福田村事件
10月12日(木)
朝8時、5歳の娘を保育園に登園させたあと、その足で映画『福田村事件』(監督:森達也)を観に行く。
きっかけは、前日に高校時代のすぐ下の後輩が、SNSでこの映画を観に行ったことを発信していたことによる。そういえば、この映画を観に行きたいと思いつつ、全然時間がなくて観るのを諦めていた。しかし観に行くようにと、高校の後輩が背中を押してくれた。
観るとしたら今日の午前中しかない、と思い、急遽上映館を探したところ、うちの近所の映画館で朝一番で上映があり、娘を保育園に送り届けたあとのタイミングでバスに乗れば、十分に間に合うことがわかった。やるべき仕事は多かったが、それを措いて観に行くことにしたのである。
映画『A』の頃から、森達也監督のドキュメンタリー映画や著作をそれなりに見守ってきた僕にとっては、ぜひ観るべき映画であった。しかし、ドキュメンタリー映画を撮り続けてきた森監督が、劇映画に進出することに、若干の躊躇があったこともまた本心である。
森達也監督については、以前に少しだけ書いたことがある。
実際に『福田村事件』を観てみると、まことに失礼な言い方だが、ちゃんと「劇映画」していた。脚本の熱量と、出演俳優陣の熱演によるところが大きいが、それを劇映画としてまとめ上げた森監督の手腕は、いくら評価しても評価しすぎることはない。
映画じたいは辛い内容で、一見救いのないのない結末のように思えたが、最後の最後は、かすかな希望をいだかせるカットで終わった。やはり森達也さんは、この世界に絶望していないのだ。『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』という森さんの著書タイトルを思い起こさせる。
思い起こさせる、といえば、森監督がメジャーになるきっかけとなったドキュメンタリー映画『A』との関係である。「空気が支配する世の中」「集団の狂気姓」といった問題意識から見たら、『A』と『福田村事件』は地続きである。
映画を観てから、各種メディアで森監督が発言していることを確認してみたら、ドキュメンタリー映画と劇映画との垣根はそれほど感じなかった、といったようなことを言っていて、そのとおりだなと思った。
映画作家の大林宣彦監督は、
「映画は、虚構で仕掛けてドキュメンタリーで撮る」
「映画は、風化しないジャーナリズム」
という言葉を残している。
この映画は、まさにその言葉のとおりの映画ではないか。これは、僕の独りよがりの感想である。
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