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だれが見てるかわからない

先ほどまである先輩の悪口を延々と書いていたのだが(もちろん名前を出さずに)、書き終わった段階で、

(これ、まわりまわってその先輩に伝わったらどうしよう。いや、もしこのブログを読んでいたとしたら最悪だ)

と、急に怖くなり、かといって会心の悪口芸を削除するのも忍びなく、「下書き」設定にして非公開にした。

僕がインターネットの怖さを実感したのは、東日本大震災の時である。

原発避難区域に実家がある教え子について、頑張っているなあという趣旨の文章をブログに書いたのだが、もちろんその教え子の名前を明かさずに、しかも自分の身分も明かしていないにもかかわらず、同じ地元に住んでいるだれかが、その教え子を特定したらしく、ほどなくしてその教え子から、

「ちょっとマズいので、ブログの記事を削除してもらえませんか?」

といわれて、慌てて削除したことがある。

これは別の人の話だが、やはり原発避難区域に住んでいた人が、震災による原発事故で避難しなければならなくなり、ちょっと離れた地域に避難をして、そこで新たな生活を始めることにした。

そのことを、新たに生活を始めた土地で仲良くなったお友だちが、自身のブログで、「原発事故によって避難してきた人と親しくなりました」といった趣旨のことをひと言書いたら、名前も何も明かしていないのに、やはりその人がだれなのかが特定されてしまい、「故郷を捨てるつもりか」とその人個人に対して非難する人があったと聞いた。

…またこんなことを書くと、だれなのかが特定されてしまうのかな、と思うと怖いのだが、とにかく当時は、そういったことにみんなが神経をとがらせいた時期で、そのようなことをすることで心の中の不安を埋めようとしていたのかもしれない。同じ故郷の人であるにもかかわらず、原発事故はそのような形で人々を分断してしまったのかと、僕は言葉がなかった。

僕の書いた文章も、知らず知らずのうちに、だれかを傷つけているのかもしれない。

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