荒野に希望の灯をともす
8月12日(土)
毎年、この時期に行われる「星空の映画祭」に、久しぶりに足を運んだ。
コロナ禍のときは開催していたのかどうか、記憶にないが、いまも続いていることがうれしい。
8月の初めから後半にかけて、文字通り星空の下で映画を野外上映する。上映される映画は、少し前に話題となった作品や、ファミリー向けを意識した作品など、複数の作品を、会期中にローテーションしながら上映するのである。
この日の上映作品は、劇場版「荒野に希望の灯をともす」(2022年、監督:谷津賢二)というドキュメンタリー映画である。
この映画の主人公は、アフガニスタンやパキスタンで医師として活動してきた中村哲さん。2019年にアフガニスタンで何者かによる凶弾に倒れ、帰らぬ人となった。そのことはニュースで大きく取りあげられた。
まことに恥ずかしいことに、僕はそのニュースを見るまで、いや、ニュースで取りあげられたときも、中村哲さんが、具体的にどのような活動をされてきたのかをほとんど知らなかった。もちろん、以前からお名前は知っていたし、アフガニスタンで活動をされていたということくらいは知っていたが、それ以上について知らなかったし、ひょっとしたら知ろうとしてもいなかったのかもしれない。
しかし昨年、中村哲さんに関するドキュメンタリー映画が都内の老舗のミニシアターで上映されるという情報を聴き、機会があれば観に行ってみたいと思っていたのだが、最近、よっぽどのことがないと劇場で映画を見る機会がないので、結局そのチャンスも逃してしまった。
で、たまたま今日、「星空の映画祭」で上映されると知り、昨年来なんとなく心に引っかかっていたドキュメンタリー映画がここで観られる!と思い、家族の許しを得て、ひとりで観に行くことにしたのである。
「当日券は午後7時に販売します」とあったので、7時少し前に会場に行くと、すでに列ができていた。家族連れや友人同士が多く、夕食を意識した屋台もいくつか並んでいる。たしかに夜7時は夕食どきである。どうもこの屋台も含めて「星空の映画祭」の名物となっているらしい。
家族には事前に「野外上映なので、直に座るとお尻が痛くなるから、ビニールシートとか座布団を持っていった方がいいよ」とアドバイスされ、そのアドバイス通りにビニールシートと座布団を持参したのだが、結論としては持っていって正解だった。上映中、直に座っていたら、お尻の痛みに耐えかねただろう。
夜7時、当日券の販売と同時に開場である。チケットを買って、導線通りに歩いて行くと、大きなスクリーンが張ってある野外劇場に着いた。スクリーンの前の座席は…、座席といっても、階段状に段差があって、その段差の先端にある切石のような部分に腰掛けて鑑賞するのである。つまり石の上に座らされるわけで、ビニールシートや座布団がないとかなり痛い目に遭う。
階段状の段差、といっても、各段は階段のような幅の狭いスペースではなく、ビニールシートが敷けて数名が車座になって宴会ができる程度の広さがある。
僕自身もビニールシートや座布団を置いて、自分の座る席を確保した。すると次々と人が集まってくる。こんな言い方は失礼だが、地味なドキュメンタリー映画なのに、どうしてこんなに人が集まるのだろう、と不思議でならない。
その多くが家族連れや友人同士である。家族連れはビニールシートを敷いて車座になり、食事をとりはじめていた。隣に座った友人同士とおぼしき二人も、屋台で買った弁当を食べ始めた。
映画の上映開始時間は午後8時。つまり開場から開演まで、1時間もあるのだ。この1時間の間中、それぞれが思い思いの時間を過ごしている。ほんとに映画を観る気があるのか?と疑いたくなるような光景である。
上映5分前に、ボランティアと名乗る司会の人がマイクで諸々の注意事項を説明し始めた。一通り説明が終わったあと、
「今日の映画は、私たちのイチオシの映画です」
と言った。話題作が並ぶ中で、この映画がイチオシなのか。あるいは映画を上映するたびに言っているのか。たぶん前者だろう。
「このあと、映画の上映が始まる直前、すべての照明が消えて、会場が一瞬真っ暗になります。その時に、どうか空を見上げてください」
司会者の説明が終わり、スクリーンに短いCMが流れたあと、ほんとうにすべての照明が消えて真っ暗になった。空を見上げると、いくつもの星が瞬いている。少し雲がかかっていたのが残念だったが。
一瞬の暗黒のあと、映画が始まった。
中村哲さん自身の言葉(朗読・石橋蓮司)とともに、中村哲さんの活動の様子が、多くの映像や写真を交えながら時系列的に語られていく。
医師としてパキスタンやアフガニスタンに自ら志願して赴き、無医の地域に少しずつ診療所を作っていく。少しずつ活動の幅を広げて、多くの人たちの信頼を得ていくようになる。
しかし、医学的な治療には限界があった。そもそも、病気に苦しむ人を少なくすることこそが大事なのではないかと。病気の根本原因は「飢え」である。多くの人たちが食べるに困らないような環境を作らなければならない。
干ばつにより大地が枯れていく姿を目の当たりにした中村さんは、「大地を潤すための用水路を作る」という、突拍子もない計画を思いつく。ここからがこの映画の後半であり、ハイライトである。土木工学を一から勉強し、自然の脅威に悩まされながら、枯れた大地に水をたたえた長い用水路をひく。あたり一面砂漠だった土地が、数年経って森に変わる姿は圧巻である。緑だけではない。その土地で諦めかけていた農作物の豊かな稔りも可能になったのである。
中村哲さん自身による、心を揺さぶる言葉とともに、映像はその言葉を裏付けるように「苦難」と「達成」の繰り返しを描き出す。中村さんの活動は、言葉にならないほど圧倒的である。朴訥とした印象、というのはあくまでも僕が映像を通して感じた印象だが、その朴訥とした印象を持つ中村さんのどこに、あのようなエネルギーが蓄えられていたのだろう。
さて、僕が感動したのは、映像の中だけではない。上映前に、車座になってお弁当を食べたり、ときにはお酒を飲んだりして、思い思いの時間を過ごしていた家族連れや友人同士の観客たちが、映画が始まると水を打ったように静まりかえり、映画を食い入るように見入っていたことである。
そして90分ほどの上映が終わったが、エンドロールが終わるまでだれひとり立ち上がって帰り支度する者はいない。それどころか、エンドロールが終わると、大きな拍手が巻き起こったのである。
星空の映画祭では、映画が終わるたびに拍手をする習慣があるのかどうか、よくわからないが、それにしても、すべてが終わり、会場の明かりがついたときにもう一度大きな拍手が起こったので、やはりこの映画に対する心からの拍手だったのだろう。
最高の映画祭だった。
| 固定リンク
「映画・テレビ」カテゴリの記事
- KOC雑感2024(2024.10.19)
- ドリーム(2024.10.01)
- わんだふるぷりきゅあ!ざ・むーびー!(2024.09.22)
- 団地のふたり(2024.09.16)
- きみの色(2024.09.08)
コメント