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2024年8月

韓国5日目 ~「解憂所」とは?~

8月31日(土)

今日は団体踏査の最終日である。なんとか完走したい。

昨日の反省を込めて、朝食のバイキングは昨日の半分の量にした。今回は「勝ち」だ。

8時20分にフロントに集合し、8時30分にバスは出発した。

今日は、いずれも初めて訪れるところで、気持ちがはやるが、体力がついていけるか心配である。

よりによって、午前中の最大の懸案は登山である。

僕は事前に、「長期間の歩行は困難なので、登山がある場合は別行動をとります」と宣言していたのだが、

「ちょっと歩くだけだから大丈夫ですよ」

と言われ、結局一緒に登ることにした。

たしかに登山と言うほどの距離を登ったわけではないが、足もとが悪く、ちょっとした小石を踏みしめると足の裏に激痛が走る。健常者にとっては何でもないことであっても、そうでない人にとってはなかなかの冒険である。

「どうぞ先に行ってください」と僕はいちばん最後を歩くことにした。

「俺にかまわず先に行け!」というのが、死ぬまでに言いたいセリフの1つだったのだが、ここでそれに近いことを言ったのであった。

みんなとはひどく遅れて目的地に到着し、下山の時も、「俺にかまわず先に行け!」とばかりにそろ~りそろ~りと山道を降り、みんなを待たせることになってしまった。

昼食のあと、最後の目的地となったのは古刹だった。この古刹はとても広い。これをみんなと同じペースではとてもではないがついていけないな、と思い、

「自由行動にしましょう」

と提案して、その通りになった。

実際、自分のペースで見られるのでなかなか楽しい。

トイレに行きたいと思い、境内図をたよりにたどり着いたところに、

「解憂所」

という案内があった。仏教用語なのだろうか?なるほどトイレは「解憂所」である。言い得て妙だ。

集合時刻は午後3時30分。ひととおり見終わったあと、バスに乗り込み、本日の宿所にむかう。これで団体踏査のすべての予定が終了した。遅い足取りでみんなには迷惑をかけてしまったが、ここまで大事に至らなくてほんとうによかった。

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韓国4日目

8月30日(金)

宿泊したホテルは思いのほか快適だった。朝食のバイキングも充実していて、種類も多く目移りしてしまう。

TBSラジオの「東京ポッド許可局」では、「朝食バイキングの勝ち負け」について論じられることが多い。バイキングに勝ち負けがあるのか、と思われそうだが、バイキングで何を選ぶか、その選び方が成功すれば「勝ち」、その選び方を間違えれば「負け」という、自分の中でバイキングとどう向き合うかという内面の問題である。

たとえば、バイキングにカレーが出る場合がある。においに誘われてご飯を盛ってカレーをかけると、もうそれだけでお腹がいっぱいになってしまい、ほかのものがカレーのインパクトが強すぎて選べなくなってしまう。これを「負け」と言ったりする場合がある。あるいは、食べたいものを取り過ぎて、結果、お腹がいっぱいになって残してしまうというのも「負け」である。

バイキングには勝ち負けがつきもの。とくに種類が豊富であればあるほど、負ける確率が高い。自分のお腹の調子を勘案しながら選ぶのだが、つい若い頃のイメージでとりすぎてしまう。いまの僕はかつてとくらべて考えられないほど食欲が落ちたので、最終的にお皿に盛られた量を見て、後悔をしてしまう。しかし残してしまうのもアレなので、ひたすら義務的に食べきる。つまりこれは、明らかな「負け」である。このホテルにはもう1泊するので、明日の朝食バイキングは負けないようにしよう。

朝8時30分にホテルを出発して、最初の目的地に向かう。ここは韓国の隠れた景勝地で、2016年に1度訪れたことがあった。しかしこの場所を訪れるためには車が必須なので、2016年のときには韓国の知り合いの人が車で現地まで案内してくれたが、もうそんな機会は2度と訪れないだろう。

…と思っていたら、今回は12名のチーム行動で、貸し切りバスで移動するので、チームリーダーがぜひこの場所に行きたいと、再訪問と相成ったのである。

前日の夜にひどい雨が降ったので天候を心配したが、幸い台風も過ぎ去ったようで、雨は降らず、風が適度に吹き、日差しを遮る曇り空が心地よく感じられた。

午前中いっぱい、この場所に滞在して、昼食のあと、こんどは別の場所に移動する。最初は屋内施設だったので涼しい中で過ごすことができたのだが、午後になると日差しが照りつけるようになり、気温もぐんぐん上昇した。最初は屋内施設だったので涼しい中で過ごすことができたのだが、そのあと午後3時過ぎに訪れた場所は、日差しを遮る木陰が全くない広場だった。これは、立ってるだけで体力を奪われると思い、用意した日傘を差しながら、なんとか日差しが照りつけるのを防いだ。

そこで1時間ほど過ごし、あまりに暑くて全員が疲労したため、広場の隣にあるカフェに駆け込んだ。そこにかき氷があるというので注文したところ、「パッピンス」が出てきた。

「パッピンス」の「パッ」は小豆、「ピンス」は「氷水」という意味で、かき氷の上に小豆(つまりあんこ)が乗っている、韓国で一般的なかき氷である。僕はこのことをすっかり忘れていた。

出されたパッピンスを見ると、かき氷の上に山盛りの小豆が乗っかっている。あと、缶詰のみかんが少々と、ほかにも若干フルーツが載っていた。

小豆はかき氷の半分くらいを占める量で、とにかく甘い。こりゃあ、かえって喉が渇くなあと思いながら食べていると、別のかき氷を連想した。

それは、鹿児島県の「白くま」というアイスである。

パッピンスを食べている人の中に九州に縁がある人がいたので、「白くまを食べている気がしませんか?」と尋ねたら、

「たしかにそうですね。小豆といい、缶詰のみかんをはじめとするフルーツといい、練乳といい、白くまと同じですね」と同意してもらった。

なるほどこれは発見だ。韓国のパッピンスと鹿児島の白くまは、何らかの関係があるのではないかという仮説を妄想した。まあ、そんなことはとっくに言われていることかも知れないが。

そのあとバスに乗り込み、昨日から泊まっているホテルに着いた。このあと午後7時から夕食の場所に移動する。そのお店では、全員が決められた料理を食べるのだが、僕は食欲がない上に、先ほどのパッピンスでお腹がすいていないこともあり、残してしまった。夕食もまた「負け」である。

夕食はだらだらと続き、9時半にようやく解放された。そのあとほとんどの人が2次会に行ったが、僕は例によって丁重にお断りした。

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韓国3日目

8月29日(木)

朝、7時50分にホテルを出て、今日の目的地に向かう。

今日の目的地は、東大邱駅のパスターミナルから市外バスに乗って1時間ほどの古都の町なのだが、ホテルから東大邱駅まで、地下鉄に乗れば1本で行けるなあ、でも荷物をぜんぶ持ってチェックアウトしなければならないから荷物も重いしちょっと面倒だなあ、と思っていたら、友人が車で7時50分にホテルまで迎えに来てくれるという。車で東大邱駅まで送ってくれるというのだ。なんとありがたいことか。

その韓国人の友人は、15年前に僕が韓国に留学したときに大変お世話になった人で、彼自身、日本に留学していた経験があるので、日本語での意思疎通が問題なくできた。銀行口座を作ってくれたり、留学中に住むアパートを探してくれたり、何もできない僕の生活面をサポートしてくれた恩人である。そして15年後も変わらずサポートしてくれていて、本当に得がたい友人である。

8時30分出発のバスに余裕で間に合った。僕はその友人に感謝をして、再会を約束した。

バスは一路、古都の町に向かう。台風の影響からか、天気は不安定で、雨が降ったりやんだりをくり返す。古都の町に着いたときは、奇跡的に雨が止んでいた。

バスターミナルからタクシーに乗り、用務先に向かう。ここでも別の友人のサポートにより、わかりにくい場所にある用務先に無事に着いた。

そこで、先行するチームと合流した。いよいよ今日からが本番である。

午前中はずっと室内で用務を行い、昼食後は別の場所に行き、やはり室内で用務を行った。室内だから楽かと思いきや、ずっと立ちっぱなしの作業だったので、すっかり疲れてしまった。

午後3時半に室内での用務が終わったのだが、次に山の上の古刹に向かうという。チームは全部で12名の大所帯なので、貸し切りバスに乗って山の上の古刹に向かった。

以前にも行ったことのある古刹だったのでよく知っているのだが、境内が広いので、みんなと一緒に歩いて回れるかが心配だった。案の定、かなりみんなから後れをとって歩くことになってしまった。

這々の体でバスに戻ると、

「まだ時間に余裕がありますので、さらに山の上の窟を見に行きます」

えええぇぇぇ!!まだ行くの~?その窟も以前に行ったことのある場所だ。

僕はさすがに足がいうことを聞かなくなったので、

「すみません。みなさんが見学している間、ふもとで休憩しています」

と、窟に行くのを諦めた。

以前だったら無理をしてでも行ったのだろうが、翌日以降もこんな感じで移動が続くので、体力を温存しておかなければならないのだ。

1時間近くたって、みんなが窟から戻ってきた。

「どうです?素晴らしかったでしょう」

と、初めてこの窟を訪れたチームの1人に聞くと、

「ええ、素晴らしかったです。でもあんなに歩かされるとは思いませんでした」

それを聞いて、窟に行かなくてよかったと心底から思った。

その後貸し切りバスは、1時間ほどかけて、本日の宿所に到着した。初めて泊まる町である。休む余裕もなく夕食のお店に行き、夜9時頃にようやく解放された。

「2次会に行きましょう」

と誘われたが、丁重にお断りした。

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韓国2日目

8月28日(水)

朝、ホテルを出て、そこから徒歩15分ほどの古い建物のある場所に向かう。

何度も大邱に来ているが、この場所を訪れるのは初めてである。

日本語の解説はなかったが、なかなか興味深い施設で、今まで漠然と見過ごしていた大邱のことがよくわかった。

そこから北に進み、もうひとつの施設を訪れたが、友人との約束の時間が迫っている。

午後の予定はなかなか大変で、13時30分から15時30分まで、本社の会議がある。僕はとくに発言はしないのだが、職場を代表して僕が参加することになっているので欠席するわけにはいかない。

そこで、大邱の友人の職場の一室をお借りして、オンライン会議に出席することにしたのである。韓国に来てまで俺は何をやっているんだ?

友人から連絡が来た。

「当初の予定ではこちらにいらっしゃるということでしたが、わざわざ来ていただくのも大変なので、車でホテルまで迎えに行きます。そのまま近くで昼食をとってホテルに戻り、ホテルの部屋で会議に参加したらどうでしょうか」

なるほど、それは妙案である。なにより友人の職場を間借りするよりホテルの部屋のほうが気楽である。先方にしても、職場の一室を貸すことは迷惑なことである。ということで、その提案に乗ることにした。

歩いてホテルに戻り、11時半に迎えに来てもらって、車で昼食の場所に移動する。

「韓国でいちばん美味しいコングクスのお店です」

と友人はいうが、本当だろうか。

実際に行ってみると、たしかに美味しかった。

食べ終わってすぐに車に乗り込み、ホテルまで送ってもらう。

13時30分から15時30分まで、2時間きっかり会議が行われた。定足数を満たすためだけに出席する会議。繰り返すが、韓国まで来て俺は何をやっているのか?

15時30分に再び友人2人がホテルに迎えに来た。こんどは、ホテルから車で1時間ほどかかる場所に行くことになったのである。これは僕が希望したことで、一人では絶対に行けない場所なので、友人の車を頼って一緒に行ってもらうことにしたのである。

場所は山間の谷筋。果樹園畑が広がっているだけの場所なので、知らない人が見たら何でこんな場所に行くのかと不思議に思うかも知れないが、とにかく僕はこの景色をいちど見てみたかったのである。

1時間ほどこのあたりをうろうろして、こんどは夕食の場所に向かう。

「韓国でいちばん美味しいコムタンのお店です」

と友人はいうが、本当だろうか。

実際に行ってみると、たしかに美味しかった。最近食が細くなってしまった僕にも、食欲をそそる味だった。

「さあ、戻りましょう」

食べ終わってすぐに車に乗り込む。こんどは午後7時に別の友人と待ち合わせをしてコーヒーを飲む約束をしているのだ。

6時10分にお店を出て、50分ほどでホテルに着いた。ちょうど7時である。ここでこんどは別の友人2人と合流する。

最初の友人2人は、日本語で会話ができたのだが、次の友人2人とは韓国語で会話しなければならない。これがなかなかのプレッシャーだ。しかも2人のうちの1人は早口と来ている。

しかしその心配は杞憂に終わった。

「少しお散歩をしながら雰囲気のよいカフェに行きましょう。大丈夫ですか?」

「ええ、大丈夫です」

カフェに行く道すがら、韓国語で会話をするうちに、耳が慣れてきた。何より早口の友人はとてもわかりやすい韓国語で話してくれたので、こちらも聞き取りができ、こちらの話す韓国語が片言でも、その内容を正しく汲んでくれるので、奇跡的に会話が成立した。

もちろんこっちが誤解して答えていることも多かったのだが、2時間近くの会話は破綻することがなかった。

明日からが用務の本番なのだが、僕はもうこの1日だけで満足である。

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無事韓国到着

8月27日(火)

なんとか無事に韓国の大邱に到着した。

ここにたどり着くまでは、本当に忙しかった。

日曜日に都内の会合で1時間半ほどプレゼンをしたあと、自宅に帰ったのが夜8時過ぎ。このときは本当に疲れて動けなくなった。

月曜日は職場で午前10時から2時間を越える打合せがあり、午後は2時半から僕が司会進行しなければならない会合がやはり2時間ほどあり、それが終わって急いで家に帰る。

そこから荷造りをはじめたのだが、もうこの時点で心が折れそうになり、行くのをやめようかと何度も思ったが、まあ仕方がない。

そして今朝、小1の娘が「学校に行きたくない。休みたい」と泣き出したので、僕が娘の手を引いて学校まで連れていった。そこから自宅へ戻り、荷物を持って自宅を出て、バスと電車を乗り継いで、成田空港に向かった。

かなり余裕をもって空港に着いたのだが、乗る飛行機が99番搭乗口といういちばん遠い搭乗口で、そこまで歩くのにも一苦労である。結果、ほどほどの時間に搭乗口について、飛行機に乗り、空港からタクシーでホテルに着いたという次第。

副作用は、あまり酷くなっていない。昨日くらいまでは胃がずっと鉛のように重たい感じがして、それだけで気分が落ち込んだが、今日は鉛のように重たい感覚がかなり薄らいでいた。それだけでもずいぶんと楽である。ただ、めまいが相変わらず治らない。

さて、明日の予定はどうなるのか、まだ決まっていない。

 

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都内会合で疲労

8月25日(日)

都内で開かれる会合で、1時間半ほどプレゼンすることになっていた。

事前に配付資料とパワポを作り、間に合わないかと思っていたが、なんとか間に合った。しかし作ったっきりで、ネタをさらう暇もなく本番を迎えた。

相変わらず副作用の倦怠感に悩まされていたので、1時間半も喋れるか不安だったが、自分の話はとりとめのない漫談だと言い聞かせ、なんとか1時間半をのらりくらりと交わすことができた。

会合が終わってから、参加していた職場の同僚に、

「今日の鬼瓦さんのお話、うちの職場で小さなイベントができますよ」

「イベントですか?」

昨年の春に大がかりなイベントを担当して燃え尽きてしまったので、小さなイベントだとしても気力が残っているかわからない。それでも、悪くない企画だとつい思ってしまうのが職業病である。そもそも今日話したネタは、ひょっとしたらイベントができそうなネタだと無意識下で考えていたのかも知れない。

長い会合が終わり、途中東京駅で、明後日からの韓国出張のお土産をあらかじめ買っていくつもりだったが、あまりに疲れてしまい買うのを諦め、当日の空港で買うことにした。

帰ってからあまりに疲れてしまいしばらく横になった。

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気が抜ける

8月22日(木)

日曜日に都内で行われる会合で、1時間ほどプレゼンをしなければならない。プレゼンにあたっては、事前に配付資料を作成し、それと同時にパワポの資料を作成しなければならない。今回のプレゼンは、ほとんどの人が知らないマニアックで複雑な内容なので、できるだけわかりやすく作らなければならない。

お盆休み前までは、何も準備しておらず、「お盆休みに入ってから少しずつ準備をしよう」と思っていたのだが、お盆休みに入った途端、ほら、ご承知のように廃人同様の生活になってしまったため、何も手をつけることができない。

それでも、お盆休みの後半くらいから少しずつ資料を作り始め、体調が悪いからちょっと作っては休み、ちょっと作っては休みしながら、昨晩遅く、ようやく事前配付資料と当日投影するパワポのスライドが完成した。事前配付資料はA4で本文12頁の分量となり、パワポのスライドも35枚ほどになった。内容はないが、なかなかの力作である。これで、1時間は持つだろう。いや、喋りすぎたら1時間半くらいいけるかもしれない。しかし、ひたすら自分の話したいことばかり書いたので、ギャラリーはポカーンだろうな。

事前配付資料を先方に送ったら、こんどは今月末に絶対締切の原稿に取りかかろうかと思ったのだが、すっかり気が抜けてしまい、やる気がなくなった。さてどうしたものか。

 

 

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ゲリラ豪雨と学童

8月21日(水)

学童保育のルールとして、

「雷がゴロゴロと鳴り始めたら保護者が学童まで迎えに行く」

ということになっている。そのルールを少し前に知ったのだが、そのときは学童から電話をもらい、慌てて迎えに行くことになった。

そのときは、雷がゴロゴロ鳴り出した程度だったのだが、それよりもショックだったのは、お迎えに行って、娘が学童保育所を出た時間が、18:00を過ぎていたということだった。契約している退所時間が18時なのだが、その時間を1分でも過ぎて退所すると、追加料金を取られてしまうのだ。この日の娘の退所時間は、18時2分。つまりたった2分、退所が遅れただけで、追加料金の200円が徴収されてしまったのである。

それからというもの、雷がゴロゴロと鳴り出してからは、18時前に退所できるように自宅を出てお迎えに行くことにした。

さて、この日も夕方からゴロゴロと鳴り出したので、

(こりゃあお迎えに行かなきゃな)

と思っているうちに、あれよあれよと大雨が降ってきた。いわゆるゲリラ豪雨である。

学童保育までは通常だとゆっくり歩いて7~8分のところなのだが、これじゃあ歩けないよ!というレベルの豪雨である。

それでも、こうもり傘と、娘の長靴を持って、17時30分過ぎに自宅を出た。もちろん自分も長靴である。

滝のように落ちる雨の中をひたすら歩いて、学童保育所に着いた頃には、大きなこうもり傘を指していたにもかかわらず全身ずぶ濡れになった。長靴を履いてきて大正解である。というか、こんなときに長靴以外の短靴で歩くのはあり得ない。

学童保育所の玄関で、娘に長靴を履き替えさせた。ほかの保護者を見ると、長靴を持ってきていない人もいて、大丈夫かよ!と心配になる。

娘が「長靴か~。歩きにくいんだよね」と言うものだから、「そんなこと言ってる場合か!外を見ろ!」と叱った。

学童保育所を出て、ふだんなら7~8分で戻れるところを、今回ばかりな長く感じる。道路は川のようになり、長靴を履いているとはいえ歩くのが躊躇されるくらいの水量だった。

やっとの思いで自宅に戻り、すぐにシャワーを浴び、ずぶ濡れになった服を着替えたことはいうまでもない。

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献本

8月20日(火)

ええ、相変わらず薬の副作用に苦しんでますよ。それが何か?

先週は1週間休暇を取り、昨日の月曜日は公休日だったので(オンライン会議はあったが)、今日はお盆休み明け最初の出勤日である。

午前中に、短い時間だったがオンライン打合せがあり、それがわりと組織の偉い人と1対1の打合せだったので、どのように交渉を進めるか、僕なりに気苦労した。相手に言質を取られてしまってはこっちの組織に不利益なことになるし、お互い腹の探り合いといった感じの打合せになった。時間じたいは短かったが、初めての相手だったこともあり思いのほか疲労した。

職場に本が届いていた。今年の1月に書いた短い原稿が載った本である。一般向けと銘打っているが、内容を読むと執筆者全員の原稿がやたらと難しい。いちおう「です」「ます」体になっているのだが、「です」「ます」の上に来る文章がそもそも難しいので、「です」「ます」と書いたところで平易な文章になるわけではない。

そんな中にあって僕の文章は、自分で言うのもヘンなハナシなのだが、わりとわかりやすく書いたつもりで、文章構成も工夫を凝らしたので、近年にない自信作に仕上がった(と思う)。刊行前からその自覚があったので、同業者以外でお世話になっている知り合いに献本することにした。

自分の単著についてはもちろん献本というのが欠かせないのだが、たんに短い文章を載せただけの本というのは、いままであまり献本したことがない。新書ならまだしも、1冊あたりの単価の高い単行本であればなおさらである。たった十数ページだけ書いた文章が載った、その他大勢の一人にすぎない僕が、まるまる1冊を知り合いに献本するなどというのは、どう考えてもコスパが悪い。しかしまあ、同業者以外の知り合いだったら俺の文章のことはわかってくれるに違いないと思い、送ることにしたのである。

吟味したつもりでも、献本先は10名ちょっとになった。もちろん住所のわかる人たちばかりである。

で、今日、職場に著者献呈本が届いた。同時に、出版社からの封書も届いた。

その封書には、請求書が入っていて、僕が献本した10冊ちょっとの八掛けの値段が書かれた郵便振替用紙が入っていた。

金額を見て、

「……」

後先考えずに献本リストをつくってしまったことを反省した。

この本は原稿料がないので、完全な赤字である。

まあでも、何がきっかけでどう転ぶかわからないから、投資と考えよう。

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次々と副作用が襲ってくる

8月18日(日)

以前ほど倦怠感はなくなったが、オモテを歩いていると、酔っ払いの千鳥足のように足もとがふらついたり、速く歩こうと思ってもめまいがしてフラフラとなったり、足が前に出なかったりと、なかなかたいへんだ。もっとも、最近寝てばかりいたので筋力がそうとう落ちていることも理由かも知れない。

昨日は、全身が痒くなった。薬のガイドブックには皮膚に痒みを生ずるという副作用の人もいる、と書いてあるので、これも間違いなく副作用であろう。あまりに痒いので、お腹とか背中とかをバンバン搔いていたら、搔いた部分が真っ赤になっていた。お腹が真っ赤になっているのを娘が見てびっくりして、

「搔くのをやめなさい」

と窘められた。

さて、今朝、起きてみると喉に違和感がある。お水を飲んだりすると喉が痛い。

「風邪か?あるいはひょっとして…」

と思ったが、ハッと気づいた。いよいよ来たか、と。

副作用の口内炎だ!

この薬の副作用で比較的強調されていたのは、「口内炎ができやすい」ということだった。多くの人が経験しているらしい。薬を飲み始めて数日間は口内炎の症状がなく、なあんだと安心していたら、ついに口内炎がやってきた!

こうなると、食べるときが辛い。

ただでさえ、薬を変えてから、食欲がなくなり、ご飯茶碗1杯のご飯ですら食べきれずに残したりしている。

次はどんな副作用が襲ってくるのか、逆に楽しみになってきた。

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倦怠感2

8月14日(水)

昨日、170キロを車で走って帰宅したが、あまりの倦怠感にすぐに眠ってしまった。

今日は、車で120キロ東に向かった町まで行き、こんどは母方の親戚の集まりに参加しなければならない。

数年前から、8月14日(水)のお盆の日には、母の妹、すなわち叔母の家で親戚が集まることが慣習化していて、今年も「マメなおじさん」からカラフルなチラシが届いた。今年は、集まってくる子どもたちを対象に、「金魚すくい」と「ビンゴ大会」をするという。8月14日にかける情熱は並々ならぬものがある。そこまで計画されてしまうと、参加しないわけにはいかない。

ミッションは大きく3つである。

1つは、叔母の家に行く前に、祖母のお墓参りを済ませること。

もう1つは、叔母の家にある2つの仏壇に、それぞれ菓子折をお供えすること。

母と叔母の3人から、娘に「お盆玉」をもらうことになっているので、それを受けとること。

つまり絶対に現地参加しなければいけないのである。

朝9時半に自宅を出て、ひたすら東に向かう。途中から圏央道に入り、祖母のお墓のある町で降りて、10分ほどでお墓に着いた。

車を降りると、びっくりするくらいの猛烈な暑さである。墓地なので、日陰もなく、とりあえず線香だけあげて急いで車に戻った。

そこからふたたび車で叔母の家に向かう。叔母の家のある町は、古い町並みや水郷で有名な町なのだが、叔母の家はそこからさらに山の奥の方に向かい、ポツンと一軒家みたいなところにある。古い町並みや水郷の風情は微塵も感じられない場所だ。

お昼過ぎに着いたが、この時点で僕は倦怠感に苛まれ、一刻も早く休みたかった。しかしさっそくみんなで昼食をとることになり、例年通り、これでもかという量のごちそうが並んだ。

以前の僕だったらがっついて食べたのだが、今日はほとんど箸を付けることができない。

明らかに具合の悪そうな僕を見た叔母が、

「どうしたの?熱中症?」

と聞いてきたので、かくかくしかじかと理由を説明した。

そういえば、「マメなおじさん」がいない。

「どうしたの?」

と聞くと、

「3日前に新型コロナウイルスに感染しちゃってね。この日をいちばん楽しみにしていた人なのに、いまは2階で隔離生活をしているのよ」

なんと!主催者がコロナに感染したとは、なんともタイミングが悪い。

「疲れているんだったら、ソファーに横になっていなさい」

と言われ、横になったら、2時間くらい眠ってしまい、気がついたら金魚すくいもビンゴ大会も終わっていた。娘はビンゴ大会でたくさんの景品をもらったらしい。

午後4時になったので、

「さ、そろそろ帰りましょう」

と解散となったのだが、

「なんか、昼寝をしに来たみたいですみません」

と言うと、

「何言ってるの。来てくれただけでありがたいわよ」

玄関を出て、2階の方を見上げると、2階のベランダに「マメなおじさん」が立っていて、手を振っていた。

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倦怠感

8月10日(土)~13日(火)

毎年、5月の大型連休と8月のお盆休みの時期には、妻の家族と高原で過ごすことがしきたりになっている。

場所はどこかというと、漫画家の伊藤理佐先生の実家のある村である。

妻や娘は先週の木曜日から現地入りしていたのだが、僕は金曜日にまる一日仕事が入っていたので、それが終わって土曜日から出発する予定だったのだが、数日前から薬を変えたことにより、その薬の24日分の在庫が調剤薬局にはなく、取り寄せて郵送しますということだったので、その薬を自宅で受けとってから出発することにした。薬は土曜日の午後に届いたが、とりあえず在庫があった4日分の薬(4錠)を飲み始めると、酷い倦怠感に襲われた。薬を変えた当初は、副作用に悩まされるケースがあると聞かされていたので、おそらく薬の副作用によるものであろう。とにかく起き上がるのが辛い。片道170キロの道を、しかもお盆休みで混雑している高速道路を走らなければならないのだから、思った以上に疲労する。

翌8月11日(日)になってなんとか少し回復したので、車に乗って高原へ向かった。結局、今年は8月13日(火)までの2泊3日の滞在ということになり、滞在中はずっと倦怠感に苛まれて、高原を満喫することなどできなかった。

明日は、高原とは正反対の方向の高速道路に乗り、私の母方の親戚の集まりに参加しなければならない。毎年8月14日は、母方の親戚に顔を見せに行かないといけなくて、これもまた疲れる。

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来客対応

8月9日(金)

朝4時半に起きた。

先日の火曜日に父方の伯母が93歳の大往生を遂げ、今日の午前9時から告別式があるという。家族葬ということで僕は参列しないのだが、僕の母が参列することになっていた。母の実家から斎場まではけっこう遠くて、電車やバスを乗り継いで行けないこともないのだが、この暑さで放っておくわけにはいかない。ということで、早朝に母の実家まで車で迎えに行き、斎場まで乗せていくことにした。幸いというべきか、斎場の場所は僕が職場に行く途中のところにあるので、斎場のところで母を降ろしてすぐに職場に向かえば、10時前に職場に着くことができる。

朝6時。自宅から実家に着いた僕は、母を乗せ、隣県の斎場へと向かう。早朝だったので車の流れはほぼ順調で、8時前には斎場についた。ただし告別式は9時からなので、当然斎場には伯母の家族もまだ来ていない。

一人だけ男性がいたので、

「○○家の斎場はここですか?}

と聞いたところ、

「はい、私は葬儀屋の者です。まだどなたもお見えになっていませんが、中にご案内いたします」

いかにも葬儀屋さんらしい丁寧な口調だった。母と僕は斎場へと入った。

「どうぞご対面ください」

と促され、お線香を上げたあと、母と僕は棺の中の伯母と対面した。告別式には参列できないが、伯母とは最後のお別れができた。

斎場に母を残し、僕は急いで職場に向かった。

今日の本題はここからである。

そもそもの発端はこうだ。

今年の春頃、うちの社長のもとに、ある民間の大企業の社長から電話があった。うちの社長とその大企業の社長は、ある人の紹介ですでに面識があるのだという。

大企業の社長曰く、今年度、社内で、半分仕事で半分趣味のような「部活」を立ち上げました、この部活の活動についていちどご相談にあがりたい、と。

で、うちの社長が、その部活の活動内容であれば、鬼瓦が相談相手になるのがよかろうと判断し、僕のところに話が来た。

「悪いが先方の相談相手になってほしい」

僕は状況が飲み込めず面食らったが、断るわけにもいかず、巻き込まれることになった。相談、って、いったいどんな相談なんだ?

そして今日。

10時半過ぎに社長ご一行がお見えになり、うちの職場の社長室で対応することになった。

「ご一行」といったのは、社長だけでなく3名の部下も同行していたからである。どうも社長の趣味ではじめた部活に入部させられたらしい。先方の社長も、部下を巻き込むタイプの人のようだ。

名刺を交換し、社長の趣味活動につきあわされてたいへんですね、という意味で、

「お三人は大丈夫ですか?」

と冗談交じりで問いかけると、ニコニコしてうなずいていた。

当日の予定は以下のようになった。

まず社長室でうちの社長をまじえて、先方が40分ほど今回の訪問の趣旨を説明する。その後、14時半まで職場を見学してもらい、14時半からは、先方の本来の目的である「相談」に乗ることになった。そして17時過ぎから、近くのお店で懇親会をする。…と、こんな段取りである。

うちの社長は日中に所用があるとかで、「鬼瓦君、後はよろしく頼む」と任されてしまった。職場見学はご一行に自由にしていただくとして、14時半からの「相談」には僕1人が対応しなければならない。

14時半まで少し時間があったので、仕事部屋に戻って仕事をしていたら、あっという間に14時半になってしまった。結局仕事はいくらもできなかった。

急いで応接室に向かい、職場見学から戻ってきたご一行を迎え入れた。

「相談」の時間には、先方の社長を中心に、矢継ぎ早に質問が投げかけられ、僕はその質問に対してひたすら打ち返す、という形で、あっという間に2時間半が経過した。時計を見るとちょうど17時だった。

そこから休む間もなく、職場を出て懇親会場に向かう。うちの社長も遅れて合流した。先方4名、こちら側4名の8名である。

ここの読者はおわかりの通り、僕は懇親会が大の苦手で、これまでもピクニックフェイスを維持することでなんとか乗り切ってきた。僕以外はみなさんお酒を飲み、気分よく話をしている。とくに隣に座っているうちの社長は、先方の社長やその部下たちと意気投合し、生き生きと会話をくり広げた。僕はその隣で、あまり出しゃばるのも失礼だと思い、ピクニックフェイスでそのお話を聞いていた。ときには「昭和」を思わせる話題もあり、こりゃあリアルな「不適切にもほどがある」を見ているみたいだなと、タイムスリップした感覚にも陥った。

2時間の予定が、会が盛り上がって4時間近くに及んだ。さあお会計という段になって、先方の社長が、

「今回だけは(割り勘ではなく)うちで持たせてください。鬼瓦さんから2時間半のお話をいただいたので、その授業料です」

と言って、支払いは先方持ちとなった。

夜遅く帰宅すると、先方の社長から僕宛にメールが届いていた。しこたま飲んだあと、帰宅されてすぐにメールをくれたようだ。

「ゲリラ豪雨のような訪問者4名に対し、慈悲を以て3時間近くお付き合い下さりました事、心より御礼申し上げます。おかげさまで相当程度、頭の整理が進みました。メールで失礼ながら心より御礼申し上げます」

と書いてあった。

さあ、明日からお盆休みである。

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苦渋の判断

8月8日(木)

朝から車で1時間半ほどかけてかかりつけの総合病院に行く。

検査の結果、懸念材料が1つ見つかった。正確にいえば、前回の検査から懸念があり、しばらく様子を見ましょうということだったが、懸念は払拭されていなかった。

「まことに悩ましい判断ですが…」

と主治医が言う。

「薬を変えましょう」

僕は基本的に主治医のいうことを聞くことにしているので、その判断に従わざるを得ないのだが、

「でも先生、いまの薬によって抑えられているところもあるでしょう。ほかの先生からはいまの薬を続けてほしいとも言われています」

と言うと、主治医の先生は頭を抱えた。しかしとりあえず懸念材料をいまのうちに払拭する努力をすることの方を優先して、薬を変えることになった。薬を変えたところで、その薬が効果を発揮するのかどうか、実はわからないのだが、こればかりは試してみないとわからない。くよくよ考えても仕方がないので主治医の先生の判断を尊重することにした。

薬の飲み方は、「朝食後2時間」ではなく、「夕食後2時間」、すなわち就寝前に服用するという形に変わった。いよいよ薬マネージャーが必要だな。

結局15時頃までかかり、それから出勤したら夕方の17時になってしまった。退勤時間だよ!

それでもこんどは仕事上の懸念材料をひとつひとつ片づけて、気が重い案件もほんの少しだけ前進したので、お盆休み前としては上出来である。

いつになったら原稿に取りかかれるのか。

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灼熱のオーバーツーリズム

8月6日(火)

前日の5日、午前中に職場でちょっとした作業と重たい打合せがあり、午後は職場を出て東京駅に向かい、新幹線に乗って西に向かう。明日の朝から用務先で作業があるためである。

ふだん通勤に車を使っているせいか、電車通勤だとこまごまとした移動が多く、汗は噴き出るし足は痛い。とくに職場を出て東京駅に向かうまで、思いのほか屋外での歩きの移動があるので汗だくである。それでもなんとかその日の夕方に用務地のホテルに到着した。

翌朝、ホテルを出るとすでに暑い。ホテルの目の前のバス停からバスに乗り、5分ほどで用務先の最寄りのバス停に着いたのだが、そこからまた5~6分炎天下の中を歩いて用務先に着いた頃には、汗だくになっていた。毎年この時期に通っているが、午前9時前だというのにこれほどと暑い年があっただろうか。

用務先の作業では汗は禁物なのだが、幸いなことに作業開始までには若干の時間的猶予があり、その間にクールダウンとなった。しかし作業が開始されると、白衣を着てマスクをしなければならないので、ふたたび汗が噴き出した。まったく、作業をしに来ているのか汗を拭きに来ているのかよくわからない。

それでも作業は順調に進み、思いのほか早く終了した。せっかくなので僕は用務先の近くにある大きな施設で行われるイベントを見に行くことにした。この暑さだったら、ふだんの僕だったら絶対に寄り道はしたくないのだが、そのイベントでは、僕が昨年手がけたイベントでお借りした作品にふたたび会えるというので、ぜひとも再会したいと思ったのである。

用務先を出て、炎天下の中を歩く。心が折れそうなくらいの暑さだ。有名な観光地だけあって、外国人観光客が目立つ。この国ではあまりの暑さなので不要不急の外出を控えるように言われているから、国内の観光客はむしろ外出を控えているのかもしれない。それゆえに、外国人観光客の率が相対的に高まっているのではないだろうか。イベント会場までの道中は石畳が多く、両足の裏が痛い僕にはなかなかこたえた。

イベント会場に着いて中に入ると、やはり外国人観光客が多い。会場では2種類のイベントを開催していて、子どもはもちろん、外国人観光客も楽しめる内容になっている。夏休みの子どもたちと外国人観光客の多さを見越した企画はさすがだと思った。

僕はといえば、会いたかった作品と再会し、子ども向けのイベントも十分に楽しんで、施設を出た。出た途端、再びの灼熱地獄である。近くにある最寄りのバス停まで歩くだけでも心が折れそうだ。

バス停に着くと外国人観光客が列をなして並んでいた。やはり9割方がそうだ。ほどなくしてバスが来て、あっという間にバスは一杯になり、駅に向かって動き出した。

外国人観光客もこの暑さを予想していただろうか。帰国したあと、

「日本は暑くてまいったね。やはりうちがいちばんいいよ」

とかなんとか言ってたりして。

東京に戻った頃には両足の裏が痛すぎて前に進めないほどだった。

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プロローグとエピローグ

本を読むと、「はじめに」とか「おわりに」というのがあるでしょう。本当のことを言うと僕はそれを書くのが苦手である。

だいたい言いたいことは本文で言い尽くしているのに、このうえなぜ「はじめに」とか「おわりに」がいるのか?

よくテレビで、インタビュアーが芸能人に向けて、

「最後にテレビをご覧のみなさんにメッセージをお願いします」

って言ったりするでしょう?いやいや、メッセージならインタビューの中でさんざん聞いたぞ!このうえどんなメッセージが必要なんだ?と思ったりしてしまう。あれと同じ。

しかしながら「はじめに」と「おわりに」は様式美みたいなもので、なければないでキモチワルイと思うのかもしれない。

昨年の春、僕が手がけたイベントは、本ではないのだが、「第1章」とか「第2章」といったように、本のような構成をとることが慣習になっているイベントだった。なのでそのイベントでも「プロローグ」と「エピローグ」を付けることがなんとなく決まり事のようになっていた。「プロローグ」と「エピローグ」を付けた方が、なんとなくおさまりがよいからである。

しかし僕は、「プロローグ」と「エピローグ」に書く内容がどうしても思い浮かばず、僕が手がけたイベントに関しては「プロローグ」と「エピローグ」を付けるのをやめた。つまり、「はじめに」と「おわりに」のない本を作るつもりで、そのイベントを仕上げたのである。

しかしそのことで、「どうしてプロローグがないんだ?!」とか、「エピローグがないとイベントが締まらないじゃないか!」といった批判や苦情は、1件もなかった。つまり、それらがなくったって、イベントは十分に成立するのである。むしろ「プロローグ」と「エピローグ」を気にしているお客さんは、実はあまりいないんじゃないか、という気がしてきた。

要は付けたかったら付ければいいし、付けたくなかったら付けなくてもいい、形式にしばられることはない、ということを言いたかっただけである。

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1対1の講義

8月2日(金)

車通勤ではなく電車通勤にしたのは、夕方から暑気払いがあるためである。といっても暑気払いでお酒を飲むから、というわけではなく、暑気払いを行うお店が、職場から特急電車で30分ほどの比較的大きな町の駅にあるからである。私鉄とJRの乗換が便利な交通の要衝なので、駅前はちょっとした繁華街となっている。その駅の近くに車を停めるというのは至難の業なので、泣く泣く電車通勤にしたのである。

その暑気払いはあるチームによるものなのだが、僕は形ばかりそのチームに参加していたので、それほどふだんから馴染みがあるわけではない。それに僕はそもそも大勢で宴会をする場にいることがとても苦手なのだ。

にもかかわらずその暑気払いに呼ばれて参加することにしたのは、僕が「お財布」としての役割を期待されていたからである。そのチームは、若い人やアルバイトの人が多かったので、その労をねぎらうために、年長者が多めに支払うことは暗黙の了解事項だった。ここで僕が、

「疲れているので参加できません」

とか、

「大勢で飲むのが苦手なので参加できません」

と言ってしまうと、

「なんだ、あいつ、ケチってるな」

と言われかねない、という被害妄想に囚われるので、「俺は財布だ」と割り切って参加することにしたのである。

…まあ、そんなことはどうでもいい。

今日は午後から職場で講義があった。3日間、集中講義があるのだが、6人が分担して2時間ずつの講義を受け持つ。僕は最終日の午後、つまり6人目の講師というわけである。

受講生はというと、他県からわざわざ新幹線でやってきた、大学を卒業したばかりの若者が1人。つまりたった1人に対して、6名がよってたかって講義をするというわけだ。同じ講義が2年前にも行われたが、そのときは7~8名はいたと記憶する。今年度はなぜか1人なのだが、受講生が1人でもいる限りは開講しなければならない。

午後の2時間を使ってお話をすることが僕の使命だったのだけれど、聴いている若者が、畑違いの分野であるにもかかわらず思いのほか熱心で、途中で適宜質問をしてくれたりするので、こっちもつい熱が入ってしまう。あっという間に2時間が経ってしまったが、予定していた内容が全然終わらない。

「ああ、もう時間になってしまいましたね」

というとその若者は、

「この講義のあとは何もありませんし、延長していただいても大丈夫です」

と言ってくれた。

じゃあ、っていうんで、そのあと、当初から予定していたプログラムを予定通り進めたところ、1時間延長して、結局3時間も休みなしで講義をしてしまった。若者も飽きることなく聴いてくれた、と思う。というか、準備した内容が2時間で終わると思っていたわけ~?最初から話すことを絞れよ!というハナシでR。

しかし3時間も講義するとさすがにヘトヘトで、そのあとは何もする気が起こらず、約束の時間に間に合うように暑気払いの会場に向かった。

同じ3時間でも、会議だとストレスがたまる一方だが、講義だとむしろストレスが発散される気がする。

今週はストレスがたまることばかりだったが、1週間の締めとしては満足のいくものだった。

本当は明日からの土日も仕事の予定が入っているのだが、子守を理由に休ませてもらうことにした(これは本当)。そうしないと来週を乗り越えられない。

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お盆

8月1日(木)

夕方、車の修理のためにディーラーへ向かおうと自宅を出ると、提灯を持っている人が歩いていた。

そこで初めて気づいた。今日はお盆だ、と。

私のマンションのすぐ横には墓地があり、お墓参りする人たちをよく見かけるのだが、今日は提灯を持った人がお墓参りをしていたことで思い出した。

実家の母に電話をすると、

「昨日はお墓参りにも行ったし、迎え火もしたから大丈夫だよ」

という。

ふつう、お盆といえば、8月13日~16日。お盆が7月の地域でも、7月13日~16日と決まっているのだが、私の実家のある地域は、7月31日がお盆の迎え火の日である。しかも不思議なことに、いま私が住んでいる町も、お盆が同じ日なのである。それで実家のお盆のことを思い出したのである。

ちょっと最近、仕事で重い案件をいくつか抱えていて、精神的に辛い状況なこともあり、実家の仏壇を拝みに行くことにした。

仏壇にはきゅうりとなすを馬に見立てた飾りが並べてあった。以前はけっこう派手に飾り付けをしていたが、今はいたって簡素である。

「昨日は迎え火がたいへんでね。いつも玄関を出たところで迎え火をするんだけど、突然大雨が降ったんで、玄関入ったところで形ばかりの迎え火をしたのよ」

たしかに昨日の夕方の雨は酷かった。

線香をあげ、仏壇の父の写真に手を合わせたあと、すぐに実家をあとにした。母は知り合いからもらったという桃を3つ持たせてくれた。

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