬように応答する。

「はい、OKです!」とディレクターの声。「すばらしいです」

掛け合いが、見事にハマったらしい。芸人さんも、「すごいです」と驚いていた。

掛け合いの場面は、まずオープニングから始まり、次にイベントの中身を、4場面にわたって紹介する。これだけで、5つの場面で芸人さんと掛け合いをしたことになる。

「はい、最後はエンディングです。もうかなり撮れ高があるので、エンディングは短めにお願いします。○○さん(芸人さん)がいい感じで感想を言っていただいて、それに対して鬼瓦先生がいい感じのコメントをお願いします」

「撮れ高」って言葉を実際に使っている人を、初めて見た。そりゃそうだ、ディレクターだもの。

さて、芸人さんが、どんな感想を繰り出すかわからない。しかしその芸人さんは、かなりクレバーな人なので、その場で的確な、しかも短い感想を言った。さすがである。

それに対して僕は、その感想を受けて的をはずさぬように短いコメントを言って、それがまた、見事にハマったのである。

「はい、オッケーです!完璧でした」

「そうでしたか」

「捨てるところがありません」

彼らが言うには、一発OKというのは珍しいらしい。それほど、掛け合いがハマっていたのである。

「ピンマイクをはずしま~す」ADのような人が僕のシャツにつけていたピンマイクをはずして、無事に収録は終わった。

「どうしてそんなにお上手なんです?」とディレクター。

「実は、ラジオパーソナリティーになるのが夢だったんですよ」

と恐る恐る言うと、

「ポッドキャスト番組とかもったらいかがです?絶対に人気が出ますよ。なんだったら○○さん(芸人さん)と掛け合いをするとか」

「ほんとうですか?」言われた僕もまんざらではない。「じゃあ、事務所に入ろうかな」その芸人さんは、老舗のお笑いタレント事務所に所属していて、僕の憧れているお笑いタレントがいる事務所でもあるのだ。この「事務所に入ろうかな」のひと言で、周りは爆笑した。

「鬼瓦先生、ほんとうに面白いですねえ。絶対にいけますよ」

どこまでおだてるんだ、この人たちは。

ということで、スムーズに収録を終えたのだった。

そして翌日の今日。

こんどは一転して、公共放送の伝統ある番組である。5分間だけ放送してくれるという。その中で僕のインタビューは40秒くらい流れるらしい。

前日はラフな格好だったが、今日はスーツを着て撮影にのぞむ。

こちらのほうも、ディレクターから「だいたいこんなことを言ってください」と言われて、いきなり本番である。

今回は、ディレクターが質問をして、その質問に対して答える、と形式なのだが、あたかもひとり語りをしているような感じに編集されるのだろう。

ディレクターの聞きたいことに対して、的をはずさないように応答する。

そのやりとりを何度かくり返して、

「はい、オッケーです」

と、終わった。

「もう完璧です。こちらの聞きたいことに全部答えてくださいました」

「伝わったのでしょうか」

「もちろんです。なんならこのまま1時間番組にしたいくらいです」

ディレクターというのは、おだてる人種なのか?

お疲れさまでした、とようやく解放され、帰途についたとき、ふと思った。

(あれ?ピンマイクつけなかったぞ?)

機材は、カメラと照明だけだった。ピンマイクをつけ忘れたのかな?

(ひょっとして、俺が喋った話は、全部音が入っていないんじゃないだろうか?)

と心配になってきた。

それとも、その公共放送のカメラは、とても性能がいいので、カメラに高性能のマイクが付いているのだろうか?いやいや、そんなことはないだろう。

あ~あ、あの人たちが会社に戻って映像をチェックしたら、音声が入っていないことに愕然とするのではないだろうか。

いよいよ心配はつのるばかりだが、オンエアのときにそのことを確かめなければならない。

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俺に週末はない

3月12日(日)

今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ 金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!

…と書けなかったのは、この週末も、休む暇がなかったからである。

手帳を見ると、今月ほとんど休みがない!

しかし、遠くからイベントに来てくれる人がいて、じつにありがたい。

金曜日は、前の勤務地でお世話になった方が来てくれた。

土曜日は、「イベントの関連イベント」だったのだが、高校の吹奏楽の後輩がわざわざその「イベントの関連イベント」を聴きに来てくれた。

日曜日は、午前、午後とも、遠方からやってきた同業の仲間にイベントの解説をした。

もうヘロヘロなのだが、遠方からわざわざ来てくれる人たちにお会いすると、それはまた嬉しいものである。

「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」というのは、こういう心境を言うのだろうな。

…これからしばらくは、簡単な身辺雑記が続きます。

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○○○○と会議は短い方がよい

3月9日(木)

イベントが開幕してからも、やることが多い。

数々の打合せ、取材対応、イベントにかこつけて研修なり講座なりを設定させられ、連日のように話をする。客が重ならないのだから同じ話をすればいいのだが、そういうわけにもいかない。趣旨に合わせて内容を微妙に変えていく。

そのたびに配付資料を作ったりパワポを作ったりするのだが、あまりに同時並行的に作っているので、

(あれ?いま俺、なんの資料を作っているんだっけ?)

とわからなくなることがある。

それに、頼まれてもいないのに、イベントのみどころを、隔日くらいの割合で職場のTwitterに投稿している。

結局、開幕後も時間がなくなるのだ。

なので、打合せはできるだけ短くする必要がある。

そう思って眺めてみれば、無駄な打合せが多すぎる。

ある打合せでは、長い時間、プランのないままに話し合った挙げ句、そろそろ意見も出なくなった頃に、まとめに入ればいいものを、長い時間、沈黙が続いた。

(え?この沈黙、何?時間がもったいないんだけど)

と思うのだが、誰もまとめに入ろうとしない。

僕は次の打合せが入っていたので、

「じゃあ私はこれで失礼します」

というと、ようやく沈黙が解かれ、

「そういうわけで、みなさんよろしくお願いします」

と、その打合せがようやく終わったのだった。この時間はなんだったんだろう?

会議や打合せが多いのは、ヒマな連中が多いからではないかと、最近思い始めている。

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生前葬

3月7日(火)

いよいよイベントが開幕した。

前日は、報道関係者向けの開幕式で、ひどく疲れてしまった。

開幕初日は、このイベントのきっかけの一つを作ってくれた3人がさっそく見に来てくれた。「きっかけ」というのは、2018年11月まで遡る。このとき、Fさんと偶然再会していなかったら、このイベントはまったく違う趣になっていただろう。

それから僕は、Fさんの縁を頼りに、あらためて交渉にうかがい、僕の夢を実現した。

「あのときの鬼瓦先生のひと言が、まさかこのような形で実現するとはねえ」

と、Fさんを含む3人は感慨深げに言った。

「これは、言ってみれば、僕の生前葬なんですよ」

「生前葬?!」

僕は、「自分のやりたいことをやりきった」「集大成」という意味で、「生前葬」という比喩を使ったのだが、他人が聞くと、縁起でもないことを言わないでくださいよ、という意味にとられるらしい。

僕はこのところ、この「生前葬」という言葉を気に入って、ことあるごとにいろいろな人に「このイベントは僕の生前葬です」と言っていて、そのたびに怪訝な顔をされる。この3人にも、

「そんなことおっしゃらないでくださいよ」

とまじめに受け止められたのである。

この言葉には、僕なりの意味がある。大林宣彦監督が映画「この空の花 長岡花火物語」を完成させたとき、インタビューで「これは僕の生前葬のようなものだ」と答えたのである。その場面は、「この空の花 長岡花火物語」のメイキング映像に残っている。

自分のために、いろいろな俳優さんが集まってくれて、力を合わせて、これだけのインパクトのある集大成的な映画を作ってくれた、という思いからそのような言葉が出たのである。実際、この映画は圧倒的に心を揺さぶられる映画だった。

しかし大林監督は実際には、それから3本の映画を撮って、この世を去ったのである。

だから「生前葬」はあくまでも比喩であり、「すぐに死ぬ」という意味ではないのだ。

しかしひとりだけ、一緒にこのイベントを作り上げたいちばんの仲間が、

「生前葬!言い得て妙ですね」

とわかってくれた。さすがである。

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照明マジック

3月3日(金)

今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!ほんとうにお疲れさん!

今週ほどキツかった週はない。イベントの準備の追い込みで、とくにラスト数日はキツかった。

ラスト2日間は、照明の設置である。

以前、Zoomで打合せをしたときに、「クセが強い親方」なんてことを書いてしまったが、Zoomの画面越しに見る印象と、実際にお会いするとでは、少し印象が違った。

短気な感じの人なのかな、と思っていたら、全然そんなことはなかった。とても穏やかな人である。年齢は、僕と同じくらいだろうか。

聞いたら、名だたるイベントの照明を手がけてきた人で、僕の下手な説明を聞いて、瞬時にその本質を理解し、思い通りのライティングをしてくれる。

僕と同じ世代くらいの親方のほかに、「若い衆」が3人いた。1人は若い男性で、2人は若い女性である。つまりこの3人は、いってみれば親方の弟子なのである。理想的なジェンダーバランスではないか!

その仕事ぶりを見ていると、親方は実際にライティングをしながら、若い衆3人にその技術を伝授している。それでいて、任せるところは任せている。粘り強く、納得がいくまで作業を続ける。

親方は3人に平等に接し、男性だから、女性だから、ということで仕事の役割を決めつけるところがない。そして(あたりまえだが)決して声を荒げない。4人のチームが、和気藹々と仕事をしている。

親方は絶対ではない。「若い衆」は意見をし、納得すれば親方もその意見をすんなりと受け入れる。納得しなければ「こんな方法もあるよ」と、親方が別の案を提示する。

僕はそれを見て、すっかり感動してしまった。暗くて見えにくいところを鮮やかに映し出す「照明マジック」もさることながら、その4人の関係性にも、である。こうして技術は、若い世代に伝承されていくのだ。

夜にすべての作業が終わり、なんとか週明けの開幕には間に合った。僕は照明チームの4人に、深々と頭を下げた。

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チクチク言葉

もうすぐ5歳になる娘が、保育園で「チクチク言葉」という言葉を習ってきた。

「チクチク言葉」とは、いわれて不快になる言葉、とか、人を傷つける言葉、という意味だが、でも「チクチク言葉」という語感は、いちばんしっくりくる表現だと思う。

大人になると、言葉の内容そのものだけではなく、言葉をかけるタイミングが悪かったり、言い方が上から目線だったり、何となく責任をこっちに誘導させるような発言だったりなど、「チクチク言葉」は多様化する。

日ごろ大言壮語を吐いている人に限って、納期が近づいても一向に作業をしようとしない。そんなとき、こちらの心はチクチクする。

スタンドプレーばかりしていないで、見えないところで手を動せよ!アンタの仕事の宣伝をしてやろうと思っているのに、納期が間に合わなかったら何にもならないじゃないか!と喉元まで出かかるのだが、言っても甲斐のないことである。

指示待ち妖怪もたまにあらわれる。

「これどうすんの?」「これは?」「それは?」「あれは?」「殿、ご決断を」

あのねえ、ちっとはてめえの頭で考えろや、俺よりもベテランなんだから!

こっちが来客対応であくせくしているのを近くで見ているにもかかわらず、

「鬼瓦さ~ん、これ、どうすればいい?」

と大声で聞いてくるので、私も堪忍袋の緒が切れて、

「あとでやります!」

と田原総一朗の「朝まで生テレビ」ばりに大声を出した。

自分の仕事を早く終わらせたいためなのか、自分の責任を回避したいからなのか。

これもまたチクチク言葉である。

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