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2024年3月

飛行機災難

3月30日(土)

今年度最後の出張である。

昨日の夕方に羽田空港を発ったのだが、羽田空港が飛行機の大渋滞で、搭乗してから30分以上も離陸しなかった。

「ただいま、滑走路が渋滞しておりまして、管制塔から離陸の指示が出ておりません」

というアナウンスが繰り返されていた。

これと同じようなこと、どこかで体験したことがあるなあと思い出してみると、15年以上前に中国に旅行に行った時、飛行機に乗ったはいいが、待てど暮らせど離陸しないということがあったことを何となく思い出した。日ごろ定時運航に慣れていた僕にとっては、国が違えば事情が違うのだろうと、さして腹を立てることもなかった。

しかし今回は少し腹が立ってきた。滑走路が渋滞することがわかっているのなら、もう少し対策はとれるんじゃないか?と。もともと、そういうスケジュールを立てた時点で机上の空論だったのだ。

幸い、昨晩は移動が目的でとくに用務もなかったから別にダメージを受けることもなかった。

そして今日が用務の日である。午後から3時間の会合に出席することが、その用務なのだが、午前中はチェックアウトギリギリまで原稿を書くことにし、その後用務先に行って、3時間の会合に出席した。

用務が終わればまた帰途につくわけだが、僕は余裕をみて、19時30分に出発する飛行機を予約しておいた。会合は予定通りの時間で終わり、空港には比較的余裕を持って到着することができた。

お土産を買ったり食事をとったりして時間を潰し、保安検査場を通過して搭乗口に向うと、出発時間が変更されていた。19時30分ではなく、20時10分に変わっていたのである。

おいおい、40分も遅れるのかよ!

空港内のアナウンスでは、使用機の到着が遅れているためと説明していた。しかし注意深く聞いてみると、遅れているのは僕が乗る便だけでなく、ほかのほとんどすべての便が、使用機の到着が遅れるため、ほぼすべての飛行機が出発時間を遅らせるという措置をとっているようであった。

週末だから仕方がないのかもしれないが、僕の記憶ではこれまで定時運航を宗としていたこの国の誇りは、どこに行ってしまったのだろう?そして遅れたからといって、申し訳ないという様子もさほどみられないのである。

いや、別にそれはどうでもいいのだが、これって意外と深刻なことなんじゃないかと思えてきた。だって明らかに仕事が回ってないということでしょう?これからこの国は、こういうことが常態化する国になるのは間違いない。これから改善されてよい方向に向かうということは、到底考えられないからである。

むかしは、「外国(とくに開発途上国)の飛行機は平気で遅れたりするから困る」などと無責任に言ったりしたこともあったと思うが、その言葉はいま、この国に向けられている。人手不足で仕事がたいへんで、回らないんだったら回らないでいいから、先進国の看板を下ろした方がよい。

そんなことは言っても仕方がない。それよりもさらに悲惨なことがあった。

遅れて到着した飛行機に乗り込み、いつものように荷物を上の棚に収納し、ようやく飛行機が離陸した。

羽田空港に着陸して、シートベルトのランプも消え、さあ、荷物を上の棚から取り出そうと座席から立ち、背伸びして上の棚を開けようとしたら、

ズルズルズルっ!!!

と、僕のズボンが床のところまでずり落ちてしまった!

まるでコントみたいな話である。おそらく、ズボンのベルトを「甘締め」していて、背伸びをした時に自然とお腹が引っ込んでしまったため、ズボンがずり落ちてしまったのだろう。

もう最悪だ。満座の席でズボンがずり落ちたのだから。

しかし幸いなことに、ズボンの下はパンツではなく、黒いズボン下を穿いていたため、誰にも気づかれずに済んだ。僕は何事もなかったかのように、ズボンを腰の位置まで戻し、事なきを得た。

バレてなくてほんとうによかった。というか災難だらけだ!

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何かを落とす音

3月29日(金)

飛行機に乗って北の町に向かう。夕方に羽田空港を離陸し、夜に北の町に到着。明日は会合に参加して、終わったらすぐにまた飛行機に乗って帰途につく、という弾丸出張である。せっかく来たのにもったいない。この地域をゆっくりと見て回る機会は訪れるのだろうか。

それはともかく。

僕はあることに強烈な不快感を覚えることに、いまになって気づいた。

それは、「乗り物のなかで物を落とす音を聞くこと」である。

バスとか電車とか飛行機とか、公共交通機関の乗り物のなかで、床に物を落とすってことは、よくあるでしょう。スマホ然り、ペットボトル然り。

床に「ガタン」という音がすると、僕の心はどんよりするのである。

乗り物の床に落とすと、決まってその音が大きく響く。その突然の音にびっくりしてイヤな気持ちになる、ということもそうなのだが、それ以上に、狭い車内でそれを拾わなければいけない行為を想像して、イヤな気分になるのである。

「誰か」が物を落としたということは、当然、その「誰か」つまり当事者が拾うことになるのだが、バスにしろ電車にしろ飛行機にしろ、座席がひどく狭く作られていて、座席と座席の間にうっかり落としたりすると、拾うのが厄介である。まわりの人に「すみません、すみません」と恐縮しながら、身体がつるんじゃないかという格好で落とした物を拾おうとする、という光景まで想像してしまうのである。

(落とした人はたいへんだなあ。このあと、窮屈な状態で拾うという苦行が待っているのか…)

と、悲しい気持ちになる。

もちろんこんなことを言っている僕も物を落とすことがあり、そのたびに身をかがめて拾うのが何よりも苦痛である。おそらく自分に置き換えて考えてみた結果、あの音を聞くと反射的に苦痛に感じるのだろう。

ということは、若い人はあの音を聞いてもさして苦痛にはならないということか。年を重ねれば重ねるほどあの音を聞くのが苦痛になる、というのがいまの僕の仮説。

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薬マネージャー募集

3月28日(木)

車で1時間半をかけて総合病院に行く。まったく、健康でないと病院に通えない。

採血・採尿をして、その結果を基に定期診察を受ける。

「ちょっと○○の数値が上がってますね。もともと高かった数値ですが、ちょっと上がっているのが気になります」

「原因は何でしょうか」

「考えられるのは薬の副作用です。それか、食生活か…」

「もう何年もお酒をやめています」

「とりあえず薬を出しましょう」

ということで、また一つ薬が増えた。

薬の副作用を抑えるために薬を飲む、というのも、何だか可笑しい。

これで僕が1日に飲む薬が5種類となった。

朝食後に1錠ずつ飲む薬が3種類。

朝食の2時間後に飲む薬が1種類。

そして、今回新たに加わったのは、毎食後、つまり1日3回に飲む薬が1種類。

もう訳がわからなくなる。

僕のスケジュールは、薬を中心にまわっている。

これまでは、朝食後と朝食の2時間後にそれぞれ薬を飲めば、もうその日は終わったも同然だった。「ひと仕事終えたな」という感覚で、午後は薬のことを考えなくてよかった。

だがこれからは、昼食後も夕食後も、つまりほぼまる一日、薬のことを気にしながら生活しなければならない。

薬のスケジュール管理をする「薬マネージャー」を雇いたい心境である。

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送別会

3月27日(水)

昨日は職場の送別会だった。同じ職場のなかでも、僕が属する部は基本的に人事異動がない。定年退職で辞めるか、自分の意志で転職するかのどちらかである。しかしもう一つの部は、人事異動が激しい。部内の別の課に異動したり、人事交流という名目で数年間別の職場に異動したり、逆に別の職場から人事交流で来た人がもとの職場や新しい職場に移ったりと、事情はさまざまである。

なかでも切ないのは、有期雇用の人たちである。こまごまとした仕事をしていただくことが多く、僕もいろいろな方にお世話になっているのだが、日ごろお世話になっている方が突然、「実はこの3月で任期が終わるのでこの職場を去ることになりました」と言われると、せっかく慣れてきたのにと残念な気持ちになる。4月からはまた一から関係を構築しなければならないのかと不安な気持ちにもなる。

一期一会と割り切っていくしかないのだろう。さよならだけが人生だ(by井伏鱒二)。

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驚愕のお店屋さんごっこ

3月26日(火)
娘が誕生日を迎え、6歳になった。
最近驚いたことがあった。

娘が保育園で「お店屋さんごっこ」をして遊んだようで、家に帰ってその遊びを再現してくれただが、お金を支払う段になって、娘がこんなひとり芝居をはじめた。

「アイスクリーム、おいくらですか?」

「200円です。お支払いはどうされますか?」

「PayPayで」

「PayPayですね、はいどうぞ」

ピッ!『PayPay!』(カードをタッチしたときに出る音声)

「ありがとうございました」

…いまどきの「お店屋さんごっこ」では現金での支払いをしないことにも驚いたが、それ以上に驚いたのは、娘が絶対に知るはずのないPayPayでの支払いを忠実に再現していたことである。なぜなら、私も妻も、PayPayで支払ったことがなく、そもそもPayPayのアプリも持っていないからである。


「PayPayのこと、だれに教わったの?」

と聞くと、娘は何人ものお友だちの名前をあげて、

「みんな知ってるよ」

と言うではないか。つまり他のお友だちのパパやママは、ふだんからPayPayを使って支払いをしているから、それを見ていた子どもたちが「お店屋さんごっこ」にPayPayの支払いを導入したというわけである。

いつも現金払いやクレジットカード払いをしている僕と妻は、急に取り残された気持ちになった。現実にPayPayでの支払いを見たことのない娘にも、申し訳ない気持ちになった。

といって、今後もPayPayを導入するつもりはない。

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閉会挨拶

3月24日(日)

何度でも書くが、年度末の週末はほとんど仕事で埋まってしまう。

いろいろなプロジェクトが、年度末に駆け込みで会合を行うためである。いくつものプロジェクトを掛け持ちしていることが仇になって、首が回らなくなる。自業自得とはこのことである。

今日は北関東の中核都市で会合があったのだが、僕はそこで「閉会の挨拶」をしなければならなかった。そういう役回りなので仕方がない。

会合でのお話を気を抜くことなく聞き、それをふまえて10分弱の閉会の挨拶をしなければならない。つまりいってみればちょっとしたコメントであり、あらかじめ台本が用意できないのである。

もちろん台本をあらかじめ用意してどんな内容の会合であっても変わらない挨拶をすることも可能なのだろうが、そんなものは僕だってつまらない。登壇者のお話を聞いた内容を織り交ぜながら挨拶をその場で考えたいのである。落語の三題噺みたいなものである。

一生懸命登壇者のお話を聞きながら、メモをとってみたのだが、これを10分以内にどのようにまとめたらいいかがむずかしい。

結局、ノープランのまま喋ることにした。もちろんメモは手元で参照していたが、結果的に、自分が漠然と思い描いていた話の流れとは異なる挨拶となった。しかもそれが不思議なことに自然に口をついて出てくる。まあそれでも破綻なくまとめたのでよしとしよう。

それもこれも、さんざんラジオを聴いているおかげだろうと、僕はラジオに感謝した。

そのあとの懇親会は、完全アウェイだったので出たくなかったが、立場上、参加しなければならない。あいかわらず僕は最後まで取り残されていた。

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卒園メッセージ

3月23日(土)

毎日なかなか忙しい。今日の午前中は実家のお墓参りをし、午後は都内の私立大学でみっちりと打合せを行った。明日は北関東の都市で会合である。自業自得と言われればそれまでなのだが。

一昨日の保育園の卒園式のときに、「思い出」というタイトルの卒園文集がひとりひとりに渡された。卒園文集、といっても、当然、園児が文章を書くのではなく、保護者が文章を書くのである。ひとりあたり見開き2ページを使い、左ページには子どもが書いた「自画像」と簡単なアンケートの回答が載り、右ページには、「小さかった頃は…」というテーマと、「そつえんをむかえるあなたへ」というテーマで、保護者がサインペンを使って手書きの文章を書くことになっていた。事前にそれを提出し、保育園の方で簡易製本に仕立てて、みんなに配ったのである。

保護者から子どもへのメッセージなんて、みんなどうせ月並みなことしか書かないだろうし、どうせだれも読まないだろうからと、いつもの私の悪いクセで、通り一遍ではないメッセージを書こうと考えた。せっかくなので、ごく一部だけ改変して全文を書き残しておく。

「そつえんおめでとう!!

○○さん(娘の名前、以下同)がうまれたばかりのころ、パパはあるゆうめいなえいがかんとくとおしごとをしました。そのかんとくはしきしにこんなことをかいてくれました。

「○○さんへ

映画(えいが)の学校(がっこう)の良(よ)い生徒(せいと)で、賢(かしこ)く優(やさ)しく育(そだ)ちましょう」

そのことばどおり、○○さんはえいががすきなこどもにそだってくれました。パパとママはとてもうれしいです。パパやママとえいがかんにいってえいがをたくさんみたよね。がくげいかいでちゃんとうたったりおしばいができたりしたのは、えいがをたくさんみたからだと、パパはおもいます。

がっこうはひとつだけではありません。えいがかんでえいがをみることも、がっこうにかようこととおなじくらいたいせつなことです。これからも、パパやママといっしょにえいがのがっこうにかよって、かしこくやさしくそだちましょうね」

ほかの保護者は、子どもがこれから小学校に通うことが楽しみだというニュアンスのことを書いているが、僕はちょっとへそを曲げて、「学校はひとつではない。映画館も『映画の学校』だ」とちょっとナナメに書いてみたのである。

「あるゆうめいなえいがかんとく」というのは、このブログのむかしからの読者には、大林宣彦監督だということがすぐにわかるだろう。そして「映画の学校」という言葉は、大林監督が尊敬してやまなかった映画評論家の淀川長治さんの言葉だということも、このブログのむかしからの読者だったら知っているはずである。

しかし一般には、当然わからない。

どうせだれも読まないだろうと思っていたら、そのあとの夕方の卒園パーティーの時に、あるママ友が妻に聞いたそうだ。

「○○ちゃんのパパは映画関係の仕事をされているのですか?」

と。

その時点で卒園文集をまだ読んでいなかった妻はビックリして、何のことかわからず、答えに詰まったという。

それもそのはずだ。僕はこの文章を妻にも見せずに保育園に提出したからである。

人に誤解を与える文章を書くというのは、ほんとうはいけないことなのだが、ときに痛快なこともある。

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パーティー行かなあかんねん

3月21日(木)

午前10時からは保育園の卒園式だった。

卒園式が始まる前、さほど広くない卒園式の会場で集合写真を撮るという段取りが組まれていたのだが、卒園する園児が25人で、おおかたひとりにつき保護者2名も写真に写ることになっていたから、全部で75名を1枚の集合写真に収めなければならない。これはなかなかたいへんなことで、ギュウギュウになりながらようやく写真を撮り終えた。その過程でカメラマンが、「男の子は両手をグーにして、女の子は両手を重ねて膝の上に置いてくれると、写真写りがよくなりますよ」という言葉にちょっと引っかかった。

お昼前に卒園式が終わり、お昼ご飯を食べてから、3時過ぎのバスに乗って、今度は卒園パーティー会場に向かう。これまでこのブログでも散々書いてきた、あの「卒園パーティー」である。

卒園パーティーの会場となるお店は、もともと結婚式の2次会などを行う目的のところのようで、プロジェクタなどもデフォルトで設置されていた。ただ、半地下のような場所で、しかも店内が非常に狭い。ここに70人ほどの人数が入るのは正気の沙汰ではない。

椅子やテーブルの数も限られていて、立食するにしてもそれ用のテーブルがなく、居場所を確保するのが難しい。僕は別にだれとも親しくないし、だれからも話しかけられない存在なので、ますます居心地が悪い。しかし5000円も会費を払っているので、絶対に食べ物にはありつきたい。

当初から子どもたちのテンションはMAXだった。つまり「ウルサい」ということである。はたしてこんなカオスな状態で卒園パーティーを始められるのだろうか。あの机上の空論の「司会台本」の通りに行くのだろうかと心配になった。

いよいよ「パパ2人」の司会による卒園パーティーが始まった。最初は司会台本通りに進んでいたが、それは最初だけだった。子どもたちは、食べることと、友だち同士でお話しすることに夢中で、段取りなんぞ関係ないのである。

それでも、大人たちが想定していた余興はすべて予定通りに行われた。結果オーライということだろう。

僕は2時間、だれからも話しかけられることなく、ひたすら居心地の悪さを感じながら所在なく立っていたので、やることといえば人間観察をすることくらいしかない。

なかでも興味深かったのは、司会のお二人の司会ぶりの違いだった。ひとりは司会台本をしっかりと手に持って、台本に書かれたセリフを一言一句違うことなく言おうとするのに対し、もう1人は、台本にしばられずに自由に司会していた。

そのうち子どもたちがマイクを奪い、自分たちで司会をはじめた。それもまた面白かったのだが、マイクを握って離さない何人かの子どもたちは、いずれも保護者が「出たがり」の人ばかりで、出たがりの親の子どもはやはり出たがりなのだとあらためて実感した。

僕は何もしていないのに、狭いところで2時間もいたせいか、すっかりと疲れてしまい、やはりパーティーは苦手だなと再確認した。

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電話は帰りがけに鳴る

3月19日(火)

13時から17時半まで、まったく休みなく2つの会議が連続した。

1回目の会議が終わった15時55分、仕事部屋にいったん戻って16時からの打合せに備えていると、携帯電話が鳴った。以前の職場で同僚だったKさんからである。

そういえば、Kさんからはお昼にも着信履歴があり、こちらから何度か掛け直してみたのだが電話にお出にならなかった。たぶんその件だろう。

「もしもし」

「もしもし」

「Kです。いま大丈夫ですか?」

「…はぁ」

「すみません、昼間何度もお電話いただいて」

「いえいえ」

「実は…」

とKさんが本題に入ろうとしたときに、仕事部屋に同僚が訪ねてきた。短く用事を済ませて再びKさんとの電話に出る、

「すみません。いま同僚が来たもので…」

「いえ…お忙しそうですね、実は…」

と本題に入ろうとしたところ、今度は仕事部屋の電話機がけたたましく鳴り出した。

「あ、電話が来ちゃった…。ちょっとお待ちください」

「いや、…またかけ直します」

「そうですか」

Kさんとの電話を切り、仕事部屋の電話に出ると、「16時から打合せを始めますので来てください」という要件だった。

急いで打合せ場所に向かい、1時間半ほど打合せを行った。

もうヘトヘトである。

仕事部屋に帰って、カラカラになった喉を潤すためにお茶を飲もうとすると、また携帯電話が鳴った。Kさんからである。

「もしもし」

「もしもし」

「先ほどはすみません」

「いえ、こちらこそすみません」

「忙しそうでしたね。あれ、本当なんですね。面倒なメールは夕方に来るっていうのは…」

Kさんはブログの読者でもあった。

僕は、〈あなたの電話もそうですよ〉と喉元まで出かかったが、ぐっとこらえた。

「あと、あれも本当なんですね。フェスに参加したというのは…」

「本当ですよ。本当にあったことしか書いていませんから」

「別に疑ってるわけじゃありません」

「ところで本題は…」

「あ、そうでした」

そこから、断線に次ぐ脱線をしながら、1時間ほど電話が続いた。

「おめえの怖えーもんは何だ?」

「あっしはね、夕方が怖い」

という「夕方怖い」という新作落語ができそうだ。

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フェスデビュー!

3月17日(日)

在来線と新幹線と地下鉄を乗り継ぐこと3時間半。フェス会場に着いた。

ちょっと高をくくっていた。新幹線に乗っている時間は1時間半くらいなので、朝はゆっくり出ても大丈夫かなと思ったが、新幹線を降りてから地下鉄を2つ乗り継いで、開演の10分前くらいに着いたのである。

会場は異様な熱気を帯びていた。とくにテンションが高かったのはフェスの主催者である。

「さあ、これからフェスが始まるわけですが、みんなでカウントダウンしたいと思います。で、「5、4、3、2、1」となったら、みなさん、右手の拳をあげて『ヤア!』と叫んでください。じゃ、いまから練習しますよ、はい、まずはステージから見て左半分の人!」

いきなり練習が始まった。

「5、4、3、2、1、はい!」

「ヤア!」

おいおい、いったい俺は何をやらされているんだ?アントニオ猪木じゃないんだから。

練習が終わり、いよいよ本番である。

「さ、始まりますよ、いいですかみなさん!5、4、3、2、1」

「ヤア!」

パチパチパチパチ、という拍手とともに、パーティー用とおぼしきクラッカーがパン、パン、パンといくつも鳴って、なかから紙テープや紙吹雪が飛び出した。

「いやー、なかなかフェスらしくなってまいりました!」

と主催者は言っていたが、フェスってこういう感じなのだろうかと、今回がフェスデビューである僕はちょっと首をかしげてしまった。

このフェスは、プライベートで参加したのではなく、ある用務のために参加したのである。会場には、同じ用務で参加したOさんとSさんもいた。今回の目的は、このフェスへの参加と、4月から新たに始まるプロジェクトの今後について、OさんやSさんと打合せをする、という2つである。

フェスの雰囲気は、だいたい前半だけでわかったので、後半はフェスの会場の端っこで、OさんやSさんともう一つの用務である「打合せ」を行った。

そしたら、Sさんのスマホに電話がかかってきた。やはり同じプロジェクトのメンバーであるKさんからである。

Kさんは、同じプロジェクトの3人が集まっているとは知らずに電話をかけてきたのだが、はからずもそこでさらなる打合せができた。あいかわらず引きが強いねえ。

19時近くになってフェスも終わり、参加者が帰る時間となった。打合せが思いのほか充実したので、来た甲斐があった。

しかしフェスっていったい何だろう?というか、フェスって言いたいだけなんじゃないのか?

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PayPayの話

どうやら前回の「花粉症?」という記事で、このブログも4000回を迎えたらしい。といっても、下書き状態にしているものがいくつもあるから、実際に公開されているものは4000記事よりも若干少ない。

むかしは、1000回単位の区切りでベスト・オブ・エピソードみたいなことをやっていたと記憶するが、いまは読者もほとんどいないし、この数年、さしたる出来事を書いているわけでもないから、やっても仕方がない。

今日書こうと思うのは、PayPayのお話しである。

昨年、クラス会に参加したときのことである。高校時代バスケ部にいたIさんという人が、着物を着てクラス会に参加していた。「趣味なのよ」と本人は言っていたが、参加した人のほとんどが普段着に近い服装をしているなかで、ひとり着物で登場するというのは、何より目立つし、そのキリッとした雰囲気にはちょっと圧倒された。各人の挨拶のなかでも、Iさんのご挨拶はビシッと決まっていて、ふだんとても丁寧な生活をしているのだろうなと思わせるたたずまいだった。

クラス会が終わり、同じ店で2次会を行う。10年ぶりのクラス会だったので話は尽きなかったが、いよいよお開きの時間となった。2次会のお金は、ひとりあたり2000円とか、そのくらいの値段だったと思う。僕は現金を準備していると、

「私、現金持ってないのよ」とIさんがスマホを掲げた。「PayPayでもいい?」

そうか、Iさんは財布を持たない生活をしているのか…。もう余計なものは持たないということなのだろう。着物を着こなしていることといい、財布を持たないことといい、何というか、樹木希林さんみたいだなあと感心した(実際に樹木希林さんがそういう生き方をされていたのかはわからない。あくまでも僕の勝手なイメージである)。

それはそうと、支払いはどうするのだろう?と思っていたら、たまたま幹事のY君が、「僕もPayPay使ってますよ」というので、Iさんは「じゃあ、PayPayで支払ってもいいよね?」と提案してきた。最初僕には何が何だかわからなかったのだが、どうやらPayPayには、自分のスマホから他人のスマホに電子マネーを送金することができるようで、つまり現金のやりとりは不要なのである。全然知らなかった。かくして、会計は無事に済んだのである。

PayPayで電子マネーのやりとりをするなんて、アラフィフの間ではフツーのことなのか?

…と思っていたら、例の卒園パーティーの経費を全員で負担するというお知らせが来ていて、だいたいその金額が7000円くらいだった。会計係のママ友に支払うことになるのだが、そのママ友からの連絡によると、「できればPayPayで支払ってください」とあった。えーっ!!僕も妻もPayPayなんて使ってないよ!どうしよう…と思ったときに、先のクラス会での出来事を思い出したのだった。PayPayで支払う、というのは、スマホを使って電子マネーを会計係に送ることなのだろう、と。

これで確信した。PayPayで電子マネーのやりとりをするという行為は、いまやフツーのことなのだ、と。

取り残されているのは僕のほうなのだ。

いまも僕は、お店での支払い方法のほとんどが現金である。もちろんクレジットカードを使うことも多いが、主たる支払い方法は現金なのである。言い訳めくが、地方に出張したときなどは、電子マネーが使えないお店もあったりするので、常に現金は持ち歩かないといけない。しかも、何かあっちゃ困るから、現金は常に余裕をもって携帯している。

これからも、現金での支払いを続けるつもりだ。なにより、PayPayという言葉の響きがあまり好きではないので、なかなかPayPayを使う気になれないのだ。というか、たんにPayPayって言いたいだけじゃないのか?

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花粉症か?

3月15日(金)

くしゃみ、鼻水が止まらない。

最初はなんとなく喉が痛くなったので、風邪かな?と思ったのだが、よくわからない。たしかに身体がだるくて原稿に向かうやる気がまったく起きないので、風邪の可能性もなくはないが、季節的に考えると花粉症に違いない。

いままで自分は花粉症とは無縁だと思ってきたが、ここへきて花粉症デビューなんだろうか?

今朝のニュースで、花粉症になると歯痛も起こることがよくある、と伝えていた。そういえば歯も痛い。虫歯の痛みとは異なる痛みである。

もう少し花粉症と歯痛の関係について調べてみると、あるサイトにはこんなふうに説明されている。

「人間には、鼻の横の頬骨の下辺りの上あごの骨の中に、「上顎洞」と呼ばれる空洞があるのですが、ここは鼻腔と繋がっているため、花粉症症状が起こると、中に鼻水が溜まったり、炎症を起こして蓄膿症と呼ばれる状になってしまうことがあります。

そうなると、この場所は上の奥歯の歯根部分に位置しているため、歯が痛くなったような勘違いを起こしてしまうのです。

もちろん、噛んだり、走った際の振動で痛みが生じるため、間違いやすいのですが、虫歯とは違いますので「冷たい水がしみる」という症状は出ないところが特徴です。

また、鼻の中が炎症することによって、脳が誤作動を起こし、痛くないはずの歯の根元が痛いと勘違いを刺せてしまうこともあります」

なるほど、そうなるとますます花粉症という可能性が高い。

とりあえず、一般の風邪薬や鎮痛剤(解熱剤)を飲んで対応しているのだが、そんな薬を飲んでも意味がないのだろうか?花粉症に効く、いい薬があればいいのだが。

しかし花粉症がこれほど集中力を削ぐものであるとは知らなかった。

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ママ友系ブロガーの誕生

どうも。ママ友系ブロガーの鬼瓦です(○○系YouTuberみたいなノリです)。

不定期で、ママ友たちの不可思議な行動についてお伝えしているこのブログですが、前回、卒園式後に行われる卒園パーティーの話をしましたよね。ママ友たち有志が企画したパーティーです。

分刻みの司会台本が送られてきた、という話をしましたが、その「最終版」とやらが送られてきました。

パッと見ると、前回送られてきた台本とどこが違うのかよくわかりませんが、よくこの司会台本をみんなに共有できるなあと、ママ友たちのメンタルの強さには驚くばかりです。

で、これは前から決まっていたことのようですが、パーティーの中盤で、保護者が子どもたちに向けて余興をやらなければいけないそうです。

それが、「まいにちそだてマッチョ」という体操で、パパママが踊らなければいけないようなのです。

送られてきたYouTubeの動画を見ると、サムい踊りで、こんな踊りを子どもたちの前で踊って恥ずかしくないのかと問いただしたくなります。

この余興を行うにあたって、司会台本には次のようにあります。原文のまま引用します。

「さてさて、ここからは少し趣向を変えて、皆さんで素晴らしい筋肉をご堪能いただきましょう!

筋肉パパたち、あっ筋肉ママもいますね!

(筋肉多そうに、着こんで上はロンTで筋肉っぽっく準備)

ご準備はよろしいでしょうか?

それでは皆様お待たせいたしました。によるデモンストレーションのスタートです!」

「素晴らしい筋肉をご堪能いただきましょう」という、なんだこの昭和を思わせるルッキズムは!というツッコミはさておきですよ。

このサムい踊りを、服装まで指定されて踊らなくてはいけないというのは、何の罰ゲームですか???みなさん、YouTubeで「まいにちそだてマッチョ」と検索して、踊りの動画を見てみてください。

それにここの台本を読んでみると、最後にこう書いています。

「それでは皆様お待たせいたしました。によるデモンストレーションのスタートです!」

「によるデモンストレーション」って何だよ!明らかに何か抜けてる。「最終版」とうたっているのだからちゃんと校正くらいしろよ!と、日々校正に苦しんでいる僕は思うわけです。

しかしこれは全員参加の余興なのか???司会台本にはそこがはっきり書いていないのでわからない。うちの家族は、ポツダム宣言よろしく、これを「笑止」として「黙殺」する方針をとることにしました。

さて、この最終版がみんなに送られた直後、スライドショーの作成を担当しているE君のママから反応がありました。

「司会台本には、スライドショー上映後、『作成してくださったE君ママ、ありがとうとざいました』と私の紹介を入れてくださっているのですが、こちら『なし』でお願いします。見えないところで動いてくれている方がほとんどのなか、子どもたちには保護者みんなからのパーティーと受けとってもらいたいので(ニッコリ)」

どうですかこの気の遣いよう!自分だけが目立つのがみんなに申し訳ないという同調圧力が見事に作動しているではありませんか。ママ友の鏡ですね。

この日は、公式行事の卒園式に始まって、夕方の卒園パーティーに至るまで、やれお花係だの、プレゼント係だの、装飾係だの、受付係だの、子ども係だの、会計係だの、司会台本係だのと、係が細分化して設定されて、ママ友たちは、どこかの係を担当することになっているようなのです。これもまた同調圧力ではないかと、うちの家族は一切かかわらないことにしました。おかげでママ友たちからはすっかり白眼視されていますが、こういうことはやりたい人がやればいいのではないでしょうか。会社の送別会で花束を渡す係が全員女性であるという昭和の心性とどこがどう違うのでしょうか。

そんなに文句ばっかり言ってるんだったら、じゃあおまえ、参加しなきゃいいじゃん!と思われるかもしれませんが、子どもが人質に取られてますからね、楽しみにしている子どものためにも参加しなければなりません。そこが渡世人の辛えところよ!

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関係性の消費

自らをふり返ると、集団のなかで、居心地がよかったという経験があまりない。

いままで属していた集団のほとんどすべてにおいて、アウェイという感覚を拭い去ることができない。

ある会合の休憩時間での会話を聞いていると、僕以外は内輪のノリでみんなが喋っていて笑ったりしているのだが、どこが面白いんだろうと、憮然とした表情を浮かべながら黙って別の作業をしていることが常である。

マキタ・スポーツさんが、たしかそうした笑いを指して「関係性の消費」と言っていたような覚えがあるが、僕はその「関係性の消費の笑い」が好きではないのである。

お笑い芸人についても、「関係性の消費」を前面に出した笑いを得意とする人がいるが、やはり苦手である。

同じ丁々発止でも、内容で笑わせるのは好きだが、個人の属性に頼った、つまり個人をキャラ付けした上でのやりとりというのがダメなのである。笑わせるなら中身で勝負しろよ!と言いたくなる。ま、お笑い芸人はともかく、素人にまでそんな要求を突きつけるのもヘンな話だが。

もちろん僕自身も、そういう内輪のノリの会話で笑わせるということがしばしばあり、他人様のことは言えないので、日々反省はしている。

内輪で笑わしあったり、慰め合ったりしている現場にいると鼻白むことが多いのだが、まあそこはそれ、大人の対応でなんとか乗り切っている。

たまに、「○○さんが××なんですよ」と、さも僕が○○さんのことを知っているかのように話しかけてくれる人がいるのだが、そもそも僕はその○○さんを知らなかったりすることがある。その人にとって、僕はいつの間にか○○さんの仲間だと思っているのだろう。これもまた、説明なしに周囲の人を巻き込む内輪のノリの1つといえる。

しかし、僕と同じ違和感を抱いている人が必ずいるはずで、僕はそういう人と話が合う場合が多いのである。むしろそういう人と結束が固くなる。内輪ノリで親しげに喋っている人同士以上に、である。

内輪ノリの中に入っている方が心地よいのだろうか?僕はその楽しそうな会話を聞いていても、あまり魅力を感じない。居心地の悪いままでいる方が、心地よいと感じることがあるから不思議である。

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面倒なメールは帰り際に訪れる

3月12日(火)

前回の「無茶なメール」は、こぶぎさんの「AIコメント」のおかげで、なんとか決着した。2つの会議の合間に、何度かやりとりをして、どうやらわかってもらえたようなのである。

しかし、敵はそれだけではなかった。会議が終わって、クールダウンして、さあ帰ろうかとしたら、全然別のところから、立て続けにメールが来たのである。

ひとつめは、ある会社の人から。

「先日の出張の報告書をさっそく送っていただきありがとうございました。さて、事務に報告書を提出したところ、下記の問い合わせいがありましたので、ご回答の程お願い致します。以前は時間等はあまり記載しなくてもよかったのですが、最近は記載内容が厳しくなったようです。お忙しいところ、お手数をおかけして申し訳ございませんが、ご回答のほどお願い申し上げます」

何かと思ったら、初日の自宅の出発時刻と、用務地のホテルまでの到着時刻、2日目朝の出発時刻と、用務の開始・終了時刻、ホテルへの到着時刻、3日目朝の出発時刻と、用務の開始・終了時刻、ホテルへの到着時刻、最終日の用務地の出発時刻と自宅へ帰着した時刻、をぜーんぶ書いてくれという依頼だった。

めんどくせーなと思いながらも、その会社のルールなので仕方がない。手帳を見ながら過不足なく記入し、送信した。

ふたつめ、こんどは別の会社から。

「今回の会議は全体会となりますので,可能であれば弊社に足を運んでいただき対面でおこないたいと考えております。(Zoomも並行して使用いたします)。会議時間の目安は(AMは10:00以降,PMは13:00以降,夜は17:00以降で)2時間程度を考えております。お忙しいことと思いますが,3月末から5月頭にかけて(3/18~5/12)のご都合を教えていただきたくお願いいたします」

メールにはExcelの表が添付されていて、そこには、3月18日から5月12日までの、1日につきAM、PM、夜の3種類の空欄があり、そこに、「対面○」「Zoom○」「未定△」「不可×」のいずれかを入力しなければならないようになっていた。

(めんどくせえなあ…)

また手帳を見ながら、ひとつひとつ、○△×をつけていく。

(ふう、終わった…)

さあ、帰ろうと思ったら、また別の会社からのメールが。

「年始以来大変ご無沙汰しております。1月から2月の末で本当にバタバタしている状態で今もその余波が続き精神的に厳しい状況です。

(中略)

今更なのですが私にはどうしてよいのかわかりません。本当に今更で申し訳ございませんが、何卒よろしくお願いいたします」

おいおい、これはかなり深刻だぞ。メールの様子からほんとうに精神的に追い込まれていることがわかる。

一両日中になんとかすることをお約束して、「どうかご自愛ください」と結んだ。

結局、帰ろうと思ってから1時間半以上、メールへの対応に追われることになった。面倒なメールはなぜ夕方に訪れるのだろう。

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無茶なメール

3月11日(月)

そろそろ帰ろうかという17時少し前に、韓国の知り合いからメールが来た。

韓国語の長いメールで、原文を読んでいる時間がないので翻訳サイトで翻訳したものを読んでみたが、正確にはよくわからない。たぶん、先方も相当に焦って書いたメールだろうということが予想できた。

なんとなくわかったのは、11月に大きな会議をやりたいのだが、日本から一人二人見つくろって参加してもらえないだろうか。国からの支援の必要上、11月23日より前に開催することが条件になる、というのである。

僕を含めた3名程度の名前が挙がっていたが、僕はできれば行きたくない。昨年11月の国際会議があまりにもスジが悪くて懲りたからである。だいたいこの知り合いから来た依頼はあまり筋がよくないのだ。だから名前が挙がっていた他の二人にも、この話を切り出すのが難しい。

さらに驚いたのが、長いメールの末尾に、韓国語で次のようなことが書いてあったことである。

「이 메일에 대한 답을 가능하다면 오늘 받으면 좋겠습니다. 갑자기 긴급하게 부탁을 드려 죄송합니다.(このメールへの回答が可能であれば、今日もらいたいと思います。 急に緊急にお願い申し上げます)」

僕は驚愕した。本日中に結論を出して返事をよこせというのは、無茶な話である。

あまりに非常識じゃないか、と思いつつも、そんなことはおくびにも出さず、提案されたことについてこちらがそれに対応することは難しいという内容を長々と書いた。本当は韓国語で書かなければいけないのだが、これも翻訳ソフトを利用して韓国語に翻訳して送った。

先方はわかってくれただろうか?

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2日連続懇親会

3月9日(土)

今週は会議が多くてほんとうに忙しかった。それに加えて確定申告も出さなきゃと思い、水曜日に作成して、木曜日の午前中に税務署に出しに行った。なにしろマイナンバーカードを作る気がないから、「マイナンバーカードがあれば確定申告の書類を作るのも楽ですよ!」という風説とは無縁なのである。

昨日の金曜日は、職場の最高議決会議があり、年度末だったこともあり、会議終了後は職場の近くで懇親会が行われた。社外取締役が何人も参加するので、こちらとしても参加しないわけにはいかない。

そして今日土曜日も朝から都内で会合があった。会合は18時過ぎまでかかり、そのあとはやはり懇親会が行われる。すっかりヘトヘトで帰りたかったが、わざわざ韓国からの4人のお客さんも会合に参加しにきてくれたので、ホスト役の僕としては懇親会に参加しないわけにはいかない。

この会合のために来日したキムさんは、僕が韓国留学時代に韓国語を習ったキム先生のお姉さんである。たまたまこのプロジェクトを立ち上げるときに、余人をもって代えがたいということでプロジェクトに参加してもらったのである。かつて教わった韓国語の先生のお姉さんと一緒に仕事をするというのは、まことに不思議な縁である。キム先生のエネルギッシュな行動力には、いつも敬意を表している。

懇親会の席で久しぶりにいろいろとお話ししたが、なにしろ僕の韓国語がすっかり衰えてしまって、言葉がなかなか出てこなかったり、時制を間違えたり、自分に対して尊敬語を使ったりで、もうボロボロである。それでもそんなボロボロな韓国語でも、意図をちゃんと理解してくれて、コミュニケーションが奇跡的に成立した。もっとも、通訳の人がいてくれたので、込み入った話は通訳の人にお願いしてしまったのだが。

僕が言った一言に、韓国のお客さんたちが何度か爆笑した。これは、僕がヘンな韓国語を使っていたからなのか、あるいは適切なワードを適切なタイミングで発したことが上手くハマった証なのかは、よくわからない。ま、後者としておこう。

ちょっとまわりの人には聞かれたくない話をしたくなり、僕はキムさんに韓国語でその内容をたどたどしく話しかけた。

するとキムさんも同じことを思っていたらしく、僕の言葉に共感してくれ、そのことについてさらに補って話をしてくれた。周りに聞こえないように。

「どうしたんですか?」と、韓国の人たちに聞かれ、

「(まわりの日本人に聞かれてはまずい話ので)韓国語で話したんです」

と言ったら爆笑された。

なるほど、たとえこっちの韓国語が片言でも、日本人よりも韓国人の方が共感してくれるというケースがあるのだな。考えてみれば、日本語の母語話者同士だからといって、決してわかり合えないこともあるのだから、当然といえば当然である。コミュニケーションとは何だろう?と考えさせられる。

「次は夏ごろに韓国でお会いしましょう」

と約束してお別れした。決して社交辞令ではなく、本当に行かなければならないことになりそうだ。

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あらかじめ号泣するママ友たちよ

この記事のタイトルは、「あらかじめ失われた恋人たちよ」(清水邦夫・田原総一朗共同監督、1971年公開)のパロディーである。

3月7日(木)

保育園の卒園式が2週間後に迫った。

卒園式という公式行事が終わったその日の夕方に、ママ友たちが企画して「卒園パーティー」を2時間かけて行う、ということはすでに述べた。卒園する子どもたちと保護者が参加することになっている。

いきなり話が逸れるが、「ママ友」という言葉はいつから使われるようになったのだろう?少なくとも僕が子どもの頃は、そんな「概念」などなかった。

「ママ友」という概念ができあがってしまうと、そのコミュニティーに参加しなければならないという同調圧力が生まれる。「ママ友」を作らないと、子どもの将来を脅かしかねないという「脅し」のようなワードでもある。「ママ友」とカテゴライズすることにより、「パパ」は排除される。僕も妻も、そういうコミュニティーにおもねることが大嫌いなので、「ママ友」からは距離を置いている。だが、それが「ママ友」たちにとっては不快らしい。「ママ友はこんなに一生懸命役割分担しているのに、なぜあなた方は何もしないの?」と。生きにくい世の中だ。いったい誰だよ?ママ友なんて言葉を発明したのは!

話を戻すと、2時間の卒園パーティーに、「司会の台本を作ります!」と名乗り出たママ友がいた。「私、そういうの得意なんです!」

司会の台本、という言葉に驚いた。そもそも2時間の卒園パーティーに司会なんかいるのかよ!いや、司会がいたとしても、台本なんて必要なのかよ!参加する子どもたちが大人が考えた進行に素直に従うとはとても思えない。

ママ友軍団は、卒園パーティーを開くに際して役割分担をしており(わが家はその中に入っていない)、その役割分担の一つとして、「司会の台本を作る」という、なくてもいい仕事をすると名乗り出たママ友がいたのである。

司会なんてどーでもいいじゃん、と思いながら、先日の打合せの時は聞き流していたのだが、今日になって、エクセルで編集された「完全台本」が送られてきた。

見ると分刻みのスケジュールになっていて、「食事・歓談」の時間が、前半10分、後半10分のわずか20分しかない。あとはひたすら余興なのである。

しかも、司会のセリフが全部決まっているではないか!ま、完全台本なのだから仕方ないのだが。

最初に驚いたのが、司会をするのが司会の台本を書いたママ友二人ではなく、全然関係ない二人の「パパ」だということである。

何?この「昭和」のジェンダー意識は!オモテに出るのはいつも男性ってか?不適切にもほどがある!

司会はこんなふうに始まる。

本日は、卒園おめでとうございます!

(子供たち「ありがとうございますー」)

パパたち、ママたちも、保育園生活、お疲れ様でした!

皆さん!

みんなのとても素敵な卒園式の姿に、パパママたちも号泣でした!

今日は、パパママたちより、皆さんに、卒園おめでとうパーティーをプレゼントします。

なななな、なんと!

(中略)

ではでは、これからの約2時間、最後までみんなで楽しみましょう!」

「なななな、なんと!」という陳腐なフレーズは措いといて、僕がいちばん気になったのは、「みんなのとても素敵な卒園式の姿に、パパママたちも号泣でした!」という一節。

おいおい、俺は号泣なんかしないぞ!どうして他人の号泣を勝手に決めているのだ?

この「号泣」というキーワードは、このあとも1回出てくる。

保育園での活動の様子を撮影した写真を20分のスライドショーとして上映するそうなのだが(20分は長い!準備をしたママ友はご苦労様です)、そのスライドショーが終わった後の司会のセリフが、

ちょっと、泣いちゃった?

あそこに号泣してる人いますね!

ちょっと感想聞いてみようかな?

あっ、あとその時保育園で一番思い出に残ってること教えてもらおうっかなー!

(数人に聞いてみる)」

まるで、生放送の番組なのに新聞のラテ欄に「涙の対面」とか「マル秘ゲスト乱入」とか書いているのと同じではないか。それとも号泣する人を仕込むつもりなのか?

なぜ、号泣を前提としているのだろう?僕には全然わからない。

そのあと、「保護者が恥ずかしいことをする」という謎の余興があって、絶対にやるもんか!と心に誓った。

最後の挨拶のところの、

「楽しい時間は、あっという間ですね」

というセリフにも違和感。やる前から「楽しい時間」と決めている。恐るべき予定調和である。

僕は何が言いたいかというと、すべては「机上の空論」であるということ。たくさんの未就学児が集まるパーティーで、大人が考えたように上手くいくのか、はなはだ疑問である。それは、どの家庭も日常で経験していることではないのか?

子どもたちが求めているのはカオスなのではないだろうか?つまりこのパーティーは、「保護者のエゴ」以外の何物でもないのである。ま、それでいいのだというのが多数意見なのであれば仕方がない。

…僕はどんな顔をして参加すればいいのだろう?

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ハードな3泊4日

3月3日(日)

あまりに疲れたので、今日は完全休養日。ほんとうは書かなければならない書類や提出を過ぎた原稿直しなど、やるべきことがたまっているのだが、疲れていてやる気が起きない。

2月28日(水)~3月2日(土)の出張は、長時間の移動もあり、本当に疲れた。このときの予定を書くと、

2月28日(水)

5時間ほどかけて用務地のホテルに移動。

2月29日(木)

9時~17時 用務

18時~20時30分 懇親会

3月1日(金)

9時~11時30分

ホテルから車にてこの日の用務地に移動。車中で10時~10時30分まで、職場のオンライン会議に出席。その後昼食。

12時30分~15時 用務

15時~17時30分 ホテルまで移動。

18時~19時 ホテルの部屋で、外部委員をしているオンライン会議に出席

19時~20時30分 懇親会

3月2日(土)

9時~13時

用務地から東京駅まで移動

14時~18時

都内某所で、あるプロジェクトの会合に出席。

20時過ぎ

帰宅

体力がすっかり落ちてしまった私からしたら、なかなかハードなスケジュールで、日ごろ痛めている足の裏の皮膚が、さらに痛くなった。

帰りの新幹線では3列シートの窓側に座ったのだが、隣の席、すなわち3列シートの真ん中に座った老婆が、控えめに言って下品な感じの人だった。

途中から乗ってきたのだが、小さい紙袋の中に、個包装のマスクやらウェットティッシュが大量に入っていて、それ以外に特に荷物のようなものがない。頻繁にマスクを変えたりウェットティッシュで手を拭いたりするのだが、そのたびに個包装している袋を座席の下に捨てる。それだけでなく、コンビニで買ったサンドイッチを食べたあと、その包装しているビニールも床に捨てるのである。床はたちまちゴミだらけになった。

僕が不審な顔をしていると、「大丈夫、大丈夫」と言って、とくに床から拾い上げるというようなこともしない。もちろん僕だって、そんな他人のゴミにふれるのはイヤである。

まったく、衛生に気をつけているのか不衛生なのかわからない。

だんだん僕も気持ち悪くなり、ここにいると具合が悪くなると思い、途中、席が空いてきた時を見計らって別の席に移動した。

東京駅に着いたあと、気になってその老婆が座っている席をのぞいたら、老婆はゴミを片づけることがなく、床にはゴミが散乱していた。

まったく不可解な出来事であった。

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手編みの毛糸の靴下

3月1日(金)

泊まっているホテルから2時間ほどかかる場所が、今日の用務先である。朝9時にホテルを出発する。

「今年は雪が少ないですね」

「なにしろ路面が見えていますからね。この時期に路面が見えているなんてことは、例年はありません」

「恐るべき温暖化ですな」

「今日は4度ですよ。この季節にしては暖かいです」

…てな会話をしながら、車は凍てつく日本海へと向かう。

(そういえば、今日の10時から職場のオンライン会議があったんだった)

いちおう出張ということで、会議には参加できないと伝えたのだが、移動中の車中では、特に何もすることがないので、スマホでZoom会議に参加することにした。

(おれはいったいこの場所まできて、何をやっているのだろう?)

最果ての地、といっても過言ではない場所である。

車が目的地に着く前に、オンライン会議は終了した。

昼食を済ませたあと、用務先に到着した。用務先の主人は気のいい女性の方だった。

「建物の中は暖房が使えないので、これを履いてください」

と人数分渡されたのが、毛糸で編んだ、スリッパみたいな靴下だった。

建物の中は畳の部屋なので、土足厳禁である。靴を脱いで、靴下だけの状態では冷えるということで、わざわざ手編みの毛糸の靴下を準備しておいてくれたのである。

大丈夫ですよ、と言ってみたが、いやいや絶対に冷えますからどうぞ履いてくださいという。

言われるがままに手編みの毛糸の靴下を、靴下の上から履いて、建物の中を調査する。

靴下の上に履くことを想定して、大きめに作ってあるのだが、ほんとうにこの毛糸の靴下が効果があるのか、半信半疑だった。

別の建物に移動することになったので、もういいだろうと思って、全員が毛糸の靴下を脱いで、やはり暖房のない畳の部屋に入る。

しばらくすると、足もとが凍りそうに冷えてきた。

あの毛糸の靴下、気休めなんじゃないだろうかと思って半信半疑で履いていたが、履くのと履かないのとでは、こんなに体感温度が変わるものなのかと驚いた。

また別の建物に移動するときに、「やっぱり履きます」と、全員がもう一度毛糸の靴下を履いて畳の部屋に入った。

するとやはり全然足が冷えない!

恐るべし、手編みの毛糸の靴下である。

「疲れ切った足もとから、すべて凍りつくしても」

という樋口了一さんの「1/6の夢旅人」の歌詞は、本当だったんだな。

「この手編みの毛糸は、近所のボランティアの人たちが編んでくれて、お客さんが来るたびに履いてもらっているのです」

とこの建物の主人は言った。その話がますます足を暖かくした。

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