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2024年6月

カンドゥーからの葛西臨海公園

6月30日(日)

「カンドゥー」はどうやら仕事体験ができる空間らしい。キッザニアみたいなものか。

朝8時に娘と2人でカンドゥーに向かう。車に乗り高速道路を使って1時間ほどのところにあり、ちょっと遠かった。

9時過ぎにカンドゥーに入ると、すでに多くの家族連れでごった返していた。それらの家族がいっぺんに入場してしまうとパンクしてしまうので、およそ40分ほどかけて、時間差を設けながら入場させた。予約チケットのQRコードを読み取ってもらい中に入った頃には、10時を回っていた。

入場するとすぐに「予約機」と呼ばれるモニターにならび、希望する仕事体験を選択するのだが、1回につきひとつの体験しか予約できない。ひとつの仕事体験が終わると、また予約機のところに走って、こんどは次のブースを予約する。書き忘れたが、会場全体がフードコートのような作りになっていて、椅子とテーブルが置かれた周りにいろいろなブースがあり、さまざまな体験ができるのである。

こっちはノープランだったので、あらかじめどんな仕事体験をするかなどは決めていなかった。私が予約機の前に立った頃には、すでに娘が希望する仕事体験は粗方予約でいっぱいになってしまっていた。じゃあ空いているところでも、と娘に提案したのだが、どんな職種でもいいというわけではなかったようで、こっちの提案に対してなかなか首を縦に振らない。そりゃあそうだ。娘がいくら小さいとは言っても、やりたい仕事もあればやりたくない仕事もある。何でもかんでも体験させればいいというのは親のエゴである。

それでもなんとか3つの体験だけはすることができた。しかしいずれも希望の仕事体験ではなかったので、あまり乗り気ではなかったようだ。娘がその会場の中でいちばん熱心に取り組んでいたのは「ぬりえ」だった。あらかじめ決まっているキャラクターに色を塗って、その紙をスキャンすると、映像の中に取り込まれ、モニター上でトントン相撲ができるという、こうして書いていてもよくわからない遊びがあり、それがいちばん関心が高かったようだ。ぬりえだったら、高速道路を使って1時間をかけて来なくても家でできるじゃねえか、と言いたかったが、まあやりたいことを見つけてくれただけでよしとした。

午前の部は10時に始まり、14時半までの完全入れ替え制であったが、午後になるとほとんど仕事体験が予約で埋まってしまい、新たな仕事体験がまったくできなくなってしまった。仕方がないので早めに切り上げ、帰る途中にある葛西臨海公園に立ち寄ることにした。「観覧車に乗りたい」と言い出したからである。

カンドゥーで過ごした4時間近くの時間は、僕の足にかなりのダメージを与えた。両足の裏の皮膚が暴れ出し、あまりに痛くて歩くのがやっとだった。このうえ葛西臨海公園内を歩いて移動し、観覧車に乗るというのだから、なかなか気が重い。

日曜日の葛西臨海公園も同じように家族連れでごった返していた。やはりみんな考えることは同じだ。観覧車のチケットを買って乗るまで20分ほど待たされた。観覧車の乗車時間は17分ほど。かなりコスパが悪い。

観覧車から見えるところに遊具をともなった広場があることを娘はめざとく見つけた。娘はとにかく、遊具のある広場に目がないのだ。観覧車から降りると、その足でその広場に向かい、例によってそこで「にわか友だち」を見つけて遊んでいた。頼むからその「にわか友だち」と再会の約束なんかするんじゃないぞ、と気が気ではなかったが、今回はその事態は避けられ、ホッとした。

結局夕方の5時近くまで遊び続け、車に乗って帰途についたときには、僕はもうヘトヘトだった。

 

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ストレスがあったりなかったり

6月28日(金)

午前と午後に自分が司会の会議がある。「会議となんとかは短い方がよい」というのが僕の主義で、以前の職場でも8分で終えたことがあったが、職場が移ってもやはり8分で終わらせることがしばしばあった。

午前と午後の会議はそれぞれ30分で終わり、やれやれである。

しかしその合間の時間は、気の重い打合せがあったりして、すっかり疲れてしまった。

仕事の合間に、職場の義務となっている「ストレスチェック」なるものに回答したら、「仕事上のストレス→高い」と「疲労→やや高い」とあり、それはそうだろうなと思った。ただし「精神的ストレス→低い」という結果も出て、そこはやや納得がいかないところもあるが、いまのところ精神の崩壊に至っていないということは事実だと思うので、そのとおりなのだろう。

6月29日(土)

午後から都内で会合なのだが、その前に自家用車の「消えたホイールキャップ」を取り付けにディーラーに行った。事前に「取り付けるだけなので10分程度で済みます」と言われていたのだが、結局40分かかったのは、土曜日のため車の修理が混んでいたからだろう。さらに自分の車がリコールの対象であることを知り、それを修理しないといけないそうなのだが、その日程調整にも時間がかかった。どうして車のことでこんなに気を揉まないといけないのかと、それだけでも精神的ストレスがたまる。やはり精神的ストレスは低くはないのだ。

取り付けが終わり、車を自宅の立体駐車場に戻し、こんどはバスと電車で都内の某所に行く。会合にはほぼ集合時間に着いたのだが、すでに会合は始まっていた。しかしどちらかといえばユルい会合で、僕は主催者でもなく責任感なく参加できるので、いろいろな人の話を聞きながら「なるほど」と合いの手を入れつつ、自分の意見もたまに差し挟むというていどで会合が進んだ。すべての会合にこんな感じで参加できればストレスもたまらないのに…。

 

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「死ぬまで現状維持」が目標

6月27日(木)

自宅から1時間半ほどかかる総合病院で、月に1度の診察である。

何度も書くが、病院に行くにはそれなりの体力が必要だ。体力がなければ病院には通えない。

桂文珍師匠の有名な小噺。病院の待合室にて。

「最近あの人見ませんな」

「体調を崩したようですよ」

を何度でも思い出す。

昼間の総合病院を見渡すと、高齢者の方が多い。「待ち時間が長い」と癇癪を起こす人がいたり、医者の先生が大声で何度説明してもまったく理解できない人がいたりと、なかなか大変な空間である。

それともう一つ多いのは、お連れあいの方や息子や娘など、家族が付き添っているケースである。これもなかなか大変だ。

私が大病を患った頃も、家族に付き添ってもらったことがあったが、コロナ以降、感染拡大を防ぐために家族がなるべく付き添わないという方針を病院が打ち出してからは、病院にはすべてひとりで行くことにしている。ま、現状では家族に付き添われるほどの深刻なものでもないし、こっちもひとりの方が気が楽なので、それについてはまったく問題はない。

だからこれから先の人生の目標は、「ひとりで病院に通い続けること」である。つまり「現状維持」が目標だ。

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個人面談

6月25日(火)

毎週、週の前半はストレスフルな仕事が多い。とりわけ火曜日は会議日ということもあって、多くの打合せを分刻みで設定する。いずれもストレスのたまる打合せが多く、破綻しないように注意深く進めなければならないことに神経を集中する。ほとんど休みなく、打合せは7時頃まで続いた。

6月26日(水)

娘の小学校の個人面談の日である。僕が子どものころは「家庭訪問」というのがあって、担任が児童の家をまわっていたが、社会状況が変わり、いまは保護者が学校に行って面談する時代になったのかと、いまさらながら感慨深かった。

先日は学童保育の個人面談があったばかりで、この時期は個人面談の日程調整が重なる。学校側や学童側にしても、大人数の個人面談をさばかなければならないから、致し方のないことかもしれない。

個人面談の時間は15分という時間制限があるので、雑談はできず、学校(学童)の様子を聞き、家での様子を淡々とお話しするだけである。

学校での様子を聞いたら、学童での様子とほとんど同じことを言っていた。曰く、友だちとよく遊んでいるが、自分から何かを主張することは絶対になく、気がついたらグループの中に入って遊んでいる、ちょっと引きで見ている感じだ、と。

学校でも学童でも、同じように遊んでいるようだ。

「ご家庭ではどうですか?」

「とてもわがままです」

と言ったらとても驚かれた。学校では「わがまま」の片鱗も見せていないらしい。

「典型的な内弁慶です」

と言ったら先生は大笑いしていた。

「放課後(学校と学童のあと)、いつもだれかと遊びたくて仕方ないみたいです」

「そうですか。学校では控えめですよ」

「そのようですね。でも放課後になると遊びに貪欲になり、だれかが遊んでいないだろうかと、通学路の途中でじっと待っていたりしています」

学校や学童でのふるまいと、家でのふるまいは、まるで違うことをこれで確信した。ひょっとすると、学校や学童では、周りに合わせようと無理していて、それが解放されたときに、たがが外れたようにわがままになるのだろう。

考えてみれば僕もそうだった。

だれも教えていないのに、親に似るというのは、やはり遺伝が関係しているのだろうか。僕は「遺伝至上主義」には与していないのだが。

アラームが鳴り、15分で面談が終了。明るい先生だったので、まるで15分のラジオの対談番組をしているようだった。

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カンドゥーって何?

6月24日(月)

いくつかの仕事の合間に、懸案となっていた原稿1本、校正2本をなんとか仕上げて、自分のもとから手放した。どうせ明日は休みなく重い問題ばかりの会議や打合せが続くので、無理をしてでも今日のうちにやっておこうと思ったのである。

ようやくこれで少し楽になったが、急に心配になったのは、来月半ばに行われる予定の市民講座である。まだ何も準備していない。

仕方なく引き受けたのだが、テーマが壮大すぎて収拾がつかなくなりそうなのである。いまからチマチマ準備を始めておかなければ間に合わない。

かといって、向こうも商売だから、最小履行人数に達しなければ講座じたいが中止になる可能性がある。現に、昨年がそうだった。

せっかく苦労して準備をしても、それが本当に開講されるのかどうかがわからないようだと、こちらのテンションも上がらないというものである。

ま、たとえ無駄になっても、何かの機会にまた日の目を見ることがあるだろうからと、割り切って少しずつ準備を始めることにした。

夜、ヘトヘトになって家に帰ると、もうパジャマを着て横になっていた小1の娘が起きてきた。

「ねえパパ」

「何?」

「カンドゥーに行きたい」

「何?カンドゥーって?」

「知らな~い。でもほのかちゃんが楽しいところだよって言ってたんだよ」

「それ、本当にカンドゥーって言うの?」

「うん」

聞き間違えたり、間違って覚えたりするので、娘の話は当てにならない。

スマホで調べてみると、たしかに「カンドゥー」は存在した。ただし自宅からはちょっと遠い。こりゃあ、また1日仕事だぞ!

「本当に行きたいの?」

「うん」

「パパ今度の土曜日仕事だけど、日曜日なら空いてるよ」

「じゃあ日曜日に行く」

週末は混みそうなので、急いでスマホでチケットをとった。

料金区分に「シニア」とあり、割安の料金だったのだが、そこでの「シニア」の定義が「55歳以上」だったのだ!ぎりぎりあてはまるやないかい!もう俺はシニアなのだ。たしかに小学生基準で考えたら、やはり僕は「シニア」なのだ。ちょっとショックだった。

またこれで週末が潰れる。

ところで「カンドゥー」って、何?

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ホイールキャップはどこに消えた?

6月23日(日)

天気予報では終日雨の予想で、たしかに雨が降ったりやんだりしていたが、午後になると少し雲の切れ間が見えてきた。

こういう日には小1の娘を連れていく場所がなくて困る。いちばん無難なのは映画館に連れていくのがよいのだが、あいにく娘も僕も観に行きたいと思う映画がない。

だが午後の空模様から判断すると、雨に困らされるとわけでもなさそうだ。そこで、車に乗って、よく遊びに行っている公園に行くことにした。その公園は、僕の実家のある町にある公園で、比較的遊具も充実している。

立体駐車場から車を出そうとして、いちばん上の層からゆっくり降りてくる自分の車をボーッと見ていたら、あることに気づいた。

左の前輪のホイールキャップがない!とれてる!

今まで全然気づかなかった。いつからホイールキャップがなくなっていたのだろう?

一瞬、パニックになって、思わずディーラーに電話をした。もし在庫があればすぐにつけてもらおうと思ったのである。

「あいにく在庫がありませんので、お取り寄せになります。早くても来週木曜日になります」

「あのう…ホイールキャップがなくても運転に支障はないでしょうか?」

「大丈夫ですよ」

電話をしてひとまず落ち着いた。

それにしても、ホイールキャップはいつはずれたのだろう?走行中だろうか?どこかに車を停めているときだろうか?まったく心当たりがない。車を停めている時にはずれたとしたら、その場所にホイールキャップが落ちているわけだから気づくはずである。ということは…。

娘に聞いてみたところ、先週小金井公園に行った時点で、すでにホイールキャップはなかったと答えたが、はたしてその記憶が正しいのか間違っているのか、よくわからない。

それにしても今年は自家用車が災難続きである。

春には、縁石にぶつかったために右前のフォッグライトがはずれてしまい、これも交換した。

大型連休の前後には、通信環境の変更の影響で、カーナビが最適な経路を教えてくれなくなった。

そしてこんどは、左前輪のホイルキャップの脱落である。

そういえばむかし、クレージーキャッツの映画で、谷啓が車を運転して逃げている最中、その車のドアが次々とはずれたり、タイヤがはずれたりして、走っているうちにどんどん車の部品がはずれていき、最終的には谷啓がハンドルだけ持って道路を駆け足で逃げていく、という荒唐無稽な映画があって、やたら可笑しかったと記憶しているが、ホイールキャップがはずれた自分の車を見て、その場面を思い出した。そろそろ買い換えろという啓示なのだろうか。そしてあの映画のタイトルは何だったのか、思い出せない。

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GODIVA災難

6月22日(土)

いよいよ娘の最後のピアノ教室である。

最後なので、ピアノの先生に、今までの感謝の意味を込めて、何かプレゼントをしなければならない。

そういえば、義妹の娘、つまり姪が中学受験のためにピアノ教室をやめたときに、先生にどんなプレゼントをしたのだろう。聞いてみると、

「ピアノ教室の近くにGODIVAのお店があるでしょう?そこでチョコレートを買いました」

「なるほど、それならば悩まなくていい」

「ただ、GODIVAのチョコはかなり高いですよ」

「知ってますよ。それだけ高級だということでしょう」

「買おうと思ってお店に入ったら、あまりの高さにビックリして、結局4個入りで千数百円のチョコレートの小さい箱を先生にお渡ししました」

「4個入り?それは少ないねえ」

「それ以上だと高くて買えなかったんです」

どうしようか迷ったが、考える時間がない。僕もGODIVAのチョコをプレゼントすることにした。

午後、ピアノ教室のある繁華街にバスで向かう。ピアノ教室の時間まではまだ相当時間があるが、あいかわらず娘の聞き分けのなさには手こずらされる。

そろそろピアノ教室の時間になるので、その直前にGODIVAのチョコを買おうとお店に入る。ケースに入ったチョコの詰め合わせを見ると、たしかに高い。

義妹が言うように、4粒で1600円だった。しかしこれをプレゼントするというのは、なかなか貧相である。

思い切って3000円台のチョコにしようと、8粒入りのチョコ詰め合わせを買うことに決めた。すると娘が自分も食べたいと言い出した。

さすがに「このお店は高いからダメだよ」とは店員さんの前ではいえず、「ほかのお店で買ってあげる」とか、「こっちに一粒のチョコレートがあるよ」といろいろ言ってみたのだが、娘は4粒1600円のチョコの詰め合わせを指さし、

「これが食べたい」

という。いろいろ話をそらそうとしたが、娘は頑として譲らず、もしこっちが拒否でもしたら大泣きされそうな勢いである。

根負けして、娘用に4粒1600円のGODIVAのチョコを買わざるを得なかった。合わせて5000円近くの出費である。

仕方がない、ピアノの先生に5000円のチョコをプレゼントしたと考えることにしよう。

 

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原稿を週明けに持ち越さない

6月21日(金)

水曜日の晩にこっちの精神を崩壊させようとするメールが来て、頭に血が上ったのだが、今日はすぐにそれに対応する気にならず、今日は別の仕事に専念することにし、週明けに冷静になってから対応を考えることにした(冷静になれるか?)。

今週中に手放したかった仕事が多い。6月末締切の原稿が2本、週明けくらいに締切の校正が2本には、少なくとも手をつけなければならない。

おまけに職場で学んでいる若者から、原稿を書いたので添削してくださいという依頼が先週末に来て、けっこう分量のあるその原稿を読んで赤を入れて返さなければならない。

どこから手をつけようか。

迷ったあげく、まずは若者が書いた原稿の手直しをすることにした。しかし午後の2時間ほど、オンライン研修会のため時間がとられる。それでも、それを聴きながら原稿を読み続け、赤を入れつつ、研修会の講師に形ばかりの質問を投げかけるという、なんというマルチタスク!

夕方にひととおり原稿のチェックが終わり、若者がまだ職場に残っていたので、赤を入れた原稿を前にして、小一時間ほどコメントを口頭で説明する。

前の職場では、そういう仕事が多かったが、いまはすっかりそういう機会が少なくなったので、久しぶりに自分にとって充実した時間となった。若者に文章指南をすると見せかけて、本当は自分に言い聞かせているのである。むかし、芸人の上岡龍太郎さんが、

「(芸人は)弟子はとった方がええ。弟子に教えることで自分に跳ね返ってくるから」

と言っていて、これはこの業界でも同じことだと実感している。残念ながら僕に弟子はいないのだが。

若者の原稿を返して、これで一つ手放すことができた。今日はもう一つくらい手放しておきたい。

考えたあげく、懸案になっている百科事典の項目を書き上げることにした。前に述べたように、800字~1200字の短い文章だが、自分の関心とはほど遠くて、どうしても書く気の起こらなかった。しかしこれをやっつけないことには、週を越せない。

暗くなったフロアにはほぼ誰もいない。ようやく静かになったときをねらって、気が散る仕事部屋を出て、共通スペースに置いてある机を陣取って、原稿を書き始めた。

僕の長年の経験では、1200字の原稿だと1時間もあれば書くことができる。ただしモチベーションが低い原稿については1時間で済むかどうかわからない。とくに百科事典の項目だから、正確性が問われるわけだ。

それでもなんとか書き上げる。最終的に1000字強となった。あとは何度も読み返し、文章のつながりがちゃんとしているか、破綻していないか、誤字や変換ミスがないかなどを入念にチェックする。ひとまずこれでいいだろうという段階まで来て、そのまま出版社にメールで原稿を送った。

やっとこれで重かった荷物を手放した。残るはもう一つの原稿と、校正が二つである。それが終わると、今度は7月締切の原稿がいくつかあるので、この状態は無限に続く。

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おじいちゃんがどうした!

6月20日(木)

午前中に学童保育の個人面談がある。

学童保育は、一つの建物の中に80人ほどの児童がいるので、はたして保育士はひとりひとりのことをちゃんと把握してくれているのだろうか、個人面談といっても、次から次へと流れ作業で進んでいくのではないかと思ったら、そうではなく、わりと落ち着いてお話しすることができた。面談の保育士さんは、若い男性だった。

最初に挨拶したときに、

「あのー、おじいさまでいらっしゃいますか?」

と言われた。

「いえ、こう見えても父です」

「そ、それは失礼いたしました」

まあ無理もない、だれだって娘の父親とは思わないだろうな。とくにこの4月に入ってから、あまりの忙しさに一気に老け込んでしまった。

面談は、とくに可もなく不可もなくという感じで終わった。

続いて、娘を診療所に連れていくために16時に学童保育にお迎えにいった。昨晩から「かゆくて眠れない」というので、お医者さんに診てもらおうということになったのである。しかしかかりつけのクリニックは木曜日はあいにく休診日だったので、学童の近くにある診療所に行くことにした。

住宅街にあるその診療所は、一軒家を改装した作りになっていて、玄関を入ると待合室が異常に狭い。そこに入るとひとりのおじいさんが座っていた。かなりの高齢である。

そのおじいさんは、小学1年生の女の子を見るのがめずらしかったようで、声をかけてきた。

「おじょうちゃん、かわいいねえ」

人見知りをする娘は、私に抱きついて離れない。

するとそのおじいさんは、

「おじょうちゃん、おじいちゃんが好きなんだね。おじいちゃんと一緒でいいねえ」

と、やはり完全に僕を「おじいちゃん」呼ばわりした。

「いえ、実は父なんです」

と言ったが、どうやら聞こえなかったらしく、そのあと何度も、

「おじょうちゃんはおじいちゃんのことが好きなんだねえ。おじさんの近くにもおいでよ」

と、あろうことが自分のことを「おじさん」と抜かしやがった!

お前の方がナンボか年寄りやないかい!

…と喉元まで出かかった言葉をぐっとこらえた。

見知らぬ人と会うたび、「おじいさんと孫」に間違われる。

そういえば最近、入場料が必要な場所に入ろうとすると、受付の人に、

「一般料金ですと○○円、シニア料金ですと××円です」

と必ず言われるようになった。見た目から「シニア」である可能性が高いということなのだろう。

ところがそうでない場合もある。

今日は、そういうわけで通学路を何度も往復したため、娘の保育園時代のお友だちとすれ違うことが多かった。そのたびに、

「あ、○○ちゃんのパパだ!」

と手を振ってくれた。保育園時代のお友だちは、例外なく僕を「じいじ」ではなく「パパ」と認識してくれる。見た目がどんなであってもだ。

「子どもは正直だからときに残酷な物言いをする」などとよく言われるが、とんでもない。残酷な物言いをするのは大人の方なのだ。

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スランプだから書けないのではない

6月18日(火)

10時半から打合せ、終わって5分でおにぎりを頬張り、お昼休みに打合せ、13時から始まった全体会議が16時近くに終わり、その後あちこち調整に駆け回っていたら、あっという間に18時を過ぎてしまい、ヘトヘトになった。これは絶対に糖分が足りないのだなと、たまたま持ち合わせていたアーモンドチョコを頬張ってしばらくしたら、ようやく落ち着いた。アーモンドチョコはお守りだな。

翌19日(水)は夜にこっちのメンタルをやられるようなまことに理不尽な内容のメールが来て、打つ手なし、万事休す、となったのだが、まあそれはおいおい考えるとして。

「職業的文章」といってもいろいろあるのだ、ということを前に書いたが、百科事典の項目、なんて仕事がある。

むかしは百科事典にあこがれたものだ。家にずらっと並んでいたらかっこいいもの。残念ながらうちには百科事典はなかった。

時は流れ、いまや百科事典は場所をとるばかりの邪魔者扱いをされている。紙媒体の百科事典をやめ、Web上でのデジタル百科事典に切り替えたところもある。たしかに便利なのだろうが、無料で読めるWikipediaとどう違うんだろう?…ということは、言っちゃいけないんだよね。

そのデジタル百科事典から、事典の項目を書いてくれという依頼が来たのは4月のことだった。断りたかったのだが、前にお世話になった出版社なので断るわけにもいかず仕方なく引き受けたのである。

つい最近、リマインドのメールが来て、「6月30日が締切なので、よろしくお願いします」という。いけね、すっかり忘れてた。何も書いていないぞ。というか、まったく書く気が起こらない!

依頼されたのは1項目だけで、前の情報が古くなったので、新しく書いてほしいという趣旨だった。たしかに紙の百科事典だったらおいそれと更新できないが、デジタルだったらスナック感覚で更新ができる。なるほど上手いやり方だ。800字から1200字程度ということなので、分量はそれほど多くはない。

しかし問題はそこではなかった。依頼された項目が、僕のまったく関心のないテーマだったことが、いちばんの問題だ。「適材適所」の正反対、「不適財不適所」にもほどがある!

ほかに適任者がたくさんいるのに、どうして僕が書かなきゃならないんだ?理由は一つ、「むかし恩を売ってやっただろ?」ということに決まっているのだ、といつものように被害妄想が広がる。

だがこの800字から1200字がまったく書けない。今日こそ書こうと、パソコンを開いたが、締切が同じ6月末の別の原稿のほうを書き始めてしまった。こっちの方は、だいたいの素材がそろっていたこともあり、それをいろいろ組み替えたりして12000字ほどの文章にまとめた。あとは細部を調整して、完パケまではもう少しである。

それにしても、その10分の1以下の分量の文章が書けないというのはどういうわけか?しかも12000字の文章はノーギャラなのに対して、最大1200字の文章はそこそこのギャラが出るのだ。

うーむ。「ギャラが出る」というニンジン、ならぬアーモンドチョコをぶら下げて書くしかないか。

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悲しき遊歩道

6月16日(日)

ピアノ教室を退会することになったにもかかわらず、数日前から小1の娘はテンション上がりまくりである。

日曜日の午後に、学校のお友だち数人と近くの遊歩道で遊ぶ約束をしたというのである。

それが楽しみで楽しみで仕方がないらしい。

前日に、自分なりの段取りを考える。そうだ、お菓子を一人ひとりに配ろうと、家の中を探し、人数分のキャンディーを見つけた。それをカバンに入れて明日持っていこうと考えている。

お風呂に入っても、髪を洗う時にふだんしていないリンスをして、お風呂から上がると自分でドライヤーを使って髪を乾かしている。

「楽しみすぎて眠れない」

というのだが、よくよく聞いてみると、何時に集まるとか、具体的なことは何も決まっていない。

「それ、ほんとうに約束したの?」

「うん」

「明日、みんなはほんとうに来るの?」

「だって約束したもん」

僕は、先日「タコ公園」で、初めて会った女の子に「来週同じ時間にこの場所で会おうね」と約束されたにもかかわらず、娘が行ってみるとその女の子は来なかった、つまり約束を反故にされたという体験を思い出した。

今回もそのパターンなのではないだろうか?

さて当日。

日ごろ朝寝坊の娘は、この日ばかりは早く起きて、「早く遊歩道に行きたい」という。

「約束は午後でしょ?午前中に行っても誰もいないよ」

「でも来るかもしれないじゃん」

仕方がないので家を出て遊歩道までついていくと、やはり誰もいない。

「ほら、誰もいないでしょう?」

「いいの!」

「さ、もう帰ろう」と言ったそのとき、たまたま遊歩道に隣接するマンションの1階から、聞いたことのある声が聞こえた。遊ぶ約束をしているHちゃんである。Hちゃんの部屋は、1階にあったのだ。

娘は急いでHちゃんのマンションの部屋の前まで走った。マンションの1階は当然、外からは見えないように遮蔽している。娘はその遮蔽された壁越しにHちゃんと話した。その内容は驚くべきものだった。

何人かで遊ぶ約束をしていたのは、実は昨日の土曜日で、娘以外のメンバーはすでに集まって遊んでしまったというのである。

ガーン!日にちを間違えた!

しかし娘はそんなことではへこたれなかった。Hちゃんの今日の予定を聞き出したところ、いまから家族で小金井公園に行くというので、そこで一緒に遊ぼうという約束を取り付けたのである。

しかしこれも厳密に言えば、具体的な約束はしていない。

娘とHちゃんとの会話によると、どうやらHちゃんの家族は10時に家を出て、小金井公園の「自転車のりば」のところにいるという。

娘は、「じゃあそこに行くね」と約束してしまった。

またもやざっくりとした約束である。

僕は急遽、娘を車に乗せて小金井公園に向かった。

小金井公園は車で行ったことがなく、「自転車のりば」という場所も、公園のどこにあるのかわからない。

何とか小金井公園に着き、「自転車乗り場」らしき場所に到着したが、肝心のHちゃん一家の姿が見当たらない。というより、ものすごい数の、同じような家族たちがこの場所で遊んでいて、見つかるはずもない。

「こんな広い場所で、こんなにたくさんの人がいる中で、Hちゃんを見つけるのは無理だよ」

娘の機嫌はどんどん悪くなる。打つ手なしか…、と思っていたら、そういえば以前、お互いの家族同士でグループLINEを設定していたことを思い出し、ダメ元で、「いまどこにいますか?」と聞いてみた。

するとしばらくして動画が送られてきた。ここにいますよということらしいが、その20秒ほどの動画を見ても、公園内のどこにでもあるような風景が映っているだけで、よくわからない。

しかしエラいもんで、動画をくり返し見ているうちに、手がかりとなるものの存在を見つけ、それにしたがって探していくと、とうとう居場所を突き止めた!

かくして娘とHちゃんは小金井公園で再会したのである。

そこからがたいへん!僕が財布を落としてしまい、こんな広い公園で財布を見つけるのは至難の業だ、と絶望していたところ、園内放送で、僕の名前が呼び出され、管理事務所に行くと財布がそのままの状態で届いていて事なきを得た、といったこともあり、「何て日だ!」とバイきんぐの小峠並みに叫びたい出来事がいくつもあった。

日にちを間違えて友だちと遊べなかった娘も、その中の一人であるHちゃんと遊ぶことができて満足そうだった。しかし、Hちゃんを探す娘の執念には恐れ入った。あれではまるでストーカーである。

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消化試合

6月15日(土)

娘のピアノ教室の日、なのだが、結局、娘はピアノ教室をやめることを決断した

やめる手続きをするためには、仮に今月中にやめる場合だと、その月の15日までに退会届を提出しなければならない。ただし、あらかじめピアノの先生と相談した上で、退会届を教室の受付に直接提出しなければならない。もし15日を1日でも過ぎれば、来月分の月謝も引き落とされることになる。

つまり、「やめる」ということを先生に伝え、退会届を出すとするならば、ピアノ教室の日である今日しかチャンスがないのである。

娘を連れて、繁華街にあるピアノ教室に向かう。そして練習の時間になった。

練習室のドアが開き、先生があらわれると、僕は「実はちょっとお話しがあるのですが…」と切り出した。

「とても残念なことなんですけど、今月でピアノ教室を辞めます」

先生はひどく驚いた。そりゃそうだ。前回までは何事もなかったのだから。

「どうしてです。上手くいってましたよ」

「ええ、でも、家ではどうしても練習しないのです。どんなに言っても、泣き叫ぶばかりで…。これでは、来月のピアノの発表会も無理だろうと思いまして…」

「そうでしたか…。課題曲がイヤだったんでしょうか?」

「いえ、そういことではありません。小学校に上がって、急にやることが増えて、毎日クタクタになって帰ってくるのです。ピアノの練習に使うエネルギーがないのだと思います」

「……せっかくセンスがあるのにねえ…」

「私たちが、娘をピアノの練習に上手くいざなえなかったことも原因の一つで、反省しています」

ピアノの先生にはまったく責任はないことを強調したかった。実際、先生の教え方は上手だったし、先生には何の落ち度もない。

「ピアノの発表会、残念ですねえ」突然のことで、先生もかなり動揺している。無理もないことである。

「そこで先生にお願いがあります」

「何でしょう」

「今月の練習は、今日を含めてあと2回あります。この2回の練習は、娘に楽しくピアノを弾いてもらいたいのです。娘がピアノが嫌いにならないように、楽しく練習をしてあげてください」

「わかりました」

「いまは学校や学童でめいっぱいの生活だとしても、いずれまた、ピアノの練習をしたいという気持ちが本人の中に生まれてくるかもしれません。そのときはまた入会しますので、よろしくお願いします」

「そうですね。わかりました」

娘にもう一度ピアノをしたいという気持ちが芽生えてくるかどうかは、実際のところよくわからない。もう無理かもしれない。それでも、そのように言わないと、この場はおさまらないと思った。

「さ、練習を始めましょう」

私は練習室の後方に座って練習の様子を見ることにした。

娘はピアノの発表会の課題曲の練習から解放され、ピアノを弾くこと自体は嫌ではなさそうだった。一方、先生もふだん通りの練習を心がけているのは重々感じられたが、さすがに動揺していたようで、実際には「楽しい練習」という雰囲気まではいかなかったように見えた。そりゃそうだ。今月で辞めると突然聞かされて、平常心でピアノを教えることなどできるはずもない。それは仕方のないことである。僕は「消化試合」という言葉が頭をよぎった。たとえ「消化試合」になってもいいじゃないか。娘は嫌がることなくピアノを弾いているのだから。

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日程調整という名の暴力

6月14日(金)

毎日、尋常ではない量のメールが届く。

もちろん、そんな人はどこにでもいるのだと思うが、僕にとっては開きたくないレベルのメールの数である。

とくにいちばんイヤなのは、ここで何度も書いているが、日程調整のメールだ。

今週だけで3件の「日程調整メール」が来た。めんどくさいので全部まとめて今日行うことにした。

1件目は「第2本社」の社長が支社を訪問して「下々の者」の話を聴きたいので、日程調整しろというメールである。僕は第2本社の支店長的な存在なので、当然その訪問に対応しなければならない。日程調整の対象期間は6月から12月という長いスパンで、さらに10時から12時、13時から15時、15時から17時と、一日を3パターンに分けて、そのすべてに○とか×とかをつけろというのである。気が遠くなるような作業である。

2件目は「第2本社」の副社長が支社を訪問して「下々の者」の話を聴きたいので、日程調整しろというメールである。

はあ?社長とは別に副社長も来るの???一緒に済ませばいいものを、別々の日に来るらしい。いったいガバナンスはどうなっているんだ?

これも、1日を10時から12時、13時から15時、15時から17時と3パターンに分けて日程の都合を聞いてくる。僕はふたたびそのひとつひとつに○×をつけていく。

3件目は出版社の打合せ日程である。ついこの間打ち合わせしたばっかじゃん!と思ったのだが、同じ企画の別の箇所についての大人数での打合せだという。ここは、10時~13時、13時~17時、17時~21時という3パターンで、つまり4時間の打合せを想定しているのだ。もはや殺人的である。

これもひとつひとつの空欄に、○×をつけていくことになるのだが、途中まで入力をして、時間切れになってしまった。俺は今日一日、何をやっていたのだろう?

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新プロジェクトは立ち上がるのか

6月13日(木)

上司から「新しいプロジェクトを立ち上げるように」という命令が下された。

またですかあ~、と言いたいところなのだが、上司も困っているようなので、上司を責めるわけにも行かない。

困ったなあ。最近は毎年のように新しいプロジェクトを立ち上げている。プロジェクト自体は3年ほどで終わるのだが、終わったそばからまた新しいプロジェクトが始まる、の繰り返しで、この状況が無限に続いている。人手不足にもほどがある。

自分だけでは新しいプロジェクトを立ち上げるのはとても無理なので、以前に一緒に仕事をしたことがある仕事仲間の協力を仰ごうと考えた。

こういうことは、メールのやりとりではダメだ。直接会って話をしないと。というわけで、日程調整をしたところ、木曜日の13時~16時の間だったら時間がとれると返信をもらったので、その時間に彼の職場を訪れ、新しいプロジェクトについての相談をすることになった。

最初に趣旨を説明すると、以前に一緒に仕事をしたことがあっただけに、さすがに飲み込みが早い。プロジェクトを立ち上げるために新しい仲間を募らなければならないのだが、その仲間を誰にするかということに最も時間が費やされた。

この種のプロジェクトでいちばん大事なのは、誰を巻き込むか、どういう組織を作るか、ということである。いかに高い能力があっても、暴走する人であったりしたら、プロジェクトはたちどころに空中分解する。彼もその点はよくわきまえていて、

「○○さんもいいんだけどね…。暴走すると手がつけられなくなって、ほかのメンバーが置いてきぼりを食らっちゃうだろうね」

といったような人物評がことごとく僕のそれと一致していた。また、名前を出してほしくないなあとひそかに思っていた人物の名前も出ることがなかった。「チームプレー」ということについてわきまえてくれたのは、彼自身がこれまでさまざまなプロジェクトに立ち会ってきた経験によるものであろう。

3時間近く話をして、彼の方針に従って、なんとなく方向性が定まった。それが形になるかどうかは、これからの問題である。

彼は私より1歳上、つまり同世代である。僕はとっくに、もう新しいことは始めたくない、もうそろそろフェイドアウトしたいと思っているのに対し、彼はいまも新しいことを始めたいという意欲にあふれている。

こりゃあ困ったぞ。俺もいい加減にはつきあえない。やるんだったら、いいプロジェクトにしたいという気持ちには変わりない。

「ま、せっかくだから3年間、遊びましょう」

という彼の言葉に、肩の力を抜いて、やりたいことをやろうと腹を括った。

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やんごとなき場所へ

6月10日(月)

あるものを納品するために、都内にある「やんごとなき場所」に行かなければならない。

そのためには、やや面倒な手続きを経なければならない。

まず、職場に行って、納品するものを受けとる。

それをもって、都内のやんごとなき場所へ移動する。

電車移動なので今日は車通勤ではなく、電車通勤である。

電車で2時間以上かけて職場に行き、納品するものを受けとり、それをもって、電車で1時間半ほどかかる都内のやんごとない場所に移動する。もちろん納品するものになんかあっちゃいけないので、電車の中での取り扱いも注意しなければならない。ま、そのへんは担当のもう一人の同僚がやってくれるので心配はないのだが。

日ごろ電車通勤になれていない僕は、少し歩くと足の裏が痛くなるのだが、もう一人の同僚と歩調を合わせないといけないので、少しばかり痛みをこらえながら歩く。

納品先の入口に着くと、まず警察官に止められる。もちろんあらかじめ訪問する二人の名前と訪問先は告げてあるのだが、入口で訪問カードに名前と身分と訪問先を記入し、さらに身分証明書を提示しなければならない。

さらに面倒なのは、訪問カードに、「最後にあった人物のサインと退出時間」を、先方に書いてもらわないといけないということである。

以前はそこまで書く必要がなかったのだが、以前訪れた人の中に、目的外の場所に行ったりした人がいたために大騒ぎになったという事件があったそうで、それからは「最後に会った人に退出時間を書いてもらう」という欄を新しく設けたようだった。

「ここは書いていただかないと、お互い面倒なことになりますから」と警察官がやんわりと言ったが、「お互い面倒なことになる」というのは、つまり「警察沙汰になる」という軽い脅しにも聞こえる。

すでにここまで来たとき、僕は汗だくになった。ふだん着慣れない背広を着て、日中の都内を歩いたものだから無理もない。曇り空で気温もそれほど上がらなかったのだが、それでも汗が止まらなかった。緊張のせいもあっただろう。

納品先にお邪魔し、ご挨拶をして、その建物でいちばん偉い方に納品物のご説明をして、儀式は終わった。

そのあと、同僚と二人で、その建物で勤務している何人かの知り合いと久しぶりに会い、雑談をした。それによって少しクールダウンすることができた。

さあ、最後のミッションである。

雑談が終わり、「最後に会った人物に、サインと退出時間を書いてもらう」ことをお願いして、無事に書いてもらった。

「ではまた」といって別れて、廊下を歩いていると、見たことのある人とすれ違った。

「Aさん?」

「ええ、…どちら様ですか?」

「鬼瓦です」

「鬼瓦先生!」

「前の前の職場」での教え子…正確にいえば教え子ではないのだが、とにかく「前の前の職場」の卒業生のAさんが、たまたま廊下を歩いていたのである。

Aさんはこのやんごとない場所に勤めて20年くらい経つだろうか。在学中から知っていたし、このやんごとない場所に勤めはじめた頃にも会ったことがあった。

「雰囲気が違っているので全然気がつきませんでした。髪も短くなって…」

Aさんは本当に気づかなかったらしい。

「薄くなっただけですよ。それに髪も白くなってしまいましたよ」

そこからひとしきり、「前の前の職場」の話題が盛り上がった。

「今日鬼瓦先生にお会いしたこと、みんなにLINEします」

と言っていたが、いまでも卒業生同士がつながっているのか???

廊下での立ち話だったが、もう一人の同僚はソワソワしている。

(いけね!すでに最後に会った人に退出時間を書いてもらっていたところだった!)

書いてある退出時間を大幅に過ぎてしまうと、帰りの検問のところで「面倒なこと」になってしまう。

「じゃあまた!」

と言って話を切り上げ、急いで出入口のところに向かった。

待ちかまえていた警察官に訪問カードを渡し、とくに問題になることもなく、無事に帰ることができた。

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集中砲火

6月9日(日)

午後は出版社のオンライン会議だった。日曜日はやめてくれと言ったのだが、「ほかの方々の都合が合うのがこの日しかありませんので」と言われ、しぶしぶ承知した。

僕は仕事の関係上、「職業的文章」を書くことが多いのだが、ひとくちに「職業的文章」といってもさまざまなものがある。今回のオンライン会議の俎上に上がっている「職業的文章」は、かなり神経を使って書き、しかもそれを会議参加メンバーに読んでもらい、ダメ出しをしてもらうという性格のものである。

以前に公表した文章を、第三者が読み、「ここはもっとこうした方がいいんじゃないか」と忌憚なくご意見をうかがう、というのが会議の流れなのだが、たとえは悪いが「公開処刑」みたいなものである。

公開処刑台に上がるのは僕ともう1人。もう1人は早々と終わり、次に僕が断頭台に立つことになった。結果的に会議の時間のほとんどは、僕が書いた「職業的文章」のダメ出しに費やされた。

自分が過去に書いた「職業的文章」を読み返すと、あまりに文章がクドくてイヤになる。案の定、読んでいただいた人たちから集中砲火を浴びた。言われた意見は、いちいちごもっともなことばかりで、自分の文章がいかにダメであるかを思い知らされた。

編集部からは「小規模な手直しでよい」と言われたのだが、実際に複数の方に読んでもらうと、そういうわけにいかない。全面的に書き直す必要があるところも出てきた。

最初に書いた文章は、あまりにも肩に力が入りすぎて、あれもこれも書かなければならないという強迫観念にとらわれて、てんこ盛りの内容になってしまったのだが、「こんなに書かれても読む気が起こらない」と言われ、そりゃそうだよな、と自分でも思わずにいられなかった。

かなり無茶な提案も多く、本当に書けるのか?と思わなくもないのだが、それでもそれに応えるのが仕事なので仕方がない。

7月末までに書き直しができるだろうか。

 

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イベント無事終了

6月8日(土)

イベントが無事終了した。

あまり人が来ないんじゃないかという予想に反して、想定外のお客さんが来場した。年に1回のこのイベント、いままでは積極的に宣伝してこなかったのであまり集客できなかったのだが、今年からは宣伝に力を入れようとがんばったら、予想以上のお客さんが来て、大盛況のうちに幕を閉じた。

反面、そのことで、現場はてんやわんやだった。

僕は司会という役割だったので、具体的な作業にはかかわっていなかったのだが、受付などの対応をになってくれた同僚から、夜になってメールが来た。

いわく、全体的に上手くいってとてもよかったが、予想外のお客さんが来たせいで、限られた数のスタッフでそれに対応しきれず、一時は裏方仕事が危機的状況に追い込まれた。今後も、もしこのくらいの規模のイベントをやることになれば、現状のスタッフの数ではとてもまわせないので、なんとかしてスタッフを増強して負担を軽減することが重要だ、と。

なるほど、至極もっともな指摘である。私自身もその点についての認識不足と見通しの甘さを自覚し、反省した。

ふだんメールが来ることがない同僚が、夜になってイベントの課題について書いてくれたのは、とてもありがたいことで、自分も目が覚める思いだった。一方で、わざわざ書いてくれたということは、ちょっとした不満もなくはなかった、ということを意味するのだろうと、僕は深読みした。書かずにはおれないというのは、多かれ少なかれ、そういうことである。そしてそれは、まったくもって正当な手段である。

当日の対応に追われたほかのスタッフはどう思っているのだろう?その人たちの意見も聴かなければならない。もし不満があるとしたら、その不満を少しでも解消するようなことを考えなければならない。

だれもがいつも小さな不満を抱えている。かくいう僕もそうだ。しかしそれはどこかで折り合いをつけなければならない。そのためにはどうしたらよいのか、最近はそんなことばかり考えている。

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前近代的か?

6月5日(水)

都内で会議があった。いちおうハイブリッドの会議ということだったが、都内に出る機会は、そうめったにあるものではなかったので、めずらしく現地参加することにした。

会議の議長は冒頭に、「久しぶりに対面で行うのだから、対面参加してほしいのに、思った以上に少ない。オンライン参加しているところは補助金を減額することにしようか、そうしたら対面参加が増えるだろう」

と、まことに恐ろしいことを言っていたが、対面してまで会議をする価値のある議題なのかについて、あらためて問い直してほしいところである。

会議は無駄に長かった。途中、画面の向こうから大事な報告をする人の音声が、途切れ途切れになってしまい、ひどく聞きづらい感じになった。どうやら先方のWi-Fiが弱いようである。大事な報告なのでそのまま放っておくわけにはいかず、議事はいったん中断した。

「どうしよう…」

すると会議に現地参加していたある人が、

「スマホを使ってふつうに電話で喋ってもらい、その音声をマイクで拾いましょう」

と提案した。即座にその提案が採用された。

報告者に電話をして電話に出てもらったところを、マイクをスマホに近づけて音声を拾う。すると、先方の声がマイクを通じて会場に響きわたった。

一方、先方にこっちの音声が聞こえるように、マイクを近づけた状態のスマホは、司会の議長席の近くに置かれた。

これで、先方の音声もはっきりと聞くことができるし、こっちの音声も先方に届き、さらにマイクを通じてそのほかのオンライン参加者にも音声が届くことになった。

先方の第一声、

「前近代的な方法ですみません。アナログな方法ですみません」

と謝罪したのだが、おいおい、そもそも前近代にこんな方法はできなかったぞ、それにスマホとオンラインアプリを使っているのだからアナログな方法ってことでいいのか?と、つい屁理屈を言いたくなってしまった。

オンラインアプリのマイク機能を使えず、「それ以前の方法」によって音声を拾うこと自体を言っているのだと思うが、つくづく感じるのは、少し前にふつうにやっていた方法が、「前近代的」「アナログ的」という名のもとに片づけられてしまうことへの懸念である。

最近、パソコンが普及する前のワードプロセッサーの話をしたのだが、若い人たちはワードプロセッサーの存在を知らない。いまの人たちにとっては「前時代の遺物」なのだろうが、しかしワードプロセッサーじたいが登場したときには、なんと便利なものが出てきたのだろうと驚いたはずである。過去の進歩を「ないもの」としてよいのだろうか。

「マイナ保険証」に関する国会の答弁を見るたびに、そんなことを思う。

 

 

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運動会

6月1日(土)

前日の大雨もすっかり上がり、今日は小1の娘の運動会である。

東京のベッドタウン、というと古い言い回しになるが、世間はすっかり少子化社会であるにもかかわらず、娘の通う小学校は児童の数がやたらと多い。校庭の狭さに比して児童の数が多いからなのか、運動会は2学年ずつ、3回に分けて行うことになっていた。

昨日の運動会は残念ながら雨天延期になったが、娘が参加する小1と小6の運動会は、予定通り行うことができたのである。

運動会の競技といってもたかがしれている。小1は40メートルの徒競走と紅白の玉入れである。

しかし運動会のメインは、どうも競技にあるのではなく、ダンスにあるようだ。

小1の児童は「アイドル」という曲と、なにわ男子の何とかという曲、そして玉入れの競技中に「チェッチェッコリ」という曲に合わせてダンスをする。計3曲のダンスだ。

娘は帰宅すると、この3曲のダンスを毎日練習していた。宿題はなかなかやる気が起きないが、ダンスは進んで練習していた。

小6の児童は「ソーラン節」である。まあよくあるやつで、僕の記憶では、もともとドラマ「3年B組金八先生」の中でこのダンスを披露したことがきっかけとなり、あっという間に全国各地の小学校でこの「ソーラン節」が踊られるようになったと思うのだが、記憶違いだろうか。曲も、「金八先生」のなかで踊っていた音源と同じものと思われる。

ちょっと僕はその「ソーラン節」に食傷気味で、同じ「ソーラン節」でもどうせなら民謡クルセイダーズのソーラン節にすればいいのにとよけいなことを考えてしまう。

昨日聴いていたTBSラジオ「武田砂鉄のプレ金ナイト」で、やはり小学校の運動会の話題が出ていた。それによると、武田砂鉄さんの仕事部屋の隣の小学校では「Official髭男dism」の曲がダンスに使われているらしい。毎年その曲が流れてくると、そろそろ運動会の季節か、と思うようになったという。

僕が小3の頃も、運動会でダンスを披露した。曲は西城秀樹の「ヤングマン」である。

ダンスといっても、曲の間中、両手を拳のように握りしめて、リズムに合わせて空手の「型」のように右手と左手を交互に前に出す。1拍目が左手、あとの7拍は右手。これを曲の間中くり返す。

そして「YMCA」というサビのフレーズのときに、身体を使って「Y」「M」「C」「A」を表現する。つまり西城秀樹が歌う時と同じ動きである。

およそダンスと呼べるものではなかった。そう考えるといまはじつに洗練されている。

運動会で踊るダンスの歴史、というのも調べてみたら面白そうだ。もうとっくに調べている人はいるのかもしれないが。

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