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QRコードになった娘

11月7日(火)

今週の日曜日から1週間ほど、妻が出張で不在である。したがって当然のことながら僕が保育園の送り迎えをすることになるのだが、10月31日をもって保育園の「連絡帳」が廃止された。まるで、東海道新幹線の車内販売が10月31日をもって終了したのと同じくらいのショックである。

ではどうなったかというと、電子化されたのだ。保育園とのやりとりは、すべてスマホのアプリを通じておこなわれることになったのである。

高齢の親にとっては受難の時代である。手のひらサイズのノートに、1日1ページを使ってその日の娘の体調とちょっとしたエピソードを記す、というのは、いわば日記代わりだったのだ。もちろんスマホに入力する内容は連絡帳に書いていたことと変わらないのだが、ちょっと味気ないし、後で見返すなんてことは、ほぼなくなるだろう。

時代の流れには抗えないとはいえ、だれが言い出したことなのだろう?スマホを使いこなしている若い保護者が、紙の連絡帳なんていつの時代の話だよ!とクレームをつけたのか?あるいは保育士さんの負担を減らすために、ひとりひとりの連絡帳にコメントを書くことをやめ、クラス一斉に同じ内容のメッセージを送れるようにする方法をとることにしたのか、いずれにしても、問答無用でそれはおこなわれた。

僕もよくわからないながら、アプリをダウンロードして、マニュアルを見ながらあれこれと設定すると、スマホの画面上に大きなQRコードがあらわれた。娘の登園、降園の際に使用するQRコードである。保育園の入口にあるQRコードの読み取り機にスマホの画面上に現れたQRコードをかざすと、読み取り機が反応して、登園や降園の情報が登録されるのである。まるで、娘が二次元空間のQRコードになってしまったが如くである。

なるほどこれがデジタル化社会か。そう考えると、マイナンバーカードなんて、デジタルどころか、アナログもいいとこだな。だいたいカードなんてものは三次元の物体なのだから、「デジタル行政」なんて言うのはちゃんちゃらおかしい。その政策をデジタル庁と名のる役所が得意になって進めているのはどうかしている。究極のデジタル化とは、個人がQRコードになる社会なのではないだろうか。

そのうちわれわれ全員がQRコードになってしまうのだろうか?「このQRコードはたしかに俺だが、スマホを持っているこの俺はだれだろう?」落語「粗忽長屋」は、実はデジタル化社会を予言し、それを揶揄した落語なのではないか、というのが、僕の仮説である。

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