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2023年8月

電光石火の早技、なのか?

8月30日(水)

帰宅して、郵便物を見て驚いた。

5月に原稿を出した新書が、もう完成しているではないか!

…と、この経緯について説明すると、話せば長くなる。

僕はここ最近、単行本とか選書とか新書とかのシリーズものとか企画ものの1章分くらいの原稿を依頼されることがほんとに多い。もう、そういうライターといってもいいほどである。決して筆が速いというわけではないし、どうして依頼されるのかはまったくもってわからないのだが、僕はどんなテーマで依頼されても断らずに引き受けるので、おそらく使い勝手のいいライターと思われているのだろう。

今回の新書もまたシリーズものの1冊である。昨今の新書事情というのはよくわからないのだが、『○○講義』とかなんとかと銘打って、複数の執筆者が少しずつ書くような新書が売れているのだろうか。最近は、SNSにすっかり慣れてしまってしまった読者層が長い文章を読む気力を失って、一つ一つの内容が短いほうが好まれるのだろうか。

あと、僕が大嫌いな言葉「サクッと学べる」ことを、読者は欲しているのだろうか?少なくとも出版社はそういう本を望んでいるのだろう。

で、僕にもそんなコンセプトの原稿依頼が来たわけである。

依頼を受けたのは昨年の12月。ふつうは封書で来るものなのだが、いきなりメールが送られてきた。ま、いまどき封書で依頼状を受け取ることをよしとする僕の感覚は、「昭和」の感覚なのかもしれない。

僕にとってはあまり馴染みのないテーマを書けという依頼だったが、前述のポリシーのごとく、僕に合わないテーマでも断ってはならないと思い、引き受けることにした。僕よりもふさわしい執筆者の顔が何人も思い浮かんだが、考えないことにする。原稿の分量が、400字詰めの原稿用紙に換算して20枚程度ということだったので、なんとかなるだろう、とも思ったのだ。

しかし思い出してほしい。この時期は、僕は一世一代のイベントの準備をしていて、5月の大型連休最終日の会期末まではまったく時間がとれない。いや、そればかりか、会期終了後も撤収作業や返却作業が1か月近くあるので、5月いっぱいは、イベントの内容とはまったく違うテーマの原稿を書く頭に切り替わらないのだ。

イベントの最終日は5月7日、原稿の締切は5月8日である。締切日に編集者から、

「本日が締切ですよ~」

というメールが来た。僕はすぐに、もう少しかかりますと言ったが、先方のメールの様子だと、これは締切を大幅に過ぎてはいけないヤツらしい。

で、いまとなってはどうやって書いたのかは覚えていないが、約1週間後の5月14日にひとまず原稿を完成させて提出した。ますは本文のみをとりあえず提出し、その後、図版についての指示を行った。

このあと、印刷所に入稿して、初校の受け取りと戻し、再校の受け取りと戻し、という作業が続くのだが、その校正も僕は遅れ気味で、

「校正をお待ちしております」

とメールでたびたび催促をもらう。

8月4日に再校の戻しを送って、あとは出版社のほうで校閲して、おかしなところがあったら問い合わせがくるだろうと思っていたら、本日いきなり完成本が送られてきたと、こういうわけである。

僕の記憶では、入稿から完成までの期間がこれほど短いという経験をしたことがないので、驚いたのだが、新書というのは、ふつうはこんなペースなのだろうか?僕がこれまでかかわってきた新書でも、入稿から完成までがこれほど早いことは経験したことがない。

サクッと作って、サクッと読まれる本は、サクッと忘れられるだろうから、ま、いいか。いや、それでいいのか?

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再び「荒野に希望の灯をともす」

8月28日(月)

やらなければいけない仕事は山ほどあるのだが、先日観たドキュメンタリー映画「荒野に希望の灯をともす」が、都内の老舗の映画館が1週間ほどのリバイバル上映を行うことを知り、時間が空いているのは今日しかないな、と、仕事を脇に置いて多少の後ろめたさを感じながら観に行くことにした。

たまたま今日は、上映後に監督と、僕が以前からファンの探検作家の二人によるトークショーがあるということも、僕を2度目の映画鑑賞に駆り立てた。

上映後のトークショーの中で監督は、この映画の主人公である中村哲さんと、僕が愛読する探検作家さんとは共通項が多いというお話をされていたが、それは僕も最初に映画を観たときに感じていたことであった。そのあたりのことをトークショーの中でお二人が解き明かしていて、30分という短い時間だったが、とても興味深いお話だった。

「上映後、映画パンフレットにお二人のサインを書いていただく時間を設けますので、ご希望の方はどうぞ」

というアナウンスを聞いてしまったら、サイン本マニアの僕としてはサインしてもらわないわけにはいかない。

さっそく地下の映画館を出て映画パンフレットを握りしめて階段をのぼると、お二人がすでにスタンバイしていた。

お二人にサインをもらったあと、僕はまず監督に思い切って声をかけた。

星空の映画祭の時に観て感激して、今回2回目です。中村哲さんがこんなにすごい人なんだということを、この映画で初めて知りました」

「それはそれは、どうもありがとうございます」

次に探検作家さんにも思い切って声をかけた。

「あのー、実は以前、○○市の××という書店のトークイベントに参加して本にサインをもらった者です」

「あ~、そうでしたか。どおりで見たことのある顔だなぁと思っていました」

同じ秘境を探検した者です」と、僕は前回まったく同じ内容のエピソードを伝えて、

「どうもありがとうございました」

と映画館をあとにした。

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謎のお爺さん

鬼瓦殿

こんばんは。コバヤシです。8月も終わりだというのに暑い日が続いていますが、体調は大丈夫ですか?

ところで、昨日の夕方、大阪で入団したバンドの練習があったのですが、ちょっとしたハプニングがあり、なかなか面白い体験をしたので、ネタとしてメールさせて頂きます。ちょっとつまらなかったら申し訳ありませんが、ご一読いただければ幸いです。

我々のバンドは大阪の環状線のとある駅の高架下のスタジオで練習しています。

今日はメンバーが6人しか集まらず、だらだらと練習していたのですが、練習後半の休憩時間中に、突然、変なお爺さんが「すんまへん。Tさん(ウチのバンドのドラマー)はおらんかね~?近所に住んでるもんで、買いもんついでに寄ったんやけど。」と突然スタジオに入って来ました。

私は、ちょっとアルコールも入ったボケ気味の老人かと思って、どうしたものかと見ていたのですが、ベースをやっているバンマスはどうやら顔見知りらしく「Tさんは今日、別のバンドの練習でお休みなんです。すみません。」と、ちょっと驚いたような様子を見せながらも普通に答えています。

お爺さんは「そうか、しゃあないな~。でもドラムいないならワシがちょっと叩かせて貰ってもええかい?」と言い出します。私は、あれあれ困ったなあ、この人ちゃんとドラム叩けるのかなあと見ていると、お爺さんは「買いもんついでに寄ったから、スティックを持ってないんだけど、ある?」と図々しく聞いてきます。

バンマスはちょっと困ったように「ご覧の通りTさんが休みだからスティックはないですよ。」と答えます。するとお爺さんは「ほな、ちょっと待ってな。その辺で借りてくるわ。」と何処かに消えていき、暫くするとスティックを握って戻ってきました。

「ほな、叩かせて貰うけど、本当に構わんかいな?」と少し遠慮した様子を見せながらも叩く気満々で我々に尋ねます。私も1曲叩いたら居なくなるだろうと思い、是非、と答えました。

お爺さんは「何の曲やるん。楽譜はないんかね?」と聞くので、バンマスが「すみません。あいにくドラムの楽譜持ってきてないんです。ただ基本的にカウント・ベイシーの曲を演ってますんで。」と答えます。

するとお爺さんはやる曲を聞いてフムフムと頷き、バンマスにテンポを聞くと、おもむろにカウントを出し演奏を開始しました。

最初の一瞬、デカい音だけど大丈夫かなあと思ったのは大きな間違いで、シンバルのレガート(4拍の刻み)は滅茶苦茶スイングしていてバンド全体をプッシュしてきます。更に各所にあるドラムの決めもきっちりこなし、音の強弱の付け方も素人とは思えません。

1曲終わった後、お爺さんは「覚えとるかなあ?と思ったけど、叩いてみると意外に思い出してくるもんやな。この曲は確か1970年ぐらいにやったなあ。」と飄々と話します。本当にビックリしてこのお爺さんは何者だろうと思ったものの、お爺さんは「次は何やる?」と言って次々と曲を完璧にこなしていきます。私も何曲かソロを吹かせて貰いましたが、アンサンブルの時は大きな音で叩いていたのが、ソロになるとちゃんと音量を落としてソロを引き立てるように叩いてくれるので本当に気持ちよく吹けます(まあ私の腕はさておき)。

さきほど「デカい音」と書きましたが、音量は大きくてもツボを押さえた的確な叩き方なので全くウルさくありません。

お爺さんは4~5曲、叩いた後、「ちょっと昔話させて貰ってもええですか?」と言って、自分は音楽の道に入ってもう60年が経つなどと話しながら、「皆さん平原綾香は知ってる思うけど、私、そのお爺さんのトランペッターの平原さんのバンドにいたんですわ。(ちなみに平原綾香のお父さんは平原まこと、というサックス奏者ですね)」とか、「昔、原さん(原信夫とシシャープス&フラッツ)と対バンでやりましたわ。」とか「北村さん(クラリネットの北村英治)のバンドでやってた時は」などと、何だか凄い話をします。

また最近ウチのバンドでは、バンド経営層とサックス陣の何人かが揉めてバンドを去っていったのですが、それを知ってか知らないでか「バンドっちゅうのは、それぞれのバンドの流儀があるから、メンバーはバンマスに従うだけで、どうするこうするなんて言っちゃいかんのですわ。音を出せば、お互いのことはすぐ判りますから。私は若い頃、そう先輩たちから教わりましたわ。」とか、「私はどんなバンドで叩く時も、それがクソみたいな酷いバンドであっても、必ず本番の2時間前には会場に行きます。長年そうしてきました。それが私の仕事に対する矜持です。」などと自分の経験を穏やかに語ってくれます。「私も若い頃は良く先輩たちにシゴカレましたわ。休憩と言われたから休憩していたら先輩にどつかれたもんですわ。昔は今と違って厳しかったですからね。お陰様で私も長くやらせてもろうてますわ。でも、若い時はなかなかその先輩の教えが判らず、漸く判った時は、もう死ぬときですわ。」などとボケも交えながら話してくれました。

暫く話した後、お爺さんは「そろそろ帰らないと家内に怒られてしまうわ。最近、家内も調子悪いし、ワシも最近、腹切ったばかりなんですわ。」と言って、シャツをめくってお腹を出して手術の跡を見せながら「後45分遅かったら死んでるとこでしたわ。ほな、今日はありがとうございました。」と言って帰っていきました。

お爺さんが帰った後、バンマスに「あの人は何者なんですか?」と聞いたら、「あの人はNさんといって関西に昔からあるアロージャズビッグバンドのドラマーだった人です。ウチのドラムのTさんのお師匠さんです。」とのこと。

なるほど上手いわけだと独り合点しつつも、プロと演奏するとやはり勉強になるなあ、と思った次第です。

ということで、長く第一線で活躍して来た人の言葉は飄々と語られても含蓄があるものだなあと思いつつ、最近、色々と考える処があったので、お爺さんの話を聞いて、少しモヤモヤが晴れました。

ということで、つまらない話を失礼。

それでは、お元気で!

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子どもキャンプ

5歳の娘は、8月25日(金)から2泊3日の夏休みの子どもキャンプに出かけた。

長野県に、子どもたちに自然に親しむための野外教育活動を企画する会社があり、そこに申し込んだのである。

25日の朝8時に、新宿にある都庁大型バス駐車場から出発するという。聞いてみると、東京からだけでなく、名古屋や京都からもバスを出して、大勢の子どもたちとキャンプをするらしい。

25日早朝、妻は都庁大型バス駐車場まで連れていき、娘がバスに乗るのを見送ることになったのだが、僕もその運転手として目的地まで同行した。そのあとそのまま職場に行き、その日の午後から行われる韓国の会社の社長との昼食懇談会を準備し、その昼食懇談会に参加した。考えてみればこの日は朝早かったのだ。どおりで疲れたわけだ。

で、今日、娘が帰ってくる日である。バスはお昼の12時に、行きと同じ都庁大型バス駐車場に到着するという。

ただこの日は、今度は妻が出張で離島に行くことになっていた。出発は羽田空港からの早朝便である。自宅から最も近いリムジンバスに乗れば羽田空港まで楽にたどり着くのだが、しかしあまり早朝すぎて、そこにたどり着くまでが一苦労である。ということで、早朝4時台に起きて、朝5時40分のリムジンバスに間に合うように、僕がまた運転手となった。

いったん自宅に戻り、今度はバスと電車を乗り継いで都庁大型バス駐車場に向かう。なぜ帰りも車ではないのか、というと、行きは妻がバス乗り場まで連れていくことになっていたので、僕は二人を車から降ろしてすぐに職場に向かうことができたのだが、帰りは僕一人が迎えに行くことになる。その近くには一般車を停められるような駐車場がないので、当然車ではなく公共交通機関を使わないといけない。

到着予定の30分前に都庁大型バス駐車場に着いたのだが、あたりには人っ子一人いない。高架下で直射日光が当たらないとはいえ、湿度が高いせいか、暑くて汗が止まらない。ほんとうにこの場所でよいのか、不安になってきた。

やがて二人組の女性がやってきて、僕の顔を見るなり話しかけた。

「…ひょっとして、子どもキャンプのお迎えですか?」

「ええ、そうです」

「バスは時間どおりに到着する予定です」

「そうなんですか?」

「ええ、暑いでしょうから、どこか涼しいところでお待ちください」

わかりました、とは言ったものの、近くに涼しいところがあるのか分からない。とりあえず高架下の駐車場を出ると、ちょうどはす向かいのところに高層ビルがあり、その地下にチェーン店のカフェがあったので、そこで時間を潰した。

11時50分過ぎにカフェを出て、再び都庁大型バス駐車場に向かうと、こんどは黒山の人だかり。一体この人たちはどこから湧いてきたのだろうと思うほど、駐車場は俄然賑やかになっていた。

やがて大型バスが到着した。子どもたちがバスの前方扉からひとりひとり、まるで「朝まで生テレビ」のオープニングの出演者の登場シーンみたいな感じで降りてくるのだが、どうやらうちの娘はこのバスには乗ってなさそうだ。

バスから降りた子どもたちは、キャンプで習った歌を一通り歌いながら、解散式を行ったのだが、自分の娘がいない解散式を眺めても仕方がないので、次のバスが到着するのを待つことにした。

少し時間をおいて、次々にバスがやってきた。びっくりしたのは、最終的には大型バスが5台もあったことである。このほかに、名古屋方面や京都方面に子どもたちを送るバスもあったのだとすると、いったい何人の子どもたちが子どもキャンプに参加したのか???

あとから来た4台のバスからも、続々と子どもたちが降りてくるのだが、うちの娘がどのバスから降りてくるのか、まったくわからない。

結局、娘を見つけることができなかった。

おかしいなあ、と思い、最初のバスのところに戻ると、見覚えのある子どもがスタッフの横で泣いている。よく見るとうちの娘だった。なんと、最初に着いたバスに娘が乗っていたのを、僕は気づかなかったのだ。あれだけ目を皿のようにして降りてくる子どもたちを見ていたのに。

「解散式は終わったので、このままお帰りくださ~い」

と、スタッフの人に言われたのだが、こんなことなら最初の解散式をもっと真剣に見ておくべきだった。

「キャンプは楽しかった?」

「楽しかった」

「泣かなかった?」

「テントで寝ているときに、寂しくてちょっと泣いた」

来年も参加したいと思ってくれるかどうかは、微妙なところである。

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申請書祭り、からの同業者会合

8月26日(土)

月末は、書類の締切が多くてなかなかに忙しい。とくに例年行われる「申請書祭り」の企画書の締切が、この時期なのである。昨年は企画書が不採用になってしまったので、捲土重来、今年も企画書を仕上げなければならない。

昨日、韓国からのお客さんが来る前にひとまず仕上げてみたのだが、まだ修正する時間はある。ほかにも月末までに提出しなければ書類が多く、締切を過ぎてしまった原稿も早く仕上げなければならないし、来月の講演会の準備もしなければならない。もうどこから手をつけていいやらわからない。

そんな中、この日の午後は、実に久しぶりに「同業者会合」に参加した。

僕はここ最近、とくにコロナ禍になってから、「同業者会合」に自発的に参加することは、すっかりなくなってしまった。若いころは、そういうところに参加して、新しい情報を仕入れて、懇親会にまで出て、人間関係を築くことが大切、と思い込んで参加しまくっていたが、大病を患って以降、体力の限界も見えたし、これ以上、業界人の人間関係をつなぎ止めておいても、あまり意味を持たないのではないかと思うようになった。幸いなことに、この年齢になってそのような努力をしなくなっても、僕の存在を覚えてくれている人がいるのか、ちょこちょこといろいろな仕事の依頼が来るので、もうそれだけで十分である。

なんとも後ろ向きな理由だが、今回、久しぶりに自分から同業者会合に参加しようと思ったのは、以前大変お世話になった韓国のK先生が久しぶりに来日し、その同業者会合で1時間ほどお話になる、というので、ごあいさつがてら参加することにしたのである。

その同業者会合は、何人かの登壇者が順番に1時間近くお話をし、その都度質問を受け付けるという形式で、とくに最後に総合討論のようなものはしないというシンプルなものだった。しかも会場が広いので間隔をあけて座ることができ、参加する同業者も30~40人ていどだったので、多くの同業者にペコペコと頭を下げて「業界人酔い」することもなかった。

韓国から来たK先生は、僕が会場に入ってきたことがわかると、すぐに僕のところにいらして、握手を交わし、少し会話をした。あいかわらず明るくて社交的な先生である。

驚いたのは、K先生は、「日本語で発表をするのは4年ぶりです」といって、1時間近くの発表を日本語でおこない、質問に対しても日本語で答えたことである。

なぜ驚いたかというと、K先生はたしか20年以上前に、日本に1年間滞在しただけで、日本語も、とくに語学学校に通うということもなく、独学で勉強したからである。僕も15年ほど前に1年間ほど韓国に留学し、僕の場合は留学中に語学学校に通って韓国語を勉強をしたが、では韓国語だけで大勢の前で1時間喋れと言われると、とてもムリである。何しろ、昨日職場で来客対応した韓国の社長さんとうちの社長との懇談の通訳も、「とてもできません」といってプロにお願いしたほどである。

K先生は、決して流暢な日本語とはいえなかったけれど、内容はとてもよく伝わった。いつも思うが、決して流暢な言葉でなくても、伝えたいという気持ちが伝わるように話せば、それを受け取る側は表現や内容を補って聴いてくれるのだ。

見たところ、会場には韓国語で日常的にコミュニケーションをとれる人が僕以外にだれひとりいない中で、だれに対しても臆することなく、K先生はコミュニケーションをとることを厭わなかった。

僕は例によって同業者会合のあとの懇親会には参加しない。本来であればそこでK先生とじっくりお話しするべきなのだろうが、会合が終わったあと、K先生と短い挨拶を交わすにとどまった。

「韓国にいらしたら必ず連絡ください」

「ええ、ソウルに行くことになったらご連絡差し上げます」

「ソウルと言わず、どこにでも参上しますよ」

「実は、来年の1月末に国際会議のために韓国に行くのです」

「会場はどこですか?ソウルでなくても、私は行きますよ」

「実は、会場は○○島なんだそうです」僕はマニアックな島の名前を挙げた。

「○○島ですか!…」K先生は一瞬、それは遠いなあという表情を見せながら、

「わかりました。ではそこでお会いしましょう」

有言実行の方だから、K先生とはほんとうにそこでお会いすることになるだろう。どこまでも胆力のある方だ。

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慌ただしい昼食懇談会

8月25日(金)

8月の初頭だったか、韓国のHという会社の知り合いRさんから久しぶりにメールが来た。

「うちの社長が8月25日の夕方4時に都内のセレモニーに出るのですが、その前に、昼食をとりながらおたくの会社の社長と懇談をしたいというのです。その日の社長のご予定はいかがですか?」

さっそく秘書にたずねてみると、24日当日は社長が休暇をとる日だという。

韓国のHという会社は、7年くらい前からわが社と交流協定を結んでいて、それにもとづくイベントなども数々おこなってきた。当初からその窓口担当になっていたのが僕だった。一方で相手方の窓口担当はRさん。それでRさんから僕のところに久しぶりにメールが来たのである。コロナ禍は連絡が途絶えていたから、ほぼ4年ぶりくらいである。

僕はすっかり忘れていたのだが、Rさんとはカカオトーク(カトク)の友だち登録をしていた。カトクとは、日本でいうLINEとほぼ同じもので、韓国ではLINEよりもカトクの方が利用者数が多い。僕もカトクにはアカウントを作っていたので、いつの間にかRさんとのコミュニケーションツールがメールからカトクに変わった。

「25日のご予定はいかがですか?」とカトクで頻繁に聞いてくるので、「いまは社長は夏期休暇中なので、8月10日(木)に聞いてみます」

と答えると、8月10日当日になって、「今日は社長と打ち合わせする日ですよね。予定が大丈夫か確認をお願いします」という念押しのメッセージが来た。とにかく、かけてくるプレッシャーがすごい。社長に対して下手を打たないようにかなり神経を使っているように見受けられた。

8月10日、社長室に行く。

「社長、この日(25日)は休暇をお取りになる予定ですよね…」

「かめへんよ。わが社にとっては会っておいた方がよい会社なら会うよ」

「そうですねえ。いままでの交流実績を考えると、会っていただいた方がよいと思います」

「よしわかった。じゃあ休暇を返上して会おうじゃないの」

かくしてうちの社長の予定は大丈夫だとRさんに伝えると、Rさんはひどく喜んだ。

さあたいへんなのはここからである。

まずは社長に、これまでのH社との交流実績をレクチャーし、懇談の話題となるような素材を提供する。

一方、先方との実務的な話は、H社のYさんとメールで打ち合わせることになった。Rさんは来日せず、実質はYさんという若い社員が段取りを組むらしい。

Yさんから聞いたスケジュールがタイトだった。

25日当日の11時20分に飛行機が到着し、その後、わが社に車で直行する。懇談が終わったあと、また車に乗って都内に向かい、16時開始のセレモニーに参加することになっているという。あいかわらず、予定を詰めるのが好きな国民性だな、と思う。

逆算すると、おそくとも14時にはわが社を出ないと、都内のセレモニーには間に合わない。ということは、ほとんど昼食をとる時間しか確保できないではないか。

しかも昼食は、社外に出て小洒落たお店に行く、などという時間的余裕はない。そもそも、わが社の周りには小洒落たお店がまったくないのだ。

そうなると残る選択肢はただ一つ。社長室で弁当を食べながら懇談する、という選択肢である。

当然、コンビニの弁当というわけにはいかない。高級弁当を注文しなければならない。

弁当を注文するということは、あらかじめ懇談(会食)に参加する人数を把握しておかなければならない。僕はYさんにそのことを確認した。

「当日は何人いらっしゃいますか?」

「社長と、部下2人と、通訳1人と、運転手です」

「すると5人が会食に参加するのですね?」

「いえ、運転手は会食には参加しません。別行動です」

ということで先方の弁当の数は4個。わが社は社長と僕の2人だから弁当の数は2個。ということで弁当の数は6個と確定した。

「プレゼントはどうしよう…」

向こうもお土産を持ってくるだろうから、当然こっちもお土産を用意する必要がある。いわゆるプレゼント交換である。これも吟味して決めていった。記念撮影もしなければならないからちゃんとしたカメラも用意しなければならない。

ほかにも当日の段取りや席次など、細かい準備を詰めていく。

先方のYさんとは、カトクの友だち登録をしたので、

「当日の連絡はカトクでやりとりしましょう。空港について車に乗ったら連絡ください」

「わかりました」

で、いよいよ8月25日当日を迎えた。

11時20分到着のはずが、待てど暮らせど連絡が来ない。航空会社と空港のホームページで運航状況を確認すると、到着時間が遅れるらしいことが書いてあった。

1時間後の12時20分頃、Yさんからカトクにメッセージが来た。

「いま車に乗りました。30~40分ほどかかると思います」

その後、ちょっと道に迷ったようで、ご一行を乗せた車がわが社に着いたのが12時50分過ぎだった。

(これでは滞在時間が1時間しかないじゃないか…)

僕はご一行を玄関でお迎えして、あいさつもそこそこにすぐに社長室に連れて行った。まずはプレゼント交換、次に記念写真、いよいよ昼食懇談会が始まるという頃には、13時をまわっていた。

(あと1時間しかない…)

わずか1時間だったのだが、双方の社長の座持ちのよさで、話は思いのほか盛り上がり、いい雰囲気のまま昼食懇談会が終わった。

先方の社長は、社交辞令なのかもしれないが、うちの社長と僕をいたく気に入ってくれたようで、「ぜひお二人で韓国にお越しください。そのときは歓待いたします」と何度もくり返した。

よほど機嫌がよかったのか、あるいはこれが本題だったのか、

「コロナ禍をはさんでしまったが、これからもますます実質的な交流を頻繁に行っていきましょう」

と先方の社長は言った。海外交流を進めることは、先方の社長にとって実績を積むことであり、さらなる出世につながることなのだろう。

なかなかの盛り上がりだが、実際に交流イベントをやることになったら、結局窓口担当である僕に全部仕事が回ってきてしまうなあ、と少し複雑な気持ちになった。

ともあれご一行は、滞在時間が1時間しかないなかで、結局談笑しながらお昼のお弁当だけ食べて、怒濤のように去っていった。

「結局お昼だけ食べて、肝心なことは何も決まらなかったなあ」

「外交儀礼なんて、そんなものです」

「そうだな。外交儀礼としては成功だったな」

社長は、まんざらでもない、という顔をした。

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診療代は75円

8月24日(木)

今日は、自宅から車で1時間ほどかかる総合病院で診察である。

診察、といっても、今日予約している科は、3か月に1度ていど、担当の先生に元気な姿を見せに行く、というだけの、いわば儀式である。

より具体的に言うと、別の病院で治療した結果を、この病院の先生に報告に行く、というだけの儀式。僕がまだ元気であるという姿を先生に見せて先生に安心してもらうために行くのである。

しかし高速道路を使って1時間かけてそれだけ、というのも何となく癪である。この日は、もう一つ、同じ病院で皮膚科の診察も初診で受けることにした。以前から足の皮膚が荒れていて、というより尋常じゃない荒れ方をしていて、ことによるとこれは薬の副作用ではないか、と思ったので、皮膚科に診てもらうことにしたのである

今日はは病院に書類を提出する必要もあり、朝早く自宅を出るつもりが、もたもたしていて、しかも道路も混んでいたので、予約の診療時間よりも30分ほど遅く病院に到着してしまった。書類の提出をすませ、ようやく先生の診察を受けることになった。

「お元気でしたか?」

「ええ、まあ。ちょっと夏風邪は引いてしまいましたけど」

「先日の治療も無事に終わったのですね」

「ええ」

「それはよかった。がんばりましたね」

「はい」

「次はまた3か月後に、顔を見せに来てください」

「わかりました」

これで診察は終了した。まあ、いつもとまったく変わらぬ儀式である。

次に、皮膚科へ向かう。同じ病院内とはいえ、初めての科にかかるというのは、ドキドキする。

初診扱いになるので、予約の人優先で診察がおこなわれ、それが終わってからということになる。そうとう待たされるだろうと覚悟した。

それでも、お昼にまたがらない時間に自分の受付番号が呼ばれた。最近は、「○○さ~ん」と名前を呼ばれることはなくなり、すべて受付番号で呼ばれることになっているのだ。だから自分の受付番号を覚えておかなければならない。

自分の番号が呼ばれたので診察室に入ると、ベテランとおぼしき女性の先生だった。

「○○といいます。よろしく」

「よろしくおねがいします」

「さっそく足を見せてください」

僕は靴下を脱いで足を見せると、

「慢性湿疹ですね」

と即答した。

「薬の副作用とかではないのですか?」

と聞くと、

「いえ、違います。副作用は関係ありません。塗り薬を処方するので患部に塗ってください。あと、今後はここではなく、ご自宅の近くの皮膚科で診察してもらってください。そのための紹介状も書きます」

「わかりました」僕としても、願ってもないことである。

こうして2つの科の診療が終わったのだが、驚いたのはここからである。

会計を済ませようと自動精算機に診察カードを入れると、2つの科の診療代の合計が、

「75円」

だったのである。75円ですぞ!内訳を見ると、最初の科が8円、皮膚科が67円である。

高速道路を使って1時間以上をかけて病院に行って、診療代が75円というのは、じつに割に合わない。そればかりではなく、病院の駐車料金の200円よりも安いのである。

割に合わないといえば割に合わないともいえるのだが、日頃、限度額適用認定証をスナック感覚で使っている僕にとっては、じつにありがたい。

国民皆保険制度のありがたさを噛みしめて、午後から職場に向かった。

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コミュニケーションの違和感

8月23日(水)

今日のTBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」は、メインパーソナリティのジェーン・スーさんが体調不良でお休みで、代打は武田砂鉄さんだった。久しぶりに「生活は踊る」をradikoのタイムフリーで聴く。

番組中盤の名物コーナーは、「相談は踊る」という、人生相談のコーナーなのだが、今回は、幼稚園児の子どもがいる女性から、「子どもが通う幼稚園における、保護者間のコミュニケーションの違和感について」という相談だった。なんと、まさにわが家がいま直面している問題ではないか!

「幼稚園」と「保育園」の違いがあるのだが、保護者間のコミュニケーションのあり方は、まったく変わらない。その特徴としては、まず「グループLINE」を作り、そこに登録させられる。しかも、グループLINEに登録しているのは全員女性。つまりパパは1人もいない。

その女性によると、グループLINEの投稿内容は、イベントの告知やボランティア募集、行事の写真や動画なのだが、投稿があると、ほぼ全員が即レスをする。そればかりか、返信するほぼ全員が、過度に気を遣い、へりくだる表現をするというのである。

たとえば、幼稚園周辺の清掃のボランティア募集という投稿がある人から発せられると、

「企画、ありがとうございます。ぜひ参加させてください!」

と、自分(この相談をしている女性)以外の全員が返信するという。参加させてください、って、一人ひとりはだれかの下僕ではないのだから、とてもイヤな言い回しに感ずる、という。

「気遣いとへりくだりを組み合わせた表現は、保護者の世界の定型文なのでしょうか?」

この女性は、ほかにも事例をあげながら、保護者間のコミュニケーションにおける「過度の気遣いとへりくだり」という問題に違和感を覚え、その違和感が自分だけなのではないかと、相談しているのである。しかしこれは、わが家の悩みそのものでもある。

この相談に対して、武田砂鉄さんと小倉弘子アナのフリートークが続くのだが、結論は、

「幼稚園児(保育園児)を持つ母親の愚痴のほとんどは、グループLINEによる保護者間のコミュニケーションへの違和感である」

ということに落ち着いた。

「基本的にコミュニケーションというのは、違和感からできてますからね」

という武田砂鉄さんのひと言が、元も子もない気がするが、本質を突いていると思う。

というのは、昨日、本日と、長時間の会議に参加していた僕は、コミュニケーションにおける違和感という問題を、痛切に感じたからである。

昨日は2時間のオンライン会議があり、本日は4時間以上におよぶ対面の会議があったのだが、いずれも僕にとってはまったく「アウェイ」な会議で、僕以外の人たちがこれまで培ってきた人間関係の機微といったことがまったくわからない。それに、その人間関係の中で構築された議論の内容が高度すぎて全然ついていけない。何もわからない僕は、「いま、その議論は噛み合っているの?噛み合っていないの?」と、つい疑問を差し挟みたくなるのである。

しかし、たいていの場合は、「とても刺激的なお話ですね」とか「いまの意見はとても重要ですね」とか、「あなたの意見は、一見私の意見とは違うように思うかもしれませんが、実は私はあなたとまったく同意見です」とか、僕にとってはおよそ理解不可能なコミュニケーションが成立しているのである。

わからないのだから黙っていればいいものを、つい手を上げて発言をしてしまうのだが、どうもまったくお門違いな発言のようで、「おめえいまごろ何言ってんの?」的な空気を感じたり、なかったことにされて議論が進行したりして、言わなきゃよかったと反省すること頻りである。もちろんすべての原因は僕の勉強不足にあるので、僕自身が精進しなければいけないことはいうまでもない。

ただ、僕がいくら精進しても、あいかわらず、何らかのコミュニケーションには違和感を覚えつづけるであろう。なぜなら、「基本的にコミュニケーションというのは、違和感からできあがっているから」である。その諦念にたどり着くことで、少しは気持ちが楽になる。

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夏休みの読書

毎年この時期になると気になるのは、「夏休みに首相はどんな本を読むのか」である。

ここ最近の首相は、夏休み前になると都内の大型書店にくり出し、夏休みに読む本を何冊か購入する、というパフォーマンスを見せるのだが、あれはどんな意図を狙っているのだろうかと、いつも訝しく思う。

今年の夏休み前は都内の大型書店で10冊の本を購入した、とニュースにあったが、その10冊のうち、何冊かは書名が公開されている。ある記事によると、

「『世界資源エネルギー入門』(平田竹男・著)、『地図でスッと頭に入る世界の資源と争奪戦』(村山秀太郎・監修)、『まるわかりChatGPT&生成AI』(野村総合研究所・編)、『アマテラスの暗号』(伊勢谷武・著)、さらに、村上春樹の長編小説『街とその不確かな壁』など」

と5冊の書名が公開されている。

ほかにもいろいろな記事を見てみたが、これ以上の情報は得られなかった。ある大新聞社の記事には、

首相周辺によると、村上春樹さんの新作長編小説「街とその不確かな壁」や、世界の資源エネルギーに関する解説書、生成AI(人工知能)の入門書などを買ったという」

とあり、村上春樹の新作の書名のほかは、なぜか書名がぼかしてある。

「入門」とか、「スッと頭に入る」とか、「まるわかり」とかいったフレーズが入ったタイトルの本を、書店に行ってこれ見よがしに購入する一国の首相の心理というのは、どういうものなのだろう。というか、首相がいまさら入門を読むのかよ!と心許なくていけない。

せっかくパフォーマンスとして購入する本なのだから、もう少し購入する本の内容とか書名を吟味する必要があったのではないだろうか、と思ったのだが、少し調べてみると、首相は今年の正月休みにも、本を15冊ほど購入していたらしい。

そのなかに『カラマーゾフの兄弟』全5巻があったそうなのだが、ある記事によると、首相は1巻で投げ出し、長男に『読んで内容を教えてくれ』と託した、とあった。

その反省があってなのか、今夏は自分が読めそうな本を選んだ、ということなのだろうか。よくわからない。

休暇前に首相が書店に行って本を購入する、というパフォーマンスが、いつ頃から始まったのか、よくわからない。僕の記憶では、前の前の首相がそんなパフォーマンスをやり、SNSで誇らしげに購入した本を公開していたと記憶する。そのとき僕はそれを見て、明らかに特定の支持者へのアピールだな、と感じたものである。

いまや政治家は知性や教養を誇るという時代ではなくなったということだろうか。幕末の倒幕派を気取る党名を持つ公党のマスコットキャラクターが、当時佐幕派を象徴していた組織の「だんだら羽織」を着ているというデザインなのは、もはや「何でもあり」の世界である。

1993年からその翌年まで首相を務めた細川護熙氏が、首相を務めた時期に書いていたという『内訟録』という日記が出版されていて、この本がめちゃくちゃ面白いのだが、そこには、イヤミなくらいに、惜しみなく自らの知識や教養を端々に披露している。そもそも、文体が文語体なのだ。

首相たるもの、これくらいの教養は身につけておかないといけないという見本のような日記だったのだが、あれから30年たったこの国は、それでも「進歩した」「発展した」と言えるのだろうか。

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来週から本気出す…つもり

8月19日(土)

たんなる愚痴です。

どうにも身体が動かない。すぐ疲れてしまうのである。やる気も起きない。

暑さのせいかとも思ったが、それはほかの人も体験していることだし、そもそも僕は、暑いのでなるべく外に出ないようにしている。

今週1週間、夏休みをとっているせいで、怠けてしまっているのか?

もちろんそれが一番の理由かもしれないが、5月末以降、治療薬を変えたせいで、副作用として倦怠感があらわれている可能性もある。

いまの治療薬は、以前のものよりも、明らかに副作用と感じられるものは減った。しかし、このたびの治療薬も、かなり多くの副作用が出る可能性がありますよ、人によっては、と医者に言われたのである。

さんざん脅されたが、今のところは日常生活に支障を来すような副作用はあらわれていないし、薬というのは相性の問題があるから、そういう意味では相性がよいのではないかとも考えられる。

しかし、この治療薬の副作用の1つとして「倦怠感」があげられている。いまの倦怠感は、夏バテによるものなのか、加齢によるものなのか、治療薬による副作用によるものなのか、はたまたたんに自分が怠け者なだけなのか、にわかには判別しがたいのである。

しかし、やらなければならない仕事も多く、締切をとっくに過ぎた原稿もある。そのうえ、突発的な仕事の依頼が来たりする。自分の体力は限られているので、その体力を配分しながら、なるべく最小限に仕事をこなす必要がある。そのため、不義理をしてしまう場合が多い。

なかなか困ったことである。

しかし夏休みも今週で終わりなので、来週からは本気出す!…つもりだが、月末締切の諸々の仕事は終わるのだろうか?

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踊らにゃ損

踊る阿呆と踊らない阿呆

5年ほど前に上の記事を書いて以来、このお祭りを興味深く見守っている。

毎年夏のこの時期に行われる日本有数の「踊るお祭り」。現在は各地で同名のお祭りが行われているのでややこしいが、僕が注目しているのは、本家本元の地で行われるお祭りである。残念なことに僕は、このお祭りを直接見に行ったことはない。僕が興味があるのは、このお祭りそのものではなく、このお祭りを取り巻くさまざまな人の考えについて、である。

そういう意味では、久しぶりに好事家としての僕の興味をひかずにはいられないニュースがあった。

毎年8月12日~15日にわたって行われるお祭りだそうで、例年100万人を超える観客が見に来るようだが、とくに今年の夏は、新型コロナウイルス感染症が2類から5類に引き下げられたことにより、久しぶりに通常通りの形式で行われるようになったという。

しかしここで新たな問題が浮上する。折しもこの時期に台風7号がその地に接近するという問題である。とくに14日、15日あたりは、台風の進路にあたるという予報が出されていた。

そこで市長は、そのお祭りを取り仕切る実行委員会に、14日のお祭りは中止してほしいという要請を出した。

市長の立場としては当然である。この日は暴風警報が出されていて、「高齢者等避難」の情報も流れていたからである。そんなときに、野外で踊っている場合ではない。

ここで僕は初めて知ったのだが、このお祭りを中止する権限は、市にはなく、お祭りを取り仕切る実行委員会の判断に委ねられているそうなのである。だから、市長はあくまで「要請」という形で、実行委員会におうかがいを立てたのである。

さて、実行委員会は、14日の午後1時に、お祭りを中止するか、予定どおり行うかの会議をはじめた。この会議には、28人の委員のうち17人が参加し、1時間ほど議論をした末、評決をとったところ、開催が9人、中止が7人という結果となり、多数決により予定どおりの開催を決めたという。

「暴風警報とはいっても、そんなに風も強くないし、雨も降ってないよねえ」

「そうねえ。これくらいだったら大丈夫じゃね?」

「せっかくこの日のために練習してきたのだから、これくらいの雨で中止にするには忍びない」

「そうだよねえ」

みたいな話し合いが行われたのだろうか。

ま、そんな見通しで強行開催されたお祭りだが、実際には予報どおりずぶ濡れになりながら踊っていたようで、踊っていた人の中には、「こんなときにふつうはやらないよね」と取材に答えている人がいたようである。観ている人も、傘をさしながら観ていたのだろうか?大雨の中を、ずぶ濡れになりながらどんな気持ちで観ていたのか、興味がある。

踊るほうの当事者たちは決して一枚岩ではなかった。取材に答えていた踊り手の一人も「ふつうはやらないよね」とこたえていたし、実行委員会のメンバーも開催派が9人、中止派が7人と、ほぼ拮抗していたのである。

さて、この14日の午後1時に行われた実行委員会については、いくつかの疑問がある。

新聞記事によると、実行委員は28人おり、そのうちの17人が会議に出席したという。残りの11人はなぜ欠席したのか?

開催の可否を決める重要な会議であるにもかかわらず、欠席者の数が多くないか?

もう一つ、会議に参加した17人のうち、開催派が9人、中止派が7人だったとあるが、票が1人分足りないぞ。残りの一人は、棄権したのか?白票を投じたのか?

「もう、開催していいか、中止にしていいか、わかんないよ~」

と自分でもどうしていいかわからなくなったのだろうか?

三谷幸喜脚本の傑作喜劇「12人の優しい日本人」の中で、陪審員ひとりひとりに、被告人が有罪か無罪かを述べさせるくだりで、陪審員の一人がパニックになるシーンがある。

「…む~ざいです」

「む~ざい?それは有罪なんですか?無罪なんですか?」

「ですからむ~ざいです」

「む~ざいなんて言葉ありませんよ!」

「だってわかんないんだもん、もう鼻血でそう!」

たしかこんなやりとりだったと思うが、出席した実行委員の一人も、そんな感じで、開催か中止かわからなくなり鼻血が出そうになったのだろうか。

そう考えると、開催か中止かを決める重要な会議に28名中11名も欠席した、というのも、判断がつかず最初から棄権したのではないかと勘ぐりたくもなる。

いずれにしても、委員28人のうち、明確に開催を主張した人がたった9人だったにもかかわらず、開催を決定したというのは、いかにも心許ない。

幸い、14日のお祭りは大事には至らなかったようだが、翌15日はさすがに中止を決めたという。この点については、実行委員会の賢明な判断に敬意を表したい。

僕としては、行政の要請に従わない一方で、伝統的なお祭りには殉じるという、この国のおそらく各地の伝統的なお祭りを支えているメンタリティーが今回も発揮されたことを微笑ましく思う。僕の仮説が証明されたという意味において、である。

その一方で、しかしそれは決して一枚岩ではないということが今回の票の割れ方で可視化されたことに、かすかな希望を感じるのである。

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マメなおじさん

8月14日(月)

何年前からかは忘れてしまったが、毎年8月14日には、母方の親戚が集まるという決まりがある。もちろん、お盆なので、母方の両親、つまり僕にとっては祖父母にあたるわけだが、そのお墓参りをして、そのあとにみんなで集まって会食をするのである。

会食の場所は、料理屋さんなどではなく、母の妹、つまり僕にとってはおばさんの嫁いだ家である。祖父母のお墓から一番近いところに住んでいるという理由で、親戚が集まる拠点となったのである。

コロナ禍はさすがに集まることができなかったが、コロナが2類から5類に位置づけられたことを以て、今年、その親戚の集まりが3年ぶりに復活したのである。

今年の春頃だったか、母の妹の夫、つまり僕にとってはおじさんから、カラフルなチラシをもらった。そこにはおじさんの手書きで、

「新型コロナウイルス感染症は5類に引き下げられる見通しとなりました。そこで3年間実施されていませんでしたが久しぶりにお墓参りの後、○○家にお集まりいただきみなさんでわいわいしたいと思います」

とある。そして、主催者(母を含めた3姉妹)と、日時(2023年8月14日12時)、場所(おじさんの家の住所)も書かれていた。

さらに、おじさんが描いたのか、ほかの人が描いたのかわからないが、「こんなにも心洗われるなんて…」の言葉とともに、のどかな田園風景を描いた絵がチラシの大部分を占めている。

これはもう、立派なチラシである。おそらく親戚全員に配ったのだろう。しかもこれを春先にもらったのである。おじさんが、この集まりをいかに楽しみにしているかがうかがえた。これは何が何でも、8月14日は予定を空けなければならない。

前日まで、僕たち家族は自宅から西に140キロほど離れた高原に滞在していた。帰宅したのは13日の夜である。そしてその翌日、今度は自宅から120キロほど東にある水郷の町に車で向かった。12時に間に合うように、である。

水郷の町、といっても、おじさんの家は、水郷からはほど遠い、「ポツンと一軒家」的な山の中にあり、アクセスが難しい。2時間半ほどかけて、一番乗りで到着した。

そのうちぞろぞろと親戚が集まり、総勢19人が集まった。19人のうち、子どもたちは、中学生を筆頭に私の5歳の娘に至るまで、6人を数える。

チラシの開始時間どおり、12時に会が始まった。テーブルの上には、食べきれないほどの料理が並んでいる。

この会を企画したおじさんが、当然ながら乾杯の音頭をとったのだが、その時の挨拶に、

「このあと、子どもたちにはお楽しみコーナーがあります」

と、思わせぶりに言った。

ひとしきり料理を食べ、テーブルの上を片づけると、おじさんはおもむろに、大きなテンバコ2つと、縁日の絵がカラフルに描いてあるポスター大の紙を持ってきた。大きなテンバコの中には、10円くらいの駄菓子と、100円くらいの小さなおもちゃがいっぱい入っていた。

「さあ、これからお楽しみコーナーです。これから子どもたちに縁日の気分を味わってもらいます」

そう言うと、子どもたちひとりひとりに、手書きで「100円」「50円」「10円」と書いた紙のお金を配った。ひとり300円ほどだろうか。

「さて、このお金で、ここにあるお菓子やおもちゃを買ってもらいますよ。お菓子やおもちゃにはそれぞれ値段がついていますので、上手にお買い物してくださいね。いまから買い物袋を配りますから、好きな買い物袋を選んで、買ったものをその袋の中に入れてくださいね」

カラフルな買い物袋まで用意しているではないか。

子どもたちに、お金の使い方の勉強をしてもらうのがねらいのようだ。うちの5歳の娘は、当然、ひとりでお買い物なんぞしたことがないから、初めての体験である。

これは、おじさんのサプライズ企画だったらしく、ほとんどの大人はこの企画のことを知らなかった。つまりおじさんは、縁日の気分を味わわせるために縁日の風景を描いたポスターを作成し、駄菓子やおもちゃや買い物袋をどこからかたくさん買ってきて、、「100円」「50円」「10円」と手書きした紙のお金をせっせと作り、それを人数分に小分けして、ビニール袋に詰め、商品となるお菓子やおもちゃの一つ一つに、付箋を使って値段を表示し、…といった作業を、ひとりでせっせと行っていたのである。

当然、この「縁日ごっこ」は、子どもたちの間で好評だった。とくに欲の深いうちの5歳の娘は、渡されたお金を全額使い、1つの袋に入りきらないほど駄菓子はおもちゃを買った。

この企画をやり遂げたおじさんの顔は、満足げだった。

母を含めた3姉妹は高齢化し、孫の中には来年高校生になる子もいるから、「もうこの集まりは今年が最後かもね」と母は言っていたが、この調子だと、来年も「縁日ごっこ」をやりかねないぞ。

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荒野に希望の灯をともす

8月12日(土)

毎年、この時期に行われる「星空の映画祭」に、久しぶりに足を運んだ。

コロナ禍のときは開催していたのかどうか、記憶にないが、いまも続いていることがうれしい。

8月の初めから後半にかけて、文字通り星空の下で映画を野外上映する。上映される映画は、少し前に話題となった作品や、ファミリー向けを意識した作品など、複数の作品を、会期中にローテーションしながら上映するのである。

この日の上映作品は、劇場版「荒野に希望の灯をともす」(2022年、監督:谷津賢二)というドキュメンタリー映画である。

この映画の主人公は、アフガニスタンやパキスタンで医師として活動してきた中村哲さん。2019年にアフガニスタンで何者かによる凶弾に倒れ、帰らぬ人となった。そのことはニュースで大きく取りあげられた。

まことに恥ずかしいことに、僕はそのニュースを見るまで、いや、ニュースで取りあげられたときも、中村哲さんが、具体的にどのような活動をされてきたのかをほとんど知らなかった。もちろん、以前からお名前は知っていたし、アフガニスタンで活動をされていたということくらいは知っていたが、それ以上について知らなかったし、ひょっとしたら知ろうとしてもいなかったのかもしれない。

しかし昨年、中村哲さんに関するドキュメンタリー映画が都内の老舗のミニシアターで上映されるという情報を聴き、機会があれば観に行ってみたいと思っていたのだが、最近、よっぽどのことがないと劇場で映画を見る機会がないので、結局そのチャンスも逃してしまった。

で、たまたま今日、「星空の映画祭」で上映されると知り、昨年来なんとなく心に引っかかっていたドキュメンタリー映画がここで観られる!と思い、家族の許しを得て、ひとりで観に行くことにしたのである。

「当日券は午後7時に販売します」とあったので、7時少し前に会場に行くと、すでに列ができていた。家族連れや友人同士が多く、夕食を意識した屋台もいくつか並んでいる。たしかに夜7時は夕食どきである。どうもこの屋台も含めて「星空の映画祭」の名物となっているらしい。

家族には事前に「野外上映なので、直に座るとお尻が痛くなるから、ビニールシートとか座布団を持っていった方がいいよ」とアドバイスされ、そのアドバイス通りにビニールシートと座布団を持参したのだが、結論としては持っていって正解だった。上映中、直に座っていたら、お尻の痛みに耐えかねただろう。

夜7時、当日券の販売と同時に開場である。チケットを買って、導線通りに歩いて行くと、大きなスクリーンが張ってある野外劇場に着いた。スクリーンの前の座席は…、座席といっても、階段状に段差があって、その段差の先端にある切石のような部分に腰掛けて鑑賞するのである。つまり石の上に座らされるわけで、ビニールシートや座布団がないとかなり痛い目に遭う。

階段状の段差、といっても、各段は階段のような幅の狭いスペースではなく、ビニールシートが敷けて数名が車座になって宴会ができる程度の広さがある。

僕自身もビニールシートや座布団を置いて、自分の座る席を確保した。すると次々と人が集まってくる。こんな言い方は失礼だが、地味なドキュメンタリー映画なのに、どうしてこんなに人が集まるのだろう、と不思議でならない。

その多くが家族連れや友人同士である。家族連れはビニールシートを敷いて車座になり、食事をとりはじめていた。隣に座った友人同士とおぼしき二人も、屋台で買った弁当を食べ始めた。

映画の上映開始時間は午後8時。つまり開場から開演まで、1時間もあるのだ。この1時間の間中、それぞれが思い思いの時間を過ごしている。ほんとに映画を観る気があるのか?と疑いたくなるような光景である。

上映5分前に、ボランティアと名乗る司会の人がマイクで諸々の注意事項を説明し始めた。一通り説明が終わったあと、

「今日の映画は、私たちのイチオシの映画です」

と言った。話題作が並ぶ中で、この映画がイチオシなのか。あるいは映画を上映するたびに言っているのか。たぶん前者だろう。

「このあと、映画の上映が始まる直前、すべての照明が消えて、会場が一瞬真っ暗になります。その時に、どうか空を見上げてください」

司会者の説明が終わり、スクリーンに短いCMが流れたあと、ほんとうにすべての照明が消えて真っ暗になった。空を見上げると、いくつもの星が瞬いている。少し雲がかかっていたのが残念だったが。

一瞬の暗黒のあと、映画が始まった。

中村哲さん自身の言葉(朗読・石橋蓮司)とともに、中村哲さんの活動の様子が、多くの映像や写真を交えながら時系列的に語られていく。

医師としてパキスタンやアフガニスタンに自ら志願して赴き、無医の地域に少しずつ診療所を作っていく。少しずつ活動の幅を広げて、多くの人たちの信頼を得ていくようになる。

しかし、医学的な治療には限界があった。そもそも、病気に苦しむ人を少なくすることこそが大事なのではないかと。病気の根本原因は「飢え」である。多くの人たちが食べるに困らないような環境を作らなければならない。

干ばつにより大地が枯れていく姿を目の当たりにした中村さんは、「大地を潤すための用水路を作る」という、突拍子もない計画を思いつく。ここからがこの映画の後半であり、ハイライトである。土木工学を一から勉強し、自然の脅威に悩まされながら、枯れた大地に水をたたえた長い用水路をひく。あたり一面砂漠だった土地が、数年経って森に変わる姿は圧巻である。緑だけではない。その土地で諦めかけていた農作物の豊かな稔りも可能になったのである。

中村哲さん自身による、心を揺さぶる言葉とともに、映像はその言葉を裏付けるように「苦難」と「達成」の繰り返しを描き出す。中村さんの活動は、言葉にならないほど圧倒的である。朴訥とした印象、というのはあくまでも僕が映像を通して感じた印象だが、その朴訥とした印象を持つ中村さんのどこに、あのようなエネルギーが蓄えられていたのだろう。

さて、僕が感動したのは、映像の中だけではない。上映前に、車座になってお弁当を食べたり、ときにはお酒を飲んだりして、思い思いの時間を過ごしていた家族連れや友人同士の観客たちが、映画が始まると水を打ったように静まりかえり、映画を食い入るように見入っていたことである。

そして90分ほどの上映が終わったが、エンドロールが終わるまでだれひとり立ち上がって帰り支度する者はいない。それどころか、エンドロールが終わると、大きな拍手が巻き起こったのである。

星空の映画祭では、映画が終わるたびに拍手をする習慣があるのかどうか、よくわからないが、それにしても、すべてが終わり、会場の明かりがついたときにもう一度大きな拍手が起こったので、やはりこの映画に対する心からの拍手だったのだろう。

最高の映画祭だった。

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クラス飲み会怖い

8月10日(木)

僕が通っていた高校は、3年間クラス替えがなかった。なのでクラス会をやるにも1回で済む。

まだコロナ禍が始まる前、なぜか高校時代のクラスで作っているLINEグループに招待された。なぜ不思議に思ったかというと、そのLINEグループに入っているクラス仲間のほとんどが運動部に属していたからである。つまりスクールカーストで言うところの「一軍」なのだ。

それに対して僕はバリバリの文化系だったから、運動部の一軍と親しく話した記憶があまりない。たまたま連絡先が判明したのでグループLINEに招待されたのだろう。

このグループLINEで、飲み会がしばしば企画されたが、僕は一度も行ったことがない。一つは病気になって以降、お酒をやめてしまったし、不要不急の飲み会に出なくないことにしたから、もう一つは、たばこの煙が死ぬほどイヤだったからである。

飲み会のたびにLINEに投稿される写真を見ると、灰皿にたばこが山のように積んであったりして、「ムリやわ~」と気持ちが萎えるのである。

それにそもそも、会ったところで何を話してよいのかわからない。この点については、酒井順子さんのエッセイを参照してほしい。

で、つい最近、コロナ禍が終わったということで、久しぶりに飲み会の誘いが来た。飲み会の日程は今日、すなわち8月10日(木)である。

僕は仕事があるし、職場までは車で通っているので、都内での飲み会にはもとより参加が不可能である。当然、不参加を表明した。

するとあるクラス仲間が、「欠席の人もいるので、秋くらいにクラス会をしましょう」と提案し始めた。

え?その飲み会って、クラス会じゃないの?と思ったが、どうやら、担任の先生を呼んでちゃんと場所をとって行う会を「クラス会」というらしい。そういう意味でいうと、前回の正式なクラス会は2013年に行われた。今回はクラス会ではなく、「クラス飲み会」なのだ。ちなみに「同窓会」といったら、学年やクラスに関係なく、その高校を卒業した人すべてを対象にした会。なるほど、高校の集まりにもカーストがあるのね。

僕は担任の先生とは先日にお会いしたばかりだし、たまにメールのやりとりをしているから、わざわざクラス会に出たいとも思わないのだが、前回のクラス会から10年経っているので、ほんとうに実現しかねない。

ところで今日の飲み会。

さっそく飲み会の様子を写した写真が2枚ほど送られてきた。その写真を見て驚愕した。

昔からほとんど変わらない人がいるかと思えば、「おたく、どちら様です?」と、どうがんばってもまったく高校時代の面影から類推できない人もいる。ほんとうに、まるでわからないのだ。

もしクラス飲み会に参加していたら、名前もわからないまま、なんとなく話さなければならないのだろうか。それが怖い。

というか、僕自身がそういう人物に成り果ててしまって、まわりの人が扱いに困るのではないだろうか。これは僕が参加しない方が、お互いの身のためである。

しかし写真に写っていたあいつ、誰だったんだろう?

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暑くて長い旅

8月5日(土)~8月8日(火)

ひどい夏風邪もひとまず峠を越え、延期していた「ひとり合宿」(8月2日~3日)も半ば強引に終えた。さすがにひとり合宿から帰った夜は体調が辛かったが、翌日(8月4日)、半日ほど休むと回復し、なんとか仕事ができる状況になった。

やらなければならないのは、翌日からの出張の資料作りである。出張の前半では打ち合わせが多いほか、出張の後半では8名を引率して僕がコーディネートする用務が待っている。

職場での資料作りが終わり、夜帰宅、そのまま荷造りをして、翌日、新幹線で北へ向かう。

最初の2日間は、古巣でいくつかの打ち合わせをこなす。なかなかタイトなスケジュールであった。

この時期は、どこも夏祭りのシーズンである。行くところ行くところ、お祭り気分が漂っているが、こちらはそのような気分に浸っていられない。祭りに浮かれる人たちを横目で見ながら、2日目の午後にさらに北に移動し、夕方に出張後半の用務地に到着した。

さあ、ここからが本番である。3日目の朝に、同業仲間3名、若い学生5名の、計8名と合流し、二つの用務先でみっちりと研修をすることになっている。

この事前の交渉というのが大変だった。二つの用務先というのは、かれこれ30年の長きにわたり、僕自身がお世話になっているところで、知り合いも多く、そういう縁が深いこともあってコーディネーター役を任されたのだが、親しき仲にも礼儀あり。事前に研修のための交渉をして、正式な書類を提出しなければならない。

その書類を早く提出しなければならないと思っていた矢先にひどい夏風邪にあい、それでもちゃんとした書類を作って事前に送らなければならないので、熱にうなされながらも書類を作り、晴れて本番を迎えたのである。

朝、出張後半の一つ目の用務先に到着し、担当者の方とひとしきりご挨拶をすると、何人かの見知った人が訪れた。

「あれ?どうしたんですか?」てっきり別の場所で仕事をされていると思った僕はびっくりした。

「鬼瓦さんがいらっしゃると聞いたので、ご挨拶だけでもと思って」

ありがたい話である。僕が来るという話を聞きつけて、わざわざ来てくれた方が二人いらっしゃった。いずれも、かつて僕が散々お世話になった方である。僕はその再会に感謝した。

さて、一つ目の用務先では、担当の方の懇切なご案内で午前中に炎天下を1時間半ほど歩き回り、午後は室内でみっちりと研修を行った。全身ずぶ濡れになるくらいの汗をかいたが、それだけに、まことに充実した研修となった。「鬼瓦さんがいなかったら、ここまで充実した研修はできませんでしたよ」と、同業の仲間の一人が言ってくれた。やはり30年の絆というのは大きい。

4日目。宿を早く出て、車で二つ目の用務先に移動する。こちらもやはり30年来お世話になっているところである。

どうぞ自由にこの部屋をお使いくださいと、午前中には室内でみっちりと研修を行った。

午後は、やはり担当の方の懇切なご案内で炎天下の中を1時間15分ほど歩き回った。さすがにここまで来ると、僕もすっかりバテてしまった。

しかし、誰ひとり熱中症で倒れることもなく、予定していた用務をすべて終えることができた。

二つの用務先には、事前に訪問時間と室内での研修内容を伝えただけで、実際にはどのような研修になるのか不安だったが、対応してくれた方々のおかげで、予想をはるかに上回る充実した時間となった。若い学生たちにも、そのことが伝わったと思う。

3泊4日、体力が持つか、倒れないか、不安だった。たしかに尋常ではない暑さにすっかりバテてしまったが、これによって体調を崩す、といったことはどうやらなさそうだ。

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晴れて「ひとり合宿」

8月2日(水)

「ひとり合宿」は、2週間の延期を経て、無事に実現した。

この2週間は散々だった。2週間前、僕はひどい夏風邪を発症し、週を越えても熱は下がらず、咳が止まらなかった。ようやく熱が下がってきたかなと思ったころ、今度は妻がひどい咳とひどい頭痛に悩まされた。元気なのは5歳の娘だけである。

妻は朝に起き上がれないほどの頭痛で苦しみ、それが夕方6時になるとピタッと治まる。それが数日間続くのである。「まるで奇病のようだ」と言っていた。

処方された薬もあまり効かない。最後の手段として、ふだんから肩凝りのひどい妻だから、それが頭痛に影響しているのだろうと仮説を立て、ピップエレキバンを首元に貼った。そして念のため、昼夜つけっぱなしの冷房も、設定温度を2度ほど上げた。

すると、その翌朝、つまり今日のことだが、朝起きると嘘のように頭痛が消えていたのである。はたしてピップエレキバンが効いたのか、冷房の設定温度を2度上げたことが功を奏したのか。

いまも、発熱や咳などの症状が出ると、診療所は身構える。「感染症外来」の時間に来てくださいと言われる。当然と言えば当然なのだが、コロナ禍の前のように、ちょっと風邪をひいたからといって、スナック感覚で診療所にはもはや行けなくなった。つまり健康でないと通院もできないし、入院もできないのである。「文珍師匠の小噺」がまさか現実になるとはねえ、というのが、この間の感想である。

というわけで僕は、なんとか夏風邪が回復したので、晴れて「ひとり合宿」が2週間遅れで実施されることになった。まったく、一難去ってまた一難である。

「はじめまして」と、新人らしき看護師さんが日勤の担当だった。「18回目なんですってね。ほかの看護師はみんなすっかりおなじみだと言ってました」

「そうですか。僕も、地元に帰ってきた心持ちです」

「ところで、血管が…」

「それも聞きましたか。僕は血管が出ないことでこの病院では有名なのです。みなさん、注射針をさすときは身構えるんですよ」

「ええ、聞きました。でも血管を探して注射針をさすのは夜勤の看護師なので、私はその苦労をせずにすみそうです」

「それはよかった」

さて、その夜勤の看護師さんは、前回と同じ看護師さんで、苦労しながらも、血管を見つけ出して注射針をさしたのであった。

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すべての粉もんはオカズ

体調がいまひとつなので高校時代の親友・コバヤシから来たメールを転載します。

鬼瓦殿

こんばんは、コバヤシです。

夏風邪をこじらせたようですが大丈夫ですか?

療養中でしたら気晴らしの小ネタを一つ。

私の職場には所謂、社員食堂があるのですが、そのシステム は4種類あるオカズの中から好きなモノを二つ選び、それにご飯とお味噌汁がつくという風になっています。もう少し補足すると、オカズを一つだけにしたら、ウドンか蕎麦も選べます。

先週の木曜に、そのオカズの中に焼きそばが有ったので、これが噂には聞いていた、焼きそばもご飯のオカズになるというヤツかと思い、たまたま焼きそばを手にとった女性社員に、それってオカズなの?と聞いたら、もちろん!と即答、更には聞いてもないのに、お好み焼きもオカズですよ、何ならウチの息子達はタコ焼きでもご飯食べますよ、と衝撃の発言が。

お好み焼きがオカズというのは聞いていたけど、まさかタコ焼きもかと思い、昼休みに近くに座っている男性社員に、タコ焼きってオカズなの?と尋ねると暫く考えて、というか即答で違うと答えると思ってたのですが、ウチではオカズにはしないけど、それも有りかなあ、と答えます。

ちょっと曖昧なの回答だったので、他の女性社員にも、タコ焼きはオカズなの?と聞くと、その女性は即答で、当たり前じゃないですか、タコ焼きはご飯のオカズですよ、と言います。ついでに、でもビールの方が合いますけどね、とのこと。

他にも何人か聞くと、自分はオカズにはしないけどという人も何人かいましたが、タコ焼きがオカズになるということを否定する人は殆どいませんでした。

なるほど関西人は、どうやら粉もん全般をオカズにするという文化があるのかと独り合点した次第です。

ここで一つの疑念が浮かびました。

冒頭に二つ選べるオカズを一つにすれば、ウドンか蕎麦を選べると書きましたが、その場合もご飯とお味噌汁は食べられます。
まさかとは思いながら、皆んなにウドンと蕎麦はオカズなのかと聞くと、殆どの人がオカズだと答えます。しつこく、ウドンのおつゆを汁物としてご飯を食べるということではなく、ウドンの麺でご飯を食べるのかと聞くと、多くの人がそうだと答えます。

そう関西人は、あらゆる粉もんをご飯のオカズにしてしまうという衝撃の事実が判明しました。

やはり、東西のギャップは我々が考える以上に大きいようです。

ついでに書くと大阪のスーパーには我々関東人が当たり前のように使っている中濃ソースは存在しません。というか、関西人は中濃ソースの存在すら知りません。これも最近知った衝撃の事実でした。

ということで、今回のネタはいかがでしたか?

それでは、毎度大きなお世話かもしれませんが、くれぐれもご自愛ください、

またそのうち会いましょう!

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