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2023年12月

断捨離記録

部屋の片付けをしていたら、こぶぎさんからいただいた封書が出てきた。中身は、「福島片岡鶴太郎美術庭園」に行かれた際に買ってきてくれた、鶴太郎さんが書いたというハッピーバースデーカードである。もちろん印刷されたもので、絵はがきよりもちょっと大きい。娘が生まれたときに送っていただいたものだった。

封筒を捨てようと思ったが、封筒に書かれた差出人の名前が秀逸だったので、ここに書きとどめてから捨てることにする。

「JUNTEL JUNTERL 五少女のすりきれず KARAギュリ スンヨンのニコル待つ グ・ハラ待つ ジョン待つ 食う寝る一緒に住むTwice ぺたら工事の ジアブァンヒ ベビボ ベビボ ベビボの10人いない 10人いないの 5人だい 5人になっても解散しない 少女時代を チョー急に辞めた チョン・スヨンちゃんの生誕を祝うK-POP落語友の会代表 こぶぎ」

 

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給紙部門が弱点

12月30日(土)

ふたたび薬の副作用で、足の裏の皮膚が痛い。こうなると歩くのが億劫で、何をするのにもやる気が削がれる。今月は都内でいくつか会合があり、その後に懇親会や忘年会に誘われたりしたのだが、いずれもお断りした。僕からしたら、都内での懇親会なんぞあり得ない。わざわざお店に移動して、そこで気を張って2~3時間を過ごし、それが終わって電車とバスを乗り継いで1時間にほどかけて自宅に戻る、という一連の作業が苦痛でたまらないのである。たぶんこのツラさは、だれにもわからないだろうな。

そんなこともあって、今年は年賀状を作ることに、ギリギリまでためらいがあった。もうやめちゃおうかなとも思ったが、こればかりは自分の一存では決められず、結果的に従来と変わらないやり方で年賀状を作成することにした。そのことを決めたのが昨日の29日。

急いで郵便局に行って年賀状を買ってきて、その日の晩にデザインを考える。デザインを考えるのは、毎年妻である。5歳の娘の写真を基軸に、さまざまな趣向を凝らす。来年の年賀状のテーマは「四季」である。

そして今日、その年賀状を印刷する。これもまた込み入った作業が続く。昨年いただいた年賀状から、年末に喪中はがきを送っていただいた人や物故者や年賀状引退者などを除いて、送付先と人数を確定する。これは僕の仕事である。

年賀状の印刷はなかなかややこしい。自宅のインクジェットプリンターだと画像があまりきれいに出ない。そこで毎年、妻の実家にあるインクジェットプリンターを使って印刷することにしている。そのために、パソコンを白紙の年賀状を持って妻の実家に移動する。

毎年こんな感じで年賀状が作られるわけだが、今年はプリンターの調子がおかしい。長年使っているせいもあるのだろうが、故障してしまったからなのか年賀状の自動送りができなくなり、1枚1枚「手差し」で年賀状を印刷しなければならなくなった。自動送りができれば、ボーッと待っていてもまとめて印刷してくれるが、手差しだとそういうわけにはいかない。1枚の印刷が終わるたびに、また1枚セットする、という作業をくり返す。しかもタイミングが重要である。前の年賀状の印刷が終わって、次のはがきを入れるタイミングが、早すぎてもいけないし遅すぎてもいけない。つまりはプリンターとの阿吽の呼吸が必要なのである。そんなこともあって、プリンターに尽きっきりで作業をしなければならない。これが意外とキツい。しかしある段階になったときにプリンターがへそを曲げたのか、「中止します」という表示が出て、まだ途中なのにもかかわらず強制終了となった。ここでボッキリと心が折れた。

結局、続きは明日になったのだが、今回の敗因は、ひとえにプリンターの給紙部分が故障していたということだ。

ここから、「インクジェットプリンターは、給紙部分から故障する」という結論が導き出され、妻は「インクジェットプリンターが給紙部分から故障するのは、プリンター生産の給紙部門が手薄だからではないか」という仮説を立てた。

インクジェットプリンター生産に「給紙部門」があるのかどうかわからないが、間違いなく言えることは、インクジェットプリンターの花形部門は、「画像を鮮明に印刷する」部門であるはずで、みんながその部門で働きたいと思うので、必然的に地味な給紙部門が手薄になる。

「こんどの人事異動で給紙部門になっちゃったよ。モチベーションが下がるわ~」

と愚痴を言う社員が絶えないのではないだろうか。つまりプリンター業界の今後の課題は、給紙部門の強化である。

…というところまでひとしきり話をして、残りの年賀状の作成は明日に持ち越した。

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焼け石に水

12月29日(金)

昨日は仕事納めで、今日から年末年始の休暇である。

まず午前中に、5歳の娘との約束で、映画「パウ・パトロールザ・マイティ・ムービー」を観に行った。娘はテレビのレギュラー放送を見ているので、先日の「窓ぎわのトットちゃん」よりも当然、こちらの方が見たかったはずだ。約束というのは、あとで必ず「パウ・パトロールザ・マイティ・ムービー」を観るから、まずは「窓ぎわのトットちゃん」を観ようね、ということだった。

なかなかよくできた映画で、子どもたちが熱を上げるというのもよくわかる。子どもはやはり、勧善懲悪、正義のヒーローが出る物語が好きなのだろうか。

この日は、というよりも、この日からどうしてもやらないといけないことがあった。それは部屋の片付けである。狭いマンションに住んでいるのに、とんでもない本の量がある。本についてはあるていど図書館に寄付するとか本のリサイクルショップに売るとかで少しでも減らすための方針があるのだが、問題は大量の紙ゴミである。職業的文章を書くために調べたさまざまな紙の資料が大量にあって、足の踏み場もない。さすがにこれはまずいと思って、紙ゴミの廃棄をはじめた。紙ゴミは捨てるときに紐でしばるか、紙袋に入れるかのどちらかの形でマンションのゴミ集積場に捨てることができる。僕は紐でしばるのが苦手だし、何より薬の副作用で手がちぎれるほど痛いので、大量の紙袋を確保して紙ゴミを捨てていくことにした。

何も選ばずに片っ端から全部捨てれば楽なのだが、なかなかそういうわけにもいかない。ひとつひとつ吟味して、これはいる、これはいらない、と選別し、いらないものは紙袋に放り込む。これがけっこう時間がかかる。

長い時間を使って紙ゴミをだいぶ捨てることになったのだが、それで部屋がスッキリしたかというと、全然そうはならず、見た目はビフォーもアフターもほとんど変わりがない。つまり大雨で腰まで浸かってしまった水を小さな柄杓で掻き出しているようなものである。まさに「焼け石に水」とはこのことである。

明日もまたできるだけ紙ゴミの処分に時間を使うことにする。どうせ面白いテレビがあるわけでもないのだし。

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通院納め

12月27日(水)

先日、久しぶりに電話で話した知り合いから、

「ブログ読みましたけど、薬の副作用って、そんなにツラいんですか?」

「ええ、ツラいんです」

「ほんとうですか?大げさに書いているんじゃないでしょうね」

「ほんとうです」

と心配されたが、その知り合いの方が、一度に2つくらい大変なことを抱えているので、他人の心配をしている場合ではないのではないかとこちらが心配になった。

さて、その副作用だが、薬を半分に減らしたおかげか、以前よりはだいぶ皮膚の痛みが緩和された。それでもまだ痛いことは痛いのだが。

ただ、全身筋肉痛のような症状はなんとなく続いていて、動くのが億劫であることには変わりない。

本日はまた、車で1時間半ほどかかる総合病院で血液検査である。前回、筋肉の炎症の値が通常の30倍くらいに膨れ上がっていて、重い物を持ったことが原因か、前の薬の副作用が出たせいか、判断がつかないということで、もう一度血液検査をしたのである。

また信じられないような数値が出てきたらどうしよう。「あなた、即入院です」みたいなことを言われたら年末年始を病院で過ごすことになる。そうなったらイヤだなあ、と、病院で診察を待っている間はずっと憂鬱だった。診察になかなか呼ばれないのも、何らかの異常な数値が出て、対応を考えているんじゃないだろうかと、気が気ではない。

待合室で、まるで刑の執行を待っているような気持ちで座っていると、やがて僕の診察番号が電光掲示板に表示され、いよいよ診察室の中に入る。

「こんにちは、お待たせしました」

「こんにちは」

「どうですか、最近調子は」

「薬を減らしていただいたおかげで、手足の皮膚の痛みは、少し緩和されました。痛いことは痛いですけれど」

「そうですか。ところで、前回異常な数値が出た筋肉の炎症ですけどね」

「ええ」

「……今回の数値は戻っていました。前の薬の副作用を心配していたんですが、どうやらそうではないようです」

「そうですか」

なんと、筋肉の炎症の数値は元に戻っていたのだ。僕は安心をしたが、いまだに全身筋肉痛のような身体の痛みを感じるのは、副作用ではないということなのか?逆に恐いんですけど。

「ではいつものお薬を出しておきます」

「ありがとうございました」

「お大事に」

結局、今回は特筆すべき検査結果ではない、という結論になり、今年最後の病院通いも今日で最後になった。

疑い出したらキリがないが、ひとまず、これで年は越せる。

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窓ぎわのトットちゃん

12月24日(日)

久しぶりに5歳の娘と2人で映画を観に行こうと思ったが、年末年始は子どものためのアニメ映画が多くて、どれを観たらよいか迷ってしまう。しかし、僕は最初から決めていた。『窓ぎわのトットちゃん』である。

しかし、たぶん娘は、『パウ・パトロール ザ・マイティ・ムービー』を観たいと絶対言うに決まっている。なぜならいまテレビで放送中の『パウ・パトロール』を毎回食い入るように見ているからだ。ほかにもディズニー映画の『ウィッシュ』を観たいとも言うだろう。強豪揃いだ。

それでも僕は、何日も前から何度も「『窓ぎわのトットちゃん』を観に行くんだよ」と説き伏せて、「もしほかに観たい映画があったらその次に絶対に連れていくから」と条件までつけたら、「わかった」と納得してくれた。

なぜ、それほどまでに『窓ぎわのトットちゃん』にこだわるのか?僕はこの本の熱心な読者ではなかった。発売された当時は僕は小学6年生か中学1年生だったが、この本が空前のベストセラーになったと聞き、それにつられて読んだ程度である。

それにもかかわらず最優先に観たい映画として選んだのは、この映画に、私がかつてお世話になった恩師が協力しているというお話を、恩師ご本人から聞いたからである。その経緯について書くと長くなるので省略する。とにかく僕は、エンドクレジットに恩師の名前が出てきたことを確認したのである。

映画の中で印象に残った場面はいくつもあるが、ここで深刻な場面をあげても仕方がないので笑った場面を紹介する。映画の冒頭、学校の教室で、窓ぎわに座っていたトットちゃんは、先生の言うことを聞かず、何か面白いことはないかなあと、そのことばかり考えていた。そこへチンドン屋さんがやってきた。それを見つけたトットちゃんは教室の窓からのり出して、「チンドン屋さ~ん」と、トットちゃんの方へ呼び寄せる。そこでトットちゃんが言ったセリフ。

「チンドン屋さん、何かやって!」

おいおい、これって、「徹子の部屋」で芸人さんがゲストの時に「何か面白いネタをやってください」とむちゃぶりする、例のヤツではないか。すでに幼い頃から「徹子の部屋」の片鱗が出ていたのだなと、笑いが止まらなかった。

しかしこの映画はもちろんお笑いの映画ではない。最後は嗚咽するので、古い言い方だが、ハンカチのご用意を。

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共有すべきか否か

あるポッドキャスト番組を聴いていたら、パーソナリティーがこんなことを言っていた。

むかしよく通っていた街を、先日子どもと一緒にお散歩していたら、懐かしい喫茶店を見つけた。以前によく通っていたお店だ。ところがお店の扉のところに「本日をもちまして閉店いたします」と貼り紙があった。お店の中はお花で溢れていて、最後の記念にお店でパフェを食べようと思ったが、お客さんがいっぱいで入ることができなかった。

せめてお店が閉店してしまうことをだれかと共有したいと思い、以前、一緒にこの喫茶店に入ってパフェを食べたお友だちの顔が浮かび、連絡しようかなと思ったけれど、最近いろいろあって連絡を取らなくなってしまっていたので、迷惑かなと思い連絡しなかった。

およそこんな些細な内容だったが、僕がこの些細なお話に引っかかったのは、共有したいと思うことがあったときに、ゆかりのある人に久しぶりに連絡を取るべきかどうかという問題に、僕もこのところ何度となく直面していたからである。これは実に勇気がいる。こっちが「知ってほしい」と思って意を決して久しぶりに連絡をとったとしても、先方にはそれほど響かないことだったりすることがよくある。もちろん「教えてくれてありがとう」と言ってくれる人は多いのだが、すべての場合がそうとは限らない。ま、考えてみれば先方は情報を取捨選択すればいいだけで、僕の共有したい情報に取り合わなくてもいっこうにかまわないのだ。つまりこれは僕の心の問題に過ぎない。僕は僕で、久しぶりに来た連絡に対しておろそかな対応しかできなかったことをあとになって反省することが多い。

久しぶりに連絡を取った、ということでいうと、つい先日の話。長く連絡を取り合っていない知り合いにメールで連絡をとろうとしてもいっこうに返ってこず、しかしながらどうしても連絡を取らなければならないことがあったので電話をしてみたところ、電話に出てくれた。先方はここ数日、一度に2つくらい大変な出来事が自分の身の上に降りかかり、それどころではなかったとのことだった。メールの返信ができなかったのは、自分の居るところがWi-Fiの環境が整っていなかったためだとも説明されて、ようやくこの音信不通の謎が解けたのである。先方は、一度に2つくらい大変な出来事が降りかかった身の上を、堰を切ったように40分ほどお話しになった。だれかに喋りたかったのだろう。電話してよかったと、僕は安堵した。

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ボケとツッコミ

鬼瓦殿

こんにちは。コバヤシです。少しご無沙汰してます。

昨日からバンド練習で福岡に来ているのですが、移動時間の暇つぶしということで、最近のネタを書かせていただきます。今回も、つまらなかったらゴメンなさい。

大阪に来て早3年が経とうとしていますが、まだまだ当地の文化に馴染めないところがあります。その一つが、所謂「ボケとツッコミ」です。大阪では、何気ない会話から仕事の会話まで、随所にボケが潜んでおり、それに対しすかさずツッコミを入れる必要があります。

先日も週に一度の職場の清掃の時間に雑巾を洗っていると、横にいた私よりも少し歳上の女性が蛇口や洗面台をキレイに拭いているので、「Hさん丁寧に掃除してくれて偉いね!」と何気なく声をかけたら、Hさん(女性)は「だって女の子だもん〜❤️」とワザと可愛らしい声を出して答えてきます。コレは明らかにツッコミを待っている発言なのですが、私はいきなりのボケに怯んでしまい上手くツッコミが出来ません。仕方なくHさんに「ごめん。俺、申し訳ないけれどツッコミ無理!」と逃げてしまいました。Hさんからは「センター長(職場では立場上、私はそう呼ばれています)、まだまだですね〜。」とダメ出しを食らってしまいました。

Hさんは、真面目でバリバリ働くキャリアウーマンを絵に描いたような人ですが、その彼女ですら、仕事の話をしでいても随所でボケをかましてきます。その度に、ゴメン、ツッコミ無理!と私は逃げ、Hさんからは、頑張りましょう!と言われてしまう始末です。

ちなみに、この春、異動してしまった彼女の元上司のH室長は、普段殆ど喋らないくせに、Hさんに対するツッコミは絶妙にこなしていました。それを見て何時も私はスゴイなあと感心ていたのですが。

先週末、この秋から加入したビッグバンドの演奏会があり、その打ち上げで、バンマスのデュークさんとジャネットさんに、カクカクシカジカと先日のHさんとのやり取りを話したところ(当地ではバンドメンバー同士があだ名で呼びあう習慣が有るようです。なので、私はバンドメンバーの本名を殆ど知りません。しかもそのあだ名のセンスも中々のもので、この習慣も私が馴染めないものの一つです。ちなみにデュークさんは本名が東郷さんだからです。)、デュークさんが「コバさん、大阪に来てどれくらい経つの?」と聞くので、「もう3年目になります。」と答えると、「そりゃアカンわ〜。そんだけ大阪におったらボケとツッコミぐらい出来んと。」とダメ出しを食らってしまいます。ジャネットさんは「ちとそのボケはハードル高いけどな。」と優しくフォローしてくれますが、デュークさんはそんなことお構いなしに「あのな、コバさんな、そういう時は無理だとか言わんで、取り敢えず、何でやねん!と言っときゃいいんよ。」と言うので、私は「えっ、でもデュークさん、なんでやねん!だけだったら話が上手くつながってないじゃないですか?」と言うと、ジャネットさんが「大丈夫。ちゃんとボケてくれる人だったら、すかさずツッコミで返してくれるから。」、「そんなんで良いんですか?」と聞くとデュークさんもジャネットさんも「そんなんでええんや!」と声を揃えて答えます。「さあ、コバさん、取り敢えず、なんでやねん!て言うてみい。」、「えっ!私、関西弁喋れませんよ。」、「いいから言うてみい。」と強引に2人が迫るので仕方なく「なんでやねん!」と少し恥ずかしそうに言うと、2人は「全然大丈夫やん!少しもおかしいないで。じゃあ、もう一回言ってみよう。」と何度か、なんでやねん!を連発させられてしまう始末。一体俺は何をやってんだろうと思いつつ、大阪の夜は更けて行くのでした。

それにしても、なんでやねん!という言葉は、最近注目されている、知らんけど、と同様に関西においては何にでも使える万能のフレーズのようです。

ところで、先程のジャネットさんですが、貴君はどのような人物を想像したでしょうか?誤解があるといけないので説明しておくと、ジャネットさんは65歳の少し禿げかかったおっさんで、かつては市役所で働いていたそうで、職場ではセクハラ発言も多かったとのこと。

何故ジャネットさんなのか全く分かりませんが、これもなかなかのセンスですね。

ということで、何だか良く分からない話を長々と失礼しました。

それでは、大分寒くなってきましたので、くれぐれもご自愛ください。

また、そのうち!

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卒アル狂騒曲

卒アル騒動は、ますますエスカレートする様相を呈している。

ママ友の一部の暴徒たちが暴走して、卒アルを凝ったモノにしようと話をどんどん進めているということは前に述べた。

さらに驚きなのは、「卒園式を最初から最後までビデオに収めてそれを希望者にDVDを販売する」ということまで言い出した。

先日の学芸会も、三脚やらビデオカメラやらを使ってその一部始終を保護者のお父さんが撮影したようなのだが(まだ見ていない)、それに味を占めて、今度は卒園式も、その一部始終を撮影しようということを考え出したのである。

そればかりか、撮影のために保護者のだれかが犠牲になることは忍びないので、業者に発注して撮影と編集をしてもらおうという話にまで発展した。そうなると話は違う。つまりお金がかかるのである。お金がかかるとなると、強制的に買ってもらうことはできず、希望者にだけ販売するということになる。だって保育園公認ではなく、有志による撮影なのだから。

しかし、卒園式に関係のない業者がずかずかと入ってきて撮影するというのはどうなんだろう。あまり気持ちのいいことではない。

で、そのアンケート調査がママ友のグループLINEに来た。1。DVDを購入する。2.DVDを購入しない。3.そもそも業者を入れるのに反対の三択である。無記名ですので安心してください、とある。しかし、もう業者を入れる段取りをつけてしまっているこの段階で3の質問はないだろう。

わが家はほんとうは2か3を選択したいのだが、ちょっと待てよ、いくら無記名で投票したとしても、主催者にはだれが賛成か反対か、筒抜けなんじゃないだろうか。そうなると陰でなんと言われるかたまったものではない。それに娘の意志は確認していない。結局、苦渋の選択で購入することにした。ただし、卒アルと卒園式ビデオの両方を購入するとしたら、かなりの額になる。経済的に苦しい家庭はどうなのだろうか。

知人の娘さんは小学6年生で、やはり卒業アルバムの件で悩まされている。その小学校は、卒業アルバムを学校としてはとくに製作しないということで、ママ友有志が製作することになった。うちの場合と同じである。

しかしその値段を聞いてびっくりした。1万2000円ほどになるというのである。

これももちろん強制ではない。購入の可否についてのアンケートが来た。その知人は、娘とよくよく話し合い、「卒業アルバムは購入しない」ことに決めた。

すると、それがどうも波紋を呼んだようである。ふつう買うよね、とほとんどの人が思ったらしい。

「卒業アルバムは、卒業式当日にひとりひとり手渡しするのですけれど、娘さんには手渡しできないけど大丈夫ですか?」

と聞いてきやがった。つまりみんなが卒アルを受け取る中で、1人だけ仲間はずれになって受け取れないことになりますよ、という体のよい脅しである。

知人とその娘は意志が強いので、そんなことはおかまいなしだとは思うのだが、もしこれが、経済的に困窮しているためにアルバムを買うお金がないという家庭だったら、どうなのだろう?そういう人に対してまで、ママ友たちは同じ仕打ちをするのだろうか?

小学校での6年間がみんないい思い出ばかりではない。何かに耐えたり我慢したりしながら卒業を迎える人だっているだろう。そろそろ声の大きなママ友たちには気づいてほしいものである。

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共通の知り合いはこぶぎさんだった!

12月19日(火)

月に1度、僕が議事進行役をつとめる会議があるのだが、事前にその会議の議題を打合せるために毎月顔を合わせている若い職員さんがいる。毎月どころか、その職員さんには日常的にいろいろとお世話になっている。今日は月に一度の打合せである。

打合せ中、その職員さんがおもむろに言い出した。

「鬼瓦先生は以前、○○(前の前の職場)で教えていらっしゃいましたよね」

「ええ」

「私はそこの卒業生です」

ビックリした。2年くらい一緒に仕事をしていて、初めての告白である。

しかも僕がいた部局の学生である。もっとも、僕がその職場を離れてから入学したそうなので、在学中は面識がない。

そこからひとしきり、「前の前の職場」の話になる。やれ○○先生がどうした、××先生がどうしたなどと話が弾んだ。

話していくうちに、どうしても聞きたいことが出てきた。

「ところで、どうしてそこに入学しようと思ったのですか?」

まるで入試の面接みたいな質問である。面接試験を担当していた頃の自分がよみがえってきた。

「『火垂るの墓』を見て、どうして罪もない子どもたちがこんな目に遭わなければならないのだろう、当時は頭のいい人もたくさんいたはずなのに、どうしてこんな悲劇を止めることができなかったのだろう、と疑問に思い、それでそういうことを学べるところを探したのです」

そのことを話しているだけですでに涙ぐんでいる(ように見えた)。その純粋さに、こっちも泣きそうになる。

「(前の前の職場は)編入に力を入れてますよね。それで編入をしたのですね」

「ええ」

「編入といえば、別の部局に『こぶぎさん』という元同僚がいるんですが」

「こぶぎ先生ですか!知っています!あの恰幅のいい先生ですよね!先生はお知り合いなんですか?」

「知り合いもなにも、いちばん親しい友人ですよ。いまでもたまに会いますよ」

どうやらこの職員、こぶぎさんに編入の手ほどきを受けたらしい。

つまりこぶぎさんがいなければ、この若者はこの場にいなかった、といっても過言ではない。

「こぶぎさんが共通の知り合い」という人と一緒に仕事しているとは、世間は狭いね。

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阿鼻叫喚の送別会

12月17日(日)

娘の通っている保育園の同じクラスのM子ちゃんが引っ越しをするというので、送別会をすることになった。

といっても、まわりのママ友たちが企画したのではなく、引っ越しをするM子ちゃん一家自身が企画したのである。

「14時~16時半まで○○団地の会議室でお別れ会をします。手作りのお菓子を差し上げますので、お時間のある方はどうぞお立ち寄りください」

というチラシまでLINEで送られてきた。

自分たちのお別れ会を自分たちで企画して人を呼ぶなんて、まるで「泣いた赤鬼」ではないかと、少々切ない気持ちがしたが、それが聞いてみるとそういうことではなかった。

M子ちゃん一家は、北海道に引っ越して、そこでカフェを始めるという。つまりこれまでの仕事を辞めてまったくの新天地で新しい人生を始めるというのだ。なるほど、だからホスピタリティに関するポテンシャルが高いのだな、あるいはこれは、北海道でカフェを新しく始める前の予行演習なのかもしれない、などと妙に納得した。

14時キッカリにたずねるのもアレなので、15時頃に娘を連れてその団地の会議室に行くと、すでにほとんどのお友だちがいて、収拾がつかないくらい大騒ぎしていた。

今日はさすがにアルコールはないだろうと思ったが、あいかわらずママ友やパパ友たちは勝手にお酒を持ち込んで呑んでいる。僕はいつまで経ってもその光景に慣れない。

あいかわらずだれとも話すことなく、しばらくは呆然としていたが、やがてM子ちゃんのパパが話しかけてくれた。

僕はM子ちゃんのパパと話をするのは初めてだったが、実に人当たりのいい好青年だ、という印象を受けた。ま、そういう人でないとお店をやろうとは思わないだろうけれど。

僕は、

「よく決断しましたね。どうして北海道でお店をやろうと思ったんです?」

と聞いてみた。見たところ30代で、人生これからといった感じである。

「前から、いつかお店をやりたいと思っていました。たまたま北海道を旅行した時に、その町に惹かれ、ここでお店を開こうと決めたのです」

「北海道出身じゃないんですか?」

「いいえ違います。北海道に住むのはこれが初めてです」

僕はますます驚いた。なんとい無鉄砲な生き方だ。しかし、お話ししていると穏やかな人だし、野心まる出しの人というわけではない。

聞くと、その町というのは、ほかからの移住者が多く、しかもそこで観光客を相手に飲食店を始める人が多いということだった。地図で場所を確認すると、道央のあまり聞いたことのない町なのだが、ある有名な女性の俳優が移住してからたいへん話題になった町であるという。

「最近、アド街ック天国でも紹介された町なんですよ」

「しかしそんな小さな町では、ベスト20を探すことじたいが大変でしょう」

「ええ。かなりむりやりな感じでベスト20をひねり出してました」

「来年からM子ちゃんは小学生でしょう?小学校とかはどうなんです?」

「来春の1年生は7人だそうです」

「それだと、サッカーとか野球とか、チームが組めませんね」

「かろうじてドッジボールくらいですかね。内野に1人、外野に2人とか」

「内野が圧倒的に不利ですね」

「あとはバドミントンとか卓球とかテニスとか」

「ほとんど個人競技ですね」

今後のM子ちゃん一家の人生、なかなか面白い人生になりそうだ。

「お店ではコーヒーも出すのですか?」

「ええ。妻の弟も移住するので、コーヒーは弟に任せるつもりです」

なんと、一族総出で移住するのか?ますます面白い。

こういった話を聞けただけで今日は来た甲斐があった。しかし「今度遊びに行きますよ」とは軽々しくは言えなかった。なにしろ遠すぎる。

会の最後で集合写真を撮った時、M子ちゃんのママは感激のあまり涙を流していた。全体としては、いい会だったのだろう。

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日日是再会

12月15日(金)

人生の後半は再会の連続である。

調べものがあって、午前中は都内の小さな図書館を訪れた。正午の前に終わる予定だったが、どうも終わりそうになかった。やがて正午近くになって、午前中に対応していただいた女性の職員のみなさんがお昼休み休憩に入り、代わりにカウンターにひとりの白髪のおじさんが座った。

調べものは正午あたりになんとか目星がつき、カウンターのおじさんに、

「ちょっと他の本棚も拝見してよろしいでしょうか」

と聞くと、

「かまいません」

というので、その本棚のところへ行こうとすると、

「鬼瓦さんですよね?」

と、そのおじさんが言う。

「はい、鬼瓦です」

「覚えてますか?私、Iというものです」

と苗字を名のられたのだが、まったく心当たりがない。

「鬼瓦さんがいた研究室の卒業生で、鬼瓦さんの5~6歳上です」

なんと、研究室の先輩だったのか!しかし顔をまじまじと見ても、まだ思い出せない。

Iさんが僕のことを「鬼瓦さんですね」とわかったのは、僕が書いた申請書の名前を見ていたからだろう。それにしても、30年以上もお会いしていないのに、僕を同定できたというのがすごい。

「思い出せませんか。こんなに老けましたからねえ」

「それは私も同じですよ」

と言ってみたのだが、どうしても思い出せない。5~6歳離れているということは、在学中に顔を合わせたことがないはずである。

それからというもの、その人のことが気になって、調べものに身が入らなくなった。

必死に記憶の糸をたぐり寄せていくと、なんとなく思い出してきた。

そういえば、私より5~6歳ほど年齢が離れた先輩で、研究室に残らずに、卒業後に大きな図書館にお勤めになった方がいた。当然、研究室に残った僕とは没交渉のはずなのだが、その方は、卒業後も研究室の合宿に参加していたと記憶する。と、そこまで思い出して、その方がIさんという名前だったことまで思い出した。

なるほどそういうことかもしれない。Iさんは大きな図書館を定年退職になり、再雇用としてこの小さな図書館に異動になったのではないだろうか。そう考えれば説明がつく。

しかし「卒業後も研究室の合宿に参加していた」という記憶に確信が持てない。別のところでお会いしている可能性もある。

帰り際、入館バッジをお返しするときに、

「以前は大きな図書館にお勤めでしたよね」

と思いきって聞いてみると、

「そうです」

とだけお答えになった。やはり僕の記憶は間違っていなかった。間違っていなかったのだが、やはりお顔を見ても、当時の面影を思い出すことができない。それはそうだ、日常的にお会いしていたわけではなく、通算で2~3回しかお会いしたことがなく、しかも直接お話しする機会などまったくなかったのだ。

にもかかわらず、先方が私のことを覚えていてくれたというのは驚異的な記憶力だし、反対に僕がその先輩のことを覚えていないのは、何とも失礼な話である。

こんなふうに、僕が覚えていないだけで、見えない再会というのが頻繁に起こっているのではないだろうか。これからは「日日是再会」という言葉を胸に抱いて生きていく。

 

 

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謝罪は最大の攻撃

全部自分のせいにすれば、気楽になる場合がある。

ある偉い方に人探し、といっても行方不明者を捜索する、という意味ではなく、仕事を一緒にやってくれそうな人をスカウトしてくれと頼まれ、ちょうどいい人がいる、と思ってある人に頼んでみたら、すぐに快諾の返事が来た。

そのことをさっそくその偉い方が主宰する仕事の他のメンバーにも同報する形でメールで報告すると、その偉い方からメールで返信が来て、どのような言い方で頼んだのかと僕に聞かれたので、これこれこういう条件でお願いしたのです、と答えると、自分はそんなふうな条件はつけないでお願いしたつもりだ、とわりと強い調子で責められ、その場に居合わせた方々にもそうだよな、と確認されていた。どうもそのときは曖昧な言い方だったので、ほんとうにそんなことおっしゃっていたっけな?と疑問に思いつつも、ここはすぐに対応した方がよいと思い、先方に連絡して、以前にお話ししたかくかくしかじかの条件は私の誤解でありまして、条件としては若干落ちるのですが、それでも引き受けてくださいますでしょうか、とお話ししたところ、その仕事ができるのであればどんな条件でもかまいませんよ、そちらの方針に従います、と言ってくれたので、やっぱりこの人に依頼してよかった、と思いつつ、今度は急いで偉い方とその仕事のメンバーに返信をして、すべてはこの私が誤解したことに責任があり、そのことを先方にさっそく連絡して、私の非をお詫びした上で、あらためてグレードダウンした条件で依頼したところ、そちらの方針に従うということでした、このたびはお騒がせしてたいへん申し訳ございませんでした、と、これでもかという謝罪のメールを書いて送った。

その後すぐに、その打合せの場に居合わせていた別の人からメールが来て、あの場ではどういう条件で仕事を頼むかまでははっきりとはわかりませんでしたと、やんわりと僕を擁護してくれた。すぐに立ち回っていただいて、結果的にうまくいってよかったですとフォローしてくれたので、救われた思いがした。

偉い方は、どう思われるのだろうか。まだ返信は来ていないが、きっと何ごともなかったようにおふるまいになるに違いない。しかし僕はこれ以上にない謝罪のメールを書いたので、これでもまだ不審であるというメールが来たならば、僕にはもうなすすべがない。

 

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100均セリアの超極細付箋

12月13日(水)

ずいぶん前に依頼していた原稿を、ようやく脱稿した。書いてみると、A4で2枚ていどの短いものなのだが、なにしろ表現に細心の注意を払わないといけない上に、書くこと一つ一つに対してウラ取りをしなければならない。調べたことを全部書いていいというものでもなく、それをできるだけ簡潔に、過不足なく仕上げるということが要求される。

ほんとうにちょっとした文章なのだが、そういった面倒くさいことをしなければならないので、なかなか書く気が起こらなかったのである。

しかし先日、メンバーで打合せをした際に、遅々として進まない僕の作業を見かねて、恐いボスに軽く叱られ、これは本気でヤバいと思った。

その日は決意しても、「喉元過ぎれば」で、やはりどうしても後回しになってしまう。このところ体調が悪かったことも怠惰に輪をかけてしまった。

倦怠感はあいかわらずだが、足の裏の皮膚の痛みはいくぶん和らいだので、この機に乗じて一気に書き上げてしまおうと、朝から膨大な資料と格闘しながら書き始めた。

すると、1日で終わってしまった。なんだよ、初めからこうすればよかった。

この原稿執筆で功を奏したのが、100均セリアの超極細の付箋である。ラジオで武田砂鉄さんが愛用していると聞き、同じものを買ってみたのである。

それからというもの、これがなかなか重宝している。膨大な資料の中で調べたい箇所に付箋をするというのはよくあることだが、超極細なので場所をとらない。しかも色付きの半透明なので、ページの中でいちばん参照したい部分(行)に貼っておくと、まるでマーカーを引いたかのようにその部分がロックオンされる。いままでは付箋を貼っても、この付箋、なんのために貼ったんだっけ?と後になってわからなくなることが多いが、まさに1行単位ではることができるので、さがすストレスもなくなるのである。

この付箋がなければ、短いながらも手間のかかる文章は書けなかっただろう。

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ふるさと納税はじめました

そういえば、ふるさと納税をはじめました。

今年から、なぜか家族がふるさと納税を始めて、かなりの熱の入れようである。

で、僕にも、「ふるさと納税をするように」とくり返し言うのだ。

いまさらふるさと納税?と思わなくもないが、ふるさと納税といえば、それを代行するアプリのことがテレビでずいぶんと宣伝していたことを思い出し、「とりあえずふるさと納税のアプリを入れよう」ということにした。

思い付くだけでも、2つのアプリがある。1つは、東京を拠点とする3人組のコントグループがCMに出演しているアプリで、もう1つは、元横綱がCMに出演しているアプリである。

これはどう考えても前者だろう、と思い、前者のアプリをダウンロードすることにした。実際のところ、どちらのアプリが優れているのかはわからないのだが、やっぱりCMのイメージって、大事だね。もっとも僕は、東京を拠点とする3人組のコントグループの熱烈なファンだからという理由に過ぎず、元横綱の方には他意はない。

アプリを入れただけで満足していると、

「ふるさと納税した?」

と、ことあるごとに家族から確認される。そうこうしているうちに、家族は、やれ海産物だ、やれ洗濯洗剤だと、次々と「返礼品」が贈られてくる。洗濯洗剤が返礼品、ってどういうことだよ、と思うのだが、ほんとうに必要なものなのでありがたいといえばありがたい。

「早くふるさと納税しないと!」

と急かされ、ではそろそろと思い、アプリを開くと、なんというか、結婚式でもらう「ギフトカタログ」みたいで、どれにしていいか迷う。

でもせっかくだから、基準を設けることにした。

いままでまったくゆかりのない自治体ではなく、以前に住んでいたりとか、よくおとずれたりとかした自治体に、お礼の意味を込めて寄付をしようという縛りをもうけた。

どんなにほしい商品があっても、自分とゆかりのない自治体だったら優先度はかなり低くなるというわけである。

試みに、以前住んでいた自治体が「ワケありリンゴ10㎏」を返礼品としていたので、それを目当てに寄付することにした。アプリに導かれるがままに手続きをしたのだが、うまくいったのかどうかはわからない。

ふるさと納税って、どのようにするのが正解なんだろう?

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事件解説

むかしからの読者にはおわかりだと思うが、何回か前の「コンサート」というタイトルの記事のコメント欄で、「【山路高校生わいせつ事件、きょう初公判】」というタイトルのコメントがあってビックリしたよい子の読者のみなさんもおられたかと思うので、念のため、解説しておきましょう。

このコメントは、以前に僕がよく観に行っていた「モギ裁判」で取り扱った事件、つまり架空の事件である。事情により観に行けなくなってしまったので、代わりに、同じくこの「モギ裁判」を毎回観に行っているこぶぎさんが、毎年「モギ裁判レポート」を送ってくれるのである。

毎回、このモギ裁判は社会的に話題となった事件を取りあげている。今回も、おそらくあの事件を念頭に置いて脚本を考えたのだろう。

最近はこぶぎさんのハンドルネームが絵文字になっていて、当初は「こぶぎ(韓国語で「亀」)」ということで亀の絵だったと思うが、いまの絵文字は何を意味しているのかサッパリわからなくなってしまった。最近の読者にはますます面食らうようなコメントになっていて、なかなか痛快である。

むかしはこぶぎさんのコメントに対して僕がコメントで応酬していたものだが、いまは本文を書くだけですっかり疲れてしまって、そのやりとりもやらなくなってしまった。決して無視しているわけではない。というかAIで書けばいいのか?

ところで判決はどうなったのだろうか?

 

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激痛都内往復

12月9日(土)

薬を休んでも、副作用の激痛はおさまらない。

それでも、昨日の金曜日は普通に業務をこなし、今日は都内で会合である。

電車とバスを乗り継いで1時間半ほどかかる場所に行くことになるので、ほんとうはオンライン参加にしてもらいたかったのだが、ホスト側の人間なのでそういうわけにもいかない。

一歩一歩足を踏み出すだけで激痛が走るので、歩くスピードも断然遅くなる。「世界のうちでおまえほど歩みののろい者はない」というのは、僕のことである。

元気な人なら1時間半弱で着くような場所を、2時間ほどかけて到着する。

ホスト側の人間なのでほんとうは会合終了後に懇親会にも出なければならなかったのだが、とてもそんな元気はないので、急遽キャンセルした。

それでも気持ちが晴れないのは、同じルートで帰宅しなければいけないからである。また2時間ほどかけて、激痛に耐えながら自宅に戻るのか…。あたりまえにできていたことが、こんなに辛いなんて、たぶんほかの人にはわからないだろうな。

明日は身体を労ろう。

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俺は知恵袋なんかじゃない!

12月7日(木)

副作用はいまだ治まらないが、仕事は平常運転につとめる。

午前中の重要な会議のあと、古株の職員さんに呼び止められ、自分の担当している仕事に自分では判断しがたい案件が発生しているので意見を言ってほしいと言われた。

話を聴いてみたが、1回聞いただけでは理解することはできないほどの、複雑な内容である。

小一時間話を聞いたが、なかなかに要領を得ない話で、結論は出なかった。だがその職員さんは、話しただけで満足した様子で帰って行った。結局、自分のなかのモヤモヤをだれかに聞いてもらいたかったのだろう。

仕事部屋で遅い昼食を食べていると、扉を叩く音がした。

出てみると、また別の職員さんである。

「職場にこんな問い合わせが来まして、ひとまず課内ではこの問い合わせは無視していいのではないか、という結論が出たのですけれど、上司が『鬼瓦先生ならば何かわかるかもしれない』とアドバイスされて、その問い合わせの資料を持ってきました」

見ると、私とはとくに関わりのない内容の問い合わせである。いや、よくよく考えてみると、ちょっとかすっていると言えなくもない。だからその職員の上司は僕の名前を出したのだろうけれど、俺は別に知恵袋じゃないんだ!ほかにも詳しい人間がいるだろう!

「いちおうこちらで引き取ります」

といって、先方からの問い合わせ資料一式を受け取って熟読してみたが、やはりどう考えても僕の案件ではない。

そのあとも立て続けに、何件か案件が持ちこまれ、それに対する対応をしていたらあっという間に午後の時間が消費されてしまった。

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副作用が牙をむく

12月6日(水)

3週間前から薬を新しく変えたが、先週の後半あたりから副作用の症状が頭角を現し、今週に入って、いよいよたえられないほどの苦痛に悩まされた。

具体的には、手のひらと足の裏の皮膚にひどい炎症を起こし、歩いたり、ものを持ったりするたびに激痛が走るのである。それと同時に、体全体にも痛みが走る。

こうなると人間はどうなるかというと、すべてにおいて気力が削がれるのである。月曜日には軽微な作業が予定されていたが、その軽微な作業すらもできそうにないので休んだ。前日の火曜日は、午前と午後にオンラインの会議があったが、いつもよりも集中力は途切れがちだった。

このままこの薬を飲み続ければ、ずっとこの副作用が続き、日常生活ができなくなってしまう。今日は病院の定期検診の日だったので、ほんとうは通うのも億劫だったが、車で1時間半ほどかかる総合病院まで行って、自らの副作用のひどさを訴えた。

僕は副作用の苦しさを伝え、今週いっぱいは薬の服用を休むことを許してもらい、薬の量も1回20㎎に減らしてもらうことにした。

もともとこの薬は1回の服用量が60㎎が標準で、それでも副作用がキツいだろうからと1回40㎎に減らして処方してもらっていた。それでも死ぬほど副作用がキツかったということは、標準の60㎎だったらどうなっていたことだろう。日常生活がまったく営めずひたすら寝たきりになったかもしれない。仕事をしながら病気をやり過ごすためには、薬に対する臨機応変な対応が必要である。

もう一つ気になったことがあった。血液検査の結果を見て主治医が言った。

「最近、筋トレとかされました?」

「いえ、してませんけど」

「じゃあ、何か重いものを持ったりしましたか?」

「少し心当たりはあります」職場で本が入った段ボールを持って移動させたのが先月末だった。

「そうですか。実は筋肉の炎症の値が異常に高いのです」

血液検査の結果を見ると、たしかに、上限値の10倍以上の数値が出ていた。

「重いものを持ったということであれば、それが数値となってあらわれているのでしょうね」

「ちょっと待ってください。たしかに重いものは持ち上げましたが、まさかそれほどの数値になるとは…。もし仮にそれが原因でない場合は、どういうことが考えられるのですか?」

「薬の副作用です」

またここでも副作用か…。そういえば、体全体が痛いと感じていたのは、筋肉が炎症を起こしていたからなのだろうと、勝手に推測した。

あとで薬剤師さんに聞くと、いま服用している薬では、そのような副作用はあまり確認できないが、その前に使っていた点滴薬の場合は、そのようなケースがあるので、ひょっとしたら前に使っていた点滴薬の副作用が今ごろあらわれたのかもしれない、ということだった。まさに副作用の亡霊である。副作用って、どこにどう出るかがわからないので、言ってみれば運次第なのだ。

それにしても、血液検査ってすごい。自分は健康だと思っても、血液検査は定期的にしておく必要があるぞ。次の検査は3週間後である。その間に筋肉の炎症の数値が下がっていれば、薬の副作用ではないということになるが、はたしてどうなることやら。

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親バカ行進曲

すこぶる体調が悪い。

それでも今日の午後は都内で憂鬱な会合に出席しなければならない。

12月2日(土)

保育園の学芸会がおこなわれた。来年4月から小学校に通う娘にとっては、保育園での最後の行事である。

演目は、「太鼓演奏」「劇」「歌」と、バラエティに富んだ構成だった。

20人もいるから、キャスティングがなかなかたいへんだ。「太鼓演奏」と「歌」については、おのずと全員参加できる仕組みだから問題ないのだが、問題は「劇」である。

限られた役を20人で演じなければならない。場面ごとに出演者を区切り、ダブルキャストどころか、トリプルキャストである。特定の子どもが目立つと保護者からクレームが来ることを恐れて、保育士さんもかなり苦労してキャスティングを考えてくれたようだった。

しかし20人もいれば、いろいろな子どもがいる。いくら練習しても段取りどおりにはいかないのは当然である。

そんな中にあって、うちの娘は、格段に上手だった。もうね、セリフも仕草も完璧だった。他の子がバカに見えてしょうがない。

保育士さんもそのことを十分に理解していたようで、娘を、「劇」の終盤の、一番大事な場面に起用していた。

この「劇」で最も重要なセリフ、

「生きていることのほうがよっぽど地獄だ」

を任されたことが、何よりの証拠である。

うちの娘がすごいのは、ほかのお友だちのセリフも全部頭に入っていたことである。当日の朝、一人で通し稽古をしていたのだが、お人形さんをほかのキャストに見立てて、そのお人形さんにセリフを言わせ、自分のセリフのタイミングをつかんでいた。

こりゃあもう、子役劇団に入れた方がいいな。で、僕がステージパパとなる。

ということを考えたのだが、それでは親の負担が大きいので面倒くさい。

いま考えているのは、高校に入ったら演劇部に入って、高校演劇の伝説的な俳優をめざすのはどうか、ということである。六角精児さんみたいに。

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コンサート

12月1日(金)

午後の会議を終えて、急ぎ都内に向かう。今日の夜はあるミュージシャンのコンサートに行くことになっていた。

この夏に若くして亡くなった知り合いの編集者が好きだったミュージシャンの1人だ。毎年この時期に、都内の立派なホールでコンサートを1日だけするというので、編集者にゆかりのある人で行くことになったのである。ピアノの弾き語りをするミュージシャンである。

ミュージシャンのコンサートなんて何年ぶりだろう、と思い出すと、ちょうど10年前に、前の勤務地に住んでいるときに行った矢野顕子さんのコンサート以来のような気がする。矢野顕子さんがピアノの弾き語りをするコンサートだった。

入口で整理券の番号順に並んでいると、ひとりのおじさんが入場整理をしている。

「整理券番号1番から100番の人、お入りください!」ずいぶんと手慣れている。

「あの方は、このコンサートの企画者ですよ」

と、同行の人が教えてくれた。

「え?そうなんですか?」

「ええ、もう10年以上も、このミュージシャンと二人三脚でコンサートをおこなっているのです」

そうはいっても、マネージャーというわけでもないらしい。現在の正式なご職業は不明である。

「じゃあ、まだ売れない頃からこのミュージシャンに賭けていたわけですね」

「そうでしょうね。将来は絶対にこのホールでコンサートをするんだと言っていたそうですから、夢が叶ったというわけです」

「まるで執筆者と編集者の関係みたいですね」

「なるほど、言われてみればそうですね」

それにしても、このコンサートの企画者本人が、入場整理をするだろうか。入場整理が終わったら、今度は壇上に立って司会をこなしている。このコンサートにかける愛情が並大抵のものではないことがうかがい知れた。

今回は、新たな試みをとりいれたようで、実に不思議な感覚を覚えた。あっという間の2時間だった。

このコンサートには、亡くなった編集者のお連れあいの方も来ていて、お通夜の席でご挨拶した程度だったのだが、初めてちゃんとお話しすることができた。思い出話は尽きなかった。

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メールの暴力・その2

11月30日(木)

いつぞやも、「メールの暴力」というタイトルで記事を書いた。

出勤するなり、職員さん2人が「ちょっとご相談してもよろしいでしょうか」と仕事部屋をたずねてきた。こういう場合は、たいていは不吉な相談である。

その予感は的中した。ある人が、職員さん2人に向けてクレームのようなメールを送りつけてきたのである。文面を見て、よくこんなことが書けるなあと驚いた。

よくよく話を聞いてみると、非は明らかに先方にある。こちらがよかれと思ってしたことに対して、なぜか上から目線でキレているのである。事務手続きを誠実に行っている職員に対して、何も事情のわかっていないヤカラが因縁をふっかけてきたようなものである。

一人は恐怖におびえ、一人は怒りに震えた。そのやり場のない恐怖や怒りをどこにぶつけたらいいのか、とにかく話だけでも聞いてほしいと、経緯を聞いた。

「こんなメールを受け取ったら、メンタルがやられてしまうねえ」

この問題は僕が引き取ることにし、僕の責任で事態を収拾することにした。そもそも、立場の弱い職員にクレームをつけるというのは、あってはならないことなのだ。現段階では、事態が収拾されたかどうかはまだわからないが、もう二度とこういうヤツとは一緒に仕事をしないぞと僕は誓ったのである。

以前も、別の職員がクレームのメールを受け取ったことがあった。その職員は気丈な性格だったので、一人で事態の収拾をはかったようだった。そして最後にそのメールのやりとりの一部始終を僕に転送してくれた。「こんなメールが来ましたので、こういう対応をしました」と。

僕はその職員にうまい対応だったと労をねぎらい、こういう人がいるとは困ったものだねと返信をした。その気丈な職員さんも、さすがに一人ではこの問題を抱えきれず、だれかと共有をしたかったのだろう。それでメールの一部始終を僕に教えてくれたのだ。そんなことが以前にあって以降は、職員のメンタルを守ることが何より大事なのではないかと思うようになった。

それにしても、人はなぜ弱い人に向けてクレームを言いがちなのだろう。

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