お別れ会
4月2日(日)
お世話になった先生のお別れ会が、都内で行われるというので、参加した。
今年に入って間もない頃だったと思うが、1年半ほど前にお亡くなりになった先生のお別れの会をしたい、ついてはあなたに先生との関わりについてお話をしてほしい、という依頼があった。僕のほかに、数名の方に、同様の依頼をしている、という。
そのメールの内容から、たんなるスピーチではなく、何か資料を配付したり、場合によってはパワポを使うなどして、研究発表のようなスタイルで話してほしい、というニュアンスが感じられた。ただし、はっきりそう書いてあったわけではない。
僕は、その先生には、その後の自分の人生観を変えるほど大変お世話になったので、断る理由がなく、引き受けたのだが、そもそも僕は、その先生の弟子ではなく、先生が晩年になってから教えを請うようになったにすぎない。僕ごときが何か喋ったところで、「何もわかってないな、君」と言われるに決まっているのだ。しかし周囲のそんな反応など、些末なことだろうと考え、腹を括ることにした。
しかし驚いたことに、それから、まったく音沙汰がない。最初の依頼は、まだ生きているのか???依頼を受けたはいいが、どのくらいの時間を喋ればいいのか、資料の配布やパワポの使用をした方がいいのか、あるいは必要ないのか、そもそもプログラムはどうなっているのか、ついに当日まで一切の情報が明かされなかった。ただ、13時に○○○○に来てください、16時までに終わります、という通知だけである。
そもそも、その会場がどのくらいの大きさで、何人の人が来るのかもまったくわからない。配付資料を用意するとしても、何部用意すればよいのか?立派な先生だったから、多くの人が駆けつける可能性もある。お別れ会の前日はイベントの関連イベントで疲労困憊だったが、よくわからないまま、とりあえず配付資料を30部用意することにした。それに慌ててパワポも作成した。
さて当日。
13時から16時、ということは、昼食を食べてから来い、ってことだよな、と思い、自宅でそばをゆでて食べた。それにしても、会費が8000円というのは高い。昼食が出ないとしたら、何に使われるのだろう?
すべてが謎のまま、会場に着いたのは、13時の直前である。
受付で会費を払い、僕は多少キレ気味に言った。
「あの、…何も聞いていないんですけど、今日は何人いらっしゃるんです?」
「23人です。鬼瓦先生は1番手にお話しいただきます」
えええぇぇぇっ!!1番手???聞いてないよ!
とりあえず30部作っておいて正解だった。
「パワポとか、使えますか?」
「ちょっと相談してみます」
受付ではわかりかねる、といった感じだったが、会場の奥をのぞくと、プロジェクタの装置とパソコンが置かれていた。やはりプロジェクタを使って、スクリーンに映し出すことはできるのだな。
パソコンのある場所にUSBを持っていって、
「これも入れていただけますか?」
「わかりました」
「だいたい私は、何分くらい喋ればいいんですか?」
「ちょっとわかりません。わかる人に聞いてみます」
えええぇぇっ!!!わからないの!!??
こぢんまりした集まりにもかかわらず、スタッフ間の意思疎通がとれていないというのはどういうことか???
結局、15分だということがわかった。
決められた席に座る。
しかし、通常、あるべきものがない。
そう!会のプログラムである!
どういう順番で、誰が話すのかと言った段取りもわからない。そもそも、誰が出席するのかのリストもない。もう無い無い尽くしなのである。
これってどういうこと、サプライズパーティー???
そもそも僕は、同じ業界の人間ではないので、お顔を拝見しても誰が誰だかよくわからないのだ。
何もかもがわからないまま会が始まった。いきなり僕の名前が呼ばれた。
僕は、先生の遺影に一礼して、マイクのある場所に向かう。
昨日慌てて作った、間違いだらけのパワポを見せつつ、15分、先生との思い出話を語った。あとで、パワポの間違いを指摘されたりしたが、「部外者のおまえは何もわかっていない」というメッセージだったのだと思う。
会が始まって1時間15分が経過した。
「それではこれから献杯と、会食の時間です」
えええぇぇぇっ!!!食事が出るの~?早く言ってよ!家でそば食べてきちゃったじゃないの~。
しかし8000円の元を取るためには、ビュッフェ形式の料理を食べなければいけない。
たしかにこれは、僕にとってのサプライズパーティーなのだ!
そのあとも出席者から、テーブルスピーチのような形で思い出話が語られたが、それらはかなりカオスな内容だった。放っておくといつ終わるかわからないくらいお話しする人が何人かいた。
それでも16時前に予定していたことはすべて終わったようだ(プログラムがないからわからない)。
司会の人が「私の手腕で、なんとか時間内に終わりました」と言っていたが、「終わりよければすべてよし」ということなのだろう。
天国の先生は、この会をどのようにご覧になっていたのだろうと、僕は感慨深く思った。
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