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2023年4月

いまさらコナン

4月29日(土)

久しぶりの「いまさらシリーズ」。

「名探偵コナン」の劇場版最新作「黒鉄の魚影」を、5才の娘と観に行った。最近、テレビで放送していた過去の劇場版「名探偵コナン」を娘が立て続けに見て、たちまちファンになったのである。

かくいう僕は、恥ずかしながらこれまで「名探偵コナン」をちゃんと観たことがない。僕の「名探偵コナン」に関する知識は、

「主人公のコナンは、ほんとうは高校生なのだが、何らかの事情で小学生になっている」

というぼんやりとした1点だけである。つまり僕は「コナン弱者」なのだ。いまどき、コナンについてこの程度の知識しか持っていない人間は、そうそういないのではないだろうか。

そんな僕が、娘が夢中になって観ている「名探偵コナン ハロウィンの花嫁」という過去の劇場版を横目でチラチラ見ていると、おいおい、なんかすごいことになってるぞ、大スペクタクルじゃないか。

「名探偵コナン」のレギュラー放送は、ほとんど観ていないのだが、何となくイメージでは、密室殺人事件を推理するとか、そういう推理劇が多いのかなと勝手に思い込んでいたが、派手な爆破や破壊が起こったり、荒唐無稽なアクションがあったりと、まるで全盛期のルパン三世のようである。

また、話の展開が、何となく劇場版「相棒」とも親和性があるような気がする。

…と、ここまで読んできた「名探偵コナン」ファンからは、「おめえ、何言ってんの?バッカじゃねえの」と袋だたきにあいそうだが、まあコナンのコの字も知らない「コナン弱者」の感想に過ぎないのでご容赦ください。

…で、劇場版最新作を観てみたら、これが先日横目でチラチラ見た「ハロウィンの花嫁」以上の大スペクタクルな物語になっていて(少なくとも僕はそう感じた)、すっかり心を奪われてしまった。

映画に登場する複雑な人間関係については、僕自身、まだわかっていないことが多いのだが、そんな僕でも十分に楽しめたのである。

この映画の脚本を担当したのは、櫻井武晴氏。やはり「相棒」の常連脚本家ではないか。で、調べたら、けっこう名探偵コナンのレギュラー放送や劇場版の脚本を手がけているんだね。

この映画が層の厚いスタッフによって作られていることが、恥ずかしながら初めてわかった(あたりまえのことだが)。

どことなく「ルパン三世」のような荒唐無稽なアクションをこれでもかと見せるスタイルが印象的なのも、シリーズの脚本家の中に、ルパン三世の脚本を手がけている人がいるようで、やはり親和性が高いように感じた。というか、俺のアニメ知識、かなりショボい。

「江戸川コナン」という名前はもちろんだが、「阿笠博士」とか「毛利小五郎」とか「目暮十三」とか「少年探偵団」とか、古今東西のミステリー小説へのオマージュがみられることは、ミステリーファンにはたまらないのだろう。

ひとり、よくわからなかったのは、「安室透」という人物の本名が「降谷零」で、その声を声優の古谷徹さんがあてている、という点である。

たしか「機動戦士ガンダム」に「アムロ・レイ」という登場人物がいて、古谷徹さんが声を担当していたと記憶しているけれど、「名探偵コナン」の中の「安室透」は、それに対するパロディーというか、オマージュなのか?

僕のガンダム知識といえば、

「機動戦士ガンダムにはアムロ・レイという登場人物がいて、その声を古谷徹さんが担当している」

という1点しかないのだ。

そう、ドストライクの世代なのに、実は僕は「ガンダム弱者」でもあるのである。

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入院中にどんな本を読むべきか問題

4月28日(金)

ひとまず、無事に退院した。

これは病人あるあるなのかもしれないが、手術でたいへんなのは、手術中そのものよりも、術後である。

手術中は全身麻酔がかけられるので、ほんの一瞬で終わる。

「いいですか。大きく息を吸ってください」

といわれた時点でどうやら眠ってしまうらしく、次に続くセリフは、

「起きてください」

である。

それを同じ人が言うものだから、それがあたかも連続して聞こえるのである。これはまことに不思議な感覚である。

むしろ意識が醒めたあと、さまざまな管や機械を体中に付けられて、一晩を過ごさなければならない。寝返りも打てず、同じ姿勢を貫かなければならないので、よほどの忍耐がないとむずかしい。

しかも、僕はどうも睡眠時無呼吸症候群らしく、寝ているとたまに無呼吸になるらしい。

そのたびに酸素飽和度がさがるので、看護婦が病室に駆け込んできて、

「息をしてください!」

と言われる。おちおち眠ることもできないのである。

2日目に大部屋に戻るが、管はついたままで、これがどうにも違和感がある。

3日目にようやく体中の管がはずされ、晴れて自由の身となる。そこで持ってきた本を読もうと思うのだが、この本選びというのが、なかなか難しい。

体調がアレだから簡単に読める本を、と思い、先日、ある方からいただいた科学エッセイを持ってきた。科学とはいいながら、滋味深い文章で、ひとつひとつのエピソードも短い。タイトルに「夜話」とつくくらいだから、夜寝るときに、一話ずつ読めばちょうどよいというボリュームである。

読み始めると、たしかに滋味深い文章で、それでいて科学の知識についてなるほどと思わせる名作なのだが、科学の知識が必要となるため、頭を使わないといけない内容が含まれており、健康なときは何ら問題はないのだが、術後の身体には思いのほか思考に過重な負担を与えたようで、どうも長続きしない。これは無理をせずに、あらためて健康な状態のときにじっくり読むほうが得策のようだ。

こういうときはあまり頭を使わない方がよい、という結論になり、こんどは小説を読むことにした。僕の高校時代のすぐ下の後輩が、作家をしていて、つい最近、最新刊が刊行された。僕はその後輩とは面識はないのだが、その後輩の親友が僕と同じ部活の後輩だった縁で、その作家の小説を読むようになったのである。

読み始めると、これがめっぽう面白くて止まらない。けっこうな長編小説だったが、一気に読み終わってしまった。

頭を使わなくてもよい、といっても、決して簡単な内容の小説ではない。登場人物も多く、その人物たちの背景や人間関係も複雑で、しかもある業界の専門用語がバンバン出てくる。にもかかわらず、読み進めていけたのは、ひとえにその作家の「筆力」のおかげだろう。

前述の科学エッセイもたしかに名文なのだが、やはり小説のエンターテインメント性が、思考への負担をかなり軽減してくれていたのではなかろうか。

これからもしばしば入院する機会があるだろうから、病院で読む本は、なるべく思考に負担がかからない本を持っていこう。いまのところ、エンターテインメント性の強い小説がその候補になるのではないかと、僕は仮説を立てている。

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解説の日々

4月21日(金)

午後、来日した韓国人の友人を案内する。

このイベントを見るためにわざわざ私費で来たというのだから、案内しないわけにはいかない。

しかし僕のかたことの韓国語でこのイベントの内容を説明するのは至難の業だ。幸い、通訳をしてくれる人が一人ついてきてくれたので、僕の片言の韓国語を交えながら、重要なところはその人に訳してもらった。

表情豊かな人で、僕の解説にいちいち感動してくれるので、こちらも説明のしがいがあった。その人は最後に、

「これは映画ですよ、映画!」

と、イベントを総括してくれた。何度も書いているように、僕は、このイベントを1本の映画を作るつもりで作ったので、その意図が伝わったことに感動した。

いままでそんなふうに、このイベントをはっきりと映画にたとえてくれた人はいなかった。さすが、韓国は映画の国である。

3時間ほど説明して別れた。

4月22日(土)

オープンと同時に、前の職場の教え子が2人、遠いところをわざわざ来てくれた。

以前もこの二人は、この種のイベントを見に来てくれたことがあり、今回も来てもらいたいなあと思い、こちらから連絡をとったのだった。教え子にたいして僕の方から来てくださいとお願いしたのは、この二人だけである。

本来であれば久しぶりに会食の時間を設けたかったのだが、僕の側の事情で、会食が禁じられているので、その旨を伝えると、午後に都内に移動してヌン活をするという。午後の決まった時間に都内でヌン活をするためには、こちらを12時頃にでなければならない。つまり、与えられた時間は2時間ほどである。

解説をしていたら、あっという間に2時間になってしまった。

別れ際、

「お話をずっと聞いているうちに、先生って、そんな感じだったなぁと思い出しました」

と言ってくれた。たしかに僕は、むかしから説明がクドかった。変わらないということは、おそらくよいことなのだろう。

慌ただしく別れたあと、午後からは何組かのお客さんが来るので、引き続きイベント会場で解説をする。

結局、イベント終了時間までずっとイベント会場にはりついたままだった。5時間くらい解説しただろうか。ドッと疲労した。

明日からはしばらく入院で、このブログの更新も滞りがちになりますので、よろしくよろしく。

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癇に障る電話

ひどい会合

4月21日(金)

僕が某国のプロジェクトの日本チームの班長として、数年前からひどい目にあっている。

最初にこの話をいただいたときから、この話、スジがよくないな、と思いつつ、いろいろな義理で引き受けなくてはならなくなってしまったのである。

とにかくこのプロジェクトはいちいち癇に障る。その原因のほとんどが、実は某国側の窓口になっている日本人であることに気づいた。

僕はその人とほとんどお会いしたことがなく、当然親しくもない。僕よりも年下で、僕を「先生、先生」と持ち上げ、メールも慇懃無礼と言うべき表現に満ちあふれている。一見、丁寧な表現が尽くされているように思えるが、別の言葉で言い換えると、卑屈なのである。そんな表現をすれば僕が喜ぶとでも思っているのだろうか。よくわからない。そのくせ、そのへりくだりすぎた表現で無理難題を押しつける。

そんな調子で、いつもメールが来るので、正直言って、この人から来るメールは開きたくないほど、僕は強い嫌悪感を抱いていた。

昨日、メールが来た。

「実はメールでは細かいニュアンスが伝わりにくいので、お電話を差し上げてもよろしいでしょうか。お時間をご指定ください」

だいたいの場合、「メールでは細かいニュアンスが伝わりにくいので電話したい」と言ってきたときは、無理難題を依頼されるときと相場が決まっている。

僕は昨日は病院で診察を受け、精神的にも肉体的にも疲れ切ってしまったので、電話を受ける気にもならない。電話の内容は、おそらく、10月末に、そのプロジェクト主催でおこなわれる、某国での国際会議に現地参加しろ、という内容だろうということは容易に想像できた。以前にその件でメールが来たことがあるからである。

僕は先手を打って、メールの返信をした。曰く、今の自分は体調が悪く、入退院をくり返している。実際、来週も入院をする。こういう状況では、とても現地参加できる体力的な自信がない。オンライン参加を許してもらえないだろうか、電話の時間については、明日の午前中が会議で、午後1時半からはイベントの来客対応があるので、午後1時から1時半の間にかけてもらえないだろうか、と。

実際、今の自分の体力を、どこに優先的に振り分けるかを考える際に、このプロジェクトに割く余裕はないのだ。

その後すぐにメールがあり、「ぜひ現地参加をお考えください。みなさん待望されております」とあったので、やはりその話題だったのだなと判明した。「みなさん待望されている」というのも、嘘だということが丸わかりできるほど上滑りの表現だった。

さて翌日。

午後1時に電話が鳴った。電話番号を見ると海外からである。その人から来た電話であることは間違いない。

「もしもし」

「ヨボセヨ、チョヌン ○○○○イムニダ…」

か、韓国語…?

午後1時半から韓国の友人がイベントを見に来るので、その友人からの電話だろうか、と一瞬思った。

「…びっくりしましたか?」

「……」

「ハッハッハ、僕の韓国語、どうでしたか?」

「……」

そいつ(もう「そいつ」呼ばわりする)が、ふざけて韓国語で挨拶をしてきたのだ。

横にいたら、絶対殴ってやろうと思うくらい、腹が立った。これからこっちに何らかの依頼をする人間が、なんという挨拶だ!俺の心がそれで和むとでも思ったか!おれは具合が悪いんだ!しかも、そんなふざけたことを言い合える関係になんかない。少なくとも、俺はおまえよりもキャリアのある人間で、それをコケにするような挨拶がよくできるよな!

「どうしました?」

僕はそいつの冗談めいた韓国語の挨拶をまったく無視して、無表情に聞いた。

「あの…、10月末の件ですけれど、そんなに体調がお悪いとは知りませんでした。僕も、某国に赴任してから入院直前まで体調が悪くなったことがありますので、健康は大事だなと思います」

…これも、よく聞くとカチンとくる話である。こっちは入院するんじゃ!入院直前まで体調が悪くなったという自分語りを引き合いに出したところで、なんの慰めになるだろう。

「やはり、小さな娘さんとご一緒に運動会に参加されている写真なんかを拝見しますと、こちらとしては体調にお気を付けてくださいとしか申し上げられませんよ、フッフッフ」

なんだよ、「フッフッフ」って!

というか、僕は娘の写真をSNSなどで公開したことはない。いわんや運動会の写真をやである。

そいつとはまったく親しくないので、自分のプライベートについて話をしたこともない。なのに、なぜこちらのプライベート情報を知っているのか?しかも写真を見たことをほのめかしているのである。僕は急に怖くなった。

考えられるとしたら、年賀状である。僕の娘の写真は、年賀状でのみ公開しているからである。

年賀状に運動会の写真を載せたのかどうか、記憶がないのだが、おそらく「あいつ」が、僕から受け取った年賀状を「そいつ」に横流ししたんじゃないだろうか?

「あいつ」は、むかしっからそういう性格だと知っているし、あいつならやりかねないだろうと諦めが付くが、問題は、それを見たそいつが、俺に向かって、「小さい娘さんもいらっしゃいますからね、フッフッフ」とこちらのプライベート情報を握っていることをほのめかしたことである。あまりにもキモチワルイではないか!

そいつはその後もたびたび、「小さな娘さんと一緒に運動会に参加するお姿を見ると、くれぐれも体調にお気を付けてと思わずにいられません。フッフッフ」という言葉を繰り返し、僕はそのたびに背筋が寒くなった。

僕はこの時点でカチンときて、電話を切ろうと思った。「どうしてそんなことを知っているんです?」と聞こうとも思ったが、ここは無視するに限る。

「…で、用件はなんですか?」

やっと本題に入ったのだが、説明が下手すぎて内容が頭に入ってこない。しかも、ところどころ「フッフッフ」と笑いながら喋るので、まじめに聞いているこっちにとっては不快極まりないのである。

「国際会議の全体テーマは、決まっているのですか?」

「いえ、とくに決まっていません。お好きなテーマでお話しください」

「登壇するとなると、発表時間はどのくらいになりますか?」

「10分です」

じ、10分??!!

「もちろん、その代わりにハンドアウトは存分に書いていただいてけっこうです」

だれが存分になんぞ書くものか!

適当な話を言葉の通じない人たちに10分喋ってもらえばよい、というのだ。あまりにも人をバカにした話ではないか!

「すみません。登壇者の人数が多くなってしまったもので、ひとりあたりの発表時間が10分になってしまいました」

出た!いつもの「中身のない国際会議」だ!

「いえ、発表だけが重要なのではありません。もっと大事なのは交流なんです。その場で立ち話をしたり、懇親会で話したり、そういうことが重要なので、それで現地参加をお願いしているわけです」

今まで、それをやって有益な結果になったためしがない。発表の内容こそ重要であるという僕の主義に反する。

事と次第によっては、前言を翻して現地参加してやってもよいとも考えていたのだが、もう完全に心が折れてしまった。断じて現地参加はしないことに決めた。

だって、たった10分喋るためだけに、わざわざ体力を使って飛行機で長時間往復するなんて、バカバカしいにもほどがあるではないか!

電話は終始、そいつが半笑いで話すのを延々と聞かされる結果となり、きわめて不愉快のうちに30分が経った。

気を取り直して、ロビーで待っている韓国の友人のもとに向かった。

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解説3時間

4月19日(水)

さすがに無理がたたったのか、週初めから体調が悪く、昨日の火曜日は、午前と午後の会議を自宅からZoom参加したのだが、それもほぼ、気を失っていたといってよい。

今朝はなんとか持ち直したようで、予定通り出勤した。

今日は上司の命令で、台湾からのお客様をご案内しなければならない。その直前には、高校時代の吹奏楽部の後輩が、ご夫婦で見に来るとのことで、結局はその2組をご案内することになった。

その後輩というのは、むかしから独特のセンスを持った人で、今回そのパートナーの方と初めてお会いしたのだが、その方も独特の感性を持った方とお見受けし、なかなかお似合いのお二人であった。このイベントとも相性がよかった。

以前に聞いた話では、その後輩の義父、つまりパートナーの御父上というのが、もう亡くなってしまったのだが、生前はかなり個性的な方だったらしく、このイベントとの相性が、さらによさそうなお人だったという。

「義父にみせたかったです」

と後輩がつぶやいた。

1時間ほど経った頃、台湾からのお客さんが見えたので、後輩たちと別れ、こんどは台湾からのお客さんをご案内する。

上司の命令なので、下手を打つわけにはいかず、2時間、イベントをご案内した。

いつものように誠実な解説を心がけたので、最後には、

「あなたは素晴らしいです」

と言ってくださった。こちらも、解説しているうちに思わぬ発見があり、感謝を申し上げた。

そんなこんなで、3時間、立ちっぱなしでイベントの解説をした。4時からは職場で別の打合せが入っていたので、急いで打合せの部屋に移動する。

僕のような病人は、3時間立ちっぱなしで喋り続けたていどのことで、かなりの疲労が蓄積される。他の人なら何でもないことなのだろう。こんなことを毎日続けているのだから、体調が悪くなるはずである。

 

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往復1000キロのオムライス

4月15日(土)

昨晩、職場で仕事を終えたあと、新幹線で500キロ以上離れた町に前泊する。

今日は、そこからさらに私鉄に乗って、とあるホールにむかう。「イベントの関連イベント」が行われることになっている会場である。そこで僕は、40分ばかり喋ることになっているのだ。

お昼前に会場に着いた。そういえば、昼食を食べていない。

知り合いの人がいた。陽気なおじさんである。

「昼食は済ませましたか?」

「いえ、まだです」

「ここの地下の食堂のオムライス、おすすめでっせ」

言われるがままに地下に行くと、ちょっとおしゃれな食堂があった。というより、この建物自体が、伝統的な建物として有名らしい。

混んでいるようで、席がないなあと思っていると、

「こちらへどうぞ」

と、また別の知り合いの人がいた。知り合いの人の隣のテーブルに、面識のないおじいさんが座っている。

「この方の向かいに座ってください」

言われるがままに座る。いわゆる相席である。

「この方、○○さんといいます」

知り合いの人の知り合いらしいが、ちょっと名前が聞き取れなかった。今日の「イベントの関連イベント」を聴きに来たのだという。

「じゃ、お先に」

と言って、その知り合いの人は去っていった。あとはその知らないおじいさんと相席である。

いろいろとお話しして、それなりに話題が尽きなかったので、このイベントに関心の高い方のようだったが、結局、最後までよくわからない人だった。

「こんど、4月×日にそちらのイベントにうかがいます」

「そうですか。それはわざわざありがとうございます」

「名刺をください」

僕はその人に名刺を差し出したが、相手は名刺をお持ちではなかったらしく、結局、お名前もわからないままである。

4月×日にうかがいます、と言っていたが、何日って言ってたっけ?いろいろな人が、「4月△日にイベントに行きます」というものだから、もはや頭の中で整理しきれていない。

そうこうするうちに、僕の前にオムライスがやってきた。

「ではお先に」

といってその人は帰っていった。

オムライスを食べ終わったあと、伝票をもって会計に向かう。

「先ほどの方がすでにお支払いになりました」

「ええ、そうですか!」

ところで、「先ほどの方」とは、誰なのだろう?

私の向かい側に座っていた見知らぬ老人なのか?それとも、その前に「お先に」と言って席を立った僕の知り合いの方なのか?

だれにお礼を申し上げてよいのかわからないまま、モヤッとしたままイベントの開始時間を待った。

このイベント自体は、たいへん盛況だった。成功したといってよいだろう。僕は安堵した。

いろいろな知り合いに再会したり、初めてお会いする若者が、僕のことを知っていたり、イベント自体は3時間という短い時間だったが、いろいろな方と挨拶できた。

しかし実働時間3時間で、往復1000キロの旅とはねぇ。

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解説5時間、550㎞移動

4月14日(金)

一昨日、ちょっと愚痴めいたことをこぼしてしまったが、結論から言えば、今日は充実した一日だった。

退院した翌日の早朝に家を出て、午前中に職場に着いた。

だれもいないのではないかと心配したが、5~6名くらいの参加者が来ていた。

「10時からよろしく」と丸投げされて、その5~6名のお客さんを引き連れてイベント会場に向かう。

その5~6名のお客さんは、たいへん食いつきがよい人ばかりで、説明していくうちに、みなさんどんどんのめり込んでいった。

その様子を見ていて、こちらも興が乗り、さらに説明をヒートアップしていく。

結局、12時までの2時間、みっちりと解説をした。僕の拙い解説を2時間飽きずに聴いていただいたことに感謝した。

さあ、午後1時からは上司の身内の方とその部下の方への説明である。

上司からは、「解説は1時間くらいでええよ」と言われたのだが、身内の方も部下のお二人も、「とても楽しみにしておりました!」と先制攻撃。そうなるとこっちも負けていられない。

午前中のお客さん5~6人も食いつきがよかったが、午後のお客さん3人はさらに食いつきがよい。僕はますます興が乗って、まさに立て板に水、次々と説明しているうちに、なんとあっという間に3時間になった。

3人のお客さんは、「あっという間の3時間でした」と感激されていた。

ここで初めて気づく。このイベントは、3時間標準の解説が必要なのだと。つまり映画にたとえるなら、3時間の映画なのだ。

しかし3時間の解説というのは、いままでの最長記録である。

…ということで、今日は終始立ちっぱなしで合計5時間の解説をしたことになる。退院翌日の病人のすることか???

その後少し仕事を済ませて、新幹線に乗って西に向かう。明日は、職場から550㎞以上離れた町で、イベントの関連イベントがおこなわれ、そこに登壇することになっているのだ。

クドいようだけど、退院翌日の病人のする仕事ぶりではないよね。

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続・血管が世界一出ない人

4月12日(水)

今回も、やはり血管が出ない

夜に看護師さんが注射針を刺しに来るのだが、もう昼間から緊張している様子である。

暖めたり締め付けたりと、いろいろ試行錯誤するのだが、なかなか血管が見つからない。

その看護師さんは、やたらブツブツとひとり言を言う。それがこちらをよけい不安がらせる。

ようやく血管を見つけたみたいなのだが、本人は自信がないようである。でもやるだけやってみるか、という感じで、右腕に針をさしていた。

「い、痛い」

「あら、どうしましょ。どうしたらいいかなあ…」

とブツブツ言いながら、注射針を押し込んだり出そうとしたりしているようである。それがまた、痛みをよけいに誘う。

結局、ムダ打ちだった。針を抜いて、こんどは左腕である。

さんざん血管を探すが、やはり全然見つからない。

試行錯誤のあげく、

「手の甲でもよろしですか?」

と言ったので、思わず、

「ええええぇぇぇっ!!!」

と、ちょっと食い気味で漫才の突っ込みのような反応をしてしまった。手の甲って、最後の手段なんじゃねえの?しかも刺すときの痛みも大きいだろうし。

「ちょっと、ほかの看護師を連れてきます」

一人ではラチがあかないと思ったらしい。

ドアが開けっぱなしだったのか、会話が聞こえる。血管が見つからないことをほかの看護師に相談しているようだ。

「手の甲でもいいですか、と聞いたら、ええええぇぇぇっ!!!って言われたのよ」

「ええええぇぇぇっ!!!」

いや、えええぇぇぇっ!!!って言いたいのはこっちだよ、と思いつつ、そんなふうに思われているのならば、もう手の甲でも仕方がないと観念した。

二人の看護師さんが入ってくるなり、

「手の甲でもいいですよ」

と言ったら、安堵したような表情をして、左手の甲に注射針を刺した。

思っていたほど痛くはなかった。

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ひとり合宿(短縮版)

412(水)

またまたひとり合宿である。

いつもだと23日なのだが、今回は、あまりに仕事が忙しくて、12日にしてもらった。

本来ならば金曜日までの予定を、1日縮めて木曜日までにしてもらったのは、金曜日がまた、たいへんなのである。

金曜日は朝から職場で会合があり、そのときに参加者にイベントを見ていただく時間をとるので、ぜひ解説をしてほしい、と主催者に依頼された。

「朝10時から2時間、お願いします」

10時から2時間!!!ずいぶんと簡単に頼んできたものだ。

以前も似たような会合で解説をしたことがあるが、そのときは会合が終わった後のタイミングで解説を依頼され、ほとんどの人が帰ってしまった。残ったのは遠くからいらした3人だけで、まあ結果的にそれはよかったのだが、ほかの人は関心ないのかよ!と、かなり心が折れたのだった。

たぶん今回も、同じようなことが起こるのだろう。たいていの人は午後から会合に参加すると踏んでいる。つまり、せっかく朝からスタンバイしていても、空振りの可能性が高いのである。またこの時間、僕に丸投げされるのかと思うと、何ともやるせない。

たとえば、はるばると遠方から旧友が訪ねてくる、といった場合は、こちらも万難を排して時間を合わせてご案内をするのだが、そうではなく、だれが、何人来るともわからないまま、会合の主催者すらその場に来ないようなところで、テンションを上げて解説ができるかというと、そこはそれ、僕も生身の人間なので、興が乗るかどうかなど、その場になってみないとわからないのである。

しかしまあ、イベントを成功させるためにはいかなる手段も辞さない、このイベントと文字通り心中する覚悟でいる身としては、どんな依頼をも受け入れなければならない。そのためにこれまで、嫌いな新聞社の取材にも快く応じてきたのだ。

そして同じ日の午後は、上司から、

「私の身内とその部下が来るので、アテンドをお願いしたい。身内とその部下は、えらく楽しみにしていると言っていた」

と、また別の依頼が、しかも懇願するように言われた。そう言われてしまうと断れない。断ると、上司の顔をつぶすことになる。

「わ、わかりました」

ほかの人にアテンドを代わってもらったらいいじゃないか、と思われるかも知れないが、このイベントの全体をわかりやすく、そして見る人に興味深く説明できる人間は、残念ながら僕をおいてほかにはいないのだ。まことに哀しいことだが、それは紛れもない事実なのである。

で、この2つのアテンドが終わったら、職場を出て、新幹線と在来線を使って3時間以上かかる場所まで移動しなければならない。翌土曜日は、このイベントの関連イベントが、その場所でおこなわれるためである。この関連イベントもまた、僕なしには成立し得ないので、絶対に休めない。。

そしてこのイベントが夕方に終わると、新幹線に乗って帰宅し、翌日曜日は朝からまた職場に行くことになっている。

ということで、とにかく今週の後半は、山場が続くが、それでも平気で生きなければならない。

「大丈夫ですか?」

「大丈夫ですよ」

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高齢者ビジネス

4月11日(火)

先日の日曜日は、職場のホールで、会員制の講演会だった。

講演会前にイベント会場に行くと、若い人の姿が意外に来ている。うちの職場のお客さんは高齢者が多いとむかしから言われていたが、ふだんの客層とは違う若い人が来てくれるのは嬉しい。

講演会の時間が近づいたので、会場に向かう。事務局の人がいたので、聞いてみた。

「今日は、何人くらいお客さんが聴きに来るのですか?」

「…40人くらいです…」

ええええぇぇぇぇっ!!!

240人くらい収容するホールに、たった40人!!??

会員は数百人くらいいると思うのだが、あまりにも少なすぎる。

僕なりに分析を試みると、最も大きな問題は、このイベントが魅力的ではないという可能性である。イベントを見に来た人から、難しくてちっともわからない、もっと子どもにもわかるようなイベントにしてよ、という意見を聞いたのだが、ま、それは無茶な意見である。

次に考えられるのは、コロナ禍が明けて、それまでオンラインでおこなっていた講演会から、久しぶりに対面による講演会へと戻った。ところが、オンラインに慣れてしまったために、実際に足を運ぶことが面倒くさくなったのではないだろうか、という仮説である。コロナ禍が明けたから、コロナ禍の前のやり方に戻せば、人は集まってくる、というのは、ほんとうに正しいのだろうか。

まあ原因は前者なのだろうと思いながら、心が折れた状態で壇上に上がる。するとビックリしたのは、ほぼ全員、僕よりもはるかに上の高齢者ばかりなのである。

イベント会場には、若い人が意外に多いのに、このギャップは何だろう?

そもそも、「会員制」といわれるその「会員」とは、圧倒的に高齢者が多いのだ。ま、この種の会員には高齢者が多いと相場が決まっているのだが、時間が有り余っているという意味ではありがたいお客さんだった。しかしそのありがたいお客さんが足を運んでくれないというのは致命的である。

この会も、もう高齢者頼みにするのは止めたほうがいいのではないか。先細りするばかりである。イベントに来てくれる若い人たちを取り込むいい方法はないものか。

いちおう、公式Twitterで毎日のようにイベント情報を発信しているのだが、そもそも若者はもうTwitterなんて見ていない、という説もあり、いったいどういう手を打てばいいのか、よくわからない。

で、今日、4月19日(水)の午前中に講師をつとめることになっているカルチャースクールの事務局から、連絡が来た。

「本日現在、申込人数は3名です。明日の締切までに5名に達しない場合は申し訳ありませんがクローズとさせていただきます」

たったの3人!そういえば最少催行人数は5人と決まっていた。ここまでくると、俺の人格に問題があるとしか思えん。

この会社もまた、高齢者相手のビジネスである。やはり高齢者頼みのビジネスモデルは、いいかげん、止めた方がよい。

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1.5倍速

すでに先週のことになってしまったが、TBSラジオの「アシタノカレッジ金曜日」がこの4月から「武田砂鉄のプレ金ナイト」という番組に変わり、放送時間も、以前の2時間から、1時間半に短縮されてしまった。ところが、番組の構成じたいは、2時間時代の「アシタノカレッジ金曜日」と変わらない。

30分短縮されたことでどうなっちゃうんだろうと思って番組を聴いてみると、驚いたことに、ラジオパーソナリティーの武田砂鉄さんが、これまでよりも1.5倍速くらいの早口で、立て板に水の如く喋っているのである。

まだTBSラジオでレギュラーをもっていない時代、つまり文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」の2週に1度のコラムのコーナーが唯一のレギュラーだった時代から知っている僕としては、もちろんその朴訥として理路整然とした語りは昔から変わっていないが、それがスピードアップしていることに驚いたのである。

むかし、NHKのアナウンサーの鈴木健二さんが書いていたように記憶しているが、作家の方は無口な人が多い、「自分は書くのはいいけれど喋るのはどうも苦手でね…」と言う人が多いのだが、実際に喋ってもらうと、これがなかなか上手である、みたいなことを書いていて、なるほどそういうものだろうと思った。文章を書くことと喋ることは地続きなのだ。

武田砂鉄氏の場合も、あの文体を彷彿とさせる喋りが心地よいのだが、それがさらにラジオの生放送の場数を踏むことによって、ラジオ向きの喋りを獲得したということなのだろう。

人による、といわれればそれまでだが、本をたくさん読むことで、書くことや喋ることが研ぎ澄まされる。

文系、理系など関係なく、本が好きな人は会話をしていても話のツボを押さえている印象が強いのだが、それに対して、本を読むのが嫌いと公言してはばからない人と会話をすると、およそ頓珍漢な結果に終わることが多いのは、たんなる偶然ではないだろう。

以前にも書いたと思うが、アートが好きな人が、下手なアートを見たときに具合が悪くなると聞いたことがある。これは音楽でも文章でも同じことだと思う。音楽が好きな人が下手な音楽を聴くと具合が悪くなるのではないだろうか。同様に、どうにも頓珍漢な文章を読むと僕は具合が悪くなる。過渡期にあると思われるAIによるチャットアプリを試す気にならないのは、読んでいて具合が悪くなりそうだからである。

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邂逅

今回のイベントの中で、1カ所、「邂逅(かいこう)」という言葉を使っている。「思いがけず出会うこと」みたいな意味である。

僕はこのイベントで、この言葉にこだわったのだが、その理由が、YMOの「邂逅」という曲へのオマージュであることは、たぶん、だれも気づいていない。「邂逅」は坂本龍一さんの作詞・作曲である。

公式Twitterでも一度使ってみたのだが、意味が難しいと思われたらしく、職場のTwitter担当者に「めぐり逢い」という説明を付け加えられた。やはり「邂逅」は、一般に馴染みのない言葉なのだろうか、と思い、それ以降はもっぱら「再会」という言葉を使うことにした。

しかし僕は、「邂逅」という言葉の響きといい、漢字の形といい、「再会」よりもはるかに好きな言葉である。「邂逅」と聞いて、「ははぁ~ん、YMOですね」とわかる人は、どのていどいるのだろう。

もうひとつ、先日おこなったイベントの関連イベントのタイトルを「○○の玉手箱」としたのだが、これは、大林宣彦監督の映画「海辺の映画館 キネマの玉手箱」へのオマージュであることも、おそらくだれも気づいていない。

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来客対応とTwitterと

4月6日(木)

とにかく忙しい。何が忙しいって、来客対応である。

昨日は、このイベントに協力してくださった方がイベントを見に来てくださるというので、2時間かけて丁重にご案内した。

今日は、朝イチで都内の病院で検査をおこない、それが終わって電車で1時間半かけて職場に向かった。今日もまた、大切なお客様がいらっしゃるのである。

お昼に着くと、すでに一組目のご一行が来ていた。京都からはるばる、やんごとなきお方がお弟子さん二人を連れて下見に来られたのである。下見、ってことは、本番もあるわけだが、本番にはお弟子さんたち30人を連れてくるのだという。エラいおおごとになってしまった。

僕は、とにかく失礼のないように、言葉に気をつけたりしながらご案内したが、無知で無作法で不躾のそしりは免れない。それでも1時間半かけてご案内したので、誠実に対応した、といってもよいだろう。

で、一休みしたらこんどは、本店の社長と副社長がイベントを見に来るという。支店長が「本店の社長と副社長がいらっしゃるから、失礼のないようにご案内しなさい」という。

また俺かよ!というか、僕しかこのイベントの全体像を説明できないので仕方がないことなのだが。

ここでも1時間半かけてご案内した。もうヘトヘトである。

いま、僕が忙しいのは、来客対応のほかにもう一つある。それは、公式Twitterへの投稿である。イベントのみどころを、毎日140字以内でアップする。そしてそのツイートにふさわしい写真をチョイスしなければならない。この一連の作業がかなりたいへんである。たった140字書くだけなのだが、いかにわかりやすく書くかに腐心するので、そうとうな時間がかかる。

しかし、どれだけの人が、苦労して書いたツイートを読んでくれているのか、まったくわからない。これが集客につながっているかどうかも不明なのだが、一度始めてしまったものをやめるわけにはいかないので、続けることにしている。

まったく、病人がやるような仕事量ではないね。

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シェフを呼んでください

4月4日(火)

会議が終わり、ホッと一息ついていると、電話が鳴った。

「こちら総合受付です。○○県の××さんという方が、先生にお目にかかりたいというので総合受付にお見えになっております」

「はぁ」寝耳に水である。

「○○県の××と言えばわかるっておっしゃってます」

「ええ、わかります」

僕は、不意にその名前が出てきたので驚いた。僕よりも10才以上年上の同業者で、ずいぶん前に一緒に仕事をしたことがある。だから○○県の××と聞いただけで、すぐにわかったのだ。

その方は、良い方なのだが、ちょっとこだわりが強い方だった。僕は瞬時に、イベントを見に来られたのだな、と思った。僕のイベントと、その方の関心との相性が良いことを、僕は知っていた。

しかしそれだけに、自分のこだわりを満たさなかったとしたら、お叱りを受けるのではないだろうか。僕はちょっとビビった。

「すぐに行きます!」

総合受付に行くと、その方がいて、「ご無沙汰しております」と挨拶した。

「イベント、すでに拝見しました」

「もうご覧になったんですか」

「いやぁ…面白かった!」

僕はホッとした。てっきりダメ出しを食らうのではないかと思ったからである。

驚いたのは、自分が思ってもみなかったところを、面白がってくれたことだった。

「あの人とあの人が繋がる理由がわかった。あの人が介在したから繋がったんですね」

と、ご自身の中でひどく納得されてご満悦だったのだが、僕には何のことやらサッパリわからない。

自分のまったく意図しなかったところを面白がってくれる、というのは、なかなかうれしいものである。

自分の関心の中で勝手に受け止めてくれて、勝手に面白がってくれる。これこそが、イベントとの正しい関わり方ではないだろうか!

企業に勤める高校時代のすぐ下の後輩が、僕がいないときにイベントに来てくれて、後に感想を送ってくれたのだが、僕の思いもつかぬところを面白いと感じてくれたようだった。門外漢でも楽しめる方法はいくらでもあるのだ。僕はその賢明さに敬意を表した。

さて、僕を呼び出した○○県の××さん。イベントを見て、担当の僕をわざわざ呼び出して、面白かった、と感想を言ってすぐに帰っていった。まるで、

「この料理が美味しかったので、シェフを呼んでください」

みたいな感じだな、と思って、ありがたくも可笑しかった。

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俺の鮨も光っているか

鬼瓦殿

こんばんは。高校時代の友人・元福岡のコバヤシです。

木曜、金曜で東京出張だったので、久しぶりに行きつけだった下町のお寿司屋さんに行ったのですが、お店の大将と話していて、ふと思い出した話があり、メールした次第です。

もう何年も前になりますが、その下町にある行きつけのお鮨屋さんに行った際に、他に誰もお客さんがいなかったことも有り、大将の秀さんの修業時代の昔話を色々と聞かせて貰いました。秀さんは今年で71歳になる如何にも叩き上げの鮨職人という感じの方です。その秀さんがしみじみと語ってくれた昭和の時代の職人さんの修業話は面白くもあり、非常に心に残るものでした。

大将の秀さんは昔の浅草区の出身で、中学を出てすぐに鮨屋に住み込みの修業に入ったそうで、18歳くらいの時に鮨職人として一人前に育ててくれた親方に出会ったそうです。もう50年以上も前のことだそうで、今は無い上野の駅前にあったホテルの鮨屋で修業していたそうです。

ただ、今でこそ有り難さを感じているそうですが、修業を始めたばかりの頃は本当に酷い目に遭ったとのことで、親方を刺し殺してやろうかと思ったことも幾度となくあったそうです。

例えばと話してくれたのは、秀さんがその店に入って間もない頃、親方の指示どおりにシャリを炊いてお酢を切ってお櫃に入れておいたところ、親方が試しにシャリを握った途端にお櫃に水をぶっかけて捨ててしまい、今日の昼の営業はヤメだと言って帰ってしまったり、大量に注文が入った海苔巻きを巻いていたら、突然、親方が来て何も言わずに折角作った海苔巻きを全てゴミ箱に放り込まれてしまったり、と本当に酷い目に遭ったそうです。

でも、今改めて考えると、その時は海苔巻きを鮨を握るようにしっかり巻いてしまったので、親方は、海苔巻きっていうのはしっかり、でもフワッと巻くもんだ、普通の鮨を握るより難しいんだ、と教えてくれたのでは、と気付いたそうです。ただ、昔の職人さんは何も説明してくれないので、何故シャリを捨てられてしまったのかは未だに分からないそうです。

またある時などは、お店の営業時間が終わった後の夜の10時過ぎに、親方の一番弟子がやっている銀座の店に行って来いと言われ、え〜今から!もう疲れてるから帰りたいよ!と思いながらも親方には逆らえず、11時過ぎから朝方3時ぐらいまでただ働きをさせられたこともあったそうです。銀座の仕事が終わった後は勤めていたホテルの仮眠所に行って少し寝て、また親方の店で働き、お店が終わると銀座で働くというのが暫く続き、今じゃあ考えられないブラックな職場だったけど、いまは良い思い出だね〜、と語っていました。

親方はかなり大変な人だったようで、営業そっちのけで常連さんと麻雀に行ってしまったり、徹夜で麻雀をした後、朝の10時ごろにお店に来たと思ったら、仕込みを見て1時間ちょっとで帰ってしまったりと本当に大変だったそうです。

それでも、半年経ったぐらいからは大分仕事を任せてくれるようになり、数年後には、この店を出て他に行けと鮨職人の組合に行かされたそうで、そこから本当に沢山のお店で修業をしたそうです。

親方の元を去った後も、事ある毎に親方に挨拶に行くと、今度はこの店に行けあの店に行けと言われ、その中には所謂名人と言われる職人さんのところもあったそうです。親方は握りはお世辞にも上手いとは言えなかったそうですが、顔は広かったので、昭和の名人と呼ばれる人達を何人も知っていて、時期を見てそういう名人の下に秀さんを行かせてくれたそうです。

その頃に見た名人達の仕事は本当に素晴らしかったそうで、秀さん曰く、何て言って良いか分からないんだけど、とにかくお鮨が光ってるんだよね、今じゃあもうあんなお鮨を見ることは出来ないよ、でも俺は何時も店の端っこで仕込みをしながら見ているだけで、その鮨を実際に食べたことは無いんだけどね、と話してくれました。

ただ、その名人と呼ばれる人達は困った人達でもあったそうで、食材へのこだわりは人一倍強く商売は度外視で、こんな魚じゃあ握れないよとゴネたり、食材に妥協を許さないあまり経営が立ち行かなくなりお店を潰してしまう、なんてことも多々あったそうです。

先程、秀さんの親方は握りは下手だったと書きましたが、包丁捌きだけは素晴らしかったそうで、何百枚とネタを切っても寸分違わず美しく切ることが出来たそうです。名人と呼ばれる親方の知り合い達からも、お前の親方の仕事は良く見ておけよ、と言われたそうです。

秀さんもたまに自分の握った鮨を見ながら、俺の鮨も少しは光っているかなぁと考えるそうですが、やはり自分は少し商売っ気があるので駄目なんだよね、と照れながら語ってくれました。

秀さんの親方は経営者としても優れた人だったようで、数々の店を繁盛させただけでなく、秀さんが挨拶に行くたびに、その時の修業先のことを聞き、聞き終わると、その店はもう長くはないからとっとと辞めて他の店に行けとか、もう半年その店で辛抱して働けとか、都度的確な助言をしてくれたそうで、気付けば秀さんはどんな店に行っても困ることの無い一人前の職人になっていたそうです。

江戸っ子の秀さんはそんな話をした後、つまんない話を長々としちまってすいませんね、とはにかんだように言います。そんな秀さんの語る昭和の職人さんの話は、少々酔って聴いている私を何とも言えない懐かしいようなしみじみとした気持ちにさせてくれました。
ということで、まだかろうじて残っている昭和の職人さんの話でした。私の行く店は東京もそうですが、福岡も大阪も皆70を超えた昭和の職人さんの店ばかりで、後何年行けるのやら。

ではまたそのうち。

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お別れ会

4月2日(日)

お世話になった先生のお別れ会が、都内で行われるというので、参加した。

今年に入って間もない頃だったと思うが、1年半ほど前にお亡くなりになった先生のお別れの会をしたい、ついてはあなたに先生との関わりについてお話をしてほしい、という依頼があった。僕のほかに、数名の方に、同様の依頼をしている、という。

そのメールの内容から、たんなるスピーチではなく、何か資料を配付したり、場合によってはパワポを使うなどして、研究発表のようなスタイルで話してほしい、というニュアンスが感じられた。ただし、はっきりそう書いてあったわけではない。

僕は、その先生には、その後の自分の人生観を変えるほど大変お世話になったので、断る理由がなく、引き受けたのだが、そもそも僕は、その先生の弟子ではなく、先生が晩年になってから教えを請うようになったにすぎない。僕ごときが何か喋ったところで、「何もわかってないな、君」と言われるに決まっているのだ。しかし周囲のそんな反応など、些末なことだろうと考え、腹を括ることにした。

しかし驚いたことに、それから、まったく音沙汰がない。最初の依頼は、まだ生きているのか???依頼を受けたはいいが、どのくらいの時間を喋ればいいのか、資料の配布やパワポの使用をした方がいいのか、あるいは必要ないのか、そもそもプログラムはどうなっているのか、ついに当日まで一切の情報が明かされなかった。ただ、13時に○○○○に来てください、16時までに終わります、という通知だけである。

そもそも、その会場がどのくらいの大きさで、何人の人が来るのかもまったくわからない。配付資料を用意するとしても、何部用意すればよいのか?立派な先生だったから、多くの人が駆けつける可能性もある。お別れ会の前日はイベントの関連イベントで疲労困憊だったが、よくわからないまま、とりあえず配付資料を30部用意することにした。それに慌ててパワポも作成した。

さて当日。

13時から16時、ということは、昼食を食べてから来い、ってことだよな、と思い、自宅でそばをゆでて食べた。それにしても、会費が8000円というのは高い。昼食が出ないとしたら、何に使われるのだろう?

すべてが謎のまま、会場に着いたのは、13時の直前である。

受付で会費を払い、僕は多少キレ気味に言った。

「あの、…何も聞いていないんですけど、今日は何人いらっしゃるんです?」

「23人です。鬼瓦先生は1番手にお話しいただきます」

えええぇぇぇっ!!1番手???聞いてないよ!

とりあえず30部作っておいて正解だった。

「パワポとか、使えますか?」

「ちょっと相談してみます」

受付ではわかりかねる、といった感じだったが、会場の奥をのぞくと、プロジェクタの装置とパソコンが置かれていた。やはりプロジェクタを使って、スクリーンに映し出すことはできるのだな。

パソコンのある場所にUSBを持っていって、

「これも入れていただけますか?」

「わかりました」

「だいたい私は、何分くらい喋ればいいんですか?」

「ちょっとわかりません。わかる人に聞いてみます」

えええぇぇっ!!!わからないの!!??

こぢんまりした集まりにもかかわらず、スタッフ間の意思疎通がとれていないというのはどういうことか???

結局、15分だということがわかった。

決められた席に座る。

しかし、通常、あるべきものがない。

そう!会のプログラムである!

どういう順番で、誰が話すのかと言った段取りもわからない。そもそも、誰が出席するのかのリストもない。もう無い無い尽くしなのである。

これってどういうこと、サプライズパーティー???

そもそも僕は、同じ業界の人間ではないので、お顔を拝見しても誰が誰だかよくわからないのだ。

何もかもがわからないまま会が始まった。いきなり僕の名前が呼ばれた。

僕は、先生の遺影に一礼して、マイクのある場所に向かう。

昨日慌てて作った、間違いだらけのパワポを見せつつ、15分、先生との思い出話を語った。あとで、パワポの間違いを指摘されたりしたが、「部外者のおまえは何もわかっていない」というメッセージだったのだと思う。

会が始まって1時間15分が経過した。

「それではこれから献杯と、会食の時間です」

えええぇぇぇっ!!!食事が出るの~?早く言ってよ!家でそば食べてきちゃったじゃないの~。

しかし8000円の元を取るためには、ビュッフェ形式の料理を食べなければいけない。

たしかにこれは、僕にとってのサプライズパーティーなのだ!

そのあとも出席者から、テーブルスピーチのような形で思い出話が語られたが、それらはかなりカオスな内容だった。放っておくといつ終わるかわからないくらいお話しする人が何人かいた。

それでも16時前に予定していたことはすべて終わったようだ(プログラムがないからわからない)。

司会の人が「私の手腕で、なんとか時間内に終わりました」と言っていたが、「終わりよければすべてよし」ということなのだろう。

天国の先生は、この会をどのようにご覧になっていたのだろうと、僕は感慨深く思った。

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イベントの関連イベント・2回目

4月1日(土)

週に1度、イベントを見に来た人が書いてくれたアンケート用紙がPDFファイルで送られてくるのだが、僕はそれを見ないことにしている。うっかりそれを見てしまい、イヤなことが書いてあったりすると、凹む、というか、心が折れるからである。

ほら、エゴサーチして悪口が書かれているのを見たりすることあるでしょ?あんな感じ。

それでもたまに、まるで事故に遭ったかようにそのアンケートを見てしまうことがあって、

「ちっとも楽しめませんでした」

と書かれていたりすると、(だったら楽しめる場所に行けばよかったのに、興味がまったくないのに、どうして来たのだろう?…)と思ってしまう。

人の好みなど千差万別で、考えてみたら僕なんぞは、スポーツ観戦にまったく興味がない。WBCも全然見なかった。でも、あえて「WBCはちっとも楽しめませんでした。そもそも野球のルールがわかりにくいのがいけない」とは言わない。すべての事象においてすべての人が同じ解像度を持っているわけではないのである、…って、あたりまえのこと言ってるね。

先日、実家の母とその姉妹(つまり叔母たち)がイベントを見に来てくれた。まったくのド門外漢な人たちが見た感想は、

「全然わからなかった。でもよくがんばったね」

だった。さすが身内らしい感想で、嬉しかった。

さて、今日はイベントの関連イベントの2回目。

1回目に引き続き、高校の後輩のS君が来てくれた。いくら関心のある人でも、2回とも来てくれる人はかなり珍しい。

同業者でも何でもないのにかかわらず、イベントのスピリットを深く理解してくれて、僕のこだわりをちゃんと見抜いてくれていた。

不思議である。ふだん、まったく連絡をとっていないのにもかかわらず、である。こりゃあ、家族以外に自分の最期を看取ってくれるのは、S君をおいてほかにいないんじゃないだろうか。ちょっと大げさか。

ちなみに、午後1時に始まったその関連イベントで、司会の僕が発した「午後1時になりました。こんにちは」という第一声が、TBSラジオ「赤江珠緒 たまむすび」へのオマージュであるというこだわりは、誰も知らない。

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俺の文章が入試問題に???

3月31日(金)

今週も、よくぞよくぞ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!そして、プレミアムフライデー!

今朝、いわゆる「赤本」を作っている出版社からメールが来た。あなたの書いた文章が、ある大学の今年の国語の入試問題に採用されていて、我が社でそれを過去問として掲載したいので、許可してほしい、という内容である。

俺の文章が入試問題に???嘘だろ?新手の詐欺か?そもそも、大学の国語の入試問題に採用されるような文章なんぞ書いたことないぞ、と半信半疑だったのだが、添付ファイルを開いてみると、たしかに僕の文章が問題として出されていた。その大学というのは、都内に本部を置くT大学で、都下をはじめ各地にキャンパスをもつマンモス私大だった。それだけ受験生も多いはずで、多くの受験生の目に触れたということだ。

T大学にはとくに知り合いがいるわけではないから、「知り合いの文章だから入試問題に採用した」という理由ではなさそうだ。

さてその文章というのは、僕が数年前にある新書に書いた短い文章だった。その新書には、ひとつのテーマのもとで、いろいろな執筆者がさまざまな趣向を凝らしながら書いた文章がならんでいて、その中にあって、僕の書いた文章は、もちろん一生懸命書いたのだけれど、その新書の趣旨とは異なるし、そもそも地味な内容だし、ということで、どちらかといえば読み返したくないような内容だった。しかしどういうわけか、その新書はバカ売れしたのである。

不思議でならないのは、その新書のなかには僕よりもおもしろい文章がたくさんあるのに、なぜよりにもよっていちばん地味な僕の文章を入試問題にしたのだろう。逆に?地味だから?

どういう経緯であれ、自分の書いた文章が大学の国語の入試問題に採用される、というのは、格別なうれしさがある。高校生が読むのにちょうどいい文章ってことだからね。

以前、武田砂鉄氏は、自分の文章が大学入試問題に採用されたときに、自分で解答を試みたところ、正解できなかったと、ラジオで言っていた。たしか「タモリ倶楽部」での企画だったとか。

で、自分も、自分の文章に関する問題を解いてみることにした。正答例はまだ公表されていないのだが、おそらく全問正解である。実のところ、かなり易しい問題だった。

僕にはひそかな夢があって、朝日新聞の「折々のことば」に自分の書いた言葉が採用されること。鷲田清一先生、俺の言葉に気づいてくんねえかなあ。

そして最終的な夢はもちろん、…自分の文章が国語の教科書に載ることですよ。そうなるともう、文豪って名乗ってもいいね。大学入試の国語の問題に採用されたのは、その第一歩である。

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