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俺の鮨も光っているか

鬼瓦殿

こんばんは。高校時代の友人・元福岡のコバヤシです。

木曜、金曜で東京出張だったので、久しぶりに行きつけだった下町のお寿司屋さんに行ったのですが、お店の大将と話していて、ふと思い出した話があり、メールした次第です。

もう何年も前になりますが、その下町にある行きつけのお鮨屋さんに行った際に、他に誰もお客さんがいなかったことも有り、大将の秀さんの修業時代の昔話を色々と聞かせて貰いました。秀さんは今年で71歳になる如何にも叩き上げの鮨職人という感じの方です。その秀さんがしみじみと語ってくれた昭和の時代の職人さんの修業話は面白くもあり、非常に心に残るものでした。

大将の秀さんは昔の浅草区の出身で、中学を出てすぐに鮨屋に住み込みの修業に入ったそうで、18歳くらいの時に鮨職人として一人前に育ててくれた親方に出会ったそうです。もう50年以上も前のことだそうで、今は無い上野の駅前にあったホテルの鮨屋で修業していたそうです。

ただ、今でこそ有り難さを感じているそうですが、修業を始めたばかりの頃は本当に酷い目に遭ったとのことで、親方を刺し殺してやろうかと思ったことも幾度となくあったそうです。

例えばと話してくれたのは、秀さんがその店に入って間もない頃、親方の指示どおりにシャリを炊いてお酢を切ってお櫃に入れておいたところ、親方が試しにシャリを握った途端にお櫃に水をぶっかけて捨ててしまい、今日の昼の営業はヤメだと言って帰ってしまったり、大量に注文が入った海苔巻きを巻いていたら、突然、親方が来て何も言わずに折角作った海苔巻きを全てゴミ箱に放り込まれてしまったり、と本当に酷い目に遭ったそうです。

でも、今改めて考えると、その時は海苔巻きを鮨を握るようにしっかり巻いてしまったので、親方は、海苔巻きっていうのはしっかり、でもフワッと巻くもんだ、普通の鮨を握るより難しいんだ、と教えてくれたのでは、と気付いたそうです。ただ、昔の職人さんは何も説明してくれないので、何故シャリを捨てられてしまったのかは未だに分からないそうです。

またある時などは、お店の営業時間が終わった後の夜の10時過ぎに、親方の一番弟子がやっている銀座の店に行って来いと言われ、え〜今から!もう疲れてるから帰りたいよ!と思いながらも親方には逆らえず、11時過ぎから朝方3時ぐらいまでただ働きをさせられたこともあったそうです。銀座の仕事が終わった後は勤めていたホテルの仮眠所に行って少し寝て、また親方の店で働き、お店が終わると銀座で働くというのが暫く続き、今じゃあ考えられないブラックな職場だったけど、いまは良い思い出だね〜、と語っていました。

親方はかなり大変な人だったようで、営業そっちのけで常連さんと麻雀に行ってしまったり、徹夜で麻雀をした後、朝の10時ごろにお店に来たと思ったら、仕込みを見て1時間ちょっとで帰ってしまったりと本当に大変だったそうです。

それでも、半年経ったぐらいからは大分仕事を任せてくれるようになり、数年後には、この店を出て他に行けと鮨職人の組合に行かされたそうで、そこから本当に沢山のお店で修業をしたそうです。

親方の元を去った後も、事ある毎に親方に挨拶に行くと、今度はこの店に行けあの店に行けと言われ、その中には所謂名人と言われる職人さんのところもあったそうです。親方は握りはお世辞にも上手いとは言えなかったそうですが、顔は広かったので、昭和の名人と呼ばれる人達を何人も知っていて、時期を見てそういう名人の下に秀さんを行かせてくれたそうです。

その頃に見た名人達の仕事は本当に素晴らしかったそうで、秀さん曰く、何て言って良いか分からないんだけど、とにかくお鮨が光ってるんだよね、今じゃあもうあんなお鮨を見ることは出来ないよ、でも俺は何時も店の端っこで仕込みをしながら見ているだけで、その鮨を実際に食べたことは無いんだけどね、と話してくれました。

ただ、その名人と呼ばれる人達は困った人達でもあったそうで、食材へのこだわりは人一倍強く商売は度外視で、こんな魚じゃあ握れないよとゴネたり、食材に妥協を許さないあまり経営が立ち行かなくなりお店を潰してしまう、なんてことも多々あったそうです。

先程、秀さんの親方は握りは下手だったと書きましたが、包丁捌きだけは素晴らしかったそうで、何百枚とネタを切っても寸分違わず美しく切ることが出来たそうです。名人と呼ばれる親方の知り合い達からも、お前の親方の仕事は良く見ておけよ、と言われたそうです。

秀さんもたまに自分の握った鮨を見ながら、俺の鮨も少しは光っているかなぁと考えるそうですが、やはり自分は少し商売っ気があるので駄目なんだよね、と照れながら語ってくれました。

秀さんの親方は経営者としても優れた人だったようで、数々の店を繁盛させただけでなく、秀さんが挨拶に行くたびに、その時の修業先のことを聞き、聞き終わると、その店はもう長くはないからとっとと辞めて他の店に行けとか、もう半年その店で辛抱して働けとか、都度的確な助言をしてくれたそうで、気付けば秀さんはどんな店に行っても困ることの無い一人前の職人になっていたそうです。

江戸っ子の秀さんはそんな話をした後、つまんない話を長々としちまってすいませんね、とはにかんだように言います。そんな秀さんの語る昭和の職人さんの話は、少々酔って聴いている私を何とも言えない懐かしいようなしみじみとした気持ちにさせてくれました。
ということで、まだかろうじて残っている昭和の職人さんの話でした。私の行く店は東京もそうですが、福岡も大阪も皆70を超えた昭和の職人さんの店ばかりで、後何年行けるのやら。

ではまたそのうち。

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