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2024年7月

スパゲッティ屋さん

7月31日(水)

自宅から地下鉄を乗り継いで1時間半ほどかけて都内のクリニックに行く。

以前は2か月半に1度、検査をしていて、そのたびに引っかかって2泊3日のひとり合宿をしていた。

検査のあと、2週間以内にひとり合宿をしなければならなかった。しかしいつでもよいというわけではなく、主治医の先生が勤務する曜日に限られるので、仕事との日程調整がなかなかたいへんだった。

それが、ここ2回ほど、つまり今年に入ってから、検査に引っかからなくなり、ひとり合宿を2回連続で免れたのだった。

検査後のひとり合宿の日程調整をしなくてよい、ということだけでも、ずいぶん気が楽になる。

おそらく、薬を変えたことが功を奏したのだろうと、主治医の先生は仮説を立てた。はたしてその仮説は正しいのか?

さて、薬を変えてから3回目となる今回の検査の結果は…?

「問題ないです」

やったー!今回もひとり合宿を免れた!来月はそれでなくてもびっしりと予定が詰まっていたので、もしひとり合宿をしなければならなくなったらどうしよう、と、そればかりが心配だった。それに、昨日のストレスフルな1日が、体に悪い影響を与えないかどうかも心配の種だった。

「長い闘いでしたね」

と主治医の先生は言ったが、まだ闘いは終わっていない。いまの薬がいつまで効果を発揮してくれるかはわからないのだ。

「次の検査は2カ月半後ではなく、3カ月後にしましょう」

と、検査のサイクルが2週間ほど延びた。

お昼過ぎにクリニックを出た。お腹が空いたので、この町を訪れるたびに利用しているパスタ屋さんに行くことにした。

この町にはお寿司屋さんが多く、ここを訪れる人びとはお寿司屋さんで食事をする人がほとんどなのだが、僕はこの町でお寿司屋さんに入ったことがない。雑居ビルの階段を上ったところにある、古くから営業している喫茶店でスパゲッティを食べるのが楽しみなのだ。そう、パスタ屋さんというよりも、スパゲッティ屋さんといった方がしっくりくる。

そのお店は、10人ほどしか入れないくらいの狭いお店で、老夫婦が切り盛りをしていた。スパゲッティをつくるのはもっぱらおじさんで、給仕をおばさんがしていた。むかしからずっとこの町で営業しているお店なので、常連客も多く、おばさんは常連客と短い挨拶をするのが常である。

僕はこの町のクリニックに5年くらい前から通うになったが、約3カ月に1度のひとり合宿が終わるたびに、生還を祝してこの店に立ち寄ったのだった。

ひとり合宿ではいつもキャリーケースを持ち歩いているので、お店のおばさんはたぶん僕のことを、「出張でたまに立ち寄るお客さん」と認識しているようだった。こちらの詳しい事情は聞かれたことがなかった。

それでもあるときから、おばさんは僕のことを常連客と同じような扱いをしてくれた。僕が3カ月に1回しか訪れなくとも、「あら、いらっしゃい、久しぶり。今日は何にする?」と、すっかり顔なじみであるかのような応対をしてくれたのである。

それが今年に入ってからひとり合宿のあとではなく、検査が終わったあとに訪れるようになったものだから、キャリーケースを持ち歩くことなく、軽装でその店に入るようになった。

「あら、今日は荷物が少ないんですね」

「ええ、ひとり合宿をしなくてよくなったんです」

「まあ、それはよかったねえ」

この時初めて、僕はなぜこの町に3カ月に1回訪れているのか、その理由を明かした。おばさんは、とくにそれ以上事情を聞くことはなかった。

それにしても、年に4回しかお店に訪れないのに、常連客のように扱ってくれるのは嬉しい。

…とここまで書いて気がついた。このお店の名前が「年に4回しか訪れない客」にふさわしいものであったことを。僕はお店の名前にふさわしい客だったのである。

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今年最大の心労

7月30日(火)

11時から、お昼休みの1時間をはさんで、午後1時からはまったく休む時間もなく、水も飲まず、トイレにも行かず、会議や打合せを続けていたら、午後9時近くになっていた。8時間ノンストップってどういうこと?

しかも今日は重い案件が2件続き、1つの重い案件についての打合せが終わったら、頭を切り替えてもうひとつの重い案件について考えなければならない…って、切り替えられるか!!

自分がよかれと思ってとった対応がより深刻な事態を招きかねないことを知り、自分の対応のマズいことの多さには閉口した。慎重に対応したつもりでも、落とし穴がいくつもあった。さすがの僕もメンタルをやられそうだ。

その次の案件も、神経を使う案件で、思考停止した脳を必死に動かしながら対応を模索する。おかげですっかり頭がはたらかなくなった。

今年度1番の心労だ。いや、まだ序の口かも知れない。本当の心労はこれからやってくるのだろう。

 

 

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すべて暑さのせいだ!

7月29日(月)

完全な夏バテなのか、起き上がるのもしんどい。

今日締切の原稿があるのだが、やる気の神様が全然降りてこない。

かろうじて、来たメールを打ち返すので精一杯である。

来たメールの中には、ちょっと重い内容のものがあったり、オンライン会議の日程調整を依頼するメールが2つほど来たりで、本当に必要な会議なのかどうか強い疑問を持ちながらも手帳を繰って空いている日時を探す。

依頼してくる相手の方にとっては、その会議だけのことを考えればいいのだが、受けるこっちにとっては、あちこちから日程調整の矢が飛んでくるのである。日程調整の表に△と書いて、「この日は別の会議と日程調整中」と書くのもしばしばだ。
…なんか最近はこんな愚痴ばかり書いてるな。

夕方は乗ってる車のリコールとかで、部品の交換のためにディーラーに訪れた。交換作業にだいぶ時間がかかると言われたが、涼しくて居心地のよい空間なので修理が終わるまで待つことにした。この時間に気持ちをリセットできることを期待した。

本日締切の原稿に、少しずつ着手した。正確にいえば、以前に書いた原稿を手直しする作業なのだが、神経を使う原稿なので、文章を加減乗除して同じ枠の中に収め、しかも以前に書いた原稿の不備を改めてよりよいものにするという作業はなかなか大変だ。それでもエンジンがかかると少しずつでも作業が進んでいくので、見通しが全然ないというほど悲観的でもない。終わらない原稿はないのだ。

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なつまつり

7月28日(日)

今日も殺人的な暑さである。

明日締切の原稿があるのに、まだ1文字も手を付けていない。

それよりも大事なのは、小1の娘とどのように1日を過ごすかである。

この日は、私の住む町の一番大きな駅の駅前商店街で、大々的な夏祭りを行うのだという。

もともと、この駅前商店街では、月に1回の最終週の日曜日に、駅から南にまっすぐ伸びる道路を使って露店を出したりするのだが、今月は本格的に夏祭りと銘打って、ふだんよりも数の多い露店を出し、子ども向けの金魚すくいだとか輪投げだとかはてはネイルまで行うのだという。

僕が黙っていれば娘は知らないままで済んだのだが、うっかり僕がそのことを言っちゃったもんだから、「なつまつりにいきたい」といってきかない。しかしこの暑さでは到底行くことはできない。13時~19時まで開催しているというので、炎天下の日中ではなく、いくぶん暑さも和らぐであろう夕方に行くことにして、それまでは図書館に行って本を借りたりしながらなんとか夕方まで時間稼ぎをした。

自宅からバスに乗って夏祭り会場に着いたのが夕方の17時。たぶんみんな考えることは同じで、少し涼しくなった夕方から出かけようと思った人で、会場は驚くほど混雑していた。それでもかなり暑い。

帰りたくなったが、仕方がないので人混みの中を歩いていたら、娘の保育園時代のお友だちのHちゃん一家と遭遇した。前に小金井公園で遊んだお友だちである。ちょうど帰るところだった。

聞くと、Hちゃん一家は夏祭りが始まった13時から来ているという。そのときはさすがに暑かったので人でも少なかったが、いまになって混んできたと話してくれた。ということは、Hちゃん一家は13時から17時まで4時間も夏祭りを堪能していたことになる。この暑い中、どうやって過ごしたのだろう。

金魚すくい、輪投げ、ネイルは、子供たちに大人気で列をなして並んでいた。暑くてとても並ぶ気にはならない。会場となっている商店街の通りを歩いてみたが、何もする気が起こらない。

仕方ないので何もせずに1時間ほどそこで過ごしてから帰ってきた。いよいよ夏バテである。

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化け猫あんずちゃん

7月27日(土)

土曜日は小1の娘と2人で映画館に行くことがここ最近習慣化している。

子どもも楽しめる新しい話題作が登場するのは8月になってからが多く、7月末はあまりなじみのない映画が多いような気がする。しかし娘は「アニメ映画が観たい」といってきかない。最初は「コナンが観たい」と駄々をこねたのだが、すでに1回観ているし、もう一度あの映画を見直すというのはかなり頭が疲れてしまう。

そこでほかにないか探してみると、『化け猫あんずちゃん』(久野遥子・山下敦弘監督)というアニメ映画がヒットした。時間も95分という手ごろな長さだ。僕は何も考えずにこの映画を予約することにした。

スマホで予約すると「MX4D席」とあった。前回は3Dを体験したが、こんどは4D体験なのか?座席とかが揺れたりするのだろうか。

「座席が揺れたりするかもしれないけど大丈夫?」

と娘に聞くと、娘は不安そうな顔をしたが、そこしかないので仕方がない。

かくして、どんな映画化もわからないまま、『化け猫あんずちゃん』を観ることにしたのである。

結果は、観てよかったと思える映画だった。

僕がいちばん嬉しかったのは、音楽を鈴木慶一さんが担当してたということである。鈴木慶一さんといえばムーンライダース。もうそれだけでも得をした気分だ。

不思議な映画だなあと思いながら余韻に浸りたかったのだが、娘が上映終了の5分前くらいになって、

「おしっこしたい」

と言いだした。

「あと5分で終わるから。…我慢できる?」

「うん」

さわやかに感動するラストシーンなのだが、娘のおしっこのことが気になってラスト5分は映画に集中できなかった。

本編が終わり、エンドクレジットが始まるやいなや、

「おしっこがまんできない」

と言い出したので、急いで映画館を出たのであった。

なかなかおもしろい映画だったと思い、あとからいろいろと調べてみると、この映画は、まずは実写撮影をして声をあてる俳優たちに演技をしてもらい、その映像をトレースしてアニメーションにするという「ロトスコープ」という手法を採用したそうだ。監督がふたりいるのも、実写撮影が山下敦弘さん、アニメーション担当が久野遥子さんという役割分担があったというわけだ。めちゃめちゃ手のかかる作業を経ているではないか。

得をした気分で映画館を出たが、

「いすがゆれなかったよ」

と娘が言った。そういえばMX4Dをうたっているのにたしかに座席が揺れなかった。たんにMX4Dの座席だというだけだったのか。

 

 

 

 

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ラブレター

7月26日(金)

まったくやる気が起きない。夏バテだろうか。

やらなければならない仕事は山ほどあるのだが、なかなか手をつけようという気にならない。

こういう日はどうするかというと、最低限のことだけをする。

今日締切の校正を投函することができれば今日の仕事はクリアーと考えることにした。

何もする気が起きないので、ひたすらボーッとしていたのだが、頃合いをみて、途中になっていた校正作業に取りかかる。校正というのは、キリがない作業なので、「まあこれくらいでいっか」と踏ん切りをつけ、郵便局に行って投函した。1つだけ達成したので、よしとしよう。

夜、小1の娘が、クラスのお友だちに手紙を書いたと言ってきた。

「見せて」と言ったら「恥ずかしい」という。「見てみないとわかんないでしょ」と言ったら渋々見せてくれた。まだ下書きの段階のようである。

「○○くんすき♡つきあってかれしになって♡でもすきじゃないよねならすぐいなくなるかもしれない。○○くんすきだよ♡」

おいおいこれはラブレターではないか!

「○○くん、でだれ?」初めて聞く名前である。

「同じクラスの友だち」

僕は驚いた。娘は学童で一緒になっているYくんと仲がよくて、一緒に帰ったりする仲なのだ。てっきりYくんかと思ったが別のお友だちだった。

早く手紙を渡したいという。

「学童で渡せばいいじゃない」

「○○くんはがくどうにこないの!」

学校が終わるとまっすぐ家に帰るらしい。

「でもいま夏休みでしょ?学校で渡せないでしょう」

「わたすのはイヤだ。はずかしいもん。ポストにいれたい」

「おうちがどこにあるか知ってるの?」

「しらない」

「じゃあ無理だね」

「えー、でもはやくポストにいれたいの」

「じゃあ、夏休みが終わったら、学校に行って、○○くんの靴箱にいれたらいいよ」

「くつばこ?」

「むかしからそういう手紙は靴箱に入れることになっているの!…それより、このままじゃメモなので渡せないから、ちゃんとした紙に上手な字で書かないといけないよ」

「わかった。きょうねえ、がくどうでもてがみをかいたんだ」

「学童で?○○くんへのてがみ?」

「ううん、××くんへのてがみ」

どうやら××くんへのラブレターも下書きしたらしい。おいおいどんだけ惚れっぽいんだ???

「いっぺんにふたりに書くのはよくないよ。どっちかをえらばないと」

「じゃあ○○くんがダメだったら××くんにかく。…あ、××くんにさきにかいてダメだったら○○くんにかこうかな…。待って、やっぱり○○くんがさきで…」

もう知らねーよ!

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書店は小宇宙だ!

以前の職場の同僚で、いまは同じ中央線沿線に住む友人のAさんに、おそらく7~8年前ぶりにお会いすることになった。待ち合わせ場所は、中央線沿線のM書店。僕にとっては高校時代の懐かしい書店で、Aさんにとっては日常通っている書店だ。

この書店は、僕が欲しいとつい思ってしまうような品揃えであることに加えて、思わず買ってしまいたくなるような本の並べ方をしていて、僕にとっては危険極まりない書店である。それは高校時代から変わっていない。

むかしから、本屋で待ち合わせる、ということに憧れていた。仮に相手が遅れたとしても、書棚に並ぶ本の背表紙を見ているだけで時間を忘れることができる。待ち合わせ場所としては最高の場所なのではないかと以前から思っていた。それは、デートだけではなく、今回のように50歳をすぎたおじさんの待ち合わせ場所としても最適である。なぜならふたりとも本が好きだからだ。

この書店を前回訪れたのは、仕事でこの町を訪れた今年の2月のことだった。そのときは、気の重い仕事が終わり、すっかり疲れてしまったのでほんの少し立ち寄ったというていどだった。

今回は、本好きのAさんが一緒なので、書棚をひとつひとつをまわり、気になった本についてフリートークをするというイベントにはからずもなった。

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』というタイトルの新書を見つけて、

「これ、いますごく流行っているみたいですよ。僕は読んでませんけど」

と僕が言うと、

「なぜ本が読めなくなるのか、という本を出すって、矛盾してないか?だって働いていると本が読めなくなるわけでしょう。だれに向けた本なんだ?」

と、Aさんがツッコミを入れたりしながら、書店中を歩き回る。

「この本の著者は、かくかくしかじかなんですよ」

と僕が蘊蓄をたれると、

「へぇー…。鬼瓦さんはストライクゾーンが広いねえ」

と感心されたのだが、

「いえ、僕はたんに、いろんな人に奨められるがままに本を読んでいるだけです」

と答えた。

これはまったくそのとおりで、自分が信頼する人から本を始めとするいわゆる「コンテンツ」を奨められたら、気になったものについてはとりあえず読んでみたり観てみたり聴いてみたりするのが、僕の癖(へき)なのだ。実際、Aさんからもいままでいろいろな本を薦められてきて、気になったものは実際に読んできた。個人的に信頼する人たちばかりではなく、ふだん聴いているラジオ番組とかでパーソナリティーが、「○○っていう本、おもしろいですよ」とポロッと言っただけで、読んでみたくなる。

頼むから俺に本を薦めないでくれ!

…と叫びたいところなのだが、奨めてもらわないと自分の知らない世界についてふれる機会がなくなってしまうので、奨めてくれないのも困る。そこが渡世人のツレえところよ!

しかし自分に主体性がないおかげで新しい世界を知ることもできるので、しばらくこの生き方は変えないつもりだ。

そんなこんなで、2時間近くもこの書店に滞在してしまった。銀河系の星を廻るがごとく、書棚をまわっては対話をくり返した。よい書店は、さながら小宇宙である!

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年に1度の2時間会議

7月24日(水)

今日から週末まで妻が出張なので在宅で仕事をしなければならない。

午後には1年に1度の外部会議があった。本来ならば現地に出向いて参加しなければいけないのだが、現地に赴くとすると片道4時間半くらいかかるので、小1の娘の帰宅時間には間に合わない。やむなくオンライン参加することにした。

会議は13時~15時。事前に送られた会議資料を見ると、「2時間で終わるのかな?」と思うような議題の数である。

議事の進め方としては、最初に担当者たちによる説明をしたあと、そのあとでまとめて外部識者が質問なりコメントなりを言う、というものなのだが、担当者たちの説明だけで1時間40分もかかっていた。予定だとあと20分で討論をしなければならない。

外部識者は12名いる。この種の会議の場合、せっかく出席したのだから爪痕を残さなければならないとだれもが思うので、一人1回は質問なりコメントなりを言いたいと思っているものである。しかし12名全員が質問やコメントを言い出して、それに対して一つ一つ担当者が答えていたら、時間がいくらあっても足りない。それでなくても、1年に1回の会議で、言いたくてウズウズしている外部識者(とくにベテラン)がけっこういるのだ。そういう人たちが話し出すと、時間はさらに長くなる。

案の定、話の長い外部識者もいて、僕を含めた数名は発言の機会を奪われた。

(参加しているのに発言しないんでは、いないのと一緒だな。定足数を満たすためだけに参加したのか…)

せめてもの救いは、オンライン参加だったことだ。これがもし、往復9時間近くかけて対面参加したにもかかわらず無言で帰ったら、なんのために会議に参加したのだろうと絶望的な気分になる。

会議は予定の15時を超過した。僕には発言の機会がないことを悟り、会議中にメールを書いて、機会をもらったら発言しようと思っていた内容を書き出し、担当者にメールをした。Zoomのチャット欄に書いてもよかったのだが、おそらく気づかれないだろうと思ったのだった。

会議は予定より30分ほど超過して終わった。

 

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図書館活

7月21日(日)

今日も暑い。

小1の娘の退屈を紛らわすためにどこかに連れていかなければならないのだが、昨日は映画館に連れていったので、その手は使えない。

涼しいところで父娘が過ごせる場所はないだろうかと考えたら、図書館があるじゃないかと思い至った。もともと図書館というのは、涼みに行く場所であることを思い出した。

そんなのあたりまえだろ!と思うかもしれないが、私の自宅から図書館に行くには微妙に距離があったりする。私の住む市内には、いちばん大きな本館のほかに、いくつかの分館があって、娘は自宅からいちばん近い分館に行くことがほとんどなのだが、車で行くほどのところではなく、かといってこのクソ暑い中で歩いて行くのも億劫だ。

そこで思いついたのは、市立図書館の本館に行くことだった。この町に引っ越してから6年ぐらい経つが、自宅からはちょっと遠くて、これまであまり図書館の本館を利用したことがない。本を借りて返しに行くという行為がかなり面倒に感じるのだ。それにそもそも、この図書館には自分が読みたいと思う本の在庫が少なくて、そこまでして図書館に行く必要があるかと思っていたわけである。

しかしこんな時は背に腹は代えられない。それに久しぶりに図書館に行って涼しい場所で本を眺めるのも悪くないと思い、車で行くことにした。午後4時過ぎのことである。

図書館の駐車スペースはわずか7台で、案の定止めることができず、近くの駐車場に車を止めてそこから歩いて行った。なんだ、結局歩くんじゃねえか。でも夕方で風が出てきたこともあって、気温は高かったがそれほど不愉快な暑さは感じなかった。

ようやく図書館に着いて、娘が「図鑑が読みたい」というので、子ども向けの図鑑のある本棚に連れていき、気に入った図鑑を手に取ったあとは子ども向けの読書席で読んでもらうことにした。

その間僕は、久しぶりに来た図書館の本館の本棚を見わたしながら、

(どんな本を読もうかなあ)

と本の背表紙を見ていたら、館内放送が流れた。

「当館は5時で閉館です」

時計を見ると5時。えええぇぇぇっ!もう閉館???

5時になるとカウンターにいた職員さん全員がサァーッと潮が引くように事務室に帰って行こうとしたので、僕は思わず、

「今日は5時に閉館なのですか?」

と聞いたら、

「土日祝日は5時が閉館時間です。平日は夜8時までですが」

と言われ、ハタと気づいた。僕がてっきり夜8時に閉館だと思っていたのは、平日の話だったのだ。

そのことを察した娘も僕のところに寄ってきて、「閉館時間だよ」と言ってきた。

正味30分も滞在しないことになってしまったが、その間に娘は最初に選んだ図鑑を1冊読んだといって、それなりに満足した様子だった。

その後は、その図書館本館からそのまま北上したところにあるK珈琲店で時間を潰した。

そういえば僕も小学生のころ、放課後の大半の時間は図書館で過ごしたものだった。ここは原点に帰って、娘と図書館で過ごす時間を作ろう。

こういうのを何て言うの?「図書館活」?うまい言葉が見つからない。

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怪盗グルーのミニオン超変身

7月20日(土)

小1の娘をどこかに連れていかないと行けないが、外は暑いので考えつくところは映画館しかない。

再三「おいハンサム!!」を提案したのだが、娘は首を縦に振ってくれない。というかそもそも、「おいハンサム!!」は封切りから時間が経ってしまって、いまは朝早い時間か夜遅い時間でしか観ることができないようだった。

娘はどうしてもアニメ的な映画が観たいというもので、探してみると「怪盗グルーのミニオン超変身」という映画がやっていたので、それにすることにした。

「ミニオンズ」というキャラクターの存在は知っていたが、てっきりミニオンズが主人公のシリーズ映画だと思っていたら、違うんだね。「怪盗グルー」が主人公のシリーズの中で登場するキャラクターなのだと初めて知った。

えええぇぇぇっ!そこから~????

「シリーズ最新作」とあるのだが、なにしろ初めて観るので、以前にどんなエピソードがあったのかも全然知らない。笑福亭鶴瓶師匠が主人公の声を吹き替えているということくらいはテレビの情報番組で知っていたくらいである。後で調べたら、最初から怪盗グルーの声は鶴瓶師匠が吹き替えを担当していたんだね。僕はあのミニオンズというキャラクターにはあんまりハマらなかったので、今まで全然このシリーズを観たことがなかった。

映画館の上映スケジュールを見ると2Dバージョンと3Dバージョンがあるみたいで、どうせ観るなら3Dバージョンだろうと思ってその時間帯を予約した。しかも55歳以上はシニア料金なんだとさ。ぎりぎりシニアなのが悔しい。

映画館に着いて入場券を見せるとサングラスをもらった。3Dの映画を観るのは、じつは初めてかもしれない。

座席はわりと空いていた。「名探偵コナン」の時とはエラい違いだ。もっとも、「名探偵コナン」は封切りとほぼ同時に観に行ったのに対して、この「ミニオンズ」は封切りから時間が経っているので当然なのだろう。

鶴瓶師匠が声をあてるというので、ひょっとしたら違和感があるのかもと思ったが、なにしろ初めて観たので、違和感もなにも、こういうものなのだと理解した。

何も知らない僕が観ても、なかなかおもしろかった。というかアメリカ映画の定石のような展開で安心して観ることができたといった方が正しい。とくに3D映画初体験の娘は、飛び出す画面が気に入ったようだ。

上映時間は95分で、長さもちょうどよい。なるほどさすがによく考えて作られているなと感心した。

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コミュニケーション能力

7月19日(金)

今週も、よくぞ、よくぞ「武田砂鉄のプレ金ナイト」までたどり着きました!お疲れさん!

先週のプレ金ナイトが聴けなかったので、1週遅れでYouTubeで聴いたのだが、ゲストが鴻上尚史さんで、さすがラジオを長年担当していたこともあって、二人のグルーブ感がたまらなかった。

それ以上に僕は、この二人の対話が心に刺さりまくったのである。

本当のコミュニケーション能力とは何か?

だれとでも仲良くなれる、とか、社交的である、というのがコミュニケーション能力ではない。

「物事が揉めた時になんとかできるのが『コミュニケーション能力がある』と言えると思うんですよ」

という鴻上さんの言葉が、僕の心に突き刺さった。

いま僕にいちばん必要なのは、鴻上さんが定義するところの「コミュニケーション能力」である。

また、鴻上さんが中学生たちに向けていった言葉、

「みんな仲良くなる必要なんてないんだよ。ただし『仲良くしないこと』と『無視する』ことはまったく別のことで、大人になると仲良くしない相手と仕事をしなきゃいけないときには無視することなんてできない。イヤな相手とどう会話をして、気に入らない相手とどうやって1つのプロジェクトを成し遂げるためには、無視せずになんとかするという能力を身につけなければならない」

これもまた、いまの僕にいちばん必要な能力である。

「論破」という言葉が流行っている現在、

「どうやって土俵に乗らないか、ってのも重要なんですよね」という鴻上さんの言葉を受けて、武田砂鉄さんが、

「たぶん、いままでのいろんなやりとりって、どうやって自分が土俵に乗れるかということのプレゼンテーションだったと思うんですけど、いま、こういう世界の中でモノを発したり書いたりしてている人間は、土俵に乗らないためにどうするか、ということもセットで考えなければいけないというのがなかなか難しいですよね」

といっていて、これにも大きく頷いてしまった。

いろいろと困った人がいて、その人をどうにかなだめようとすることがあるのだが、油断すると相手の土俵に乗ってしまい、相手がこっちを言い負かしたと思わせてしまうことに、むなしさを感じてしまう。相手の土俵に乗らずにどのように揉め事を解決するかという能力が、いま僕に最も求められているコミュニケーション能力なのだ。僕はいまの自分の心に突き刺さる二人の対話を聴いて、あまりにも感動してしまってちょっと涙が出た。

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勇気をもって立ち止まりましょう

7月18日(木)

新幹線と地下鉄を乗り継いで、北に向かう。会合があるため日帰りするのだ。

都内の駅に行くたびに憂鬱になる理由は、エスカレーターの右側を空けなければならないという謎ルールがあるためである。

みんな、どうしてああも整然とエスカレーターの左側だけに立つのだろう?別にそうしろというルールがあるわけでもない。急ぐ人のために右側を空けておくおかげで、かえって左側が渋滞するのである。むしろエスカレーターは2列に立ち止まった方がよっぽど効率的なのだ。

最近、武田砂鉄さんはラジオでそのエスカレーターの右側を空ける問題点を繰り替えし指摘しているし、小林聡美さんも最新のエッセイでエスカレーターの右側を空けることに反旗を翻す意味で、わざと右側で立ち止まるのだという。私もまったく同意見である。

さて、新幹線を降りて、市営地下鉄に乗り換えようと、地下に降りるエスカレーターを見て驚いた。

右側を空けてない!!!2列に立ち止まっているではないか!!!

エスカレーターにはクドいくらいに「立ち止まりましょう」という案内が貼られている。なかには、

「勇気をもって右側で立ち止まりましょう」

と書いてあるポスターも貼られているではないか!!

僕は感動した。こんな理想郷があるとは!!!

調べてみると、1年ほど前から、この町の地下鉄では「エスカレーターでは立ち止まる」キャンペーンを大々的に行っていたようである。その甲斐あってか、エスカレーターの右側を空けず2列で立ち止まる光景があたりまえになりつつあるようだった。

それにくらべて東京の駅はなんだ!!いつまでも「エスカレーターでは右側を空ける」という悪弊・因習にいまだに囚われているではないか!

都知事には「7つのゼロ」に「エスカレーターで右側を空ける因習をゼロにする」を加えた「8つのゼロ」を実現してもらいたい。どうせ聞く耳は持たねえだろうけど。

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手応えのない講座

7月17日(水)

市民講座の日。

久しぶりにお話しするテーマであるため、不安である。当日ギリギリまでパワポの最終調整をしていたら、スライドの数は114枚になった。

これを90分で話すとすると、1枚あたり1分弱のペースである。

電車を乗り継ぐこと2時間、講座の会場に到着した。

開始30分前に到着し、講座の事務局のHさんと挨拶をして教室に入ると、受講者は誰もいない。

「最終的には9名になりました」とHさん。「ただし対面で参加するかオンラインで参加するかは、ギリギリになってみないとわからないので、ひょっとしたら対面参加の受講者はゼロになるかもしれません」

僕はそのことについて事前に知らされていたので「わかりました」と答えた。

午後1時、講座の開始時間になっても、受講生は一人もあらわれない。全員がオンライン参加だとわかり、誰もいない教室で、講座を始めることになった。

Zoomではなく、VIMEOというアプリケーションで配信するのだという。

「ZoomよりもVIMEOの方が、マイクを使わなくとも音声をはっきりと拾ってくれるのです」

参加者を確認すると、「2人」とあった。

えええぇぇぇっ!2人しかいないの???

そこで気づいた。残りの人は1週間限定の見逃し配信を見るつもりだな。

つまり僕は画面の向こうの誰だかわからない2人だけに向けて喋ることになったのである。

僕はひたすら喋り続け、114枚のパワポも消化し、かなりの急ぎ足で、予定した2時30分を15分ほど過ぎて講義が終了した。

「時間が超過してしまいまして申し訳ありません」

と画面に向かって呼びかけたのだが、待てよ、どうせほとんどの人が見逃し配信を見るのだから、時間を気にすることはなかったんじゃなかろうか?どうせなら、15分と言わず30分とかそれ以上を延長しても、端折らずに喋るべきだったと後悔した。

手応えは感じなかったが、ラジオみたいに一方的に喋るので気楽ではあった。

しかしどうなんだろう?いっそ1時間半の講座をあらかじめ収録して、受講者全員がリアルタイムではなく聴きたいときに聴けるようにした方がよいのではないだろうか?

コロナ禍以降、市民講座のかたちもまったく変わってしまった。もはや教室すら必要がなくなりつつある。

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どうする原稿依頼

7月16日(火)

火曜日恒例の分刻みのスケジュールをかいくぐって、職場の暑気払いに参加したが、自分は大勢で立食パーティーに参加するというのが苦手だということを再確認するだけで終わった。ひたすらボーッとウーロン茶を飲んでいた。

「いまは立食パーティーには全然行かなくなりましたけど、素面で行くとあんなにくだらないものはありません。冷めたローストビーフだとか生ハムだとかみたいなどうやって食べてもマズいものを皿に取って、知っている人もいるけど別に親しいわけでもなくて、「どうですか」「太りましたね」「余計なお世話だ」みたいな話をするだけのことでしょ?そうやって一、二時間つぶして、ビンゴで当たるとか当たらないとかちょっとだけ騒いで帰ってくる。もうパーティーとか大っ嫌いになっちゃいましたね」(小田嶋隆『上を向いてアルコール』ミシマ社、2018年)

という小田嶋さんの言葉を思い出した。

家に帰ると、僕が会員になっている「手書きでガリ版刷りのミニコミ誌」の最新号が届いていた。このミニコミ誌には、高校の恩師がコラムの連載を持っていて、その内容が僕にとってあまりにも衝撃的なので、…正確にいうと高校時代には知らなかった恩師のさまざまな事情を知ったので、その感想をそのミニコミ誌の編集長にメールしたところ、

「この感想メール、次号に掲載してもいいですか?」

という返信が来た。僕が「いいですよ」と言ったら、最新号の「読者発」という欄に、大勢の読者の感想に交じって僕の感想も掲載してもらった。自分の短い文章が手書きのガリ版刷りで読めるというのはかなり嬉しい。封筒には500円のクオカードが同封されていて、これは原稿料か?でもあんな短い感想を書いただけでクオカードをいただくのは申し訳ないと思い、よっぽどカンパの意味で編集長にお返ししようと思ったが、かえって気を使うだろうと思い、ありがたくいただくことにした。

ミニコミ誌の封筒にはもう一つ、手紙が添えられていた。そこには、「ふと思ったのですが、鬼瓦さんの専門分野っておもしろい!みたいな原稿を書いていただけないかなー、私のようなまったく関心のない人間がふっと心を動かされるような、そんな世界がきっとあるのではないかと思いました」と書いてあり、これは原稿依頼なのか?と判断に迷った。

もともと僕の専門分野は、その分野が好きな人でないとなかなか理解してもらえないだろうし、まったく関心のないという人にその面白さを伝えるのはかなり難しい。もしお手紙の内容を原稿依頼だと勝手に解釈して調子に乗って原稿を書いて送ったら、やっぱり全然わかりませんでした、ということになりかねないのではないだろうか。「またメールでご連絡したいと思います」と書いてあったので、そのタイミングでもし依頼が来たら考えることにしようか。

一方で自分の書いたちょっと長めの文章を、味わい深い手書きのガリ版刷りで読んでみたい気もする。どうする原稿依頼!?

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オフ会といえばコメダ珈琲店

7月14日(日)

「前の職場」での用務2日目。

「プロジェクト会合にいらっしゃるついでに、その翌日の研修会でお話しをしてください」

と依頼されたのが5月半ば頃。

その研修会は、午前に講話をして、午後にワークショップをするという段取りだという。

同僚と二人で合計1時間、つまりひとりあたり30分喋るという依頼だったのだが、30分も話すことがない。

「思い出話しかできませんよ」

「それでかまいません。むしろそうしてください」

すると同僚が、

「好きなだけ時間を使ってください。僕は時間調整のつもりで喋りますから」

という。

…というわけで、10年以上前の思い出話をすることになったのだが、過去の写真を引っ張り出してパワポを作成したら楽しくなっちゃって、どんどん写真が追加される。

(これじゃあ30分にはおさまらないな…)

同僚の言葉に甘えることにした。

さて当日。

上は元同僚の先輩から、下は現役の学生まで、20人ほどが研修会に集まった。

用意した写真を見せながら、ときおり笑いをまじえてとりとめのない思い出話を語っていたら、60分経ってしまった。これはちょっとしたトークライブだな。同僚に悪いことをした。同僚はあらかじめそうなるだろうと予想して、自分の話を15分でまとめてくれた。

僕は、講演会という大それたものではなく、いつか小さな会場を借りてトークライブをやってみたいというヘンな夢を持っていたのだが、はからずもこの場で実現してしまった。実に楽しい時間だった。

お昼休みになり、「昼食はめいめいでとってください」と言われたので、機会があれば再訪したいと思っていた「よく喋るシェフの店」に行くことにした。「ひまわり」の学名をお店の名前にしている洋食屋さんで、「前の職場」の裏手に出て徒歩数分のところにある、僕が勝手に「ひまわり通り」と呼んでいる通り沿いにある。同じく研修会に参加している「前の前の職場」の同僚のKさんも一緒に行きたいというので、二人で行くことにした。

「10年ぶりに行くので、潰れているかも知れませんよ」

と言うと、むかしからこのブログを読んでいるKさんは、

「ずっとむかしにこの店について書いていたブログを読んで、シティーボーイズの『陽気な洋食屋さん』のコントを思い出しました」

僕は吹き出した。たしかにそうだ。同世代だからわかるたとえである。

シティーボーイズの「陽気な洋食屋さん」というコントは、斉木しげるさんが小さな洋食屋さんのシェフの役で、お客さんにやたらと話しかけるという名作コントだった。もはやKさんのイメージの中では、「よく喋るシェフ」は完全に斉木しげるさんなのだ。

「会ってみるのが楽しみです」

むかしの記憶をたよりに歩いていくと、その洋食屋さんは営業していた。コロナ禍を経て生き残ったのだな。

お店の扉を開けるとすぐ厨房が見えるのだが、厨房にはシェフがいない。

「ごめんください」

と何度か言うと、客が座るテーブル席からおじさんが立ち上がって、

「いらっしゃい」

と言った。シェフだ。だれも客がいないテーブル席で、何か書きものをしていた。

「奥のテーブル席にどうぞ」

僕らが入ると、Tシャツ姿のシェフは上にコックコートを羽織って、厨房に入っていった。

むかしもそうだったが、お昼時というのに客がひとりもいない。

奥の席に座り、ランチを注文した。ほどなくしてランチが運ばれてきた。シェフの作る洋食は、むかしと変わらず美味しかった。若い頃に都内の一流ホテルで料理人をつとめていた腕は、まったく落ちていなかった。 あたたかいうちにランチを食べ終わり、続いてコーヒーを注文した。

やがてシェフはコーヒーを運んできた。そこで初めて、シェフが口を開いた。

「今日はご旅行か何かですか?」

これを待っていた!シェフは料理が食べ終わるまでは客に話しかけない。料理をあたたかいうちに食べてほしいというこだわりがあるからである。僕もなんとなくそのことを知っていたので、食べ終わってからコーヒーを注文したのだった。

「いえ、仕事です。実は10年前まですぐ近くの職場に勤めていて、10年ぶりにこのお店に来ました」

そう言うとシェフは驚いたような顔をして、

「そうでしたか。お名前はなんというのですか?」

「鬼瓦といいます」

「…ごめんなさい。最近歳を取ったせいか、物忘れがひどくて」

シェフが覚えていないのも無理はない。私もこの洋食屋さんにそう頻繁に訪れていたわけではなかったから。

しかしこのやりとりがきっかけで、シェフのひとり語りが始まった。その大半が愚痴だった。「故郷に帰るんじゃなかった。コロナ禍が明けてから、常連さんが来なくなっちゃった」

「東京から故郷に戻ってきて30年くらい経ちますよね」

「ええ、よくご存じですよね」

「そのお話をしてくださったじゃないですか」

「そうでしたか」

そこからまた、シェフは自らの半生を語り始めた。というか、私がシェフの話を聞きたいがために、そのように誘導したに過ぎないのだが、シェフはずっと喋り続けて、気がつくと1時間半が経っていた。もちろん、10年の歳月を感じさせる風貌にはなっていたが、それはお互い様のことで、「イヤだイヤだ」と言いながら、いまの仕事を手放さずにかつてと変わらない美味しさの料理を出し続けていることに敬意を表し、そしてかつてと変わらず愚痴をこぼしている姿に可笑しみと安心感を覚えた。あのコロナ禍を乗り越えて、お店を閉めずに営業を続けているのは驚異的である。

午後のワークショップにはすっかり遅れてしまい、参加者にはご迷惑をおかけしてしまったが、それでも久しぶりにシェフのお喋りを聞けたのは楽しかった。

「イメージ通りですね。『陽気な洋食屋さん』の斉木しげるさんみたいでした」

とKさんは言った。

夕方にワークショップが終わり、こんどはこぶぎさんと合流し、恒例の「だまらーのオフ会」である。まず向かった先は初めて行く韓国料理屋だった。そこの女将さんも「よく喋る女将さん」で、どうも「よく喋る食堂の主人」に縁がある。

食事のあとは恒例のコメダ珈琲店に向かう。10年近く前からオフ会といえばコメダ珈琲店という流れが定着していた。

こぶぎさんは、いつもながらA4の紙に喋る内容をメモしていて、ここ最近こぶぎさんの身の回りで起こったことを話してくれた。ネタをあらかじめ仕込んでおくことは変わっていない。そしてあいかわらず、特定の地名を伏せている僕のブログから地名を割り出し、その場所を聖地巡礼する試みもしていた。

オフ会が終わりコメダ珈琲店を出ようとしたとき、

「僕ばっかり喋ってしまって、鬼瓦さんの近況をまったく聞きませんでしたね」

とこぶぎさんが言うので、

「僕の近況はすべてブログに書いてありますから」

「あ、そりゃそうだ」

次回のオフ会は、たぶん11月半ばくらいになるだろう。

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気兼ねない会合

7月13日(土)

今日からが用務の本番である。

今年度から始まったプロジェクトの会合が、自分の古巣で行われた。10名弱が集まった。

古巣や古古巣で同僚だった人たちと同じプロジェクトを進めることができるのは感慨深い。ここに至るまでに10年かかった。

お昼休みに、古巣の門を出たところにあるお蕎麦屋さんに入ったのだが、僕がここで働いている10年以上の歴史の中で、実はこのお蕎麦屋さんに入ったことは一度もなかった。

職場の門を出てすぐのところにあるお蕎麦屋さんなので、お昼時には多くの同僚たちがここで蕎麦を食べる。僕はそこで同僚たちに会うのが苦手だった。だからこのお店をずっと避けていたのだった。

しかし今日は違う。土曜日で職場は休日だし、元同僚が食べに来るという心配もない。だから気兼ねなくこのお蕎麦屋さんに入ることができる。僕はこの職場を離れて10年目にして、初めてこのお蕎麦屋さんに入ったのだった。

午後も引き続き会合である。ふつう、この種のプロジェクトの会合の場合、ストレスがたまるものだが、今回は時間を気にせず、気兼ねなく意見交換をすることができた。こんなことは珍しい。そのあとの懇親会も気兼ねなく参加できた。どうやら「気兼ねない」が今回のキーワードのようだ。

明日も自分の古巣で別の会合が終日ある。明日はちょっと喋らないといけないので、気兼ねなく参加できるかどうかはわからない。

 

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再会リレー

7月12日(金)

新幹線と在来線乗り継いで、目的の町の駅に着いたのは、お昼過ぎだった。

駅では、「前の勤務地」時代に一緒にさまざまな活動をしたKさんが待ちかまえていた。

「どーも」

「ご無沙汰しています」

こうしてお会いするのは何年ぶりだろう。そのままKさんの車に乗り込んだ。

「お昼は何がいいですか?焼き肉屋がありますよ」

と、あいかわらず冗談を言う。

「お昼に焼き肉はちょっとね。麺類がいいです」

ラーメン屋に入り、冷たいラーメンを注文した。

食べながら、近況を話したり、むかしの話をしたり。

「むかしはいろいろと珍企画をたてましたね」

「覚えてますよ。ワンコイン講座」

ワンコイン講座とは、県庁所在地の繁華街の公民館を借りて、500円の参加費をいただいて市民向けの講座をするというものである。

チラシを作って宣伝したのだが、当日は市内の大きなイベントと重なったこともあり、受講者は2人くらいしかいなかった。

当初は定期的にワンコイン講座をやりましょうと計画を立てたのだが、初回にして受講者が集まらず、2回目以降はやらなくなった。

「僕らは、なぜ集客力がないんでしょうかね」と当時のことを思い出して大笑いした。

昼食後は2カ所の公共施設をまわった後、3カ所目の公共施設を訪れた。ここでKさんの車を降り、Kさんとはお別れである。

「じゃあまた」

3カ所目の公共施設では、SさんとIさんにお会いした。今年の晩秋にここで講演会を行うことになっており、そのご挨拶をかねて訪問したのである。

晩秋の講演会に向けてしばし打合せをしたら3時になった。

こんどはIさんの車に乗り込み、1時間ほどかかる県庁所在地の公共施設に向かった。この地にいた頃にずっとお世話になってきた人生の大先輩のN先生とI先生のお二人にお会いするためである。

約束の4時を5分すぎて、目的の場所に到着した。

「ご無沙汰しています」

1年ぶりの再会である。メインの目的は、来年の夏に講演をすることを依頼され、その打合せをするということだった。打合せは早々に済ませ、あとは思い出話に花を咲かせた。

2時間ほどお話をし、こんどはN先生の車で宿泊するホテルに向かう。ホテルにチェックインして、7時から歓迎会に参加した。

歓迎会といっても大規模なものではなく、総勢8名のこぢんまりとした集まりである。懐かしい人ばかりで、時間はあっという間に過ぎた。

初日から飛ばしすぎ。まだ始まってもいない。

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オープンスペース

7月11日(木)

明日から4日間出張なので、できるだけ今日のうちに仕事を済ませておきたい。

気の重い返信メールの文案作りから始まり、事務書類の校正、座談会原稿の修正、来週水曜日の市民講座の原稿作りなどが喫緊の作業だ。ほかにも来年度から始めるプロジェクトの原案作成と今年秋のイベントの関連本の校正などもあるのだが、それは出張中にやることにした。

以前に書いたが、昨年10月末に出版社の企画で座談会をやったのだが、みんなが思い思いのことを喋るというなかなかカオスな座談会で、こんなものどうやってまとめるのだろうと不安に思っていたが、できあがった原稿を見るとまったくカオスを感じさせない作りに仕上がっていた。さすが、老舗の出版社だけに編集の腕がすごい。

今日は集中する作業が続く。こういう場合、職場の仕事部屋にいると息が詰まりそうになるので、オープンスペースに置いてある机を使って作業をすることにした。木曜日は職場の同僚もあまり姿を見せないので、だれにも邪魔されず作業ができると考えたのである。

だが、オープンスペースで作業をするのは善し悪しで、職場に姿を見せている同僚は少ないながらも、僕を見つけるとやたらと話しかけてくる。愚痴とも相談とも話題提供ともつかない、というかそれが入り混ざった、まさに雑談である。そのたびに手を止めて雑談をすることになるので、なかなか作業が進まない。鬱々とした仕事部屋よりも仕事がはかどるという理由でオープンスペースで作業をしているのだが、かえって僕の存在が見つかってしまうと、ここぞとばかりに話しかけてくるのである。

みんな、言いたいことを抱えているんだな、それをだれに言えばいいのかわからず溜めていたところに僕が居たもんだから、たまたま話しに来るのだ。だがそういう機会でないと、同僚たちのふだん考えていることもわからないので、貴重な機会と言えば貴重な機会だ。

僕に話しかけてきた同僚たちは、みんな僕より先に退勤していった。残された僕は今日中にしなければならない仕事が終わるまで帰れなかった。でもまた職場に同僚が少なければ、今後もオープンスペースで作業をするつもりである。

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現在5名

7月10日(水)

来週の水曜日、つまり1週間後に市民講座の講師をすることになっているのだが、例によってすこぶる申し込みが少ない。

大新聞の系列のカルチャーセンターなのだが、数多くの集客数を誇る都内の会場ではなく、隣の県の会場である。

昨年の春も同じところから講師の依頼が来た。そのときは、僕が手がけたイベントにかかわる、1回限りの講座をお願いしたいということだった。通常、人気講師の場合は数回の連続講座だったりするのだが、無名の僕はたいてい1回限りという依頼が来る。

ギャラは歩合制のようで、受講者が多ければ多いほどギャラが増えるようなのだが、受講生の申し込みが少ないと、むしろ講師にとっては割に合わない報酬になる。

いちおう最低ラインが決められて、昨年の講座の場合は、最少催行人数を「5名」とした。これだってかなり屈辱的な数字だ。

しかし、締切までに申し込んだ人数は、なんと「3名」だった。

おかげで、せっかく準備したのに、講座は中止となった。

こんなことってある???たとえ県民版だとしても大新聞に広告を打ったのに、たった3名だぜ!?

今回は大丈夫だろうか?

「この7月に大きく取りあげられたニュースに関するテーマでお話しいただきますので、とてもタイムリーだと思います」

と言われたのだが、僕は半信半疑である。

そういえば5月下旬ごろ、その県在住の同業者の方に、

「新聞にあなたの写真付きで広告が載っていたね」

と言われ、僕は全然知らなかったのだが、大新聞の県民版の5月下旬から早々と広告を打っていたようだ。

で、今日、主催者からメールが来た。

「いまの段階で申し込まれた方は5名です」

えええぇぇぇっ!!5名???2カ月前から新聞に広告を出しているのにぃ~???

「申し込まれたご住所から察するに、県外の方ばかりなのでいずれもオンラインでの参加を希望されるかと思います」

おいおい、県民版に広告を打っているのに県外の人からの申し込みばかりって、どういうこっちゃ???

想像するに、こういうことなのか?

講座は平日の昼間に行われる。平日の昼間に参加できる人は、仕事をリタイアした人、すなわち「シニア」が大半を占めるだろう。さてそのシニアは、この猛暑が続く中を、わざわざ会場まで足を運ぶことをするだろうか?

ちょっと考えればわかることである。

自宅からオンラインで受講できるのだったら、わざわざ暑い中を移動せずに、涼しい自宅で受講した方がよい。これは人情として当然のことである。

…おいちょっと待て!オンライン受講を可能にしたハイブリッド形式にしたとしても、5名しか申し込みがないとはどういうことだ?これはもう、純粋に「人気がない」「聴く気が起こらない」ということである。

もし申し込んだ全員がオンライン受講を希望したとしたら、僕がわざわざ片道1時間半以上かかる会場まで出かけていって、無人の教室で喋ることになる。それだったら俺も自宅からオンラインで講義をするぞ!

あと1週間で少しは増えるだろうか?増えねえだろうなあ。

 

 

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文章を舐めるな

7月9日(火)

毎週火曜日はストレスフルな会議が続く。そればかりか解決する見通しのない問題について、ここ2カ月近く頭を悩ましている。

長年、いろいろな文章を読んだり書いたりしていると、他人を文章を読んだだけで、その人がどのような人間性であるかがわかる。…いや、わかるつもりになっているだけかもしれないが。

「自分がメンタルが強いのは相手の問題がどうなっても私は知りませんよっていう風に言い切れるからだ」といったことを選挙前に出した自著に書いている選挙候補者がいた。あるラジオパーソナリティーはその一文に注目し、「政治家が相手の問題がどうなっても私は知りませんよという聞く耳を持たない態度をとれば、なかなかそこに意見を届けることが難しくなってしまうのではないでしょうか」と本人に質問をしたところ、どうやらその質問の意味が理解できなかったらしく、逆質問をくり返したり、挙げ句の果てには論点ずらしをしたりして、わずか4分弱で化けの皮がはがれるというか、馬脚をあらわすというか、その候補者の底の浅さが露呈されたのである。これはたんに本人が勝手に自滅しただけなので、いわゆる「論破した」ということではない。

このやりとりはSNS上でバズったのだが、僕はこの候補者の書いた一文について、重要な問題は別にあると感じていた。

本当にメンタルの強い人は、さまざまな「相手の問題」について真剣に向き合って粘り強く対応することができる人である。「相手の問題がどうなっても私は知りません」という態度は、どう考えても「メンタルが強い」ことを意味しない。たんに「相手の問題」から逃げているだけじゃないか。そういうのを「弱腰」という。口惜しかったら俺の仕事を代わってみろ!と言いたい。僕はその一文の内容もさることながら、こういう破綻した文章を書くことが許せない。文章を舐めんなよ!

 

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アクスタ

「アクスタ」という言葉を初めて聞いた。「アクリルスタンド」の略だという。

Wikipediaで「アクリルスタンド」を調べてみると、

「アクリルスタンドは、透明なアクリル板に人物やキャラクターなどの画像を印刷して切り抜き、台座に差して自立できるようにしたものである。アクリルフィギュアともいう。アクリルスタンドの略称である「アクスタ」と呼ばれる」

という簡にして要を得た説明がある。

コロナ禍には、飛沫を防ぐためにアクリル板が多用された。アクスタはそこから発想されて作られた人形かと思ったら、そうではなかった。コロナ禍の前から、一部のアイドルグループ界隈ではすでにアクスタが作られていたというから驚きである。

しかしながら、コロナ禍のアクリル板が、アクスタの爆発的な人気を後押ししたとは考えられないだろうか。コロナ禍が明けると、それまで使われていた大量のアクリル板が不要となり、本来ならば廃棄すべきところを、アクスタに転用するなんてこともあったのではないだろうか。そしてそれがアクスタのコストダウンという思わぬ効果をもたらしたのではないか?

…もっとも、僕はそのへんの事情をまったくわからないので、たんに想像で好き勝手に言っているに過ぎないのだが。

先日、娘をプラネタリウムに連れていったときに、お昼をファストフード店で済ませたのだが、子どもが食べる用の「ハッピーセット」には、もれなくおもちゃがついていた。その中の1つが「リカちゃん人形のアクスタ風プラスチックスタンド」だった。形はアクスタを意識しているが、素材はアクリルではなく、プラスチックだったのである。アクリルよりもプラスチックの方がより安価に作れるということなのだろうか?これも想像である。

リカちゃん人形もとうとうアクスタになってしまったのか(素材はアクリルではないけどね)と、時代の流れを感じた。

それにしても、プラスチックごみ削減ということで、ストローをプラスチックから紙の素材に変えたのに、これでは元の木阿弥ではないか、と一瞬思ったのだが、そもそもこれは後生大事に持ち続ける大切な人形であってゴミであるはずはないと思い直した。

万が一、大切だったアクスタを手放すことになったら、神社がアクスタ供養をはじめることになるだろう、いや、廃棄するのが忍びないのでリサイクルショップでアクスタの売買がすでに行われているのかも知れない、などと僕の想像はどんどん広がっていった。いや、たんにアクスタと言いたいだけなのかも知れない。

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困ったときのプラネタリウム

7月7日(日)

朝食後、投票会場となった児童館に都知事選の投票に行ったのだが、行って帰ってくるだけで「川に落ちた」ように、汗で全身がずぶ濡れになり、さっそく着替えた。今日の予報では35℃を超える酷暑日である。

このあと、小1の娘を夕方まで遊ばせなければならないのだが、この酷暑日に公園に行けるはずもない。こういうときは映画館で映画を観ることがいちばんなのだが、どう探しても、小1の娘と一緒に観たいと思わせる映画が見つからない。こうなると打つ手がない。だが家でおとなしくしているタイプではないので、なんとかしてどこかに連れていかなければならない。

残された最後の手段は、プラネタリウムに行くことである。いままでもプラネタリウムに救われたことが何度もあった。だが、よく通っているプラネタリウムはあいにく改装中で、7月20日にリニューアルオープンするという。どこかほかのプラネタリウムを見つけなければならない。

スマホで検索してみると、自宅からさほど離れていないところに「世界最大級のプラネタリウム」があることがわかった。「世界最大級」ということは、観覧席のキャパシティーも世界最大級ということではないか?調べてみると、公共交通機関でも行くことができるが、電車とバスを乗り継いだらそれだけで汗だくである。車だと自宅から30分程度で着くようで、念のため駐車場があるかも確認したところ、駐車場もあるということだったので、善は急げと、投票から帰って着替えをして、ほどなくして自宅から車で行くことにした。

予約が必要なく現地に着いてから入場券を買えばよいということだった。先週行ったカンドゥーが入場時間も厳密に決められた完全予約制だったことにくらべれば、ふらっと行ける感じがよい。

さっそく車で現地に行くことにした。初めて行く場所だったのでどんなところなのかまったくわからなかったが、カーナビの指示通りに走ると、もうすぐ到着するというタイミングで幹線道路から外れて左の細い道に曲がり、住宅地に入っていった。こんなところにあるのか?と疑問に思いながら進んでいくと、プラネタリウムとおぼしき大きなドーム状の建物が突如現れた。さらに道案内の看板に従って駐車場に入ろうとすると、

「満車」

と書いてある。ま、日曜日だしあるていど混んでいるのは仕方がないなと思い、その場で待とうとしたら、

「待機禁止」

という大きく書いてある。住宅街の細い道なのでたしかにここで並んで待機しては近所迷惑になる。駐車場の案内人も「停まらないで走り続けてください!」という合図を出すので、ひとまず駐車場を通り過ぎ、住宅街を抜けて、再び幹線道路に出て、先ほどと同じところを左に曲がって、再度駐車場に向かったが、やはり「満車」は変わらない。仕方ないのでまた同じルートをぐるりとまわってみたび駐車場の前まで行くが、事態は変わらなかった。

うーむ。見通しが甘かった。こんな酷暑日に小さい子どもを連れて行けるとしたらプラネタリウムだよな。みんな考えていることは同じだ。

仕方がないので、いったん戦線離脱し、近くでお昼ご飯を食べてから午後にまた挑戦することにした。

昼食のときに、プラネタリウムのホームページを見ると、プラネタリウムの空席情報が載っていて、それを見たら午後の回も軒並み満席で、最終の回しか空きがない。

午後1時すぎにお店を出て、再びプラネタリウムに向かう。すると運よく駐車場に入ることができた。駐車場に車を止めてから、暑い中を歩いて建物の中に入り、入場券を買う。どうやらプラネタリウムの最終の上映にすべり込めたようだ。

しかし最終の上映は15時50分で、まだ2時間以上も時間がある。僕は建物内のカフェで時間まで休みたいと思ったのだが、娘がそれを許してくれるはずもない。このプラネタリウムには、5つの展示室があり、そこでさまざまな科学体験ができることを売りにしている。時間はたっぷりあるので、その「体験型ミュージアム」を満喫することにした。

…と、その前に、今日は7月7日、七夕である。エントランスに大きな笹竹があり、たくさんの短冊が吊されている。来館者が思い思いの願い事を書いて吊すことができるようである。せっかくなので娘に「願い事」を書いてもらったら、

「あいどるになれますように」

と書きやがった。その言葉のチョイスがあまりにも可笑しくて、むしろお笑い芸人向きだろ!と思ってしまった。

5つの展示室を擁した「体験型ミュージアム」は思いのほか面白かった。率直に言って、先週のカンドゥーの仕事体験や、いつぞや行った「君も博士になれる展」よりも面白いと思った。酷暑日の今日はバカみたいに客が来ているのでなかなか多くの体験はできなかったが、本来ならばもう少し余裕があるはずで、そうすればもっといろいろな体験ができるはずだ。

客層は、ほとんどが小さい子どもを連れた家族だったが、では子どもだけをターゲットにした科学館かといえば、必ずしもそうとはいえない。お客さんの中には「ゆとりっ娘(こ)世代」の若者が二人連れで来ているパターンもあり、「ゆとりっ娘世代」にも楽しめると思う。何よりプラネタリウムは子どもたちのためだけにあるのではない。大人も十分楽しめる。

5つの展示室で時間を潰したら、プラネタリウムの開場時間になった。このプラネタリウムは、外観がドーム状になっており、「サイエンスエッグ」という愛称がある。たぶんこれは、東京ドームの愛称「ビッグエッグ」にインスパイアされた呼び方だろう。世界最大級の触れ込み通り、たしかに会場は広かった。

プラネタリウムの上映時間は45分。ライブで解説をつけているのだが、その声と話し方がめちゃくちゃ心地よくて、ついうとうとしてしまった。

結局、夕方5時の閉館までいることになり、例によって僕の両足の裏の痛みは限界を越え、駐車場にたどり着くのがやっとだった。

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北の町の再会・夏編

7月6日(土)

北の町での用務が終わった夕方、この町に住む卒業生のOさんとお会いした。

2020年4月から5年間、毎年2月初旬に僕はこの町でちょっとした講演をすることが課せられているのだが、最初の2年間は、新型コロナウィルス感染拡大を恐れてオンライン開催だった。ようやく昨年(2023年2月)になって現地での対面開催が叶い、今年(2024年)2月がその2回目だった。あともう1回で終わりである。

Oさんはその2回とも、講演会に来てくれた。しかし休憩時間に挨拶をするていどの時間しかなく、近況などを聞く暇もなかった。今回は講演とは別の用務だったが、少しだけ時間をもらって、新幹線の時間までお喋りをすることにした。

以前にも書いたが、Oさんはこの町に住む小説家である。在学中から、というより高校時代から小説を書いていたが、大学を卒業してからも、そして結婚して子どもを産んでからも小説を書き続け、電子書籍を中心に出版していたようだが、昨年、満を持した小説が紙の文庫で発売され、書店で平積みになっているのを発見した。自分の好きなことを手放さずに続けたことが大きな実を結んだのだろうと僕は感慨深く思った。

子どもというのは、小3,小1,3歳とまだ幼い3人である。僕の小1の娘とほとんど変わらない。1人だって持て余しているのだから、3人を育てるのはいかにたいへんか…。

「うちの子、ピアノをやめちゃったんですよ」

「えっ!うちもそうだよ。まったく練習しないんだよ」

「うちもそうです」

ピアノというのは、やはり誰もがぶちあたる壁なのだろう。

あとは最近関心のあることについて聞いたり、こっちの仕事の話をしたりしたのだが、話しているうちに、意外な事実を知った。

Oさんのお連れ合いは、同じ大学にいた学生だったと初めて知ったのだが、文系ではなく、工学系の学生だったそうである。

「私の夫が1年生の時に、先生の教養教育の授業を受講していたんですよ」

「えええぇぇぇっ!そうだったの?」

ちっとも知らなかった。

「教養教育の文系の授業の中で先生の授業がいちばんおもしろかった、って、いまでも言ってるんです」

それはお世辞でも嬉しい。いまでも覚えていてくれているんだな。

話を聞いている限り、Oさんのお連れ合いは思索的な人で、ときどき小説を書くアイデアをそれとなく示唆してくれるのだという。Oさんは文系で、お相手は理系だけれども、発想の違いが思わぬ化学反応を起こして小説に結実するなんて、理想的ではないか。

もうひとつ話を聞いて驚いたのは、AmazonAudibleでオーディオブックになっている僕の本が1冊だけあるのだが、そのオーディオブックを最後まで聴いたというのである。

「4回聴きました」

「えええぇぇぇっ!4回も!?だって全部聴き終わるまで8時間かかるって言っていたよ」

書いた僕自身ですら、クドい文章だなと我ながら反省し、途中で聴くのをやめてしまったほどである。それを4回もくり返して最後まで聴いたとは!

「2倍速で聴いたので、8時間ではなく4時間でした」

そこでハタと気づいた。そうか、オーディオブックはさまざまな世代に聴いてもらうために、デフォルトではわざとゆっくりと読んでいるのだな。若い人にとっては、2倍速で聴くとちょうどよい仕組みになっていたのだ。プロの声優さんが読んでいるから、2倍速で聴いても聞き取りやすいのだろう。あらためてプロの声優さんってスゲえと思わずにいられなかった。

もちろんOさんは何か用事をしながら聴いているとのことで、効率よく、そして心地よく聴いてもらっているようで安心した。Oさんの小説も、遠からずオーディオブックになるだろう、というかそれを聴いてみたい。

あっという間に帰る時間となった。再会を約束して新幹線の改札口に入った。

吉報を待っているぞ!

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北の町へ

7月5日(金)

職場で午後の会議が終わった後、職場を出て東京駅に向かい、新幹線に乗って北へ向かった。

明日は朝から立場上どうしても参加しなくてはいけない会合があるためである。

自宅→職場→出張という動きは、体力がなくなったいまとなってはけっこうな負担である。それに外に出るとバカみたいに暑い。

職場の前のバス停から東京駅に直行するバスが1日に1本ある。それに乗っていけば乗り換えもないし、無駄に歩くこともないので、職場から東京駅を経由して新幹線で出張するときはこのバスを利用している。しかし今日の利用者は僕を含めて2人しかおらず、バス路線廃止になるのではないかと戦々恐々としている。

東京駅に直行といっても、バス停から駅まで少しばかり歩かなければならず、健康な人間ならどうってことない距離なのだが、そうではない人間にとっては、暴力的な暑さも相俟って、そうとうに体力を消耗する。新幹線に乗るまで少しばかり時間があり、東京駅を徘徊していると、かなりふらふらになり、これはヤバいと思ったが、新幹線が目的の駅に着き、その町の名物である「冷たい麺」を食べたら、少し回復した。

いろいろとやらなければならないことは多いのだが、そのための仕事道具を持っていっても、結局何もできないというのはお決まりのパターンである。

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3人との再会

7月4日(木)

午前中にいくつかの「根回し」のために走り回ったが、午後はうちの職場のホールで「同じ業種の人たちが集まる全国大会」が行われるというので、参加することにした。

この「同じ業種の人たちが集まる全国大会」は、コロナ禍の間は対面で集まることができず、今回が久しぶりの対面会合である。僕も以前に何度か参加していた。

全国から100人程度の参加者がいただろうか。せっかくうちの職場が会場になるのだから、同僚ももっと参加してくれればいいのに、と思ったが、参加する同僚はあまりおらず、どうも他人事のようだなとちょっと寂しかった。

参加者名簿を見ると、あまり知り合いがいなさそうだなと思った中で、九州のSさんが来ていることがわかった。

Sさんは僕の大学のサークルの1年先輩で、2年ほど前にいちど先輩の職場に訪れたときにご挨拶したが、ほんとにご挨拶したていどだった。むかしから無愛想な人だったが、その印象は変わらなかった。

会場を見わたすと、Sさんらしき人を見かけたので、会合の休憩時間にご挨拶しようとその席まで行くと、はたしてSさんだった。

「どうも、ご無沙汰しております」

と挨拶すると、向こうはこっちのことを認識しているのかしていないのかわからないような反応をした。

(あいかわらず無愛想だな…)

と思って、

「あの…、鬼瓦です」

と名乗ると、いきなりお話を始めた。この先輩は、最初は無愛想なんだが、その実、けっこうなお喋りで、だんだんとエンジンがかかっていくタイプである。

2年ほど前は挨拶をしただけだったが、今日は、近況やらいま考えていることやらをお話ししてくれて、大学生の頃とまったく変わらないリズムに安心した。

10分ほどお話をしたところで休憩時間が終わった。

さて、次の休憩時間。さすがにもう知り合いはいないだろうと思ってホールの入り口を出て廊下を歩いていると、

「鬼瓦先生!」

と声をかけてくる女性がいた。

「四国のSです。いつぞやお世話になった…」

「ああ!Sさんですか!」

いまから7年前、これもまた大学の1学年先輩、といってもサークルではなく研究室の先輩なのだが、その職場に呼ばれてイベントに参加して講演をすることになった。そのときに、そのイベントを一緒に準備されていたのが、先輩の下で働いていた当時おそらく新人だったSさんだった。

「その節は大変お世話になりました」

「こちらこそ。あのときは季節外れの台風が来てたいへんだったこと、いまでも覚えていますよ」

「そうでしたね」

「またおうかがいしたいと思いつつ、なかなか機会がありません」

「ぜひまたお越しください」

「ありがとうございます」

少し立ち話をして、思い出話を語った。僕の先輩でもあり、Sさんの上司でもあったその方は、つい最近職場を移ったのだが、話題はもっぱらその方のことだった。

それにしてもSさんとはあのとき初対面で、それ以来お会いしていなかったのに、よく覚えてくれていたものだ。

休憩明けに会合が再開され、予定通り夕方に会合が終わった。

帰ろうと思ってホールを出たところで、

「鬼瓦先生!」

という、またしても女性の声。

見ると、昨年の春に僕が企画・実行したイベントで大変お世話になったFさんだった。Fさんの職場は、私の自宅の近所にある。

「Fさん!あれ?参加者名簿にお名前ありましたっけ?」

「ええ、あります。ここです」

よく見るとたしかにあった。見落としていたのだ。

「今日は鬼瓦先生が息災かどうかを確認してこいと、先輩同僚2人に命じられてやってきたのです」

「そうだったんですか」

「会場を見わたしても見当たらなかったので、こちらの職員の方にお願いして探していただいていたところでした。お元気でしたか?以前は体調がすぐれないようなことをおっしゃっていましたが」

思い出した。そのときたしか自分の手がけたイベントを「生前葬」だと言ったら本気で心配されたのだった。

「大丈夫ですよ。この通り」

「それはよかったです。あれから私どもの方でもいろいろと反響がありまして、いま新しいコンテンツを開発しているところです」

「そうでしたか…。近所なのになかなかご挨拶に行けず申し訳ありません」

「いえ、お忙しいでしょうから…。新しいコンテンツの完成の目処が立ったら、ぜひお試しいただきたく、またご連絡差し上げます」

「ありがとうございます」

「鬼瓦先生はお元気だったと、先輩同僚2人にも伝えます」

といって去っていった。

なんと、この数時間の間に、九州、四国、ご近所と、3人もの懐かしい人に再会したぞ。しかも期せずして、というのがおもしろい。あいかわらず引きが強いねえ。

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最弱は最強なり

7月2日(火)

毎週火曜日は1週間のうちでいちばん忙しい。今日もヘトヘトになって夜遅くに帰ってくると、封書が届いていた。僕が会員になっている「前の勤務地」の手作りの会誌である。

それは僕が「前の勤務地」で大変お世話になった人生の大先輩たちが、2カ月に1度、ワープロソフト「一太郎」を駆使してB4の紙を二つ折りにして作る4ページほどの短い会誌なのだが、毎回地元に関する記事を3ネタくらい、欠かさず載せていた。

僕はあるとき、その会誌の存在を教えていただいたのだが、そのときは秘密結社や地下組織の会誌といった趣だった。なぜなら会則もとくに定めず、会員が10人ほどしかいないと言われたからである。その10人の間だけで、これほど情報量の多いミニコミ誌を作っているのかと感動し、僕はさっそくその「秘密結社」に入会し、これまで4度ほどそこに文章を寄せた。

あるとき、その「秘密結社」から分厚い本が送られてきた。会誌のバックナンバーを合本にした立派な装幀のものだった。なるほど、ちりも積もれば山となる、継続は力なり、とにかく毎号毎号はささやかなミニコミ誌でも、まとまるとこれほどのインパクトのある本になるのかと、さらに感動した。

そしたらその合本が、地元の出版文化賞を受賞した。今日送られてきた最新号にはその授賞式と受賞記念の講演会の様子が紹介されていた。会員10名の秘密結社的な団体の会誌が、正当に評価されて日の目を見たのである。

受賞記念の講演会では、代表者がこれまでのバックナンバーの中から18篇のエピソードを紹介したそうで、その18篇のエピソードのタイトルが会誌に紹介されていたが、その中に僕の書いた文章が2篇ほど含まれていて、ちょっと誇らしかった。

たった10人のための会誌が出版文化賞を取ったことを、快挙と言わずして何と言おう。

「最弱」という言葉が好きだ。

以前、前の勤務地でボランティア活動をしていた頃、自分たちのことを「最弱のボランティア団体」という紹介の仕方をしていた。自虐的な意味ではなく、本当に、確固たる基盤を持たない団体だった。だがそのときも、地道な活動が認められ、ある役所から表彰状をもらった。別にほめられたくてやったわけではないけれど、「最弱の」団体でも正当な評価を得られるのだという体験は、少なくとも僕にとってはその後の生き方の指針となった。

「弱国史」を作りたい、とは、僕の知り合いの編集者の口癖だった。

教科書にも登場しない、だれからも忘れ去られてしまった国、そういう国のことを本にしたい、というのが長年の夢だったようだ。それは編集者自身が立ち上げた「最弱の出版社」だからこそできる本であるという確固たる自信にもとづいていた。

しかし志半ばで彼はこの世を去った。彼の手でその本を作る機会は永遠に失われた。

そしてその遺志を受け継いだ人たちが、近々その本を出すという。そこもまた「最弱の出版社」の人たちだ。

「最弱」とは、自虐でも卑下でもない。誇りなのだ。

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いつやるの?明日でしょ!

7月1日(月)

今日から7月か。もう年末もすぐそこだな。

午前中に職場で作業があるので朝早く家を出る。月曜の出勤時間は、運転をしながら、前日夜に放送されたinterFMの「barakan beat」をradikoで聴くことがすっかり習慣づいてしまった。というか、週の初めにピーター・バラカンさんの番組を聴かないと1週間が始まった気がしない。あいかわらず知らない曲ばかりがかかっているが、それだけに、たまに自分が知っている曲が流れてくると嬉しくなる。2時間という放送時間も、通勤時間と一緒なのでまるまる聴くことができる。

今日の午後に行われる打合せが中止になった。仮に予定通り行われていたとしたら、打合せの直前まで資料の読み込みをしてコメントを言わなければならないと覚悟していたのだが、午前の作業のあと、ぽっかりと時間が空いてしまった…と見せかけて、14時からオンライン研修会が入っていたことを思い出し、そっちの方に参加することにした。しかし先週末は会合に出席したり娘を遊びに連れていったりと、なかなか休む時間がなく、さすがに疲労してきた。本当ならばこういうときに、たまっている書類仕事とか原稿執筆をしておかないといけないのだが、そんな効率よく仕事を進めることはできない。午後になると、ピタッと身体が動かなくなり、何もやる気が起きなくなってしまった。オンライン研修会も途中で居眠りをしてしまい、内容がまったくわからなかった。

そのあとも身体を動かすのがしんどくなり、ひたすら椅子に座ってじっとしていることしかできなかった。ああ、こういう時間に書類作成を進めておけばあとあと楽なのに、と罪悪感を感じても、こんなに疲労している状態では神経を使う書類など作成できない。

夕方くらいに少し持ち直したが、仕事をしようとすると、ピタリと手が止まってしまう。その繰り返しだ。

がんばって居座ってみても、今日は無駄かもと思い直し、明日に仕切り直しだと気持ちを切り替えることにした。

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