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これぞゴールデンヒストリー

僕が「究極のミニコミ誌」と呼んでいるガリ版刷りのミニコミ誌に、高校の恩師がエッセイを連載しているという話は、以前に書いた

つい最近送られてきたミニコミ誌には、驚くべきことが書かれていた。恩師の若い頃の話である。

子どもの頃から数々の病気の治療に時間を費やしていた恩師が高校を卒業したのは、21歳のことだった。さてこれからどうしようかと考え、まずは体力を回復するために、市役所で単純作業を行うアルバイトをした。しかしこんなことを続けても生きがいにはならないことに気づき、一念発起して大学に入学することをめざし、急遽夏から受験勉強を始めて準備不足のまま受験にのぞんだ。

入学試験が終わった夜、打ち上げの席で友人が「元気出せ」と、恩師の右耳をバン!と叩き、鼓膜が破裂してしまった。もともと左耳の聴力のなかった恩師は、残された右耳も壊され、完全無音の世界になった。こんなことでは大学に行って何ができる?どうせ受験は失敗したので、大学を諦めて別の新しい世界を生きていこうと決心した。

家族には「これからは新しい世界で生きていきます。落ち着いたら必ず連絡するから心配しないでほしい。探さないでほしい」と手紙を書き残して西へと向かった。放浪の果てにたどり着いたのは、知り合いのいない広島だった。駅前のパチンコ屋に飛び込み、ここで働かせてもらえないかと頼み込んだら、あっさりとOKをもらい、この日から住み込みの店員生活が始まった。マネージャーとオーナーに可愛がられ、快適な生活を謳歌した。右耳の聴力も次第に回復していった。

ある日、朝食のときに新聞の朝刊を読んでいると、尋ね人の欄に自分の名前が書いてある。「合格している。連絡せよ」と。すぐさま実家に電話をかけ、無駄なお金を使うなと言ったら、兄が入学と入寮の手続きをすませたからできるだけ早く大学に顔を出せという。マネージャーとオーナーに事情を説明した。マネージャーは半信半疑だったが、オーナーは2カ月分の給料をくれて「すぐ行きな」と、恩師を送り出した。

かくして14歳~22歳の8年間の「道草はぐれ半生も終わって、以後は凡庸な生活となっている」と、最後に綴っている。

「以後は凡庸な生活となっている」という言葉に思わず笑ってしまった。その後もいろいろあったのだろうけれど、このころの8年間にくらべたら、どんな生活も凡庸に思えてしまうのだろう。

僕が高校時代に知らなかった、恩師の青春時代の話。高校を卒業して40年近くたって初めて知ったのである。

このエッセイを僕だけが読むのは勿体ない。このページをスマホで撮影して、高校時代に同じクラスだった有志で作っているグループLINEで共有した。「まるで映画のような人生だ」というコメントをつけて。

クラスの仲間たちも、当然このエッセイを読んで驚いていた。「ドラマ以上だわ」「そのあとの人生についてももっと話を聞いてみたい」と。

僕は恩師にメールをした。何よりまず、恩師に断りなしにエッセイを同級生の仲間たちと共有してしまったことを謝り、仲間たちの反応を紹介した。

するとほどなくして恩師から返信が来た。

「連載エッセイをクラスのみんなに回したのですね、ははは、恥ずかしいけれどおもしろいね。今まで家族にも言わなかったことがたくさんあるけれど、そろそろ人生の終点も近づいているはずなので最後まで面白がって生きてやろう!という気分です。但し、共通タイトルは「他人にわかってもらうのはむずかしいこと」に限っているのでそんなに長くは続きません。(連載は)あと3回くらいかな」

そうおっしゃる恩師は、今度の日曜日に春風亭一之輔師匠の独演会を聴きに行くそうだ。「激しい座席とり競争の中、最前列の席を確保できたので行きます」と書いてあった。

僕のいまの夢は、恩師の連載エッセイを1冊の本にまとめることである。

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