モンスター
人は、何かをきっかけにモンスターになるのではないか、と、最近よく考えることがある。ここでいう「モンスター」というのは、手のつけられない人間、といったような意味である。
「僕が信頼している人たちの人脈」の中にいた人とお仕事をする機会があった。僕が信頼していた人たちとつながりのある人なので、一緒に仕事をする上でも安心な人だろうと思い、初対面にもかかわらず一緒に仕事をしましょうという約束をして、実際それが実現したのだが、仕事を続けていくうちにちょっとした違和感を抱くようになり始めた。最初は気にしないようにしていたが、どうもその違和感が収まる気配がない。
自分の違和感の方がおかしいのかとも思ったが、次第に意思疎通をすることが難しくなり、はては何かにつけふりまわされる事態になるにつけ、いやこれは僕だけが感じている問題ではないだろうと思うようになった。もちろん、僕以外の人の中には、その人の信奉者もいたりするのだが、たしかにその人の仲間内にいる限りは心地のよい空間なのかもしれない。あるいは打算的な理由でそのようなふるまいをしているのかもしれないが。
いずれにしても、一見して多くの人に慕われているような人なので、この違和感を誰にも打ち明けられないまま時が過ぎるばかりだった。
あるとき、長く親しい関係にあると思われる方に、表現に気を遣いながら遠回しで私の違和感をお話しすると、その人も、堰を切ったように私が抱いたのと同じ違和感を表明しはじめた。以前はそう感じていなかったのに、次第にそう感じるようになった、というのである。これは、こちらによる感情の変化にすぎないのか、それともその人がある時期からモンスター化したのか、見きわめるのがなかなか難しい。
いずれにしても、僕から見て親しい関係と思われた方もそのような違和感を抱いていたということは、他の人も同じような違和感を抱いていたとしても不思議ではない。多くの人は、その違和感に蓋をしてなんとかやり過ごしているのではないだろうかとも思えた。しかし僕にはその違和感を不問に付してやり過ごせるような心の強さはないし、そんなことに心を砕く時間的余裕もないので、自分のやれることといったら、せめて自分自身がモンスターにならないようにつとめるしかないだろうと自問自答しながら生きていくことで現在に至っている。
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