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わかってもらうのはむずかしい

5月23日(火)

高校時代の恩師とイベントでお会いしたときに、僕自身の病気のことと、先生の幼い頃からの身体の不具合の話をしたのだが、そのことがひどく印象に残ったらしく、先生があるミニコミ誌に最近連載しているエッセイの一部をメールで送ってくれた。幼い頃からの自らの身体の不具合と、それに関する困ったことやら愚痴やら対策やらが書いてあった。

そのエッセイのタイトルは、「わかってもらうのはむずかしい」。僕はそのエッセイを読んで、このタイトルにすっかり共感してしまった。

ちょっとしたことで身体の不具合が起こる。それを守るためにいろいろと策を講じてはいるのだけれど、世間が理解しないため、先生にはいろいろな災厄が起こる。それでも、工夫しながらこれまで生きてきたことが、飄々とした筆致で語られていた。

深刻なんだけれども、ちょっと笑ってしまうのは、その文体が、高校時代に受けた先生の授業の語り口そのままだ、と感じたからだろう。

そういえば以前、僕の本を読んだかつての教え子から、先生の授業の語り口そのままでしたという感想をもらったことがあったが、文体と語り口との関係は、おしなべてそういうものなのだろう。

それはともかく、その連載は今のところ6回まで続いているそうなのだが、送られてきたのはそのうちの3回分だった。

もっと読みたい!というか、連載がどのていど続くのかわからないが、全部読みたい!と思い、その旨を先生にメールしたところ、追加で3回分送っていただき、つまりいままで連載している分をすべて読むことができた。高校時代から40年近く経つが、先生はこんなに多くもの体の不具合とつきあってきたのか、と、初めて知ることが多かった。

僕も、自分の病気のために生活をしていて不具合なところがあり、そのことをメールに書くと、

「よくわかります。痛みはこれからも出たり消えたりを繰り返すだろうから本当につらいけれど、痛みとのつきあい方を身につけていくしかないでしょう。私もこの10年ほど、3つの関節が交代でまたは同時に痛くなり、痛み止めを飲んだり、ストレッチやマッサージをやったりしてごまかしながら元気ぶっています」

と、先生から次々と出てくる体の不具合の話と、それに対する先生のやり過ごし方を読んで、ひたすら驚嘆するしかなかった。平気で生きるって、こういうことなんだろう。

ところで、先生が連載しているそのミニコミ誌、というのはひどく珍しいもので、あえて「ガリ版刷り」で印刷しているのだという。いっぺんWordで打ち込んだ原稿を提出して、それを編集者がガリ版刷りに直すのだという。なんという手間のかかったミニコミ誌だろう。

先生は、そういうヘンなところを面白がる先生でもあるのだ。というか先生のまわりにはそんな人たちばかりである。ある映画監督に頼まれて、来冬公開予定の、たぶん話題になるであろうアニメ映画のなかで、当事者にしかわからない身体の動きの監修をすることになった、と、メールにさらりと書いてあったが、人知れずいろいろなところに奔走する先生はあいかわらず面白い。どうやって人脈が形成されていったのか、不思議でならない。

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