授業参観
10月26日(土)
妻は仕事なので、ひとりで小1の娘の授業参観に行ってきた。授業参観は初めてである。
昨日の夜に3日間の出張から帰ってヘトヘトだったが、8時35分開始の授業に間に合うように時間に余裕をもって登校しなければならない。
1時間目が国語、2時間目は算数なのだが、2時間目の授業は非公開で、代わりに保護者たちは体育館に集められて、道徳に関する教育講演会を聞く。そして3時間目は再び教室に戻り、道徳の授業を参観する。
僕が心配していたのは、授業が行われる45分間、保護者は教室で立ちっぱなしなので、自分の体力が持つかということだった。もちろん、ふつうの保護者であれば何の問題もないのだろうが、薬の副作用で倦怠感が半端なく、しかも足腰に不安があるのだ。それにもうひとつ、もし途中で用を足す必要に迫られた場合、トイレはどこにあるのだろう、という不安もあった。
8時35分に1時間目の国語の授業が始まった。盛りだくさんの内容だったが、いくつか気になる点があった。
一つは、教科書の音読である。これを全員が一斉に行うのである。
これははたしてよいことなのだろうか?もちろん、クラス32人の誰もが取りこぼされないように平等に機会を与えるという方針なのだということはわかる。実際、先生は児童に手を上げて答えさせるたびに、誰に当てたのかをメモしていた。つまり一人に偏らないように、できるだけ機会均等を心がけなければいけないという方針なのである。
しかしそれでほんとうに個性が伸びるのだろうか。たとえばよく聞く話なのだが、伊集院光さんは小学生のころ、教科書の音読をひどく褒められて、それが「喋りの仕事」につくきっかけになったと聞いたことがあるし、講釈師の神田伯山さんも同じく、小学生のときの教科書の音読を褒められて講談師の道に進んだと述懐していた。
自慢だがうちの娘は音読が上手い。その音読を褒めて個性を伸ばせば、その先の人生について一つの展望が見えてくるのではないだろうか。
僕は伊集院光さんや神田伯山さんのエピソードを思い出し、音読を全員が一斉に行うスタイルに違和感を持たざるをえなかった。
二つめは、うちの娘の授業態度についてである。
保育園時代の同窓生のふうかちゃんが、別の小学校から転校して、娘の隣の席で勉強することになり、そのことに娘は興奮して、ふうかちゃんに「わからないことがあったらなんでもきいてね」とくり返し書いた手紙を渡したことを前に書いた。
しかし、実際の授業風景を見ていると、娘はふうかちゃんのサポートをまったくしていない。ふうかちゃんは転校してきたばかりで、何かと先生の指示の意味がわからなくて、先生の指示とは違う行動をしてしまうことが多い。ふうかちゃん自身、とてもおとなしい子どもなので、わからないことをまわりのお友だちに聞く、という行動もとらない。
だからこそ、娘はふうかちゃんを助けたいと思って手紙を書いたわけだが、その手紙に書かれた情熱とは裏腹に、ふうかちゃんの困っている様子について無頓着なのである。
授業参観が終わって家に戻ってから、「どうしてふうかちゃんのことを助けてあげなかったの?ふうかちゃん、先生の指示がわからなくて困っていたみたいだったよ」と娘に聞いたら、
「全然気づかなかった」
と言った。たぶんそれは本心だろう。そこでハタと気づいた。娘は自分のことで手一杯で、隣の席のふうかちゃんの様子を見る余裕などなかったのだ、と。
ま、あれだけ矢継ぎ早に先生の指示が飛んでくることに対応するのは、小1の児童にとっては酷なことである。娘はふうかちゃんの様子に全然気づかなかったことにひどく反省をしていたので、決して嘘ではないだろう。
「これからは、余裕のあるときでかまわないからふうかちゃんを助けてあげるんだよ」
「うん」
ということで、この件は一件落着。
さて、2時間目の授業は非公開なので、その時間は体育館に移動し、保護者のための道徳教育講演会を聞くことになっていた。休む間もなく体育館に移動する。
講師は若い男性で、保育系の大学を卒業して小学校の先生になったが、途中で子どもの教育関係の仕事を起業し、そのかたわら今もどこかの小学校で非常勤の教師をしているという。
45分間の講演は、一つのパッケージになっていて、相当手慣れた講師だなというのが第一印象だった。おそらくこの種の講演に呼ばれることが多いのだろう。後でインターネットを検索すると、ホームページを持っていて、講演は年に200回近くしているとか、本を出しているとか、その道の有名人であることがわかった。
さすが、手練れの講師で、お話しも上手で、パワポも完璧。緩急をつけた喋りとエモーショナルな内容に、最近とみに涙腺が緩くなった僕は、すっかり泣かされてしまった。
…といっても、別に感化されたわけではない。ちょっと自己啓発セミナーっぽい匂いを感じたし、全体にふわっとした感じの内容だったので、なるほどこういうところが受けているんだなと感心した。
45分の講演が終わり、再び教室へ向かう。ほんとうに休みがない。
3時間目の授業は道徳である。この道徳の授業がカオスすぎて、何が言いたいのかよくわからなかった。もっとも、担任の先生も必死に授業の組み立てを考えていることは十分に伝わったので、やはり道徳の教科じたいに無理があるのではないかと感じた。
あとで娘に聞いてみると、やはり道徳はいちばん苦手だといっていた。
「オオカミの気持ちになれって言われてもねえ」
たしかに。心の置き場が見つからないまま、道徳の授業はこれからも続くのだろうか。
再び45分間立ちっぱなしだったので、さすがにもう体力的に限界が来たが、用を足すアクシデントもなく、足がつることもなく、無事に終了した。
しかし午後になって疲れや倦怠感が一気に押し寄せてきたのか、手の指はつるし足はつるしで、やるべきことが思い通りにできずに終わった。
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