« 名探偵コナン 100万ドルの五稜星(みちしるべ) | トップページ | 皮膚科憂鬱 »

学童

僕が小学生のときは、両親は共働きだったけれど、学童に入ることなく、学校が終わるとまっすぐ家に帰っていた。祖母が同居していたが、祖母は毎日、年寄りの寄り合いに出ていたので、家に帰っても誰もいない。自分で鍵を開けて家に入った記憶がある。親が帰ってくるまでどのように過ごしていたのか、よく覚えていないが、同じく学童に入っていない友だちと遊んでいたのだと思う。ご近所さんはみんな顔見知りだったので、ご近所さんがそれとなく見守ってくれていたのだろう。

しかし時代は変わり、そんなことは言ってられなくなった。いつ、どのようなトラブルに巻き込まれるかもわからない。そのために学童は子どもたちのアジールとなっている。さらにいまは、アプリを登録していれば、学童への入室時間と退室時間がわかる仕組みになっている。親はそれを見ながら、学童から家に帰る時間を見計らって外に出て、家の近所で子どもが帰ってくるのを待つのである。

退室時間がわかるということは、学童から家までまっすぐ帰らなければいけないということである。もし学童を退室したにもかかわらずなかなか家に戻ってこないことになれば、何らかのトラブルに巻き込まれた可能性を考えなければならない。それもこれも、子どもたちが時間で管理されているからこその心配事である。便利になってありがたい反面、子どもたちががんじがらめに管理されているようで、それはそれで気の毒に思う。

昨日、アプリに学童の退室時間が届いたので、外に出て出迎えてあげようと、マンションを出て、学童から帰ってくる路の途中で娘を待ち構えていたのだが、待てど暮らせど娘の姿が見えない。だいぶ経ってから娘が見知らぬ小学1年生の男の子と帰ってくる姿が見えた。

どうしたの?と聞くと、お友だちの家に寄ったのだという。娘は誰に似たのか男女どちらに対しても惚れっぽい性格で、自分の好きなお友だちには徹底的につきまとう。挙げ句の果てには家に上げてもらおうとするのである。

そのお友だちもまた、自分の家に引き入れようとする。仲の良い子どもたちにとっては当然の遊びなのかもしれないが、保護者としてはたまったものではない。夕食の準備をする時間だし、そんなときに他人様の子どもを家に上げるわけにはいかないのだ。

娘がそのお友だちの家に行くと、家には誰もおらず、お友だちが鍵を開けて娘も勝手に家に入って遊んでいた。そしたらその家の保護者の方が少し遅れて帰ってきて、子どもたちが遊んでいるのを見てびっくりした。そりゃあそうだ。子どもたちの保護者はみな、自分の子どもが帰ってくるのを今か今かと待っているんだもの。すぐに子どもたちを家の外にうながし、「ご家族の人が心配するから学童が終わったらまっすぐ家に帰らないとダメだよ」と諭したのだった。保護者からしてみたらあたりまえのことだが、子どもたちからしたら自分たちの遊びが妨害されたと思ってしまうらしい。

ようやく帰ってきた娘は、これからも学童の後にお友だちの家に遊びに行きたい、とか、自分の家にお友だちを呼びたい、とか駄々をこね始めた。こっちはいろいろ説明して、そんなことはできないよと説得するのだが、こっちが何か言えば言うほど娘は逆ギレし、はては大泣きしてしまうのである。

大人の理屈が通用しないことはわかっていたつもりだが、まさかここまでとは思わなかった。結局議論は平行線をたどった。

考えてみれば僕が小学生のときは、こんなに管理が厳しくなかったので、娘の主張もわからなくはない。でもいまは「そういうことになっているから!」という圧倒的な力の前に、娘の希望は潰えてしまうのである。

それでも今の世の中は、自分の頃にくらべて圧倒的によくなっているのだろうか。僕にはよくわからない。でもとりあえずいまの世間のルールに従って生きるしかない。

|

« 名探偵コナン 100万ドルの五稜星(みちしるべ) | トップページ | 皮膚科憂鬱 »

育児」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 名探偵コナン 100万ドルの五稜星(みちしるべ) | トップページ | 皮膚科憂鬱 »