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2024年4月

学校欠席

4月30日(火)

娘は昨日ごろから37度くらいの微熱があり、咳もなかなか止まらない。

なんとか治るかなと思っていたが、今朝熱をはかると、やはり37度くらいの微熱がある。咳もよく出る。

これくらいだと、小学校に行かせてもいいの?それともダメなの?判断できない。

とりあえず近所の小児科に診てもらい、先生が大丈夫といったら遅刻して連れていこうかとも思ったが、朝一番にWeb予約を入れようとすると、

「すでに待ち人数が40名のため、もう予約はできません」と出た。Web受付開始時刻に合わせて予約ボタンを押したのに、もう40名も予約していたのだ。選挙でいうところの「ゼロ打ち」である。

仕方がないので、今日は学校を休ませることにした。僕は出勤の予定を取りやめ、小学校と学童と「第二学童」の3箇所に電話連絡をして、今日は欠席する旨を伝えた。

折しも娘は、昨日あたりから「明日は学校に行きたくない」と言っていて、体調がよくなかったのかなとも思わされる。

一方で、学校に行きたくないのはいわゆる登校拒否なのかなとも思われ、少し心配である。

僕は娘に、

「今日は1日、テレビなども観ずにおねんねしなさいよ」

と声をかけた。もちろん、今日1日はテレビをつけることなく過ごした。

娘は言われたとおり、ひたすら布団に横になっていたのだった。

明日は登校できるだろうか。

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卒園式DVD

4月27日(土)

どうも、ママ友観察系ブロガーの鬼瓦です。

3月21日(木)の保育園の卒園式の様子を映像に収めたDVDの受け取りをする日である。一人のママ友が近所の公会堂を予約してくれて、DVDの受け渡し場所は、その公会堂で、9時~12時45分までの間ということになった。

「公会堂には大きなモニターもあるので、DVDの上映会もします」

ということで、たんなる受け渡しだけではなく、そこで旧園児たちやママ友たちが旧交を温める会場ともなるようである。

10時過ぎに、娘と2人で公会堂に行くことにした。

娘はなんとなく楽しそうである。保育園の時のお友だちに再会できるかもしれないからだ。お友だちの多くは同じ小学校に入学したが、学区の関係で、ほかの小学校に入学したお友だちもいた。その中には、娘の初恋の男の子である「アオト君」もいたのである。

ある時期から、娘が家に帰ると、アオト君の話ばかりするようになった。あるとき、「アオト君と結婚の約束をした」とまで言うほど、娘はアオト君のことが好きだったらしい。卒園パーティーのときも、娘はアオト君の隣の席を陣取って、そこから離れなかった。

でもそのアオト君は、娘とは違う小学校に通うことになり、アオト君と会う機会がなくなってしまったのである。

今日は、そのアオト君と再会できるかもしれない、と、娘の心は躍ったに違いない。

10時過ぎに公会堂に着くと、すでに何人かの友だちが来ていて、鬼ごっこをしていた。公会堂の中を激しく駆け回っている。公会堂は40平米前後の部屋が2つあり、仕切りをとると80平米くらいのホールになるので、子どもたちが遊ぶのにはちょうどよい。

鬼ごっこで駆け回る中に、アオト君がいた!

ところが娘は、アオト君はじめ男の子たちを中心に鬼ごっこで駆け回っているのを見て、なぜか泣いてしまった。

「どうしたの?アオト君来ているでしょう?」

娘は理由を何も言わないまま、ただ泣くばかりである。しばらくすると、

「みんなが大騒ぎしているのがヤだ」

と言いだした。たぶん久しぶりに会ったら、みんなが俊敏な遊びをしていたのでビックリしたのだろう。「こんなのアオト君じゃない!」とでも言いたげだった。

アオト君のママも、娘が泣いているのを心配してくれて、お菓子をくれたりした。

アオト君のママに話を聞くと、アオト君はママに「結婚の約束をした」と言っていたらしい。つまりアオト君とうちの娘は、お互いの両親が認める恋人同士だったわけだ。

「でも、最後にフラれちゃったんですよ」とアオト君のママが言った。

「そうですか。ちっとも知りませんでした」娘がフったのか。

「アオトは、フラれちゃったといって残念がってました」

「…それはきっと、違う小学校に入学するので踏ん切りをつけたかったのでしょう」

しばらくすると雰囲気に慣れてきたのか、娘のメンタルも回復し、みんなと一緒に遊ぶようになった。

今日はいつもと違って居心地がいい、と思っていたら、そういえばふだんママ友集団の主導権を握っているうるさいママ友たちが来ていなかった。正確には公会堂に来たのだが、うるさいママ友たちはDVDを受け取ったあと長居をせずに帰ってしまった。おかげで平和が保たれたのである。

そこで初めて気づいた。ママ友の集まりが居心地悪かったのは、一部の「うるせえママ友たち」がいたからで、多くのママ友たちは「サイレントママ友」だったのではないかと。そしてそのことは「サイレントママ友」たちにとって周知の事実だったのだ、と。

「サイレントママ友」と思われる人の中には、子ども連れでやってきたにもかかわらず、公会堂で子どもをしばらく遊ばせようとはせず、DVDを受け取ったらすぐに帰ってしまった人も何人かいた。おそらく「うるせえママ友たち」と会うことを警戒したのだろう。その場に居続けると、またそこで「うるせえママ友たち」の品のない会話を聞かなければならないからである。これまでの不快な会話の主導権は、たんに「うるせえママ友たち」に握られていたにすぎなかったことに、僕はあらためて気づいたのである。

僕はほとんど会話に参加することはなかったが、「うるせえママ友たち」がいない会話の内容はいたってふつうの話や情報交換ばかりで、保育園時代とか通わせている小学校の口汚い悪口や愚痴などは、ほとんど聞くことはなかった。僕は卒園後にして初めて、ママ友たちと打ち解けられる感じがしたのである。ま、いまごろそんなことに気づいたところでどうしようもないんだけど。

最初に泣きじゃくっていた娘は、結局、13時に公会堂を出てからも延長してお友だちと遊び続け、最後は「エイシ君」と二人だけになるまで遊んだ。

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主治医

4月25日(木)

車で1時間半ほどかかる総合病院に定期的に通っているのは、7年ほど前に大病を患った時にお世話になった病院だからである。その後引っ越してしまったために、病院まで行くのが遠くなってしまった。

主治医の先生は僕よりも若いが、愛想はないけれど腕は確かな先生だと思っている。僕の身体に何かトラブルがあると、数ある選択肢の中から臨機応変に治療法を変えてくれる。あたりまえのことなのかもしれないが、そのおかげでいままで生きながらえている。

いま服用中の新薬もなかなかよい効果をもたらしているおかげで、病気の進行は抑えられている。仕事も支障なくできている。ただ、その分副作用が辛い。

いちばん辛いのは、両足の裏が荒れていて、一歩一歩踏みしめるたびに激痛が走ることである。自然と歩くスピードは遅くなり疲れやすくなる。しかしこれはこの種の薬にはよくある副作用なので、だましだましつきあっていくしかない。

最近いちばん困っているのは、左足のすねの部分にできた大きな膿である。痛いのを我慢して絆創膏を貼っていたら、いよいよ痛みがひどくなり、1週間ほど前に地元の皮膚科に行くと、「どうしてこんなになるまで放っておいたの!」「どうして主治医にこのことを言わないの!」と皮膚科の院長先生にひどく叱られた。塗り薬を処方されたけれども、いまに至るまで痛みは変わらない。

今日は1か月に1度の定期の診察日である。採血・採尿して、とくに数値に変わりがないことを確認すると、僕は先生に副作用のことについて打ち明けることにした。

「両足の裏の痛みは副作用としてよくあるので諦めているのですが、最近、左足のすねの部分に大きな膿ができまして、これがなかなか治らないんです。地元の皮膚科の先生に診てもらうと、『どうしてこんなになるまで放っておいたの!』と叱られてしまいました」

そう言うと、ふだんぶっきらぼうの主治医の先生が少し笑った。

「あのー、これも副作用でしょうか」

「厳密に言うと、副作用というわけではないかもしれません。何かのきっかけでスネに傷ができると、そこにばい菌が入って化膿するのですが、いまの薬を服用していると、それがなかなか治りにくくなるのです」

なるほど、どうりでいつまで経っても治らないわけだ。

「これはずっと治らないものなのでしょうか?」

「そんなことないですよ。適切に処置すれば、時間はかかるかもしれませんが治ります。皮膚科から塗り薬をもらっているならば、次第に治ってきますよ」

と言ってくれたのだが、その「適切に処置すれば」という条件を、通っている皮膚科が満たしているかどうかが不安である。

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モンスター

人は、何かをきっかけにモンスターになるのではないか、と、最近よく考えることがある。ここでいう「モンスター」というのは、手のつけられない人間、といったような意味である。

「僕が信頼している人たちの人脈」の中にいた人とお仕事をする機会があった。僕が信頼していた人たちとつながりのある人なので、一緒に仕事をする上でも安心な人だろうと思い、初対面にもかかわらず一緒に仕事をしましょうという約束をして、実際それが実現したのだが、仕事を続けていくうちにちょっとした違和感を抱くようになり始めた。最初は気にしないようにしていたが、どうもその違和感が収まる気配がない。

自分の違和感の方がおかしいのかとも思ったが、次第に意思疎通をすることが難しくなり、はては何かにつけふりまわされる事態になるにつけ、いやこれは僕だけが感じている問題ではないだろうと思うようになった。もちろん、僕以外の人の中には、その人の信奉者もいたりするのだが、たしかにその人の仲間内にいる限りは心地のよい空間なのかもしれない。あるいは打算的な理由でそのようなふるまいをしているのかもしれないが。

いずれにしても、一見して多くの人に慕われているような人なので、この違和感を誰にも打ち明けられないまま時が過ぎるばかりだった。

あるとき、長く親しい関係にあると思われる方に、表現に気を遣いながら遠回しで私の違和感をお話しすると、その人も、堰を切ったように私が抱いたのと同じ違和感を表明しはじめた。以前はそう感じていなかったのに、次第にそう感じるようになった、というのである。これは、こちらによる感情の変化にすぎないのか、それともその人がある時期からモンスター化したのか、見きわめるのがなかなか難しい。

いずれにしても、僕から見て親しい関係と思われた方もそのような違和感を抱いていたということは、他の人も同じような違和感を抱いていたとしても不思議ではない。多くの人は、その違和感に蓋をしてなんとかやり過ごしているのではないだろうかとも思えた。しかし僕にはその違和感を不問に付してやり過ごせるような心の強さはないし、そんなことに心を砕く時間的余裕もないので、自分のやれることといったら、せめて自分自身がモンスターにならないようにつとめるしかないだろうと自問自答しながら生きていくことで現在に至っている。

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悲しきタコ公園

4月21日(日)

1週間前の日曜、「劇場版名探偵コナン」を観終わったあとに、近くの公園で娘を遊ばせた。タコの形をしたすべり台があるので「タコ公園」と呼んでいた。

娘はそこで、学年が少し上の女の子から友だちになってくださいと言われた。お互い一人で遊んでいる者同士、心を通わせたのであろう。その女の子は、「来週の日曜日の3時にまたここに来るから、またここで会おうね」と娘に提案し、娘もそれを約束してしまった。娘は僕に、その女の子との約束を守るために「来週の日曜日もタコ公園に行きたい」と言った。

…というのが、前回までの話。

僕は困ってしまった。この日は17時から19時頃まで、オンライン会議がある。「タコ公園」は自宅から車で20分ほどの距離があり、けっこう遠いのだ。それに立体駐車場の出し入れを考えると、タコ公園を16時に出なければオンライン会議に間に合わない。

できれば娘がこのことを忘れてほしいと願ったり、当日雨が降ればいいのにと願ったりしたのだが、僕の願いは無駄だった。娘は1週間経ってもそのことを覚えていて、「タコ公園に行こう」と駄々をこね始めた。雨の予報もハズレてしまった。

僕は、16時になったらおうちに帰るよと娘に言い聞かせ、約束の15時に間に合うように車でタコ公園に向かった。タコ公園には約束の時間よりも30分ほど早い14時半に到着した。

集団で鬼ごっこをしている子どもたちもいる。その中で、娘はたった一人、タコの滑り台と格闘していた。

約束の時間の15時になったが、お友だちはあらわれない。それはそうだろう。言った本人が忘れてしまっているかもしれないし、保護者の事情でその時間に公園に連れて行けなくなったという可能性もある。

それでも娘は、そのお友だちを待ち続けた。タコの滑り台で遊びながら、ベンチに座っている僕のところに時折やって来て、「まだ来ない。いま何時?」と頻りに言う。

結局、お友だちは来なかった。

娘は残念がっていたが、どこか解放されたような表情も垣間見られた。「来週の3時に待ってるからね」と言われたら、その約束を破るわけにはいかない、という律儀な性格が、娘にとっては実は重荷になっていたのかもしれない。女の子が来ないことで、その重圧から解放されて気持ちが楽になったのではないだろうか。帰りの車の中ではすっかり眠ってしまっていた。

娘を同じマンションに住む義妹親子のところに預け、僕はオンライン会議に間に合った。

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ピアノ教室

4月20日(土)

毎週土曜日、娘はピアノ教室に通っている。しかし本人はあまり乗り気ではないらしく、ピアノの練習はしたがらないし、ピアノ教室にも行きたくないと駄々をこねることが多い。もともとわが家にはピアノがなく、同じマンションに住む義妹親子のところにあるピアノを借りて練習している。そんなこともあり、ピアノを練習するにもひと手間かかるのである。

妻が出張で不在のときには私が娘をピアノ教室に連れていくのだが、最近はピアノの練習をほとんどしないままピアノ教室にのぞむことが多い。小学生になって環境が変わり、学童やら第二学童やらに行って毎日ヘトヘトになっているのを見ると無理もないのだが、それでも親からすればなんとかピアノを続けてもらわないと困る。

それでなくても最近は練習量が少ないとピアノの先生に指摘されていたので、なんとか義妹親子の家にあるピアノをお借りして練習させようとしたのだが、練習しようとしない。さすがの私も頭に来て叱ったのだが、気がつくと、自分が言われたら絶対にイヤだろうなという「チクチク言葉」を平気で使ってしまい、言われるのがイヤな叱り方と自分でわかっていて、どうしてそんな叱り方をしてしまうのだろうと、自分自身に絶望した。

無理に練習させることは諦めて、ピアノ教室に向かった。時間になってピアノの先生があらわれると、「すみません。今週も練習不足で…」とあらかじめ言い訳をしてしまった。ピアノの先生はおそらくそんな生徒とこれまで数多く接していただろうから、そうしたことには慣れた様子で、「いいですよ。さ、中に入って練習しましょう」と練習室に娘をうながした。僕は練習室の外で待っていた。

練習時間が終わり、娘が出てきた。ピアノの先生は、「小学校に入って環境が変わりましたからね。いまはそちらの方についていくので精一杯なのでしょう」と言ってくれて、僕もつい調子に乗り、「毎日朝から晩まで新しい環境で過ごすことになったので、ヘトヘトみたいです。スランプなのでしょうか」と言い訳をした。するとピアノの先生は「そういう時期もありますよ」と言ってくれて、少し救われた気がした。

帰ってから、実家の母にその話をすると、「あなたと同じね」と言われた。「あなたも練習をちっともしていなかったじゃないの」と。

僕はすっかり忘れていたが、母はそのことを鮮明に覚えていた。

僕は、ちょうど娘の年齢と同じころ、やはりピアノ教室に通っていた。最初は近所のピアノ教室に通っていたのだが、習っていたピアノの先生がそのピアノ教室を辞めるというので、僕は駄々をこねて、そのピアノの先生の自宅まで行ってピアノを習うことにした。そのピアノの先生というのは、おそらく音大の学生だったと思う。マンションの一室にグランドピアノがあったことは覚えている。

電車とバスを乗り継いで、かなり遠いところまで通ったことは記憶している。母は降りたバス停の名前を「桜橋」だとはっきりと覚えていた。

「でも平日は仕事だったでしょう?」

「その頃は水曜日がお休みだったのよ」

つまり母の仕事がお休みの水曜日に通っていたわけだ。

「でも、あなた、家で全然練習しないで、その先生のマンションに行って、ピアノなんかほとんど習わずに、先生の本棚にあった「熊のパディントン」の本をその次の週まで借りて帰ってきて、すぐに読んじゃったんだから。まったく、ピアノの練習に行ったんだか本を借りに行ったんだかわからなかったわよ」

そのあとほどなくして、僕はピアノをやめてしまった。それが小学2年生のとき。

なんだ、いまの娘と同じじゃないか。それにしても、僕はまったく記憶になかったのだが、母は、ピアノの先生が住んでいたところのバス停の名前、通っていた曜日、借りた本のタイトルなどをいまでも鮮明に覚えていた。僕が忘れていたことを、母が覚えていてくれたのである。

おそらく娘もそうなるだろう。

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皮膚科憂鬱

4月19日(金)

副作用であまりに両足の裏が痛く、おまけに左足の脛のあたりが膿んでしまい、こちらもあまりに痛くて治らないので近所の皮膚科クリニックに行くことにした。

患部を見せると女性の院長先生は「なんでこんなになるまで放っておいたのか!副作用なら副作用でなぜ主治医に伝えないのか!」と私を叱責した。そう言われるのがイヤだから今まで皮膚科に行けなかったのだ。

病気の本体のことを考えるので精一杯で副作用の症状まで頭がまわらないと反論したかったのだが、言っても仕方のないことなのでひたすら謝り続けた。

絆創膏でとりあえず手当てをしていたら、「この種の膿には絆創膏が一番よくない。なんでこんなことをしたの?」と。素人がわからないくせに勝手に手当てするな、とでも言いたい様子である。まあそれもそうだなと思いつつ、でもそうするより仕方がなかったからなぁと言い訳したい気分だったが、これも言っても仕方がないことなのでやはり謝った。なんで患者が医者にこんなに謝らないといけないのだろう?

これは完全に僕の偏見だが、これまで皮膚科の先生で「いい先生」にあたったためしがない。それも、皮膚科クリニックに行くことを躊躇させる一つの理由であった。でも、正しいとされている治療を受けるに越したことはないので、多少の罵倒は聞き流すことにしよう。

塗り薬は合計で3種類になった。この3種類を足に塗るタイミングもまためんどくさい。来週も皮膚科の診察を予約した。また一つ、通う病院が増えた。ああめんどくさい。

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学童

僕が小学生のときは、両親は共働きだったけれど、学童に入ることなく、学校が終わるとまっすぐ家に帰っていた。祖母が同居していたが、祖母は毎日、年寄りの寄り合いに出ていたので、家に帰っても誰もいない。自分で鍵を開けて家に入った記憶がある。親が帰ってくるまでどのように過ごしていたのか、よく覚えていないが、同じく学童に入っていない友だちと遊んでいたのだと思う。ご近所さんはみんな顔見知りだったので、ご近所さんがそれとなく見守ってくれていたのだろう。

しかし時代は変わり、そんなことは言ってられなくなった。いつ、どのようなトラブルに巻き込まれるかもわからない。そのために学童は子どもたちのアジールとなっている。さらにいまは、アプリを登録していれば、学童への入室時間と退室時間がわかる仕組みになっている。親はそれを見ながら、学童から家に帰る時間を見計らって外に出て、家の近所で子どもが帰ってくるのを待つのである。

退室時間がわかるということは、学童から家までまっすぐ帰らなければいけないということである。もし学童を退室したにもかかわらずなかなか家に戻ってこないことになれば、何らかのトラブルに巻き込まれた可能性を考えなければならない。それもこれも、子どもたちが時間で管理されているからこその心配事である。便利になってありがたい反面、子どもたちががんじがらめに管理されているようで、それはそれで気の毒に思う。

昨日、アプリに学童の退室時間が届いたので、外に出て出迎えてあげようと、マンションを出て、学童から帰ってくる路の途中で娘を待ち構えていたのだが、待てど暮らせど娘の姿が見えない。だいぶ経ってから娘が見知らぬ小学1年生の男の子と帰ってくる姿が見えた。

どうしたの?と聞くと、お友だちの家に寄ったのだという。娘は誰に似たのか男女どちらに対しても惚れっぽい性格で、自分の好きなお友だちには徹底的につきまとう。挙げ句の果てには家に上げてもらおうとするのである。

そのお友だちもまた、自分の家に引き入れようとする。仲の良い子どもたちにとっては当然の遊びなのかもしれないが、保護者としてはたまったものではない。夕食の準備をする時間だし、そんなときに他人様の子どもを家に上げるわけにはいかないのだ。

娘がそのお友だちの家に行くと、家には誰もおらず、お友だちが鍵を開けて娘も勝手に家に入って遊んでいた。そしたらその家の保護者の方が少し遅れて帰ってきて、子どもたちが遊んでいるのを見てびっくりした。そりゃあそうだ。子どもたちの保護者はみな、自分の子どもが帰ってくるのを今か今かと待っているんだもの。すぐに子どもたちを家の外にうながし、「ご家族の人が心配するから学童が終わったらまっすぐ家に帰らないとダメだよ」と諭したのだった。保護者からしてみたらあたりまえのことだが、子どもたちからしたら自分たちの遊びが妨害されたと思ってしまうらしい。

ようやく帰ってきた娘は、これからも学童の後にお友だちの家に遊びに行きたい、とか、自分の家にお友だちを呼びたい、とか駄々をこね始めた。こっちはいろいろ説明して、そんなことはできないよと説得するのだが、こっちが何か言えば言うほど娘は逆ギレし、はては大泣きしてしまうのである。

大人の理屈が通用しないことはわかっていたつもりだが、まさかここまでとは思わなかった。結局議論は平行線をたどった。

考えてみれば僕が小学生のときは、こんなに管理が厳しくなかったので、娘の主張もわからなくはない。でもいまは「そういうことになっているから!」という圧倒的な力の前に、娘の希望は潰えてしまうのである。

それでも今の世の中は、自分の頃にくらべて圧倒的によくなっているのだろうか。僕にはよくわからない。でもとりあえずいまの世間のルールに従って生きるしかない。

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名探偵コナン 100万ドルの五稜星(みちしるべ)

4月14日(日)

4月12日(金)から、名探偵コナン劇場版最新作『100万ドルの五稜星(みちしるべ)』という映画が公開された。小1の娘はコナンが大好きで、当然レギュラー放送も欠かさず見ている。劇場版も、前作の『黒鉄の魚影(サブマリン)』から映画館で観ている。

今回も当然見に連れていかなければならない。日曜日に時間があったので、近所の映画館を検索すると、どの映画館も満席に近い状況である。

(こりゃあたいへんだ)

急いで劇場と上映時間を決めて予約した。

なにも封切りの2日後に見に行かずとも、少し間をおいたほうが余裕を持ってみられるんじゃねえの?と思うかもしれないが、思い立ったが吉日、という言葉もある。いつ見に行けるかの保証もないので、混んでいることを覚悟で映画館に行くことにした。

そしたらあーた、予想したとおり、というか予想以上の混雑ぶりである。あんなに映画館が激混みしているのを見るのは初めてである。

ポップコーン売り場は長蛇の列。わりとギリギリに到着したので、買う暇がない。せめて飲み物だけでも思ったが、並ばなければ買えないことには変わらず、これならばあらかじめ飲み物を買っておくべきだったと後悔した。

そのシネコンでは、コナンが複数のスクリーンで上映されていて、ほぼ30分おきに見ることができるようにプログラムを組んでいる。それにもかかわらず、というか、そのようにしたことでなおさら人が集まって来ちゃった、とこういうわけだ。

僕と娘が観た回も、満席だった。

さて内容だが、とても面白いということだけはわかった。娘も「とても面白かった」と言っていた。しかし、ストーリーが複雑で、展開もめまぐるしく、圧倒的な情報量の前に、1回で内容を完全に理解することができなかった。

テーマや設定が僕のものすごく好きなものだったが、その知識をもってしても、理解が追いつかない。

というのも、僕がコナンを見始めたのがここ1,2年なので、まずキャラクターが覚えられない。キャラクターに対する反射神経が鍛えられていないのである。

えっと…この人は、…あ、そうか、毛利小五郎さんの娘さんか!などと考えているうちに、画面はすでに次の展開に移っている。

もちろん、伏線とそれに対する回収もよくわかってカタルシスを十分に感じることができた。

あの高度な内容を小学生が面白がって観ていることは、未来にちょっと希望が持てる気がする。

映画を見終わったあとは、近くの公園に行った。その公園には大きなタコを形どった滑り台があるので、「タコ公園」と呼んでいる。

娘がタコの滑り台で遊んでいると、娘よりちょっと学年が上だと思われる女の子が、娘のことが気になったらしく、娘が滑り台を逆からよじ登る姿を見ながら、「頑張れ」と言った。その女の子も、滑り台を逆からのぼる遊びをしていたのである。

そのうちに、二人は心を通わすことになった。言葉はほとんど交わしていないのに、二人の間に友情が芽生えたのである。

ひとしきり遊びが終わると、その女の子が娘に言った。

「あのさあ、友だちになってくれない?」

「いいよ」

「わたしはねえ、○○小学校。あなたは?」

「となりの市の○○小学校」

友だちになるといっても、実際には距離が離れていて会うことなどできない。

「来週もこの公園に来るから、3時頃に。来てくれる?」

「いいよ」

なんと!娘は来週再会することを約束してしまった。おいおい、自宅からこの公園に来るのはけっこう遠いんだぜ!

お別れしてから、娘は僕に、

「来週もこの公園にぜったい来るからね」

と言ってきたが、困った。妻は出張で不在だし、僕は夕方にオンライン会議がある。どないする?

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背広コレクター

4月13日(土)

僕の住むマンションには本やモノが溢れていて、ふつうならば3人家族には十分な広さなのに、それらが生活空間を圧迫している。少しでもスペースを作らなければ小学生になった子どもの勉強部屋が確保できないという危機感から、まずは衣服の整理からはじめることにした。

もう着る機会がないような服を片っ端から捨てていくという方針だったが、各部屋のクローゼットやハンガーラックなどから、僕が買った大量の背広の上下が出てきた。出るわ出るわ、しかもそれが同じ色調のものばかりで、とくにバリエーションがあるわけでもなく、なぜこんなに大量の背広を買ったのか記憶にない。なかには、買った状態のまま1回も着ていない背広もあった。

そもそも僕は、仕事で背広を着ることがほとんどなく、公式的な行事があるとき、1~2カ月に1度、着るか着ないかといった程度である。頻繁に着るならまだしも、これでは週7日の毎日、各曜日ごとに着る背広を決めてとっかえひっかえして着たとしてもなお、着る機会のない背広が残ってしまう、というほどの数である。

思い切って捨てたいところなのだが、どれもまだ十分に着られるので、もったいなくて捨てずに残すことにした。でもその結果、ハンガーラックの大部分が背広の上下で占領されてしまった。これからいったいどれくらい背広を着る機会があるのだろう?

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世界は会議でできている

4月10日(水)

今週は忙しい。

昨日の火曜日は、会議が3つあり、そのうちの2つは僕が司会だった。しかもその2つというのは、会議体の名称が違うだけで、中身はまったく同じ議題を話し合う、という謎の会議である。つまり僕は午前と午後の2つの会議を、寸分違わぬ議題で議事進行したのである。こういうのを二度手間っていうんじゃないの?

僕が司会の2つの会議が終わった後、15時からは僕が出なければならない会議が2つあり、バッティングした。さすがに2つの会議に同時に出るような神業ができない。…いや、やろうと思えばできたかもしれない。1つが対面、1つがオンラインの会議だったので、対面の会議に出席しつつ、自分の目の前にパソコンを置いてオンライン会議に出席する、というやり方だ。僕に恥も外聞のなければ、それができたかもしれないけれど、さすがにそれは失礼である。仕方がない。優先度を考えて、オンライン会議に出席して、2時間黙って聞き続けた。

そして今日は、新入社員の研修である。

研修自体はまる一日行われるのだが、僕は午前中に15分間だけ、研修の講師をつとめることになった。

たった15分だが、間違いがあっちゃいけないというので、1時間くらいかけて予習をして、本番に臨んだ。

予習の甲斐あって、15分ぴったりで過不足ない説明が終わった。

午後は1時間ほど来客の対応をして、14時から2時間ほど、オンラインで打合せを行う。

これでやっと終わりかな、と思ったら、上司のところに明日の会議の下打ち合わせをしにいかなければならないことになった。明日の会議は結構重要な会議で、僕が議題を提出する立場でもあるので、事を慎重に進めないといけないということで、周到な下打ち合わせをすることになったのである。

明日の会議は気が重いのだが、会議の前後の時間は作業の立ち会いという仕事もあり、なかなか気が抜けない。

「会議は踊る」ではなく「会議に踊らされている」というフレーズを考えてみたんだが、どうだろう。あんまりうまくないか。

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入学式

4月8日(月)

どこもかしこも、今日は入学式のようだ。

高校時代のクラスの有志で作っているグループLINEに、今日は出身高校の入学式だと書いてあった。

出身高校の近所にある国立大学も、今日が入学式だという。

うちの市内の小学校も、今日が入学式である。

ずいぶん前に、そのことに気づかずうっかり出張を入れてしまったのだが、あとでこの日が入学式だと気づき、慌ててほかの同僚に代わりに出張に行ってもらった。のっけから情けないスタートである。

入学式は13時半からだが、午前中もいろいろと準備があり、小学校には開会の40分前には到着しないといけなかったので、あまり余裕などなかった。

入学式が行われる体育館に入ると、愕然とした。

入学式のフォルムというのか、舞台装置というのか、僕が半世紀前に小学生になった時の入学式と、まったく同じだからである。もちろん、娘の小学校と僕の小学校は、別々の小学校なのだ。にもかかわらず、会場の設営の仕方がまったく同じというのは、どういうことだろう?

驚いたのはそれだけではなかった。

「式次第」も、半世紀前に体験した入学式と、何ら変わっていないのだ。

いや、ひとつだけ違うのが、「国歌斉唱」というのがあるということだ。僕が小学校の時はなかったと思う。国旗・国歌法が制定されて、いつの間にか入学式で国歌を歌うことが義務づけられたのだろう。

入学式が始まった。

国歌斉唱のあと、学園歌斉唱というのもあった。

うちの町は少し変わっていて、小・中学校の9年は一貫した教育をするという方針のようで、市内の小・中学校はひとつの「学園」ととらえられている。その「学園歌」というものが存在するようなのである。

もちろん、初めて聴く歌なので、歌えるわけはないのだが、あらかじめ録音してある生徒たちの歌を聴くと、難しくて覚えられないほど、歌詞やメロディーが複雑な歌である。

(ここの小中学生は、こんな難易度の高い「学園歌」をおぼえなければならないのか…)

次に校長先生の挨拶である。校長先生が壇上に立つと、合図にしたがって新1年生が頭を垂れてお辞儀をした。

校長先生は、新1年生に向けて、道徳的な訓辞を垂れるのだが、

「戦前か!」

と思う内容の訓辞だった。

続いて、教育委員会の告辞である。これもまた、十年一日、いや、百年一日のような内容だった。

次に来賓紹介。いま告辞を述べたばかりの教育委員会の人を筆頭に、市会議員とか、あとはよくわからない団体の人などが紹介される。

いちばん笑ったのが、その町の駐在所のおまわりさんである。

僕はこの町に6年住んでいて、僕の住むマンショのすぐ向かいに駐在所があるのだが、いつ見ても、駐在所のお巡りさんの姿が見えない。まるで無人の駐在所なのである。

ところが今日、6年目にしてはじめて、駐在所のおまわりさんの顔を見た。おいおい、こんなんで地元の治安は守られるのかよ!

その後、担任紹介や小学校6年生による歓迎の言葉などがあり、最後に「校歌斉唱」である。

「学園歌」のほかに、この小学校独自の「校歌」もあるのだ。

どんだけ歌うんだよ!しかも校歌もまた難しい。

この小学校に通う児童はともかく、保護者は「学園歌」も「校歌」も、ひとっつも覚えることなく終わってしまうのかと思うと、絶望すら感じる。

入学式に出た感想は、

「ずいぶんと権力的な入学式だった」

という一言に尽きる。校長や教育委員会が壇上から児童たちを見下ろして訓辞や告辞を垂れるという権力構造は、おそらく戦前からちっとも変わっていないのだろう。その証拠に、歓迎の言葉を述べた6年生の児童は、壇上に上がらせてもらえなかったのだ。

儀式とは権力構造を確認する行為に過ぎないというかねての主張は、小学校においても同じであるということを目の当たりにして、暗澹たる気持ちになった。

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これぞゴールデンヒストリー

僕が「究極のミニコミ誌」と呼んでいるガリ版刷りのミニコミ誌に、高校の恩師がエッセイを連載しているという話は、以前に書いた

つい最近送られてきたミニコミ誌には、驚くべきことが書かれていた。恩師の若い頃の話である。

子どもの頃から数々の病気の治療に時間を費やしていた恩師が高校を卒業したのは、21歳のことだった。さてこれからどうしようかと考え、まずは体力を回復するために、市役所で単純作業を行うアルバイトをした。しかしこんなことを続けても生きがいにはならないことに気づき、一念発起して大学に入学することをめざし、急遽夏から受験勉強を始めて準備不足のまま受験にのぞんだ。

入学試験が終わった夜、打ち上げの席で友人が「元気出せ」と、恩師の右耳をバン!と叩き、鼓膜が破裂してしまった。もともと左耳の聴力のなかった恩師は、残された右耳も壊され、完全無音の世界になった。こんなことでは大学に行って何ができる?どうせ受験は失敗したので、大学を諦めて別の新しい世界を生きていこうと決心した。

家族には「これからは新しい世界で生きていきます。落ち着いたら必ず連絡するから心配しないでほしい。探さないでほしい」と手紙を書き残して西へと向かった。放浪の果てにたどり着いたのは、知り合いのいない広島だった。駅前のパチンコ屋に飛び込み、ここで働かせてもらえないかと頼み込んだら、あっさりとOKをもらい、この日から住み込みの店員生活が始まった。マネージャーとオーナーに可愛がられ、快適な生活を謳歌した。右耳の聴力も次第に回復していった。

ある日、朝食のときに新聞の朝刊を読んでいると、尋ね人の欄に自分の名前が書いてある。「合格している。連絡せよ」と。すぐさま実家に電話をかけ、無駄なお金を使うなと言ったら、兄が入学と入寮の手続きをすませたからできるだけ早く大学に顔を出せという。マネージャーとオーナーに事情を説明した。マネージャーは半信半疑だったが、オーナーは2カ月分の給料をくれて「すぐ行きな」と、恩師を送り出した。

かくして14歳~22歳の8年間の「道草はぐれ半生も終わって、以後は凡庸な生活となっている」と、最後に綴っている。

「以後は凡庸な生活となっている」という言葉に思わず笑ってしまった。その後もいろいろあったのだろうけれど、このころの8年間にくらべたら、どんな生活も凡庸に思えてしまうのだろう。

僕が高校時代に知らなかった、恩師の青春時代の話。高校を卒業して40年近くたって初めて知ったのである。

このエッセイを僕だけが読むのは勿体ない。このページをスマホで撮影して、高校時代に同じクラスだった有志で作っているグループLINEで共有した。「まるで映画のような人生だ」というコメントをつけて。

クラスの仲間たちも、当然このエッセイを読んで驚いていた。「ドラマ以上だわ」「そのあとの人生についてももっと話を聞いてみたい」と。

僕は恩師にメールをした。何よりまず、恩師に断りなしにエッセイを同級生の仲間たちと共有してしまったことを謝り、仲間たちの反応を紹介した。

するとほどなくして恩師から返信が来た。

「連載エッセイをクラスのみんなに回したのですね、ははは、恥ずかしいけれどおもしろいね。今まで家族にも言わなかったことがたくさんあるけれど、そろそろ人生の終点も近づいているはずなので最後まで面白がって生きてやろう!という気分です。但し、共通タイトルは「他人にわかってもらうのはむずかしいこと」に限っているのでそんなに長くは続きません。(連載は)あと3回くらいかな」

そうおっしゃる恩師は、今度の日曜日に春風亭一之輔師匠の独演会を聴きに行くそうだ。「激しい座席とり競争の中、最前列の席を確保できたので行きます」と書いてあった。

僕のいまの夢は、恩師の連載エッセイを1冊の本にまとめることである。

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倦怠感と繁忙

4月4日(木)

年度が変わって少しは楽になるかと思ったら、その反対だった。

今日来たメールだけでも、原稿の修正依頼が2件、調査依頼が1件、カルチャースクールの講師の依頼が1件、来年の講演の打診が1件。出張の打診が2件。

依頼ばかりではない。こちらからお願いすることもある。

書類の不備について、書類を出した人に問い合わせたり、いまとりまとめている本について執筆者たちに連絡をしたり、オンライン会合の日程調整が1件。

会議の事前打ち合わせなんてものもある。

それ以外にも、現在ストップしている原稿や書類作成というのが山ほどある。あまりにやることが多すぎて、どこから手をつけていいのかわからない。それでなくても、薬の副作用で倦怠感がひどいのだ。

しかしまあ文句ばかりも言っていられない。忙しいのはお互いさまだ。10人ほどにオンライン会合の日程調整をしたら、20ほどの候補を挙げていたのに、全員の日程が合うことはほぼなかった。かろうじて△や×の人に調整をしてもらったりして、ようやく1日だけ日程が確保できた。

みんな忙しいのだ。これって健全な社会なのか?

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薬マネージャーのまぼろし

少し前に、1日に飲む薬が5種類になり、しかもそれらを飲むタイミングが一様ではないということから、タイミングを間違えずに薬を飲むために、スケジュールを管理する「薬マネージャー」を募集したのだが、応募者はゼロだった。

見かねた妻が、100円ショップでピルケースを買ってきてくれた。最初からこれを使えよ!ということらしい。

そのピルケースは、月曜~日曜の1週間ずつの縦長の小箱が合体して一つの四角いケースを形成している。

しかも、各曜日の縦長のケースは「朝」「昼」「夜」「寝る前」と、さらに4つの小箱に分かれている。そこに飲むべき薬を入れておけば、朝食後に飲む薬、昼食後に飲む薬、夕食後に飲む薬、寝る前に飲む薬が、一目瞭然でわかる、という仕組みになっている。

ただ僕の場合、「寝る前」に飲む薬はないので、この部分の小箱を「朝食後2時間」の箱と読み替えれば、ほぼ完璧に、一日に飲む薬のスケジュールを管理することができる。「薬マネージャーいらず」である。

各曜日の縦長の箱は着脱可能になっている。たとえばその日が月曜日だったら、月曜日用の縦長の箱だけ取り外して持ち歩くことができる。これで、どこへ行っても薬を飲むことが可能だ。

ただ心配なのは、そのピルケースを毎日箱を変えながら持ち歩かなければならないことを忘れてしまわないだろうか?ということである。ま、そこまでのことになったら、また一つ薬が増えることになるだろう。

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