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2024年5月

パーフェクト・プレミアムフライデー

5月31日(金)

今週は、というより今週もほんとキツかった。

山の上のお寺の用務が終わった翌日の30日、つまり昨日は、午前から夕方にかけて都内で用務をこなした。例によって夕方になると倦怠感と両足の痛みが襲い、一歩一歩前に踏み出すだけで苦痛だった。

そして今日。

午前に打合せ、午後に会議と勉強会、そして夕方は、ちょっと神経を使う「オンライン話し合い」があった。

今週は、この最後の「オンライン話し合い」が最大の山場であることはずっと前からわかっていた。すべてはこのオンライン話し合いに備えてコンディションをととのえてきたといってもよい。

薄氷を踏む思いでこの話し合いにのぞんだ。聞き方を一歩間違えると取り返しがつかなくなるかもしれない、というプレッシャーのもと、ナイフを首元に突きつけられた状態で私が司会をした、というのは、いささか大げさかもしれない。まあ自分にとってはそれくらいの覚悟で臨まなければならなかったのだ。

1時間半におよぶ話し合いは、とくに決裂したり破綻したりすることなく、ひとまず無事に終わった。もちろんこれですべてが終わったわけではなく、これからも神経を使う対応が求められ続ける。

しかしとりあえずこの場を乗り越えたことで、極度の緊張とプレッシャーから一時的に解放された。そしてまた倦怠感が訪れる。

しかしそんなことは他人から見たら些細なことに過ぎない。自分はもっと苦労しているのだ、お前なんて気楽なものだ、どうせはサボる口実を探しているのだろうといわれれば、返す言葉もない。

今日はプレミアムフライデー、しかも月の最終日が金曜日になることは、そうめったにあることではない。パーフェクト・プレミアムフライデーである。

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オーバーツーリズムにもほどがある

5月29日(水)

昨晩は、新幹線で2時間半かかる駅で降り、そこから地下鉄に乗りかえて、夜9時過ぎに目的の宿泊先に着いた。

今日は朝から山の上のお寺で用務がある。

つい最近、宿泊している場所から山の上のお寺まで路線バスが開通したというので、それを利用することにした。

すでに先行して現地している同僚から、

「路線バスは、平日でも混雑していますので注意してください」

とメールが来た。その同僚はその用務先には何度となく通っているので、そのへんの事情に詳しい。

「わかりました。早め早めの行動をとります」

といって、朝、少し早めにホテルを出てバスの停留所に行くと、すでに長蛇の列である。

(舐めてたなあ、まさかこんなに乗客がいるとは)

そのお寺は交通が不便な場所にあるので、そんなに観光客が来ることもないだろうと高をくくっていたのだが、バス停に並んでいる人たちのほとんどは、どうやら外国人観光客である。

(これがオーバーツーリズムというやつか…)

やがてバスが来たのだが、当然僕は座ることができない。あっという間にバスは乗客で溢れかえった。

40分ほど文字通りバスに揺られ、目的地のバス停に到着した。バス停には同僚が迎えに来ていた。

「やあ、アドバイスをもらったのに、ちょっと舐めてました」

「すごい人数の観光客でしょう」

「ええ、それも外国人観光客ばかり。どうしてこんなに人気なんですか?」

そこは、春は桜、秋は紅葉で有名だし、それ以外の季節にもさまざまな花が楽しめるところなので、観光に十分なところであることはわかる。それにしても、外国人観光客は、言ってみればこんなマイナーな場所にどうして我も我もと訪れるのだろう?

「SNSで海外のインフルエンサーが紹介したら、バズったみたいですよ」

なるほど。そういうことか。

もちろんそれには、お寺側の努力もあったはずである。ご挨拶した副住職は僕よりも若く、なかなかやり手のようだった。いろいろなことを仕掛けたおかげで、観光客はV字回復どころか、そのまま右肩上がりで増えていったのだろう。

無事に用務が終わり、帰りはタクシーで山を下りたのだが、路線バスとは打って変わってじつに快適である。

とはいえ、午後になると薬の副作用で足が痛み始め、痛みをこらえながら移動しなければならなくなった。最後の方は、足を一歩一歩前に出すことじたいが億劫となり、倦怠感も手伝って、極端に歩みがのろくなった。本当になんとかならんものか。

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気安く頼まれる人

5月18日(土)

いつもは車で出勤するのだが、今日は電車で出勤した。雨が降っていてコンディションは最悪である。

午前中に職場で会議をして、会議が終わるとすぐに別の打合せをし、短い昼食休憩をはさんで2つの打合せをし、終わり次第職場を出て東京駅に向かい、夕方の新幹線で西に向かい、2時間半以上かかって宿泊先に到着した。明日は朝から初めての場所で用務である。用務は明日1日のみで、終わったら新幹線で帰宅し、明日は午前から都内で用務である。

むかしはよくこういうアクロバティックな出張をしたが、病気をしたり年齢を重ねたりすると、すっかりその体力がなくなり、移動するだけで疲れてしまう。

しかも今日だけで5つくらい、新しい仕事を頼まれた。職場のボス、先輩の同僚、出版社から2つ、見知らぬところから問い合わせ1件。いずれも面倒なものばかりである。

僕に頼めばなんとかなると思っているのだろうが、それは買いかぶりすぎである。それにヒマだと思われているのかもしれないが、こう見えて地味に忙しいのだ。

そういえばこの出張も、気安く頼まれたんだった。

 

 

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太陽フレアのせいではありませんでした

5月27日(月)

今週は締切の書類も多く、出張もあり、オンラインや対面の会議や打合せも分刻みであるので、正念場である。

5月の上旬の太陽フレアの時期から、自家用車のカーナビがおかしくなった。

「ルートを検知できません」とか「案内できません」とか、そういうメッセージが出てくるのである。いままで何の問題もなくルートを探せていたものが、お手上げになるというのはどういうことなのか?

それを僕は太陽フレアのせいにしていたのだが、それは全然勘違いだった。

ふと思い立ち、カーナビについている「お知らせ」のボタンをタッチすると、

「カーナビに付随している某社の3Gが、4月下旬以降、全国的にサービスをやめることになりました。4月下旬にすべての3Gが一斉になくなるわけではなく、順次廃止していくので、使えたり使えなかったりする場合があります。それでもいずれは3Gは全国で使えなくなるのでカーナビも正常な動作ができなくなります。4Gに機種変してください」

…的なことが書いてあり、某社の3Gのおかげで動いていたこの車のカーナビが、3Gが使えなくなるという理由でただの地図になってしまったのである。

カーナビを買い換える必要があるのか。めんどくせえなあ。

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気分はピン芸人

5月25日(土)

新幹線で北に向かう。

僕の師匠にあたる方が講演会をするというので、日帰りで聴きに行くことにしたのである。というよりも、その講演会は僕が何かとお世話になっている方が企画したもので、ある日「ぜひ講演会においでください」というメールが来たので、日ごろの恩返しのつもりで行くことにしたのである。

幸いにも天気がよかった。

会場に早めに着くと、たちどころに何人もの知り合いに会う。

以前一緒に仕事をした若い担当職員の方が、

「ご無沙汰しております」

とやってきた。さらに若い職員を連れている。

「この4月からうちの職場に来た新人職員です」

名刺を交換しようとすると、

「あのぅ…実は昨年まで学生をしておりまして、昨年8月の研修に参加した者です」

「あ、あのときの!?」

「ええ。その節は大変お世話になりました」

「あのときは炎天下の中を歩きましたよねえ」

「ええ、暑かったです」

「ここに就職されたんですか」

「ええ」

なんと世間は狭いことか。

そんな会話をしていたら、この講演会を企画した方がいらして、

「お昼はすませましたか?」

「いえ、これからです」

「では昼食後に講師控室にいらしてください。教育長と部長もいらっしゃいますので」

「でも、僕は講師ではありませんよ」

「日ごろからお世話になっておりますのでぜひ」

なぜか僕は講師でもないのに講師控室に通された。もちろんそこには師匠もいて、もっぱら僕は師匠の話を黙って聞く役割だった。

しばらくの間、手持ち無沙汰で講師控室にいると、

「リハーサルをしますので、ホールにお越しください」

と、スタッフが呼びに来た。別にコンサートではないのだからリハーサルというのもおかしな話だが、パワーポイントの動作確認とか、レーザーポインターの使い方とか、マイクの調子を確認するための準備をするらしい。

「鬼瓦先生もご一緒にどうぞ」

だから俺は講師でも何でもないんだって!たんなる客なんだぞ!と思いながら、開場前のホールに入って、なぜかリハーサルに立ち会うことになった。

やがて開場の時間になると、次から次へとお客さんが入ってきて、700人ほど入るホールはほとんど一杯になった。

そしていよいよ開演。

若い頃は責任感なく講演会を聴きに行ったりしていたが、自分が講演会の講師を頻繁にするような立場になってしまったいまでは、登壇する演者の気持ちになり、講演会を冷静に聞くことができなくなってしまった。

じつに久しぶりに師匠の講演を聴いたが、ヒヤヒヤのし通しだった。

講演会は、いってみればピン芸である。だからピン芸人の気持ちが、少しだけわかる。こんなふうに、ヒヤヒヤし通しなんだろう。

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検査結果

5月23日(木)

先週土曜日の検査の結果を聞きに、車で片道1時間半ほどかかる病院に行く。

診察室に入ると、まず主治医のパソコンが目に入った。検査結果の画像が映っている。

検査結果の画像が映っているということは、何か問題があったということだ。問題がなければ、画像を見せずに「問題なかったです」と言ってくれるはずだから。

予想通り、主治医は口を開いた。

「前回の検査にくらべて腫れが少し大きくなっています」

「はあ」

たしか前回の検査では、前々回の検査よりも腫れは小さくなったと言っていた。

「うーん」と主治医は考え込んだあと、「しばらく様子を見ましょう」

しばらくって…、次の検査は3か月後である。その間にさらに腫れが大きくなることはないのだろうか?

「あのう…、次の検査でさらに腫れが大きくなった場合は…どうなるのでしょうか…」

「そのときは薬を変えるしかないでしょうね」

ええええぇぇぇっ!!!

いま服用している薬は意外と効き目があり、これまで3か月に一度「ひとり合宿」しなければならなかったのが、2回連続で検査に引っかからず、「ひとり合宿」が放免されていたのだ。これは明らかに新薬のおかげである。この新薬をやめてしまうとなると、また「ひとり合宿」のローテーションが始まってしまうのではないかと、僕は絶望した。

今回の検査の前、1週間ほど休薬期間を設けた。あまりに副作用がキツくなったためである。つまり検査は休薬期間あけに受けたのだった。まさか、休薬期間の間に腫れが大きくなったのではないだろうか、もしそうだとしたら、これからは薬の服用を休んではいけないのではないかと、少しビビってしまった。

「ま、これから腫れが小さくなる可能性もあるので、もう少し様子を見ましょう」

「わかりました」

薬というのは、永遠の人体実験である。どの薬を、どの程度の量で、どのようなスパンで服用すればよいかというのは、たぶん人それぞれ。

何がよいかは、だれにもわからない。

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パパは名探偵

5月22日(水)

手元のスマホのアプリでは、17時56分に学童の退室記録があるから、いつものように18時過ぎに小1の娘は学童保育から帰ってくるだろう。

ふだんは、娘が帰ってくる頃にマンションの外に出て様子を見る、なんてことはないのだが、今日はたまたま時間があったので、久しぶりにマンションの外に出て娘が帰るのを待っていたところ、いつもの帰り道の遠くの方から、5~6人の小学1年生が歩いてくるのがみえた。その中に娘もいた。まっすぐで幅の広い遊歩道を歩いてくるものだから、

(まるでGメン75だな…)

と思いながらこちらに来るのを待っていると、その5,6人の小学1年生は、帰り道から外れて、駐在所の方に歩き出した。

僕は通りの反対側から(なんだなんだ??)と見ていたら、そのまま駐在所に入ろうとしているではないか!

(どうしたんだ?何かあったのか?)と思っておーい、と声をかけ、娘のところに行くと、

「これが落ちてたの」

と、小さい子用の小さなピンクのヘアゴムが娘の手に握られていた。何の変哲もないヘアゴムである。

「それでね、警察に届けようと思って」

落とし物は警察に届けなければならないと教わったらしい。

なるほど、それでみんなが駐在所に入ろうとしていたのか。しかしあいにくおまわりさんは不在である。というか、ここの駐在所でおまわりさんを見たためしがない。

「パパ、名探偵でしょ、解決してよ」

と娘が言うと、まわりのお友だちも、

「名探偵なの?」

と娘に聞き、娘も「そうだよ」と答えた。

日ごろ僕は、娘に対して自分の職業は「名探偵」だと言っているので、それを信じているらしい。しかもほかのお友だちにもそのウソを信じてしまった。

「名探偵なら、事件を解決してよ」

事件、て。

「よしわかった」乗りかかった船だ。「そもそもそのヘアゴムはどこに落ちてたの?」

「じゃあ事件現場に案内します。…みんな、事件現場に戻ろう!」

事件現場、って…。面倒くさいことになってきた。

きびすを返して、子どもたちが帰ってきた道を戻ることにした。

そのあいだじゅう、そのメンバーで唯一の男の子であるユイト君は、すれ違う人すれ違う人に、

「このヘアゴムに心当たりはありませんか?」

と聞き込みをすることに余念がない。もちろん、聞かれた大人たちは、「さあ、わからないねえ。ごめんね」と答える。

そうこうしているうちに「事件現場」に到着。ベンチの上に落ちていたらしい。

僕はなんとかこの場を収めるべく、

「ひょっとしたら、持ち主がヘアゴムを落としたことに気づいて、このベンチに探しに来るかもしれないから、このベンチに置いておいた方がいいよ」

と提案したが、娘は頑として聞かない。「落とし物は警察に届けないといけないんだよ。それにベンチに置いておいたら風に飛ばされちゃうでしょ」

「わかったわかった。じゃあ届けるから、その代わりみんなは早くおうちに帰るように!」

と、お友だちをおうちに帰して、再び娘とともに駐在所に向かった。ただ、帰り道が一緒だったユイト君とユイト君のパパもついてきた。

駐在所に戻ると、やはりおまわりさんは不在である。

僕はなんとか諦めさせようと、

「じゃあいったんこのヘアゴムは持ち帰ろう。明日の朝早く、またおまわりさんに届ければいいんじゃない?」

とおよそ非現実な提案をした。

「…もう帰ってもいいですか?」

ユイト君のパパは、しびれを切らして言うので、

「どうぞどうぞ。あとはこっちでやりますから」

と言ってユイト君親子にも帰ってもらった。

自宅に戻り、娘がママに相談すると、

「ヘアゴムを落としたお友だちが、落としたベンチに取りに来るかもしれないから、やっぱりベンチに戻そうよ。なくならないようにヘアゴムをビニール袋に入れて、ベンチに貼り付けておけば大丈夫だよ」

そうか、その手があったか。これには娘も納得した。ヘアゴムをビニール袋に入れて、ビニール袋にサインペンで「おとしもの」と娘が書いた。

そこで再び、マンションを出て、ヘアゴムが落ちていた「事件現場」のベンチに向かった。

(何度もこの道を往復をして、俺は何をやっているのだ…)

ベンチに着くと、「おとしもの」と書いたビニール袋をテープでしっかり固定した。

「よし、これで大丈夫!持ち主に戻るといいね」

「うん」

娘も、落とし物のヘアゴムをずっと手に持っていた重圧から解放され、晴れやかな気分になった。

落とし物だけに、妻は落とし所を見つけて見事解決。

「名探偵」はパパではなく、ママだよ。

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ニューファミリーの休日

5月19日(日)

小1の娘は朝から「カラオケに行きたい」といってきかない。

思いのほか頑固な人間で、泣けば希望が叶うと思っている。

「泣けばすむと思っているところがズルい」(伊武雅刀「子供たちを責めないで」(作詞:秋元康))を地でいくような子どもである。

仕方がないので、家から歩いて20分くらいのところにあるカラオケボックスに連れていくことにした。

ゆっくり歩くこと20分。ようやくカラオケボックスの入口に着くと、

「開店は12:00からです」

と書いてあった。いまは10時。あと2時間ほどある。

娘は今すぐにでもカラオケで歌を歌いたかったようだが、こればかりは仕方がない。いったん家に戻るのも面倒なので、なんとかして、あの手この手を使って2時間をやり過ごすことにした。

しかしそれでも1時間半くらいが限界である。残りの時間をどうしようと思って、ハッと思い出したのが、この近くに居心地のよい喫茶店があるということだった。

さすがに居心地のよい喫茶店だけあって、しかも休日ということもあり、家族連れでごった返していた。少し待つと席が空いたので入ってみると、隣のテーブルには、アラフォーくらいと思われる若くておしゃれな夫婦と、小学生の兄妹の家族4人が陣取っていた。

僕が驚いたのは、そのアラフォーの若くておしゃれな夫婦は、二人ともノートパソコンを開いて、一心不乱に仕事をしている。

見たところ、夫婦は別の会社に勤めていて、それぞれ別の仕事をしている、といった趣である。

おいおい、日曜日の昼間に仕事かよ、と僕は驚いたのだが、一緒にいる子ども2人には、それぞれタブレット端末を持っていて、それでゲームをしているのか動画を観ているのか、とにかく、父母の仕事の邪魔にならないようにおとなしくしている。

それにしても、すぐ横に小学生の子どもがいて、よくこれだけホンイキで仕事ができるものだと、すっかり感心してしまった。

やがてお昼ご飯の時間になり、若い父母はノートパソコンを閉じて仕事をやめ、お昼ご飯を注文して4人で食べ始めた。そして食べ終わると、その喫茶店を出たのであった。

なるほど、これが「ニューファミリー」の休日の過ごし方なのか。うちでは考えられないことである。娘がおとなしくしていることなど考えられない。

せっかくだからと、僕らふたりもこの喫茶店で腹ごしらえをして、午後1時過ぎにカラオケ屋に向かった。開店からまだ1時間くらいしか経っていないにもかかわらず、すでにお店は混んでいた。「延長はできませんよ」と釘を刺されたので、ふだんより少し長めの2時間コースにした。

いつもは娘一人が延々と歌っているのだが、今日は僕も少し歌いたくなり、じつに久しぶりに歌ってみたが、若い時ほど声が出なくなり、音程もはずしたりして、すっかり下手になってしまった(といって若い頃も上手くはなかったが…)。しかしたまに歌うのも悪くない。

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警察に捕まりました

5月18日(土)

用事があって、このあたり随一の繁華街に車で行く。人と待ち合わせてピックアップしなければならないのである。

休日の夕方の繁華街は、たいへんな混雑をするので、車で行きたくなかったのだが仕方がない。

予定より早く着いてしまい、駐車場に停めようと思ったがどこも満車だったため、仕方ない、そのへんをぐるぐる回って時間をつぶすことにした。

カーナビの通りに進むと、右折して駅前のロータリーに入れという。

その通りにロータリーに入ったら、「あ、今の時間帯は路線バス以外は進入禁止なのか」と気づいた。しかし戻ることができないので、ロータリーを1周して出るしかない。

すると待ってましたとばかりに警官が目の前に訪れた。

「ここはバス以外は進入禁止ですよ。許可書は持っていますか?」

「持っていません。カーナビの通りに曲がったらロータリーに入ってしまいました」

「カーナビでそう言ってても、実際の交通規制が優先ですからね、それを目視で確認しなければダメですよ」

「すみません」

「こうしてお話ししてみるとあなたは変な人じゃなさそうですから、故意ではありませんね」

「もちろんです」

ここで僕はムッときた。警察は変な人かそうでないかを警察官の印象で判断し、それによって故意か故意じゃないかを決めるのか?なんという恣意的な捜査だ。

「でも違反は違反ですから、免許証をお預かりします。職業と電話番号を教えてください」

聞かれたとおりに答えると、

「いま書類を作りますので、すぐに済みますからここでお待ちください」

免許証を持ってどこかに行ってしまった。

すぐに済むと言いながら、なかなか帰ってこない。ひょっとしてあの警察官はニセモノで、免許証を盗む口実だったのではないだろうか?と不安になってきた。最初に警察の身分証を確認しておけばよかったと後悔した。

ヤキモキしていると、

「お待たせしました」

と、さっきとは別の警官がやってきた。

「免許証をお返しします。あとこれを後日振り込んでください」

渡された紙を見ると、「7000円」と書いた振込用紙である。

な、7000円!!!???うっかり進入禁止のところを一瞬入っただけで、7000円???!!!

「こちらを期日までに振り込んでください。銀行か郵便局でしかお支払いできませんので」

これもほんとか?新手の振り込め詐欺なのではないのか?

続いて別の書類を出してきた。

「ここにサインをください。あと、ハンコはお持ちですか?」

まさか、持っているはずはない。

「いえ、いまは持っていません」

「わかりました。ではここに左手の人差し指の拇印を捺してください。

これもいわれるがままに、左手の人差し指に黒インクをつけて押捺した。

これで警察に自分の指紋が登録されてしまった。これからは殺人現場に僕の指紋が残されているたびに容疑者となるのだろう。これからは冤罪事件の被害者になるのだ。

ひょっとするとこれ自体がすべて詐欺行為で、免許証は返してもらったものの、短時間で免許証の情報を読み取り、後ほどニセの免許証を作り上げるのではないだろうか。7000円はやはり振り込め詐欺だったのか?うっかり振り込むと、いいカモだと思われて今後もお金を搾り取られるのか?

あるいはほんとうに警察官だとしたら、逆に科料未払いだとしてさらにマークされる。指紋が取られてしまったので今後は事件のたびに指紋の照合が行われるのだろう。

どちらにしても絶望的な状況である。

二人の「警察官」と称する人は、どちらも受け答えは丁寧なのだが、反論を許さないオーラを持っていた。しばらく精神的に立ち直れない。みなさんさようなら。

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大捜索

僕がまだ大学院生だった頃だったからいまから30年ほど前になる。そのときに同じ研究室の仲間たちと整理したモノどもが、実は大変貴重なものだったのではないかと、いまになって強く思うようになった。

もちろんその当時も貴重なモノどもであるという認識はあったのだが、その当時の僕たちが思っていた以上に貴重だといまになって思ったのである。

思い立ったが吉日、とばかりに、月曜日(5月13日)に、研究室の助教さんにお願いして、現況調査を行うことにした。

まず、30年ほど前に整理したモノどもの行方がわからない。というのも、その整理の陣頭指揮をとった教員が10年ほど前に定年退職してしまい、それを機に部屋を整理したそうなのだが、それらをどこにしまい込んだのかがわからないからである。当時作成した目録と照らし合わせると、おそらく100点以上はあったはずだ。

助教さんがあらかじめ調べてくれたのである程度の所在はわかったが、しかしそれは一部に過ぎなかった。ぼくらはそれを、目録と対照させながら、あるモノとないモノの把握に努めた。では、ほかのモノはどこに行ってしまったのか?

もう一つ探していたのは、それらのモノを撮影した写真類である。当時、そうとう手間をかけて1点1点の写真の撮影を、カメラのプロの方に依頼して撮影してもらったのだが、そのネガフィルムと紙焼き写真が見つからない。僕は当時、写真撮影をある方にお願いした当事者だったから、記憶違いということはあり得ない。たしかに写真を撮影してもらったのである。その写真のネガフィルムと紙焼き写真が納品されたこともはっきり覚えている。

そのカット数は100点以上に及ぶと思われるが、それらを、スチールの棚に保管しておいたのだが、その棚はずいぶん前に撤去されたとのことだった。

ではその棚の中身はどこに行ってしまったのか?

「退職した教員が退職のときにダンボールに入れて持って行ってしまったのではないでしょうか?」

「まさか、私物ではなくて公費で撮影した写真ですよ」

と言ってから思い出した。前科があることを。

いやいや、そんなことはないだろう、この大学の中にあるはずだと、助教さんは関係のありそうな場所や思い当たる場所を捜索してもらったが、見つからない。

「やはり持って行ってしまったか…。ちなみにダンボール箱はどこへ持っていったのですか?自宅?」

「いえ、なにしろ数百箱ありましたので、ここから1000キロ弱のところにある施設に寄附されました」

なんと!

「ではそこにいる人にお願いして、該当する写真があるかないかを確認してもらう必要がありますね」

というわけで、そこの施設の人に問い合わせてみた。すると、

「整理が追いつかず、未開封のダンボール箱が数百箱あって、その中に入っているかもしれませんが、よくわかりません」

という回答だった。寄附を受け入れたはいいけど、あまりに量が多すぎてダンボール箱を開ける気力もなくなったのだろうな。

かといって、ぼくらが1000キロ弱離れたその施設に行って、一つ一つ箱を空けながら確認するなどというのは現実的ではない。先方も嫌がるだろう。何よりうっかり箱を空けてしまうと、そのあとそれらをその施設の人たちが整理しなければならないことになり、余計な仕事を増やすだけである。

ということで、結局行方はわからずじまいだった。万事休すか?

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すべて太陽フレアのせいだ!

情報通信研究機構(NICT)の宇宙天気予報センターによると、2024年5月8日から13日にかけて、太陽表面の2つの活動領域(黒点周囲の活発な現象が起こる領域)でXクラスの大規模な太陽フレアが合計9回発生しました。最大規模は5月11日10時23分に発生したX5.8で、このフレアが発生するまでの72時間だけでもXクラスのフレアが7回観測されています。同センターによると、アメリカの気象衛星シリーズ「GOES(ゴーズ)」による観測が始まって以来、Xクラス以上のフレアが72時間以内に7回発生したのは今回が初めてです。」

「太陽フレアはX線や紫外線といった電磁波だけでなくコロナ質量放出(CME)と呼ばれるガスの放出を伴う現象で、地球の電離圏や地磁気を乱して通信・放送衛星の障害、GPSの測位誤差増大、短波通信の障害といった影響を生じさせる可能性があります。宇宙天気予報センターによると、日本国内では2024年5月8日から12日にかけてデリンジャー現象(短波帯の通信障害)が発生しました。特に5月11日10時~13時の時間帯は強く発生したことから、短波帯の通信途絶が発生した可能性が高いとされています。」

というニュースを目にした。

「こりゃあ大変だぞ」と思った。さすがの理系音痴でも太陽フレアのことは知っている。歴史上、太陽フレアが原因で地球上で数々の異変が起きたとか起きなかったとか、ということは、耳学問で学んだことがある。

えらいこっちゃ、と思っていたら、太陽フレアの活動が活発な5月11日(土)の深夜、眠っていた小1の娘が急に咳き込みはじめ、しかもオエーッとゲロを吐き出した。

布団に吐き出したからさあ大変。急いで布団カバーや布団を洗濯機で洗った。1回では済まず、2回に分けたので時間がかかり、布団カバーと布団を干し終わったときは午前3時になろうとしていた。

その日の異変はそればかりではなかった。

妻が、首が痛いと言い出した。あまりに痛くて、痛い痛いと声を上げるほどの痛さである。肩凝り体質だが、それでも尋常ではなく首が凝ったようだ。急いで首に湿布を2枚貼った。

娘が夕食に鯖の味噌煮を食べたとはいえ、鯖にあたったというわけではないだろう。いや、仮に鯖にあたったとしても、見えない力がそうさせたとしか思えない。たんに鮮度の悪い鯖だったというわけではないだろう。

妻が街に買い物に出て、買った商品の重さが尋常でなかったとはいえ、それで首が凝ったというわけではないだろう。いや、仮にそうだったとしても、妻はそれ以上に尋常ではない首の痛みを感じたのである。

きっと太陽フレアのせいだ!

それですべて説明がつく。

では僕はどうだったか。

今朝(5月14日)、通勤のため車を使った。前日は都内で所用だったので、職場への車通勤は久しぶりである。

職場までのルートは頭に入っているのだが、職場への到着予定時間を知りたいので、いつもカーナビを使って職場までのルートをセットしている。ところが、である。

いつものように今日も職場までのルートをカーナビにセットしようとすると、

「経路が検知できません」

と、カーナビが道案内を諦めたのである。

経路が検知できないはずはない。通勤のたびにセットしているし、そんなに迷うようなルートでもないのだ。

しかし到着地である職場の名称を何度入れても、

「経路が検知できません」

となってしまうのだ。

もうこれはぜったいに、太陽フレアのせいだ!

ちなみに帰りはカーナビは問題なく自宅までのルートを案内してくれた。

ほれみろ、朝は太陽フレアのせいでGPSが混乱し、夜はそれが落ち着いたことを意味するのだ。

太陽フレア、いつまで続くのだろう?

ここ最近、洗濯機で洗濯をしていると、カタカタカタ…と、いままで聞いたことのないような異音を出しながら洗濯をしている。

まだ10年くらいしか使っていないのに、洗濯機が壊れるはずはない。

やはりこれも太陽フレアのせいだ!

ついでに薬の副作用がここ最近酷いのも太陽フレアのせいだ。あまりに副作用がツラいので太陽フレアがおさまるまでは薬を飲むのを休むことにする。

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あいだがあきました

5月11日(土)

しばらくあいだがあいてしまいました。

5月の大型連休の後半は、Wi-Fiのない環境にいたため更新できず、連休が明けてからは、やるべきことがたくさんあってなかなかこちらに力を注ぐことができませんでした。

加えて、薬の副作用がなかなか激しくなり、ちょっと動くことも億劫になってしまったことも原因かもしれません。

…というのはすべて口実で、書くべき出来事がなかったにすぎません。とくに変わり映えのしない毎日でした。

強いて書くとすれば、先日、部屋で一人で寝ていて、パッと目覚めてスマホの画面を見ると、「5時20分」と書いてありました。

やべえ!今日は午後から大事なオンライン会議があるんだった!夕方まで寝てしまった!と、慌てて飛び起きて見ると、別の部屋で寝ていた妻と娘が寝ています。

5時20分とは、朝の時間のことだったのです。

冷静に考えれば夕方だったら17時20分と書いてあるはずで、そんなことにも気づかず、5時20分を夕方だと勘違いしてしまったのです。

ここ最近の大事件といったら、そんな感じです。およそラジオ番組に出すメールだとしても採用されないていどの話でしょう。

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遅刻の作法

5月1日(水)

大人気のバンドのライブでのチケット争奪戦よろしく、小児科クリニックでの予約開始時間にオンライン予約をしたのだが、昨日はあっという間に予約が一杯になり、「秒で」診察が受けられないことになった、つまり瞬殺されたということを前回書いた。

見かねた妻が、今日、同じように予約開始時間と同時に小児科クリニックのオンライン予約をしたところ、なんと5番目に診察してもらえるという驚異的な記録を出した。僕がやると、予約可能人数の40人のうちにも入れなかったのだけれど、この違いは何だろう?

ともかくも、朝9時と同時に小児科クリニックに行き、担当の先生から、

『たんなる鼻風邪ですから小学校に登校して問題ありません」

とお墨付きを与えられたので、処方された薬を飲ませてから10時過ぎに登校させることにした。あらかじめ小学校には、遅刻しますと言っていたので、無断遅刻ではない。

で、初めて知ったのだが、遅刻するときには、小学校の教室の前まで保護者がついていって、そこで担任の先生に子どもを引き渡すのだそうだ。

遅刻の場合は、児童ひとりだけで学校に向かうのは認められていないようなのである。定時に登校する場合は、多くの小学生が自然と集団登校のような形で一斉に通学路を歩くので問題はないのだろうが、これが遅刻となると、まわりに小学生がいない状態で、ひとりで通学するわけだから、確かに心許ない。しかし、何も教室の前まで一緒に行って、そこで担任に引き渡すというのはやり過ぎでないの?と思っていた。

ところが最近、「飯塚事件」という事件を知った。1992年に福岡県飯塚市で、小学校の始業時間に遅刻して、小学校に向かって歩いていた小学1年生の女子児童2人が、一瞬のすきに何者かに連れ去られ、そのあとほどなくして山中で遺体で発見されたといういたましい事件である。

僕はその事件を知って背筋が凍る思いだった。「小学1年生だった女子児童」というのも衝撃的である。

その事件を知ったら、娘が遅刻した場合、ひとりで行かせることなどできはしない。

というか、遅刻する場合は必ず親と同伴で、という決まりは、「飯塚事件」がきっかけになって作られたのではないかとも妄想するのだが、考えすぎかもしれない。

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