誕生日おめでとう
1月7日(日)
僕の同業者で、生年月日がまったく同じという人がいる。月日だけではなく、生年も同じなのである。そのことを知ったのは、20代の頃である。当時関西に住んでいた彼と、ある会合ではじめて会った時に知ってびっくりした。そのとき、どうして生年月日が同じという話にまでたどり着いたのかは、記憶にない。まったくの偶然である。
それから縁がないだろうと思っていたが、彼とはその後同じような職業的経歴を積み、いまではなぜか彼のプロジェクトに僕が参加し、昨年は共編で一緒に本まで出したのだから驚きである。「生年月日占い」というものがもしあれば、二人はほぼ同じ人生を歩んでいるのである。
Facebook上でも友だちにもなっているが、彼も僕も、Facebookをほとんど更新しない。しかしながら僕の誕生日に、彼に対する「誕生日おめでとう」のメッセージが届いているのを見るのは、変な感じだ。とくに、彼と僕のFacebook上での「お友だち」というのは、同じ業界人だけにかなり重なっていて、よく知る人たちから、Facebookをほとんどやっていない彼に、「誕生日おめでとう」のメッセージが届くのである。僕の誕生日はまったく無視される。
それもそのはずだ。数年前から、誕生日を非公開にしたので、お友だちから「誕生日おめでとう」メッセージが届くのがとたんに皆無になった。これだけでも精神的にずいぶん楽になった。あたりまえだが、「誕生日おめでとう」のメッセージなんて、誕生日を公開しているかしていないかに過ぎない、公開していない人の誕生日なんて顧みられないのだということに、彼へのメッセージを見ながら気づかされる。
では、「誕生日おめでとう」のメッセージがまったく不必要なのかといえば、そうは思わない。この年齢になっていまさら誕生日なんて、と思う人も多いかもしれないが、年齢が上がるほど誕生日は重要なのである。とくに病気をしてから感じたのだが、よくぞ生きて誕生日を迎えられた、という感慨に浸るようになったのである。
かといって、この記事を読んだ人が、万が一でも「誕生日おめでとう」とメッセージをくれるというのは違うなあと思う。まことにへそ曲がりな性格である。
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