ひとり合宿の楽しみ
11月14日(火)
「ひとり合宿」2日目。
メインイベントが終わり、あとは明日の「高気圧酸素治療」と「解放」を待つばかりである。
ありがたいことに、朝刊と夕刊を部屋に持ってきてもらうサービスがある。朝刊と夕刊は違う新聞社のものなのだが、いずれの新聞も僕の思想信条とは真逆のものなので、ふだんまったく読む機会がない。「ひとり合宿」のときが唯一その機会なので、僕はその2種類の新聞に目を通すことにしている。
とくに注目しているのは、夕刊として渡される某新聞1面のコラムだ。コラム、といっても、新聞社の論説委員みたいな人が書くものではなく、日替わりで大企業の経営者とか作家とか、たぶん新聞社のおめがねにかなった人が選ばれて書いているようである。書いてある内容が、さりげない自慢だったり、無意識に上から目線だったりすると、そこはかとない芳ばしさを感じさせる。
本日の夕刊コラムの執筆者は有名な作家だった。ふだんから権力志向が感じられる人で、どちらかというと僕はちょっと苦手である。内容は曰く、こんな感じである。
自分の財布がパンパンに膨れているのは、現金のせいではなく、さまざまなお店のクーポンカードのせいである。たとえば化粧品売り場で商品を買うと、会員登録させられてカードをもらう。化粧品や洋服だけではなく、スーパーやドラッグストア、焼き肉屋やちょっとしたカフェに至るまで、1回行っただけでポイントカードを勧められ、それが積もり積もって財布を膨らませる。
そこからの作家の文章がすごい。
「それならば断ればいいではないかと言われそうであるが、拒否するととたんに店員さんの態度は冷たくなる。それがイヤで、カードに記入するぐらい、と考えてしまうのである」
ここからその作家は、通りすがりの人として商品を求める自由が許されないのは世の中が窮屈なのではないか、という持論を展開するのだが、僕はこのコラムを違和感なしには読めなかった。僕がその作家に対して偏見を持っていることは認める。そのことを差し引いたとしても、である。
「カードの作成を拒否するととたんに店員さんの態度が冷たくなる」というのは、本当のことだろうか?僕はいままで、そんな店員さんに出会ったことは一度もない。「カードをお作りしましょうか?」「いえ、けっこうです」と答えて、気分を害する店員がいるのだろうか?
いや、僕が言いたいのは、そんなことではない、「自分がカードを作ってしまうのは、店員さんの態度に責任がある」と言わんばかりの論調を何の疑いもなく書いている作家の方に問題があるのではないか、ということなのである。どうしてこんなことをコラムで書けるのかが、僕にはよくわからない。批判は、店員に向けるべきではなく、何らかの目的でそのような仕組みを作って利権に結びつけようとする、より大きな組織に向けられるべきではないのか。その作家がすでに大きな権力を持っている存在なので、攻撃の矛先を店員に向けるのはなおさらおかしい。これだけ有名な作家なのに、そこに対する想像力が欠けているのは至極残念である。
ちなみに僕の財布もカードで膨れ上がっている。しかしそれは僕自身の問題であり、だれのせいでもない。
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