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2023年10月

座談会

10月29日(日)

ある出版社のシリーズ企画の本に原稿を書いた。その本というのは、1冊ごとにテーマを決めて複数の執筆者が書くスタイルなのだが、それだけではなくて、巻末には執筆者たちによる座談会を掲載するという、たいへん面倒くさい構成になっている。

どうしてそんなに面倒くさいことをするのかとたずねてみると、「シーズン1」の時にそのスタイルで出版をしたら、本の中でも、座談会のところが一番よく読まれたのです、座談会は、各執筆者の文章を読むための格好な導入になっているのです、という答えだった。ということは、シーズン1のやり方が好評だったからシーズン2の企画が通ったんだなと思ったが、こっちとしてはたまったものではない。僕は座談会というのがそもそも苦手なのである。同業者が集まっての座談会となればなおさらである。

座談会というのは、一種の反射神経を競う競技のようなものである。しかも、自分にそれ相応の実力がないと、ほかの人たちと太刀打ちできない。いちど、業界誌のある企画で鼎談をしたことがあるが、あまり達成感のない結果に終わってしまった。

それと、座談会ということになると、そのときに喋っている一人ひとりの様子が写真に撮られ、「いま語ってますよ」という雰囲気の写真が本に掲載されるわけだが、それもまた苦手である。ほかの人の写真は、見るたびに「いいタイミングで撮られているなあ」とか「いい表情をしているなあ」と思うのだが、いざ自分が撮られるとなると、「いい表情」をする自信が全くない。

原稿を書くだけで勘弁してくれよ、と思うのだが、そこにもうひと手間かけなければいけないわけである。

たいへんなのは執筆者だけではない。座談会を文字起こしして、読める文章にする作業をする編集者もまた、たいへんである。喋った言葉が一字一句、そのまま使える文章になる、ということはまずあり得ない。「座談の名手」は、徳川夢声くらいじゃなかろうか。

出版社は、そんなことはすべてお見通しで、事前に、「緊張しないで、自由に発言してください!」とか、「発言内容は、メモを作ってきても結構ですが、棒読みにならないよう、くれぐれも注意してください。数字や細かい内容にこだわる必要はありません」と釘を刺した注意事項が送られてきた。そうはいっても、僕以外は百戦錬磨の同業者である。こういうときは、

「なんかあっちゃいけねえ」

と考えるのが僕の性分なのだ。

そこで、事前に送られてきた資料を読み込んだり、座談会の展開をイメージトレーニングして想定問答を考えたりと、いろいろと準備をしようと思ったのだが、金曜日は夜遅くに出張から戻り、昨日の土曜日はまる一日、5歳の娘の子守をして、さらに今日の午前中は、娘が「公園に行きたい」と言ってきかないので、公園に連れていったりと、結局何も準備できなかった。

仕方ない、ぶっつけ本番でのぞむかと、午後、都内に移動して、威圧するような出版社の建物を前にしてさらにプレッシャーを感じながら、建物の中に入る。

幸いだったのは、執筆者はいずれも以前からの知り合いで、僕が苦手とする人は一人もいなかった。こっちが多少ヘンなことを言ってもうまく拾ってくれるだろう。

座談会が始まってほどなくすると、

(ははあ~ん、さてはみんな準備してきていないな)

というのがわかり、少し安堵した。もちろん、あらかじめメモを作ってきている人もいなかった。ほかの執筆者たちも「出たとこ勝負」でのぞんでいたようだ。

座談会は2時間ほどで終わったが、僕が編集者だったら、

(うーむ、この数々のカオスな発言を、どのようにして自然な感じの座談会にまとめていけばよいだろうか)

と頭を悩ませるに違いない。そうとうたいへんだぞ。

しかし、そんな心配も杞憂に終わるだろう。なぜならそんなことは百も承知の、百戦錬磨の編集者たちだからだ。あとは、その「ビフォーアフター」とも言うべき編集の妙を楽しみにしていさえすればいいのだ。

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謎のこぶぎさん

10月26日(木)

午後、職場でおこなわれた重要な会議が終わった後、この日のうちに関西の町に着かなければならないので、急いで職場を出る。これから長い移動である。

「ジャズミュージシャンのような名前の韓国書籍専門店で、僕が大ファンの翻訳家がトークイベントをする」という噂を聞きつけた。日時を確かめると10月26日(木)の19時~20時とあった。この時間、僕は西に向かう新幹線に乗っているだろう。どうせ新幹線に乗っている間はヒマなんだしと思って、この配信イベントを申し込んだ。

予定どおり、この時間は新幹線の中だったので、僕はメールで送られてきた「視聴する」のボタンをクリックすると、Zoomの画面が立ち上がった。てっきり、ツイキャスとかVimeoとか、そういうもので観るのかなと思っていたのだが、まさかのZoomである。しかも「ウェビナー」とかではなく、普通に会議をするときのZoomなので、参加者のハンドルネームや実名が出てくる。30名くらいだろうか。僕はうっかり実名を出してしまった。しかし上には上がいるもので、なかにはビデオをオンにして、顔までバッチリと映っているつわものがいる。これじゃあふつうの会議じゃないか。

どんな人がこの配信を聴いているんだろうと参加者名を見てみると、

「こぶぎ」

という名前の参加者を見つけた。

えええぇぇぇっ!!!こぶぎさん!!!

こぶぎさんといえば、このブログに、ブログの本編よりも面白いコメントを寄せる、常連のコメント職人さんではないか!

僕は震えた。こんな偶然って、ある???

ずっと前にいちど、前の勤務地の映画館で、何かのドキュメンタリー映画を観に行ったときに、たまたま同じ回にこぶぎさんも見に来ていて、結局そのときの観客が僕とこぶぎさんの二人だけだったということがあった。あれは何の映画だったかなあ。そのことを思い出した。

「これってスピってますよね?」

「スピってます」

しかし、今回はビデオ画面がオフになっていて、本人がどうか確かめられない。

にもかかわらずこの人を「うちのこぶぎさん」と確信したのは、こぶぎさんが韓国通だからである。おもにK-POP方面が専門だが、韓国文学にもハマってるんじゃね?そうに違いない!!!

僕はすっかり確信して、「ひょっとしたらこぶぎさんは、ぼくの存在に気づいていないんじゃないだろうか?ここはひとつ、チャットで呼びかけてみよう」と、こぶぎさん個人宛に、ズームのチャット機能を使って呼びかけてみた。

「あのこぶぎさんですか?!」

もし本人だったら、これだけでわかるはずだ。

なかなか返事は来なかったが、しばらくして返事が来た。

「すみません。私は鬼瓦さんのことを存じ上げません。「あのこぶぎ」は別の人ではないでしょうか」

ガーン!!!

なんと、人違いだった!!!

でも、Zoomの名前のところに「こぶぎ」とあったら、だれだって「あのこぶぎさん」と思うよねえ、というか、俺だけか?

僕は顔から火が出る思いがした。だってこっちは実名を名のっているんだもの。

「大変失礼いたしました」

とすぐに返事を書いた。するとほどなくして、

「いえ、どうかお気になさらないでください」

と返事が来て、トラブルにならなくてよかったと安堵した。

考えてみれば「こぶぎ」は韓国語なのだ。韓国文学マニアの人が「こぶぎ」を名のっても不思議ではない。

僕は学んだ。「こぶぎ」と名のる人はこの国に二人いる、と。

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ありがとう「国際会議」

10月24日(火)

ある業界の一線で活躍されていた、年配の業界人の方が、

「韓国ソウルで○○に関する初の国際会議が開催され、日本の発表者として招聘されました」

とSNSに投稿したところ、

「素晴らしい!韓国でも普通に日本人が発表できる時代になったんですね」

とか、

「凄いことですね!我が国と隣国が交流できるんですね。平和の大切さを感じました」

というコメントが寄せられていて、いつの時代の話だよ!と思わず笑ってしまった。

一定の年齢層の方々にとっては、そういう感覚なのだろう。

そんなこと言ったら、俺なんか、この20年間で何十回も韓国側主催の「国際会議」と銘打った集まりで喋っているぞ!今年度だけでも2回呼ばれているのだ。

…と、ここで思い出した。来月11月10日(金)に、韓国側主催の「国際会議」にオンライン参加してプレゼンテーションをすることになっていた。

一昨日に某国側が主催した国際会議に気をとられて、すっかり忘れていた。

というか、先月末くらいまで、いろいろな原稿がたまっていたせいもあり、かなり無理をしていくつかの原稿を提出した。その中には先日の某国側主催の国際会議の原稿ももちろん含まれている。それらを提出したら、一気に気が抜けてしまい、今月は原稿が進まない。

11月10日(金)の韓国側主催の国際会議は、先日の某国側主催の国際会議とはまったく異なるテーマなので、一からまたプレゼン資料を作らなければならない。

チマチマと少しずつ作ってはいたのだが、はて、締切はいつだったろう?と、あらためて依頼のメールを確認したら、

「韓国語に翻訳する都合上、10月20日までに提出してください」

とあり、青ざめた。いまは10月23日である。昨日の某国側主催の国際会議が終わってほっとしたのもつかの間、また原稿を提出しなければならない。まずは遅れていることをお詫びしようと、先方にメールを書いた。

「原稿が遅れて申し訳ありません。今週中には提出します」

すると、

「ご丁寧に知らせてくれてありがとうございます」

と返信が来た。

で、昨日今日でなんとか形を整えて、プレゼン資料一式(Word原稿、PPTファイル)をメールで先方に提出した。相手が受け取ったかどうかはまだわからない。

…と、いったん落ち着いてみて気づいた。

11月10日の国際会議のテーマって、そもそも何だっけ?

先方からは、「先生が担当されたこの前のイベントに関わるお話でもいいですし、そのほかのお話でもいいですし、内容は何でもよいです」

とだけ言われていたのだ。

何を話してもよい、という国際会議って、どういうことだ?

先方は、僕が3月~5月にかけておこなったイベントを韓国からわざわざご覧にいらして、感動したので僕に声をかけたのだと思ったので、ひとまず、この前のイベントのことを中心に話すことにしたが、それでよいのだろうか?

そもそも、国際会議のテーマもわからないし、その国際会議には何人の人が、あるいは何カ国の人が、どんな内容のプレゼンテーションをするのかもわからないし、何日間にわたっておこなわれるのかもわからない。とにかく何にもわからないのだ。

先日の某国側主催の国際会議とまったく同じ状況である。ひとつだけわかっているのは、11月10日の16:00~16:30が、僕の与えられた時間、ということだけである。

まるでお笑い芸人の営業みたいなものである。場所と時間だけ知らされて、「そこで30分の時間がありますから、何か面白いことをしてください」と言われているようなものだ。ほかにどんな芸人が出るのか、その芸人が何をやるのかもわからない。

もうね、こういう依頼のされ方には、すっかり慣れてしまった。こうした依頼に唯々諾々と従ってしまう自分には笑ってしまう。僕のいまの芸風はこういう不可解な「営業依頼」によって培われたものであるといっても過言ではない。ありがとう「国際会議」。

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5歳放浪記

風という名のCafe

10月22日(日)

僕が午前中からお昼にかけて国際会議にZoom参加しているあいだ、妻と5歳の娘は外出して時間を潰し、近所にある「風」というCafeで昼ご飯を食べていたようだった。

以前にも書いたが、「風」は住宅街にあり、ふつうの住宅を改装してCafeにしている。メニューには、沖縄関係のおそばがメインで、和歌山の茶粥などもある、不思議な取り合わせである。

5歳の娘は、日頃から疑問に思っていることを、実直そうな白髪の店主に聞いてみたんだという。

「このお店の名前は、なぜ『風』なのですか?」

いい質問だ。この探究心が素晴らしい。

「で、答えは何だったの?」

「えーっと、えーっと、…忘れちゃった」

忘れたのかよ!

そのときのやりとりを聞いていた妻から、だいたいの話を教えてもらった。以下、不正確だが、次のような話であった。

その実直そうな白髪の店主が、Cafeをはじめようと準備をしていたが、店名をどうしようか、決めあぐねていた。

そんな折、沖縄に旅行して、山あいにある小さな藍染め工房を訪ねたら、その名前が「風」だった。

これだ!と店主はひらめき、店名を「風」に決めた。

そればかりではなく、お店の看板になるような大きな幕を、その藍染め工房に頼んで作ってもらった。

…そういえば、お店の外側に「風」と書いた大きな幕が張ってあり、しかも幕の一部が藍色に染められていたことを思い出した。

しかしその藍染め工房のご主人は、3~4年ほど前に亡くなってしまった。工房はどうなるのかと思っていたところ、別の人がその工房を買いとって、いまも藍染め工房とCafeを続けているのだという。あるとき、その工房を買いとった人が(たまたまなのか?)お店にやってきたそうで、縁とはほんとうに不思議なものだ、とその実直そうな白髪の店主は感慨深く語ったという。

なんとも深~い話で、5歳の娘が「忘れちゃった」というのも無理はない。

さて、お昼過ぎまで続いた国際会議が終わり、ソファーで深い眠りについていたら、午後3時頃、5歳の娘にたたき起こされた。

「太鼓の音が聞こえるよ」

「聞こえないけど」

「聞こえるよ。どこかでお祭りをやっているはずだから、連れていってよ」

こうなるともう、お祭りに行かないと気が済まないのが娘の性分である。

太鼓の音なんてどこからも聞こえてこないのだが、スマホで、この近所でお祭りらしきものをやっていないか、検索してみる。

すると、バスで15分ほどのところにある駅の南口側で、露店のようなものをいくつか出しているらしい、ということがわかった。駅の南口を出ると、南北にまっすぐ伸びる道路があり、ちょっとした商店街みたいな感じになっている。そこに、露店がいくつか出ているというのだ。秋祭り、というわけではなく、毎月1回、日曜日におこなわれる定期的な行事らしい。この町に住んで5年くらいになるが、初めて知った。

娘を連れてバスに乗り、駅の繁華街に向かう。バスを降りると、たしかに露店が点在している。僕は「露店が軒を連ねる」というイメージだったのだが、ポツリポツリとある程度である。

なんだかなあ、と思っていたが、「紙芝居」と看板があるブースに目がとまった。

当然、子どもたちが集まっている。さっそくのぞいてみると、

「どうぞお入りください」

とうながされた。いままさに紙芝居が始まったタイミングで、娘は座るやいなや、食い入るように紙芝居の方を見つめた。

「実は私たち、こういうことをやっています」

と、ある若者から手渡されたチラシを見ると、「演劇集団○」と書かれていた。

「『演劇集団○』って、たしかこのすぐ近くに稽古場がある劇団ですよね」

「そうです。よくご存じですね」

「ええ、以前このあたりを歩いたときに見つけたのです。演劇集団○って、たしかトヨエツが在籍していませんでしたか?」

僕はわずかな記憶を頼りにその質問をしたが、その若者はそこには触れず、いまも在籍している別の俳優の名前をあげた。

「その俳優さんなら、僕も大ファンですよ」

これは別にリップサービスではなく、ほんとうである。地元にこんな演劇集団があるとわかると、とたんに応援したくなるのが僕の性分である。

(後で調べたら、トヨエツも若い頃この劇団の研究生として所属していたというから、僕の記憶もあながち間違ってはいなかった)

ふと、紙芝居を観ている娘の方を見ると、食い入るように前を見つめている。

紙芝居は、使い古されたもののようで、『なしとりきょうだい』と『雪の女王』だった。娘はこの2つの紙芝居をかぶりつきで観ていた。なんということのないような話に思えたが、おそらく劇団員であろうお二人が、ホンイキで紙芝居を読んでいるので、声もよく通り、抑揚もあり、娘はすっかり虜になっていた。

2つの紙芝居が終わり、休憩時間に入ったので次の露店に向かったのだが、

「紙芝居、面白かった?」

と聞くと、

「面白かった。『なしとりきょうだい』は保育園でも読んだけど、保育園の先生より面白かった」

そりゃあそうだ。劇団員がホンイキで読んでいるんだもの。なんとも贅沢な紙芝居である。

僕はこの日、Zoom参加の国際会議と駅前通りの露店散歩で、すっかり疲れてしまった。でもいちばん疲れたのは、一日中歩いた娘のほうだろう。

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細かすぎて伝わらない国際会議

10月22日(日)

某国の国際会議・2日目

この国際会議は、昨日の午前に開幕式がおこなわれ、昨日の午後と、今日の午前が分科会、そして、お昼前に30分ほどの閉幕式がおこなわれる、というスケジュールである。

分科会では、一人あたり40分(通訳含む)の時間が与えられてプレゼンテーションをおこなう。スケジュール表を見て驚いたのだが、予定がびっちりと詰まっていて、プレゼンが40分を少しでも超えようものなら、その後の予定にかなりの影響を及ぼすことになる。分科会は3つに分かれているので、3つの分科会は、足並みを揃えなければいけないのだ。

昨日午後の分科会では、たった一人でZoom参加した僕が、各人のプレゼンの内容をまったく理解できないまま終わってしまった、ということはすでに書いた。Zoomの音声がまったく不調だったのと、パワポによるプレゼンにもかかわらず、パワポの画面がまったく共有されなかったこと、さらには現地参加の人たちに配られているはずの会議資料が送られてきていないことの3つが大きな原因である。

僕はこのことを、日本側窓口の人にメールでお伝えした。はらわたは煮えくり返っていたが、そんなことはおくびにも出さず、自分の受けた仕打ちを淡々と説明した。

すると今朝早く、その人はようやく僕のメールに気がついたようで、慌てて会議資料をようやく送ってくれた。僕に送ることを失念していたらしい。Zoomについても「改善します」とメッセージがきた。

もう一つ、そのメールには驚くべきことが書かれていた。昨日、5人がプレゼンをするはずが、4人までのプレゼンが終わったところで予定の時間が来てしまい、最後の一人がプレゼンする時間がなくなってしまったので、その人のプレゼンを翌日の朝、つまり今日の朝にまわすことにしたという。

おいおい、今日の午前中は、4人分プレゼンをする時間しか確保していないんだぜ。そこに新たに一人加わるということは、40分余分に時間がかかるということである。おわりの時間が決まっているのだから、どうがんばったって、4人分の時間に5人のプレゼンを押し込めるのには無理がありすぎる。

メールには、

「そういうことになりましたので、日本時間で9時20分開始の予定でしたが、少し前倒しして9時開始に変更することになりました」

とあった。

おいおい!一人あたりのプレゼンの時間が40分なのだから、40分前倒しにするというのならわかるけれども、20分しか前倒しにしないとはどういうことだ?

時間の計算ができないのか、見通しが甘いのかの、どっちかしか考えられない。僕は他人事ながら心配になった。

さて、分科会開始時刻の15分前、すなわち8時45分に、日本側の窓口の方から連絡が来た。

「Zoomの準備が整いましたので、ご入室ください」

「わかりました」

IDとパスワードを入力して入室すると、あいかわらず音声が不調である。

僕の発言はどうやら向こうに聞こえるようなのだが、会議室の音声はほとんど僕に届いていない。昨日とまったく同じではないか!

分科会の開始時間が迫り、会議室に人が集まり始めた。もう時間がない。僕は提案した。

「私のプレゼンの時間が来たら、パワポの画面共有をしながら、こちらから一方的に話しますので逐次通訳してください。ただ、僕は通訳の方の音声がまったく聞こえないので、どのタイミングで通訳が終わったのかがわかりません。通訳の方には、恐れ入りますが、通訳が終わったたびごとに、右手を挙げて終わったことを私に伝えてください」

その約束だけをして、僕は自分の出番を待った。

朝9時から分科会が始まった。

最初のプレゼンテーター、すなわち昨日の分科会の最後にプレゼンするはずだったはずの人の話が長い。40分という約束のはずが、50分近くもかかって終わった。

(初っ端からこれかよ…)

2人目は、ほぼ与えられた時間いっぱいを使った。

賢明な読者は、おわかりになるだろうか。

2日目午前のそもそもの予定は、

9:20~10:00 1人目

10:00~10:40 2人目(すなわち僕)

10:40~10:50 休憩

10:50~11:30 3人目

11:30~12:10 4人目

12:30~13:00 閉幕式

だったのである。閉幕式が12:30開始というのは、絶対に動かせない。

ところが、現状はというと、

9:00~9:50 1人目(つまり昨日の5人目)

9:50~10:30 2人目(つまり本日の1人目)

となり、すでに予定より30分オーバーしている。つまり僕は、当初の予定より30分押しでプレゼンを始めることになった。

さっそくパワポの画面を共有し、話し始めたのだが、パワポの画面を共有することで、会議室の映像が画面の隅に小さく追いやられてしまったことに気づいた。これでは、通訳者が右手を挙げる姿が見えないではないか!

もう僕はすべてを諦め、一方的に話し始めた。ある程度までいったところで、通訳者に通訳の時間を与える。といっても、僕には通訳者の音声は聞こえないので、僕は画面隅に映った会議室の映像を目をこらして、通訳者が右手を挙げたタイミングで次の説明に入らなければいけない。

(これは、…右手を挙げたのか?どうなんだ?)

右手を動かした動作を目をこらして確認してから、次の部分を日本語で説明し、またある程度のところで、通訳に渡す。通訳が終わると、通訳者は右手を挙げる。この繰り返しである。

ほとんど視力検査のような心持ちでノートパソコンの画面を見つめ、原稿を読み、パワポのスライドを動かす。なんというマルチタスクだ!

僕のプレゼンは、与えられた40分ほぼぴったりに終わった。うまくいったのか?いかなかったのか?全然わからない。

僕がプレゼンを終えたところで、画面の隅に小さく映っている会議室では、ひとりひとりが拍手をしている様子がおぼろげに見えたけれども、音声が届かないので、よくわからない。

なんという達成感のないプレゼンテーションだ!

さて、この時点で、時間は11時10分。このあと10分の休憩を挟んで、11時20分より、4人目(つまり今日の3人目)のプレゼンが始まった。これも与えられた40分を使い切った。

午後12時。もう明らかに、最後の5人目(つまり今日の4人目)のプレゼンテーションは無理である。

どうするのかな?と思って会議室の映像を見ていたら、なんと!5人目のプレゼンテーションは打ち切って、一同は席を立ち、閉幕式会場に向かった。

おいおい!5人目のプレゼンテーションはどうなったんだ?せっかく準備してきたのだろうに、中止なのか???5人目のプレゼンテーターの行く末だけが気がかりである。

しかしそんなことはもうどうでもよい。Zoomから退室した途端、強烈な眠気が襲ってきた。

とくに何も動いていないとはいえ、ノートパソコンの画面の前で気を張り続けていたからであろう。会議が終わったら、ドッと疲れてしまったのである。

ソファーに横たわって休んでいるうちに、そのまま眠ってしまったのであった。

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KOC雑感2023

KOC雑感

10月21日(土)

テレビをつけたら、「キングオブコント」をやっていた。

最初の1,2組あたりは見逃してしまった。どうやらこの最初の方の組が相当なインパクトがあったらしいのだが、僕の知らないグループだった。

この番組を家族で観ていると、いつも審査員の話題になる。

「(ロバート)秋山が審査員になるくらいだったら、女性の審査員を入れればいいのに」

「そうだね。たとえば?」

「大久保(佳代子)さんとか」

「なるほど、友近もいいよね。ヒコロヒーは?」

「ヒコロヒーはあまり好きじゃない」

「阿佐ヶ谷姉妹なんかもいいんじゃないか?」

「そうだねえ。優しい語り口で毒を吐きそうだね。『ちょっとよくある設定かしらねえ』『そうねえ』とか」

「(笑)」

「『右のかたがもっとはじけた方がよかったんじゃないかしら』『そうねえ』」

この場合、「そうねえ」と言っているのは、おそらくミホさんのほうなのだろう。

「いとうあさこなんてのはどう?」

「うん。でもいちばん最強なのは…」

「……」

「野沢直子がアメリカからオンラインで審査に参加することだよ」

僕は思わず膝を叩いた。そうだ、野沢直子がいた。でもそれだったら、清水ミチコもYOUもいるぞ。

ま、それもこれも、こちらの勝手な希望に過ぎないのだが、女性審査員を入れるべきだという主張は撤回しない。

ファイナリスト10組のうち、男女のペア、というのは蛙亭しかいない。あとは全員男性グループである。

僕は蛙亭のコントが結構面白いと思ったのだが、審査員は、僕が思っていたほど高い点数をつけたわけではなかった。女性が入ると、男性審査員の目が厳しくなるのか?と邪推をしてしまう。

そもそも、男性が優遇されるようにこの国の社会が設計されていることに問題があるのだと、お笑いの番組を前にして、ついそんなことも考える。

ファイナリストの10組目はラブレターズだった。決勝(最後の3組)に残ることを期待していたが、残念ながら敗退してしまったので、決勝戦を観る前にテレビから離れた。

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国際会議を聴きながら

10月21日(土)

今日から2日間、某国で国際会議である。

といっても、僕は現地参加をせず、Zoomによる参加である。僕の出番は明日なのだが、具体的な会議の流れについては何も聞いておらず、しかもZoomによる参加はどうやら僕だけということなので、機材に問題がないか、若干不安だったので、いま、明日の段取りを確認するために、初日の午後の会議に参加している。

決められた時間に入室したが、恐れていたとおり、音声が聞こえない。こちらの音声も向こうに聞こえていないようだ。

なんとか改善を試みたようだったが、断片的に聞こえる、というていどのまま、会議は見切り発車した。ま、Zoom参加者は僕だけだから、僕は切り捨てられたのだろう。

Zoomの画面を見て、驚いた。

Zoomの画面は、延々と会議室の中を映し出している。登壇者は、どうやらパワポを使って説明をしているようなのだが、そのパワポの画面は、こちらにまったく共有されていない。画面はひたすら、会議室の面々の表情を映し出すだけである。せめて、会議が始まったらカメラをスクリーンのほうに向けてもらいたかったのだが、僕一人のためにそんな手間はかけられない、ということなのだろう。

発表をしている登壇者の声はよく聞こえるのだが、通訳者のマイクはまったく聞こえない。通訳者の音声が聞こえないと、どんな内容を話しているのか、まったくわからない。

ふと会議室のテーブルの上を見ると、現地参加者には予稿集が配られている。そうだ、僕も以前、予稿集の原稿を苦労して書いて提出したのだった。しかし、いま僕の手元には予稿集もない。せめて、事前にPDFファイルで送ってもらいたかったのだが、それすらも手間を惜しんだようだ。予稿集があれば、少しは内容を理解する助けになるのだが、とにかく、無い無い尽くしなのである。

混乱しているのは、画面のこちら側にいる僕だけではないようだ。映し出された会議室の画面を見ると、会議室の中でも何か混乱している。発表者の発言がしばしば中断され、参加者(といっても10名程度だが)が、席を立ったり座ったりしたり、ホスト役が段取りを途中で説明しているような仕草が時折見受けられた、そんなもの、会議の前に打ち合わせしておけよ!と思うのだが、一事が万事、そんな感じなのである。

(…破綻している…)

僕は目の前に映し出される会議室の画面をボーッと見つめることしかできない。明日は大丈夫なのだろうか?

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再会巡礼

10月19日(木)

最速の新幹線で1時間半ほどかかる北の中核都市に向かう。

午後から用務があるのだが、朝早く出たのは、そこからさらに在来線で20分くらいの町の施設でおこなわれるイベントを見に行くためである。

その町は、先月もある調査を依頼されて訪れたのであるが、今回は、自分が少しだけ手伝ったイベントの会期中ということで、あらためて訪れることにしたのである。

数日前にそのことをふと思い立ち、この日の午前に1時間ほどうかがいますとメールを送ったところ、受付に着いたらご連絡ください、ということであった。

午前中のうちにその町に到着し、イベント会場に入ると、

「鬼瓦さんですか?ただいま担当の者をお呼びします」

受付の方にはすでに僕が来ることを伝えていたようだった。

イベントを担当されたお二人が事務室からイベント会場に降りてきて、1時間ほど説明を聞きながら会場をまわった。Tさんとは1カ月ぶりの再会だが、Yさんとは初対面だった。お忙しいだろうに、つきっきりで説明していただいたことに感謝した。

あっという間に1時間が経ち、中核都市に戻り、午後の用務先に向かう。午後の用務先では、9年ぶりくらいにAさんに再会する。

用務が意外と早く終わったので、同じ市内の別の施設に行くことを考えた。今まで行ったことがないところだが、用務が思いのほか早く終わった今日を逃すと、一生行けないのではないかと思い、行くことにしたのである。たしかその施設では、「前の前の職場」と「前の職場」の両方で教えた卒業生のSさんがいまも働いていたはずである。会えるとすればやはり10年ぶりくらいだろうか。

用務が終わったあと、久しぶりにAさんと立ち話をした。

「このあと、地下鉄に乗って○○という施設に行こうと思うんですよ」

と雑談のついでに言ったら、

「帰り道なんで車で送りますよ」

と言ってくれたので、お言葉に甘えて車に乗せてもらうことにした。

車中の時間は、お互いの9年分の出来事を話すには短すぎた。おそらくいろいろなことがあったのだろうけれど、それでもまあ、なんとかやってるんだなということだけはわかった。あいかわらずの調子だった(というふうに見えた)ので安心した。

施設の前で降ろしてもらい、本日3つめの建物に入る。受付で、「Sさんという方はいますか?」と尋ねたら、事務室に連絡を取ってくれて、「今すぐこちらに向かうそうです」と、言ったか言わないかのタイミングで、Sさんが駆け込んできた。

「先生、お久しぶりです!」

「突然ごめんなさい。まだここに来たことがなくってね。今日はたまたま用務が早めに終わったので、ふと思い立って来ました」

「私が出勤している日でよかったです!」

Sさんはさっそく施設内の説明をしてくれた。よどみなく説明しているのは、ふだんからいろいろな人に説明をしているからだろう。実にわかりやすい説明だった。

ちょうど仕事に行き詰まっていた時だったらしく、そのタイミングで僕が来たものだから気持ちを立て直すことができた、と言っていた。

ここでも滞在時間は1時間で、慌ただしくお別れした。

そのあとSさんから来たメールに、

「久しぶりに先生にお会いできて、とても嬉しかったです。ちょっと本気で仕事に行き詰っていたタイミングだったので、とても元気になりました」

と書いてあった。

みんな、何かを抱えて生きている。それでも、なんとかやっている。かつてと変わらない調子の会話を通して、見出したことである。

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ほんとにオーディオブックになっちゃった!

以前僕が書いた本が、オーディオブックになった。

かつての担当編集者から、「先生の本をオーディオブックにしたいと考えております」とメールをもらったのは昨年(2022年)9月のことだった。その本は内容に自信があったものの、まったく売れなかったので、あまりよい思い出はないのだが、この期に及んでオーディオブックにするというのは、どういうつもりなのか、よくわからなかった。

それに、僕の書いた本の内容は、およそオーディオブック向きではない。音声だけでは伝わらないところが多いのではないかと不審に思ったのである。

気になって調べてみると、その出版社は「すべての人に本を」というキャッチフレーズで「音声Project」を始動し、なんと2年で1000作品をオーディオブックとして制作し、配信するという目標を立てたようなのである。

つまり、僕の本は少しでもその目標数に近づくための1冊に入れてもらったと、こういうわけである。その試み自体は大賛成なので、僕にはまったく異論がなかった。

直ちに承諾したが、それから半年ほど経った今年(2023年)の3月初頭に担当編集者からメールが来て、読み方のわからないところをチェックしてほしいと、エクセルに入力されたチェックリスト一覧が送られてきた。僕はちょうどそのとき、職場のイベントの準備が忙しく、まさに開幕数日前という状況だったので、とてもその件に関わっている時間はなかった。しかも締切は1週間後というではないか。しかし放っておく訳にはいかないし、誤った読み方のまま配信されてしまっては沽券に関わるので、チェックリストに載っている言葉の一つ一つについての対応策についてエクセルに記入し、返信した。これが判断に迷うところも意外に多くて、それなりに面倒な作業だった。

で、それから半年ほど経った9月末くらいに、どうやらオーディオブックとして配信されたらしい、ということを、たまたま何かのSNSで知った、というか、担当編集者は配信したことを教えてくれないのかよ!

著者である僕に、その音源をくれるなんてことはないのかな?と少し待ってみたが、そんな様子もない。つまり、自分の本のオーディオブックを聴きたい場合は、AmazonAudibleに登録しろということらしいのである。その代わり、登録している人はタダで読めるのだと。

で、待っていてもいっこうに音源が提供されないから、AmazonAudibleに登録することにした。実は愛聴している文化放送「SAYONARAシティボーイズ Part2」も、AmazonAudibleが提供している番組なので、登録すればついでにシティボーイズのラジオもAmazonAudibleで聴くことができる、というか、そっちの方が主たる目的である。

自分の書いた文章を音声で聴くというのは、ひどく恥ずかしい行為だが、意を決して、「どんな感じになっているんだろう?」と聴いてみることにした。

そしたらあーた、全部聴き終わるまで8時間もかかるというじゃあ~りませんか!そんなに内容の長い本を書いた覚えはないのに、あんな本でも8時間かかるんだな。

で、聴き始めると、これが自慢じゃないが、めっぽうわかりやすい!俺ってこんな文章書いていたっけ?と新鮮な気持ちで聴いてしまった。

ただ、あいかわらず僕の文章はクドい。わかりにくい内容を一つ一つ解きほぐすものだから、どうしてもクドくなってしまうのである。

それに、チェックリストに載っていなかった箇所で、漢字の読み間違いがけっこうあったりして、「全文にわたってチェックしたかったなあ」と悔やまれた。なかなかマニアックな言葉が多かったので仕方がないのだが。

エピソードの1つめを聴いただけで疲れてしまった。このあと、どんだけ続くんだろうと思うと先はまだ長いが、最後まで聴かなければならない。

しかし聴いていて思ったのは、俺の文章って、実はオーディオブック向きじゃね?ということだった。ま、これは完全に自慢なのだが、これからはどんな文章も、オーディオブックになることを意識して書くようにしよう。

なんてったって、「SAYONARAシティボーイズ Part2」と一緒に、AmazonAudibleで聴くことができるんだからね。それがいちばんの自慢だ。

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出張生前葬

10月13日(金)

新幹線で4時間かかる北の町に出張する。明日はこの町で講演会なのだ。

企画したのは、僕がもう27年ほど、つまり人生の半分をお世話になっている事務所で、その事務所が開設して50年を迎えることを記念して大規模なイベントを開くことになり、その関連イベントとして僕を呼んでいただいたのである。

「前日にいらっしゃいますよね」

「ええ。前泊します」

「前日の夕方に夕食会を開きたいと思います」

「そうですか」

「この夕食会には歴代の担当者が参加します」

なんと、僕がこれまでにお世話になった歴代の担当者がお見えになるというのである。これは大事(おおごと)だ。

夕方、ホテルにチェックインし、ホテルから歩いて10分ほどのところにある夕食会場に向かうと、30代の頃から一緒に仕事をしてきた歴代の担当者が勢揃いしていて、それはそれは感激的な空間だった。たとえていえば、「ウルトラ兄弟勢揃い」といったようなものだ。

ひとり、Yさんは他の重要な懇親会とバッティングしていたので欠席だったが、途中、その懇親会を抜け出してわざわざ顔を出してくれて、それもまた感激的な出来事だった。

ふだん座持ちの悪い僕も、同窓会のような和やかな雰囲気のなかで、いろいろなお話をすることができた。夕食会は、2時間半に及んだ。

生前葬だな。

これは僕の生前葬なのだ。僕がこの先どのくらい生きるのかはわからないけれど、僕の個人史のなかでも重要な意味を持つ方々がこうして一堂に会するなどということは、夢のようでもあり、この先、このような機会があるかどうか、わからない。

これからは、こうした出張を通じて、今まで各地でお世話になった人たちに恩を返していきたいという思いを強くした。

10月14日(土)

午前9時、ホテルを出発して、イベント主催者の一人、Sさんの車で講演会場に向かう。

講演会は13時半からなのだが、午前中に、同時開催中のイベントを見る予定になっていた。

会場に着くと、歴代担当者のひとり、Yさんがいた。たしかYさんは、娘さんの大事な行事があり、講演会を欠席すると言っていたはずだった。

「午前中だけでもと、準備のお手伝いに来ました」

最初に今回の講演会に声をかけてくれたのがYさんだったので、義理堅く来てくれたのだろう。ありがたい。Yさん、そしてSさんの案内で同時開催中のイベントを見て回ったのは充実した時間だった。

熱量の高いイベントをひとしきり見たあと、Sさんの車で昼食場所に向かう。Sさんとは今回がほとんど初対面だったが、車中の会話は楽しくて途切れることがなかった。

昼食が終わり、控え室に戻ると、歴代担当者のひとり、Tさんが来て、さまざま雑談をする。

その間にも、前の前の職場の教え子だった旧姓Fさんがお子さん2人を連れてやってきた。

「今日の講演会、聞きたかったんですけれど、息子二人がいるので…」

小学校3年生と1年生のお子さんが恥ずかしそうにしていた。

「わざわざ来てくれてありがとう」

「Sさんは、今日はお仕事なので、来られないといってました」

Sさんというのは、前の職場で一緒に仕事をしたSさんである。

FさんとSさんは、今同じ職場で仕事をしている。この数奇な縁については、以前に書いたことがある

「Sさん来られないのか…。残念」

ではまた、と、Fさんはお子さん二人を連れて控え室を出た。それからほどなくして、

「おひさしぶりです」

と今度はSさんが控え室に入ってきた。

「あれ?今日、仕事だったんじゃないの?」

「休んじゃいました」

なんと!不意な再会で、僕はびっくりした。

「私、先生にずっと借りっぱなしになっていたCDがあるんです」

「(6代目)円楽のCDでしょう?いま思い出しました」

「いつか返さないとって。持ってくればよかった」

「そんなのいいですよ」

僕は不意に思い出した自分に吹き出してしまった。

そしていよいよ講演会。ここから90分ノンストップである。

90分話し続けるのは、体力が要る。しかも歴代の担当者や、知り合いが聴いているので、なかなかの緊張感である。僕は自分の衰えを感じた。出来がよくないことにも落ち込んだ。それでも90分、なんとか無事に終えることができた。

講演会が終わったあとも、また別の知り合いと仕事の話をしたりして、あっという間に帰る時間となった。

さまざまな人と再会した密度の濃い2日間。2日目もまた、僕にとっての生前葬となった。

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福田村事件

10月12日(木)

朝8時、5歳の娘を保育園に登園させたあと、その足で映画『福田村事件』(監督:森達也)を観に行く。

きっかけは、前日に高校時代のすぐ下の後輩が、SNSでこの映画を観に行ったことを発信していたことによる。そういえば、この映画を観に行きたいと思いつつ、全然時間がなくて観るのを諦めていた。しかし観に行くようにと、高校の後輩が背中を押してくれた。

観るとしたら今日の午前中しかない、と思い、急遽上映館を探したところ、うちの近所の映画館で朝一番で上映があり、娘を保育園に送り届けたあとのタイミングでバスに乗れば、十分に間に合うことがわかった。やるべき仕事は多かったが、それを措いて観に行くことにしたのである。

映画『A』の頃から、森達也監督のドキュメンタリー映画や著作をそれなりに見守ってきた僕にとっては、ぜひ観るべき映画であった。しかし、ドキュメンタリー映画を撮り続けてきた森監督が、劇映画に進出することに、若干の躊躇があったこともまた本心である。

森達也監督については、以前に少しだけ書いたことがある

実際に『福田村事件』を観てみると、まことに失礼な言い方だが、ちゃんと「劇映画」していた。脚本の熱量と、出演俳優陣の熱演によるところが大きいが、それを劇映画としてまとめ上げた森監督の手腕は、いくら評価しても評価しすぎることはない。

映画じたいは辛い内容で、一見救いのないのない結末のように思えたが、最後の最後は、かすかな希望をいだかせるカットで終わった。やはり森達也さんは、この世界に絶望していないのだ。『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』という森さんの著書タイトルを思い起こさせる。

思い起こさせる、といえば、森監督がメジャーになるきっかけとなったドキュメンタリー映画『A』との関係である。「空気が支配する世の中」「集団の狂気姓」といった問題意識から見たら、『A』と『福田村事件』は地続きである。

映画を観てから、各種メディアで森監督が発言していることを確認してみたら、ドキュメンタリー映画と劇映画との垣根はそれほど感じなかった、といったようなことを言っていて、そのとおりだなと思った。

映画作家の大林宣彦監督は、

「映画は、虚構で仕掛けてドキュメンタリーで撮る」

「映画は、風化しないジャーナリズム」

という言葉を残している。

この映画は、まさにその言葉のとおりの映画ではないか。これは、僕の独りよがりの感想である。

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想像力の起点

10月11日(水) 後半

検査の結果は、なかなか思わしくなく、さすがの僕も落ち込んだのだが、そんなときに気持ちを救ってくれるのは、やはり運転中に聴くラジオ番組である。

10月9日(月)放送分のTBSラジオ「荻上チキ Session」の7時台を、radikoのタイムフリーで聴く。

TBSラジオはこの10月から大幅な改編がおこなわれ、「荻上チキ Session」は6時から9時の3時間放送となった。

10月9日(月)は、メインパーソナリティの荻上チキ氏が取材のためお休みで、代打のパーソナリティは武田砂鉄氏である。

7時台の「フロントラインSession」は、日替わりコメンテーターが気になるトピックを取りあげて話す、というコーナーである。

このときの日替わりコメンテーターは、ラッパーのダース・レイダー氏。

とりあげるトピックは、「イスラエルとパレスチナの戦いの歴史を、自分史をまじえて話をする」というものだった。

10歳のときまでロンドンに住んでいたダース・レイダー氏は、その地区に多く住んでいたユダヤ人の子どもたちと仲良くなる。そこにはアラブ人の家族も住んでいて、ほどなくしてアラブ人の子どもとも友だちになる。みんな国籍とか民族とかに関係なく遊んでいた。

ところがあるとき、ユダヤ人の子どもとアラブ人の子どもが激しいケンカを始める。ダース・レイダー少年には、二人がなぜケンカを始めたのかわからない。そのうちアラブ人の子どもは遊びに参加しなくなり、やがて家族ともども引っ越してしまった。

どういうことなんだろう?ほどなくしてダース・レイダー少年は知ることになる。イスラエルとパレスチナの戦争のことを。

それ以来、その戦争が起こるたびに、ダース・レイダー氏は、あのときのユダヤ人の友だちとアラブ人の友だちの顔を思い出す、という。

戦争を知るって、どういうことだろう?

情勢分析をしたり犠牲者の数を把握したりして知識を増やすことが、戦争を知ることになるのだろうか?

ダース・レイダー氏の場合、あのころの友だちの顔を思い出すことが、「戦争への想像力」の起点となった。

世論の空気になんとなくなびかされそうになったときに、そうした自分なりの想像力の起点、というか、トリガーというものを持っておくことが大事なのではないか。

…という話を聞いて、前に読んだ『あのころはフリードリヒがいた』をなんとなく思い出した。

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夜が来たぞー!

10月11日(水)

朝8時、5歳の娘を保育園に送ったあと、検査と診察と治療のために車で1時間ほどかかる総合病院に行く。今日はたいへんだ。なにしろ分刻みで複数の検査と診察と、定例の治療をおこなうことになっている。終了予定時刻は16時半。そこから車で急ぎ帰宅して、18時の保育園のお迎えに行かなければならない。時間との勝負である。

病院での診察結果にふさぎ込まないように、テンションを上げていかなければならない。例によって、運転中に聴くラジオ番組がその助けとなる。

往路は、10月7日(土)放送分の文化放送「シティボーイズファイナルPart.2 SAYONARAシティボーイズ」を聴く。

毎回、冒頭に3人によるラジオコントが繰り広げられるのだが、この回のコントは、シティボーイズの世界観がもっともよく現れていたもので、秀逸だった。

夕陽の綺麗な港町に、東京からひとりの男(大竹まこと)が訪れる。その男に話しかける地元の男(斉木しげる)は、旅の男を「ワケあり」の男とみて、旅の男に、「しばらくこの町でお過ごしなさい。そのためには仕事を見つけなければなりませんね」と提案する。

「あなたのお仕事は?」と旅の男が尋ねると、地元の男は「夜が来たことを知らせる仕事です」と答えた。

その答えに、旅の男はやや不気味な印象を持つ。

電話の相手にやたらと忙しいと連発している男(きたろう)がいる。

「あの人は、ずいぶんと忙しそうですね」

「あの人の電話はだれにもつながっていません。『電話で忙しいふりをする仕事』をしているのです」

旅の男はますます訝しむ。

やがて夕陽が沈む。すると男は突然、大きな声で何度も叫び、町中を駆け回る。

「夜が来たぞー!夜が来たぞー!よーるがきたぞー!!」

…斉木しげるさんのその叫びを聞いて、僕は吹き出してしまった。「夜が来たぞー!」という何の変哲もない台詞なのだが、それを斉木さんが叫ぶだけで、やたらと可笑しいのである。

このあとコントは少しばかり続くのであるが、そこは省略する。

コントが終わって一呼吸置くと、今度はコントをふり返る3人のトークが始まる。まるで童話のような(不思議な世界観の)コントだなあという総評のあと、大竹さんが斉木さんを大絶賛する。

「あの『夜が来たぞー!』という(狂気じみた)セリフは斉木さんにしかできない。だいたい、斉木さんの狂気は何に向かっているのかわからないよ。俺は対象がないと狂気って出せないんだけど。そこがすごい」

僕はこの大竹さんの言葉に、30年来のファンを自称していながらシティボーイズのコントの本質がようやくわかったような気がした。

そしてそれをおもしろがる3人。こりゃあそんじょそこらの信頼関係ではないぞ。年を重ねても、そういう信頼関係が揺らがない3人を、うらやましく思う。

帰路で聴いたラジオについても書こうと思ったが、それはまた別の話。

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マスクとエスカレーター

10月9日(月)

先週末から、すこぶる体調が悪い。

喉の痛みから始まり、咳と鼻水が止まらないのだが、熱はない。しかしひどい倦怠感に襲われる。

原因は、と思い起こすと、どう考えても、1週間ほど前に参加した、保育園の保護者有志たちによるバーベキューである。

あのとき、マスクをつけていたのはうちの家族だけで、あとは、だれひとり、マスクを着用していなかったのである。

それでいて、狭いスペースの中で、肉を焼き、アルコールをしたたか飲んで、大声で語り合っていた。いくら屋外とはいっても、2年前なら、イヤ、去年ですら、あり得なかったことではないだろうか。

今年の5月に新型コロナウィルスが「2類」から「5類」に引き下げられたことで、マスクをしなくても咎められなくなったことが大きい。しかし実態としては、コロナの感染者数はかなり増えていて、「第9派」といってもいい状況だと聞く。しかし具体的なデータが示されないので、よくわからない。

もうこの世の中では、「新型コロナウィルス」は「ないもの」となっているのだな、いま流行の言葉で言えば、新型コロナウイルスが感染しない世界線をわれわれは生きているのだ。

そういえば土曜日の会合も、参加者は僕以外一人もマスクをしていなかった。参加者、といっても7名くらいなのだが、徹頭徹尾、マスクをしていないことに違和感を抱いていない人たちをみると、僕はまるで異世界に迷い込んでしまった心持ちになる。

今日の午後は必要があって都内に出たのだが、電車に乗っている人を見ると、どうやらマスクをしていない人の割合が、している人の割合を上回ってきた印象がある。

もうひとつ、都内に出たついでに確かめたかったのは、エスカレーターである。

そもそも、エスカレーターの右側を空ける、という決まりは、いつから決まったものなのか?武田砂鉄さんは最近、意識してエスカレーターの右側に立つという社会運動をしているというので、僕も真似をしてみることにした。

冷静に考えると、エスカレーターの右側(大阪では左側)は空ける必要はない。1列に並ぶよりも2列に並んで乗った方が、はるかに効率がよいし、人がさばける。ところが実態はどうだ。東京の地下鉄なんかみてると、みんながかたくなに左列だけに並ぶので渋滞が起こり、その代わり右列にはだれも並んでいないため、かえって昇るのに時間がかかるという矛盾を生んでいる。

右側は急いでいる人のために空けるというルールは、もはや通用しない。エスカレーターを歩いて昇っては危険なのだ。それに、右側の手すりしか持つことができないという人もいるのだ。万人が左列に並ぶというのは、明らかにおかしい。

少し前に、東北地方の中核都市の地下鉄に乗ったときに、エスカレーターに乗るときは2列に乗って立ち止まってください、という内容のポスターが駅にやたらと貼られていた。で、その地下鉄の駅では、乗客がエスカレーターの右側を空けることなく、2列に並んでいる光景を幾度か目の当たりにした。地方都市ではすでに、エスカレーター2列運動が始まっているのかもしれない。

それにひきかえ都内ではどうだ。あいかわらずエスカレーターの左側は長蛇の列。右側に時折、乗り換えの電車に間に合わせるために全力疾走で駆け上っていく人がいる。しかも今日は雨だったので、その人はこうもり傘を小脇に抱え、その腕を前後に振りながら走っているのだから、ほとんど凶器である。

急いでいる人の舌打ちを背に受けながら、右側に並ぼう。

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これってスピってますか?

10月7日(土)

会合のため、都内某所に向かう。

僕はその会合のホスト役の一人なのだが、今日はその会合で、初対面の方に講演をお願いしていた。

僕よりもたぶん10歳くらい若いと思われる、その講師の話はとても面白く、1時間半があっという間に感じたほどだった。

その方の講演を聴いて、僕は頭の中に、昨年小さな映画館で観た1本のドキュメンタリー映画が浮かんだ。

その映画は、大規模な国際スポーツイベントのために取り壊されることになった古いアパートに住む人々の日常を描いた映画だった。

60年ほど前に立てられたそのアパートには、むかしから住み続けている住人が数多くいて、コミュニティーを形成していた。たった2週間しか開催されない大規模な国際スポーツイベントは、理不尽にもそのアパートを問答無用で取り壊し、そこに住む人たちのコミュニティーを破壊することに、何の躊躇もなかった。

長い間住み続け、高齢化したアパートの住人たちには、その理不尽な仕打ちに抵抗する術を持たなかった。

取り壊しが刻々と近づくなか、住民たちは、せめてこのアパートに住んだ思い出を共有しようと、このアパートのことを撮影した8㎜フィルムの上映会を計画する。アパートを引き払うために部屋を片付けていたときに出てきたものだという。

上映会には多くの住人が集まった。8㎜映写機から映し出される映像は、まぎれもなくむかしのアパートの様子であり、住人たちは、その映像から喚起される思い出を語り合った。

その講師の講演を聴いて、なぜかその映画の、その場面のことを思い出したのである。目の前の語りの内容と、僕の中の記憶が交錯したのだろうか。

それとも講師の方が「8㎜フィルムの映像」という言葉を口にしたのを聞いて、たんにその記憶が喚起されただけなのだろうか。

講演のあとの意見交換で、そのことを講師に言おうかと思ったが、あまりにぼんやりした話なので、話題に出すことはできなかった。しかし、モヤモヤする気持ちは残る。

会合が終わり、懇親会に場所を移す。懇親会はなるべくなら参加したくないのだが、ホスト役の一人なのでそういうわけにもいかず、参加することにした。

僕は意を決して、その初対面の講師にその映画のタイトルを出して、「とくに8㎜フィルムの上映会をしてみんなが思い出に浸っていた場面が印象に残っていたんですよ。それが今日のお話と重なるような気がして…」と、唐突に言ってみた。

するとその方の表情がみるみる変わり、

「その上映会、映写機をまわしていたのは僕ですよ!」

と言った。

「えっ?ということは、あの映画に出演されていたということですか?」

「そうです」

なんと!!!!!

こんな偶然ある???その人は有名人というわけではなく、僕もつい最近その人のことを知ったばかりなのだ。

懇親会の参加者は、その映画を観たことがないようで、ぽか~んとしていた。それほどに、知る人ぞ知るという映画だった。だから僕も、なかなかその映画のことを切り出せなかったのである。

しかし思い切ってその話題を出してよかった。講演の内容とその映画がつながったことで、僕の中で視界が一気に広がった気がした。

「これってスピってますか?」

「スピってます」

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経緯説明

先日、偉い人と偉い人がちょっとしてことで揉めはじめた。

僕からしてみたら、些細な行き違いに過ぎないと思うことだったのだが、一方の偉い人が、腹に据えたのか、事情を知る僕のところに、

「どないなってんねん」

と、経緯を説明しろというメールを送ってきた。

日曜の午前に仕事のメールなんて勘弁してくれよ!と思ったのだが、こういうときは事態を早く収拾しなければ、よけいにこじれることになる。

僕はメールをもらってすぐに、経緯を説明するメールを書き始めた。

こういうときは、足下をすくわれないように時間経過を含めてできるだけ具体的に書くのがよい。

経緯説明の中で、僕を含めた複数の登場人物が実名で登場するのだが、僕の見立てでは、今回の件に関してはだれも悪くない、だから、偉い人の怒りの矛先がだれにも向かないよう、経緯を注意深く書く必要がある。だれに責任を押しつけるわけでもない、という書き方が重要である。

当然僕も、何も悪くないのだが、かといって開き直るわけにも行かないので、あるていど自分の落ち度にも触れておく必要がある。しかし、落ち度を自覚していることを述べるていどで、謝ることはしない。

こぶしを振り上げそうにしている偉い人のプライドを傷つけないように書くのも、当然である。

しかも、全体が嘘くさくならないように、自然な文章を心がける。

こうしたことを考慮しながらメールを書き始めると、けっこう長い文章になってしまった。

しかし、全方位に配慮した、われながら奇跡の文章である(と自画自賛)。

そして翌日の月曜日、ふたりの偉い人は、和解した。

やれやれである。

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続・バレたらパニック!

10月4日(水)

バレたらパニック!

午前10時から30分だけ保育参観をすることになった。

といっても、同じ日に全員一斉に保護者が保育参観をするというわけではない。1週間くらいの期間のなかで、都合のよい日を保護者が選んで保育園に申し出る。保育園は、参加する保護者の数のバランスを見ながら、個々の保育参観の日程を決める、という段取りである。で、たまたま僕が空いている日がこの日だったので、日程が決まったのである。

前回は、バレないように扮装して行ったのだが、今回は、とくに何も言われていない。大手を振って保育参観ができるのかな?

約束の時間に保育園に行くと、僕の他に2人のママがいた。つまり3人による保育参観である。

担当の保育士さんがあらわれて、

「そのままだとバレてしまうので、変装してもらいます」

え?聞いてないよ!

保育士さんは事務室に戻り、保育園児が着るような、小さくてかわいい模様があるかっぽう着を持ってきた。

「上からこれを着てください」

着てくださいって、あーた、俺はこの体格だぜ。

2人のママはすんなりと着られたが、僕は、むりやりかっぽう着を着させられ、おまえに帽子もかぶらされた。

「これで大丈夫です」

大丈夫なのかよ!

いよいよ5歳児クラスに潜入である。

「絶対にバレないように、ベランダからご覧ください」

「ベランダ?」

「ええ、ふだんはガラス戸なので外の様子がまるわかりですけれど、今回の保護者参観のために、遮蔽板を用意しました」

ベランダに出てみると、ベランダの窓ガラスに雑な感じで段ボールが貼ってあり、そこにところどころ小窓を開けて、真っ青なセロファンシートを貼っている。

「この青いセロファンシートの小窓を覗いて、園児たちの様子をご覧ください」

覗いてみたら、当然ながら全体が真っ青である。

うーむ。これではよくわからないなあ。

ふと気がつくと、段ボールが雑な貼り方をしているので、ところどころ窓ガラスが露出している隙間がある。

「ここ、いいですよ」

真っ青なセロファンシートを貼った小窓よりも、段ボールの隙間の窓ガラスから部屋を覗いた方が、当然のことながらリアルである。

しかし一人、われわれの存在に気がついた園児がいた。ヒナノちゃんである!

ヒナノちゃんは、部屋を覗いている僕と何度も目が合い、半笑いしている。

バレたか!

しかししばらくはそのことをだれに言うでもなく、一人で楽しんでいるようである。

大丈夫大丈夫、ヒナノちゃんがお友だちに言ったらパニックになるだろうけれど、今のところ一人だけなのでバレてないバレてない。

…と、しばらくして、ヒナノちゃんは僕の娘のところに行き、

「パパが来てるよ」

と耳打ちしたようである。なんでわかったのだろう?こんなに変装しているのに!

マズい、バレる!

娘がチラチラと、ベランダの窓の方を見始めたので、そのたびに、サッと身を隠す。

僕が素早く身を隠したおかげで、なんとかパニックにならずに済んだ。

やれやれ、おかげで肌寒い日であるにもかかわらず、大汗をかいた。

30分の保育参観が終わり、借りた帽子とかっぽう着をお返しして、保育園を出た。

娘が帰ってきてから、種明かしをしたけどね。

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秋祭り

10月1日(日)

5歳の娘が自転車に乗れるようになったことは、以前に書いた。

そのことを知った保育園で同じクラスのHちゃん(以前「お泊まり会」をやったお友だち)が、一緒に自転車遊びをしようと提案したらしく、先方の家と調整した結果、10月1日(日)の午後に、近所にある遊歩道で自転車遊びをしましょう、ということになった。

その前日は運動会とバーベキューがあり、体力的にキツいな、と思いながらも、午後からだから大丈夫だろうと、その提案にしたがった。

折しも10月1日(日)は、近所の神社が秋祭りをするということで、どうせなら、秋祭りも一緒に見に行くことにしましょうということになった。

当日の朝、先方からメッセージが来た。

「この近辺は、午後から雨になると予報が出てますので、雨の降らない午前中に予定変更しましょう」

午後に雨が降るんじゃぁ、午前に予定変更するよりほかないな、と思い、それも承諾した。

ちなみにこの日、妻はオンライン会合があるのでそちらに専念しなければならない。ということで、僕が対応することになっていた。

「午前10時半に遊歩道に集合しましょう」

昨日の疲れで、午前中はゆっくりしたかったのだが、仕方がない。老体に鞭を打って、遊歩道に向かう。

うちの娘とHちゃんは、遊歩道の広いスペースのところを自転車でグルグルとまわって、興奮した様子で遊んでいた。

しばらくすると、こっちもいい加減飽きてきて、

「さ、もういいでしょう?自転車の練習は」

というと、

「練習じゃないよ、遊びだよ」

と娘が反論する。どっちでもいいじゃねえか、という気がするのだが、僕が「練習」というたびに「練習じゃないよ、遊びだよ」と、その都度訂正するのがやたら可笑しかった。

「こっちは遊びでやってんじゃねえんだよ!」

という啖呵はよく聞くが、「こっちは練習でやってんじゃねえんだよ!遊びでやってるんだ!」という理屈は、そこはかとなく可笑しい。

自転車乗りに飽きた二人は、

「公園に行きた~い」

と言いだした。

「え、このあと秋祭りに行くんだよ」

と言うと、

「秋祭りなんか行きたくな~い。公園に行きたい」

と言ってきかない。

仕方がないので近所の小さな公園に場所を移したのだが、そこでは延々と「プリキュアごっこ」が繰り広げられる。僕が保育園児の頃、「仮面ライダーごっこ」が大流行りしていたが、物語構成は基本的には今も昔も変わらない。

時間は午後12時をまわっているのだが、プリキュアごっこがいっこうに終わる気配がない。

そろそろ潮時かな?という時間を見計らって、

「そろそろお昼ご飯の時間だから、いったん解散しよう」

というと、二人揃って、

「解散やだー、一緒にお昼ご飯を食べたい」

と言いだした。

一緒にご飯を食べるといっても、こっちは全然準備していないし、困ったなあと思っていたら、先方のご厚意で、娘だけ先方の家でお昼ご飯をいただくことになった。

「じゃあ午後の集合時間が決まったら連絡ください」

とだけ言って、僕は自宅に戻って、妻がオンライン会合をしている横で昼食休憩をとった。

昼食が終わりソファーに座ると、10分間ほど気を失った。それから少し経って先方から、2時半に近所のスーパーのところに集合しましょう、と連絡があった。もはや動く気力はゼロである。

というか、雨の予報はどうなった?いっこうに雨が降らないではないか!

2時半に再集合した僕たちは、近くの小さな神社まで秋祭りを見に行った。

途中で、御神輿を担いでいるのも見られたし、神社では縁日っぽい遊びや、おみくじなど、一通りの秋祭り気分を満喫したのだが、秋祭りは4時で終了だったこともあり、神社は閑散としていて、一部片付けも始まっていた。

秋祭りの御神輿には、同じ5歳児クラスのお友だちのパパも担ぎ手になっていた。いかにも御神輿を担ぎそうな感じのパパである。

午後4時過ぎ、秋祭りも終わり、さあ帰ろうというときに、

「まだ一緒にいたい!」

と二人は駄々をこね始めたが、ここで妥協してしまうとたいへんなことになると思い、なんとか説得してお別れした。

しかし4時過ぎというのは中途半端な時間である。自宅ではまだ妻がオンライン会合をしているからである。オンライン会合をしている間は、外で遊ばせるという約束なのだ。

考えたあげく、娘を連れてカラオケに行くことにした。娘にとってみれば、願ったり叶ったりである。

そこで1時間半ほど娘に歌わせ、午後6時過ぎにようやく自宅に戻ることができた。

こんなはずではなかったのに。

 

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