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2024年9月

取材というより雑談

9月30日(月)

今日もなかなか忙しい。

午前は、来週から始まる大規模イベントの作業があった。昨年春のことを思い出し、久しぶりにこの種のイベントに関わることができた喜びを噛みしめた。

昼食休憩後、13時から僕が司会の会議があったが、30分で終わった。引き続きイベントの作業場へ向かったが、14時30分から取材対応があるので、滞在時間は1時間ほどしかない。そういうときに限って、作業のための下準備があまり進まず、したがってこちらが作業できる時間がとれなくて、時間になったので泣く泣く作業場を後にした。

取材に来られた記者の方は、全国紙の某地域の中核都市の支局の方で、もちろん初対面である。会うなりよく喋る明るい人で、ぼる塾の田辺さんを連想した。

取材内容は、4年ほど前の職場のイベントに関することだった。なんでも最近その県である問題が持ち上がり、それが4年前のイベントとかかわる問題で、その問題をどう考えたらよいか、そのときの担当者にお話を聞きたいとのことだった。僕はそのイベントの末席に連なっていただけなのだが、いまではそのイベントについて語れる者がほかにおらず、荷が重いと思ったが仕方なく取材の依頼を受けることにしたのである。

事前の準備をまったくしていなかったが、喋っているうちにだんだん興が乗ってきて、気がついたら2時間半も喋っていた。取材というより雑談である。これがどんなふうに記事にまとめられるのだろう?だって雑談しかしていなかったぞ。

「これは地方版に載るのですか?」

「いえ、全国版です。11月の半ば頃に掲載予定です」

それを聞いてにわかにビビってしまった。なんかエラそうなことを言ってしまったぞ!

「写真を撮ってもいいですか?」

と、写真もバシバシ撮られた、ということは、写真も載るのか?これでは面が割れるではないか!ますます困った。

2時間半の雑談の中でいちばん興味を引いたのは、以前にその記者の方がある女性落語家に取材をしたというくだりである。今回の取材のきっかけを作ってくれた人なのだという。どうやら4年前のイベントを見に来ていただいて、その感激を記者の方に伝えてくれたらしい。

僕は初めて聞く落語家さんだったが、あとでその名前で検索してみて驚いた。うちの職場と同じ市内の出身だった!まさにこの市が誇るべき「偉人」ではないか!

そしてハタと気づいた。落語家の二つ目としてのお名前は、ご自身の出身の町名に由来しているのではないか!そうに違いない!

「鹿島さんそれって…」

「スピってます」

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ふたたびの相談

9月28日(土)

8月に、うちの社長を通して、大企業の社長さんから「社内部活」を進めていくための相談を受けたことは、以前に書いた

それでお役御免と思っていたら、社長の部下の方から、この日のお昼頃に再び相談のメールが来た。

11月末に、部活のメンバー数名で韓国でツアーを行いたいのだが、韓国に詳しい鬼瓦さんに、どういうところをまわったらいいか、しかも観光ではなく部活のツアーなので、実のあるものにしたい、ただし韓国語がわからないので、日本語による説明や解説があると望ましい、帰りは飛行機ではなく船で帰りたい、など、かなり条件の多い相談メールだった。で、先ずはメールで相談に乗ってほしいと。

メールの文面からは、暗に僕にもツアーに参加してほしいというニュアンスを感じたが、ツアーの期間を5日間くらい想定しているので、とても僕は参加できない。「日本語による説明や解説があると望ましい」とあるが、かといって現地の友人を巻き込みたくはない。そのあたりの含みを持たせながら、返事を書かなければならない。僕へのメールは先方の社長とうちの社長にもCCで送られているので、できるだけ失礼のないように丁寧に返信を書かなければならない。

しかしこの日は、家族で科学館に行っていたので日中はもちろん返事が書けず、夜に書くことにしたのだが、書いているうちにこっちもおもしろくなっちゃって、まわるべきコースについて詳細にアドバイスしたツアーガイドのようになってしまい、思いのほかかなりの長文になってしまった。

書いているうちに日付が変わってしまい、深夜に送信した。

そうしたところ、さっそく翌日曜日の早朝に返信が来た。メールをもとにこちらでも検討し、いずれまた直接お目にかかって相談いたします、という内容だった。

僕が不思議に思ったのは、先方のメールがまず休日の土曜日に来たということ。それもかなり長文の相談メールであった。ということは、土曜日も出勤しているということだろうか?あるいは出勤せずとも、仕事に関するメールを土曜に出すのはちょっとどうだろう。

僕も負けじと、つい土曜の深夜に返信をしたが、そのメールに対する返信も翌日曜の朝に送られてきて、たとえ職場ではなく在宅でメールを送ったとしても、仕事に関するメールを休日に送るのは、休日も仕事のことについて考えている(あるいは考えさせられている?)のかなと、ちょっと不安に思った。さすが大企業というべきなのか、あるいは働き方改革というかけ声はどこに行ったんだろうとか、さまざまなことを考えさせられるメールだった。そういうメールに休日対応している僕もどうかしていると思うが。

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科学館・2回目

9月28日(土)

小1の娘が、以前に行った科学館にまた行きたいと行って、はては泣き出してしまったので、しょうがないので自宅から車で30分ほどのところにある科学館にまた連れていった。今回は家族3人で行ったのでいささか楽ではある。

前回言ったときはひどく暑い日で、家族連れがこぞって涼しい場所を求めて屋内の体験施設である科学館に押し寄せたため、激混みだった。今回も混んではいたが、駐車場にはすんなり入れたし、体験コーナーも比較的待たずに利用できたので、まあよかったと言っていいだろう。

しかしあらためて驚いたのは、受付やカフェや体験コーナーなどに、学生風のアルバイトがけっこう多いことである。アルバイトだけではなく、若者同士で来ている客もちらほら確認できる。前回も書いたように、客層は必ずしも小さい子どもを連れた家族ばかりではないのだ。

調べてみると、この科学館の周辺には大学がそれなりにあって、バスや鉄道を使えばこの科学館にアクセスできる。つまり、この科学館周辺の大学生が、ここをアルバイトの人気スポットとして認識しているのではないか、という仮説を立ててみた。

たしかに、科学館でアルバイトをしているというのは、なんとなく学問の雰囲気に触れているという感覚になる。けっこうアルバイト先として人気があるところ何じゃないか?この科学館は。

もうひとつ気づいたことは、体験コーナーは全部で5室あるのだが、最初は幼い子どもがいろいろな科学体験をできるように工夫されているのだが、これが4室、5室あたりになると、とたんに内容が難しくなり、科学体験も減ってゆくような印象を持った。

まあこれは僕の邪推だが、最初は頑張って小さい子どもにも楽しめる工夫を考えたりしたのが、だんだんそういうネタが尽きたのか、あるいは億劫になったのか、ふつうの展示室のようになってしまったのではないかと、これは言ったようにあくまでも僕の邪推である。

今回も閉館時間ギリギリまで過ごした。

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今年の新語流行語大賞予想・2024

昨年の9月に2023年の新語流行語大賞の予想をしたら、見事当てました!

昨年に引き続き、今年の新語流行語大賞を予想してみようと思う。

今年はズバリ、

「50-50」(フィフティ・フィフティ)

である!もうこれしかない!

理由は、大賞にはいつも野球に関する言葉が選ばれているからである。昨年だって、阪神優勝にちなんだ「アレ」という言葉だったんだぜ。

今年は断然、大谷翔平選手がホームラン50本と50盗塁を達成し、そればかりかそれ以上の記録を伸ばしていることの象徴として、「50-50」に間違いないと思うのだ。だって大谷選手にまったく興味のない僕だって知っている言葉なのだから。

「50-50」という言葉、実は使い勝手がすごくいい言葉である。

「あの裏金議員、こんどの総選挙で当選するかどうかは『50-50』(フィフティ・フィフティ)だ」

と使うこともできる。この場合は「確率が5分5分」という意味だ。

エッセイストの能町みね子さんは、尊富士関が優勝した際に祖父が言ったという「大谷・焼肉・尊富士」を、今年の大賞に推したいと語っていたが、はたしてどうだろう。これはもちろん、かつて流行語となった「巨人・大鵬・玉子焼き」を捩った言い方だが、たぶん若い人は全然知らないので難しいだろう。

裏金議員で思い出したが、「裏金」も流行語大賞になる可能性があるぞ。だが大賞を取ったとしても、だれが表彰状を受けとるのかがわからないので、これも難しいかもしれない。告発をした方だったら受け取れる可能性がある。

では「公益通報」はどうだろう。個人的にはこの言葉がもっと広まってほしいと思っているが、これもまた、だれが表彰状を受けとるのかがわからない。

ではパリ五輪関係で「チョー気持ちいい」的な、印象的な発言をした選手はいなかっただろうか?と考えたが、そもそもパリ五輪をまったく観ていないのでわからない。

そう考えると、やはり「50-50」一択である!

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憶えていない

ずいぶんむかしにお会いしたことのある人に「鬼瓦さんですか?」と思わぬ場所で声をかけられることが、思い返せばけっこう多い。

先日書いた、お墓参りの後に昼食のため立ち寄ったパスタ屋さんで中3の時の同級生に会ったときもそうである。こっちはほとんど憶えていなかったのだが、先方は僕のことを完全に憶えていた。

つい先日仕事のために訪れた、母校の大学の一角にある図書室でもそんな出来事があった。

先日そこで作業を行ったことは前回書いたが、その作業の下準備のために最初に訪れたのがその約半年前、今年の2月である。

図書室のカウンターに行って、本日予約した者ですがと言うと、カウンターにいた白髪の老紳士ともいうべき司書の方が、

「鬼瓦さんですか?」

と聞いてきた。

見覚えのないお顔だなあと思っていると、

「Iです。あなたのゼミの先輩だった…」

「あ、Iさんですか!」

と言ってはみたものの、にわかに思い出すことができない。

下準備の作業している間もそのことが気になって仕方がない。

するとだんだん思い出してきた。

Iさんは、たしかに僕が入っていたゼミの先輩だが、10年近く上の先輩だったので直接の交流は全くなかった。当然、お話ししたこともない。

ただ、1年に1度、恒例のゼミ合宿があるたびに、IさんはゼミのOBとして参加されていた。ただし合宿でお目にかかったのはほんの2、3回のことだったと思う。Iさんは、卒業後は母校の大学の図書館にお勤めであるとそのとき聞いた。

あのIさんか…!

ようやく僕はその記憶を取り戻した。当時のイメージとの変わりように、にわかには思い出せなかったのである。

それにしても、1年に1度、ゼミ合宿の時にしかお会いしておらず、しかもたくさんいる学生のひとりだったペーペーの僕のことを、Iさんが憶えていてくれたとは!

Iさんは、母校の大学の司書として、各部局にある図書室を転々とし、いまはこの図書室のカウンターにいるところを、たまたま僕が訪れて、約30年ぶりの再会となったのである。

大変失礼なことに、僕は忘れっぽい性格なのでお会いしたことがあることを憶えていなかったりすることが多いのだが、先方はほんの1~2回会っただけなのに僕のことを憶えてくださっていることが多い。というかそれがふつうで、俺の記憶力のなさが異常なのか?

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寡黙なトラック野郎

9月25日(水)

久しぶりに「トラック野郎」と仕事をした。

午後3時過ぎ、都内での作業が終わり、僕はトラックの助手席に乗り込んだ。トラックで職場まで向かうのである。

運転手さんとはもちろん初対面である。見たところ僕よりもはるかに年齢が上の人に見えて、いかにもトラック野郎といった感じのおじさんである。ちょっと強面な感じがしたので、気難しい人かもしれないと一瞬思った。「いぶし銀」というのは時代遅れの言葉かもしれない。実際、口数が少なく、出発してからも寡黙である。

もちろんそういうときは、無理にコミュニケーションをとる必要はないことはわかっているのだが、運転手さんがどんな人なのかを確かめるには、少しばかり話しかけてみることも重要である。

「ここからどういうコースで職場に向かうのですか?」

と聞くと、比較的明るい声で、これから走るコースを説明してくれた。

「実は私も、職場までは車で通っているんですよ。都内を横断して」

「それは大変ですねえ」

…ここから先が続かない。

相手は大ベテランのトラックの運転手さんである。いわばプロ中のプロである。僕が下手に都内や隣県の道路事情の蘊蓄をたれようものなら、知ったような口をききやがって、と思われるに違いないのである。しかも、運転中に話しかけることは、運転に支障をきたす可能性もあり、どうしても話すきっかけを失ってしまう。そういうときは、無理に話す必要はないのだ。

車内ではずっと沈黙が続き、高速道路の出口が近づきつつあった頃、僕の携帯が鳴った。職場からである。

「いまどの辺にいますか?」

「いま、○○というところにいます。この調子だと…あと2~30分くらいですかね」

念のため運転手さんに確認すると、

「いえ、もう少しかかりそうですね。このままでは(当初予定していた)5時を過ぎてしまうと思います」

と言うので、それをそのまま職場のスタッフにお伝えした。

電話を切ってから運転手さんは言った。

「高速道路のAインターで降りてからが大変なんですよ。下道(したみち)を走るんですが、いつも渋滞してるんです」

僕はそれを聞いて驚いた。高速のAインターで降りるのは得策ではないということを知っていたからである。Aインターを出てから職場へ向かう道は、渋滞することで有名な道なのだ。

考えてみれば、これまで一緒に仕事をしたことのある「トラック野郎」は、なぜかみんなAインターで高速道路を降りて職場に向かっていた。で、決まって渋滞に巻き込まれるのである。

僕は運転手さんに言った。

「私はいつも、Aインターではなく、その手前のBインターで高速道路を降りています。その方が渋滞に巻き込まれずにスムーズに職場にたどり着くと教えられたものですから」

これを聞いて、運転手さんがどう思うかである。差し出がましいアドバイスだと思って無視するかもしれないし、Bインターで降りてくれるかもしれない。

「ほんとうですか?」

「ええ、高速道路を降りてから道案内しますので」

「じゃあ、Bインターで降りてみましょう」

ということで、Bインターで降りてもらうことになり、結果、渋滞に巻き込まれずに当初予定していた午後5時きっかりに職場に着いたのだった。

職場のスタッフは、

「Aインターで降りてから、したみちは渋滞していませんでしたか?」

と聞いてきたので、

「いえ、その手前のBインターで降りたので、渋滞はありませんでした」

「なるほど。それで早く着いたんですね」

ひととおり搬入が終わったので、運転手さんに

「ありがとうございました」

と挨拶すると、いぶし銀の運転手さんも

「ありがとうございました」

と、心なしかニッコリと笑っていた。

おそらく帰り道はBインターから帰ったのだろうと、僕は想像した。

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ミッドライフクライシス

食事を一気呵成に済ませてしまうことが苦手だ。

たとえば遅く帰ってきた場合、なるべく早くひとりで食事を済ませ、すぐにお風呂に入らないと、健康にも経済効率にもよくない。

そんなことは百も承知なのだが、帰ってくるとどうしてもボーッとしたくなるのである。

家族には叱られるのだが、しばらく何もせずボーッとして、食事をしたい気分が高まってからようやく食べ始める。しかも一気呵成に掻っ込むのではなく、少し食べてはボーッとし、少し食べてはボーッとし、をくり返す。おかげで食事の時間が長くなる。

その後、お風呂に入るまでの時間も長い。しばらくボーッとしないとお風呂に入る気分が高まらない。「まだお風呂に入ってなかったの?」と家族に叱られることもしばしばだ。

これは僕だけの悪弊なのかもしれないが、一方で、TBSラジオ「東京ポッド許可局」でいうところの「おじさんチャージ」の可能性もある。そういえば僕の父も、ゆっくりゆっくりと食事をしていたような気がする。とすればこれは遺伝なのか?よくわからない。

先日「ミッドライフクライシス」という言葉があることを初めて知った。中年特有の心理的危機を表す言葉だそうだ。その言葉を解説する10分ほどの動画をたまたまYouTubeで見たのだが、その解説をしている人がどうも僕と同じ年齢の人で、しかも中年期に大病を患った経験もあるということで、まさに私と同じ条件を兼ね備えているような人だった。その解説を聞くと思い当たるフシもあり、なるほど、しばらくボーッとしないと次の行動に移ることができないというのも、ミッドライフクライシスの一種なのかもしれないと思ったのである。

「ミッドライフクライシス」というおぼえたての言葉を、職場でのちょっとした雑談の折に披露すると、職場の若者から、

「それって、『クウォーターライフクライシス』みたいですね」

と言われた。

「クウォーターライフクライシス」?これも初めて知る言葉だ。

聞くと、「アラサー」が人生の節目で直面する漠然とした不安や焦りのことをいうらしい。

これってどっちが先に言い始めたのだろう?クウォーターライフクライシス?それともミッドライフクライシス?まるで「卵が先か鶏が先か」論争である。ちと違うか。

「人生に何度もクライシスが訪れるんですね」と若者は笑っていたが、まさに人生は、クライシスの連続だ。

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親バカ絵日記

9月23日(月)

1週間くらい前から小1の娘が絵日記を始めた。

絵日記は1頁に1日分の出来事を書かなければならない。さらにその1頁の中は、上半分が絵を書くスペースで、下半分が字を書くスペースである。低学年用の絵日記帳なので、比較的大きめのマス目が引いてあって、マスの数を数えると48個。つまり48文字で1日の出来事を書かなければならない。旧Twitterだって140文字が制限字数なのだが、絵日記はそれよりもはるかに少ない。その中に1日の出来事をまとめるのはなかなか至難の業である。

娘は、この制限字数の48字にピタリと収まるように書くことにこだわっているフシがある。もちろん文字数が少なくて2~3マス空白のまま終わる場合もあるが、多くは48のマス目をすべて文字で埋めている。かつて私は、期間限定で職場の公式Twitterで毎日ツイートしたことがあったが、そのとき、140字ぴったりに収まるような文章を考えていた。つまり娘のこのこだわりは、父親似かもしれない。

9月21日(土)には、3つくらい出来事があった。午前中にお墓参りに行ったこと、午後に新しいメガネができたので受け取りに行ったこと、夜にマンションの最上階から、隣の市で行われている花火大会の花火を見たこと。

さすがにこの三つの出来事を48字でまとめるのはできない。このうちのどれかエピソードを捨てなければ無理である。場合によっては1つのエピソードしか書けないかもしれない。

さあ、どんなことを書くのかなと楽しみにしていたら、その表現に舌を巻いた。

「わたしは、きょうめがねをかえました。はなびがはっきりみえてうれしかったです。きれいでした。」

制限字数48文字の中に、二つのエピソードが盛り込まれている。しかも「めがねをかえた」→「はなびがはっきりみえた」というふうに、2つのエピソードをさりげなくつないでいるではないか。

絵の方を見ると、上の方にはカラフルで大きな花火、そして下の方にはそれを見ている娘自身が描かれていて、新しいメガネをかけていることがさりげなく強調されている。

「メガネを変えたおかげで、花火がはっきり見えてきれいだった」と、1日の出来事を因果関係として整理して短くまとめているのは、すごいことではないだろうかと感動を覚えた。もちろん親バカであることは認めますよ。

 

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わんだふるぷりきゅあ!ざ・むーびー!

9月22日(日)

小1の娘と2人で1年ぶりにプリキュアの映画版を観に行った。現在公開中の『わんだふるぷりきゅあ!ざ・むーびー!』である。もう2回目なので、何のためらいもない。

劇場はほぼ満席で、親子連れが多いのはあたりまえだが、おそらく子どもは幼稚園児または保育園児くらいの年齢が多いと思われ、小1の娘がいまだに面白がって観ているのはよいことなのか、ちょっと不安になった。娘はいつまでプリキュアを見続けるつもりだろう。

それに、ポップコーン率も高い。小さな子どもが食べているのかと思ったら、もちろんそれもあるが、どちらかといえば親の方が熱心にポップコーンを食べている。なかには父親と母親が別々のポップコーンを食べていて、どんだけ食べるんだ?とツッコみたくなる。そんな中、うちは、映画のあとに昼食を食べることになっていたので、ポップコーンを食べるのを禁止した。以前は毎回のようにポップコーンを食べるのを楽しみにしていたが、ここ最近は食べるのを我慢しており、この傾向が続いてほしいものである。

映画が始まって早々に僕はついうとうととして目を閉じてしまったりしたので、最初のあたりの設定についてはよくわからなかったのだが、気がつくと、わんだふるプリキュアのメンバーは、有名なゲームクリエーターの作ったゲームの中に入ってしまい、つまりは仮想空間の中で敵と戦うような事態になっていた。これはあれか?キアヌ・リーブス主演の映画『マトリックス』みたいなものか?と、あやふやな記憶を頼りに推測したのだが、よくわからない。

前回も書いたが、今回もやはり、劇場版のウルトラマン映画みたいだという印象は変わらなかった。窮地に追い込まれた現役のウルトラマン某が、歴代のウルトラマンシリーズで活躍したウルトラ兄弟の助けを借りて敵を倒す、という構造と類似しており、過去の歴代のプリキュアが応援のために登場している。おそらく長くプリキュアを見続けているファンにはたまらない内容なのだろう。

しかしウルトラマンシリーズと決定的に異なるのは、ウルトラマンのほうは出てくる怪獣がたんなる「悪者」として描かれる、つまりは善悪二元論で描かれることが多いのに対して、プリキュアのほうは、「どんな悪い敵でもそうなってしまう事情があり、その事情がわかれば敵に対しても慈しみを感じる」というスタンスが貫かれていることである。もっとも誤解のないようにいうと、ウルトラマンシリーズの中にも、とくにウルトラセブンなどでは、宇宙人を単純な悪者とみることに対して疑問を呈する回もあって、そういう回の方がむしろ僕の中では今でも強く印象に残っている。

それと、プリキュアシリーズは、過剰なまでに仲間の絆を強調しており、そのことを強調するセリフがくり返しくり返し、てらうことなく語られる。そうやって常に言葉に出すことで、お互いの絆の確認をしているとも読み取れる。そういうことを率直に言い合えるのは、今の時代であればこそである。小さい子どもには、そうやってはっきりと言葉に出すことで、絆の大切さを理解してもらおうということなのだろう。

娘にとってのプリキュアシリーズが、僕にとってのウルトラマンシリーズ(ただし1980年までに限る)であると見立てれば、今後も娘はプリキュアシリーズを見続けるのだろう。

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引きが強い親子

9月21日(土)

今日はお彼岸ということで、父や祖父母の眠る霊園に行って、お墓参りをすることになった。妻と小1の娘を車に乗せ、実家に向かって母をピックアップして、実家と同じ市内にある大規模な霊園へと向かう。

お墓参りが終わると、ちょうどお昼の時間になったので、その霊園からほど近いところにあるパスタとピザのお店に入った。このお店は、お墓参りの後に、たまに立ち寄るお店である。

お昼時で混んでいたので、少しばかり待たされてからテーブルに案内されると、母が、隣のテーブルを見て「あら!」といった。そのテーブルには、母と同世代くらいのおばあちゃんと、その子ども夫婦らしき人の3人が座り、まさに食べ終わろうとするようなタイミングだった。

「久しぶりねえ」

と言って、何やら会話をしている。会話が一段落して、僕は母に小声で尋ねた。

「相変わらず引きが強いねえ。どんな知り合いなの?」

母の話によると、以前、最寄り駅の駅前で小さな靴屋を営んでいた人で、夫が亡くなってからは靴屋をたたんで、別の町に引っ越したという。でもバスの中でいまでもたまに会うので、向こうも僕の母のことを認識していたのだろう。ただ、顔は見知っていたとしても、なにしろ駅前で靴屋を営んでいたというだけの関係だから、先方は母の名前を知っている様子ではなかった。

しかし母の記憶力は凄まじい。母が僕に言った。

「お前、中学時代にナカムラさんという同級生がいたろ?」

ナカムラさん、と言われても、ナカムラさんと名の付く人はまわりに何人もいたので、すぐには思い出せなかったが、なんとなくいたことだけは憶えていた。

「うん、いたね」

「あのおばあちゃんは、そのナカムラさんの伯母さんなんだよ」

「伯母さん?」

「そう。ナカムラさんのお母さんのお姉さん」

母は何でそんなことまで知っているんだ!?相変わらず母の頭の中のデータベースは健在だ。

「ねえねえ」

隣のテーブルからそのおばあちゃんが母に話しかけてきた。

「あなたのお名前、何だっけ?」

決して惚けているわけではない。「会えば挨拶する間柄」という程度の関係だったので無理はない。

「鬼瓦です」

母がそう答えると、隣にいた娘さんらしき人が驚いて、母の隣に座っている僕に向かって叫んだ。

「えっ!鬼瓦くん???」1

「そうです」

「私、ナカムラです。中学の3年A組で同級生だった…!あなた、生徒会長をしていた鬼瓦くんよね?」

「そうです」

「ビックリした!…こっちはうちの旦那です」

と、対面に座っているハゲ頭のおじさんを指さした。

「どうもはじめまして」

「はじめまして」

「うちのやつ、中学時代は困ったヤツでしたでしょう?」

だんだん思い出してきた。クラスの中では三枚目的な存在で、おしゃべり好きだったことを。

「ええ、クラスでは目立っていました」

「そうでしょう」

「やたら声が大きくてね」

そう言うと旦那さんは笑い出した。おそらくいまでもそうなのだろう。

「今どこに住んでいるの?」

と聞くと、「平塚」と答えた。ここからずいぶんと遠い町だ。「今日は伯父さんのお墓参りに来たの」

僕はてっきり、おばあちゃんの娘夫婦だと思い込んでいたのだが、一人暮らしをしている伯母さんをお墓参りに連れていくために、平塚からわざわざ車で来て、伯母さんと一緒に伯父さんのお墓参りをしに来ていたのだ。

挨拶はそのていどで終わり、料理を食べ終わったその3人は席を立った。

僕はかなりのショックを受けた。というのも、40年ぶりに会ったナカムラさんには、中学時代の面影がまったく感じられなかったからである。かろうじてその声により、ナカムラさんであることを認識したていどだった。

40年も経っているのだから仕方がないが、ずいぶんと老けたなあというのが率直な印象だった。「旦那だ」といって紹介された夫の方も、頭がすっかりハゲあがっていて、どう見ても老夫婦である。

…ということは待てよ。この俺も、同じように見られていたということか???自分より年上だと思い込んでいたその人が同級生のナカムラさんだと知ったとき、俺もまわりからあんなふうに見えているのかと恐怖を覚えた。たとえばふたまわりくらい年下の若者から見たら、僕があんなふうに見えているのだろうかと思うと、絶望的な気持ちになった。

まあ、お互いあれから40年経っているのだからそんなふうに変化するのも無理はない。むかしシティボーイズの大竹まことさんが、ほかのメンバー2人の老けた顔を見ながら自分の老いを確認する、と言っていたことがあったが、いまその言葉は身に染みてわかる。

そんなことはともかく。

「鹿島さんこれって…」

「スピってます」

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焼け石に水

9月20日(金)

先日の会議で、「廊下にダンボール箱を置いて廊下を狭くするのは建築法上の違法行為である。年末までになんとかしなさい」と呼びかけられ、ああ、これは俺のことを言ってるな、と思った。なぜなら、僕の仕事部屋の前の廊下は、キャビネットが置いてあり、さらにその前には本を詰めたダンボール箱が置いてあるからである。だから僕の前の廊下だけ、極端に狭くなるのである。こんなに廊下を狭くしているのはこの職場で僕くらいなもので、つまり長く違法状態が続いているというわけである。

さすがにこれはマズいな、と思い、いくつかの仕事の合間を縫って、「断捨離」をはじめることにした。しかし僕ひとりではどうにも倦怠感がまさってしまい、作業が続かなくなる。そこで、いま僕のところに出入りしている若者が、週2回ほどアルバイトで僕の仕事を手伝ってもらっているので、その若者にお願いして断捨離を行うことにした。

手始めに、キャビネットに入っているコピーの束を全部捨ててしまうことにした。若い頃からせっせと蓄積していたコピーの束なのだが、もうほとんど読むこともないだろうと、思い切って捨てることにしたのである。コピーの束を捨ててしまえば、そのキャビネットの空いたところに仕事部屋の内外に無造作に積んである本やカタログを入れることができる。

この作業が意外と大変で、なにしろ20代から溜めに溜めたコピーの束なので、すぐには片付かない。しかも「例外的に残すべきものは残す」などと考えてしまったから、捨てるべきか残すべきかの長考が僕の中で始まるのである。結局、もったいないおばけが現れて、いくつかのコピーの束は残すことになってしまった。

それでも、けっこうな時間をかけて1つのキャビネットがようやく空になり、そこに本やカタログを詰めていくことにしたのだが、もうこの時点ではすっかり疲れてしまって、その作業が飽きちゃって、続きは来週火曜日にということで途中でやめてしまった。

しかし、キャビネット1台が空になったからといって、焼け石に水である。いまも廊下にはダンボール箱が置いてあって、見た目には以前の違法状態とまったく変わらない。「本当に片づけたんですか?全然変わってませんよ」と言われそうだが、相当捨てたんだよ!

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カレーの思い出・コバヤシ編

鬼瓦殿

ちょっとご無沙汰してました。コバヤシです。

相変わら忙しそうですが大丈夫ですか?

先日、ブログのカレーの思い出話、読みました。

後輩たちの家、果ては信州大学に入学した同期の友人の松本市の下宿や、確かOB楽団の合宿だかなんだかで軽井沢の貸別荘でもカレーを作らされたことが懐かしく思い出されます。

作らされた、と書いたものの今思えば楽しかったので文句は無いのですが、同期の友人の松本の下宿や、OB楽団の合宿でカレーを作るのは貴君の発案だったと記憶しており、多分当時は、え〜っ面倒だからヤダ!と言っていたのを無理矢理連れて行かれたように思いますし、同期の友人の松本の下宿に至っては、全く知らない信州大学の吹奏楽部の後輩10人近くにカレーをご馳走したように思います。

まあ、それも含めて楽しかったのですが。

貴君も書いていましたが、この歳になると流石に、もうカレーで集まるのはいいや、というのとみんなで集まるのも面倒臭いのでいいや、という感じですね。

今はカレーを作るのも昔ほど力が入らず、オーソドックスなチキンカレーやキーマカレーなんか、半年以上は作っていません。

と書きつつも、スパイスは未だに10種類以上は常備しているので、平日でも適当なカレーは作ってます。最近はナスやズッキーニやなんかの適当な夏野菜と鶏肉を具に適当に炒めた玉ねぎや生姜、ニンニクにトマト、あればココナッツミルクなども入れたり、ナンプラーで味付けしたりしてます。

今流行りのスパイスカレーみたいなもんでしょうか。

ということで、取り止めもない話で失礼しました。

そのうち何処かで会いましょう。

では、お元気で。

※なんだよ、楽しかったんじゃねえか。で、いまは「適当に炒めた玉ねぎ」って…(鬼瓦)

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素浪人になりたい

ガリ版刷りの手書きのミニコミ誌を僕が定期購読しているという話は以前に書いた。そのミニコミ誌には高校時代の恩師がエッセイの連載を持っている。僕が高校時代にはまったく知らなかった恩師の苦労話が語られていて、それを読むのが楽しみだった。少し前のある号では、ちょっと映画みたいな体験談が書かれていて、僕はその文章にあまりにも感動して、ミニコミ誌の編集代表者の方に思わず感想のメールを送った。そうしたところ、編集代表者から「次回の号の読者感想欄に掲載させてください」と言われ、僕は晴れてミニコミ誌デビューをすることになった。

どういう経緯か忘れたが、編集代表者は僕の素性について知るところとなり、僕に連載の打診が来た。僕の本職のエピソードについて書いてくれという依頼である。正直言って自分は学校の勉強をサボっていたのでまったくちんぷんかんぷんな世界だが、そういう人間にもその面白さがわかるような文章を書いてくださいとあった。

あこがれのミニコミ誌から連載の打診をもらって、もちろん嬉しかったのだが、僕はちょっと困ってしまった。僕がミニコミ誌を購読しているのは、自分の本職とは違う世界に少しでもふれておきたいという思いがあったからである。そのミニコミ誌は、これまで長年社会運動などに関心を持ってこられた方によって支えられてきた、いわば意識の高いミニコミ誌である。そんな中にあって、僕の本職の話を書いたところで、読者が面白いと思うだろうか。本職から遠い世界に身を置きたいと思って購読している雑誌に、本職のことを書くのはいささか興の醒める話でもある。そもそも、まったく興味のない人に面白く伝えることなど、僕にはとてもできない。

それでも僕はこれまで一般読者向けに書いてきた本職の文章のいくつかを、編集代表者に紹介した。なかにはその文章を収めた本じたいをお送りしたこともある。社会運動を手がけておられる方々にも興味を持ってもらえるかなという内容の原稿も少しは含まれているのだが、どうもその編集代表者の反応はあまり芳しくないようで、それ以降、パッタリと連絡が来なくなった。

それでよかったのだと思う。僕はやはり一読者としてそのミニコミ誌を楽しむ側の人間なのだ。来月からうちの職場で始まる、僕も少しだけお手伝いしているイベントでは、社会運動やミニコミ誌を取りあげているコーナーもあるので、その御案内を差し上げようかなとも一瞬思ったが、連載を持たせてくださいというこちらからのメッセージとも受け取られかねない可能性もあるので、逡巡している。せめて高校時代の恩師にだけはお知らせしようかとも思うが、そのためにわざわざ足を運んでいただくのも気が引けて、それもまた逡巡している。

人間はどうしても、その人の立場という視点で人物を見てしまう。そういうのを「立場主義」というのかもしれないが、立場を越えて人間は助け合わなければならないと思っている人の中にも、無意識に立場主義に立ってしまうこともありうることである。高校時代の恩師が御自身の名刺に「素浪人」と書いていたことが思い起こされる。僕も最終的には「素浪人」になりたい。

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ゆいと君

9月18日(水)

予報では都内は夕方頃にひどい雷雨に見舞われるという予想だったが、自宅近くは夕方になっても小雨が降ったていどだった。

それでも、念のため小1の娘を迎えに行こうと傘を持って学童保育に向かう。自宅から学童保育まではふつうの人の足で歩いて5分程度である。

学童保育の建物の前まで行くと、ちょうど娘が学童保育の建物を出るところだった。どうやらこのていどの雨ならば「ひとり帰り」でもよかったらしい。

帰り道を歩いているうちにほとんど雨もあがっていた。

帰り道が同じゆいと君とは今日も一緒に帰っているのだが、途中、娘はみくるちゃんの住むマンションの前にさしかかると、

「みくるちゃんたちと遊ぶ約束がある」

と言いだした。

「こんな天気で遊ぶの?」

「マンションのエントランスで遊ぶから大丈夫。だから、ランドセルと帽子を家に持って帰って!」

そういうと背負っていたランドセルとかぶっていた帽子を僕に渡した。

お、重い…。ランドセルがめちゃくちゃ重いではないか!ふだん僕が通勤の時に持って行っているリュックよりも重いかもしれない。

6歳の小さな子が、毎日こんな重いランドセルを背負わされているのは、どう考えても身体にとってよくない!

僕はその重いランドセルを持ちながら帰ることになった。

残されたのは僕とゆいと君の2人。

ゆいと君は僕に言った。

「ほんとうはね、家に帰ってランドセルを置いてからでないと遊びに行ってはいけないんだよ。家に帰るまでが学童だから」

なるほど、その通りだ。というか、ゆいと君は僕になんの警戒心もなく話しかけてきた。

「そうだよね。ほんとうはいけないんだよね」

ゆいと君はしっかりした子で、遵法精神にあふれている。うちの娘とは大違いだ。

ゆいと君は話を続けた。

「今日は7時からそろばん教室があるんだ」

「そうなのか」いまは6時過ぎである。

そろばん教室はどこにあるの?と聞きたかったが、こういうときは口を挟まない方がよい。というか、小さい子どもが話しかけてきたときは、口を挟まずに聞いてあげるのが最良の方法であると僕は信じている。小さい子どもたちは別に小粋な会話をくり広げたいなんて思っていないのだから、ただ必死に伝えようとしている話を受けとめるだけで十分なのである。

「帰ったらお弁当を食べて、そろばんの宿題をやって、そろばん教室に行くんだ。7時って言ったけど、6時55分くらいに教室に着かないとダメなんだよ」

どこまでも遵法精神にあふれた子どもだ。

「そろばん教室から帰ったらねえ、フリータイム。そのときに観たいテレビを観るんだ」

「フリータイム」という言い方が可笑しい。

交差点を渡ると、ゆいと君のママがゆいと君を迎えに来ていた。

「じゃあね」

と別れた。

「いま、○○ちゃんのパパとお話していたんだよ」

と、ゆいと君はママにそう伝えていたようだった。

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そんなこともあるさ

以前、ある書店で行われたトークイベントを聞きにいった。トークイベントのゲストは僕が初めて知るエッセイストだったのだが、なかなかにお話が面白いとそのとき感じて、その方の本を買ってサインをもらった。本の帯には僕が好きな著名なエッセイストが最大限の讃辞を贈っていて、否が応でも期待値が高まった。

トークイベントには、その方の信奉者らしき人もいて、というか、そういう人がほとんどだったのだが、「自分も○○さんのようなエッセイを書きたいと思って、思い切って自分の日記やエッセイをインターネットで公開しました」、という人もいた。僕はそれほどまでに信奉者の方がいるとは知らず、その界隈の人々にとっては後を追いかけるべき存在の人なのだなとひたすら感心するばかりだった。

ところが家に帰ってきて本を開き、読み始めたのだが、これがなかなか進まない。どうがんばっても、その先を読む気がしないのである。

おかしいな。僕が好きなエッセイストは本の帯であんなに絶賛していたのに、僕には全然頭に入ってこないのである。僕の感覚がおかしいのかな?

その方が男性の小説家と2人でやっているPodcast番組があることを知り、聴いてみたのだが、やはりどうがんばっても聴き続けることができない。これを聴くんだったら、他にもっと面白い番組があるのだからそれを聴こうと、聴くのをやめてしまった。

僕は自分の感性のなさに絶望し、自分は何か時代に置いていかれているのではないかと思い悩んだのだが、こんなことに思い悩んでいるのは自分だけだろうかと思ってSNSなどをつい調べてみると、大絶賛の嵐の中、ひとりだけ僕と同じような印象を抱いている人がいるのを見つけた。

その人は僕と同じで、有名なエッセイストが推薦されているので手に取って読み始めたけれども、どうにもしっくりこないと書いてあった。とても素敵なエッセイで、自分もそのことを重々承知しているのだが、文章のタッチが自分にはどうもしっくりこないと。

その感想を書いている人がどんな人なのかはわからないが、おそらく僕がそのエッセイストの本に対して抱いたのと同じ印象を持ったのだな、ということが、その短い文章から容易に想像できたのである。

そして、この方の素晴らしいのは、その文章の最後のところである。正確な引用ではないが、云わく、

「作品との相性というのか、こういうことが自分にはたまに起こるので、きっといまは受け付けない時期なのだろう、少し時間をおいて、気持ちを新たに読めるときがきたら手に取ろうと思う」

とあり、これは自分のいまのコンディションの問題であり、やがて時間が解決してくれるだろうとまとめている。おそらく時間が解決する問題ではないと思うのだが、それでも多くの人たちが絶賛している素敵なエッセイを理解したいという前向きな姿勢に、僕はすっかり脱帽してしまった。

そして僕がここに書いている駄文も同じことで、どうも相性が悪いと思って離れてしまった人も多いのだろうということにあらためて気づかせてくれたのである。

まことに些細な話なのだが、心覚えに書いておく。

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ブルシットジョブ

9月17日(火)

月の第三火曜日はもっとも疲弊する日である。

とりわけ今日の会議は長かった。議題が多ければ多いほどコンパクトにまとめたいと思うのが人情だが、実際はその逆で、議題が多ければ多いほど質問や意見が「出がち」っというのは、何の法則っていうの?

僕は大勢が集まる会議でなるべく発言しないようにしているのだが、ある案件は、さすがに僕も意見が言いたくなった。

毎回大変な思いをしながら実施しているあるサービスについて、これまでの実績が会議資料にあがっていたのだが、その実績を見たらびっくりするくらい成果が上がっていない。サービスを享受する人が、ほぼ毎回1人くらいしかいないのだ。

そのサービスは5年ほど前から始まったと記憶している。僕はその当時から、そのサービスには引っかかるところがあったのだが、そのサービスを実現したいという人の熱意が強く、無碍に批判できない雰囲気だった。それがここへきて、利用実績を調べてみたら、「え?これしかいないの?」と僕はびっくりしたのである。

これって何かに似ているなあと思ったら、「マイナ保険証」と同じではないかという気がしてきた。マイナ保険証も、膨大なコストと労力を使ってシステムを構築しても、利用率は1割を超す程度ではなかったっけ?でも後には引けなくなり、そのまま突き進んでいる。

僕は、

「膨大なエネルギーをかけているにもかかわらず、利用実績が毎回1人くらいしかいないというのは、コストに見合わないということではないでしょうか」

と発言した。暗に「このサービスをやめたらどうか」と言いたいのだが、そこまではっきりとは言わなかった。

すると、「たしかにそうですが…」と言いつつも、やはりこのサービスをやめてしまうことへの抵抗がある人がけっこういて、やっぱりせっかくはじめたサービスなのだから、というやんわりとした反論が出され、このサービスはなんとなく続くことになってしまった。

「顧客へのサービス」と言われてしまうと、こっちとしても何も言えなくなってしまうのだが、僕はこの些細な出来事から、あのマイナ保険証になぜ政府はこだわり続けるのかという理由が、なんとなくわかる気がしたのである。

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団地のふたり

9月16日(月)

NHKーBSのドラマ「団地のふたり」が面白い。

最近は全然ドラマを見ていない。話題の朝ドラや大河ドラマも観ていないし、クドカン脚本の「新宿野戦病院」も見逃した。

愚妹に会ったときに、「(「団地のふたり」を)観た方がいいよ」と薦められ、第2回の放送から観ることにした。

愚妹は僕のドラマの趣味を理解しているのである、というより愚妹と僕のテレビ番組の趣味はほぼ一致しているのだ。小泉今日子、小林聡美がダブル主演だったとは知らず、これは観ないといけないと思ったのである。

ふたりは同じ団地に住む、保育園からの幼なじみという設定である。しかも年齢設定は、いまの僕の年齢と同じというのだから、これは僕のためにあるドラマだといっても過言ではない。

団地では高齢化が進み、些細だがさまざまな問題が巻き起こる。そうした問題を、団地のふたりが、同じ団地の人たちと助け合いながら少しずつ解決していくというお話、らしい。「らしい」と言ったのは、まだ第2回と第3回しか観ていないからである。

ドラマの雰囲気は、以前にNHKの地上波で放送された「阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし」によく似ている。脚本家も演出家も全然違うが。

たしか小泉今日子と小林聡美は、実生活でも同い年だったと思う。学年でいうと僕よりも4つほど上くらいである。木皿泉脚本のドラマ「すいか」(2003年)以来、2人はたびたび共演しているが、ラジオとかPodcastなどでごくたまに2人が対談している様子を聴くと、実生活ではドラマのようなベッタリする友人関係という印象はない。あくまでも仕事上の同志といった感じである。お互いの私生活には深入りしていないのが心地よい。

2人には、一緒に仕事をすれば絶対にいい仕事になるという確信めいたものがある、ということを以前から感じていた。もしそうだとすれば、理想の関係ではないか。いまではすっかり裏方にまわってしまった小泉今日子が、ドラマの主役として久々に登場したのは、相手役が小林聡美だから安心できたのだろうと勝手な想像をしてしまう。なんにせよ、テレビに絶望した小泉今日子を舞台の真ん中に再び引き上げたのは、そういう確信や安心があったからではないだろうか。まことに範としたい人間関係である。

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郊外型巨大書店の憂鬱

9月15日(日)

小1の娘が絵日記をつけたいと言いだした。じゃあ絵日記帳を買いに行こうということになったのだが、どうせ行くのなら、駅前の文房具屋さんとかそういうところではなく、車でドライブがてら、川を渡って郊外の丘陵地にある巨大文房具店&書店に行ってみようということになった。

その巨大文房具店&書店は、以前にいちどだけ立ち寄ったことがある。すぐ近くで行われていた子ども向けのイベントに参加し、そのときに少しだけ立ち寄ったのである。噂には聞いていたが、広い店内に本や文房具が並んでいて、夢のような空間だなと思った。こんどはイベントとかは関係なしに、このお店で買い物することを目的に来ようと心の中で誓ったのである。そしてそのチャンスが今日、訪れた。

自宅からその場所までは、カーナビによると30分程度で到着するようなのだが、今日は日曜日ということもあり、道路は渋滞していた。しかも川を渡る橋は、ただでさえ渋滞しがちなのに、今日はさらに混み合っていて、途中昼食休憩をはさんだこともあり、11時に自宅を出て14時にようやく目的のお店に到着した。

店舗は広くて明るく、文房具や本がたくさん並んでいる。まさに夢の空間である。妻と僕は、なんとなく交替交替で娘の面倒を見て、一人ずつが書店に並んでいる本棚を見ることにした。

しかし、こんなに本がたくさん並んでいる巨大書店であるにもかかわらず、なぜかまったく心がときめかない。ふだんの僕だったら、本屋に入ったら最後、何かを買って帰らないと気が済まないのだが、この書店の本棚を見回しても、なぜか本を手に取る気が起きなかったのである。

それでも、せっかく来たのだから1冊くらいは、と思い、「へえ、こんな本が出ているのか~」と興味をそそった本数冊を手に取って中身をパラパラと見たものの、「うーん。この本をここで買う意味があるのだろうか?」という思いが強くなり、結局本棚に戻したのである。

理由はいくつか考えられる。自宅からこの店に来るまでずっと運転していたこともあり、ちょっと疲れてしまい、本を買う気力が削がれてしまったというのが一つ。

それと、最近は、新しい本に手を出すより、自宅の積ん読本を読むことに気持ちが傾いており、本を買うことにブレーキをかけてしまっているというのがもう一つ。

しかしそれ以上に思ったのは、(これはまことに身勝手な話だが)、本の選書とか並べ方が、なんとなく僕の好みに合わなかったのである。郊外型の巨大書店ということもあり、ターゲットは子ども連れの家族を想定しているからかもしれない。本当に本が好きな人が、わざわざここに足を運ぶだろうか、と考えた場合に、それに見合った選書がされているか、はなはだ心許ないと感じてしまったのである。くり返すが、これは僕の身勝手な感想である。

加えて(まだあるのかよ!)、広いお店であるにもかかわらず、店内には座る場所がまったくない。僕のような足腰に不安がある人間にはなかなか厳しい。子どもにはキッズスペースがあり、そこに子ども用の椅子がわずかにか用意されているのだが、そこでつきっきりで面倒を見る保護者の椅子はなく、それが僕には辛かった。とくに娘は、このキッズスペースが唯一気に入った場所のようで、ここから離れようとしないので、立ったままずっと見守ってなければならない。情けない話だが、途中から腰が痛くなってきた。

お店にはチェーン店のコーヒーショップが併設されていて、妻と子守を交替してからはそこで休もうと思ってお店に行くと、比較的広い空間であるにもかかわらずお客さんでごった返していて、ほとんど空席がない。そこまでしてここでコーヒーを飲むほどではないなあと思い直し、座って休むことを諦めた。

ようやく娘がキッズスペースに飽きたところで、帰ることになり、再び渋滞の中を自宅まで戻ったのであった。

結局、このお店で買ったのは、絵日記帳とぬりえ帳のみ。600円くらいの買い物で終わった。でもまあ、娘が楽しんでいたからいいか。この先、本を買う目的でわざわざこのお店に訪れることは、おそらくないだろう。期待値が高すぎたのかもしれないな。

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エアコン交換

9月14日(土)

これからは食に関するエッセイを積極的に載せていこうかと、前回はカレーについて書いてみたのだが、その後がなかなか続かない。しかし「グルメ・クッキング」のカテゴリーを見ると、食欲が旺盛だった頃にはそれなりに書いていたようである。

ということで、今回は食の話ではなくエアコン交換の話。

いまのマンションに引っ越したのが6年ほど前なのだが、そのときにエアコンをリビングに取り付けた。しかし、いつの頃からか、このエアコンの冷房の効きが悪くなった。冷房をつけると最初は元気よく冷風が出るのだが、ほどなくして冷風が出なくなる。またしばらくして、思い出したように冷風が出るのだが、ほどなくして冷風がストップしてしまう、のくり返しだった。

温度を20度に設定しても、取り立てて涼しくなるということはなく、とくにこの夏は冷房の効きの悪い部屋で汗を搔きながら過ごさなければならなかった。

さらに僕が寝る部屋は別の部屋なので、扉を開けっぱなしにしたとしても、リビングの冷房の恩恵にあずかることはほぼ絶望的である。もともと効きの悪い冷房なのだ。

仕方がないので、扇風機をつけながら寝ることにした。子どもの頃、

「扇風機をつけっぱなしで寝てしまうと、死ぬ」

という都市伝説があり、それが怖いので寝るときは扇風機を必ず切って寝たものだが、かなり大人になってから、どうやらつけっぱなしで寝てもも大丈夫らしいということに気づき、いまでは平気で扇風機の風を受けながら寝ている。しかし6時間経つと自動的に切れる設定になっているので、扇風機の風が止まると途端に汗が噴き出してくる。

この生活、なんとかならないかと思っていたら、さすがに家族もエアコンの交換の必要性を強く感じたらしく、家電量販店で新しいエアコンを買い直すことにした。

しかも今回は、リビングだけではなく、僕の寝ている6畳ほどの部屋にもつけることになった。つまり1台から2台に増えるのである。これはありがたい。

しかし、ちょっと困ったのは、僕の寝ている部屋には寝ているところの周りに本が無造作に積まれていて、ダンボールに入ったりしている。エアコンを取り付けるためには、設置場所の周辺だけでも、本をどけなければならない。

僕は昨日、汗だくになりながら本を少しばかり整理し、とりあえず設置場所付近に置かれていた本を別の部屋に避難させた。「とりあえず」なので、設置場所以外のスペースには本が無造作に積まれている。こんなものを取り付け業者の人に見られたらドン引きされるかもしれないと思いながらも、妙案がないので仕方なくそのままにしておいた。

で、本日がいよいよ新しいエアコンが設置される日である。

設置業者からは、「午後1時~3時のあいだにうかがいます」という連絡があったので、午後1時から待っていると、待てど暮らせど来ない。するとまた電話が来て、「ちょっと前の作業が遅れておりまして、到着が3時過ぎると思います」という。

こっちは、すぐにエアコンの交換工事に取りかかれるように、午後1時からエアコンを切って待っていたのだが、結局2時間近く、エアコンを切ったまま待つことになった。9月中旬とはいえ、残暑というよりも猛暑の日なのでたちどころに汗が噴き出した。

午後3時過ぎに設置業者さん2人がやってきた。たぶん今日は朝から同じような作業をずっとしてきたのだろう。しかもこの暑さである。エアコンを交換するためには、エアコンを切って作業しなければならないので、たぶん作業効率は下がるのだろう。しかもどちらかといえば年配の方と言った方がよいおじさんなので、とりわけ暑さにはこたえることは容易に想像できる。だから設置工事が予定の時間より遅れてしまっても責めることはできない。というより、僕はそもそも職人気質の人には無条件で敬意を表しているので、業者さんのペースで作業してもらうことには何の不満もないのだ。

このたびのエアコン設置の作業は、まずリビングのエアコンを取り外して、新しいエアコンに交換する、というのと、僕が寝ている部屋のエアコンを新しく設置する、という二つのことをやらなければならない。当然ながら、設置工事中はエアコンは付けられないから、業者さんも汗だくになってエアコンの取り付けをしなければならない。それを二つも設置するのだから、いやはや大変な作業だ。

設置工事には2時間ほどかかり、午後5時過ぎにようやく終わった。

エアコンを付けてみると、これがびっくりするくらい涼しい。いままでのエアコンはいったい何だったのか?

僕の部屋もエアコンを付けてみたが、狭い部屋なのでなおさらに涼しく感じる。これはもう扇風機いらずだ。

エアコンを付けながらしばらくベッドに横になっていると、寒くなってエアコンを消したほどである。

 

 

 

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カレーの思い出

9月13日(金)

まことに芸のない話と思われるかもしれないが、夕食を何にするか困ったときにはカレーを作る。といっても本格的なカレーではない。豚バラ肉とタマネギとニンジンとジャガイモを入れて、ルーを加えて作るもっとも家庭的なというのか、基本的なカレーである。ほんとうは辛いカレーが好きなので、ジャワカレーの辛口あたりのルーを使いたいのだが、小1の娘がいるので辛くすることはできず、ハウスバーモンドカレーの甘口のルーを使っている。明日から3連休であることもあり、できるだけたくさん作って休日の夕食もまかないたいというセコい考えもある。

カレーについては、ちょっとした思い出がある。

高校時代は吹奏楽団に所属していた。同じパートにはコバヤシという奴がいて、これがウマが合うんだか合わないんだか、とにかく親しくなり、いまも親友という位置づけである。もっともいまはめったに会うことはない。

コバヤシは高校時代からなかなか大人びていて、ジャズ音楽に傾倒したり、文学に詳しかったり、食べ物にもこだわったりしていた。なかでも高校時代にカレーを作ることに目覚めた。それはインド風のチキンカレーで、当時の僕にとっては未知の食べ物だった。

楽器のパート練習の合間にその話が盛り上がり、そのインド風のチキンカレーを作ってカレーパーティーをしようなどという提案がどこからともなく出された。コバヤシと私と、1学年下の後輩数人がメンバーで、カレーパーティーは持ち回りで参加メンバーの自宅ですることとなった。

もちろんパーティーは週末におこなうこととしたが、大変なのはパーティー会場となるメンバーの自宅である。この日ばかりは、ほぼ一日、家を空けるために家族にどこかに行ってもらわなければならなかった。あと、会場となる家の参加メンバーは、当日までにカレーを作るのに必要な食材を揃えなければならなかった。もちろん材料や分量はコバヤシの指示である。で、コバヤシは当日、カレーを作る寸胴の鍋と香辛料を持ってくれば、これですべてカレーを作る準備が整うことになる。

午前中から集まり、最初は大量のタマネギをみじん切りし、それをカレー鍋に入れて弱火で焦げないように炒めなければならなかった。当然、鍋に入れっぱなしにすればOKというわけではなく、ひたすらタマネギのみじん切りが焦げないようにヘラだかシャモジだかを使って、つきっきりでタマネギをかき回さないといけない。つまり鍋のそばから片時も離れることはできないのである。当然一人だけが担当するわけではなく、交替でタマネギをひたすら炒めていたと思う。

何時間かすると、大量のタマネギのみじん切りが半分以下の量に減り、その色も飴色になる。コバヤシは適宜鍋の中を覗き、「これでよし」と許可が下りてはじめて、鍋の前から解放されるのである。

そのあとの手順はすっかり忘れてしまったが、ヨーグルトにつけ込んでいた骨付きチキンをヨーグルトごと鍋の中に投入していたと思う。香辛料をブレンドして投入するのはその後だったか?とにかくこのカレーパーティーのおかげで、コリアンダーとかクミンだとかカルダモンとか、香辛料の名前を覚えることができた。そして、たしかガラムマサラは最後に入れるということも教えられたと思う。後年(1991年)、デンゼル・ワシントン主演の映画「ミシシッピー・マサラ」を映画館で観たときに、タイトルにある「マサラ」とは、インド料理で使われるミックスされた香辛料という意味で、多様な文化が混じり合うことの象徴だという説明を聞いて、なるほどと思ったことがある。

とにかくそんなこんなで、ようやく食事にありつけるのが午後の遅くになってからというくらい、時間をかけてカレーを作ったのである。

それでもこのカレーパーティーはなかなかの好評で、高校を卒業してからも年に1回だったか半年に1回だったか、だれかの家を貸し切って同様のパーティーがおこなわれた。20代半ば頃まで続いたと思う。しかしその後はみんな忙しくなり、そんなパーティーのことは忘れてしまった。

最近になって、たんなる郷愁からだと思うが、そのカレーパーティーを復活したいという希望が後輩からどうやら出されているようだったが、もちろんコバヤシも僕も、そんなことはまったくやる気がないので無視している。復活することはないだろう。

で、冒頭の夕食の話に戻る。僕がコバヤシのカレー作りから学んだほとんど唯一のことは、

「タマネギを炒めれば炒めるほどカレーは美味しくなる」

ということだった。そのことがつねに念頭にあったので、若い頃は自分でカレーを作るとき、ルーを使ったとしてもタマネギを炒め続けることにはこだわった。いまはすっかりそんな元気はなくなってしまったが、いまでも短時間ながらタマネギがかなりしんなりするまでフライパンで炒めてから鍋に移すことにしている。

だからたとえ市販のルーを使っても、僕の作ったカレーは美味しいと思っている。実際小1の娘は「美味しい」と言ってくれた。ま、もともとカレー好きではあるのだが。

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アイス論

9月12日(木)

TBSラジオ「東京ポッド許可局」の「アイス論」が面白かった。

この番組は、マキタスポーツ、プチ鹿島、サンキュータツオの3人の芸人がおじさんトークをくり広げるのだが、冒頭は毎回「○○論」と題して、なんとなく一つのテーマを決めて、あーでもないこーでもないと雑談をする。

アラフィフのおじさん3人が、「何のアイスが好き?」とか、「どんなときにアイスを食べるの?」など、「アイス」について真剣に語り合っている様子は、それだけで微笑ましい。とくにマキタスポーツさんは、テーマが「食」に関係するものになると、途端にヒートアップする。

たとえば、こんな発言。

「世の中でいちばんうまい食べ物ってアイスだと思うんですよ。

アイスって、学習が必要ないじゃないですか。いきなり美味いんですよ。たとえばミョウガは経験と学習が必要でしょう?

子どもにソフトクリーム食べさせると、脳みそがのっとられているんだよ。完全に操縦桿にぎられてるんですよ。

口があやされている感じになっているんですよ。

アイスほど口をあやしてくれるものはないと思うんですよ」

と力説する。「世の中でいちばん美味い食べ物はアイスだ」という発言はあまりにも極論だが、なんとなくそうなのかなあという気になって聴いてしまう。「アイスは口をあやしてくれる」という表現は詩的だ。

ところがほかの2人に、

「マキタさん、それ10年ほど前にも同じこと言ってましたよ」

「同じ語り口でしたよ」

と突っ込まれる。10年ほど前の回でも「アイス論」というテーマで雑談をして、そのときも同じことを言っていたらしい。つまりブレていないのである。というか、すっかり忘れて同じことを言っている。僕も彼らと同世代のおじさんなので、以前に言ったことを忘れて同じことをくり返し言ってしまうのは、よくわかる。つまりこの番組は、おじさんを相対化する番組として聴くと楽しめるのだ。

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だれが見てるかわからない

先ほどまである先輩の悪口を延々と書いていたのだが(もちろん名前を出さずに)、書き終わった段階で、

(これ、まわりまわってその先輩に伝わったらどうしよう。いや、もしこのブログを読んでいたとしたら最悪だ)

と、急に怖くなり、かといって会心の悪口芸を削除するのも忍びなく、「下書き」設定にして非公開にした。

僕がインターネットの怖さを実感したのは、東日本大震災の時である。

原発避難区域に実家がある教え子について、頑張っているなあという趣旨の文章をブログに書いたのだが、もちろんその教え子の名前を明かさずに、しかも自分の身分も明かしていないにもかかわらず、同じ地元に住んでいるだれかが、その教え子を特定したらしく、ほどなくしてその教え子から、

「ちょっとマズいので、ブログの記事を削除してもらえませんか?」

といわれて、慌てて削除したことがある。

これは別の人の話だが、やはり原発避難区域に住んでいた人が、震災による原発事故で避難しなければならなくなり、ちょっと離れた地域に避難をして、そこで新たな生活を始めることにした。

そのことを、新たに生活を始めた土地で仲良くなったお友だちが、自身のブログで、「原発事故によって避難してきた人と親しくなりました」といった趣旨のことをひと言書いたら、名前も何も明かしていないのに、やはりその人がだれなのかが特定されてしまい、「故郷を捨てるつもりか」とその人個人に対して非難する人があったと聞いた。

…またこんなことを書くと、だれなのかが特定されてしまうのかな、と思うと怖いのだが、とにかく当時は、そういったことにみんなが神経をとがらせいた時期で、そのようなことをすることで心の中の不安を埋めようとしていたのかもしれない。同じ故郷の人であるにもかかわらず、原発事故はそのような形で人々を分断してしまったのかと、僕は言葉がなかった。

僕の書いた文章も、知らず知らずのうちに、だれかを傷つけているのかもしれない。

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きみの色

9月8日(日)

小1の娘と2人でアニメ映画『きみの色』(山田尚子監督)を観に行った。

少し前、おなじ山田尚子監督のアニメ映画『聲の形』(2016年)がテレビで放映されていて、それを娘が熱心に観ていて、僕はそれを横からチラチラと見たていどだったのだが、なんというか心がざわつくような映画だなと気になっていたら、どうやらこの映画がテレビで放映されたのは、山田監督の最新作のプロモーションらしい、ということがわかって、それでその最新作『きみの色』を観に行くことにしたのである。恥ずかしながら山田尚子監督のお名前を知ったのはこれが初めてだった。

あるサイトに載っていた作品情報を一部引用すると、

全寮制のミッションスクールに通うトツ子は、うれしい色、楽しい色、穏やかな色など、幼いころから人が「色」として見える。そんなトツ子は、同じ学校に通っていた美しい色を放つ少女・きみ、街の片隅にある古書店で出会った音楽好きの少年・ルイの3人でバンドを組むことになる。離島の古い教会を練習場所に、それぞれ悩みを抱える3人は音楽によって心を通わせていき、いつしか友情とほのかな恋のような感情が芽生え始める。」

とある。多少補足すると、「全寮制のミッションスクール」というのは思いのほか規律の厳しい学校で、教師はみなシスターとして敬虔な服装をしている。規律に違反すると反省文を毎日書かされたり、奉仕活動を行わなければならない。実際にミッションスクールというのは、一概にそういう学校なのかどうかはわからない。

トツ子、きみ、ルイの3人は、それぞれ家族に対して秘密を抱えながら、ひそかにバンドの練習をするが、唯一の理解者であるシスター日吉子がそのことを知り、学園祭でバンドのライブをしてほしいと3人に提案する。いままでそれぞれ家族に対して秘密を抱えていた3人(とくにきみとルイ)は、家族に本当のことを打ち明け、学園祭のバンドのライブに来てほしいとお願いをする。

そして学園祭の日、幕が上がる。何も聞かされていない生徒たちは、いきなりバンドライブが始まったことに戸惑うが、次第に会場は盛り上がり、シスターたちも曲の動きに合わせて踊り出す。わだかまりのあったきみの祖母やルイの母も駆けつけ、物語は大団円を迎える。

バンドの曲調は、YMOというより、TMネットワークに近いテクノサウンドで、まず僕はそこに心を奪われた。映画のエモーショナルな場面は、いうまでもなくこの学園祭でのライブで最高潮に達する。

おそらくこの場面を観てすぐに連想されるのが、ウーピー・ゴールドバーグ主演の映画『天使にラブソングを』であろう。たしかに『天使にラブソングを』へのオマージュが含まれているであろう点は想像に難くいない。

しかし僕がこの場面から直ちに連想したのは、芦原すなお原作・大林宣彦監督の映画『青春デンデケデケデケ』である。あの映画も最後の場面では、高校生のロックバンド「ロッキングホースメン」が、文化祭の時に体育館でライブを行い、生徒たちはもちろん、家族を始めとする「ロッキングホースメン」にゆかりのある人たちがライブに集合し、曲に合わせてノリノリの動きを取りながら彼らの活動を賞賛するのである。

『青春デンデケデケデケ』との共通点はほかにもある。『きみの色』では、学園祭のライブが大成功を収めたあと、3人のうちのひとり、ルイが大学受験のために船で島を離れて東京に出発し、ほかの2人がルイを送り出す場面が感動的だが、『青春デンデケデケデケ』もまた、バンド結成を呼びかけた「ちっくん」が大学受験のために故郷を離れる際に、逡巡する「ちっくん」をほかのメンバーが励まし、送り出すのである。

さらに、映画では唯一彼らの活動に理解を示すシスター日吉子(声:新垣結衣)が彼らの活動を後押しするが、『青春デンデケデケデケ』でも、唯一の理解者である寺内先生(岸辺一徳)が、高校でのバンド練習に力を貸す。つまりシスター日吉子は、寺内先生なのである。

これはもうまぎれもなく、『青春デンデケデケデケ』へのオマージュ作品だ。

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吹きだまり音楽CDを作りましょう

ここのところこぶぎさんがコメント欄でAI作曲ソフトを使って僕のブログを歌詞にした曲を作ってくれているが、これがどれもめちゃめちゃ秀逸な曲過ぎて笑える。

もうこのブログはダラダラと15年くらい続けているが、初期の頃からこぶぎさんはコメントを書いてくれている。ラジオでいえばヘビーリスナー、はがき職人、常連さん、…などという言い方は古いのか…。そのコメントの変遷をたどるだけでも一つの作品になるのだが、ここへきて、いよいよAIを使ったコメントという新たな手法を生み出した。そればかりか、AI作曲ソフトを使って、このブログの世界観を曲にしてくれるまでに至るとは!いやはや、長生きはするもんだね。

そこで考えたんだが、このブログも15年を経て、記事も(下書きにしているものも含めて)4000回を超えているので、なにか記念グッズを作ったらどうだろう。吹きだまり音楽アルバムのCDを作るとか。技術的には難しいのかもしれないが…。

…ま、グッズを作ったとして、誰に配るんだ!?という問題は残る。

 

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薬がまた1種類増えました

9月5日(木)

自宅から車で1時間半ほどかかる病院に行く。今日は月に1度の診察である。

1か月前に薬を変えてから、初めての診察なので、今日は副作用のことを言わなければならない。

採尿・採血をして、1時間ほどしてその検査結果が出る。その検査結果をふまえて診察が行われるのである。

いよいよ僕の番になった。

「薬を変えて、副作用はどうですか?」

「それが、最初はひどい倦怠感に苛まれて辛かったのですが、次第にその倦怠感が若干薄らいできたように思います」

「そうですか。あとはありますか?」

「懸念していた口内炎とかはありませんでした。ただ、胃のあたりが、なんかこう張った感じになっていて、それがかなり辛いです」

「便は出ていますか?」

「ええ、出てはいるんですが…、以前のような下痢の症状ではなくて、…その逆です」

「わかりました。では、胃の運動を活発にするような薬を出しましょう」

えええぇぇぇっ!また薬が増えるの?

「たぶんそれも副作用だと思いますので、胃袋を動かす薬を出します」

ということで、診察が終わった。

処方箋を持って調剤薬局に行くと、薬剤師さんが説明した。

「あたらしい薬が出ていますね。この薬は、朝昼晩の食事前に1錠ずつ飲んでいただきます」

えええぇぇぇっ!ちょっと待て!なんか複雑なことになってきたぞ。

とりあえず薬を受けとると、職場から緊急の呼び出しがあり、急遽職場に向かったのであった。

早く帰りたかったのだが、緊急の打合せに加えて、早めに打ち返すべきメールがやまほど来ていたので、結局、遅い時間に帰ることになってしまった。

さて、いちばん大事なのは、薬の管理である。

いままでは、5種類の薬を飲んでいた。仮にA錠~E錠としよう。薬のスケジュールは以下の通りである。

朝食後…A、B、C、Dの4錠

昼食後…Dを1錠

夕食後…Dを1錠

就寝前…Eを1錠

これだけでも面倒なのだが、このたびあたらしい薬F錠が加わることによって、以下のような薬編成となった。

朝食前…Fを1錠

朝食後…A、B、C、Dの4錠

昼食前…Fを1錠

昼食後…Dを1錠

夕食前…Fを1錠

夕食後…Dを1錠

就寝前…Eを1錠

これまで1日に7錠ほど飲んでいたものが、1日に10錠飲むことになってしまった。しかも飲むタイミングがすげーめんどくさい。これを帰宅後にピルケースに整理して入れていったら、小一時間かかってしまった。

はたしてこれら10錠を間違わずに飲めるか?

ただ、調剤薬局の薬剤師さんは、

「F錠は食事前に飲むと書いてありますが、食後でも大丈夫ですよ」

という謎の言葉を口にした。どないやねん!だったら食後に飲むぞ!

あと、主治医の先生は、

「本来であれば就寝前に飲むE錠は2錠が標準なのですが、1錠から2錠に増やしますか?」

「それだけは勘弁してください。E錠が副作用の元凶なのですから」

「そうですか、ではもう1か月様子を見ましょう」

と言っていたが、なんとかE錠を2錠飲むことだけは阻止したいものである。

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いっぽんでもニンジン

9月3日(火)

小1の娘が、小学校で「いろいろな物の数え方」について習っているようである。本だと「1冊2冊」とか、鉛筆だと「1本2本」だとか、そういう単位について学んでいるというのである。

「じゃあ、この歌で覚えればいいよ」

と僕が提案したのは、大昔、「ひらけ!ポンキッキ」という子ども向け番組で流れていた「いっぽんでもニンジン」という歌である。

若い人はまったくわからないと思うが、僕が小学校低学年の頃は、猫も杓子もこの歌が歌えたのである。

このあたりについて、もう少し詳しく説明すると、「ひらけ!ポンキッキ」から生まれた子門真人さんが歌う「およげ!たいやきくん」が空前のヒットとなった。シングルレコードはある時期まではオリコン史上最大の売り上げ作品であった。そしてそのB面が、なぎら健壱さんの歌う「いっぽんでもニンジン」なのである。

史上最大の売り上げを誇りながら、歌手に支払われるのは「印税」ではなく、「契約金」だったので、いくら売れても印税が入ってくるわけではなかった、と聞いたことがある。

とにかく僕は、この二つの歌が自分の中にしみついていて、今でも諳んじて歌えるほどである。

ここ数日、お風呂で一緒に歌ったり、お風呂からあがってからはYouTubeで歌の動画を見せたりしたら、娘はすっかり「いっぽんでもニンジン」と「およげ!たいやきくん」が好きになったみたいで、「およげ!たいやきくん」の方は難しくて覚えられないようだが、「いっぽんでもニンジン」の方は、くり返し歌っていくうちに覚えたようである。

「『いっぽんでもニンジン』の歌を、学校のみんなに教えてあげなよ」

と言ったのだが、その翌日、

「どうだった?」

と聞くと、

「お友だちのみんなは興味なかったみたい」

と答えた。それでもめげずに娘は「いっぽんでもニンジン」を歌い続けている。

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旅の後始末

9月2日(月)

昨日の夜に韓国から帰国し、さっそく今日は朝から出勤である。

午前10時の作業開始に間に合うように朝7時30分に家を出た。ギリギリに職場について作業にとりかかるが、作業自体はすぐに終わった。

その後、お昼休みまで、たまっていた書類の提出やメールの返信などに追われた。

お昼休み後、打合せのために、新幹線と在来線を乗り継いで5時間かけて、Kさんがやってきた。どうしても対面で打合せをしたいという。

「2時間の予定です」とKさんは言ったが、結局、打合せ時間は2時間30分に及んだ。

その後も、韓国出張中に来たさまざまな催促を「帰国したらやります!」と言った手前、それを少しでもこなさないといけないため、それをひたすら打ち返す仕事をしていたらあっというまに19時近くになってしまった。

今日は疲れているので早めに帰ろうと決めていたのだが、なんだかんだと「帰国したらやります!」という仕事に忙殺され、ヘトヘトになって帰った。さすがにこんなことは続けられないので、明日(3日)は休暇をとることにした。

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釜山どうでしょう

8月31日(土)

釜山のホテルにチェックインしたのが午後5時30分頃。夕食のために再集合する時間が6時50分。その間は自由時間である。

僕はホテルの部屋に入って、どこにも行かずに休んでいたが、チームのほかのメンバーは、お土産を買いに行ったりしていたようである。

約束の6時50分に待ち合わせ場所のホテルのロビーに行くと、いちばん最後に今回のチームリーダーがホテルの外からあらわれた。

「どこに行っていたんですか?」

と聞くと、

「ぶらぶらと歩いていたら、大きな本屋さんを見つけたので、そこで自分の専門にかかわる本の本棚を眺めてきました。たまたま見つけた本屋さんだったのですが、なかなか充実した品揃えでしたよ」

「なんという本屋さんですか?」

「それがわからないんです」

大きな本屋さん、といってまず思い出すのは、韓国には生命保険会社が経営しているチェーン店の本屋さんがある。そこがいちばん有名な本屋さんである。

「K文庫かもしれませんね」

「そうですか」

「夕食後に寄ってみますか?」

「それはいいですね」

夕食後、みんなと別れて、チームリーダーと、その助手のような役割をはたしている若者、そして僕とで、K文庫を目指した。

夕食の場所から少し歩いたので、僕はだんだん足が痛くなってきた。どんどんホテルが遠くなる。しばらくしてそのK文庫に着いた。

「先ほど訪れた本屋さんはここですか?」

「いえ、全然違います」

「それでも有名なチェーン店の本屋さんなので、いちおう入ってみましょう」

中に入ると、意外と狭かった。品揃えもあまりない。

「うーん。さっき訪れた本屋さんの方が品揃えが充実していました」

「そうですか。ではそこへいきましょうか」

「ええ、でもどこにあるかまったく憶えてないんです」

チームリーダーが無類の方向音痴であることを思い出した。

それでも、「この近所の書店」と検索をかけて、片っ端から探していく。しかし本屋さんの前に立つたびに、

「ここだったっけなあ?ちょっと違う気がするなあ」

という言葉をくり返す。

何軒かまわったが、チームリーダーの記憶がまったくよみがえらない。

「近くに何がありましたか?」

「それがまったく憶えていないんですよ」

これほど、本人の記憶が頼りにならないことも珍しい、というかゼロ回答である。

「ま、歩いていれば思い出すでしょう」

「この近所の書店」で検索して、一番近い本屋さんを見つけた。

「ひょっとしてここではないですか?」

「うーん。わからないかあ」

わからないんかい!

「とりあえず、その本屋さんのあたりに向かいましょう」

その本屋さんを目指していくと、チームリーダーの記憶がだんだんよみがえってきたようだった。

「あ!このあたりの道を通ったかも知れません!」

「じゃあ、その本屋さんで間違いないですね」

「いまからそこに行きましょう」

「いえ、無理です」

「どうしてです?」

「営業が終了しています」

いまは午後9時10分。その本屋さんの閉店時間が9時と書いてあった。

「水曜どうでしょう」シリーズのサイコロの旅韓国編で、その土地の名物を食べられるかどうかをお店の前でカードを引いて決めるという場面があったと記憶しているが、お店の前まで来て、

「全員食えない」

というカードを引いてしまった心境と同じである。おかげで足は限界を迎えてしまった。

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