何かを落とす音
3月29日(金)
飛行機に乗って北の町に向かう。夕方に羽田空港を離陸し、夜に北の町に到着。明日は会合に参加して、終わったらすぐにまた飛行機に乗って帰途につく、という弾丸出張である。せっかく来たのにもったいない。この地域をゆっくりと見て回る機会は訪れるのだろうか。
それはともかく。
僕はあることに強烈な不快感を覚えることに、いまになって気づいた。
それは、「乗り物のなかで物を落とす音を聞くこと」である。
バスとか電車とか飛行機とか、公共交通機関の乗り物のなかで、床に物を落とすってことは、よくあるでしょう。スマホ然り、ペットボトル然り。
床に「ガタン」という音がすると、僕の心はどんよりするのである。
乗り物の床に落とすと、決まってその音が大きく響く。その突然の音にびっくりしてイヤな気持ちになる、ということもそうなのだが、それ以上に、狭い車内でそれを拾わなければいけない行為を想像して、イヤな気分になるのである。
「誰か」が物を落としたということは、当然、その「誰か」つまり当事者が拾うことになるのだが、バスにしろ電車にしろ飛行機にしろ、座席がひどく狭く作られていて、座席と座席の間にうっかり落としたりすると、拾うのが厄介である。まわりの人に「すみません、すみません」と恐縮しながら、身体がつるんじゃないかという格好で落とした物を拾おうとする、という光景まで想像してしまうのである。
(落とした人はたいへんだなあ。このあと、窮屈な状態で拾うという苦行が待っているのか…)
と、悲しい気持ちになる。
もちろんこんなことを言っている僕も物を落とすことがあり、そのたびに身をかがめて拾うのが何よりも苦痛である。おそらく自分に置き換えて考えてみた結果、あの音を聞くと反射的に苦痛に感じるのだろう。
ということは、若い人はあの音を聞いてもさして苦痛にはならないということか。年を重ねれば重ねるほどあの音を聞くのが苦痛になる、というのがいまの僕の仮説。
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