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2024年2月

荷造り狂騒曲

2月28日(水)

新幹線と在来線を乗り継いで、家から5時間ほどかけて、目的地の「北の町」に到着する。

3泊4日の用務である。しかも、完全にアウェイな出張なので、荷造りに苦労した。

出張が面倒くさいのは、荷造りにあるといっても過言ではない。ただ手ぶらで用務地に行って、その場で会合に参加したりする出張もなくはないのだが、今回は未知の用務なので、何が起こるかわからない。そういうときの荷造りはたいへんだ。

まず防寒対策。屋外での用務もあるということで、どのていど着込んでいったらいいのかを見極めるのが難しい。あんまり厚着する準備ばかりしてしまうと、荷物が重たくなる。

次に薬。いまの僕にはこれが一番大事なのだが、3泊4日の間に飲む薬の分量を、過不足なく準備しなければならない。いまの僕のいちばん大切な仕事というのは、毎日午前中に何種類かの薬を飲むことなのだ。しかも服用に時間差があったりする。とにかくそれを怠ってはならない。薬を飲み終えれば、もうその日の仕事が終わったといっても過言ではない。

そして資料類。おおよそ予想される作業にともなって資料を用意しておく必要がある。

充電器類も忘れずにもっていかなければならない。

あとは本。旅のお供に読む本として何を選ぶかも、荷造りにおいて重要な要素である。これをはずすと、長時間の移動を棒に振ることになる。

…といった感じで、昨晩時間をかけて荷造りをし、さらに翌日も出発間際まで荷造りした中身を再検討し、ようやく出発である。はたして今回の荷造りは吉と出るか?凶と出るか?

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泣きの演技

ドラマ「おっさんずラブ」(全9回)もいよいよ終盤である。

第8回の最後は感動的な場面だった。主人公の3人がそれぞれ泣く場面である。

3人いずれも、もらい泣きするレベルの迫真の演技で、感動したのだが、ちょっと気になることがあった。

田中圭さんと林遣都さんは、いずれも目から涙をこぼし、鼻水まで垂らして泣いている。

一方で、吉田剛太郎さんも声を上げて号泣する。感情が爆発する迫真の演技なのだが、涙が出ていない。といって、不自然な泣き方というわけではなく、観ている者の感情を揺さぶる泣き方なのである。

些細といえば些細な違いなのだが、この泣きの演技の違いはどういうことなのだろう?

思い浮かんだのは、演劇的な泣き方か、映像的な泣き方家の違いではないか、という仮説である。

吉田剛太郎さんは演劇の舞台出身の俳優で、ほかの2人はおもにテレビや映画などで活躍している。

吉田剛太郎さんは「舞台映え」する泣き方をし、一方ほかの二人は「映像映え」する泣き方をしたのではないだろうか。

「おっさんずラブ」じたい、舞台演劇のようなテイストのドラマなので、どちらの泣き方もまったく違和感がない。

ほんとうに些細なことで、だからどうなの?と言われれば返す言葉もない。

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モヤモヤが晴れる

2月24日(土)

最近、物忘れがひどい。加齢によるものなのか、何らかの副作用的なものなのか、よくわからない。

同業者集会2日目。200人以上が参加している。

20年以上前から参加しているが、若い頃はいろいろな方にこちらから挨拶に行くということが苦手だった。ベテランの参加者の方々は、当然僕のことなんか知らないから、ほとんど声をかけられることもなかった。

ところが年齢を重ねてきて、いくぶん顔が知られるようになったのか、挨拶をされる側になることが多く、ありがたいというか、面はゆい気持ちである。

物忘れがひどくなったせいか、この人誰だっけ?と思う人にはなかなか挨拶しづらい。ところが向こうから挨拶をされるととたんに思い出すから不思議である。不思議というか、あたりまえか。

そんなふうだから、僕自身、たぶん失礼極まりない人間になっているのだと思う。

会場は自由席である。2日目、空いている席に座ると、ひとつ席をあけた隣に、見たことのある女性が座っていた。

なんとなく向こうが会釈をするもんだから、こっちも会釈をする。

お顔を拝見すると、どこかでお会いしたことのあるお顔である。マスクをしているので自信がないのだが、いや、どこかで絶対お会いしているはずである。

(誰だっけなあ…。どこでお会いしたんだっけなあ…)

必死になって思い出そうとするが、全然思い出せない。

そうなると、そのことばかりが気になって、壇上でお話ししている人の内容が頭に入ってこなくなる。

(うーん、どこでお会いしたんだっけなあ…)

そんなに気になるんだったら面と向かって聞いてみたらいいじゃん!と思うかもしれないが、

「以前、どこかでお会いしましたか?」

と聞くと、古いナンパのテクニックかよ!と思われるのも恥ずかしく、こっちから聞くこともできない。

モヤモヤしたまま、2日間にわたる集会が終わった。

席を立つと、その女性が、

「ご挨拶が遅くなりました。○○委員会ではお世話になっております」

と話しかけてきた。それを聞いて一瞬にして思い出した。

ぼくは年に2,3回、その○○委員会の会議に出席しているのだが、その委員会のスタッフのお一人だったのである。

その委員会のメンバーは何人もいて、それを支えるスタッフの方も何人もいるのだが、そのスタッフの一人だったとは!

その方とは直接お話ししたことはなく、会議の時に「よろしくお願いいたします」「お疲れさまでした」ていどの挨拶しかしていない。どうりで思い出せないわけだ。

先方も、(私のことなんぞ憶えていないだろうな…)という気持ちで、僕に挨拶するのを躊躇っていたのかもしれない。でも、面識があるのに挨拶しないということにもまた躊躇いがあり、最後の最後に思い切って挨拶をしてくれたのだろう。

私は、

「どうもお世話になっております。すみません。ご挨拶をしようと思ったのですが、私から声をかけるのが躊躇われたもので…」

と訳のわからない言い訳をしたのだが、このままモヤモヤを抱えて帰ることにならなくてよかった。

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激混みで「人あたり」

2月23日(金)

新幹線と在来線を乗り継ぐこと約3時間。用務先に到着する。

まず驚いたのは、東京駅が激混みだったことである。3連休の初日ということもあり、旅行に出かける人が多かったようだ。それに加えて、今日はやんごとなき方の誕生日で、一般参賀に訪れた人もいたらしい。

新幹線も満席で、なかなか窮屈な思いをした。

用務先に着いたら着いたで、ここもまた激混みである。今日から2日間にわたって行われるこの集会は、今年でちょうど半世紀を迎えるという記念の回ということもあり、ふだんより多くの人がお祝いに来ていたのである。

受付を済ませると、先週会ったばかりの旧友と再会した。

先週は懐かしさを感じるばかりだったが、今日はそれほどありがたみがない。だって先週会ったばかりなんだから。

1日目の日程が終わり、会場から1時間ほどかけて予約していたホテルにチェックインする。ふつうならば30分ほどで到着できるはずなのだが、なにしろ両足の裏が痛いもので、一歩一歩歩くたびに激痛が走る。だからどうしても歩みがのろくなり、ふつうの人の倍以上かかるのである。

やっとのことでホテルにたどり着き、チェックインをして部屋に荷物を置いたら、一息つく暇もなく、懇親会の会場に向かわなければならない時間になっていた。この懇親会の会場というのが、駅からやや離れたところにあってわかりにくい。ホテルから懇親会会場までの道のりをGoogleマップで調べたら、歩いて19分とあった。

この足で19分歩くのはちょっと、というかかなりキツい。しかも路面には雪が残っていて、ところどころ道が凍っているのである。僕はタクシーをつかまえて会場に向かった。

懇親会会場に到着。ここからがまた大仕事である。いろいろな人と挨拶を交わさなければならない。朝から「食あたり」ならぬ「人あたり」していたので、なるべく目立たないように座っていた。それでもいろいろな方々とお話しすることに変わりはなく、すっかりと疲れてしまった。

ただ、ふだん踏みこんだお話をしたことのない人と、あらためてじっくりお話しできたりして、その方の考えを知ることができるよい機会となった。

2時間を越える懇親会ですっかり疲れてしまい、2次会の流れに乗らないようにそそくさと会場を後にした。

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マジで気が重い2日間

2月17日(土)、18日(日)

前回書いたが、都下の町で大規模な会合があり、2日目の最後には総合討論の司会をしなければならないので、この2日間は緊張を強いられっぱなしだった。参加するだけなら途中で居眠りをすることもできるのだが、司会となると、すべてのプレゼンをしっかり聞いておかないと、まとめることができなくなってしまう。だから1日目から気が抜けないのだ。

1日目が終わると、夕方は懇親会である。100名以上が参加した立食パーティーで、「政治資金パーティー」並みに食べ物がなかったが、何人かの人たちと久しぶりに再会することができて、話をしているうちに2時間が経ってしまった。僕はこの会合では「アウェイ」みたいなものだから、それほど知り合いが多くいるわけではないが、それでも珍しく間が持ったのである。

旧友が遠路上京してきて、久しぶりに会ったのも嬉しかった。「このあと2次会どうです?」といわれ、いつもなら2次会はお断りしているのだが、旧友との再会がとても楽しく、4人の気の合う者同士の2次会だったので、緊張が緩んで、ひたすら爆笑していた。

翌朝、けっこう辛かったが、9時過ぎに会場に着いて、続きのプレゼンを必死に聞いて、午後の総合討論を迎えた。

僕は司会を頼まれるといつも、事前に入念な打合せはあまりせず、本番は淡々と進めるというのが信条なのだが、登壇者にとってはそれが心配らしく、こいつに任せてほんとうに大丈夫なのか、という目で僕を見ていた。しかし壇上に上がれば、司会者は絶対権力者だ。後半は自分の好きなようにやらせてもらった。そして破綻することなく総合討論は終了した。

夕方4時前にようやく大規模な会合が終わり、そのあと、同じ場所で小さな打合せがあったのだが、そこでも司会をやらされた。しかしもう僕は抜け殻も同然である。

もう二度と司会はやらない。

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不適切にもほどがある?

2月15日(木)

今週の土日に、都下の町で大規模な会合がある。僕もその会合に少しかかわっていて、2日目の最後には総合討論の司会をしなければならず、慣れないテーマなのでマジで気が重い。

その会合には、旧友も参加することになっていて、遠路上京することになったのだが、夜になってメッセンジャーにメッセージが入っていた。このやりとりがとても面白かったので、一部表現を改変して引用する。

「こんばんはー。今週の17,18日の会合にはいらっしゃいますか?」

「2日めに司会しなきゃいけないんで2日とも出ます」

「懇親会も出ますか?」

「懇親会も出る予定です。お待ちしてますよ!」

「了解。いま東京にいるかつての同僚とも少し2次会調整してます。もし都合がつけば。ただ弱点は、まだ宿とってないという…」

なんと!今週末の会合なのに、宿をおさえていないのか?!いまの常識だと、宿がとれないか、とれたとしても相当高額だぞ!

「宿大丈夫?なかなかとれないと聞いたけれども」

「えー!まだ大丈夫かと。YouTube見てた(笑)。いま、楽天トラベル行ってきます。最悪、その日に電話しても基本大丈夫な大学の部活の同期の初台のおうちに泊まろうか…。情報ありがとう」

人の家に泊めてもらうなんて、完全に昭和のおじさんのノリだな。ドラマ「不適切にもほどがある」を地で行くようで笑えてしまう。

「初台、遠いなあ。立川あたりが無難だけど、ホテル代がちょっと高いね」

「中央線と京王線がぐちゃぐちゃ。大学生の時はあのあたりは得意だったのに。一回YouTube切りま~す」

「切れ切れ!(笑)」

しばらくしてまた連絡が。

「いま土日の立川のホテルの値段に圧倒されています。これまでは土日に東京で会合があると先輩の同僚にとってもらったり同期の家に泊まっていたから気づかなかった。大丈夫、もう55歳の大人なんだから」

ますますドラマ「不適切にもほどがある」を地で行く人だ。本当に大丈夫だろうか?

「健闘を祈ります」

しばらくして楽天トラベルのスクショが送られてきた。立川のホテルで、値段も高額である。このホテルを予約したということだろうか。

「とれた?よかった」

「まだです。今どこまでお金を出せるかとか喫煙部屋にするかしないかの中で葛藤中。奥さんが横でテレビを観ています。恐くて画面を見せれません。楽天戻ります」

たしかに高いからなあ。僕は少し離れたところも対象にして、安いホテルを探して情報提供をした。しばらくすると、また楽天のスクショの画面が送られてきた。こんどは「予約完了しました」の画面である。

「夜分すみません。お騒がせいたしました。半分業務で行くので、おすすめ魅力的だったのですが、乗り換え酔っ払って迷いそうで、何かあると悪いので近場の立川でとりました。いろいろと情報ありがとうございました。当日は頑張るぞ!」

最終的によい結果に着地した。

「このことは主催者に黙ってて下さい」

といわれたが、大丈夫。ここは利害関係者が読んでいないから。

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続・前のめりな人

以前に「前のめりな人」という文章を書いた。

ふり返れば、40代前半頃までは、僕も前のめりな人間だったのかもしれない。しかし6年半ほど前に大病を患ってからは、あまりガツガツと仕事をすることができなくなった。

タモリさんがよくいう、

「やる気のある者は、去れ!」

という心境が、いまとなってはよく分かる。

なぜそんなに生き急いでいるのですか、と聞きたくなるような人をたまに見かける。限られた時間でいくつもの仕事をこなそうとする。

これもしなければ、あれもしなければ…、と、一日で全部片づけようとする人がいた。自分はこの仕事の第一人者である、という自負があるのか、それとも、功を急いでいるのか、よくわからない。

「そんなに無理する必要はありませんよ。時間はたっぷりあるのですから。なにしろいまはまだ『仕込み』の段階でしょう?そんなに結論を急ぐことはありません。そんなに早く結論を出してしまったら、面白くないでしょう」

というようなニュアンスをにじませた言葉を、やんわりと言ったりするのだが、たぶんそんなニュアンスはまったく伝わっておらず、それでもその人は、使命感に燃えている。

もちろん、前向きに仕事に取り組んでいただけることはこちらとしてもありがたいと思い、つい、その人に頼りっきりにしてしまうこちらの側にも反省はある。

やはりここでも大事なキーワードは「ブレーキ」だ。

いつの間にか、僕がブレーキを踏む側にまわっていることが多いことに気づく。たぶんそれは、いいことなのだろうと思う。

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時間のかかる終活

2月12日(月)

タイトルは宮沢章夫『時間のかかる読書』から一部拝借した。

狭いマンションに住んでいるのだが、職業柄、部屋は本で溢れかえっている。だが娘がこの4月から小学生になるということもあり、娘の勉強部屋を確保しなくてはならず、大幅な本の整理をしなければならなくなった。

それが直接的な理由なのだが、そろそろ人生の終盤が見えてきたこともあり、いまから終活をはじめようかとも思っていた。大病を患っていることもあり、いつ何が起こっても不思議ではない。運よく定年まで命が長らえたとしても、あと10年である。この年齢になると、もう新しい分野に手を広げることはできない。30代の頃は根拠のない万能感が自分を支配していて、関心の赴くままにいろいろな本を買っていたが、もうそんな年齢でもなくなった。「現状維持」を目標にするしかなくなったのである。

それに、定年退職をした人たちにいろいろと話を聞いてみると、やはりいちばん困ったのは蔵書の整理だという。職場に仕事部屋を持っている人は、その部屋に蔵書を押し込めればいいけれど、退職したら職場を追い出され、蔵書もすべて引き取らなければならない。定年後に家を改装して「移動式書棚」を作ったという人の話を聞いたのだが、「定年後にわざわざ移動式書棚を作る必要があるのか…」と自問自答を繰り返している。かといって、段ボールに入れて積んでいても、たぶんその先の人生では絶対に段ボール箱が開けられることはないだろう。

だとすれば、「段ボールに詰めたとして、もう絶対に開かないであろう本」を、仕事が現役のうちにできるだけ有効な処分をしたほうが、後々楽である、ということになる。そんなわけで、いまから終活をはじめることにしたのである。

蔵書整理の方針は、次のようなものである。

1.ほんとうに残す必要があるものについては、自宅に残す。

2.もはや自分が持っている必要がなく、かつ、職場の図書室に入っているのがふさわしい本であるにもかかわらず現時点で職場の図書室に架蔵されていない本については、職場の図書室に寄贈する。

3.もはや自分が持っている必要がなく、職場の図書室に入っているのがふさわしいもので、かつ職場の図書室に架蔵されている本については、しかるべき古書店に引き取ってもらう。

4.仕事に関係のある一般書で、職場の図書室に入れるほどではない本については、とりあえず実家に移動する。

5.仕事と関係のない一般書で、今後絶対に読むことはないだろうという本については、本のリサイクルショップに引き取ってもらう。

この1~5の判断がなかなか難しい。

僕としては、なるべく「2」の判断をしたい。なので、この本は職場の図書室に架蔵されているか否かを、1冊1冊検索をかけて調べて、ないものだけを選り分ける。これにはけっこう時間がかかる。

結局、大部分は「4」になってしまう。今日は段ボール8箱分を、実家に移動した。だがこれは厳密にいえば「終活のための断捨離」ではなく、「問題の先送り」に過ぎない。ただ、あるていど実家に本がたまったら、こんどは実家にある本の中で選別をして、いらない本をリサイクルショップに売らなければならない。

そう考えると、終活には思った以上に時間がかかる。

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君も博士になれる展

2月11日(日)

せっかくの3連休、5歳の娘をどこかに連れていきたいと思いつつ、なかなか適当な場所が思い浮かばない。娘は「カラオケに行きたい!」と頻りに言うのだが、あまり健康的な感じがしないので却下した。それに代わる面白いものを見つけなければならない。ただし、身体を動かすこととか、アウトドアの遊びというのは、こっちの体力がないということから選択肢にものぼらない。

考えたあげく、「君も博士になれる展」に行ってみるのはどうかと考えた。民放のテレビ番組から派生した展示というかアトラクションである。それを思い付いたのが、今日の10時頃、そこから慌てて調べて、どうやら本日の入場チケットが買えそうだとわかり、急いでスマホでチケットを購入して、姪や母方の祖母にも急遽呼びかけて、総勢5人で車に乗って40分ほどかかって到着したときには、お昼の12時をまわっていた。

すでにチケットの購入手続きの際に、13時からの入場と決めてしてしまったものだから、1時間弱で昼食をとらなければならない。こっちは事前に何も調べてこなかったものだったから、「昼食はどこか適当な場所があるだろう」と高をくくっていたら、ドトールコーヒーしか見つからなかったので、そこで軽食をとることにした。

で、13時に入場したのだが、思ったよりもスペースが狭く、しかも多くの家族連れでひしめき合っている。もちろんそこにあるアトラクションじたいは、小さい子どもの興味関心を引くものばかりであり、楽しめる空間になっているのだが、それにつきそっている大人、というか僕は、だんだんと具合が悪くなっていった。

2時間も遊んでいればもう限界、というのは大人の理屈で、5歳の娘にとってはもっと遊びたいらしいのだが、やはり5歳の娘の体力も気持ちには追いつかず、最後はグズり始めたので、車に乗ってそそくさと帰ってきた。隣接したお店は、本屋と文具屋とCDショップが合体したような夢のようなお店があったのだが、捲土重来を期すことにした。

建物を出ると、具合の悪さが次第に解消されていった。よくよく考えると、僕は酸欠状態に陥っていたのだ。あの狭い空間の中で、多くの人たちがひしめき合っていれば、自然と酸素が足りなくなる。建物を出たとたん、ひんやりと澄んだ空気に触れたことにより、僕の気持ちは建て直されていったのである。とはいっても、肉体的に疲れたことじたいは解消されることはなかった。

この地元に住む後輩に後から聞くと、ちょっと歩けば食べるところはたくさんありますよと教えてくれたのだが、なにぶんそんな調子だったから、周りを見る余裕などなかった。教訓としては、思いつきで行くものではなく、事前にいろいろと調べてから行った方がはるかに有意義だという、実にあたりまえの結論である。

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原稿料はお茶でした

以前にも書いたが、あるおカタい出版社から「職業的文章」の依頼が来て、引き受けたはいいものの、まったく書くことが思い浮かばないまま漫然と過ごしていたところ、「前の前の職場」の教え子であるMさんがある場所に案内してくれたことがきっかけで着想が浮かび、2週間で書き上げて送信した「職業的文章」を掲載した本がつい先日完成して、送られてきた。

まあどうしたって「付け焼き刃」感は否めないのだが、原稿を「落とす(書けない)」よりはマシだろうと開き直っている。

そもそも出版契約も交わしておらず、なかば口約束で引き受けた仕事なので、原稿料など望むべくもないだろうと思っていたが、そのとおりだった。送られてきたのは、完成した本2冊と、正方形の扁平な箱に入った軽い「何か」だった。

「ほんのお気持ちです」

と、1枚の紙にワープロ打ちした言葉が書かれていたのだが、何だろうと思って開けてみると、お茶のティーバッグの詰め合わせだった。

そういえばこの「正方形の扁平な箱」、見覚えがあるぞと思ったら、先日韓国を訪れた際に、韓国語を学んだナム先生からいただいた済州島特産のお茶のティーバッグの詰め合わせセットとまったく同じ規格の箱だった。中身はもちろん、日本の緑茶である。

原稿料はお茶なのか…と、僕は苦笑した。

最近はお茶のティーバッグをいただくことが多い。先日のナム先生の済州島のお茶や、原稿料代わりの緑茶だけでなく、中国出張から帰ってきた友人に「お土産です」と渡されたものが、やはり中国のお茶のティーバッグだった。お茶のティーバッグは軽いので、渡す方も受けとる方も、お土産としたちょうどよいものなのだろう。

これでしばらくお茶には困らなくなった。

僕はいままで、真冬でも冷たい麦茶ばかり飲んでいたので、温かいお茶を飲む習慣がなかった。健康に悪いと家族には叱られていたのだが、これを機に、温かいお茶を飲むことに決めて、家ではせっせとお茶を飲んでいる。

到来物なのでこれがまた美味いんだ。

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往復9時間、滞在4時間

2月8日(木)

この日の出来事は、表題の通りである。

朝早く家を出て、新幹線で北へ向かう。自宅から4時間半ほどかかって目的の町に到着した。

そのまま車に乗せられて会場に向かう。予定では、2時間半にわたる会議がおこなわれるはずだった。ところが実際には、会議は1時間半で終わってしまった。

(これでもう終わりなのかな…)

と思っていたら、さすがに1時間半で終わるのが忍びなかったらしく、現地視察がおこなわれることになった。

昨年の大雨で土砂崩れが起こった場所数カ所を車で見て回るという視察である。現地に着くたびに車を降りて崖を観察する。

ある場所に来たとき、

「ここから少し歩くのですが、道がぬかるんでますので長靴に履き替えてください」

と言われた。おいおいずいぶんとガチで現地視察をするんだな、と思いながら、用意された長靴に履き替える。

よりによって足を痛めているときに足場の悪い道を歩く時間が与えられるというのは、いつものことなのでさほど驚かない。

そこからしばらく歩いたところに土砂が崩落した現場があった。

「なるほどこれはたいへんだ」

という感想を抱き、再び車まで戻って長靴を本来の靴に履き替えた。

そうこうしているうちに、いい時間になった。

行きの新幹線を降りてから、帰りの新幹線に乗るまで、ちょうど4時間が経っていた。

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1年ぶりの再会

2月4日(日)

1年前に書いた記事を引用する。

「2020年の4月から、あるプロジェクトにかかわることになった。そのプロジェクトの義務は、1年に1度、2月の第1週の土日にプロジェクトの成果をみんなの前で報告すること、というものだった。だから毎年、2月の第1週の土日はそのために空けておかなければならない。

土曜日の午後に成果報告会があり、日曜日はまた別の場所で同じ内容の成果報告会を行うもので、つまりは同じ内容の成果報告を2日連続でしなければならない。土曜日はクローズドだが、日曜日は、けっこうな数のお客さんが聴きに来るという。」

というわけで、今年も2月の第1週の土日がやってきて、昨年と同様の成果報告会がおこなわれた。

今年は県庁所在地ではなく、そこから南に在来線で下った町でおこなうこともあり、あまり人は来ないのではないかと思ったが、そんなことはなかった。

今年もまた、教え子のOさんが聴きに来てくれた。県庁所在地に住んでいるOさんからしたら、この町までわざわざ聴きに来るというのはたいへんだったのではないか、と聞くと、実家がこの町なので大丈夫です、今日は両親も一緒に聴きに来ています、と聞いて、すっかり恐縮してしまった。

今年の成果報告会は、会場の設備の問題なのか、機材のトラブルが何度となく起こり、決してスムーズとは言えない進行となった。パワポの画面がうまく映し出されないと、それがストレスとなり、話し手のメンタルに大きな影響を与えてしまう。しかも時間がきっちりと決められているので、その時間までに話し終わらなければというプレッシャーにも押しつぶされる。そのせいもあり、今回の僕の成果報告はボロボロになってしまった。もっとも、そもそもの内容にも問題があったのではないかと指摘されれば、それまでなのだが。

ところで昨年、Oさんは、地元の観光PR誌に県内の世界遺産をめぐる紀行文を書いていて、その文章がとてもよかった。そのことを、前日の懇親会のスピーチの際に話題に出すと、同席していた世界遺産担当の課長が駆け寄ってきて、

「先生の教え子さんでしたか!」と驚いた様子で、「あの号はとても好評で、いいライターさんに書いてもらったなぁと嬉しく思っていました。先日東京で行われた県のイベントでその観光PR誌をを置いていたところ、すぐに全部捌けてしまったのです」と、嬉しそうに話した。そのことをOさんにも直接伝えたいと思い。この日、Oさんを世界遺産担当の課長と引き合わせた。世界遺産担当の課長は嬉しそうに、昨日と同じ話をOさんに直接語った。

最後にOさんから「今度の3月に新刊が出る予定です」という嬉しい知らせを聞いた。

「ぜひ読みます。なにしろ私は、あなたの小説のファンなのですから」と答えた。

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最寄りの駅は在来線

2月3日(土)

いちばん速い新幹線に乗り、途中の駅で各駅停車の新幹線に乗り、さらに在来線に乗り継いで、目的の町に向かう。ここまで来るのに4時間以上かかった。駅を降りると、雪がちらついていた。

着いたのがちょうど11時50分。お腹がすいたので駅の近くで昼食をとろうと思ったが、駅前はいわゆるシャッター街で、食事ができるようなお店がない。

うろうろと歩いてそれらしき店を探したが、どこも閉まっている。それでもなんとかGoogleマップを駆使して開いている食堂をつきとめ、重いキャリーケースを転がしながら、歩くこと20分、ようやく開いているお店を見つけた。

ようやく見つけたそのお店は、ひどく小さい。中に入ると、ビックリするほど狭くて、しかもその中にお客さんがひしめき合っている。

「少々お待ちください」

と言われたが、先に来ているお客さんはみな、お店に来たばかりの人がほとんどで、待っていてもしばらく出てきそうにない。

少し待ってみたが、やはり席が空きそうにないので、

「また来ます」

といって店を出た。

行事は13時からなので、あまり昼食に時間は取れない。仕方がないので、会場となるホテルにまず行って、そのホテルにレストランがあるはずだから、そこでお昼を食べることにした。

10分ほど歩いてホテルの前に着いたが、思っていた以上に年季の入った建物である。しかも人の気配がない。

フロントが2階にあるというので2階に上がると、フロントに人がいて安心した。

しかし、フロントの横にあるレストランらしきスペースは真っ暗で、よく見ると「閉店中」と書いている。

ここでも食べられないのか…。しかし行事の開始時間は刻々と迫っている。フロントの人に

「この近くで食事できるところがありますか?」

と聞くと、

「ありますよ。ここを出て1分もかかりません」

と教えてくれたのだが、町のあまりの寂しさに、ほんとうに食事をする店があるのか不安である。

教えたとおりに行ってみると、小さなラーメン屋を見つけた。

(フロントの人が言っていたのはここか…)

ラーメン屋に入ると、お客さんが誰もいない。お昼時なのにもかかわらず、である。

おじさんひとりが切り盛りしている店のようだ。

注文したラーメンは、決して味が悪いわけではなかった。しかし僕が食べている間、お客さんは誰も来なかった。

(こんなんでやっていけるのだろうか…)

他人事ながら心配になった。

ラーメンを食べ終わり、なんとか13時開始に間に合った。

慌てて会場へ入ったが、13時が過ぎても行事が始まる気配がない。

前にいただいたスケジュール表を見なおしてみると、行事の開始が13時30分からとなっていた。

これから明日の夕方まで、ホテルから出ることなく行事が始まる。

1日目の行事は、滞りなく終了した。

 

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とんだデジタル化社会

能登の地震については心が痛むばかりだが、マイナンバーカードを担当する大臣が、

「地震が起きたときは、マイナンバーカードを持って逃げてください」

とか、

「マイナンバーカードは財布に入れて携帯してください」

と発言したことは、実に噴飯物だった。大きな地震が起こったときに、マイナンバーカードのことを考えている余裕などないし、そもそもマイナンバーカードは携帯するものではなかったはずである。さらに電気が通っていなければ持っていても何の意味もない。

それだけならまだしも、

「カードリーダーの準備が間に合わない」

という理由で、マイナンバーカードが使えないことがわかり、避難した方々の情報はJR東日本の「Suica」を配布することで対応することになったというのは、マイナンバーカードが役に立たないことを白日の下にさらしただけであった。

すべてをデジタル化することでほんとうに世の中が便利になるのかどうかは、そろそろ本気で考えた方がよい。

昨年末から、保育園の連絡帳がデジタル化された。それまでは、小さなノートに1日1ページ、子どもの様子を書いて登園の時に提出し、保育士さんはそこに短いコメントや既読のサインを書いて降園時に家族に返す、というやりとりを続けていたが、それがスマホのアプリを使った「電子連絡帳」に変わったのである。

ノートに書いたほうがあたたかみがあるし、日記としての意味もあるので、できれば紙の形で続けてほしかったが、途中からデジタル化してしまったので、紙の連絡帳との断絶が起こってしまった。

しかも今朝、電子連絡帳を起動して入力しようとすると、「すべて削除された可能性があります」という表示が出て、どうがんばっても入力・送信ができない。自分がアプリをヘンなふうに操作してしまったのだろうかと焦ったが、登園して聞いてみると、ほかの保護者からも、「電子連絡帳が送信できない」という連絡が何人も来ているという。といって、すべての保護者からというわけではなく、無事に送信できる保護者もいるという。つまり、システムの不具合が生じたのだが、その原因はよくわからないである。

といって、保育園から解決策を示されるわけでもなく、いまもって、僕のスマホに入っているアプリからは入力・送信ができない状態が続いている。

とんだデジタル化社会だ。

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検査ウィーク

2月1日(木)

今週は月曜日に人間ドック、水曜日に、自宅から車で1時間以上かかる総合病院で検査、木曜日は都内のクリニックで検査だった。

月曜日の人間ドックは、こんなに身体がボロボロなのに、細かい問題がいくつかあるがまあ大丈夫でしょうという結論が出た。僕がふだんから言う、「人間ドック=節穴論」は今年も証明された。

水曜日の病院では、おもに薬の副作用についての検査である。血液検査の結果、身体の一部の機能が低下していることがわかり、その機能を戻すことを促す薬が処方された。その機能が低下すると、激しい倦怠感や無気力、記憶力の低下、足取りが重くなり動作が緩慢になるといった症状が出るというのだが、ここ最近の僕はまさにそれらの症状に悩まされているから、原因はやはり薬の副作用によるものだということがわかった。さっそく薬を服用し始めたが、昨日の今日ではなかなか解消されない。

そして木曜日の検査が一番憂鬱だった。3カ月に1回の検査の結果、「また新たな問題が出ましたね」と言われると、そのたびに2泊3日の「ひとり合宿」を余儀なくされる。入院それ自体もたいへんだが、なるべく仕事に迷惑をかけないように入院の日程を調整することもまた憂鬱な作業である。「そろそろこの治療法はあなたの身体にとって限界ですよ」とも主治医に言われており、やがて手の打ちようのないフェーズに移行するのだろうと思うと、これもまた憂鬱である。

朝一で都内のクリニックに行き、30分ほどの検査を受ける。そのあとが、主治医の先生による診察である。

検査が終わって診察室の前で待機していると、僕の名前が呼ばれた。主治医の先生は険しい表情をしている。

(今回も「ひとり合宿」決定か…。それよりなにより、この治療法が限界に来ているのだろうか…)

と不安になり診察室に入ると、

「鬼瓦さん、薬を変えましたか?」

「ええ」

「なるほど。今回は新しい問題が生じなかったんですよ」

「ほんとですか?」

僕はビックリした。この4,5年ほど、3カ月に1回の検査では必ず「新しい問題」が生じ、そのたびに2泊3日の「ひとり合宿」をしていたのだ。つまり年に4回くり返していた。そんじょそこらの治療法とは異なるので、その費用もバカ高いのだ。

「『ひとり合宿』の必要はありません。次回はまた2か月半後に検査しましょう」

「やはり薬を変えたことがよかったんでしょうか」

「そうかもしれません。私も知らない新しい薬なので、後で調べてみます。また2か月半後に検査に来ていただいて、その時も同様の結果になったら、薬のおかげだと言うべきでしょうね」

「ひとり合宿」を免れたというだけで、晴れて自由の身になった気持ちになる。だがまだ油断はできない。執行猶予みたいなものだ。

足取り軽く帰りたかったのだが、薬の副作用のせいで、心とは裏腹に肉体的な足取りはひどく重かった。

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